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魔性の女




「お祭り?」

「えぇ、今晩から豊穣祭が催されますの。その場に貴女も同席して貰おうかと。勿論、挨拶が終わり次第好きに楽しんでもらって構いませんわ」


 一通り装備の製作や点検が終わった後、セシリアはクリスティーヌの部屋に呼ばれ祭りへの参加を言い渡されていた。

 アイアスはアイアスでやる事は終わったと別れた為、今はクリスティーヌとセシリアは向かい合って座り、後は部屋にはヴィオレットただ一人だ。


 セシリアを呼んで開口一番、クリスティーヌは遊びに行こうと誘う。

 だがセシリアは難色を示す。


「でも、今はそんなことしてる場合じゃないって言うか……」

「何も全日程を参加しろとは言いませんわ、今晩の催しさえ出て貰えれば構いませんの」

「それならまぁ……でもどうして態々?」

「お姉様から絶対参加させろと言われまして。悪い方では無いのだけれど、少々遊びの過ぎる方で……ワタクシの顔を立てると思って下さいな」


 既に装備の補充は済ませている。セバスチャンも忙しく、今日の残りと明日含め訓練の時間はない。

 後は防具の購入位ではあるのだが、目処はついている為急ぐ必要も無い。


 ね? と可愛らしくおねだりされれば、セシリアは不承不承ではあるが頷いた。

 クリスティーヌには恩もあるし、何より王妃のお願いと言われれば無理に断る方が気が重い。参加したほうがマシという話だろう。


 セシリアの答えに満足いくと、クリスティーヌはにっこりと笑って一口紅茶で唇を湿らせる。


「それは良かった。では夜までに支度を済ませてしまおうかしら、ヴィー」

「セシリアさん、こちらへどうぞ」

「え? いや私これで良いって」

「いけませんわ、市井での催しならまだしも。今回は庭園で行われますの、そのような恰好美しくありませんわ」


 今晩の開催場所はこの城の庭園。つまりある程度公式な場での催し。

 無礼講に近く、それぞれが好きな恰好で参加できるとは言え、セシリアの服は祭りには少々モノ物しいだろう。

 渋るセシリアの背後に、ヴィオレットが音も無く立つ。


「失礼します」

「……っ!? きゃあ!?」


 普段通りの黒一色の男装の様な格好で望もうとしていたセシリアだが、クリスティーヌがヴィオレットに目配せした瞬間、服を剥がされる。

 可愛らしいピンクの下着一枚になって、セシリアは顔を真っ赤にして蹲る。

 突然半裸に追い込まれた事でセシリアは恨みがましく二人を睨みつけるが、二人はそんな視線柳に風と受け流してテキパキと何を着るかの談義を始めていた。


「普通にドレスにしましょうか。彼女はスタイルも良いですし、身体のラインを出すのが良いと思います」

「そうね、タイトドレスなんて良いわね。色は折角ですし、この子が普段使わない色にしてあげて。ふふ、お姉様の気持ちが今なら分かるわ。誰かを着飾るのって楽しいものね」

「なんでも良いから早く服を返して!」


 セシリアは余り女の子らしい恰好をしない。

 別にお洒落をする余裕がない訳では無く、あの黒一色の中二病的格好がセシリアにとってのお洒落なのだ。

 しかし長らく女の子らしい恰好をしてこなかった影響で、いざ女の子らしい恰好をしようとすると及び腰になってしまう。

 つまり。


「こ、これちょっと体型が出過ぎじゃない? それにスリットも深すぎてお尻が……」


 困惑半分羞恥半分に着せられたのは、月の様な真っ白なタイトなワンピースのワンショルダードレス。

 セシリアの高身長と引き締まった体型を惜しげも無く、寧ろ魅力的に引き出すデザイン。

 胸は無いがそれすらも想定したデザイン、引き締まったくびれと母親譲りの安産型の臀部がドレスの曲線美を彩る。


 斜め掛けのドレスは左肩から左脇までを晒し、逆に右側は大きく作られたフレアで上品さと気品さを醸し出す。

 更にタイトな丈は長くスラッとしたセシリアの足を膝上まで晒し、大きく入ったスリットはともすれば見えてはいけない所まで見えてしまいそうだが、決してそれが下品に見えないセクシーさでセシリアの魅力を十二分に引き出した。


 日焼けして尚白いセシリアの肌が、羞恥で桜色に染まっており。それがまた色香を醸し出す。


「美しいですわ。やはりワタクシの目に狂いは無かったですわね」

「一応見えないデザインにはなっているのですが、気になるようならきつくなってしまいますが少し手直ししましょうか? それにストールもあるので、気兼ねなく言ってくださいね」

「うぅ……恥ずかしいけど、これ以上動きにくいと危ないから大丈夫です……」


 恥ずかしがって顔を真っ赤にしながら、落ち着きなく裾に手を当てるセシリアを見て二人はご満悦だ。

 あっちのドレスが良い、こっちの着物が良いとセシリアを着飾るのにたっぷりの時間を掛け外は既に夕暮れ。


(こんな格好、前世のコスプレ以来過ぎて恥ずかし~)


 前世含め今生ですら、こういった体型や肌を出す格好はあまりしなかった。精々が制服の着崩し位のセシリアはふと前世のコスプレを思い出す。

 数少ない友人に無理やり着せられ、黒いビキニとホットパンツだけ。その上から黒いロングコートだけのBRSというキャラクターのコスプレをノリで着たは良いが、その恰好でイベントに出ようと言われた時は本気で抵抗したものだ。


 遠い目をするセシリアを余所に、いそいそとヴィオレットは仕上げに掛かる。


「では化粧の方もしましょうか。何か要望はありますか?」

「化粧も!? そこまでしないといけないの?」

「当り前ですわ、美しい物は磨いてこそ。それに着飾ってるのに化粧も施さないなど、防具を着て武器を持たないような物ですわ。早くそこにお座りなさい」

「うぅ、私あんまり化粧しない質なんだよね……」

「では腕に撚りを掛けてしましょう。ご安心ください、お嬢様の化粧は私の仕事なので、下手では無いですよ」


 どうせ冒険家の仕事で落ちるから。と普段は化粧の一つもしないセシリア。

 なまじ容姿が整っているだけに必要も無いのだが、常々美しさを口にするクリスティーヌがそれを許すわけがない。

 笑顔だが妙な威圧感のある彼女を背に、セシリアは黙ってされるがままになる。


「あ、でも肌の手入れはしてるんですね」

「それ位はね。お母さんの手入れもあるから」


 セシリアだって女の子だ。

 肌の手入れ位はする。普段はセシリアがアイデアを出して、アイアスが作った化粧水をマリアと一緒に使っている。

 化粧を施されながら、セシリアは化粧水等の入ったトランクを指した。


 暇つぶしに、クリスティーヌは一番上に置いてある化粧水を興味深そうに手に取る。


「この化粧水はご自身でお造りになったかしら?」

「半分はね。私がアイデアを出して、師匠が制作。結構いい出来だよ?」

「確かに。王国に出回ってる化粧品に負けず劣らずですわ」

「王国? スペルディア王国? 売ってるの?」


 背後のクリスティーヌに、セシリアは疑問の声を上げる。

 セシリアが態々化粧品を作った理由は、単純に売っていないからだ。現代日本の化粧品に近い物などこの世界にある筈も無く、白粉など身体に悪いモノか香油などしか無かったのだ。

 流石にそれは我慢ならなかった。

 その為、セシリアはアイアスに作れないだろうかと話しを持ち掛け、作れると分かれば何度も試行錯誤を重ねて作り上げたのだ。


 しかし商用利用できるほどは作れず、個人使用の範囲に納めている。

 だがクリスティーヌは他にもあると言っているのだ。


 もしかしたら、自分以外にも転生者が? なんて淡い疑問が浮かぶ。


「7年位前からだったかしら。王国の第二王女が美容と服飾に革新の一手を指したの。因みに、そのドレスもその王女のデザインですのよ」


 言われてドレスを見下ろす。

 一庶民のセシリアはドレス事情に明るくない。

 だが今着てるドレスは日本味が強く、言われてよく見れば肌の露出具合であったり、身体のラインを出すデザインは日本に居た頃を思いだす。


「革新的で前衛的な服飾の数々。ドレスだけでなく、普段使い出来る服にも革新の一手。それだけでなく肌に負担にならず効果的な化粧品の数々の作成。今や王国のみならず、周辺諸国全ての淑女は彼女の顧客ですわ」

「へ~」

(もしかして、その王女様も転生した人だったりして)


 自分という前例があるだけに、無いとは言い切れない。

 会ってみたいという気持ちはある。

 もしかしたら同じ日本人かもしれない。もしかしたら知り合いかもしれない。もしかしたら自分の死後を知る人かもしれない。

 そう思うと、もっと知りたいと思って来る。


 特に、昨晩の夢が影響してるのか愛衣の最後の記憶の、夕陽の中の少女の影がちらついてしょうがない。


「ねぇ、その王女様ってどんな人?」

「興味がありますの? 年の頃は貴女と同じ15ですわね。先祖返りだとかで、虹色に輝く髪と瞳を持つ、宝石人という今は存在を確認されていない種族ですわ。後は何だったかしら……確か礼を言われるのが何よりも嫌いで……聞き覚えの無い言葉で何を呟いてる変人らしいですわね」

「聞き覚えの無い言葉? どんな?」

「ん~」


 その何かを聞きたいセシリアは、思い出す様に促す。

 当たり前だが、地球の言語はこの世界には馴染みがない。

 だが言語を知らずとも、カタコトだろうと何となくは分かる筈だ。もし名前なら尚更、なにか一言でも良いから何の言語かさえ判れば充分なのだ。


 指で唇を押し上げ、クリスティーヌは何とか思い出す。


「確か……あい……アイですわ」

「アイ……愛衣?」


 まさか。と脳裏を過る。

 聞き間違えの可能性もある。ただでさえ馴染みのない言語なのだ。

 だが、もし。もしもだ。もしセシリアの前世を知る人物なら? 


(もしかしたら……もしかするかも……)

「はい、終わりました」

「へっ? ……うへぁ……すっごお……」


 熟考に更けていたセシリアは、ヴィオレットの声に我を戻して鏡を見上げ。呆けた。

 鏡に映る自らの見違えた姿に。

 元々容姿が整っていた自負のあったセシリアだったが、そこに映る少女は美女なんて言葉が軽く見える程に美しかった。


 力強さを演出する、釣り目がちの凛々しい瞳は黒いアイラインが引かれ、その凛々しさを更に増している。

 蒼銀の髪は真紅のシュシュで一つに纏め緩やかに流され、メリハリの立っていた容姿もくど過ぎず自然に、されどその素材の良さを十二分に活かしたメイクが施され女性的で、されど同性すら見惚れる美女に仕立て上げられていた。

 15歳という、成長途中の幼さが美しい女でありながら、人間らしさを匂わせ不安定な美しい危うさを纏わせる。


 自分ですら見惚れてしまう出来にヴィオレットは満足そうにひと汗拭い。クリスティーヌは興奮を隠しきれていない。


「ふぅ、我ながら上手く出来て良かった」

「まぁ! 素晴らしい美しさですわ! ふふふ、やはりワタクシの目に狂いは無かったですの。月の様な魔性の美しさ、ワタクシですら見惚れる端麗な顔立ち……ふふ、これは今晩が楽しみですわね」


 クリスティーヌの様な派手さはない。

 例えるなら夜空に浮かぶ満月の様な、静かで、されど星すら眩んでしまう存在感があって、一度目に着いたら目が離せない幻想的な魅力を放っている。


 自画自賛ではあるが、自分に見惚れていたセシリアはこの姿を見せたい相手を脳裏に描いた。


「お母さん……褒めてくれるかな」


 褒めて欲しい。綺麗だと、見惚れて欲しい。

 この姿でマリアの前に出れば、また前みたいに一緒に居てくれるのではないか。あの妙な態度も元通りになるのでは。

 自分の最も綺麗な姿を、最も大切な人に見て欲しい。


 セシリアの頭の中はマリアの事で一杯で、直前までのクリスティーヌの話はどっかに行ってしまった。

 頬を緩ませるセシリアを、二人は微笑ましく見つめる。


「では早速見せに行きましょう。ヴィー、先触れを。この時間なら部屋に居る筈ですわ」

「……セバスさんとコンタクトが取れました。大丈夫、部屋にいるようです……が、レフィルティニア様も居るようですね」

「お姉様が? またお姉様の悪癖かしら。まぁ良いわ、お姉様にも見せてあげましょう」


 二人は足早に扉の外へ出る。

 その後をセシリアは緊張と興奮で強張った足並みで、ゆっくりと踏み出す。


(この気持ちを、お母さんに)


 アイアスの言葉を胸に、セシリアは一歩を踏み出す。



 ◇◇◇◇



「無理です! こんな格好!」

「大丈夫よ! とっても綺麗だわ!」


 目的の部屋の前で、セシリアは中から聞こえる声に足を止める。

 楽しそうな声。マリアの声に混じり、レフィルティニアの声がする。

 マリアの沈んだ声以外を聞くのは一日ぶりだというのに、久しぶりに聞いた気がする。


 そしてその声の隣に自分以外が居るという事実に、セシリアの胸が痛い位締め付けられ……、


(ずるい……そこは私の場所なのに)


 昏い炎が胸を焼く。

 じくじくと、不快で、吐き出してしまえればどれほど楽だろうか。

 ぐらりと、視界が黒く滲んでくる。

 あの時の様に、自分の境界があやふやになる。

 また親切な誰かが、耳元で囁いてくる。


『邪魔な奴は、皆殺せばいい』と。


(ダメだッ! ダメだダメだ! 心を落ち着かせろ! あの時みたいに暴れる訳には行かないんだ!)


 長く深呼吸して、無理やり荒ぶる心を鎮める。

 視界に光が差し込めば異形に変わりだしていた影も人の形に戻り、心の荒波が退いていく。


「ミスセシリア?」

「ふぅ……大丈夫。入っても良いかな?」

「お姉様がまた何かしているようだけれど、構わないでしょう」


 心配そうなクリスティーヌに、肩越しに薄く笑いかけて改めて背筋を伸ばす。

 取っ手に手を掛ける手は強張っているが、それでも見栄を張って勢いよく引く。


「っ!?」

「あら、来たの……あらあらまぁまぁ!」


 勢いよく扉が引かれ驚く二人だが、互いの姿を見て二人共目を見開き、レフィルティニアは目をキラキラと輝かせる。


「……お母さん?」

「せ、セシリアですよね?」


 お互いを見間違える筈なんて無い。

 二人にとって、お互いは我が身の如く大事な親と子なのだから。

 そんな二人は、お互いの姿に呆ける。

 その美しさに。


「きれい……」

「あぅ……」


 思わずと、驚くほどの陳腐だが、最も素直な気持ちがセシリアの口から零れた。

 その言葉に、マリアの耳が真っ赤に染まる。


 今日のマリアは何時ものシンプルな姿では無かった。

 セシリアと同じようにドレスを身に纏い、一流の侍女の手によって完璧な化粧が施されている。


 身に纏うのは黒を基調としたマーメイドドレス。

 夜空の星の様に光が散りばめられた漆黒のドレス。大きく肩と胸元の開いたドレスは、マリアの嫋やかな白い肌と豊かな谷間を惜しげも無く晒す。

 しかし下品さは欠片も無い。

 足首までを覆うドレスは、マリアのメリハリのついた母性的な体型を上品に包み込む。

 エレガントさと気品性が雑じりあったドレスだ。


「その……恥ずかしいのであんまり見ないで下さい……」


 細く筋肉など一切ついていない柔らかな二の腕までを覆う、黒いレースの手袋で覆われた両腕で身体を隠しながら、マリアは肌を桜色に染めて顔を逸らす。

 しかしセシリアの反応が気になるのか、頬を上気させながらも上目遣いでチラチラとセシリアに視線を流している。


 普段は真っすぐに下ろされている蒼銀の長い髪は、緩くウェーブ掛かっていて片側に流されている。

 化粧もドレスに合う様に施され、元々の垂れ目がちな空色の瞳も一層柔らかさを強調し、紅を挿した唇が白磁の肌に浮かぶが、それがマリアが【母】では無く【女】である事を強調した。


 思わず生唾を呑んでしまう程に、マリアは美しかった。


 長身とスタイルの良さを追求し格好良さを目指したセシリアとは対照的に、マリアは女性らしさを追求し、気品さと色艶を前面に出し、触れれば簡単に手折れてしまいそうな神秘的な女性の美しさがあった。


 満月の様な存在感を放つセシリアと、その満月に負けずと添って輝く星々の様なマリア。

 対照的で、されど通ずる所のある二人の姿。


 思わずセシリアはふらふらとマリアに近づく。

 マリアも逃げる様な素振りは見せず、胸や大きな臀部を見せる恥ずかしさで顔を真っ赤にしつつも、不安そうに、されど意を決してセシリアを見上げた。


「どう……でしょうか。いい年してこんな格好、やっぱり似合わないでしょうか」

「そんな事ない。凄く……あぁ! 上手い言葉が出てこない! えっと、うん。綺麗。本当に綺麗だよ……ママ」

「ふふ。セシリアも、とっても綺麗ですよ」

「ふへへ……」


 その桜色の唇から零れるのは、何と陳腐な言葉だろうか。

 もっと、この胸をかき乱すに相応しい言葉を紡ぎ出したかった。だけれど、恋すら自覚出来ない少女にそんな真似が出来る訳もなく、しかしその言葉は何よりも雄弁にセシリアの気持ちを伝えられた。


 マリアも愛娘の賞賛に顔を赤くしながらも、きゅっと胸を握りしめて同じように賞賛を返す。

 下手な言葉は要らない。ただまっすぐに、娘の美しさを褒めるだけが精いっぱいだ。


 真紅の瞳と、空色の瞳が双方を映しこむ。

 最早周りに人が居る等とは頭から抜け落ちている。

 周囲の音なんて一つも入って来ない。

 バクバク。と、心臓の煩い音しか耳に入って来ない。

 なのに目の前に居る愛しい人の吐息だけは、しっかりと耳が捉える。

 お互いしか見えない。


「ママ……」

「セシリア……」


 自然と、言葉なく二人の手がお互いの肩に触れる。

 身長差がある二人。

 マリアは逞しい娘の、細くもしっかりとした二の腕に手を添えて濡れる空色の瞳で見上げながら、少し。ほんの少しだけ踵を浮かす。


 セシリアは細く、筋肉などついておらず少しでも力を籠めてしまえば折れてしまいそうな嫋やかな二の腕に手を添える。

 触れれば火傷しそうな程に熱い。

 それがマリアの熱が、自らの熱かは最早分からない。


 だが近づいてくる空色の瞳と、紅を挿した艶やかな唇を前に、セシリアは流れる様にゆっくりと腰を落とす。


 普段するように、お互いの額にキスを落とすかのように桜色の唇と紅色の唇が近づく。

 だがその先は親愛のキスでは無く……。


「んんっ」

「!?」


 静寂を破る咳払いの音に、二人は弾かれたように離れた。

 自分が何をしようとしたのか理解したセシリアは、ぶわっと腹の内側から更に熱が込み上げ、顔を真っ赤にして狼狽えた。

 それはマリアも同じ。二人共鏡映しの様に顔を真っ赤にして、所在なさげにあっちへ視線を逸らした。


「ちょっとクリスちゃん! すっごい良い所だったのに何で邪魔するの!」

「お姉様、少々遊びが過ぎますわ」

「むー、クリスちゃんのそう言う頭の固い所。おねえちゃんちょーっと不満かなー」


 ぶー垂れるレフィルティニアと、澄ました表情で腕を組んで大きな胸を支えるクリスティーヌ。

 小うるさくぽかぽかと腰を叩くレフィルティニアを無視し、クリスティーヌはおおよその理由は察しつつも、どうしてセシリア母娘を今晩の祭りに参加させようとしたのか問うた。


「そんなの、楽しそうだからに決まってるじゃない」


 呆気からんと言われた言葉に眉を潜める。

 今の姿を見て、レフィルティニアも二人の心の内を察してる筈だ。幼子の姿で見た目にそぐわない性格をしていても、れっきとした一国の長の妻なのだ。

 貴族の仮面を被っていない相手の心の内を読み取るなど、造作もない。


 それはクリスティーヌも同じ。

 だからこそ、目を見て聞く。


「……お二人のあの姿を見ても?」

「えぇ。良いと思わない?」

「ワタクシは思いませんわ」


 笑顔と真顔。

 苦笑を浮かべて黙るレフィルティニアから顔を逸らし、クリスティーヌは初心すぎる反応をして二人の会話など耳に入っていない二人へ向かって声を上げた。


「二人共、着飾った事ですし日暮れ頃に庭園の祭り事に参加して頂きますが、よろしいかしら?」

「あ、うん」

「は、はい」

「ではワタクシ達は部屋を後にしますわ。お姉様、少しお時間いただきたいのですが」

「いーやよーっと。セバス! 逃げるわよ!」

「お姉様!」


 風の様に逃げるレフィルティニアを、クリスティーヌは小走りで追いかける。 

 セバスとヴィオレットが一礼と共に部屋を後にすれば、部屋に残されたのは二人だけ。

 しんと静まった部屋には、二人は吐息しか聞こえない。


「そ、そのさ……」

「はっ!? はい……」


 顔の火照りは収まらない。

 お互いがどんな顔をしてるのかも、顔を逸らしてる所為で良く見えない。

 だが晒されている二人の耳は真っ赤で、セシリアは一歩だけ距離を詰める。

 その気配に気づいて、マリアも一歩だけ踵を滑らせた。

 二人の間には拳一つ分の距離しかない。手を伸ばせばあっさりと届く距離。

 それが今の二人の距離。


 顔を真っ赤にし、口籠りながらもセシリアは口を開く。


「楽しみだね……」


 それだけを口にする。

 一秒にも満たない僅かな言葉。

 アイアスに言われた、自分の素直な気持ちを伝えようという考えは等に頭の中から吹き飛んでいた。


 指先が、ほんの少しだけマリアの指先に触れる。


「……えぇ、楽しみですね」


 指が絡められる。

 少しだけ。

 指先を折って、セシリアの指に結び付ける。

 身じろぎすれば簡単に解けてしまいそうな結び目は、固く、あたたかい。


 セシリアもそれに答えて指先を絡める。

 それが精一杯だった。

 まだまだ子供のセシリア(恋する乙女)には、それ以上どうすればいいかなんて分からない。


「あっ」

「どうしました?」

「いや……まぁいっか」

「?」


 訝しむマリアに首を振って、母娘は改めて迎えが来るまでそのままで居た。


(王女様の名前聞くの忘れちゃった。まぁ名前くらいならどっかで調べれば分かるか)


 指先から伝わる熱に、心臓は何時までも鳴りやまなかった。


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