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水の都 カリテス

 



 通行許可を得た一行は、目の前に広がる華々しい雰囲気と美しい街並みに圧巻されていた。


「すご……」

「でぇす……」

「お祭り……でしょうか」


 煉瓦張りの広い街道は、人間亜人問わず多くの人々が雑踏を踏みその数は辺境の街の比では無い。

 更に一行を出迎えたのは、至る所に飾られる色とりどりの花飾りの数々。

 暖色系の建造物が多い街道は、今は色とりどりの花々が所狭しと飾られており元の上品な街づくりに可愛らしさを付加している。


 活気づく街の雰囲気は、お祭りの前準備なのかと分かる程度には明るく騒々しい。


「あぁそう言えば、アマネセル教の豊穣祭がありましたわね」

「えぇ、お陰で連日休む間も無く働き詰めですよ」


 アマネセル教が奉る神は、豊穣と祭事の神。神秘学的には更にその上に創造神が居ると言われているのだが、基本的には各宗派は創造神以外の神を信奉している。

 そしてそんなアマネセル教の祭事の一つとして、春節には街を花々で彩り7日7晩一年の豊穣を願いアマネセルに祈りを捧げるという物がある。


 祈り。と言っても、女神アマネセルは楽しい事が好きな神と言われており、豊穣祭では殆ど飲んで騒いで踊って。という形で各々が自由に過ごしているのが現実だ。

 お陰で、祭りと喧嘩はなんとやら。では無いがアレックスを含む全ての騎士や衛兵は、まずもって過労死必須の社畜業務を要求される。


「おー! 姉貴見ろよ! 祭りじゃん! 始まったら見に行くしか無いっしょ!」

「そうねぇ、時間と許可が出来たらねぇ」


 悪魔二人も、華やかな街の雰囲気に中てられて興奮している。

 ナターシャは普段通り気だるげだが、道行く人々の楽しそうな表情に頬が少し緩んでいる。


「うぷっ……年寄りにこの人混みはキツイね」

「申し訳ありません。確認不足でした、まさか馬車での通行規制が起きる程の騒々しさだとは……」

「良いさ、アンタは悪くないよ。アタシが人混みに慣れてないだけだから」


 街の東西南北を繋ぐ架け橋付近は、馬車で乗り込むほどが出来ない程の騒々しさで、一行は一旦徒歩で、人混みが納まる市街地の方まで歩くことにしたのだ。

 人混みに揉まれながらも街の雰囲気を肌で感じられ、若者達は色めき立つ。


「お母さん、はぐれたら危ないからしっかり摑まっててねー」

「それは勿論ですが、ちゃんと前を見てくださいってほら! 危ない!」

「うわっ!? ごっごめんなさい!」


 後ろ向きで歩いていた所為で人にぶつかってしまうセシリア。マリアの方ばかり気にして注意散漫になっていて、危なっかしい。

 どこかぼんやりしていたマリアは、危なっかしいセシリアの手をしっかりと握るとその隣に並んだ。


「しっかり握ってますから、気を付けて下さいね」

「へへ、ごめんごめん」


 困った様に微笑むマリアの指に、セシリアは自然と五指を絡めた。そしてそのまま、彼女の言いつけ通りきちんと前を向く。


 一行は人混みから少し外れた所で、改めてこれらの行動を話し合う。


「さて、ではワタクシ達は先にお姉さま方の所へ向かいますわね。貴女達は来ても仕方無いでしょうし、暫く観光してても良いわよ。ただし……そうね、余裕を持ってティーブレイクの時間には、中央時計台に来てくれるとありがたいわね」

「分かりました、三時にあそこに居れば良いんですね」

「えぇ、恐らくそれ位には終わるでしょうし。もし遅れるようでも連絡を入れるので、時間厳守でお願い致しますわ」


 クリスティーヌは悪魔二人とヴィオレットを引き連れ、白亜の城へ。

 アレックスは未だ作戦中の隊に合流しに。

 残されたのはセシリア含む庶民組。


「よーし! 観光だー!」

「デース!!」


 初めての土地に諸手を上げて意気込む若者二人を、アイアスが呼び止めた。


「悪いけどセシリアとマリアは少し時間をくれるかい? 会わせたい人が居るんだ」

「まじですか師匠。はぁ、まぁお母さんが良いなら」

「私は構いませんよ」


 折角これからデートだと意気込んでいたセシリアは、アイアスのお願いにあからさまに嫌そうな表情を浮かべる。それでもアイアスの頼みだから断る気は無いようで、マリアの同意が得られると踵を返した。


 一人残されたヤヤは、耳と尻尾をペタンと垂らしながらおずおずと覗き込んで来る。


「えっと、ヤヤも着いていっていい奴デスか?」

「あ~、悪いね……」

「……分かったデス、ヤヤは適当に観光してるから気にしないで良いデスッ」


 申し訳なさげに後ろ髪を撫でるアイアスに、ヤヤはいつも通りのひまわりの様な笑顔を浮かべると、セシリア達に手を振りながら雑踏の中に消えていった。

 少々、気まずげな雰囲気が三人の間に流れるが、咳ばらいをしたアイアスの先導の元セシリアとマリアはどこかへ向かうアイアスの後を追う。


「師匠ー、早く終わったら観光していいー?」

「早く終わったらね」

「だってさお母さん、終わったらデートしよーねー」

「そうですね……()()、しましょうね」

「全くこの子は……まぁ元気なのは良い事だけどねぇ」


 アイアスの呆れ声と、楽し気にマリアの腕に抱き着くセシリアの声が雑踏の音にかき消された。

 デート。という言葉にマリアの表情が曇ったのに気付かず。



 ◇◇◇◇



 陽の光が入りにくい裏路地。

 どれだけ綺麗な街でも、少なからずある裏の部分。

 道の端では幾人もの売春婦が安物のキセルを吸い、賭け事で破産した男が汚い布にくるまって地面に横たわっている。


 饐えた匂いと立ち籠る湿気、それを助長する様にゴミで汚れる道の端々に佇む浮浪者の数々。

 そんな裏路地の一角の酒場、ボビーの穴倉は腐ったゴミの発する酸っぱい匂いさえ気にしなければ、そこそこ美味い酒と料理がそれなりの値段で食べられる、実質的に年中無休でやっている庶民的な店だ。

 最も、庶民的なのは価格だけで、酒場の雰囲気は一般人の来訪を拒んでいる。


【神様にファックを】


 看板には店名の上から被せる様に、ペンキでそう描かれている。

 歪に歪んだ樫の扉は、開け閉めすら容易では無いだろう。

 普段なら日も高いこの時間ですら、屑ポップで作られた一番安い酒で悪酔いした男達の怒声か喧嘩の音が響いているのだが、今日ばかりは【さっさと家に帰ってクソして寝な】と帰る家も無い男達に喧嘩を売りつつ閉店してる。


 多少身ぎれいにはしてるが、どうせ夜になれば汚れるから最低限の掃除だけで済ましてる店内で、二つの影が揺れる。


「ここはしょんべん臭ぇガキの来るとこじゃねぇぞ」


 一つは罅の入った樫の椅子に腰かけ、カウンターに肘を掛けながらカクテルグラスを揺らす大人の魅力を染みつかせた男性の姿。

 輝くような金髪を撫でつけ、引き締まった筋肉を黒いジャケットの胸元を、その身体に刻まれた幾何学的な刺青を惜しげも無く晒している野性的な男性。

 その卓越した筋肉の鎧には幾つものあらゆる古傷が走っており、傍らに立て掛けられた朱槍が、彼が平和な世界の人間では無い事が如実に物語っている。


 低くはあるが若さを感じる彼の声は、隣で軍人よろしく肩幅に足を開いて直立する白髪の少女に向けられている。


「僕は仲介者です。それに、若さを理由にするなら貴方もでは」

「そういう意味じゃねぇよ。後俺は老け顔なだけで、人生経験ならそこらの大人よりたっぷりだぜ?」


 機械を思わす抑揚のない声に男性はつまらなそうにグラスを煽ると、カウンターに肘を掛けながら白髪の少女——フラン——に顔を向ける。

 獰猛な猛獣を思わせる様な翠の瞳に射抜かれて尚、フランの表情は一切変化を見せない。

 人形の様に起伏の無い赤と青のオッドアイが、挑発的な視線とかち合う。


「……つまんねぇ奴。で? 何の用」

「傭兵イライジャ、貴方を雇いに来ました」

「はっ、詰まんねぇ依頼は受けねぇからな?」


 イライジャ。と呼ばれた男性は、粗暴な態度とは裏腹に何処か上品さを感じさせる動きで足を組みかえる。

 冒険家を魔獣討伐や秘境の開拓者とするなら、傭兵は対人専門、戦争の数合わせから暗殺までこと対人戦闘なら何でもこなす荒くれ者達。


 その中でも、傭兵イライジャと言うのは異質である。

 元々、荒くれ者で組織された傭兵は初代勇者によって作られた冒険者組合に食い扶持を奪われた、社会の弾かれ者だった。

 対人と対魔獣は全く違う。

 どれだけ対人戦闘が強かろうが、魔獣や魔物を相手にすれば物の数秒。という事もザラでは無い。


 それでいて昨今は大きな戦争も無く、傭兵業に身をやつしている者は実質的な何でも屋として裏家業の住人となっている。

 表の雑用係を冒険家と言うなら、彼ら傭兵は裏社会の雑用係、と言った所だろう。


 そんな使われるだけだった日陰者の傭兵達が、このイライジャの台頭によって日を追うごとにその立場が強まっている。

 押し付けられた仕事をこなすだけでは無く、一人前に仲介屋や情報屋を介して自分のやりたい仕事を選ぶというスタイルが定着していきつつあった。


 当然、そんな事をしていて依頼をする側の後ろ暗い金持ち達が黙ってる筈も無いのだが、その尽くをイライジャが返り討ちにしてしまったのだ。

 傲岸不遜、我が道を行き、女と酒を片手に喧嘩があれば楽しそうに混ざる。それでいて自らの認めた仕事だけに手を付ける。そんな彼を、傭兵家業の者どもはこう言う。


「【強欲王イライジャ】貴方への依頼は——」

「……へぇ」


 声を潜めているのは、それだけ聞かれたくない内容だからだろう。

 以上で終わり。と一歩離れたフランに対し、イライジャは獰猛な笑みを浮かべる。

 その眼は、新しい玩具を見つけたと言わんばかりに妖しく輝いている。


「良いぜ、その依頼受けてやる」

「では上にそう伝えときます。それと、可能であれば早い内に向かって頂けると幸いなのですが」

「構わねぇよ、最近は碌な仕事が無かったからな。楽しませてもらうわ」


 仕事は終わったと言わんばかりに、フランは締りの悪い扉を押しのけて薄汚い酒場を後にする。

 残されたイライジャは、楽しそうに傍の朱槍を撫でながら見送った。


「任務完了。休息の後移動を再開する」


 誰に言うでも無く独り言を零すフランは、一仕事終えた達成感に少しだけ足並み軽く小汚い裏路地を進む。

 浮浪者も多い饐えた匂いの立ち込める裏路地に、おおよそ似つかわしくない12歳頃の少女。

 【忠犬】と描かれた白いTシャツの上に同色のシャツを羽織り、下は黒いズボン。表情は乏しく右目を覆う傷痕こそあれど、その顔立ちは整っていて身綺麗さも相まって異色を放っている。


 当然、そんなフランが薬物依存者も多いこの場に居て、何のトラブルが無いわけも無く。


「……はぁ」

「へへ、こんな所で何してるんだい嬢ちゃん」

「優しいおじさん達が道案内してやろうかぁ?」


 前後を4人の汚らしい男達に挟まれる。

 多少距離が空いていても鼻に突く饐えた匂いに、さしものフランも不快感に表情を強張らせる。

 今いる場所より少し深くに足を踏み込めば、畜生の穴に涎を垂らしながら腰を打ち付ける男も居るのに比べれば、今目の前の男達はまだ理性的と言える。


 とは言えど、このまま抵抗の一つもしなければフランの一生はここで潰えてしまうだろう。死が救済に思える様な地獄に身をやつすかもしれない。


 周囲を見回して多少暴れても問題無い事を確認したフランは、機械仕掛けの腕を握り込む。


「殺傷行為は認可されていないので命までは奪いませんが、重体程度は覚悟して下さい」

「は? ガキが何言ってんの」

「てかこいつの腕おかしくね? 義手か?」

「どうでも良いだろ、見てくれは良いんだ。高く売れるぜ」

「ごしゅーしょーさまー」


 さてどうやって戦うべきか。にじり寄ってくる男達を前に、フランは一切表情を変える事無く身構える。

 街中と言う制限を前に、フランは一度開いた手のひらを握り腰を落とす。

 彼女の武器を使うには、この場は窮屈すぎる。ただでさえ目立つ事は控えろと命令されているのに、だ。


 いよいよ男達が間合いに入ると、フランは諦めて体術で応戦しようとした所で背後の男達の向こうから幼い少女の声が轟いた。


「吹っ飛ぶデス! ウィンドバースト!」

「ぎゃぁ!?」


 突風が男達を薙ぎ払う。

 突然の事に反射的に右の手のひらを向けたフランだったが、その先に居るのが自分と変らない幼い少女だという事に気付くと困惑気に硬直した。


 人の事を言えるわけでは無いが、目の前の少女——ヤヤ——はおおよそ汚ならしい裏路地に似つかわしくない。

 硬直するフランに対しヤヤは慌てて駆け寄り、所在なさげに中途半端に上がっていた右手を掴む。


「逃げるデス!」

「え?」


 背に男達の怒号を受けながら、フランはヤヤに手を引かれて駆け出した。

 薄汚い路地を右に左に、出口の宛があるわけでは無い様子ながら必死で駆けている。


(彼らは来ていない。でもこの子はそれに気付いてないのかな)


 フランは冷静に背後を見れば、誰かが追って来てる様子は無い。だがヤヤはそれに気付いてる様子も無く、されどフランに彼女を止める意思は無いのか引かれるがまま。

 それから少しして、二人の正面に明るい出口が現れる。

 ヤヤは転がる様にして躍り出て、息を切らせながらも安心したように膝に手を着いた。


「はぁ、はぁ、大丈夫デスか?」

「大丈夫」


 息を切らして大袈裟に安堵するヤヤに対し、フランは表情一つ息を切らした様子も無い。

 念のため路地を振り返っても誰かが追ってきてる様子は無く、期せずして余計な事をしないで済んだ事にだけ小さく息を吐いた。


「はー、超ビビったデース。まさか道に迷った先でこんな事になるとか災難デス」


 乱れた髪や灰色の尻尾を整えながら愚痴を零すヤヤに、フランは一言お礼を言って背を向ける。

 助けてもらった事に感謝こそすれ、必要性は感じないが故のドライさだ。

 そんなフランの背に、ヤヤは慌てて声を掛けて駆け寄る。


「ちょっと待って欲しいデス!」

「何?」

「も、もし暇だったらヤヤと一緒に観光して欲しいデス。実は友達と来てたけど、その友達も用事があって別行動で……一人ぼっちで観光は暇だったデス」

「いや、わた——」


 断ろうとしたフランの言葉は、盛大な腹の虫の産声にかき消される。

 大胆に数秒掛けてなった腹の音が納まると、表情の乏しかったフランの青白い顔が、仄かに赤く染まっていく。


 仕事の為帝国からここまで殆ど休憩なしで移動して来た上、イライジャへの依頼を優先して食事を抜いた所為でフランの胃は限界を迎えていた。


 羞恥に顔を逸らすフランに対し、ヤヤは初め余りの豪快さに目を丸くしていたが、直ぐに安心させる様に微笑む。

 その表情は、手のかかる妹を見る姉の様に穏やかだ。


「折角だからご飯食べるデス。ヤヤもちょっと早いけどお昼ご飯にしたいデスし」


 意気込むヤヤは、余りにも自然にフランの手を握る。


「あれ?」

「っ」


 先ほどと違い、今は平静を保っている。

 だからこそ、握ったフランの手が血の通った肉の腕では無く、冷たい金属の義手だとヤヤも気付く。

 傍目で見れば生身の腕と変らない流暢な動きの義手は、まずもって一般には存在しない。フランの義手は、彼女の主治医でもあるドクターオルランドのお手製なのだから。

 嘗てフランの義手に目を付けた大人たちは、大概が目の色を変えて奪おうとした。それほどに、一度気づけば高価な物だと分かってしまうのだ。


 慌てて手を弾いて距離を取ったフランは、何処かバツの悪そうな表情で小さな唇を噛んだ。

 いきなり距離を取ったフランに、ヤヤは一度払われた手を見下ろすと、ニコっと笑みを浮かべてもう一度手を差し伸べる。


「いきなり触ってごめんなさいデスッ、良かったらヤヤと一緒に遊ばないデスか?」

「へ……あ、いや僕は……」


 まさか笑顔を向けられると思ってなかったフランは、ヤヤの笑顔に狼狽える。

 だが、笑顔と手の間で視線が揺れ……。


「……よろしく」

「デス!」


 おずおずと伸ばされた手を握り、ヤヤは駆けだす。

 その眩しい後ろ姿をフランは羨ましそうに、眩しそうに、焦がれる様に見つめ続ける。


(あったかい)


 感覚など無い筈の鉄の腕が、温もりを感じた様な気がした。


 二人が昼食に選んだのは、足元がガラス張りで水路の上に建てられたレストラン。

 陽射しが足元の水面から反射し、常に美しい水が流れる様子を眺められるレストランに二人は手を繋いで入り、片やフォークを突き刺す様になっていないマナーで、片や最低限のマナーこそあれどぎこちなさを残しつつ食事を進めている。


「お肉おいしーデース」

「……食べ過ぎじゃ?」

「だって~、安くておいしーってなったら食べちゃうデス」


 山の様に重ねられた皿の傍らで、ヤヤは既に何枚目とも分からない厚切りステーキに頬を蕩けさせる。

 それを前に、フランは野菜と肉のバランスのいい定食をややぎこちなくフォークでつついている。


 周りのお客も、ヤヤの気持ちの良い食べっぷりには微笑ましい物を見る様に頬を緩めている。

 気にした様子無くニコニコと肉にフォークを突き刺して食べていく、そんなヤヤを見つめながら視線を気にしてフードを目深にかぶった。


 そんなフランに気付くとヤヤは一口で肉を放り込み、リスの様に口を膨らましたと思ったら一息で呑みこんで手を合わせた。


「ングッ……っはぁ、ごちそーさまデス」

「もう良いの?」

「デスデス。あ、ゆっくりで良いデスよ」

「ん、僕も完食」


 食事を終えた二人は、席を立ち会計へ向かう。

 安いとはいえ、沢山食べた所為でそこそこの金額になってしまった。財布を出そうと懐をまさぐったフランの横で、ヤヤが自信満々に薄い胸を叩く


「ここはヤヤが驕るデス」

「いや、僕は自分で払う」

「ふふ、これでもヤヤは今小金持ちデス。カッコつけさせて欲しいデス!」


 誘ったのは自分だし、クリスティーヌの依頼で獲得した金貨15枚もある。

 幾らかは仕送りに充てるとは言え、偶の贅沢をしても困らない程度には懐が温まってるのだ。


「えっとお財布お財布……」

「……どうしたの?」


 だが懐をまさぐったヤヤは、目に見て分かる程さーっと血の気を引かせると慌てて全身を探りまわす。

 まさか。という言葉が成り行きを見守っていた全員の脳裏に浮かぶ。

 錆びついた人形を思わす動きで、フランの方へ顔を向けたヤヤは引き攣った笑みを浮かべダラダラと脂汗を流している。


「まさか」

「……お財布、無くしたかも……デス…………どどどッ! どおしよぉぉぉデェェェス!?」


 絶叫が響く。

 とりあえずと、慌てふためくヤヤを余所にフランが会計を済ます。

 店内の客にも協力して探して貰ったが、何処にも見当たらない。考えられる場所は店外だけ。


「はは……終わった……皆、ゴメンデス……」


 四つん這いで絶望するヤヤを見降ろしながら、フランは一つため息を吐く。

 まだ昼前で時間に余裕はある。

 膝を着いてヤヤの肩に手を当てて、目線を合わせる。


「探そう。まだ無くして時間は経ってない筈」

「でも……あの道にあるかもデス……」

「そうじゃないかもしれない。少なくとも探して損はない」


 フランの赤と青のオッドアイが、フランの青みがかった灰色の瞳と交差する。その赤い目はどこか()()()()()()透明度で、ヤヤは頭の片隅で見惚れていた。

 真剣な表情に射抜かれ、ヤヤはグイっと溜まった涙を雑に払うと勢いよく立ち上がる。


「デス! めげてる場合じゃないデス! 探して来るデス!」

「うん、とりあえずここまでの道を探そう」

「ありがとデス! やってやるデース!」


 勢いよく飛び出したヤヤは、励ましてくれたフランに満面の笑みを向ける。

 それに答える様に表情の乏しかったフランの眼が、少しだけ柔らいだ気がする。



 ◇◇◇◇



 時計の針がクリスティーヌの指定した時刻へ差し掛かる時、二人は丘上に建てられている荘厳な教会の前の石階段で肩を落としていた。

 悲壮感漂わせるヤヤに釣られ、フランも心なしか肩を落としている様に見える。


「どこにも無いデス……」

「流石に裏路地まで探すのは危ないし……そうなら諦めるしかない」

「うぅ~! ヤヤのバカバカ!!」


 金貨15枚を全部入れた財布を落としたという事実に、胃が引き絞られる様なストレスに襲われる。

 観光ついでに故郷に送ろうと、自分の財布に纏めて入れてしまった過去の自分を恨んでも恨み切れない。


「一応、教会に届いてるかも知れないから寄って行こ」

「困った時の神頼みデェス……」


 金貨15枚と言う大金だ。普通ならそのままネコババされるのがオチだろう。

 藁にもすがる思いで目の前の境界に足を運ぶ。


「すいません」

「あら可愛いお客様、ようこそアマネセル教へ。本日はどのような御用向きで? 禊? それとも祝福? もしくは相談?」

「こっちの子が落し物をしたんです、大金が入った財布を。来ていないですか?」

「お財布……あ、先ほど特務官の方が持ってきたんですが、それでしょうか」

「あるデス!?」


 差し込んだ光明に、ヤヤとフランは顔を見合わせて驚愕の中に喜びを滲ませる。

 別の財布かもしれないという恐怖と共に、もしかしたらと言う気持ちの二人の元に、出迎えてくれたシスターとは別のシスターが訪れる。


 そのシスターは純白の修道服に身を包み裾の大きい頭巾を被った、焔の様な明るい紺の長髪と同色の瞳の、額から二本の角が生える穏やかな雰囲気の鬼人種のシスターが、身の丈を越す重厚で肉厚な十字架を背負っている。


「こんにちは、貴女達の探してるお財布はこれ?」

「デス! これデス!!」


 パンパンに膨らんだ財布はまさしくヤヤのお財布。

 飛び跳ねる様に喜ぶヤヤは財布を受け取ると、大事そうに抱えて頭を下げる。


「ありがとうございますデス!」

「いえ、これも主の導きあってこそ、私は主の教えに従ったに過ぎません。主は全てを見ていらっしゃいます、貴女が善人であったからこその巡り合わせでしょう」


 胸に手を当てながら自らの信仰する神に感謝を述べるシスターに、ヤヤは同じシスターである筈のアラクネアと違う、如何にもなシスター像に少々驚きつつも頭を下げて感謝する。


 その隣では表情に乏しかったフランの表情が、何処か険しくなる。

 その様子にシスターは気付くと、穏やかな笑顔を浮かべたままどうしたのかと問うた。

 何処か吐き捨てる様に、感情に乏しかった声に怒気を滲ませて答える。


「神様なんて居ない。ただ貴女がネコババしなくて、僕達が偶々ここに来たから良い様になっただけ。言わば必然と偶然、そこに神だなんだは関係ない」

「え、ちょっと……」


 折角良くしてくれた人に何という言い草、と慌てて止めようとしたヤヤを、シスターが手で制する。

 先ほどの発言から、目の前のシスターが敬虔な信者である事は直ぐに理解できた。

 だがそのシスターは怒ってる様子は無く、ただ変わらない穏やかな微笑を浮かべている。


「成程、貴女は主の存在を信じないと」

「そんな神様が居るなら、飢えて死ぬ子供はいない。身を売って心を壊す女性は居ない。捨てられて凍死する老人は居ない。神様はいるかもしれない、でもいるだけで助けてはくれない。人を救うのは何時だって人だけ……ってある人が言ってた……」


 苛立ちを抑える様な静かな声は、話している内に段々と熱が冷めて来たのだろう。尻すぼみ、最後は熱くなったことを恥じらう様に右目を覆う火傷痕に手を当てながら視線を斜め下に逸らす。

 元貧民街育ちなのだろうか、その言葉には血を吐くような強い気持ちが滲んでいて、硬直するヤヤの隣ではシスターは穏やかに傾聴していた。


「……成程。それも一つの見解でしょう」


 怒るでも、諭すでも無い。

 フランの八つ当たりを、シスターは静かに受け入れる。

 てっきり反論の一つでも返されると思っていたフランは、シスターの思わぬ返しに思わず顔を上げた。


「怒ると思いましたか? まさか、主の存在を否定するのもまた一つの価値観」

「……」


 価値観・宗教観の多様性。

 貧困層では、神に縋る者が居る中で、神の存在を否定する者も一定数居る。

 神に縋った所で意味が無いと気づいた者達。貧困だからと諦めず、自らの力だけで生きて来た人間は往々にして無神論者である事が多い。


「奇跡と言うのは稀であるからこそ奇跡。万人に等しく主の導きが降りる事は確かにありません。宗教というのは詰まる所、人生を生きる上での道しるべに過ぎないのでしょう。それを自らの意思で選択するのも、また一つの主への奉公なのです」


 胸に手を当てながら、穏やかな声で説教するシスターに二人は黙って耳を傾ける。

 信仰を持ってる訳では無いが、故郷の灰狼の教えを愚直に信じるヤヤは、何処か思い当たる節があるだろう。


「ただ無為に主へ縋る方が居るのも事実で、それを否定はしません。ですが己の足で自らの道を切り進んでいくのも、また一つの試練なのでしょう。私達は主の子であります、子は何時か巣立つもの、我が子の成長を喜ばない親が居るでしょうか……っと、いけませんね、無神論の方には余計な話だったでしょう」


「……いえ、興味深い話でした」


「それは良かったです。では、私はこれで。もしスペルディア王国を訪れた際は王都の大聖堂へ一度足を運んでみて下さい、とても美しい所ですから。それでは申し遅れましたが、私の名はベルナデッタ。アマネセル教の異端審問官をしている司教ベルナデッタと申します。ご縁があればまたお話しましょう、貴女方に主のお導きがあらんことを」


 終始穏やかに微笑んだまま、鬼人のシスター——ベルナデッタ——は重厚な十字架を軽々と背負ったまま立ち去る。

 釣られて二人も後から外へ出ると、暖かく穏やかな午後の風が二人の頬を撫でた。


「……とりあえず、見つかって良かったね」

「デス……あっ! ちょっと待ってて欲しいデス!」

「? って、もう行っちゃった……」


 取り返した財布を大事そうに抱えながら、フランの返事も待たずヤヤは駆けだしてしまった。

 残されたフランは、石階段に腰を下ろすと膝を抱えて眼下に広がる祭りの準備に湧き立つ街並みを見下ろす。


 美しい水路の傍らでお茶を楽しむカップル、微笑ましく飾り付けをする親子、母親に怒鳴られながら笑って駆ける子供達。

 誰も彼もが、今日と言う平穏な日を心から享受している。誰も彼もが笑顔で、輝いて見える。


 それから目を逸らす様に、フランは機械の右手を見下ろす。


 今まで出会った人たちは、フランの義手の価値に気付くと皆目の色を変えた。

 どれだけ笑顔を浮かべても、眼を見れば一目で分かる。

 そんな人々の眼はこう語っている。


『この子供には過ぎた物だ』と。


「……ふざけるなよ……」


 無意識に拳を握る。

 あらゆる物を犠牲に、どんな苦痛をも耐えて手に入れた力を、奪おうとする奴らの眼が嫌いだ。

 見下ろされて、蔑まれて、嬲られて。

 尊厳も道徳も命も未来も捨てて、漸く手に入れた力を奪われて足るものかと。


 ふと、陽だまりの様なヤヤの笑顔が脳裏を過る。

 ふっと、自然と力が抜けた。


「……初めてだったな」


 初めてだった。

 フランの義手の価値に気付いて尚、まっすぐに目を見て来たのは。

 見る者の心を温かくするような、陽だまりの様な笑顔を向けられたのは。


 あの笑顔を思い出すと、凍てついた心がじんわりと温かくなった気がする。

 ぼんやりといつの間にか開いていた右手を見下ろしてると、駆け寄ってくる足音を捉える。


「はぁ、はぁ、お待たせしたデス……」

「何処に行ってたの」

「えへへ、ちょっと……」


 息を切らしたヤヤは、笑顔のまま後ろ手に何かを隠してる。

 殺気は感じないし、何かを企んでるには隙がありすぎる。

 訝しむフランに、ヤヤはそれを差し出した。


「色々手伝ってくれたお礼デス!」

「これは……ミサンガ?」

「デス!」


 ヤヤが手渡したのは、灰色と青の糸で編まれたヤヤの色のミサンガ。

 態々これを買いに行ったのだろう。どうして? と視線で問うフランに、ヤヤは恥ずかしそうに尻尾と耳をパタパタさせながら答える。


「一緒にご飯食べてくれたし、親身になってお財布も探してくれたデス! 正直ヤヤだけだったら多分諦めてたと思うから、感謝しても感謝しきれないデス……」

「それは分かったけど……態々何で」

「えへへ、実はヤヤあんまり友達居なくて……それで、もし良かったら友達になってくれた嬉しいなーって思ったデス」


 恥ずかしそうにはにかみながら、されど言い切った所で「い、嫌だったら良いデス!」と慌てるが、その眼は懇願する様に潤っている。

 その青みがかった灰色の眼に射抜かれて、顔を赤く染めながら何処か不安そうに見つめる表情に、フランの心臓が一つ大きく跳ねた。


「……良いよ」

「本当デスか!? やったーデース!」


 飛び跳ねて全身で喜びを表すヤヤを見つめながら、フランは機械仕掛けの右手を胸に当てた。

 煩い位に、叩きつける様に心臓が動いている。

 命の危機ですらそこまで動かなかった心臓に、フランは困惑の色を隠せない。


「あっ! そう言えば自己紹介してなかったデス! ヤヤはヤヤ! 貴女はなんてお名前デスか?」

「……フラン。ただのフラン」

「フランちゃん! 可愛いお名前デス!」


 名前に意味など無いと思っていた。

 名前など個人を表す記号で、この名前に思い入れなど無かった。

 だけれど、目の前の()()に名前を呼ばれた瞬間、ただでさえ煩かった心臓がまた一つ張り裂けそうに跳ねた。


 そんなフランに気付かず、ヤヤは建て替えて貰ったお金を手渡すと、クリスティーヌの指した待ち合わせ場所へつま先を向ける。


「それじゃ! またどっかで会ったら今度こそ観光するデス! またねー! フランちゃーん」


 大きく手を振りながら、ヤヤは走り去ってしまった。

 その背を呆然と見送りながら、フランは手にしたミサンガを再び見下ろす。


「……ヤヤ」


 また一つ、フランの中に初めてが出来た。

 初めてをくれる友達。ヤヤの名前を噛み締める様に呟くと、フランの口角が少しだけ、ほんの少しだけ柔らいだような気がした。




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