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ガラス造りの翼

 



「——義肢の調子が悪く馬車での移動になってしまいます。はい、作戦開始時刻までには問題なく着く予定ですが、豊穣祭の影響で移動開始は夜更けになるかと……了解しました、では明朝、改めて定時連絡にて。通信終了」


 欠け出し始めた満月の浮かぶ夜空に向かって白髪のセミロングの少女——フラン——が耳に嵌められた宝石に指を当て、虚空に向かって話していた。

 独り言というには余りにも確かな口調で、それがひと段落すると一つ息を吐きながら耳の宝石から手を離す。


 青色の瞳と火傷痕に覆われた作り物めいた赤の瞳を夜空から下に移せば、夜の街は明かりと喧騒に包まれている。

 今晩からは、豊穣祭という祭りが三日三晩開かれる。

 自らが信仰する神への日頃の感謝と、これからの作物の良き収穫への祈りを、祭り好きの神様に自らの楽しんでいる所を見て楽しんでもらおうという催しだ。


 誰も彼もが笑って酒を呑み、上手い飯を食って、思うがままに過ごしている。

 本来なら初めは踊りがあるのだが、踊っている者は敬虔な者かお熱いカップルばかりだ。殆どが思うがままに日々の疲れを癒している。


 フランが立っているのは街を見下ろせる公園の麓。

 高所という立地と、街はずれというのが起因して周りには誰もいない。

 だからこそフランは、人目も憚らずに遠方に居て次の行動を開始しようとしている()()()に連絡を入れた。


「やっぱり、この前の戦闘で結合部がイカレたのかな」


 金属製の、生身と変らない動きをする義肢——汎用性魔導ブラスター——を見下ろす。

 フランの四肢についている義肢は強力な光線と、それを応用したジェット移動が可能だ。

 魔導歴の遺物であり、単身では通常使用できない程の大量の魔力を消耗する【拠点防衛用兵器】。

 それを人間が扱えるサイズまでスケールダウンさせ、使う為の魔力の供給手段を確立さえたオルランドは、性格は置いとくにしても天才と呼べる部類の人間だろう。


「3人か……」


 前述した通り、それは兵器なのだ。

 人の身で扱える出力では無く、固定用の兵器として使うそれ。本来の形は防衛拠点などに置かれ、専用の魔力炉を介して使用される物。

 例えるならショットガンの火薬をC4に取り換えて、片手で撃ちまくる様な物だ。

 間違っても個人で扱えるものでは無い。常人が使用すれば瞬きの間に魔力を吸い取られ干からびるだろう。

 ではその魔力は何処から? 単身で賄えないなら、賄えるだけの人員を用意すれば良い。その為に()()()()()()()が脳裏に過る。


『激しい戦闘に長距離の義肢を用いた移動で、三人が犠牲になったから。可愛そうに、君の——』

「可哀そうなんて思ってないくせに」


 別れ際のオルランドの言葉を吐き捨てて被りを振る。

 自分の行動で()()()()されるのかは理解しているが、フランに選択肢など無い。

 深く瞑目し、荒れそうになる心を鎮める。


「僕は兵器。心は要らない」


 感情を殺そう。

 そう生きて来た。

 そうすれば何も考える必要なんて無い。ただ命令のままに力を奮えば良いだけだ。

 何も疑問に持たず、何の葛藤もしない。

 そうすれば生きられる。腹いっぱい飯を食える。暖かい寝床で眠れる。綺麗な服を着れる。

 それで充分だろう。


 ふと、脳裏に眩しく笑う少女が過る。

 そこでフランは目を開き、唯一の生身に結び付けられた灰色と青色の紐で結ばれたミサンガに義手を添える。

 もし戦闘になれば四肢に付けたミサンガは霧散してしまう。

 唯一壊れない場所がそこしか無かったのだ。

 感覚など無いが、それを撫でながらフランは表情の乏しい口元に自虐の色を浮かべる。


「……兵器の僕に首輪か……皮肉にもならないよ」


 しかしその目は何処か寂し気で、憂い帯びて少しだけ伏せられている。

 初めてをくれた少女。初めてできた友達。何もかもが初めてすぎて、フランは脳裏に浮かぶ度に、記憶の中で名前を呼ばれる度に跳ねる心臓の意味が分からない。

 だがそれも一瞬だけ、何故ならこちらに近づいてくる足音に気付いたからだ。


 酔っ払いか静かな場所を探しに来たカップルだろうか。

 だがその足音は一つで、ふらついてる様子も無い。

 確かな足取りでこちらに近づいてくる足音に、フランは立ち去ろうと踵を返す。


「あっ! フランちゃん!」

「!?」


 だがその明るい声が耳を突いた瞬間、フランの肩が小さく一跳ねして脚が止まる。

 どうしてここに来たのだろうか。まさか心の中で名前を呼んだフランに答えたとでもいうのか。

 聞き間違える事なんて無いその声の主を、確かめる様にゆっくりとフランは振り返る。


「ヤヤ……」

「昨日ぶりデース! フランちゃーん!」


 振り返ったフランの姿を、月明り越しに認識したヤヤは尻尾をブンブン振りながら喜色満面で駆け寄る。

 見間違える筈なんて無い。

 今脳裏に寸分違わず思い描いたフランの姿だ。


 きゅっと胸が締め付けられる。

 分からない。

 何でそうなるのかが皆目見当もつかない。

 分からない、また【初めて】だ。

 一体幾つ初めてをくれるのだろうか。この少女は。


「どうしてこんな所に?」

「えへへ、ヤヤは誇り高き灰狼デス! これ位朝ごはん前デス……って言うのは嘘で、さっき故郷への仕送りを終えて歩いてたら、フランちゃんの匂いがしたからってだけデス」


 自慢気に成長期に入ったばかりの薄い胸を張りつつ、小さな鼻をちょんとはにかみながら答えるヤヤ。

 嘘をついている様には見えないし、つく理由も無い。

 相も変わらず表情の乏しいフランに答えると、今度は自分の番と上体を左に傾けながらヤヤは質問を投げかける。


「それよりフランちゃんはこんな所で何してるデス? 下でお祭りやってるデスよ?」

「ホントは街を出るつもりだったんだけど、ちょっと足止め食らって。でも人混みは嫌いだからここで暇を潰してた」

「デスか」


 嘘は言っていない。

 足止めを食らったのは事実だし、人混みも嫌いだから。

 敢えて細かい事を言うのは省いただけ。

 事情を聞いて納得したヤヤを、月明かりが照らす。


 着飾った格好に気付いたフランは、これ以上追求されないように話題を逸らす。


「随分着飾ってるね」

「ん? えへへ、ヤヤが今お世話になってる人が貸してくれたデス」


 はにかみながら裾を持ってくるりとお尻を向ける。

 ヤヤも、セシリア達と同様祭りに備えて着飾っていた。

 レフィルティニアの好意で貸して貰った衣装は、赤い桜柄のハイカラな膝丈の浴衣。

 ヤヤの尻尾が仕舞われない様、幾つか改造してある尻尾を持つ亜人用の和服だ。


 涼し気で、動きやすいデザイン。

 明るい赤を基色とし、桜色の柄が特徴的で帯は白。帯紐が青色でカラフルな色遣いがヤヤに良く似合っている。

 膝丈までしかない裾を摘まみながら、そこから生えている灰色の狼尻尾をふりふりと揺らしてフランに背中まで余すところなく見せつける。


 シャランと灰色のショートカットが柔らかく揺れる。


 金銭的にお洒落をする余裕のないヤヤは、滅多に着れない上質な浴衣にご満悦だ。


「フランちゃんはおめかししないデスか?」

「さっきも言ったけど、元々今日中には発つ予定だったからね」


 それに対し、フランはお洒落のおの色も無い。

 【忠犬】とでかでかと描かれたダボっとした白シャツに、同じくダボっとした黒の短パン。足元に至ってはただのスニーカーだ。


 お洒落をする気は欠片も無いのか、恥じらう様子も気にした様子も無い。

 折角のお祭りで、女の子なのに勿体ないデス……とヤヤは耳と尻尾をしょげさせる。


「あ! ヤヤの上げたミサンガ……何で首に付けてるデス?」

「ん……他に付ける所無いし……これだから」


 フランの首に、自らがプレゼントした自らの瞳の色を模したミサンガを付けてくれている事に喜びの声を上げるが、場所が場所だけに首を傾げてしまう。

 ミサンガは手足に付けるのが一般的で、首に巻くのは聞いたことが無い。というより普通は長さが足りなくて首が締まるだけだ。


 偶々フランが病的に細いお陰で通ってるが、余り余裕が無いのが見て取れる。


「あっ! ちょっと貸して欲しいデス」

「これ? 良いけど、何するの」

「えへへ、これでもヤヤ手先は器用なんデス」


 良い事思いついた! とばかりに尻尾を立てたヤヤは、フランからミサンガを受け取る。

 首を傾げながら渡されると、ヤヤはミサンガを手に懐から糸と針。そして故郷の父から貰った一族のナイフを取り出す。


 それを手に、ヤヤは鼻歌混じりに青い帯紐にナイフを入れて青い糸を手に入れると、それを糸に通しだした。

 しゃがんで裁縫を始めたヤヤを、フランも一緒になってしゃがみながら覗き込む。


「何で態々裁縫?」

「あのままじゃ苦しいと思ったから、こうやって少し伸ばしてるデス。えっと、調整用の結び目を解いたから。後はちょこっと糸を入れて結んで……出来たデス!」

「おぉ~」


 天高く調整し終えたミサンガを掲げるヤヤを、フランは表情一つ変えずにぱちぱちと拍手を送る。

 何が変わったのか見た目からはイマイチ分からない。

 ヤヤが言うには長さが変わったらしいが。


「折角だから付けてあげるデス」

「……ん」


 身を乗り出してミサンガを再び首に巻こうとするヤヤに、フランは一瞬逡巡するも黙って首を差し出す。

 普段のフランなら決してそんな無防備な姿は見せない。

 だが、フランは言われるがままに急所を晒した。


 病的に細い、青白い首筋にヤヤが手を回す。

 少しの獣臭さと、幼子特有の僅かに高い体温がほんの数センチ越しに伝わる。


「う~ん、ちょっと見にくいデス」

「!?」


 うんしょうんしょ。と、月明かりしか無い所為で手元が見にくいヤヤは苦戦する。

 もっと良く手元を見ようと、身を乗り出せばフランの眼前にヤヤの慎ましやかな成長期が来たばかりの胸が押し付けられた。


 ホットミルクの様な甘い匂いがフランの鼻孔に広がる。

 びくりと肩を撥ねさせるが、ヤヤは作業に集中していて気付かない。

 反射的に押し返そうとしたフランだが、その手は直前で止まる。


(落ち着く……)


 フランの両手が、ヤヤの背中に回り……彷徨う。


 これも初めてだった。

 誰かに抱き着かれと、こんな落ち着く匂いがするのか。

 温もりがこんなに心穏やかにさせるのか。

 少しの獣臭さがあるけれど、それがヤヤの匂いなんだと思うと嫌ではない。


「出来たデス!」

「あっ……」


 満足そうに離れたヤヤを、フランの物足りなさげな小さな声が追う。

 その声には気付かず、ヤヤはちょろちょろと身体を左右に揺らしてフランの首元を確認している。


「きつくないデスか?」

「……うん、さっきよりだいぶ余裕ある……ありがと」

「えへへ、どうもデス」


 首に巻かれたミサンガを付けたフランの表情は一見無表情だが、僅かに嬉しそうに柔らいでる様にも見える。

 感慨深げに、噛み締める様に撫でるフランの義肢は壊れ物を扱う様に恐る恐るだ。


 それを見てヤヤも満足そうにはにかむ。

 その笑顔がまた、フランの心に光を差し込ませる。


「そうだ! 折角だから一緒に踊るデス!」

「? でも僕踊れないよ」

「大丈夫デース! ヤヤの村の踊りなら簡単デス!」


 強引ともとれる勢いで、ヤヤはフランの手を取る。

 フランも終始無表情ではあるが、その手を跳ねのける素振りは見せない。

 誘われるがままに月明りのベールの中、二人は向かい合って手を取り合い、ヤヤの音頭で踊りだす。

 お互いの睫毛の数すら見える程に二人は顔を近づかせ、ヤヤははにかみながら、フランは相も変わらず表情乏しいまま。


 しかし、そのヤヤの可愛らしい声が紡ぐ歌にフランは困惑の色を浮かべた。


「ぼんばいえ~、お~、ぼんばいぇ~」

「ヤヤ、その歌なに? 凄くリズム取りにくい」

「ヤヤの村の人たちが歌ってた歌デス!」


 なんだこの歌。

 ローテンポな上微妙に音が外れてる。もしかしたらヤヤは音痴なのでは? なんて思ってしまう程にはその歌はタイミングが取りにくかった。

 幸い踊りの方は特別な動きはなく、手を取り合って横に揺れているだけだが。

 ヤヤの声の可愛さが、微妙に音痴で良く分からない歌をそこはかとなく愛嬌を滲ませているが、それでも動きにくいったらありゃしない。


 仕方ない、とフランは一つ息を吐き。久しくそういう用途で使っていなかった喉に力を籠める。


「んーん~、ん~んーんっん~んんん~♪ ん~ん~ん~んん~」


 フランの鼻歌が、二人っきりの月夜に静かに響く。

 穏やかな歌声。

 木漏れ日の中、母が膝の上で眠る我が子を慈しみながら歌ってくれている様な、優しい歌。


 その歌声に聞き惚れ、ヤヤは歌うのも忘れてフランを見つめ出す。

 それに気付かず、フランは目を閉じたまま気持ちよさそうに鼻歌を奏でながら揺蕩う様にヤヤと手を繋いだまま踊る。


「ららら~、ら~らーら~……」


 気分が乗って来た所で、ヤヤの視線に気づき青と赤の瞳を瞼から覗かせると、キラキラと輝く青みがかった灰色の瞳に射抜かれ歌を中断する。

 かあっと耳まで真っ赤になり、初めてフランの表情に大きな変化が生まれた。

 恥ずかしさのあまり顔を伏せるフランに、ヤヤは興奮に満ちた声で尻尾を激しく振りながら一歩距離を詰めた。


「凄いデス! すっごい綺麗な歌デスフランちゃん!」

「失敗した……忘れて……」


 ヤヤとの時間が心地よ過ぎた。

 本来ならフランに歌うなんて事は必要ない。

 フランは兵器だ。

 自らで考える事をせず、命令のままに力を奮う心無き機械。

 過程で何を犠牲にしようが、その結果何を得ようが、知る必要も無い。だって心が無ければ楽だから。


 そう生きて来た、そう育てられた。

 その為に犠牲にして来たもの等、今となっては思い出す事も無い。


 だが目の前のヤヤと居ると、失った筈の心が揺らいでしまう。

 それではダメなのだ、ダメなのに……。


「もっと聞きたいデス! 次はそれに合わせて踊るデス!」


 一度心を取り戻せば戦えなくなる。

 またあの地獄に戻るのか?

 生きる為だけに盗みを働き残飯を漁り、固い地面で寒さに震えて眠り、僅かな食料を奪われる傍ら殴られ、薄汚いと嬲られ、女だからと犯される日々に。

 亡くなって久しい手足が疼く。

 それを忘れるなと囁く様に、諦観と共に初めて人を殺した時から色を失った心臓が脈動する。


 薄汚れたフランには、ヤヤの存在は眩しすぎた。

 忘れたいと思った記憶が温かく光に包まれる。


「……少しだけ」

「デーース!!」


 それでも、光を求める様にフランは自らから目を背ける。

 今だけは、今この時だけはこの心地よい温もりに触れていたいと、疼く手足の痛みを唇を噛んで誤魔化す。


 フランは改めて歌を歌う。

 歌詞は知らない。

 ただ幾度心が死のうと、幾度飢えに、痛みに意識が遠のこうと。夢の中で誰かが歌ったこの歌だけは忘れる事は出来なかった。

 それが誰かは知らない。

 フランの心に染みついたこの、慈愛と愛情に満ちた歌だけは何時までもフランの心にささくれを残していた。


「えへへ、フランちゃんと友達になれてヤヤ嬉しいデス」

「~♪」


 ヤヤの言葉には歌で返す。

 その感謝に返す言葉をフランが持っていないのもあるが、フラン自身胸をかき乱すこの気持ちを言葉に出来る気がしない。

 ただ歌いながら踊り続ける。

 せめてもと、その手だけは固く握り返して。


「最近は色々あって、ヤヤちょっとしょんぼりしてたデス。でもでも、フランちゃんとこうやって踊ってると何だかそう言うの忘れられて、ヤヤは今最高に楽しいデス。フランちゃんは楽しいデスか?」

「ふんふ~♪ ……あんまり分からない」

「え~? 楽しく無いデスか?」


 フランは歌を中断してヤヤの質問に首を傾げる。

 楽しい。というのだろうか。自然と身体が動いてしまうこの時間が、ヤヤの可愛らしい声を聞く度に心落ち着くこの時間が。

 フランには分からない。

 分からないが、分からないなりにフランは言葉を紡ぐ。


「僕は楽しいとか分からない。でも……嫌いじゃない」

「えへへ、なら良かったデス。実はイヤイヤとか言われたらヤヤはショックだったデス」


 ほっとしたようにはにかむ彼女の笑顔はやはり可愛らしい。

 無意識に、フランはほっと胸を撫で下ろした。

 どうしてヤヤにはそんな事を言えたのか、ヤヤの悲しい表情を見なくて済んで良かったのか。そう想う気持ちに気付かずに。


 歌も終わると、二人は踊るのを辞める。

 片方の手が離れるが、もう片方の手までヤヤは離す気は無い様だ。


「疲れたデスか? そこのベンチに座ってお喋りするデス」

「良いよ」


 ヤヤの気遣いを受けいれながら、二人は手を繋いだまま腰を落ち着かせる。

 プラプラと足を揺らしながら、ヤヤは先ほどまでのフランの鼻歌を真似しだす。


「ふんふ~ふんふー。フランちゃんのこの歌、ヤヤ結構好きデス。なんてお名前デスか?」

「知らない。覚えてるのはこれだけ、歌詞も題名も知らない」


 これは本当だ。

 記憶の奥底に刻まれたこの歌だけは自然と歌える。

 誰に教えて貰ったのかも覚えていない。

 ただ覚えているのは、微睡みの中で誰かがこれを歌いながら頭を撫でてくれたという朧げな記憶だけ。

 答えるフランの声は淡々とした物で、興味の欠片も示していない。


 残念そうに耳を垂らすヤヤだが、仕方ないと割り切る。


「デスか~、でも何だかお母さんの子守歌みたいで良い歌デス。もしかしたらフランちゃんのママさんが歌ってくれた歌かも知れないデスね」

「…………」

「フランちゃん?」

「ヤヤは……家族はいる?」


 ヤヤは唐突な質問に首を傾げる。

 フランの表情は基本的に無表情だ。お人形と言っても良い程に変わらない。

 唯一踊ってるときは穏やかな雰囲気を纏っていたが、それでも表情に嬉しさや楽しさと言った変化は無かった。


 今聞いているその声音も、淡々とした物でそこに何が滲んでいるのかは分からない。

 んー。と星空を見上げながらヤヤは故郷を振り返る。


「えっとー、お父さんとお母さんがいてー。後お兄ちゃんと弟がいるデス。あ! でもヤヤの故郷では狩りをする仲間は第二の家族っていう位仲が良いから、それも含めたら一杯家族居るデス!」

「そっか。家族は好き?」

「大好きデス!」


 家族の事を語れて嬉しいのか、ヤヤは満面の笑みで答える。

 故郷の為に、12歳ながら遠い異国にまで出稼ぎに出る様な家族想いな子だ。その答えには一片の曇りも無い。

 にこにこと笑うヤヤを、フランは少しだけ目を細めて見つめる。

 その青の瞳と、作り物めいた赤い瞳からはやはり何の感情も読み取れない。

 フランの視線に気づかず、ヤヤは同じ星空を見ているであろう家族と故郷に思い馳せる。


「はー、なんだか故郷に帰りたくなってきたデス。最近色々あってちょっとホームシットって奴デス」

「それを言うならホームシック。何があったの?」

「んっと、ヤヤはこの国のカルテルって街で冒険家をしてたデス。でもこの前、そこにでっかくて黒いドラゴンが現れて一杯人が死んだデス。ヤヤの大事なお世話になった人達も、沢山死んじゃったデス」

「っ……」


 フランの表情が強張る。

 悲しそうに俯くヤヤと繋ぐ手から力が抜け、いつの間にかその繋ぎ目が解れてしまった。

 どうしたの? とフランの方へ顔を向けたヤヤに、フランは腔内が異様に乾くのを感じながら恐る恐ると口を開く。


「もし、もしもだよ……そのドラゴンが、誰かによって操られて。街の破壊も人為的な物なら……その人を許せる?」

「え……そんなの……決まってるデス」


 悲し気だったヤヤの目に、一つの炎が灯る。

 それを認識すると、フランは一つ身体を横にずらす。

 あぁ成程。やはり彼女は眩しい。

 何処までもまっすぐで、曇りなくて、素直で良い子なんだ。


 自分の様な汚れた兵器が一緒に居ちゃいけない。許され無い事なんだ。

 自らの心を包み込んでいた光を、フランは己自身で遮る。

 胸に走る鋭い痛みを無視して、フランは心を切り替えた。


「許せないデス……あそこで死んだ人は皆苦しそうだったデス。あんなひどい事許せるわけが無いデス」

「……そっか」

「フランちゃん?」


 おもむろに立ち上がったフランに、ヤヤは困惑の声と共に見上げる。

 その視線を受けながら、フランは耳にはめ込んだ宝石に魔力を注ぎ、遠方に居る所有者に連絡を入れた。


「予定変更。これよりフランケンシュタインは移動を開始する。明朝、合流地点にて物資の補給を求む。通信終了」

「誰とお話してるデス? フランちゃん」

「ねぇヤヤ」


 ヤヤの質問には答えず、フランは欠けだした満月を背負いながらヤヤに振り返る。

 その姿を見てヤヤは絶句する。

 月を背負い、顔に影が挿しこむフランの右目。火傷痕に覆われた作り物めいた赤い目が、爛々と光を放っていたから。

 まるで自己主張する様に。魔力を使った事で反応したかのように。

 対になる青い瞳だけは静かに佇んでいるだけに、その異質さにヤヤは言葉を無くして呆然と見つめる事しか出来ない。


 それを見下ろしながら、フランは寂し気に微笑む。

 微笑というには僅かに口角を上げるだけで、表情に殆どの変化は見られない。

 だが、それがフランにとっての精一杯の笑顔だった。

 初めてヤヤに笑顔を向けながらも、その眼は寂し気に伏せられている。


「ヤヤと僕は友達?」


 消えてしまいそうな声で、消えかける蝋燭の火を心配する様に再確認する。

 その問いには一体どんな気持ちが込められているのか、幼いヤヤには分からない。

 ただただ困惑しながら答えるしかない。


「当り前デス。ヤヤはフランちゃんの事を大事な友達だと思ってるデス」

「そっか……そっかぁ」


 噛み締める様に何度も小さく頷く。

 フランは無意識に血も熱も通っていない、機械仕掛けの右手で首のミサンガを撫でる。

 その姿は余りに儚げで、今すぐ手を伸ばさなければ瞬く間に消えてしまいそうな危うさを秘めていた。


「フ、フランちゃん」


 本能的に察し、ヤヤは恐る恐ると立ち上がる。

 その表情が、心底何も分からないと物語っている。直前まで楽しくおしゃべりしていたのに、何で急にこんな物寂しい雰囲気になってしまったのか。


 ヤヤが一歩歩み出せば、フランは一歩後ずさる。

 お互いの距離は決して縮まらない。縮まらせない。

 等々、フランの踵が崖先に辿り着く。


「ヤヤ、僕ね。スラムの浮浪児だったんだ。親の記憶はない、それどころか、名前だって無かった」


 突然の独白に、ヤヤの足が止まる。

 つい最近聞いた覚えのある話だ。ヴィオレットも同じような事を言っていたな、と頭の片隅で呑気に思い返していた。

 フランの独白は止まらない。同情を誘う様なものでは無く、ただ淡々と語る様は表情も相まってまさに人形にしか見えない。


「生きる為に盗みを、人を殺した。少ない残飯を大人に殴られて奪われた事もあった。身体を売ってカビの生えたパンを得た事もあった。この手足もね、客に面白半分で切り落とされたんだ。この火傷は憲兵に摑まってやられた奴。この目は死ぬ前に美味しいご飯を食べたくて売ったんだ。痛かったなぁ。やめて、ごめんなさいって言っても帰ってくるのは嘲笑だけ。しってる? 浮浪児ってね、人間じゃないんだって。 ゴミだよゴミ」


「ふらんちゃん……」


 それはヴィオレットの語った物なんかより遥かに壮絶で、生々しかった。

 いつの間にか語るフランの声は静かな怒りを滲ませていて、その滲むような気迫にヤヤは名前を絞る出すしか出来ない。

 伸ばした手が、虚空を彷徨う。


 その姿を、愛おし気に、羨まし気に見つめながらフランは赤い右目に手をかざす。


「でも僕は運が良かった、偉い人に拾われたんだ。『どうせ死ぬなら我の復讐に手を貸してくれないか?』って。選択肢なんて無かった。地獄から抜け出せるなら何でも良かった。その為なら何でもしたよ、倫理も道徳も心も捨てた。お陰で、今じゃお腹いっぱいご飯が食べられるんだ。これって幸せだよね」


 自分に言い聞かせるようにフランの語る口調に力が籠る。

 月明りに照らされる白髪の少女は、その病的に白い肌はそんな悲痛な経験をしたようには見えない。

 だが、彼女の語る言葉が決して作り話などでは無いというのは、肌で理解出来る。

 理解出来るのに、彼女の心は幸せと語る言葉に反し泣いている様に見える。


 無意識のうちにヤヤは一歩踏み出していた。

 ここで手を取らなければ、繋いでおかなければ離れてしまうと本能が警鐘を鳴らす。


「ヤヤ。ヤヤは僕に色んな初めてをくれた。それはとても心地よくて、とてもあったかかったよ」

「フランちゃん! ダメ!」

「ヤヤ」


 必死で駆け寄るヤヤに、フランは人生で初めての笑顔を送る。

 あどけなさと、初々しさの目立つ、幸せそうなのに、泣きそうな初めての笑顔を。

 必死で伸ばすヤヤの手に一瞬フランの手が伸びるが、彼女は無理やり身体を後ろに投げ出した。


「さようなら」


 フランの姿が消え落ちる。

 伸ばした手は届かない。手を伸ばせば届いたのに、フランは決してその手を取らなかった。

 自分にはその資格が無いと。彼女はヤヤの前から姿を完全に消す。


「フランちゃん! フランちゃん!!」


 慌ててがけ下を覗くヤヤが見たのは、闇夜の中を走る一つの赤と青の流れ星。

 瞬く間にその姿は遠くへ離れていってしまう。


 その姿を、ヤヤはただ見つめる事しか出来なかった。


 夜空に、光の華が咲いた。

 まるで、下手な悲劇を彩るかのように。

 その花は、眩しい位の赤と可愛らしい花弁。

 夜空に咲くペチュニアを模した花火が、幾つも、見飽きてしまう程に咲き誇った。


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