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真実の想いに酒気を混ぜて滑らかに




 勇成国の首都、巨大な湖畔の上に建てられたこの首都の最も高い場所。

 その白亜の城の中に作られた芝生生い茂る美しい庭園にて、今日は様々な人が集う。

 流石に一般人の類は見受けられず、殆どがこの城の関係者ではあるが、その装いは多岐にわたる。


 今日という日を楽しみしていた者は、気合の入った装いで望み。祭りの雰囲気を楽しみたいだけの者は仕事着のまま。この後市井に降りて家族や恋人、友人と楽しむ者は羽目を外しすぎない程度の私服。


 勿論給仕に仕える者も居る。だが公式の催しとは違い、談笑混じりに仕事をしていたりと非常に気楽に仕事をこなしている。

 職務から逸脱しすぎれば注意されるが、多分に目を瞑られている辺りが今日が無礼講なのだと察せられる。


 その面々も、人種よりは亜人の方が多い。

 亜人の血の濃い者も薄い者も混ざり合っているが、見渡す限りが亜人の特徴を持つ者ばかりだった。

 これは建国を成した初代勇者による功績だ。

 亜人の国を作るのではなく、亜人と人が手を取り合って生きていける国を作る。

 彼の成した光景は、人と亜人が睦まじく踊っているこの光景そのものだろう。


 そんな光景の傍ら、一際人の集まる場所がある。

 一人の美しい女性を中心に、男女問わず多くの人々が詰め寄っている。


「美しい人、どうか俺と踊ってくれないだろうか」

「ねぇ貴女? サキュバスの極上の夢を味わいたくない?」

「あたし達ラミア族の嫁になって? 大丈夫よ、三日三晩ラミア族の帳を迎えた頃には貴女も幸せな気持ちになれるわ」


「いや、あの……娘を待ってるので……ごめんなさい」


 情熱的な目で膝を着いて懇願する男にも、妖艶なサキュバスの誘いもラミアの身体に巻き付いて来ながらの熱い吐息もマリアは跳ねのける。

 セシリアはレフィルティニアに連れられどこかへ行ってしまった。

 待ってて、と言われたマリアは、完全にアウェイな空間で一人立ち竦していたのだが美しく着飾ったマリアを周りが放って置く筈も無く、壁の花は祭りの花と化している。

 まだ離れて五分と経っていない。にも拘らず、マリアは精神的に疲労懇賠だ。


 相手は一目見て貴族と分かるだけに、下手に強く出られないのが災いしてその控えめな態度がまた相手に押せば行けると思わせてしまう。


「君は確か子爵家だろう、ならば侯爵家の俺に華を持たせるのが筋では無いか?」

「家も継げない三男坊が何を言ってるのかしら? それに……ふっ、そのちんけな物よりサキュバスのあたしの方が彼女を満足させてあげられるわね」


「あの馬鹿二人は放って置いてあたしと一緒に抜けだそ? ね、良いでしょ? 気持ちいわよ、あたし達の交尾って……三日三晩お互いの境界があやふやになる位、溶けあう様に絡み合うの……」

「抜け駆けするな!」


「あ、あの! 私は娘を待って居なくちゃいけなくて!」


 私は情婦じゃない! そんな怒りを込めて声を上げる。

 純粋に口説くならまだしも——彼ら彼女らにとっては真面目な口説き文句なのだろうが——こうもあけすけに、夜の誘いを掛けられればマリアだって腹に来るものがある。

 しかしそんな姿すら、嗜虐心そそられるのか面々は再度マリアに良い寄ろうとし……マリアの背後に人影が立つ。


「祭りの雰囲気に当てられるのは良いけど、向こうで睨みつけてるのはアンタらの嫁じゃないか?」

「アイアスさん!」


 マリアに救いの手を差し伸べたのは、普段通りの魔女らしい黒いローブに身を包んだアイアス。

 相も変わらず気難しそうな仏頂面で、小皺の目立つ眉間に皺を寄せている。

 彼女が顎で言い寄る人たちの背後を示すと、その先にはそれぞれの嫁であろう女性達がが虫を見る様な冷たい目で立っていた。


 その視線に晒された三人は、媚びる様なにへらとした笑顔を浮かべながら襟を掴まれて連れ去られる。


「は、ハニー? ちょっと踊って貰おうと思っただけなんだ、な? 信じてくれってばぁ~」

「ご、ご主人様? あのね、あたしサキュバスでしょ? ほら、だからつい……ね? え? 今日はあたしがネコ? ちょっ! まっ! アレは止めて! アレ死んじゃう!」

「ひゃん! スライムの体温低すぎ……あたし変温動物だからぁふん……」


 嫁が失礼しました。とそれぞれの女性は彼ら彼女らを掴んだままあっさりと何処かへ消えていく。

 心なしか、音楽に混じって悲鳴が聞えたのは気のせいだろう。

 ほっと一安心したマリアは、アイアスに頭を下げる。


「アイアスさん、ありがとうございます」

「これ位良いって事さ、相手が貴族じゃ断りにくいだろうしね。それよりセシリアは? こういう時こそあの子の出番だろうに」

「えっと、レフィルティニア様に連れられて。そろそろ帰ってくると思うんですが」

「あれかい?」


 アイアスは、マリアとは違う意味で人の集まる場所に気付く。

 そこに集まる人々は礼儀正しく、騒がしくはない。

 けれど、皆レフィルティニアに笑顔と共に紹介されるセシリアに興味津々なのか矢継ぎ早に質問している。


「なんて綺麗な髪なの!? それにこの肌、この子本当に庶民の冒険家!?」

「ねぇ良かったら冒険家のお仕事をお聞かせ頂けないかしら? わたくしそう言ったお話が大好きなの!」

「ひぇっ、顔がいい……ありがとうございます主よ。このような美しき方を私の様な信徒の前に遣わして下さり……チラッ。あ、顔がいい……」


「こらー! セシリアちゃんは私が捕まえたの! 困らせちゃやーよ!」

「あ、えっと……私、その……待たせてる人が居るんでそろそろ……」


 鼻息荒く多くの女性に囲まれてセシリアはたじたじだ。

 基本的に、セシリアは人見知りの気がある。

 前世での精神が大きく影響しており、今生での経験が改善の芽を出したとはいえ、根本的な所が変わる事は無く上手くいなせていない。


 レフィルティニアが間に入っているお陰で詰め寄られる。という事は無いが、それでもレフィルティニア自身セシリアの冒険談を聞きたいのか逃がす気は無さそうだ。


 引き攣った笑みで、内心マリアやアイアスに助けを求めているのが見て取れるセシリアに、遠くから見つめる件の二人は心配そうに助けに入るべきか悩んでいる。


「どうしましょう、やはり間に入るべきでしょうか。あの子人見知りなのに」

「止めといた方が良いね、あんたが入れば火に油だよ。お妃さまが上手く堰き止めてるから、まぁちょっとセシリアが疲れる位で済むだろうさ」


 アイアスの言う通りだ。

 ここでマリアが入れば更に皆興味を惹かれてしまうし、マリアを含めて根掘り葉掘り聞かれてしまうだろう。

 レフィルティニアもそこには配慮して、マリアと目が合うと大丈夫と微笑んでいる上、今周りに居る女性達はレフィルティニアも懇意にしている味方ばかり。

 少なくとも、レフィルティニアの前で過剰な事はしないし本気で止めれば止められる。


 仕方なく見守るに徹するマリアに、今度はクリスティーヌとヴィオレットの芝生を踏む涼し気な音が近づいてくる。


「御機嫌よう。祭りは愉しんでおりますの?」

「クリスティーヌさん。はい、お陰様で」

「こっちはひやひやして目が離せないけどね」

「ふふ、祭りに当てられて気が大きくなるかたも多いけれど、この国は心優しい方が多いですから。何かあれば迷わず助けを求めて下さいね。一夜の恥程度で済ませられますわ」


 今日のクリスティーヌの格好は詰襟の黒が基色の軍服だ。

 赤が添色として力強さを印象付ける、女性ながらズボンとミリタリーブーツを履いている帝国の正装。

 自身が帝国の人間である事をきちんと示しつつ、彼女自身余り過剰にならない程度の装飾で祭りに臨んでいる。


「それよりヤヤちゃんが見あたらないのだけれど、何処にいるかご存知ですの?」


 きょろきょろと辺りを見渡すクリスティーヌはどうやらヤヤを探していた様だが、件のヤヤは皆の預かり知らぬところでフランと踊っている。

 そのヤヤの最後の姿を、マリアは小首を傾げて伝える。


「さっきまで一緒に居たんですが、仕送りに同封する手紙を入れ忘れたとかで別れちゃいましたね。何かあったんですか?」

「彼女が探していた病気の本があったので、渡してあげようと思ったのだけれど……そうね、もし会ったらヴィーかワタクシに一言貰えるかしら?」


 二人は頷いて答える。

 取り敢えずの所用も伝え終えたクリスティーヌは、拙いながらの冒険家としての体験談に目を輝かせる箱入り娘達に鼻息荒く詰め寄られて、段々とハイになって来たセシリアを見て苦笑を零す。

 その中にレフィルティニアが居た事で一瞬で真顔に戻ったが。


「はぁ、お姉様には後で物申さないと」

「ふふ、お二人は仲が良いですよね。ご姉妹なんですよね?」

「えぇ。と言っても義理の、ですけれど」

「あぁどうりで。見た事が無いと思ったけどやっぱり義理だったのかい」


 国王リアベルトと付き合いの長いアイアスは、漸く合点がいったと頷く。

 少なくとも、彼女の記憶にはレフィルティニアの妹にクリスティーヌは居なかった様だ。

 クリスティーヌは肯定すると、意地悪そうに口端を引いてヴィオレットに流し目を送る。


「そうですわね。お姉様の所に引き取られたのがワタクシが12。5年程前でしたわね。因みに、ヴィーとは……何年来の付き合いだったかした?」

「お嬢様のやりたい放題に付き合わせれてはや10年です」

「まぁ失礼しちゃう、こうなったのはお姉様の所為ですわ」


 容姿や種族的に明らかに実姉妹で無い事が伺える二人は、そこまで長い付き合いでは無かったようだ。

 たった五年でここまで仲良くなったのは、恐らくレフィルティニアの影響なのだろう。誰だってあの様な性格の美人に接せられれば仲良くなるだろう。


 ヴィオレットとの会話で、レフィルティニアと出会う前のクリスティーヌが居たと推察出来たが、それを語る事はせず。二人だけが分かっていると視線で語る。

 その後、四人は暇を潰す様に雑談に興じる。

 そろそろ話しの種も尽きかけようとしていた折、タッタッと足早に芝生を踏みしめる軽やかな足音が四人に近づいて来た。


「ママー!!」

「きゃっ! セシリア!?」


 駆け込みながら飛び込んできたセシリアを、マリアはたたらを踏んで抱き止める。

 先ほどまでレフィルティニア達と会話していた愛娘が、突然飛び込んできたことに何事か!? と目を丸くするマリアは、すりすりと腕の中で胸に頬を擦り当てるセシリアを見下ろす。


「どうしたんですが急に、何かありました?」

「んふー、ママのおっぱい柔らかくてきもち~」

「セシリア? この匂い……ちょっとセシリア、こっち向いて下さい」

「んにゅ~? ふへへ、ママきれいだよ~」


 セシリアの様子に違和感を覚えたマリアは顔を上げさせる。

 言われるがままに顔を上げたセシリアは真紅の瞳をとろんとさせ、白さを損なわせていない日焼けた肌を桜色に上気させている。

 頬を上気させたまま、蕩けた様な笑みを浮かべてセシリアは子猫の様な可愛らしい声を上げた。


 その状態に気付いたのはマリアだけでなく、背後のアイアスは顔を手で覆ってため息を吐いた。


「完全に酔ってるね。はぁ、成人したから問題ないとはいえ、下戸の癖に呑んでどうするんだい」

「酔ってないで~す、わたしおしゃけつよいで~す」

「はいはい、どれくらい呑んだんだい」

「ん~。ひときゅち!」

「……やっぱり下戸じゃないかい」


 実はセシリアが酒を呑んだのは初めてでは無い。

 今でこそ成人して法的には問題ないとはいえ、12歳頃に一度水と酒を間違えて呑んだことがある。

 たった一口で、今と同じように酔ってしまってセシリアが下戸だというのが露見した。

 翌日二日酔いで酷い頭痛に見舞われて後悔した経験があるにも関わらず、こうして酒に呑まれたセシリアには呆れてしまう。


「ワタクシ、お姉様の所へ行ってきますわ」

「お嬢様、レフィルティニア様も故意では無いようですしお手柔らかに、でお願いしますね」

「水持ってくるよ。セシリア、あんまり羽目を外すんじゃないよ」

「はーい!」


 やっちまったとこそこそと逃げようとするレフィルティニアの方へ、クリスティーヌ達は歩き去り。

 アイアスもその場を後にする。


 残されたのはセシリアを抱きしめるマリアだけ。

 いつの間にか、場に流れていた音楽も明るい物から静かな物に変わっていた。


「んへへ~。ぎゅ~!」

「よしよし、立ったままだとお母さんちょっと辛いので、少し離れて貰っても良いですか?」

「や! 離さない!」

「あらあら、どうしましょうか……」


 離れて、と言っても逆に腰を抱きしめる力を強められる。

 セシリアの力で本気で抱きしめられればマリアの腰なんて簡単に折れてしまうんだが、無意識セーブしてるのか心地よい圧迫感しかない。

 困ったと眉尻を下げるが、満更でも無いのかマリアはお腹に顔を埋めるセシリアの頭を撫でる。


 腹部にあたるセシリアの息が、むず痒いが温かくて妙な気分になってしまう。


「ママのばか……」

「……ごめんなさい」


 顔を埋めながら呟かれた言葉に、マリアは撫でる手を止めずに謝る。

 それが何を指しているのか分かっているから、マリアは他に何も言えなかった。

 ふるふると、セシリアは首を横に振る。


「……ごめんなさい、違うの。こんな事が言いたいんじゃないの」

「良いんです、貴女を不安にさせたのは事実ですから。ちょっと私が、なんというか自分が嫌になってしまって変な態度になっただけですから。今日からは前みたいに一緒に居ますからね」

「……絶対?」

「はい。約束します」


 その言葉に漸く満足したのか、セシリアはゆっくりと身体を起こす。

 目に薄く膜が張り、唇はきゅっと小さく結ばれている。

 それだけで、たった一日とは言えよっぽど不安にさせてしまったのだと後悔の念がマリアに過る。


「ねぇママ。私の話を聞いて貰っても良い?」

「えぇ、幾らでも聞きますよ」


 背筋を伸ばしたセシリアは、アイアスの助言に従い自分の素直な気持ちを語る事を決め深呼吸する。


「ママさ、前にダメな母親って言ってたじゃん? でもさ、私には正しい母親のあり方なんて分かんない。少なくとも前世の母親と比べれば立派な母親だよ。そりゃ、トリシャさんやラクネアさんとかみたいな口やかましい母親の方が立派って言われるのかもしれないし、ママの言う強い母親の方が正しいのかもしれない」

「……」


 セシリアの独白を黙って聞き入れる。

 正しいとは何だろうか。

 マリアの様につい甘やかしてしまう母親はダメだろう。だが別に、マリアとて甘やかし放題という訳では無い。ダメな事はダメというし、危ない事をしようとすれば注意する。

 ただトリシャやラクネアの様な貫禄や、圧の強さが無いだけ。


 そんな人達を見ていたマリアは、その姿が正しいと思う様になってしまっても仕方ないのかもしれない。


「でもさ、ママは昔から私の為に一杯頑張って来たよね。知ってるよ、ママが遅くまで働いて、指を傷だらけにしながら私の服を作ってくれていた事」


 小さな頃はセシリアを育てる為に、マリアは遅くまでトリシャの宿屋で働いていた。

 この国に来た時、初めて拾われたトリシャ達の下で住み込みで働かせて貰う幸運に恵まれたマリアだったが、無一文で接客経験なんて無かったから。

 育児には金がかかる。セシリアが生まれてから一年は、魂の入って居ないかのように眠り続ける日々で、不安と恐怖で押し潰されそうになりながら必死で働いていた。


 眠り続けるセシリアに無理やり乳を与え、風邪を引かないように温かい服を着せ。寝る間を惜しんで寝返りをうたせたり、死んでないか不安で何度も何度も確認していた。


 そんな過保護さは、少なくとも5歳になるまでは続いた


「懐かしいですね。あの頃はお金も無かったですから、トリシャさん達には良くして頂いたけど、貴女を学校に通わせて上げたくて必死でしたね」

「ね。一緒に寝たと思ったら抜け出して働いてた事あったでしょ、あれ後で知ってかなりショックだったんだよ?」

「ごめんなさい、でもそれ位しないと不安だったんです」


 お互い、当時を思い出して苦い表情を浮かべる。

 別にやましい仕事はしていない。単純に、夜の給仕の方が割が良いだけだ。それでも、恐らくトリシャとガンドが居なければそう言った仕事もしなければ生きていけなかっただろう。

 思い返しても、二人への感謝の念が絶えない。


「覚えてる? 治癒院で、前世の記憶がある事を話した時を」

「えぇ、驚いたのもそうですけど、ボロボロになった貴女への心配の方が強かったですね」


 あれは最悪の誕生日だった。

 知らない人についていったセシリアが悪いとはいえ、思い出したくもない最悪の一日。

 でもそのお陰で得た物もある。魔法を使えるようになったし、アイアスとも出会えた。

 アルはどうしてるだろうか、帝国では新しい皇帝が簒奪にて即位したらしいが、無事だろうか。


 ふと思い返せば、黒龍との戦いもセシリアの誕生日だった。

 何か呪われてでも居るのかと勘ぐってしまう程には、セシリアの誕生日は波乱に満ちてる。


「私さ、ちっちゃい時から前世の記憶があったからさ、かなり無理してたんだ。素だった部分はあるけど、それでも【また】お母さんに捨てられたくなくて、愛想つかされたくなくて、気持ち悪がられたくなくて。必死で無垢な子供を装って、愛想つかされないように媚び売って、中身が年相応の子供じゃないってバレないように演技して。正直、騙してる罪悪感とかで眠れない時もあった」


「貴女は昔から手の掛からない子でしたから、お陰で私は喜んでいいのやら悲しんで良いのやら分からなかったんですよ?」

「そ、それはごめんって」


 茶化す様にマリアが大袈裟に頬に手を添えれば、セシリアはたじろぐ。

 手の掛かる子ほど可愛いとは言うが、少なくともセシリアは手が掛からな過ぎた。

 その所為でマリアが余り娘の教育に関わる事が出来なかったのは、完全に失敗だろう。


 空気を入れ替える様に、セシリアは咳ばらいを一つ入れて再開する。


「でもさ、お母さんは私が前世の記憶があるって告白しても、受け入れてくれたでしょ? 自分の子供だ。って、変わらず、本当に変わらずに愛してくれた。私にはそれが本当に嬉しかったんだ」


「……そんな大層な物じゃないですよ、だって貴女は、セシリアは私がお腹を痛めて産んだ大切な我が子なんですから」

「それが私にはとっても嬉しかったの」


 誰よりも母親の愛を求めていた少女は、それだけで救いに思えた。

 許された。傍に居ても良いと言って貰えた。

 それにどれだけの価値があったか、それはセシリアにしか分からない。

 二度の生を経て、辛い一度目の人生を道半ばで挫折した少女には、その変わらない母親の姿がすべてだった。


 そっと、セシリアはマリアから貰った、母親と同じ空色の永遠を意味する石を加工したシンプルなネックレスを握りしめる。


「お母さんからしたら案外大したことないのかもしれないけど、私ね、あの時許された気がしたの」


 万感の思いを込めて。セシリアは紛れも無い自らの言葉で、思いを語る。


「この人のそばに居ていいんだ。この人の娘で居ていいんだ。って」


 混ざり物の、本来ならそこにはいた筈の子供の人生を奪った罪悪感が許された。


「胸が熱くて、張り裂けそうで。でもいやじゃない、むしろ心地好くて。どんなに苦しい時でも辛い時でも、お母さんのことを思い出すと色々頑張れたんだ」


 それは一体どんな言葉であれば表現できるのか、ついぞセシリアは知らない。

 だけど、その胸に抱く気持ちに揺らぎはない。

 何時だってまっすぐに、何処でだって思い馳せる。


 きっと、この気持ちを表す事の出来る言葉は陳腐な物なんだろう。

 それでも良かった。

 この気持ちが偽りでは無いと、一過性の物では無いと伝えられればそれで良かった。


「……グスッ」


「確かにお母さんは弱いよ。筋肉なんて一切ないし身体強化すら出来ない。でもさ、お母さんは私の光なんだ。あったかく包み込んでくれて、そばに居ると安心する。トリシャさんとガンドさんが殺されて、友達も皆死んじゃって辛い時でも、お母さんが居たからこうして私はまた立ち上がる事が出来たの」


 大切な人を守り切れなかった後悔も、救えなかった絶望も、腹の底で煮えたぎる怒りも、きっとマリアが居なければセシリアは悪鬼に堕ちていただろう。

 獣の様に怒りのままに力を奮い、世界の全てを恨んで何もかもを壊す鬼となっていたと確信する。


 だが光があった。

 暗い闇の中に差し込んだ、蜘蛛の糸の様に細く頼りないが『あぁ、大丈夫なんだ』なんて根拠の無い安心感が込み上げてくる優しい光。


 それがあったからセシリアは戻ってこれた。

 もう一人の家族が救い上げてくれた。

 守って、護られて。確かな絆で繋がった関係。それは紛れもない愛。


「大好きだよ、ママ」


 きっと、今のセシリアは人生で一番美しい笑顔を浮かべているだろう。

 穏やかな照明に照らされ、大好きな母と一緒に居られて凪の様に穏やかな心で愛を囁く。


 マリアも、涙ぐみながら必死で答える。


「わた……わたしも、好きです。貴女が居てくれたから私は今日まで生きてこれたんです、生きようと思えたんです。貴女が母と呼んでくれる度に幸せを感じられて、貴女が1つ成長する度に未来を馳せられて、貴女の為ならなんだって出来る。それくらい、私にとってセシリアは大事な人なんです」


 いつの間にか世界から音が消えていた。

 マリアは涙で崩れ落ちた酷い顔を見せたくなくて、セシリアの胸元に顔を押し付ける。

 叩きつける様な、二人の心臓の音だけがお互いの耳に届く。


 自然と、お互いの両腕が互いを絡めた。

 決して離さないようにと、改めて確かめる様に。


「愛してるよ、ママ」

「私も……あい……母親として、貴女を愛してます……愛してますよ」


 マリアにはその愛が親愛なのか分からない。この胸に抱く恋心を告げる気も無い。

 もし告げればきっとセシリアは受け入れるだろう。でもそれではダメなのだ。

 セシリアから母になる幸せを奪ってしまう、人を好きになる幸福を奪ってしまう。親元から離れて自由に世界を見る翼をもいでしまう。

 それは母親としての矜持が許さなかった。

 例え背を押されても、この恋心に理解を示されても、それだけは出来なかった。


 でも、それでも、胸から湧き上がるこの愛おしさだけは溢れ出してしまう。

 きっとこの先、セシリアは自らの下を巣立つだろう。

 その時、笑って見送れるようにマリアは今、少しだけ、ほんの少しだけ想いを解き放つ。


「ママ。目、瞑って」

「こうですか?」

「うん、そのまま……ね」


 一体何をされるのだろうか、期待と不安にマリアの肩が少し強張る。

 暗闇の向こうでセシリアが身じろぎする気配がすると、胸元に何かが掛けられた。


「良いよ」

「……これは、ネックレスですか?」

「うん。クリスティーヌさんに紹介状貰ったじゃん? 昨日セバスチャンさんとの稽古が終わった後買いに行ったんだ」


 マリアの胸元に飾られたのは、セシリアが身に付ける空色のネックレスと同じタイプのネックレス。

 チェーンに宝石を通しただけのシンプルな造りのそれ。

 しかしセシリアと違うのは、その宝石の色。


 セシリアがマリアの瞳の色を冠したエーテナルの空色なら、マリアのそれはセシリアの瞳の色を冠したパイロープガーネットの真紅。


「最初はお揃いの空色にしようと思ったけどさ、ほら、私目の色変わっちゃったじゃん? だから折角だし色違いでも良いかなーって」


 偶々見つけたからー。なんて軽く言ってるが、その宝石の意味を知ったらきっとセシリアは歯がゆく赤面するだろう。

 自分の気持ちと共に渡されたそれを、マリアは壊れ物を扱う様に優しく包み込む。


「ふふ……とても嬉しいですよ。セシリア」

「えへへ、なら良かった」


 二人が憂いなく、幸せそうな笑顔で笑い合う。

 幸せな時間。この心地よい空間に何時までも浸っていたい。

 そんな二人を祝福するかのように、静かだった音楽は最後の伴奏に入る。

 そういえば踊っていなかったなと思い出したセシリアは、折角だからマリアの手を取った。


「踊ろ」

「はい、喜んで」


 月明りの祝福。

 穏やかな音楽。

 二人は、何時までも静かに踊り続けた。

 その眼が写すのは互いだけ。


 月と星の様な静かな舞に、誰もが見惚れたが二人だけの空間を作る彼女たちは気にしない。

 幸せそうに、足取り軽く。


 この時間が何時までも続けば良いな。

 二人の思いは、重なる。


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