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異変の兆候



 鈍足ながらも進みだしてから数分。一行は未だ50mも進んでいなかった。

 馬のゴーレムが地面を蹴る、乾いた音の代わりに炸裂音が。


「数が多すぎる! 弾が持たないって!」


 車輪が地面を削る軽快な音の代わりに、矢が風を切る軽い音が。


「バーストアロー!! バーストアロー!! っまだまだ増えるデス! 気を付けるデス!」


 手綱を切る鋭い打擲音の代わりに、ナイフが錆びた剣を受け止める耳障りな音が。


「これは危険すぎます! お嬢様は中へお戻りください!」


 旅人が暇を潰す笑い声の代わりに、歌う様な透き通った音が。


「眠る様に沈みなさい。穿て! 氷石の真槍! ベニトアイト! っふぅ……貴女の主を優先する態度は褒める所だけど、戦況を無視してワタクシの保身に走る所は嫌いですわ」


 辺り一面、血と死体で赤黒く彩られている。

 乾いた土は血を吸い、土煙も碌に上がらない。

 肉と脂が飛び散り、鼻を突く饐えた匂いに深く息を吸えば胃が痙攣する。

 一秒が一分にも感じられ、馬車を進める事も叶わなくなった状況に苛立ちが湧き、倒しても倒しても増え続けるゴブリンの数に焦りが込み上げる。


 既にゴブリンの死体は20を越している。にも関わらず、森の向こうから出て来る数は衰える所か、しわがれた老婆を思わせる鳴き声が増えるばかり。


「くっそ! フィーリウスさん! あの悪魔二人も戦えるんでしょ!? なんで出さないの!」


 焦燥と苛立ちで声を荒げながら、セシリアはリロードの隙を狙って突出してきたゴブリンの顔面を蹴り飛ばし、焦りつつも手元だけは正確にリローダーを使って装填すると外へ弾く様にシリンダーを納め、よろけるゴブリンの頭蓋に弾丸を撃ち込む。


「敵か味方も分からない相手の枷を外し、戦闘に参加させろと!? 背中に刃を突き立てられても良いならっ、お好きにしたら」


 二つの指輪の内一つの指輪を光らし、己の宝石魔法で作られたベニトアイトの槍を三体のゴブリンに串刺しにしながら、クリスティーヌは眩しく輝く金色の縦巻きツインテールをたなびかせて挑発的に答える。


 馬車の中で魔力の流れを乱す手錠によって拘束される二人を、戦闘に出さない理由を正論でもってぶつけられたセシリアは飛んできた矢を左手で掴むと、思いっきり振り被って足元で鳩尾を蹴られ蹲るゴブリンの背中に突き立てた。

 そのまま右手一本で純白のリボルバーを構えたセシリアは、真紅の瞳で弓矢を持つゴブリンを照準に捉え、躊躇うこと無く逃げ出した背中を撃ち抜く。


「バーストアロー! バーちゅトアロー!? っ!? もう矢が切れるデス!」

「ヤヤちゃん! ゴブリンのですが使ってください!」

「ありがとデス! ……うへぇ、木の枝の方がマシデス……」


 これで良くまっすぐ飛ぶなと思う様な杜撰な矢に顔を顰めながら、仕方ないと矢を番えるヤヤは必死で車上からゴブリンを撃ち抜いていく。嗅覚の鋭さが仇になって吐き気で手元が乱れる上、倒しても倒しても終わる気配のない足音。

 それを報告する声は、何処か震えている。


「ぜぇっ、ぜぇっ……っはぁ!」


 最前線で柄に鎖で分銅を繋いだナイフを構えるヴィオレットは、殆ど無酸素状態とも言える程、浅い呼吸しか出来ずに激しく交戦している。

 流れる様にゴブリン達の血錆びた武器を躱し、時に膝で喉を潰し、時にナイフで両目を切り裂く。

 足元には幾つもの死体で血の海が出来、少しでも気が抜けば足を滑らせてしまう緊張で無意識的に動きが硬くなってしまう。


 それでもヴィオレットは勢いが弱まって来たのを肌で感じると、後ろに飛び跳ねながらメイド服のスカートをかき上げ、黒いガーターベルトに装着された投げナイフを弓を構えるゴブリンの両目と腔内に投げ放つ。

 声なき悲鳴を上げて地面で暴れるゴブリンを横目に、顔を上げると森の奥からまだまだゴブリンが沸いて来てるのが見えて、汗が滲む怜悧な美貌を苛立たし気に歪める。


「ぜぇ、ぜぇ……お嬢様、ここは無理を通してでも逃げるべきです。この数を相手に4人では流石に抑えきれません」

「そうですわね。ここが森で無ければベリルを使えるのだけれど……でも逃げると言ったってこの道を馬車で駆けられる? 横転すれば更に状況は悪くなるわよ」


 クリスティーヌの猫の様な翠の瞳は、穴ぼこの地面に向けられている。

 馬車で無理に進めば横転するし、かと言って馬車を捨てて走るには先が長すぎる。

 迎え撃つしかないのだが、終わりの見えないゴブリンの大群に他の案が無いか探してしまう位には追い込まれている。


「はぁ、ふぅ……もう弾も尽きるし、そろそろ私も前に出るよ」


 ドパンッ! と一発の銃声を鳴らし、薬きょうを吐きだしながらセシリアもクリスティーヌ達の元へ下がってくる。

 最後の弾丸を装填し、これ以上の射撃は無理と判断しホルスターに納めた。


「ヤヤも、もう矢が完全に無くなったデス」


 既に4人でゴブリンは50は悠に殺している。にも関わらずその勢いを衰えない状況に、四人の表情は暗く荒んでいる。


「はぁ、水魔法を使える方が居れば山火事の心配なく一掃できるのに……無い物ねだりしても仕方ありませんわね。ヤヤちゃん、おおよそで良いから数を算出できます事?」

「えっと……足音が多すぎていっぱいとしか分からないデス……多分30位はまだいるデス」


 少なく見積もっても30。その言葉に、三人はどっと身体が重くなった様で疲れた様に遠い目をする。

 弾も矢も殆ど無く、体術でしか相手出来ない状況で、まだ終わらないという事実に、士気が否が応でも下がってしまった。

 だが時間も無く、対策も無く過ごす気は無い様でクリスティーヌは深呼吸を一つして髪をかき上げて、ゴブリンの気配のする森の方を睨みつける。


「そうですわね、ミスセシリア。何か罠に使える物はある事?」

「う~ん……延焼系は山火事が怖いから……足止め位なら。でもトランクを漁らないといけないよ」

「構いませんわ。どちらにしても敵が来ていない今だけが罠を仕掛ける機会ですわ、手伝うので持ってきてくれます?」

「わかった」


 断る理由も無いため、急いでセシリアは後方馬車のトランクに駆け寄り、危険物を纏めたバックから閃光手りゅう弾の出来損ないを取り出す。

 手りゅう弾としては使えず、されど勿体ないから残していたそれに急いで糸を取り付けると、ゴブリンが来るであろう導線に幾つか配置して迎撃態勢を取る。


「これは閃光を出す武器ね。かなり光量は強いから、発動のタイミングは合図するから個々人で対処して」


 セシリアの搔い摘んだ説明でも3人は真剣に頷き、生唾を呑んでその時を待つ。


「……来るデス」


 地面に膝を着いて接近を警告するヤヤの言葉に、セシリアは拳を構えて目を凝らす。

 影が見えた。幾つもの、うぞうぞと揺らぐ影が。

 声が聞こえる。ぎゃあぎゃあと騒がしい金属に爪を突き立てた様な声が。


 その姿がより鮮明に見えると、彼女達はゴブリンらの持つソレに気づき、三者三様に目を見開き、息を呑み怒気を滲ませる。


「……あいつら……」

「下衆が」

「……」

「……何デス……あれ……ふ、ふざけるなデス!!」


 ゴブリンらが持っているのは、尊厳を、命を、倫理を踏みにじられた女性達の姿。

 憔悴し、満身創痍で「殺して」と掠れた声で呟くだけの女性達を、亜人も、人間も問わず木の板に張り付けて接近してくる。


 肉の盾を構えるゴブリンは、まるで「こうすればお前らは躊躇するんだろう?」とでも言うように、にやにやと醜悪な顔を更に歪めている。


「魔物と、ゴブリンと言えど命あるのもだからと、せめて一息にその命を手折って差し上げようと思ってましたわ……ですが」


 表情の一切が削げ落ちたクリスティーヌの、地を這う様な声が響く。

 一歩、また一歩と近づくそれらに、クリスティーヌは指に嵌められたベニトアイトの宝石に魔力を流し、青白く輝かせる。


「認識を改める必要がありますわね。あれは介錯が必要な命ではありませんわ。畜生にも劣る、ブタですわ!!」

「今っ! 目を瞑れ!!」


 クリスティーヌの咆哮と同時に、ゴブリン達が罠にかかる。

 瞬間、幾つもの閃光がゴブリンの足元から襲い、50はあるゴブリンの大群は一気に慌てふためき烏合の衆と化す。


「醜悪なブタにその身をもって罪を刻みなさい!! ベニトアイト!!」


 クリスティーヌが腕を振り抜くと、無数の氷の様な宝石の槍がゴブリン達に雨の様に降りそそぐ。魔力の持つ限り生成と射出を繰り返すクリスティーヌの攻撃を起点に、三人も地面を蹴って肉薄する。


「死ね!」


 一番最初にたどり着いたのはセシリア。

 彼女は肉の盾を片手に、慌てふためくゴブリンの顔面に飛び蹴りを放ちその首から鈍い音を鳴らす。

 着地と同時に手早くナイフで紐を切り女性を解放すると、両脇に女性を抱えて急いで戦場から少し後方の木に凭れ掛け、再度突っ込んだ。

 元々の力の強さと、身体強化で更に底上げできるセシリアだから出来る事。


 ズムッ! っと土に大きく足跡を残しながら踏み込むセシリアは、駆けだした勢いのままたった一撃でゴブリンの首を、背骨を、頭蓋を体術で持って破壊する。

 そしてすぐさま女性を抱え、後退。そして突進。瞬く間に肉の盾は数を減らし、また前線のゴブリンの数も目減りしていった。


「ふっ! はっ!」


 被害女性を救う事よりも敵を倒す事、危険性の高い敵を倒す事を優先したヴィオレットは地を滑る様に地面を駆けると、後方で弓を持っているゴブリンに飛び膝蹴りをお見舞いし、着地と同時に喉笛を踏み潰す。

 すぐさま身体を捩じり、慌てるゴブリン達に向かって遠心力を乗せたナイフを振り下ろした。


 閃光の効きが甘かったゴブリンの一体が、背後から慌ててナイフを振り下ろすが、その身体が突然空中で制止する。

 自分の身体が何かに縛られるように動かない事に困惑するゴブリンは、己の身体に木々を支えに幾つもの糸が巻き付いているのに気付く。

 だが気付いた時には遅く、段々と糸が絞められ、ヴィオレットが左手を握り込みながら引くと同時に関節に食い込んだ糸がゴブリンの身体をバラバラに刻みこむ。

 そのまま、体術と魔法による糸を駆使してゴブリン達に混乱から立ち直る隙を一切与えず蹂躙していく。


「うりゃぁ! デス!!」


 セシリアやヴィオレットの様な、派手さや力はヤヤには無い。

 一体のゴブリンを倒すのにも、突進するようにナイフを突き刺して漸くと言った様子。

 元々、弓矢がメインのヤヤは12歳と言う小柄さも相まって力はそこまで無い。

 だがそれでも、同じ女性をあの様に尊厳も何もかもを踏みにじる残虐性を見せるゴブリンに対して、怒りだけを原動力に泥臭く、肉を裂く不快感も、鼻につく饐えた匂いも、こみ上げる酸っぱい物も押し殺して、尻尾を逆立てて戦う。


「ギャギャ!」

「っ!? デス!」


 一体のゴブリンに集中しすぎて、背後からゴブリンに組み伏せられてしまう。

 突然の事にナイフが滑り落ち、ゴブリンが振り下ろすナイフを寸での所で腕をつかんで抑えるも、その切っ先は眉間に注がれていて、体格的には殆ど拮抗してるとは言え徐々にその切っ先はヤヤの視界に迫ってくる。


「ふぐぐ~~!! で~~……!」

「ギャッ! ギャ~……ギャ!?」

「ェス!?」


 とうとう視界一杯に切っ先が広がり、目尻から涙が垂れたヤヤを嘲笑うゴブリンは突然、横合いから飛来した氷の槍に脇腹を貫かれながら派手に吹き飛んでいく。

 ホッと一息つきながら、魔力の使い過ぎで顔色を青くするクリスティーヌに手を振ってお礼を言うヤヤは慌てて立ち上がるが、その耳が一つ跳ねると何かの音を拾う。


「二人共! 何か来るデス! でっかい何かが!」

『!?』


 ヤヤの警告に二人は慌てて周囲に気を巡らすと、足元から振動を感じる。

 地震の様な長いものではない。何かが、何か巨大で重厚な何かが走って来るような断続的な振動。

 木々をなぎ倒しながら、その何かは近づいてくる。


 咄嗟に二人は本能的に危機察知すると、慌てて地面を蹴って街道の方へ駆け出した。


「ブモォォォォォォォォォォォォォォ!!!」


 殆どそれと入れ違いになる様に、直前までセシリア達が居た場所。ゴブリンの群れに完全に興奮している一角象竜が現れる。

 灰色の鱗に包まれ、四足歩行の筋肉の塊の様な巨大なそれは、目を血走らせながら額に着いた長い角を振り回してゴブリンを道端の石の様に蹂躙していく。


 温厚な筈の一角象竜の荒れ狂った姿に、その生態を良く知るセシリアとヤヤは目を見開いて驚愕する。


「なんで一角象竜があんなに怒ってるデスか……」

「何でって……一角象竜がキレる理由なんて一つしかないでしょ」

「まさか!?」


 一角象竜が温厚と言うのは、少しでも魔獣に明るければ常識と言える。

 岩場と間違って恋人がピクニックをしていて驚いただとか、偶々森で遭遇した一角象竜に果物を上げたら懐かれた。だの、その温厚さ、人懐っこさを強調する実話は多く語られている。

 国によっては一角象竜を幼い頃から調教し、戦車に仕立て上げている所もあるなど、魔獣と一括りにするには人類にとって友好的すぎる。


 だが本質は魔獣。

 だからこそ、一角象竜の逆鱗に触れる事はあらゆる国で禁止されている。個人を守る為では無い。環境と、街を守る為だ。


「確か……子を、家族を害されると一転して狂暴化するのでしたわよね」

「うん、私も一度戦って事あるけど、あれは魔獣なんて言葉じゃ収まらないよ……文字通り、自然の化け物だよ」


 セシリアがB級に上がったきっかけである戦闘。

 密猟者が、禁忌の森の一角象竜の子供を誘拐した事で一角象竜2頭が街にまで追いかけて来たのだ。

 それに対して、全冒険家と全衛兵を投入して、3時間掛けて漸く二頭を殺す事が出来たが、最終的に死者、重傷者は20を越し、外壁も大きく抉れ森の生態系に一部乱れが生じる程だった。


 その時の事を思い出したのか、リボルバーを引き抜きながら深刻そうな表情をするセシリアの背中に、嫌な汗が滲む。

 ヤヤも慌てて死体から使えそうな矢を回収して構えるが、その手は震えている。

 二人の様子を横目に、木々をなぎ倒しながらゴブリンを蟻を踏み潰す様に暴れながら事もなげに殺す一角象竜を見て、クリスティーヌとヴィオレットは疲れ切った身体に鞭を打って背筋を伸ばす。


 そして、ゴブリンの殆どが死滅すると一角象竜の眼がセシリア達を捉えた。

 セシリア達に狙いが移ったのを理解すると、一行は何が何でも迎撃しようと構え出す。


「一角象竜は基本的に単調な攻撃しかしないけど! 一撃食らったら致命傷だから絶対避けて!」


 100㎏を優に超す体重で、全身は筋肉の塊だ。

 額の一角を突き出しながら突進してくるだけで、地面が激しく揺れその脅威を物語っている。

 まっすぐ突っ込んで来る一角象竜に対し、一行は大きく横に跳ねて側面から攻撃をする。


「っ! ベニトアイト!」

「バーストアロー!!」


 氷の槍と風の螺旋を纏わせた矢が、両サイドから一角象竜の横っ腹に突き刺さる。


「ブモォォ!?」


 だが片や魔力不足で吐き気を堪えるクリスティーヌ、片や単純な威力不足のヤヤ。

 鱗を貫き筋肉を抉るが決定打にはならず、返って興奮させるに終わった。


 歯噛みする二人の代わりに、ヴィオレットとセシリアが肉薄する。


「ヴィオレットさん!」

「2秒です!」


 ヴィオレットが手を伸ばすと、指先から幾つもの傀儡魔法によって生成された半透明の魔力の糸が一角象竜に纏わりついて拘束する。

 だが一角象竜が身を捩らせるたび糸は千切れ、ヴィオレットの腕から鮮血が噴き出る。それでも、歯を食いしばって耐えるヴィオレットの作った時間を無駄にしないように、セシリアは暴れる一角象竜の額に飛びつくと、角を掴みながら眉間に銃口を突き付けた。


「おりゃあぁぁぁ!!!」


 叫びながら引き金を引き続け、乾いた銃声を連続して五つ鳴らすとヴィオレットの限界が来て、一角象竜は大きく身体を振ってセシリアを吹き飛ばす。


「やった!?」


 50口径炸薬徹甲弾をゼロ距離で眉間に全弾ぶち込んだんだ、地面に投げ出されながらも受け身を取るセシリアは確実に殺した筈だと顔を上げる。


「ブモッ……ヴォォォォ!!」

「嘘でしょ!?」


 だがセシリアが見たのは、眉間を大きく抉られながらも血走った目で暴れる一角象竜の姿。

 既に特徴的な立派な一本の角は、根元の肉が抉れて骨が露わになってるにも関わらず、一角象竜は息絶える様子を見せない。

 けた外れの生命力と、完全に弾切れという最悪の状況にセシリアは悔しそうに顔を歪める。

 せめて出血死させるまで耐えようと地面を蹴るセシリアだが、一角象竜は何故かセシリアに背を向ける。

 その狙いの先は、


「そっちにはお母さん達が!」


 マリア達が乗っている二台の馬車が。

 他の三人もそれに気付き、慌てて気を引こうと攻撃の手を再開する。


「っ!? 山火事を恐れる場合では無いですわね! 起きなさい! レッドベリル! 美しき情熱の華を咲かせなさい!」

「全力全注! 魔力全部もってけデス!! バーストアロー!!」

「少しでも軌道が逸れれば! マリオネットロマンス!!」

「ふざけるなぁ!!」


 クリスティーヌの紫がかった赤い指輪が光ると、正面に幾つもの炎の薔薇の華が咲き乱れ、激しく燃え盛りながら行く手を阻む。


 ヤヤはやけっぱちにと弦を弾く。全魔力を乗せた一撃は通常のよりも螺旋の勢いは激しく、大気すら削りながら肉を削ぐ。


 ヴィオレットは傀儡魔法による魔力の糸が、周囲の木々を支点に一角象竜の手足に纏わせ、筋がボロボロになった腕で必死で耐える。


 更に身体に魔力を流して身体強化を重ね掛けしたセシリアは、強化しすぎて目鼻から血を溢れさせ、筋肉の筋が千切れる音を聞き流しながら一角象竜の正面に立ちはだかる。


「ブモォォォォォォォォ!!!!」

「っおぉぉぉぉ!!」


 必死の抵抗を見せる4人だが、それすら殆ど効果を見せず一角象竜は一切速度を緩めず、その角を突き出したまま突進する。

 最後の砦のセシリアが、全力でその角を掴んだ。

 強烈な摩擦によって指ぬきグローブは爛れ、踏ん張るセシリアは地面に深い線を彫りながらも必死で耐える。

 このまま耐えれば止められる。確かに勢いを削げた事にセシリアの中で僅かな希望が生まれた瞬間、ぬるり。と手が滑った。


「っ!? ゴフ……」

「セシリアちゃぁん!?」


 必死で耐えていたにもかかわらず、角に付着していた血で滑った角が、セシリアの腹部を貫通する。

 背中に角を生やしたセシリアをそのままに、勢いを取り戻した一角象竜はマリア達が乗る馬車へ突進し続ける。


「とま……っれ! と“ま”れ“ぇ”ぇ“ぇ”!!」


 血を吐きだしながら、鬼気迫る表情で吠えるセシリアは痛みに堪えながら必死で抵抗する。

 痛いいたい。

 血の涙を吐きながら、必死で抵抗する。その度に傷口が抉れ鋭い痛みが走るが、それすら吠えて踏み潰す


「マリア様を守れ。処女の偏愛ぃ……」


 眠そうな、間延びした声が響く。

 決して大きくない声。

 だが音が遠くなったセシリアの耳は、はっきりとそれを捉えた。


 それは呪文。

 その言葉に続くように、セシリアは視界の端で火花が空中を走るのを捉える。

 火花は宙に線を描きながら、一角象竜の額に触れた。

 セシリアが知覚できたのはそこまでだ。


「お姉さんの魔法はぁ、あらゆる組織を破壊する激情の毒ぅ」


 一角象竜の額の抉れた場所に火花が届くと一角象竜の身体の中から肉が泡立ち、ボンッ! っと体内で爆発する音が鳴った。

 そのまま突然糸が切れた様に、一角象竜は突進の勢いを残したまま地面に倒れ込み、痙攣をしつつも完全に沈黙する。

 突然の事に、息を切らせながらも思わず目を逸らしていた三人は何が起こったのかも分からず呆けてしまう。


「セシリアぁ!!」

「馬鹿! 戻りなマリア!」


 いつの間にか投げ出されて血の海に浮かぶセシリアの元へ、マリアがアイアスの制止を振り切って馬車から飛び出して駆け寄る。

 叫びながら、目を見開き足を縺れさせながらも一直線にセシリアの元へ駆け寄り、灰色のカーディガンが血で汚れるのも厭わず半狂乱になりながらセシリアを抱きかかえた。


「セシリア! セシリアぁ!?」

「ゴフッ……だい、じょぶ……っ!?」

「あぁセシリア! い、痛いですよね!? ごめんなさい! い、今何とかしますから! アイアスさん! セシリアが!?」

「落ち着きな! 娘の魔法を忘れたのかい!? いいかいセシリア、落ち着きな。即死する傷じゃない、落ち着いて、ゆっくりと息を吐きな」


 焦燥に震えながらも、アイアスは努めて冷静さを保ちながらセシリアの肩に手を添えて語り掛ける。決して興奮させないように、セシリアを助ける為に。

 泥の様な血を吐きながら、遠い目をしたセシリアは何とか頷き、掠れた虫の息で魔法を発動させる。


「……ぉれ」


 血を吐きながら無理やり笑みを作るセシリアに、涙を流しながら慌てるマリアは完全に混乱している様子。

傷に触れて痛がるセシリアに更に慌ててあたふたとしている内に、セシリアの傷は()()()()()()()完全に塞がり、痛みから解放されたセシリアは疲労感と共にほっと一息ついて身体を起こした。

慌ててマリアが止めようとするが、それをセシリアは笑って抑える。


「ダメです起きちゃ! 傷が……」

「はぁ、ふぅ……治したから大丈夫。だから落ち着いて?」

「あ……す、すみません。ちゃんと隠れてたつもりだったんですが、貴女が貫かれてるのを見てしまって……」


 二人のやり取りの外で、アイアスはほっと一息つくとセシリアの目礼に肩を竦めて答える。

 しゅんと落ち込むマリアの、血で汚れた手を握りながらセシリアはむず痒そうに微笑んでいると、背後から誰かが馬車を降りる音が聞こえ振り返った。


「姉貴~、俺のも外して欲しんだけど……」

「自分で何とかしなさいよぉ」

「無理だって! 魔封じの手錠を魔力を流してぶち壊す様なゴリラパワーは無いの! 俺がそんな魔力無いの知ってるっしょ!?」

「はぁ……」


 馬車から降りて来たのは、黒いビキニと沢山のベルトで青い肌の情欲的な肉体を、煽情的に晒す、黒髪癖っ毛の眠た眼の妖艶な悪魔のナターシャ。彼女は魔力の流れを乱す手錠を外している。


 彼女の後に続くのは、パーカーと緩いズボンを履いて前髪の中央を上げた黒髪の悪魔、エロメロイ。彼は手錠に魔力の流れを乱され気持ち悪そうにしてたが、ナターシャによって外されると気持ちよさそうに伸びをした。


 そこで立ち直ったクリスティーヌが、ヴィオレットに支えられながらふらふらと顔色悪く立ち上がって二人を睨みつける。

 その眼は敵を見る様に鋭く、確かな威圧感がある。


「助力には感謝しますが……余計な事をすれば敵対の意思ありとみなしますわよ……」

「魔力切れてるじゃなぁい。大人しくしてた方が良いわよぉ? お姉さん達は立場を理解してるしぃ、協力的だからねぇ……弟ぉ」

「っす」


 柳に風と降参のポーズをしながら肩を竦めるナターシャの言葉に、エロメロイは地面を蹴るとクリスティーヌ達の背後に回り込む。

 咄嗟に身構えるクリスティーヌ達だが、エロメロイは自分たちに背を向けていて、かつその視線の先にはもう一体の一角象竜が森から顔を出している事に気づき表情を強張らせる。


 一体ですら真面に対処できなかったのだ、既に4人は満身創痍で疲労によって立ち上がる事すら厳しい。

 それでも歯を食いしばって身構える四人に、エロメロイは肩越しに振り返って苦笑する。


「流石に、年下の女の子戦わせるってのは性に合わないんでね。最後位は任せて欲しいっしょ。ま、協力の証だとでも思って欲しいじゃん?」


 言うが早いか、エロメロイは首を回しながら一角象竜に対して一歩近づき、糸の様に細い目を苦笑するように垂らす。


「ヘルベリアちゃーん、出番っしょ」


 呪文を起点にエロメロイの足元の影が揺らめき、意志持つように彼の開かれた右手に集まり、瞬く間に巨大な漆黒の鎌に移り変わる。

 一角象竜も彼が敵だと認識したのか、足を幾つか踏み鳴らすと鼻息荒く突進した。


「っと」


 それに対して彼は慌てる様子を一切見せず飄々と鎌を肩に構えると、地面を蹴り宙を舞い、猫の様な柔軟さで空中で身体を捻りながらその首に鎌を振り下ろす。


 たった一刀。

 振り下ろされた鎌が、まるで豆腐でも切るかのように一角象竜の太い首と胴を離した。

 あれほどクリスティーヌ達が手も足も出なかった一角象竜を、事もなげに倒したエロメロイに、疲労と魔力不足で顔色を悪くする4人は再度唖然としてしまう。


 それを横目に、疲労で表情を歪ませながらもマリアに抱きかかえられるセシリアとナターシャの視線がかち合う。

 あの攻撃がセシリアか、マリアを助ける為に放たれたものだと頭の片隅で理解してるセシリアは、ナターシャの黒白目に浮かぶ眠そうな真紅の瞳を問う様に見上げる。

 一体お前は敵なのか、はたまた味方なのか。


「あの……二人共……」


 不安そうに二人へ視線を泳がすマリアの声が、張り詰めた空気を破る。


「怪我は……」


 ついっ。と、滑る様に気だるげな声が、戦闘が終わり葉擦りの音だけが響く、血まみれの街道に響く。

 しまったと言う様に眠そうな顔を歪めると、ナターシャは踵を返して元々乗っていた馬車に帰ってしまう。


 会話をする事は叶わなかった。

 だが、漏れた言葉は確かに二人を心配する言葉。

 マリアは、何か言いたげにナターシャの乗り込んだ馬車を見つめ続けた。


「ヤヤちゃーん。何か聞こえる―?」

「え? あっ……何も聞こえないデス! 終わった! やっと終わったデス!」


 ペタンとへたり込むヤヤは、慌てて耳を立てて周囲を探る。

 葉擦れの音と己の荒い呼吸音以外せず、ゴブリンも一角象竜も何も居ない事を悟ると喜色を滲ませて全員に伝え、硬い地面に大の字になって倒れ込んだ。

 その声を聞いて、漸く他の三人も肩の力を抜く。


「あ“ぁ”~~……ぢがれ“だぁ~」

「お疲れ様です。ケガは大丈夫ですか?」


 マリアに抱きかかえられながら、彼女の胸に頭を預けるセシリアは目を開けるのも億劫と瞑りながら気持ちよさそうに頬を緩める。

 マリアはセシリアの血脂で汚れた蒼銀の髪をなでながら、優しく労う。全身血まみれのセシリアを抱きしめるお陰で、マリアの身体も所々汚れてしまっているがそれを気にしている素振りは一切無い。


「うん、全部治したからね。それよりさ……もっとぎゅってして」

「こう、ですか?」

「うん。ありがと」


 言われるがまま、マリアは自分の豊満な胸に埋める様にセシリアを抱きしめる。

 胸に顔を埋めたセシリアは、マリアの細く柔らかい腰に手を回す。


「次は————から」

「何か言いました?」


 ふるふると顔を胸に埋めたまま首を横に振るセシリアに、マリアはむず痒そうに身を捩らせつつも、撫でる手だけは止めない。

 抱きしめあう二人に苦笑しながら、顔色悪いクリスティーヌは詰襟の軍服の襟元を緩めつつ、ヴィオレットに支えられながらふらふらと馬車の方へ歩きだす。

 彼女が危惧していた山火事は、幸いな事に起こってはいなかった。


「お嬢様、魔力切れで顔色が悪いですね。中で休んで下さい」

「いいえ、ひと段落ついたとはいえ、またアレらが来るかもしれませんわ。早々に移動を再開しますわよ……?」

「んだこの音……空か?」


 その場に響く羽ばたきの音。

 音は空からで、一行が顔を上げると一体の海緑色の翼竜がこちらに向かってきているではないか。

 敵か? と身構えたが、その背に人が乗っている人物にクリスティーヌが気付くと、敵では無いと声を掛けて警戒が解ける。


「君たち! 大丈夫か!? っ!」


 遅いよ……。とその場の全員が肩を落とす。

完全に戦闘がひと段落した場に、翼竜から跳び降りた、返り血を付着させた白銀の甲冑を着込んだ王子様の様な端麗な顔立ちの騎士——アレックス——は、クリスティーヌ達の方へ駆け寄り、その途中で目を見開いて足を止める。


「?」


 ふらふらと、明かりに誘われる虫の様にアレックスはマリアの肩から目を覗かせるセシリアの方へ向かって行く。

 その深い海を思わす目は、抱きしめ合う美しい女性に釘付けされている。


「な、なに?」

「どちら様でしょう……」


 へたり込む二人の前まで近づくと、アレックスは血で固まった地面に膝を着いて、その手を取った。


「一目惚れしました。結婚を前提にお付き合いして下さい」

「あらまぁ」

「へぇ、凄いですね」

「でぇす!?」

「なんだいそれ」

「ひゅー、お熱いっしょー」


 突然の告白。

 その場の誰もが、頬を赤くして成り行きを見守る。

 童話の王子様の様な、美しい騎士の告白。ヤヤは尻尾をぶんぶんと振りながら、顔を両手で覆うが指の隙間から漏れ見えてる。

 セシリアの手を取り、膝を着くアレックスの深い青の眼は真剣そのものだ。


 果たしてその是非や。


「無理。行こ、お母さん」

「え? あれ? え? 良いんですか?」


 手を取られたセシリアは一切頬を染めることも無く、手を払って早々に立ち去って行った。

 残されたのは、呆然と固まるアレックス。

 そして腹を抱えて爆笑するエロメロイと、そうなるだろうなと予想していて苦笑するアイアス、目を丸くするクリスティーヌ達三人。

 非情に居た堪れない空気が、血の匂いに乗って満ちる。


 アレックスの一世一代の突発的な告白は、玉砕に終わった。


「……嘘だろ」


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