親心子知らず
これまでのあらすじ。
5年の歳月を経て成長したセシリアは冒険家として、灰狼のヤヤと共に仕事に励んでいた。そんなある日、クリスティーヌという帝国の少女から依頼を受け、禁忌の道という古代文明の存在と人間の様なガーゴイルと戦う。
その後、セシリアとマリアの前に怨敵ダキナが現れる。彼女によって祖父母の様に慕っていたトリシャとガンドは殺され、ラクネアの住んでいた孤児院もスーとイヌを残して焼き払われてしまう。
マリアを人質に取られる中で必死で戦うセシリアだったが、黒龍ファフニールの強襲によって街は半壊し、セシリアの前でマリアも殺されてしまう。
絶望に火をくべられたセシリアは、悪魔の力を発揮させ異形の姿に変貌しダキナと黒龍を撃退する。
幾つもの思惑が入り乱れる中で、命を繋ぎ留めたマリアを抱きしめながら、セシリアは一つの決断を下す。
そしてマリアの過去を知る悪魔二人の登場により、舞台は移り変わっていく。
セシリア達と別れたクリスティーヌ達は、幾つもの身分証明と身体検査を終え、疲れを滲ませながらも案内された客間にて目的の人物を待っていた。
王城の一室は磨き上げられた調度品に囲まれ、落ち着く雰囲気ではあるが装飾の一つにあたる迄が超一級品で、ナターシャとエロメロイは優雅に紅茶を嗜むクリスティーヌに反して居心地が悪そうだ。
「姉貴、俺腹が痛くなって来たっしょ。任せていい?」
「ダメに決まってるでしょぉ、ここで誠意を見せないとぉ魔王様の遺言が果たせないんだからぁ」
「お二人共、少し肩の力を抜いてもよろしくてよ? これから会う御方はとても器の大きい方だから、多少の不作法は笑って流してくれるわ。ほら、ヴィーの淹れたハーブティーでも飲んでいて?」
差し出されたハーブティーに口を付けようとした所で目的の人物が来たので、立ち上がるクリスティーヌに釣られて二人も立ち上がる。
ヴィオレットが扉を開くと、二人の男女が入室する。
礼をして迎えるクリスティーヌに負けない、品の良さを思わせる板についた所作で二人も礼にて迎える
「よっクリスティーヌちゃんお久、元気してた?」
「お久しぶりです、リアベルト陛下。お陰様で魅力的な縁を結ぶことが出来ましたわ」
「ははは! 報告を聞く限り、健やかとは縁遠い日々を送ってるようだけどな!」
最初に入室したのは、30代中頃の長身の男性。
濡れ羽の様な黒い髪を無造作に撫でつけ、茶目っ気たっぷりの黒い瞳は柔らかく細めら、柔和な顔つきは何処か童顔で笑顔が若々しい。
右手は胸に左手は背に、帝国式の礼をしつつ自然に答えるクリスティーヌの横で、悪魔二人は目を丸くしている。
王。と聞いていた人物がまさか開口一番で大口を開けて笑い、作務衣の上から豪奢なマントを羽織って居るとは思わないだろう。
マントさえなければ、その人物が気の良いおじさんと言われても信じられる雰囲気を纏わせている。
国王リアベルト・ブレイディアが、金色の立派な狐耳と1尾の狐尾を揺らしながら挨拶を交わしていると、一つの小さな影が飛び出した。
「クリスちゃーん! 久しぶりー!」
「っ! お姉様! 何度も言ってますが飛びつくのはおやめ下さい」
「良いじゃない無礼講なんだし、それに倒れないように気を付けてるわよ?」
「そういう訳では……」
更に悪魔二人は勢いよく首を回して目を見開く。
クリスティーヌに向かって飛び掛かって抱き着く女性、いや見た目だけなら幼女な彼女は、名実ともにこの国の王妃。
王妃レフィルティニア・ブレイディア。
12歳のヤヤと良い勝負の身長ながら、その年は既に31を迎えている。
明るい茶髪と同色の瞳。幼い顔立ちにひまわりの様な笑みを咲かせている姿は、とても王妃とは、ましてや成人女性とは思えない。
豪奢な銀色のドレスを纏っていなければ、彼女も同様市井に馴染めるだろう。
黒髪黒目で作務衣の上からマントを羽織り、金色の狐耳と尻尾を揺らす国王リアベルトと、幼女な見た目の小人種な茶髪茶目の王妃レフィルティニア。
この二人こそ勇成国の現王で、クリスティーヌ達が対面を願っていた二人である。
「……うちの魔王様とはえれぇ違いっしょ……」
「……ちょっと不安になって来たわぁ」
違う意味で緊張が解れた二人は、国王リアベルトと目が合うとすぐさま背筋を伸ばす。
「君たちが報告にあった悪魔だね? よろしく、この国の王をしているリアベルトだ」
「初めまして。元魔王軍第三師団長、ナターシャ。本日はこのような場を設けて頂き感謝致します」
「元魔王軍諜報部隊、非常対策担当エロメロイ。本日はよろしくお願い致します」
「あぁ、まあ見ての通り適当な男だからあんまり固くならないでくれ」
ひらひらと適当に手を振りながら、リアベルトが着席すると未だクリスティーヌと戯れていたレフィルティニアも二人に気付いて、恥ずかしそうに咳ばらいをして姿勢を正す。
「初めましてナターシャさん、エロメロイさん。王妃のレフィルティニアよ、お恥ずかしい所をお見せしてごめんなさいね」
「全くですわ、お姉さまはもう少し落ち着きを——」
「ほらほら、再開を喜ぶのは後にしよう。まずはカルテルの街での報告からよろしく頼む」
たった一言で、場の浮ついた雰囲気が一新される。
リアベルトの軽い口調だが、重みのある低い声は流石王と言うべきか威厳を感じさせ、全員が無意識に表情を引き締め着席する。
始めに口を開いたのはクリスティーヌ。
彼女は派手な立て巻きツインテールの金髪を耳に流し、右目に添えられた涙黒子を晒しながらヴィオレットに合図する。
「ではワタクシから、ヴィー」
「失礼致します。こちら、報告書になります」
クリスティーヌが徹夜して作った報告書を全員に回す。
リアベルトは背後で控えるドーベルマンの執事から、元々持っていた報告書も受け取り見比べながら目を通す。
そのまま、報告書を参考に辺境の街であった事を事細かに説明していく。
「——と、事のあらましは以上ですわ」
「ふむ、まぁこっちで掴んでいる情報も似た様な物だが、成程。因みに俺からも一点追加の情報がある。街を強襲したあの黒龍の到着より前に、西門を中心に幾つかの重要施設が人為的に爆破されたという報告が入ってる。これもそのダキナとかいう女の仕業だと思うか?」
「恐らくは。ダキナという女性と交戦していたワタクシの友人の言葉に依ると、街の破壊工作を目的としていると自ら口にしていた様ですわ」
一体何の目的で。単独犯ではないだろう、何処かの国か組織が何らかの目的を持って強襲したのは確かではある。
頭を悩ませるリアベルトとクリスティーヌに、レフィルティニアの明るい声が届く。
「まぁそこは今考えても仕方ないわ。それより、お二人の話も大事ではないかしら?」
レフィルティニアの言葉に二人は頷く。
それが何らかの目的があったとしても、情報も無い現状ではどれだけ考えても詮無い事。
悪魔二人に水を向け、ナターシャが会釈しつつ先じんじて口を開く。
「私達の目的は魔王様の遺言。必ず起こる二度目の人魔大戦に於いて、予め人界と悪魔で手を取り、戦争を回避する事」
「魔王様に忠誠を誓う者達は決して多くない、寧ろ戦争に前向きな奴らばっかり。だからこそ、こちら側から二つの世界を繋ぐ道を完全に塞がなくちゃいけないんだ」
普段の適当な口調は鳴りを潜め、二人は真剣な表情で王族二人の目をしっかりと見据えながら自らの使命を語っていく。
その眼は嘘を言ってる様には見えず、力強い意思が込められているのか、リアベルトが清と見つめてもその瞳は揺らがない。
「……セバスチャン。あの書類を」
「こちらになります」
おもむろに、リアベルトは一束の書類と一枚の地図を広げる。
地図は大陸全土を記した世界地図で、点々と円が書き込まれている。
「これはうちに保管されている、嘗ての人魔大戦時代の大陸図だ」
言われて一行が覗き込めば、クリスティーヌ等は今の大陸図との違いに気付く。
大まかな形は同じだが、今とは違う地系や国の名前が書きこまれている。
「この円が悪魔達が現れた場所、所謂魔界との門だな。そしてこれはここ最近の魔物、魔獣被害の頻発地」
「っこれは!?」
始めに円が書き込まれていたのは、魔界への門だと説明する。
テキパキと、リアベルトは書類片手に魔物、魔獣被害の多い場所を記していく。
全てを書き込むと、その場所は殆ど寸分狂わぬ同じ位置に重なっていた。
当然、ナターシャとエロメロイが初めてこの世界に踏み入れた場所、セシリア達の故郷の辺境の街にもその円が書き込まれている。
魔界の門があったとされる場所ほど、魔獣魔物被害が酷い傾向にあった。
「二人の話で確証が持てた」
「! それじゃ」
思わず興奮で腰を浮かすエロメロイに、リアベルトは頷いて答える。
「うちに一人こういった事に鼻が利く人が居てな、以前から調査してたんだ。戦争を回避できるならそれが一番だ、協力しよう」
「っしゃあ! やったな姉貴!」
「えぇ、足掛かりとしてはこれ以上ない味方ね」
そこらの人間では無い、一国の王の協力を得た事でエロメロイは歓喜し、ナターシャも安心したように肩の力を抜いた。
目的の為の第一歩としては、これ以上ない程の成果だろう。
話がひと段落着いたことを確認すると、リアベルトは早速取っ掛かろうと立ち上がる。
「よし、それじゃさっそく有識者に聞いてくるか。悪いが君たち二人も着いて来てくれ。それじゃ、またな」
リアベルトは執事と悪魔二人を連れ、退出していった。
残されたのはクリスティーヌ達女性三人。
ヴィオレットが新しい紅茶を淹れる傍ら、クリスティーヌはふぅっと一息ついて首を回すと小気味よい音が鳴り響く。
多少回復したとはいえ、直前のゴブリンとの戦闘で使い果たした魔力に依る気怠さと疲労感で顔色の悪さが化粧の上からでも伺える。
「お疲れ様クリスちゃん」
「お見苦しい所をお見せして申し訳ありません、つい……」
苦笑しつつ労われ、クリスティーヌはつい気を抜きすぎたと再度背を伸ばそうとしたが、レフィルティニアの細く白い指が唇に触れる。
目を瞬かせるクリスティーヌに、レフィルティニアは隣に移動した。
「もっと楽にして。話は聞いてるもの、休むことも必要よ」
肩を並べたまま、レフィルティニアは母が子にするように頭を撫でる。
化粧で上手く隠しているが、それでもクリスティーヌの青い顔色や体調不良に目敏く気付いていたのだろう。ただ黙って労い続けた。
どこか照れ臭そうに、されどされるがままに撫でられるクリスティーヌはむずがゆそうに口元を緩める。
「ですがワタクシはやるべき事が……」
「それこそ余計よ。貴女が頑張ってるのは分かってるわ、だけど休む事も仕事の内よ」
「うっ……」
それでも素直に受け入れないクリスティーヌに、レフィルティニアは苦笑しつつずいっと下からその翠の瞳を覗き込む。
「良い? 貴女は確かにフィーリウス家の、私の義妹として頑張ってるわ。貴女が帝国貴族として誇りを持ってるのも理解してるわ」
優しく諭す様に、穏やかに語りかける。
チラリとヴィオレットを見れば侍従らしく静かに佇んでいるが、クリスティーヌを見つめる紫の瞳は、心配そうに伏せられている。
「でも貴女のそれは本当に自らの意思? まだあの家に縛られるんじゃないの?」
きゅっとクリスティーヌは下唇を噛む。
それを見てレフィルティニアの表情は一瞬翳るが、直ぐに穏やかな笑みを浮かべて頭を撫でていた手を彼女の手に重ねた。
「私が貴女を引き取ったのは幸せになって欲しかったからよ? フィーリウス家の為でも、ましてや帝国の為でも無い。私は貴女に幸せになって欲しいの、だから好きな——」
「お姉様」
その言葉をクリスティーヌは遮る。
まるで、それを意識しないようにするかのように。
伏せられた顔を上げ、クリスティーヌは淑女の微笑を張り付けて顔を見合わせる。
「ワタクシ、フィーリウス家の皆様には心から感謝してますわ。あの家から、最も貴族らしいあの家から救ってくれて。だからこそ、皆さまに恩返ししたいんですの。ワタクシが、ワタクシの意思でお姉様に、フィーリウス家の方々に報いる事が出来る事を」
「クリスちゃん……」
クリスティーヌの力強い翠の瞳を見つめ、レフィルティニアは諦めた様にため息をつく。
そのまま、手のかかる子を見る様に目尻を垂らす。
「……まぁ良いわ。ただし! 貴女はもう少し周りを頼りなさい! 率先して行動できるのは美点だけど、貴女は少し独断専行が過ぎるから。私でも良いし、なにより貴女には優秀な付き人がいるでしょ?」
その言葉にクリスティーヌがちらりとヴィオレットを見ると、丁度その紫の瞳とぶつかる。
ヴィオレットが安心させる様に穏やかに微笑むと、クリスティーヌは一つ柔らかく微笑み……何処か痛みを堪える様に一瞬だけ顔を顰めた。
それは余りに一瞬過ぎて、誰も気づけなかった。
「お姉様。ワタクシは、今でも充分幸せですわ」
まるで言い聞かせるかのように、クリスティーヌは噛み締める様に答える。
その言葉に、レフィルティニアが言葉を返す事は出来ずに時間だけが過ぎていった。
◇◇◇◇
アイアスの誘いで、セシリアとマリアは郊外を訪れていた。
閑静な住宅街を歩く三人は、幾つもの細道を潜り抜けて一つの自然味溢れる庵に辿り着いた。
「師匠―、ここ?」
「そうだよ。待ってな、今開けるか——」
扉に手を掛けようとしたアイアスの代わりに、まるで三人を出迎える様にひとりでに玄関が開く。
目を見張るセシリア達母娘の横で、特に驚いた様子も無いアイアスがさっさと入ろうと促す。
色々聞きたそうにはしてるが、とりあえずと恐る恐る足を踏み込ませ……二人はぐにゃりと世界が歪む懐かしい感覚に襲われた。
「空間跳躍!?」
「お母さん!」
それはアイアスが使っている、自身の庵と街への移動を楽にする空間跳躍。
突然引き起こされた現象に、セシリアは幼少の頃とは違い咄嗟にマリアを庇いつつ懐の純白のリボルバーを引き抜く。
数秒もしない内に世界が正しく形を成し、臓器を揺らされる様な不快感から解放されると、二人の周囲は壁で覆われた何処かの屋内に移り変わる。
太陽の光の代わりに淡い光の灯篭が長く正面に続く石畳を照らし、その先には立派な朱色の鳥居が鎮座していた。
外から見た庵の中では無いと即座に理解する。
明らかに天井も横幅も大きさが違う、何より極めつけは背後が壁になっていて逃げ場が無い事だろう。
マリアを左腕で抱きしめつつ、右手でリボルバーを構えるセシリアの背後で再び空間が歪むと、バツの悪い表情のアイアスが現れる。
「っと、悪いね。これがあったのを忘れてた」
「危険はないんですか?」
「あぁ、これは師匠の魔法だからね。問題ないよ、何処だがは知らないけど」
空間跳躍はアイアスの師匠の魔法に依るもの。と言うアイアスの言葉に、ひとまずセシリアは肩の力を抜くがリボルバーは握られたまま。
セシリアの拘束から抜けたマリアは、周囲を見渡す。
淡い光が照らす灯篭は一本道を示し、灯篭の外側は壁で仕切られていて、道の奥に鎮座する鳥居以外に向かう他が無い。
「この道を進むんですか?」
「あぁ、この先にはあたしの師匠がいる」
「師匠の師匠? どんな人なんだろ」
アイアスに続いて二人も鳥居へ足を運ぶ。
当然、セシリアの空いた左手はマリアの右手を掴んでいるが、流石に戦闘が起こるかも知れないと警戒する彼女は五指を絡めるまではしない。
道自体は長い物では無かった。
鳥居の元までたどり着くと、そこは洞窟の中だが開けた空間で足元は水に覆われている。
壁を背にした鳥居の向こうには襖が鎮座しており、緊張の面持ちを浮かべるセシリアとマリアを余所に、アイアスは勝手知ったる様子で襖を開け放った。
「連れて来たよ、ばあ様」
「おぉよく来たのぉ、妾はもう退屈でしようがなかったぞ」
「ならそっちから来れば良いだろう」
「言う様になったのぉ、妾がここを離れられぬ事は分かっておるじゃろうに」
セシリア達を放置して、アイアスは時代がかった口調の女性と気心知れた関係である事が伺える様子で言葉を交わす。
その時代がかった口調の女性は、女性として成熟した妖艶さを纏わせており、十人中十人が見惚れてしまう妖しい美貌を提燈の柔らかな光に照らされている。
煌びやかな金色の長髪は椿の簪で結われ白磁の肌は滑らか、コロコロと笑う顔は上品でありながら妖艶で、その金色の瞳は楽し気に細められている。
頭頂部にはピンと立てられた狐耳、椿の模様があしらわれた上質な黒い着物の向こうで、9つの金色の尾が揺れ提灯に影を作っている。
9尾の女性はセシリア達に気付くと、着物の裾を畳みに広げながら擦り足で近づき、思案気にセシリアの顔を覗き込む。
「ふむ、おんしがアイ坊の弟子か。ほれ、とく見せぬか」
「え? あ、っちょ……」
アイアスの師匠と言うだけでも緊張していたわけだが、いざ目の前にしたセシリアはその余りに濃すぎる色香に明らかに圧され気味で、同性でありながら顔を真っ赤にしてどうしたら良いか分からずただ手を彷徨わせている。
そんなセシリアの反応を楽しむように、女性は蠱惑的に目を細め、唇をひと舐めして唇を艶やかに煌めかせる。
「……似てるのぉ」
彼女の呟きすら正しく認識できない程、セシリアは顔を真っ赤にしている。
頭がくらくらする様な色香に、「う」だか「あ」としか言葉を発せないセシリアの顔と女性の顔が、まるで唇を重ねるかのように近づき……、
「ダメ!!」
「お?」
あわや接吻。とまで近づいた二人を裂くように、マリアが大声を上げて間に入る。
怒りか、警戒か。獣の親が我が子を守るかのように、女性を睨みながらセシリアを背に庇う姿に、女性は飄々と笑いながら茶化そうと口を開きかけた所でアイアスの仲裁が入る。
「良い歳して若者で遊ぶんじゃないよ」
「くふふ、すまんのぉ。来客が少ない故、偶の客人に些か舞い上がっておったようじゃ」
「え……あっ! はは、ヤバ……なんかめっちゃヤバかった……」
火照った顔を手で仰ぐセシリアは、余りの衝撃に完全に語彙力が死んでる。
15歳の、前世でも恋愛経験ゼロのセシリアには随分と刺激が強すぎた様だ。
「おんしも、斯様に睨んでは折角の美形が台無しじゃぞ」
「えっ、あっ私なんで……」
ハッとしたマリアは、自分の行動が信じられないとでも言うかの様に狼狽え出す。
そのまま困惑しながら頭を抱えるマリアと今だ顔を赤くしてるセシリアに、女性は楽しそうに忍び笑うと、踵を返して畳張りの提灯が薄暗く照らす一室の上座に腰を下ろす。
窓一つない薄暗い部屋に、アイアスが二人の手を引いて入った所で漸く二人も正気を取り戻しつつあった。
「全く年寄りの癖に。うちの弟子が変な道に目覚めたらどうしてくれるんだい」
「くふふ、果たしてそれは妾の所為かのぉ?」
「……えっと師匠、この人は」
隣ではまだ少しマリアが口元に手を当てて何やら熟考していて反応が悪く、仕方なく置いといてセシリアは紹介を促す。
「悪いね、うちの師匠が。ほら、いい加減挨拶しな、ばあ様が会いたいって言って来たんだろ」
「くふ、今ではお主の方が年寄りじゃろ。先ほどはすまんのぉ、妾の名はイナリ。見ての通り妖狐じゃ。因みに空間に干渉できる魔法を持っておる、遠出したい時は妾に言うが良いぞ?」
九尾の妖狐。イナリと名乗る彼女は、得てしてこの世界では聞きなれない名前で、セシリアは日本人? と思わず眉を寄せる。
更に空間に干渉できる魔法、つまり空間魔法という希少魔法を持つというその宣言にどういった魔法なのか興味が湧き出るが、それを聞く前にアイアスの注釈が入る。
「見た目で騙されるけどあれで300は生きてる年寄りだから、何かあってもはっきりと断りな」
「年寄りの嫉妬は怖いのぉ、妾は孫弟子が可愛いだけじゃのに」
「自分の容姿を考えて行動できれば文句は言わないよ」
相当な仲の良さが分かる。
二人共良い意味で遠慮の無い会話を交わし、文句垂れるアイアスの表情も何処か楽しそうだ。
アイアスとマリアにはセシリアの前世の事を話している為、日本人がどうか聞いても問題は無いのだが、それを聞く前に一息ついたイナリと目が合う。
「セシリアじゃったか、面白い子じゃのう」
「……?」
何かアイアス伝手に聞いたのだろうか、一体何を指しているのか分からないセシリアは小首を傾げてアイアスを見るが、アイアスも胡乱気に首を傾げている。
どうやらアイアスも分からない様だ。
そんな二人を余所に、イナリはじぃっとセシリアを見つめ、マリアに視線を流す。
「おんしはマリアじゃろう、面を上げてくれぬか?」
「あ、はい? なんでしょう?」
口に手を当てて熟考をしていたマリアは、ここで漸く正気に戻るとイナリの言葉に従って顔を上げる。
マリアの顔を見つめるイナリは、桜散る黒い扇子で口元を遮りながらその心を見抜く様に見つめ続ける。
マリアが居心地の悪さを覚え身を捩らせると、イナリはほぅっと一つ目を伏せて扇子を仕舞いつつアイアスに視線を戻した。
「数奇な巡り会わせじゃな」
「一人で完結しないで欲しいね。そもそも今回は何で呼んだんだい? それも二人を連れてこいだなんて」
「何、ゆったじゃろ? 可愛い孫弟子の顔を見たいと。これもあれじゃ、アイ坊が挨拶の一つも無いのが悪いんじゃぞ?」
「暫く帰ってくるなって言ったのはばあ様だろうが……」
アイアスは手紙で二人の事をイナリには伝えていた様で、セシリアを見て何処か複雑な表情を浮かべている。
その眼はセシリアを見つめ、しかしセシリアでは無く何処か遠くを見ている様な違和感を覚える。
(? 何あの表情。望郷?)
言い表すなら望郷だろう。
だがセシリアを見てそれを思う理由は無い筈。
赤子の頃からの記憶が朧気にあるセシリアに、イナリと出会った記憶はない。これがマリアを見て、なら分からないことも無いが、その金色に眼は確かにセシリアに向いている。
「あの……結局、私達の顔を見たかっただけなんですか?」
「うむ、アイ坊が弟子を取ったと言うからの、丁度良い機会だからと呼んだだけじゃ。くふふ、そんなに嫌そうな顔をするでないわアイ坊、皺が増えるぞ?」
マリアの戸惑いがちな声にイナリはカラカラと答え、三人の表情を引き攣らせる。
何がしたいのかも分からない、どういう人かも分からないイナリの対応に初対面である二人の彼女に抱く印象は中々に悪いだろう。
「年寄りの暇つぶしに付き合う程暇じゃないんでね。じゃあ二人はもう良いのかい?」
「うむ、満足じゃ。詫び代わりに駄賃を上げようぞ、折角来たのじゃから祭りでも楽しむが良い」
「うわっ!?」
その言葉を起点に突然セシリアの正面の空間が歪み、そこからズシリと重たい袋が落ちてくる。
反射的に掴めばなかなかに重く、外からの触り心地や音だけで相当の金額が納まってる事が察せられる。
事実、恐る恐る中を検めた二人は金貨10枚程の金銭に目を丸くし、それをあっさりと渡して来たイナリに疑いの目を向けつつ、二人は顔を寄せて声を潜める。
「……ねぇお母さん、これ貰って良いのかな?」
「上げると言ったのですから貰って良いとは思いますが……イナリさんがどういう人か分からないので難しいですね」
二人が確認の視線をアイアスに送ると、疲れ混じりの肯定が帰ってきた事でセシリアはそれを背嚢に納める。
それを見届けたイナリが、軽やかな音を立てて扇子を閉じた。
「それじゃ、態々来てもらって悪かったのぉ? またの~」
なんとも気の抜ける声を最後に、二人は強制的に空間跳躍させられその場から姿を消す。
別れの挨拶も無く、ましてや何の説明も無しな自由勝手な対応をするイナリを、横からアイアスが睨みつけイナリは肩を竦めた。
「分かっておるわ、流石に妾も無礼が過ぎるとは反省しておるのじゃ」
「まぁばあ様のそれは慣れてるから良いけど、あの子達は訳も分からずだったんだ。次に会った時は謝りな」
「機会があればの……」
先ほどまでの掴み所のない飄々とした態度を少し崩し、何処か物憂げな表情を浮かべるイナリは何処からともなく酒を出すと、アイアスを座らせて盃に注ぎだす。
トクトク……と並々に注げば、それを一気に飲み干し、一つため息をついてセシリアのいた所を見つめる。
「それで、あたしに位は説明してくれても良いんじゃないか」
「何がじゃ?」
「惚けるんじゃないよ、態々あの二人を呼んだ理由はちゃんとあるんだろう」
可愛らしく小首を傾げるイナリを胡乱な目で見つつ、アイアスは射抜くような視線を向ける。
イナリはやや少し唇を尖らせていたが、アイアスの鋭い視線に根負けしたのか芝居がかった仕草でため息をついた。
「アイ坊の話を聞いてもしや……と思っての。実際にこの目で見て確信が持てたのじゃが」
相も変わらず要領を得ない言葉にアイアスはただ訝しみつつ、視線で説明を促す。
「あの娘、魔王ファウストの娘じゃな」
その言葉に、アイアスは厳しい表情を浮かべながら、
「……あの子はあたしの弟子だよ。それ以上でもそれ以外でも無い」
まるで相対してるのが敵であるかのように、内心の動揺を押し殺すかのようにイナリの眼を見据えながら答える。
「くふふ。愛い奴じゃなぁ」
艶やかに笑う。
初代勇者の最初の従者と呼ばれる、人魔大戦を知る最後の生き証人。
イナリ・ブレイディア。初代王妃はただ笑みを浮かべた。
◇◇◇◇
イナリによって追い出されたセシリア達二人は、詫び代わりに貰った駄賃を片手に呆然としていた。
連れてこられたは良いが、訳も分からず追い出されたのだから当然だろう。
困惑はしつつも、思わぬ臨時収入にセシリアはまぁ良いかと肩を竦める。
「良く分かんない人だったね。ま、お金貰ったしご飯でも食べに行く?」
「そう……ですね。お昼にしましょうか……」
「おっけーおっけー、何があるかなー。折角都会に来たんだし良い物食べたいよね」
上機嫌に鼻歌を奏でながら遠くを見るセシリアの後ろで、マリアは思案気なのか何処か反応が悪い。
お腹が空いてるから機嫌でも悪いのだろうか。そう予想づけたセシリアは早く食事に移ろうと意気込むが、マリアに裾を摘ままれる。
「お母さん?」
「セシリアは……その……」
何かを言いよどむマリアの表情は、思いつめたかのように暗い。
自分でも上手く言語化出来ないのだろう。口を開いては閉じて、そんな動作を繰り返す。
顔を上げてセシリアの真紅の瞳とマリアの空色の瞳がぶつかるが、マリアは直ぐに顔を背けてしまう。
「……大丈夫だよ、ママ。ゆっくりで良いよ」
だがそんなマリアの態度すら、気分を害した様子も無くセシリアは膝を折って目線を合わせ、落ち着かせる様に優しく語りかける。
ゆっくりと、心に染み込ませる様に。
いつもマリアがそうしてくれた様に。
マリアの強張った表情が柔らいでくれると。そう思ったセシリアは、予想に反してマリアの表情が更に強張ってしまった事に困惑の色を浮かべる。
「……セシリアは……いえ、何でもないです。ご飯、行きましょうか」
「ママ?」
明らかに何でもなくない。
だがセシリアはそれを問い詰める事が出来ず、ただ腕を引かれるがままに後を追った。
余りにも思いつめた表情が過ぎていて。
その空色の瞳には、自己嫌悪と後悔が滲んでいたから。
お久しぶりです。
卒製や引っ越しや、今だと合宿免許などでかなり忙しくしてて満足に執筆する時間が取れませんでした。
プロットが溜まってく一方で、早くてぇてぇシーンを欠きたくてストレスがヤバかったですね。はい、大分遅速ですが書いてるには書いてるんで、首を長くして待っていただけると幸いです




