隣の芝生は青く見える
陽も充分に落ちた頃、絢爛豪華と言う程豪奢では無いが、天井には宝石と見間違う程に磨き上げられた豪奢なシャンデリアが、落ち着くクリーム色の壁面と真っ赤な雲のような踏み心地のカーペットが敷かれた大きな一室を照らしている。
そんな部屋の中央には皺ひとつない純白のテーブルクロスが引かれた長机が置かれ、普段は半分以上が空いている机も、今日ばかりは殆ど埋まっている。
しかし、机の上座側と下座側では食事を取っているその様子は対照的。
その面子を見れば無理からぬことではあろう。
「いやー! 見渡す限りの美女に囲まれて摂る食事は、何だか一層美味く感じるなー!」
「あら? あらあら? それは普段一緒に摂る私は見飽きたという比喩かしら?」
「まさかっ、レフィ以上の美女なんていないさ。飽くまでレフィが最上という前提ありきでの話だからな」
「あらあらまぁまぁ」
上座側、勇成国の王であるリアベルトとレフィルティニアは楽しく談笑しながら見惚れる様な所作で食事を進めている。
その隣で一つ席を空けて、アイアス、クリスティーヌと並んで座っていて、二人も同じように一本芯の通った所作でナイフで最高級の肉に切れ込みを入れる。
「全く、相変わらずアホみたいに明るい男だねリアベルトは」
「いやいやアイばぁ、それは違うぞ。俺は明るいんじゃなくて騒がしいんだ!」
「あはは! 駄目よあなた、アイアスさんが形容しがたい表情をしてるわ!」
「お姉様に陛下……お願いですからもう少し抑えてください、ワタクシの友人達が先ほどから驚きすぎて食事の手が止まってますわ」
何故アイアスが上座側で、ここまで崩した喋り方をしているか。
それはリアベルトの乳母がアイアスだったからだ。
隠居したとはいえ初代王妃イナリの弟子であるアイアスは、殆どなし崩し的にリアベルトの乳母を務めていた為、お互いが気心知れた関係を築いていた。
その為、アイアスが上座側に座って、現王妃のレフィルティニアの義妹であるクリスティーヌが続いている。
クリスティーヌの言葉に、大口を開けて笑っていたリアベルトの視線が下座に座るマリア達に向かう。
三人はナイフとフォークを片手に、目を丸くして硬直していた。
「あぁ悪い、つい久しぶりに会う顔が多くてな。気分が舞い上がってしまった。どうだ? 食事の方は、何か不満は無いか?」
その言葉に三人は首を横に振って答える。特にヤヤなんて首が取れんばかりに振って委縮してる。
それもその筈、三人は突然王族との私的な晩餐の場に招待され、断れる訳もなく着の身着のまま訳も分からず席に着いたのだから。
余りに場違いな心境。
相手がこの国の最高権力者で、ましてや私的とは言え食事の席を共にしている。
テーブルマナーを気にしすぎて、目の前の高級食材の数々も味の分からない物となっている。
それだけでなく、目の前の王族が下町の居酒屋もかくやと言うマナーもへったくれも無い姿で大口を開けて笑えばもうそれだけで困惑は増すばかり。
「や、やばいデェス……ヤヤのマナーあってるデスか?」
「あって……ると思う、うん。ていうかホントに王様? うちの宿屋に来てたおっさん達みたいなんだけど。作務衣着てるし」
「し、思っても言っちゃだめですよ、不敬で怒られたら不味いです」
「言われるわよ~? あなた~」
「あっはっはっは! 夢を壊しちゃったかな? 悪いなこんなおっさんで」
何が楽しいのか大声で笑うリアベルトと、それを楽しんでいるレフィルティニア。その姿にアイアスとクリスティーヌはため息を吐くばかり。
緊張にガチガチに身を固くするセシリアとヤヤは、決してマナーが成っていない訳では無い。
前世の日本人として生きた15年分のアドバンテージのあるセシリアは当然ながら、自らの母親から叩き込まれたマナーを実践するヤヤもその年齢の一般庶民という事を鑑みても褒められる物だろう。
と、扉が開き、空いていた席の人物が顔を出す。
「すみません遅れました!」
「おぉ我が息子ブリジット! 急いできたのは構わないが、今日はお客がいるんだ、挨拶を忘れてるぞ?」
「え? あっはい申し訳ありません!」
息を切らして現れたのは、リアベルト譲りの黒い髪と金色の狐耳と一尾の尻尾。滑らかな黒髪は少年らしく切り揃えられ、それでいて後ろ髪は一つに結われてゆらゆらと揺れている。
レフィルティニア譲りの茶目と、幼さが天真爛漫さを連想させる容姿。動きやすい服装に身を包んで居る姿は、両親同様豪奢では無い。
少年は普段はいない面子に気付くと恥ずかしそうに乱れた髪を整え、一つ背筋を伸ばしてしっかりとマリア達の眼を見ながら笑顔で挨拶する。
「初めまして綺麗なお姉さん達、僕はこの国の王太子。ブリジット・ブレイディアと言います。こんな見た目ですが15を迎えていますので、子ども扱いは止めてくださいね?」
はにかみながら、邪気の一切感じさせない満面の笑みで挨拶するブリジット。
15歳。と言ってはいるが、小人種のレフィルティニアの血を継いでるからだろう、12歳のヤヤと大きくは変わらない身長で、童顔も相まって子供にしか見えない。
それでいて汗ばみ、頬を上気させている所為で整った幼い容姿と相まって母性本能をくすぐらせ、その道の女性なら一瞬で胸を撃ち抜かれる魅力を放っている。
背後で控えていた侍女の何人かの、くぐもった吐血音が聞こえた気がしたが気のせいだろう。
三人が挨拶を返すと、ブリジットはいそいそと席に着こうとしたが、その途中で見知った珍しい顔を見つけて花咲いたような満面の笑みを浮かべる。
「クリス叔母さま! お久しぶりです!」
「久しぶりですわね、ブリジット様。相も変わらず愛らしくて美しいですわ」
「頭を撫でるのは止めてください! 僕はもう成人済みなんですよ!」
「まぁ、これは失礼致しました。不敬でしたわね」
「あっ……は!」
「ふふ……」
頭を撫でられて不貞腐れる姿も、手が離れて一瞬残念そうな表情を浮かべて含み笑いされてしまうのも、姉と弟の様な睦まじいやり取りに場の空気が微笑ましい物を見る様に穏やかになる。
それに気付くとブリジットは恥ずかしそうに、いそいそと席に座った。
微笑まし気に眺めていた両親が待ってましたと言わんばかりに口を開く。
「それで? アレックスと手合わせしてきたんだろ、どうだった?」
「流石の一言でした! 剣術も魔法も、流石次期勇者と言うべき技術で、学ぶことばかりでした!」
「ふふ、本当にブリジットはアレックスの事を尊敬してるのねぇ」
「それは勿論です母上! アレックス殿は次期勇者である事を除いても、その騎士としての高潔な姿は僕の憧れですから!」
遅れた理由がアレックスとの手合わせが長引いた事だが、ブリジットが尊敬と憧れに満ちた本当に楽しそうに語る姿には微笑ましく目尻を柔らげている。
ブリジットがここまでアレックスを尊敬するには訳があった。
そもそも、初代勇者の血を引くブリジットが次代の勇者候補に上がらす、外様のアレックスが槍玉に挙げられていたのは、ブリジットが勇者に相応しい力を持っていなかったからだ。
生まれついて魔法を得る事も叶わず、さりとて王族という血を引く以上、セシリアの様に黄泉に半身を浸して博打を打つ事も叶わない。
これで戦いの才があればまだ違ったかもしれないが、12歳のヤヤと変らない幼さでは満足に剣を振るえる筈も無い。
普通ならその心は多少歪んでもおかしくないが、型破りな両親の影響か、はたまた天性の物か、いかにアレックスの剣技が美しいか、いかにその魔法が強烈かを語るその眼は、一点の曇りもない程に煌めいていて成程、その心は確かに善の側の物だ。
雲の上の人物だと思っていた人たちの普通の家族と変らない光景に、三人も安心したのか肩の力が抜ける。
「なんか、王様って言っても普通の家族なんデスね」
「だねぇ、何か安心した」
余裕が出来れば周りを見る事も出来る。
味も碌に分からなかった料理の数々は、セシリアには何処か懐かしさを感じる味。
和洋折衷。という言葉が当てはまるような料理。
試しに改めて目の前のじゃがいもの蒸かし料理を口に含んでみれば、独特の風味と優しい甘さが腔内に染み広がる。
それは紛れも無いしょうゆとみりんの味で、ここまで来ると建国した人である初代勇者ブレイドが異邦人である事は疑いようは無いだろう。
(う~ん、転生か転移かは分からないけど、少なくとも勇者ブレイドは私みたいなタイプだよね? 日本人……意外に他にも居たりして)
セシリアはこの15年で自分以外にそれらしい人に出会った事は無かった。態々探そうともしなかったし、会ったとしても既に前世を過去の物としてるセシリアとしては仕様の無い事だろう。
(それに、あんまり前世は気持ちの良い物じゃないしな~)
「セシリア? ぼぅっとしてどうしました?」
「え!? あっ、なっ何でもないよ。それよりお母さん、このポトフ美味しいよ?」
前世を思い出して少し気分が落ち込んでいたセシリアは、心配そうに顔を覗き込んで来るマリアに顔を赤らめると、意識を逸らす様に普段の癖で料理をスプーンで掬い差し出す。
恋人があーんする様に差し出したスプーンだが、以前ならマリアはそれを口に含み、お互いで食べ合わせていただろう。
「……ありがとうございます。でも今は初対面の方も居るので、余りお行儀の悪い事はしちゃだめですよ?」
「え? あ、うん、ごめんなさい」
マリアは困った様に微笑んだまま、それを嗜める。
言ってる事は正論だ。先日の旅館や普段とは違い、今日は初対面の相手もいるし食べさせる様なマナー違反をするのは控えるべきだろう。
だが断られると思っていなかったセシリアはショックを受けた様に固まり、言ってる事が正論だけに上げた手を力なく下ろして静々と一人食事の手を再開した。
だが何故だかマリアからの拒絶に、セシリアの胸に小さく、鋭い痛みが走る。
丁度そのタイミングで、家族との団らんにひと段落付けたブリジットが好奇心に満ちた表情でセシリアの方を向く。
「あの、セシリアさんはアイアス先生のお弟子さんなんですよね? 何か特別な魔法だったり武器を持ってるのですか!?」
「え? あ、えっと~……」
キラキラした目で見つめられ、セシリアはどうしたものかと悩むようにアイアスに視線を向ける。
魔法の事や今は部屋に置かれている銃の事を話す必要は無い。元々隠してる物で、気を許した相手にのみで、目の前のブリジット含むこの場の半数以上はその内では無い。
セシリアの視線を受け、首を横に振ろうとしたアイアスに被せる様にリアベルトの声が響く。
「死にかけた相手すら瞬く間に治癒出来る希少魔法と、強力な未知の武器を持ってるんだよな?」
「!?」
伝えた筈も無い情報を完璧に言い当てたリアベルト。隣で眉間に皺を寄せたアイアスを見てアイアス伝手では無い事を理解すると、反射的にセシリアは構える様に身を強張らせる。
「落ち着きなセシリア。リアベルト、この子はちょっと訳ありなんだ、あんまり刺激しないでくれ」
「ん、そうだろうな。悪いな、これでも一国の長なもんで身元の定かでは無い相手を懐に入れる訳には行かないんだ」
「……いえ、私こそすみません。ちょっと最近色々あって神経質になってるんで」
セシリアの真紅の瞳を見つめながら、訳知り顔で頷くリアベルトの言ってる事が理解できるだけに、セシリアも息を吐いて緊張を解す。
しかし一体どうやってその情報を得たのか、何時かの冒険家組合で大勢の前で重傷者を治した事を思い出して思わず現実逃避するセシリア。
見目麗しく、15歳という若さで最上位のA級にも届きうる活躍をするセシリアがそれはそれは噂になりやすい。
バレてるなら仕方ないと、セシリアはブリジットの質問に答える。
「えっと、王様の言う通りです。私は治癒系の魔法を主に、師匠の下で錬金術を学んで幾つかの武器の作成に充てて冒険家活動をしています」
「冒険家! 凄いですね! それにそんな強力な魔法も、一体どんな物なんですか!?」
「え、あっと……」
「こらこら、彼女が困ってるわよ?」
「す、すみません!」
思わぬ食いつきの良さにたじたじになるセシリアは、レフィルティニアが仲裁してくれた所でほっと一息つく。
これが普通の子供であればまだ気が楽だったが、相手が王子様となればどうしても気疲れしてしまう。
「ふふ、ごめんなさいね? 男の子だからこういう話に弱くて」
「すみません、どうしても魔法が使えないんでこういう話を聞くと興奮してしまうんです……」
「いえいえ! 私なんかの話で良ければ幾らでもするんで大丈夫です!」
「あらそう? なら、そっちの女の子も冒険家よね? 良かったら貴女のお話も聞きたいわ」
「このお肉ほっぺが落ちるデース……デス!? ヤヤもデスか!?」
まさか自分に矛先が向かうとは思ってなかったヤヤも巻き込んで行く。
10歳ほどの容姿のレフィルティニアの、有無を言わせない圧を感じさせる笑顔に、二人は諦めた様に今までの冒険の数々を語りだす。
目を輝かせて聞き入るレフィルティニアとブリジットの追求は、アイアスとクリスティーヌが止めるまで続いた。
◇◇◇◇
夜も更けた頃。
饐えた匂いと乾いた寒い風が、幾人もの娼婦や浮浪者が路地に並ぶ汚い裏通りに吹き抜ける。
その風に煽られ、全身を覆う外套に身を包んだ女性の隙間から、闇夜でも輝く真紅の瞳を覗かせる。
「人間界も魔界も、最下層は変わらないわねぇ……」
路地に面した街灯の端では最安価の娼婦が客を誘い、街灯の光も通らない路地の奥では住む家も何もかもを無くした浮浪者が寒さと飢えに耐える様に身を縮こまらせている。
社会の闇とも言うべき懐かしい光景を眺めながら、青い肌と黒白目に浮かぶ真紅の瞳が特徴的なナターシャは諦観とも言える酔ったような声音でため息を吐きながら見つめる。
黙って見つめる彼女の背後から、同じように外套に身を包んだ人影が近づいてくる気配を感じ、ナターシャは警戒する様に身構えつつ振り返り、相手を確認すると肩の力を抜いた。
幾つかの食料を抱えて現れたのは、ナターシャと同じ青肌と黒白目に浮かぶ真紅の瞳を持つ、若者が着る様な緩いパーカーを着込んだ糸目のエロメロイ。
「お帰りぃ、首尾はどぉ?」
「どおもこおも、まだ来て数時間だから大した収穫は無いっしょ」
「それもそぉねぇ……」
彼らが眺める夜のスラムの街並みは、勇成国の物では無い。
リアベルトから協力を得た彼女らは、あの後すぐさまイナリの空間跳躍によってスペルディア王国にまで足を運ぶこととなった。
何故スペルディア王国なのか。それは彼女達の探し物がここにあると言う予想から来ていた。
人魔大戦時以降に建国された勇成国では無く、人魔大戦時にも存在していたスペルディア王国。そこに、彼女達の望む二つの世界の戦争を回避する為の何かがある筈、という予想から、マリア達に別れを告げることも無く早々に旅立だった。
「ちょっとぉ、何してるのぉ?」
「ん? みりゃ分かるっしょ、飯上げてんの。ほらお前ら、これやるよ」
暗闇の向こうを眺めていたナターシャは、隣で物乞いの幼い兄妹にパンと水を上げているエロメロイに声を掛ける。
淡々と答えるエロメロイから、困惑半分警戒半分に食料を奪い取ると、二人の幼子は声の一つも上げる事無く逃げる様に奪い去って行った。
礼の一つも無く去っていた二人をエロメロイは苦笑を浮かべながら、されど何処か懐かしそうに見送る。
「あーあ、ここで食ってけば安全なのに……ま、仕方ないっしょ」
「中途半端な施しは還って不幸を呼ぶだけよぉ? 知ってるでしょぉ」
ナターシャは憐憫の目を、闇に溶けた幼い兄妹の背に向ける。
人の命が石の様に固いパンよりも安い環境で、両手に新鮮な食料を抱えた抗う力も無いであろう子供達の未来を想像してしまう。
それがどんな未来を迎えるかなど、ナターシャもエロメロイも身を持って知っている。現に、二人の後を追う様に何人かの飢えた者達の目が闇夜に光って行った。
「それは分かってるけど……被っちまったんだよなぁ」
「それは……そうねぇ」
地獄の中で、死に物狂いで生きる辛さを知っている。一かけらのパンの為に尊厳を捨てる絶望を知っている。痛みすら麻痺し、心が死んでいく諦観を知っている。
そして、地獄から真面な世界に引き込んでくれる人の存在を知ってしまっている。
「それに、ゆうて姉貴もさっき殺されそうになってる娼婦を助けてたっしょ?」
「……ただの気まぐれよぉ」
「態々悲鳴を聞いて駆けつけるのが気まぐれねぇ」
「うっさい、弟の癖に生意気ぃ」
「だから蹴るなって! ゴリラ女! んなんだからマリア様とも話せねぇんだよ!」
だからこそ、二人は例え偽善で独善的だと分かっていても差し出す手を仕舞う事は出来なかった。
嘗て、自分達を普通の姉弟として過ごせる世界を作り上げてくれた人の為に。最早記憶の中にしか居ない人の為に。
「それよりぃ、この国はどうなってるのぉ? 一応、この大陸で一番の国なんでしょぉ? それが蓋を開けてみればそこら中浮浪者だらけ。国の中心だってのに住人も市場も死人みたいな雰囲気ってねぇ……」
大陸一の国土と温暖で安穏とした気候で、禁忌の森の様な危険な魔獣が蔓延る個所も少ないスペルディア王国は、とてもそうとは思えない程に死んでいる。
二人の正面に広がる国の負の部分である貧民層は、国のおひざ元の筈の都市の4分の1を占め、本来ならまだまだかき入れ時の筈の大通りも何処か翳のある様子で、憔悴しきった人々が安い酒を呑むか、そもそも出歩きもせずに家に閉じこもって早々に床に着いている。
とても、大陸一の国の首都とは思えない生気の無さだ。
「軽く聞いた話だけど、どうも20年前の傾国が原因らしいっしょ」
一足先に情報を集めたエロメロイが、艶の無い林檎を齧りながらナターシャの疑問に答える。
列強の一つとなっているスペルディア王国だが、今より20年前に一人の少女によって起された大事件を機に、一度は国の崩壊の危機を迎えていた。
事の始まりはある貴族の子供達が集まる学園で起こった。
この国ではあらゆる貴族の子供たちが成人を迎えた年に、一つの学園に入る事になっている。
そこは自らが学んだ知識を更に専門的に自らの手で学び、将来の国営の為に活かす場であり、貴族社会に入る前の最終試験場でもあった。
その学園には現王も一王子として通っており、当然、王妃を期待されていた婚約者の令嬢も通っていた。
二人は相思相愛で互いに愛国心に満ち、将来の王族として恥じない様切磋琢磨の日々を送っていた。
だがその日常は、一人の少女によって崩壊の兆しを見せる。
ある下位貴族が、一人の娘を貴族に迎え入れた上で学園に通い出したのだ。
本当にその下位貴族の娘かも怪しい上、元々貴族として生を成していない為マナーや貴族特有の空気を持ち合わせていなかった。
天真爛漫。と言えば聞こえはいいが、貴族なら常識を持ち合わせておらず、特に貴族子女に求められる貞淑さの無さに、多くの令息令嬢が鼻白んだ。
婚約者の居る相手だろうと気にせず近づき、身分も気にせずファーストネームを呼ぶ姿に、当然ながら反感を買い、その少女の居場所は無くなった。
だがある日を境に、状況は一変した。
まるで、その少女を神の如く崇拝し、盲信する者が現れたのだ。それも一人や二人では無い。何十、何百という人々が少女を敬愛した。
だが、そうならなかった人も居た。
その筆頭が、現王の最初の婚約者の令嬢。
彼女は豹変した人々と、まるでその全てを予定調和かの如く嗤う少女を見て危機感を感じ、直ぐに行動を開始した。
だがその時には現王も信者の一人となり、令嬢の諫言に耳を貸すどころか逆上し罵ったとされる。
四面楚歌の中でも国を憂い必死で行動する令嬢だったが、王が崩御したという御触れを期に更に状況は悪化する。
突然の崩御に、現王の即位。だがその隣に座るのは婚約者だった令嬢では無かった。多くの人々から崇拝盲信される、真紅の瞳を持つ少女だった。
そして王になった婚約者が初めに成した事は、全王崩御はその令嬢の責であり、一族郎党晒し首。という物だった。
碌な調査もなされる事も無く、まるで魔女裁判の様に滞りなく国外に出ていた当主である令嬢の父を除く、全ての家族、使用人。果ては領民に至るまで断頭の後、遺体を辱められていた。
当時を知る人はこう語った。
『断頭の度に歓喜に湧く民衆はまるで子供の様に残酷で醜悪で、絶望と憤慨で悪鬼に堕ちた令嬢はまるで、悪魔の様に美しかった』と。
だが悲劇はそこで終わりでは無かった。
王妃となった真紅の瞳を持つ少女だが、彼女の行った事は政では無く、ただの浪費だった。
気の赴くままに美を追求し、浪費の日々を重ねた。だがだれも止めなかった。唯一残った理性のある者達は、晒された屍の列に加わりたくが無いが為に息を殺して目を逸らす。
だが、わが身可愛さの者達が本当の危機に気付いた時には、既に国は死者と浮浪者で溢れ、見るも美しかった街並みは貧困と暴力で黒く彩られていた。
国としては既に虫の息。当然、他国がそんな好機を逃す筈も無く戦争を仕掛け、経済的国土的致命打を受ける事となった。
不幸中の幸いと言えるのは、スペルディア王国が無くなり戦火の火が広がるのを危惧した勇成国とローテリア帝国による支援もあってスペルディア王国が落ちるのは免れたが、王妃であった少女は戦火の混乱に巻き込まれて命を落とした。
だが、残された人々が正気に戻った時に見たのは、痩せこけた国民と、愛する者の無残な亡骸ばかり。
その光景に多くの者が絶望し、自ら命を断つ者が頻出した。
その真紅の瞳を持つ少女、傾国の少女が残した爪痕は20年経った今も残り、スペルディア王国は瀬戸際の中で息をしていた。
「っと、大まかな理由はこんな所っしょ」
「ふーん……同族ぅ?」
「まぁセシリアちゃんみたいな混ざり物って線が強いっしょ、あの大戦で少数とは言えこの世界に血を残した奴らは居る筈だから」
だがそれを聞いた所で二人はご愁傷様、と思うだけで気に揉む事は無い。
唯一真紅の瞳を持つ少女というのだけが気になるが、その少女も今は亡き者となった今は確かめようがない。
「ならこの外套は脱がない方が良いわねぇ」
真紅の瞳を持つ二人がもし衆目に晒せば、間違いなく居場所を追われるだろう。そうなれば探し物どころでは無い。
深く外套を被り直した二人は、改めて今日の寝床を求めて歩きだす。
経済破綻してるお陰で、もぬけの殻の家はそこかしらにある。出来るだけ先客の居ない所を探した方が良いだろう。
「あ、その処刑された婚約者の令嬢の父親ぁ。その人はどうなったのぉ?」
「確か、今は多くの犯罪者を収容している監獄の長をしてるって。嘘かホントかはしらねーけど、そこで家族や領民の代わりに犯罪者を甚振ってるとか何とか……」
「まぁ、そりゃそうなっても可笑しく無いわよねぇ」
二人の興味は完全に失せ、その後の事を話し合いながら今日の寝床に足を運ぶ。
そこはスペルディア王国の王城が良く見える、潰れた高層ホテルの屋根裏だった。
二人は狙いつける様に満月に照らされてる、悲しみと絶望に彩られた王城を眺める。




