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知りたく無い事、知るべき事

 


 白亜の城の足元。

 普段は一般の兵士も使う訓練場は、今は2人の女性と少女だけの訓練場となっている。


「ふっ!!」

「うぉぉらぁ!」


 クリスティーヌの侍従である、肌を見せないメイド服に身を包んだ明るい本紫のセミロングの髪をたなびかせるヴィオレットが訓練用のナイフを逆手に構えながら、鍛え抜かれた全身のばねを使い遠心力を乗せた一撃を振り抜く。


 そしてその対面からは蒼銀の長髪と真紅の瞳が特徴的な、黒いYシャツとスキニーパンツに身を包んだセシリアが、指ぬきグローブの右手を握り込み助走と体重を乗せたストレートパンチを繰り出す


 彼女達の視線が向くのは一人の老執事。

 美しい姿勢が板についている、燕尾服を着込んだドーベルマンの老執事に必殺のナイフと拳が迫る。


「甘いですな」


 しかしそれが目前に迫って尚、ドーベルマンの老執事——セバスチャン——に焦った様子は一切無い。

 寧ろ拍子抜けと言わんばかりに一つため息をつき、流れる様な脚運びで迫るヴィオレットの懐に潜り込んだ。


「しまっ!?」


 慌てて防御態勢を取るが、それは悪手だと気づいた時にはもう遅い。


「咄嗟の判断を誤まらない! ここはいなさなければ次がないですぞ!」

「ッ……かはっ!」


 セバスチャンの掌底がヴィオレットの鳩尾に突き刺さる。

 衝撃だけを与え、ダメージは一切与えない熟練の技。ヴィオレットの身体はくの字に折れ戦闘不能となってしまう。

 膝をつくヴィオレットを横目に、セバスチャンはまるで後ろに目がついてるかの様な正確さでセシリアの拳を右手で受け止めると、そのまま流れる様に見事な一本背負いでセシリアを地面に叩きつけた。


「っ! ……かっ!?」

「相手の死角だからと言って油断はしない事。対人戦は大きな隙を見せた方が負けですぞ」


 まるで赤子をいなす様に、汗一つかかず余裕の表情でセバスチャンは二人を見下ろす。


「筋は良いですが如何せん経験が足らないようですな、もっと隙を小さく細くするとよいです——」


 セバスチャンの小言を遮る様にヴィオレットは真面に呼吸できないながらも、体内に残った僅かな酸素と鍛え上げられた筋肉を無理やり動かしてナイフを振り上げた。

 咄嗟に避けたセバスチャンだが、はらりと皺ひとつない襟に切れ込みが入る。


「っ! っはーっ、ふー……」

「ふむ、どうやら休憩はまだ必要ないようですな」


 卑怯とは言わない。

 ここが戦場なら、ぺらぺらとトドメも刺さずにしゃべっていたセバスチャンが悪いのだから。


 息吹にて呼吸を整えるヴィオレットは汗で張り付く前髪を掻き揚げると、殺意こそ無いが至って真剣な表情でナイフを構える。

 それに呼応する様に、セバスチャンも半身に拳を構えた。


「よろしい、何時でも来なさい」

「っふ!」


 地面に深い足跡を残しながら、ヴィオレットは再度身を深く沈めて突進する。

 一度それで沈まされたのにも関わらずの正面突破にセバスチャンは一瞬眉を寄せるが、一つ鼻を鳴らすと静かに相手の動きを見つめる。


「マリオネットロマンス!!」


 走りながら左腕を振ったヴィオレットのその指先からは、彼女の傀儡魔法によって生成された魔力の糸がセバスチャンの四肢を固定する。


「何をこの程度ッ」


 しかし同様一つなく全身に魔力を漲らせ、一つ筋肉を怒張させるとその身体に纏わりついていた糸は瞬く間に千切れる。

 だがそれだけでは終わらない。

 拘束を解いたセバスチャンに迫る三本の投げナイフ。彼はそれを危なげなく腕で払うも、一秒にも満たない刹那のやり取りに、セバスチャンの意識が正面に向き直るがそこにはヴィオレットの姿が無い。


「——後ろですか!」

「貰った!!」


 反射的に振り返ったのと、地面に手を着いていたヴィオレットがナイフを突きあげたのは同じタイミングだった。

 このまま行けば間違いなくヴィオレットが一本取るだろう。


「ゥゥッワォンッ!!」


 気合の咆哮を一つ吠えたセバスチャンは、無理やり身体を捩じりながら後ずさり、迫るナイフに手を添えると巧の技でヴィオレットの腕ごと払った。

 そのまま引いた足を踏みしめると、彼女を地面に叩きつける。


 悔し気に表情を歪め土の味を噛み締めるヴィオレットだが、彼女の上に影が重ねると口角を薄く引く。


「むっ!?」

「どりゃぁ!」


 横合いから、セシリアの全体重を乗せた回し蹴りがセバスチャンに迫る。

 とっさに腕を盾にする物の、その威力を殺しきる事は出来ずにセバスチャンの身体は派手に吹き飛ぶが、彼は空中で受け身を取ると革の靴で地面を削りながら体勢を整え——、


「まだまだぁ!」


 る隙を与えさせる間もなくセシリアは更に距離を詰め、拳を振り抜く。

 先ほどまでの大振りとは違い、直前に言われた事を活かす様な細かい、腋を閉じた殴打の応酬。

 どこかぎこちなさの残る物の、若さゆえの吸収力かセシリアの戦闘スキルは昇華の兆しを見せる。


「ウ゛ウ゛ウ゛……なかなかやりますな。しかしっ!」

「っ!? きゃぁ!?」


 それでも体勢を整えたセバスチャンには届かず、一瞬の隙を突かれてセシリアは地面に転がされてしまう。

 反射的に身を起こそうとしたセシリアとナイフを構え再度攻撃しようとしたヴィオレットを、セバスチャンは一つ熱い息を深く吐きながら終わりを告げる。


「……ふぅ。いやはや、老体にはこれ以上は些か厳しいですな」


 かなり集中して模擬戦闘をしていた三人だったが、既に1時間以上休みなく通しで行っていたのだ。

 15歳と20歳の二人は良いとしても、既に50を迎えているセバスチャンには厳しいという話だろう。


「あっ、そっか。もうそんな時間……」

「分かりにくいけどセバスさんってもう良い歳でしたね、すみません配慮が足りなくて」

「いえいえ、こちらとしても久しぶりにいい汗を掛けたので満足ですよ。流石、若い者は違いますな」


 肩で息をする二人と言葉に反し、セバスチャンの服に大きな乱れはない上呼吸も熱が籠ってる事を除けば荒れてもいない。

 ドーベルマン特有の鋭い目つきはまるで、孫を見るかのように和らいでいて二人は彼との圧倒的差に肩を落とすばかり。

 そんな二人にセバスチャンから、それぞれに講評が入る。


「まずはヴィオレット。貴女は基本的には問題ないのですが、咄嗟の機転や想定外への対応が甘い。戦いとは常に想定外の事態ばかりですから、そこを治さなければクリスティーヌお嬢様を守り切れない事態もあるでしょう」

「……そうですね」


 自分でも自覚してるのだろう。

 セバスチャンの厳しい講評に肩を落とすが、それでも真剣に耳を傾け自分の欠点を見つめ直す。


「次はセシリア嬢」

「はっはい!」

「貴女は体術の基礎は出来てるようですが、如何せん対人戦闘の経験は少ないからでしょうか、攻撃が素直すぎます。それでは対人戦闘慣れした相手には太刀打ちできないですぞ」

「……はい」


 ダキナとの戦いでも彼女から言われた事を改めて指摘され、セシリアの表情は曇る。事実、ダキナに太刀打ちできずマリアを守り切れなかったのだから。

 どれだけ強靭な膂力と反則染みた魔法を持っていようと、それを活かし切れなければ意味が無い。

 そんな事は嫌と言う程、身に染みて理解している。


「とはいっても、聞いたことを直ぐに活かせるのはとても良いですから、今日学んだ事をこのままの調子で身に付けられれば概ね問題は無いでしょう」

「ありがとうございます……」


 とは言えど、この一時間で学んだ事は大きい。

 徒手空拳で戦うセバスチャンの動きは、歩き方一つをとっても勉強になる上視線の置き場所や戦闘中の意識の割き方、更には戦い方の一つに至るまでを分かり易く、実践を交えて教わっていたのでその好感触には満足そうにセシリアは頷く。


「では、私はこの後も予定が入ってるので。二人共しっかり身体を休める様に。明日も同じ時間にここに集合ですぞ……くぅん、今日は湯舟に浸かる時間を増やすべきですな……」


 予定が詰まっているセバスチャンは、二人を残して歩き去って行く。心なしか、腰や膝を痛そうに擦っていたのは見なかった事にしよう。

 残されたセシリアとヴィオレットは、荷物や飲料を置いている日陰まで移動して後処理を始める。


「お疲れ様です。どうでした? セバスさんとの特訓は」

「すごい勉強になりました。師匠は戦闘面には疎いから何もかもが新鮮で、それでいて確かに身になる事ばかりで満足です」

「それは良かった。私も久しぶりに拳を合わせましたがまだまだですね。あれで50を超えてるんだから恐ろしいですよ」


 シャツを脱いで黒いタンクトップ一枚になると、空色のネックレスとバランスのいい筋肉質な身体を晒しながら汗を拭うセシリア。

 彼女の好意的な感想に、ヴィオレットも満足そうに頷くとメイド服の上部をはだけさせ腰に巻きつかせながら水を煽り呑む。

 そのお陰で女性にしては相当に絞られた、脂肪の一切を削ぎ落した古傷だらけの筋肉質な身体が晒されてる。


 外で肌を晒すなどかなり不作法だが、周囲を天幕で覆われている為二人は気兼ねなく肌を晒して籠った熱気を排出している。

 幸か不幸か、絶壁のお陰で汗を拭う二人の仕草に淀みは無い。

 その途中、セシリアは荷物の傍に置かれた箱に気付くと、小さな声を漏らす。


「あっ……」

「ん? これは、蜂蜜漬けの檸檬ですか。手作り、誰かの差し入れでしょうか?」

「多分……お母さんの」


 箱に納められていたのは、手作り感のある檸檬のはちみつ漬け。疲労に良く効く、なかなかに高価な滋養料理だ。

 幼い頃から、セシリアが鍛錬や仕事の度に口にしていた料理。


「ヴィオレットさん食べる?」

「良いんですか? では一つ失礼して……これは……生姜入りですか。丁寧な処理も相まってとても美味しいですね」

「うん。月一位で作ってくれたお母さんの力作……」


 丁寧に皮を取り除かれていて苦みはなく、蜂蜜に良く漬けられていたお陰で味は染みている。更に隠し味に生姜が入っている為、身体の芯からほんのりと温かくなってくる。

 一つ一つ、愛情込めて作られた事が、セシリアの身体を思って作られた事が良く分かる料理を普段ならセシリアは喜色満面で食していただろう。


 だが今日のセシリアは、それを翳のある表情で一つ噛み締めている。

 甘さと苦みがない混ぜになった、複雑そうな表情で。


「どうしました? 口に合わなかったんですか?」

「いや……美味しいんですけど……」

「けど?」


 それ以上は言葉にしなかった。

 セシリアは無言で首を横に振ると、残りは仕舞って帰り支度を始める。

 無理に追求するつもりは無いのか、ヴィオレットもそれ以上は特に口を開くことも無く帰り支度を済ませると、二人は別れの挨拶とこの後の予定を確認して城の前で別れた。


 セシリアは一人俯きがちに歩く。

 その手にある檸檬の蜂蜜漬けを見下ろしながら。


「……ママ」


 その大きな背は、酷く小さく見えた。



 ◇◇◇◇



 セシリア達が模擬戦闘をしている傍ら、ヤヤとクリスティーヌは図書室——室。と言うには壁一面に並ぶ本の数は膨大で、埃一つない本棚の壁の列は最早一つの建物とも言える程に大きく荘厳だ——にて分厚い装丁本を片手に向かい合っている。


「はい、ヤヤちゃん。これで良いかしら?」

「ありがとうデス」

「構いませんわ。それにしても字が読めるなんて、ヤヤちゃんは博識ですのね」

「出稼ぎに行くって話になって、色々お母さんが教えてくれたデス。外で不幸な目に合わない様に。ってデス」

「そう、それはいい御母堂ですわね」


 二人は肩を並べて歩く。

 決して一般庶民、それも冒険家の様な根無し草の識字率は高くない。

 勇成国では学び舎がある為最低限の識字率は保持しているが、ローテリア帝国の山間部の狩猟民族である灰狼族のヤヤに受動的に文字を習う機会は当然無かった。

 偶々ヤヤの母親に学があったからヤヤも文字の読み書きこそ出来るものの、12歳のヤヤの様に字の読み書きができる子供は決して多くはない。


 関心するクリスティーヌと並んで歩きながら座る所を探していると、窓際の一角で陽射しに照らされながら真剣な表情で本を読むマリアを見つけた。


 余りにも真剣な表情で目を走らせるマリアの姿に、ヤヤは声を掛けようとして半ば上げた手を下ろす。


 何処か、辛さを滲ませた様な表情で、文字の一つとて見逃さんばかりに姿に気圧されてしまったのだ。


「……? あ、二人共。さっきぶりですね」

「そうですわね。相席、よろしいかしら?」

「失礼するデス……」


 しかし視線に気づいたのか、顔を上げたマリアが表情を和らげてあいさつすると、二人は折角だからと向かいあう様に肩を並べて座る。

 それぞれが手に持つ本に目を走らせながら、三人は片手間に雑談を始める。


「それにしても、私の様な一庶民にも入室の許可が出るなんて。色々とありがとうございます」

「ここの区画は一般にも公開されている部屋ですの、ワタクシが何かする必要もなく入れますわ。他国の貴族のワタクシが入れるんですからね」

「だとしても、調べものをしたいと言う私のお願いを聞いてくれたんですから、お礼位は言わせてください」


 三人がいる区画は、クリスティーヌが語った通り城に入れる者なら誰でも入れる比較的自由な区画。

 当然、この区画で手に取れる書物は重要度や希少性が低い物ばかりだが、それでもクリスティーヌが王妃レフィルティニアから直接許可を得て、初見の客人であるマリア達が入室したというのは単純に信用的な面では大きく違うだろう。

 事実、レフィルティニアからの話を通された後の司書の対応は全く違った。


 苦笑する様に微笑むクリスティーヌは、話題転換にマリアの読んでいた本に視線を投げる。


「それより調べものと言うのはそれですの? ……人魔大戦の歴史書。それも悪魔側の主に出来事を書いた、自費出版本ですわね」


 人魔大戦について書かれている書物は多くない。

 殆どが口伝であったり、幾つかの創作物紛いの自費出版本であったりと、当時の事を知る機会は失われている。

 これは魔王ファウスト——マリアの夫でセシリアの父——を討ち取った初代勇者の行いに依るものと、悪魔に強い忌諱感を覚えていた当時の人々による統制によるものだ。


 何故か初代勇者ブレイドは、人魔大戦についての、それも特に魔王についての詳しい事を語ることも無く。また、神経質な程に当時の記録を記す事も許さなかった。

 結局、300年経った今では殆どが風化され、残った記録も公的には概略的な物か、今マリアが呼んでいる様な想像を交えた様な書物だけとなっている。


「えぇ、思えば……私は夫や友達の戦いを知らない……いえ、知ろうとしなかったですから。せめて、誰がどんな風に戦って、亡くなったのか。それ位は知る事が出来れば……と思ったんですが、芳しくなくて」

「まぁ、当時の事を記した書物の大部分は()()には残されていませんものね。しかし、どうして今更?」


 マリアが魔王ファウストの妻で、天使という存在を犠牲にしてまで300年の時を跳んで今ここに居るという事は既に彼女の口から聞いている。

 何となく、ナターシャとのあの一方的な邂逅を目の辺りにしたクリスティーヌはその心変わりの理由を推測しつつ問うと、マリアは翳のある微笑を張りつかせながら文字を撫でる。


「やはり……ナターシャさんに会った事が大きかったんでしょうか。私は……逃げてたんです。()()()の為と言う理由を付けて、救う力を持っていたくせに望まぬ戦いに身を投じようとする夫や友達(ともたち)から逃げたのは事実ですから」


 一体どんな気持ちでその選択をしたのだろうか。

 身重の身で、帰る事も叶わないかもしれない戦いが迫っている中で我が子の安全の為、慕う者に背を向ける。

 母になった事など無い少女達には、彼女の気持ちばかりは分からない。


「その……パパさん、とか友達とかと話して決めた事デスか?」

「えぇ。夫や、当時良くしてくれた方々とは話し合った上で、見送ってくれました……ナターシャさんとは折り合いが悪く言葉を交わせませんでしたが。でもまぁ、きっと彼らの心の何処かでは私を恨んでたんでしょうね」


 おずおずと声を上げたヤヤに、マリアは当時を噛み締める様に思い出しながら答える。

 まるで懺悔する罪人が、優しさに充てられて罪悪感で痛みを堪える様に。罵られた方がマシだ。とでも言わんばかりに苦しそうに。


 そんな苦しそうなマリアに、ヤヤは安堵したように肩の力を抜いた。


「なーんだ、なら気に病む事は無いデス」

「え?」

「どうしてそう思うんですの?」

「だって当たり前じゃないデスか」


 思いもよらないヤヤの明るい言葉にマリアは意表を突かれた様に目を丸くし、代わりに興味深そうにクリスティーヌが聞き出す。

 少なくとも、今の話を聞いて何処に当たり前。という要素があったのかは分からないのだが、ヤヤは自信満々に鼻を一つ鳴らして狼尻尾を振る。


「友達が見送ってくれたならきっと、その人たちも分かってくれてるデス。しょうがないな~って」


 マリアの空色の瞳が揺れ、凝視される中でヤヤはニコニコと笑いながら舌を回す。尻尾がふりふりと楽しそうに揺れてて、気遣いからでは無く心からの思った事を言っているのが見て取れる。


「ヤヤのパパも、村のパパさん達も皆行ってたデス。『母親ってのは誰よりも子供の事を考えてて、子供の為なら何でも出来る偉い人なんだぞ。母親が子供以上に優先する事なんて無い! だから、もし母親が子供の為に何かを犠牲にしたり守る為に逃げる事は正しい事なんだ。褒められこそすれ、責める事なんてありえない!』って。村のパパさん達は酔うといっつもこの話をするから、耳がイカさんデス」


「ヤヤちゃん、それを言うなら耳にタコが出来るですわ」

「デェス!? うぅ~、締まらないデェス……」


 ペタンと耳を垂らすヤヤの傍らで、マリアは心臓を握る様に手を宛てて反芻する言葉を苦しそうに噛み締める。


「母……親だから……でも私、全然母親らしく出来てなくて……」

「そんな事ありませんわ。貴女は立派な母ですわ」


 そんなマリアの自虐の言葉をクリスティーヌが否定する。

 彼女の翠の瞳は優し気に柔ら気、眩い金の縦巻きツインテールを一つ払いながら凛とした声が響く。


「ミスセシリアはとてもまっすぐな子ですわ。まるで太陽の様に眩しく、剣の様にその心は真っすぐで曇りが無い。特に、貴女を慕うその想いは。普通、15の娘があそこまで親にまっすぐに愛情を向けるなんてそうそう無い事なんですわよ?」

「それ、は……」


 それはセシリア(愛衣)の前世が原因だから。

 母親に愛されたいと言う気持ちに反し、母親から愛されなかった経験があったから今のセシリアの好意があるだけで、決してマリアの努力の成果なんかでは無い。

 そう答えようとしても、言葉が喉で詰まる。まるで、それを否定したいかの様に身体が勝手に。


「まぁ、幾分か行きすぎな点は見受けられるけれど……」

「あー、それは分かるデス。セシリアちゃんって母親狂いの悪魔って言われる位マリアさん大好きで、下心丸出してマリアさんに声を掛ける人にすぐ手を上げるデス。初めて見た時はヤヤちょっとちびったデス……」

「えぇ、初めてお二人に会った時は確かにワタクシも気を急いていたとはいえ、まるで野良猫の様に威嚇されましたわね」


 マリアに近づく者全てを排除する。とまではいかないが、少なくとも軟派な者には物理的対応も辞さないセシリア。

 それこそ、クリスティーヌ自身反省する点はあるとは言え、初めて会った時の事を思い出して苦笑いを浮かべる。


 だが少なくとも、常識的に接する相手には少々の不機嫌さこそあれど大人しくしてるし、何より基本的にはマリアの自主性を重んじる程度はまだ理性はあった。

 それが好意による行動と言うのは一目で分かるだけに、二人共責めるに責められない。


「まぁ何にせよ、ミスセシリアが貴女を母として最大限に愛してるのは変わりありませんわ。それはまごう事なき事実で、そんな風に慕われる位に立派に母親を成している貴女が自らを貶める様な発言は、誰も望んでおりませんわ」


 喉が渇きましたわね。と笑うクリスティーヌの言葉で、三人の間に流れる空気が和らぐ。

 みればマリアの表情は何処か和らいでいて、少しだけ表情に明るさが戻っている。


「……二人とも、ご心配をおかけしてすみません。私の方が年上なのに、なんだか励まされちゃいましたね」


 20にもなっていない少女達に心配され、励まされ諭される事に恥じらいを覚えつつ、頭を下げてしっかりとお礼する。

 不思議と、情けなさを覚えている様子は無かった。

 垂れ目がちの空色の瞳は、満足そうな笑顔と微笑を浮かべる二人をしっかりと見据えている。


「それにしても、クリスティーヌさんは本当に17なんですか? とてもしっかりしててなんだか自信を無くしてしまいそう」

「……これでも幼少の頃より貴族としてあらゆる経験をしてきましたもの、否が応にも大人になりますわ」


 先ほどまで浮かべていた微笑をほんの少しだけ、気付かれないような自然な移ろぎで完璧な()()()()()に切り替えるクリスティーヌ。

 余りに自然に、それこそ完璧な微笑みすぎて誰も気付かない。

 それが心に鉄仮面を被ったタイミングだと。

 そのまま、自然な流れでクリスティーヌは話題を切り替える。


「それより、ヤヤちゃんは先ほどから読む手が止まっておりますが、目的の物は見つけたんですの?」

「あっ、うーん。見つけたには見つけたけど……やっぱりだめデス」


 何の疑いも無くヤヤは読んでいた本の見開きを見せる。

 その本は世界の奇病難病が記された本。

 そしてヤヤが見せたのは、特にその中でも原因不明。治療法すら、そもそも何処が悪いのかも分かっていない、症状と結果だけを記された症例の部分。


『魔力欠乏症』。

 何が原因で、何処が悪いのかも分からない奇病の一つ。

 生きとし生きる者全てに存在する魔力。生命力の源でもある、魔法を失い、身体強化の一つも出来ない人間に堕ちたマリアですら持ちうる魔力。


 それがある日突然無くなる。

 正確には適切な食事と充分な食事を経て、消費した分は回復する魔力がある日を境に補填される事無く持続的に消耗していくのだ。


 どの臓器が悪いのかも環境が悪いのかも分からずに、徐々に憔悴し、ある日完全に体力が保たなくなると死んでしまう。まるで末期ガン患者の様に徐々に徐々に。


「成程、確かにそれは無理難題ですわね……いや、今は違いますわ。ミスセシリアの魔法、正常な状態に戻す希少魔法、それであれば何とかなりませんの?」


 だが今は違う。

 セシリアの最早回帰とも言える、正常な状態に戻す魔法であればそもそも病気にかかる前に戻せるだろう。

 だがヤヤの反応は芳しくない。


「セシリアちゃんにその魔法を教えて貰った時、ある冒険家がそれに掛かったデス。ヤヤはセシリアちゃんにお願いしてこっそりと魔法を掛けて貰ったデス……でも、結局効果は無かったデス」


「……魔法はイメージが大事。治癒魔法などは対象の傷を治癒する際、神経の位置や毛細血管に至るまでをきちんと理解し、その全てが治るまでの過程を正しく理解しないと正しく効果を発揮しない」

「その通りデス。何を治せば良いのか、そもそも肉体的には正常その物の魔力欠乏症を相手に何を治せば良いのか分からなくて、結局何の効果も無かったデス」


 魔法とはイメージが大事だ。

 何を起こして、どのように作用させるか。それはセシリアの魔法とて例外では無い。寧ろ、肉体に関わる魔法であるなら殊更だ。

 昔セシリアがマリアの石化を治した際は、石化に掛かった部分が戻る過程、その毒が体内に侵入する前、異常な個所が正常に戻る。そんなイメージの元行使したから意味を成した。


 それが意味を成さないという事は、何が異常か分からない。か、そもそも正常そのものか。

 兎にも角にも、セシリアの魔法はヤヤの探す治療法には成り得なかった。


 消沈してしまった空気を払うかのように、ヤヤは明るい声を出してクリスティーヌの手元の本に意識を向ける。

 それに対して、クリスティーヌは残念そうに本を閉じながら答える。


「魔導歴についてですわ。ですがワタクシも無駄足でしたわね」


 そこからは他愛も無い雑談だった。

 お互いの事を知るために話したりマリアの美容の秘密だったりと、ヤヤの故郷での狩りの事だったりと、本当に欠伸が出る程に平和な時間。


 それをマリアはどこかぼんやりと、城仕えの使用人に夕食に誘われるまで眺めていた。


(私は、母親だから……)


 その小さな背は、何処か頼りなくではあるが危うく張っていた。


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