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暗闇を照らす激発

 


「ヤヤちゃん! どう!?」

「まだ何も聞こえないし匂わないデス!」

「お二人共! 振り落とされないようにしっかり捕まっていてくださいね!」


 旅館で一夜を明かした翌日、一行は左右を深い森に挟まれた丁寧な整備の入ってない道を、土埃を上げながら安全を考慮した上での全速走行している。

 先頭馬車で馬型ゴーレムの御者をするヴィオレットは、彼女の傀儡魔法で後方の馬車も同時に操っている。そんな彼女が声を掛けるのは馬車の()

 先頭馬車の屋根上に膝を着いて、灰色の狼耳をツンと立てて索敵をするのはヤヤ。自慢の狼耳と灰色の狼尻尾を風に煽られながら警戒するヤヤの青みがかった灰色の瞳は、揺れる馬車への恐怖と周囲への警戒で険しい。

 ヤヤはボレロタイプの上着とシャツを風に煽られ、ホットパンツの裾からスパッツを覗かせ、ワンポイントのゴツイ黄色のスニーカーという仕事着に身を包んでいる。


 そして後方馬車の頭上。蒼銀の髪を真紅のシュシュでポニーテールに纏め、鋭く細められた真紅の瞳のセシリアがしっかりと周囲に目を凝らしている。

 その装いは仕事着で、黒いYシャツを腕まくりし、予備弾が填められたガンベルトを装着し下半身は黒いスキニー。足元は脛まで覆う厚底に鉄板を仕込んだミリタリーブーツ。

 彼女は鍛えられた体幹でしっかりと振動に耐えながら指ぬきグローブを直すと、腋のホルスターを風に煽られて揺れる。


 どうして態々、危険な屋根の上に陣取っているのか、それは急いで抜けようとしているこの道に関係している。


「セシリアー! 大丈夫ですかー!?」

「大丈夫! それより危ないからお母さんは中に戻ってて!」

「分かりました! でも危なくなったら戻ってきてくださいねー!」

「……いや、戦闘が起こったら前に出る以外ないでしょ」


 揺れる馬車から顔を出すマリアへ、慌てて戻る様に告げたセシリアは、その姿が見えなくなると彼女の言葉に苦笑を浮かべる。


 この道は、一行が目指す勇成国へ一直線で向かえる道となっている。だがその代わり、必ず護衛を付けないといけないと言われている。

 その理由は——。


「……魔物かぁ」


 嫌そうに顔を顰めるセシリアの脳裏には、前世のファンタジー物の創作物では定番と言える()()の姿が浮かび上がっている。


 この道は、ゴブリンの縄張りにあるのだ。

 魔物とは、獣が進化した先の魔獣とはまた別の存在と言われている。

 一説によると、魔物とは嘗ての人魔大戦時に、魔界に帰れなかった悪魔の子孫と言われている。

 勿論、クリスティーヌが悪魔である二人に聞かない筈も無く。


『魔物? あー、多分その通りっしょ。魔界にはゴブリンからタイタンまで居るし』


 と、論文を発表すれば、この世界の史実に新たな一ページが刻まれる答えが帰って来た。

 だが目下の問題はそこでは無い。魔物が何由来であろうが、セシリアにとっては一切興味の無い事。

 セシリアの苦虫を噛み潰したような表情の原因は、


(ゴブリンってあれだよね……)


 相手がゴブリンであるという事だ。

 セシリアとヤヤはゴブリンを見た事が無い。

 と言うのも、禁忌の森にはゴブリンは生息していないのだ。


 そもゴブリンとは何か。

 ゴブリンとは、セシリアの持つ愛衣の記憶にあるのと殆ど変わらない。

 緑の肌、そこそこの知能を持つ醜悪な外見の魔物。

 見た目が子供程度のゴブリンから、大人程のサイズがあるゴブリンやオークなども存在する。

 そしてゴブリン共の最大の特徴と言えば、その繁殖力。


 あらゆる種族と交わる事が出来、365日発情期があり、妊娠期間も短いという。全女、全生物の敵とも言える存在。


 だが、生物として自然の中で生きる事に特化した魔獣が多く存在する禁忌の森に置いて、多少の知恵と繁殖力だけが取り柄のゴブリンなど、餌でしかない。仮に居たとしても、人類にとっても害でしかないそれらは、はぎ取る価値も無く見つけ次第殺される。

 黒い悪魔と同じ扱いだ。害あるという点では更に酷いだろう。


 とは言え、今一行が居る場所は禁忌の森では無い。生態系も別のこの森では、浅い層の大部分はゴブリンの縄張りとなっている。

 だからこそ、余計な戦闘をしないで済むならそれが良いと、一行は先を急いでいるのだ。

 因みに、セシリアとヤヤが屋根上に移っている関係で、戦闘馬車はエロメロイとナターシャが、ヴィオレットの監視用のぬいぐるみと同乗し、後方馬車にはクリスティーヌとマリアとアイアスが乗り込んでいる。


 先を急いでいるお陰か、ヤヤとセシリアは特に何かを見つけることも無く、森を出るまで半ば。と言う所に差し掛かる。

 このまま何事も無く終わるか。と気が緩んだ矢先、迎える風で目が乾いて来たヤヤは道の先に障害物があるのを目ざとく見つけ声を張る。


「ヴィーさん! 正面にロープが張ってるデス!!」

「何事も無くとは行きませんか……ヤヤちゃん! 射抜けますか!?」

「やってみるデス!」


 視界の先では、道を横断するように一本のロープがピンと張られている。このまま突っ込めば確実に事故は起こる、だが速度を緩めるには待ち伏せの危険もある。

 ヴィオレットは僅かに速度を緩めながらも、止まる気配は見せない。いざと言う時の為にナイフを用意する。


 だがその前に、屋根上で膝を着くヤヤは装飾の一切ないシンプルな弓に矢を番えると、振動で狙いが定めにくい中で、深く息を吐いて狙いを定め、魔力を集めだす。


「バーストアロー!!」


 螺旋の風を纏わせながら、ヤヤお手製の質素だが芯のある矢は一直線にロープへ向かう。

 僅かに狙いは逸れたが、それでも纏わせた風の螺旋は当たり判定を広げ、見事ロープを排除する。


「やったデス!」

「流石ヤヤちゃん! ありがとうございます!」

「へへへ、デス」


 揺れる馬車の上から、一本のロープを狙い撃つ。相当の技術を要求されるそれを見事達成し、速度を上げたヴィオレットに褒められたヤヤは嬉しそうに後ろ髪を掻く。


「!? ヤヤちゃん! 前!!」

「え——」


 だが褒められて視線を外したヤヤは見えて無かった。そして、正面と地面に集中していたヴィオレットも。

 だから、背後からセシリアの焦った声が聞えた時にはもう遅かった。

 撃ち抜いたロープの少し上に、まるで屋根上のヤヤ達を狙う様に張られたロープがあるのを。そしてそれは、不幸にも背景に溶ける様に塗色されていて背後のセシリアも気付くのが遅れてしまった。


「ぐぇっ!?」

「ヤヤちゃん!? なっ!?」


 振り返った時にはヤヤの腹部にロープが食い込み、ヤヤはくの字に折れ空中に残されてしまった。

 慌てて減速しようとしたヴィオレットだが、何かに気付くと勢いよく綱を引いて車体を横にしながら急停止する。


 当然、後続車軸も同じように急停止し、二つの車内からは悲鳴が漏れた。

 慌ててしがみついて耐えたセシリアは、運動エネルギーに沿ってロープから弾かれ宙に舞うヤヤの落下地点へ勢いよく飛び込むと、己の身体を下敷きにヤヤを抱きしめる事に成功する。


「ぐっ!?」

「デス!? っ~……はっ!? ご、ごめんなさいデス!?」

「大丈夫……それより馬車が止まっちゃったけど……」


 支え合いながら立ち上がる二人は、完全に停止した馬車の方を見やる。

 明らかに人為的に張られた罠だ、待ち伏せされていたのだろう。二人はすぐさま周囲への警戒に移り、それぞれの武器に手を掛けながらヴィオレットの元へ向かうと、馬車から降りたヴィオレットが地面に膝を着いているのを見つける。


「ヴィオレットさん。状況は?」

「ダメですね、余程念入りに準備していたのでしょう。どうやらゴブリンだからと甘く見過ぎていた様です」


 ヴィオレットは膝を払いながら立ち上がる。

 セシリア達も彼女の視線の先を見ると、急停止の理由を理解した。


 地面には幾つもの穴が開いている。

 ほんの小さな円形の、浅い穴だ。

 だが問題はその数だ。点々と開けられた穴は道一面に広がり、無理に馬車が通れば確実に事故を引き起こしてしまうだろう。


 ゆっくりと進むか、穴を埋めるか。

 しかし状況は、選択肢を与える時間すらくれない様だ。


「! 来たデス」


 ピンと立った狼耳が敵襲を告げる。

 ヤヤは矢を番え、ヴィオレットはナイフを構え、セシリアは脇に手を添える。

 左右の茂みが大きく揺れると、その向こうから幾つもの小さな影が浮かび上がる。


「ヴィオレットさん。ここは私達が」

「分かりました。私はお嬢様達に状況を伝えてきます」


 ヴィオレットは状況を伝える為、踵を返して駆け出す。

 それを横目に、セシリアとヤヤは近づいてくる人影を前に戦闘態勢を取った。


 一際大きな葉擦りの音を立てて、それは現れる。

 子供の大きさで、異形である事を証明する緑の肌。醜悪な顔に下卑た情欲を張りつかせ、おおよそ文明人らしさの欠片も無い、汚らしい腰布で中途半端に局部を隠し、各々血や糞尿だろうか、碌な手入れのされていない武器を手にした魔物が現れる。


 それは、ゴブリン。

 繁殖力とそれなりの知性がある、人類の共通の敵である魔物。

 これで利用価値があれば良いのだが、精々が安物の精力剤程度にしか活用方法の無い、まさに害物。


「とりあえず、正面の三体以外には出て来る様子は無いデス」

「様子見って事かな? まぁなんでも良いけど……」


 周囲にまだ敵が控えてる気配はする。ビシビシと視線は感じるのだが、奇襲に成功したとは言い難い状況だからだろうか、正面の三体を除いて出て来る様子は無い。

 セシリアはヤヤに警戒する様告げると、単身でゴブリン三体を相手するために一歩踏み出す。


「流石に森の魔獣より強いとは思わないけど……全力で行くよ」


 周囲を警戒しつつ、腋のホルスターに納められたそれのグリップに右手を添えながら、女だからと醜悪に目を細めるゴブリンにまた一歩、近づく。


「師匠の事を疑ってる訳じゃないけど……壊れませんように」

「ギャギャ!」


 また一歩……と踏み出すセシリアに、ゴブリンの一体が乾いた血の付いた棍棒を振りかざしながら飛び掛かる。

 それに対して一切の回避行動をとる素振りを見せず、セシリアは流れる様な動作でそれを握りしめたまま、右手を突進してくるゴブリンに向けると、人差し指を折った。


 刹那、世界から音が消えた。

 いや、正確には違う。

 骨を震わせる炸裂音が、一時的にセシリアの鼓膜にダメージを与えただけだ。

 その証拠に、一秒もすれば甲高い耳鳴りが脳の奥で響きだす。


 そしてその音の正体は、セシリアの右手に握られた()()の大型のリボルバー。

 全長38.5㎝、重量8.7㎏。

 一つ狼煙を吐く銃口は螺旋を描き、それを覆う銃身は肉厚で太い。所謂ヘビーバレルという奴だ。銃身を補強するそれを付けなくてはいけない衝撃、更におおよそ成人男性でも扱え切れない程の重量を誇るそれが打ち出すのは、ゴブリンの頭蓋に汚い花を咲かせた一発。


 50口径炸薬徹甲弾。

 装弾数は5つ。

 火薬には可燃性の鉱石を粉塵に限界まで詰め、弾丸は破壊力を増す為二重コーティング。

 弾頭は固い装甲をも貫ける円錐型で、内部には液体爆薬を詰め込んでおり、弾丸が対象に着弾すると内部から破壊する。

 刺して壊す。

 自然の化け物とも言える魔獣を相手に、普通の銃では対抗できないセシリアが望んだ、セシリアの膂力があって初めて使える代物。


 その威力たるや、


「完璧だよ、師匠」


 思わず興奮に震える程。

 今までであれば、既にこの時点で嫌な感触はあった。

 だがこの、純白の50口径炸薬鉄鋼弾はダメージを一切受けた様子も無く、撃鉄を倒せば何の抵抗も無く次弾が装填される。


 鼓膜が震える轟音を木霊させると、ゴブリンは下あごから花咲かせ、黄色と黒ずんだ液体をまき散らしながら後方に錐揉みして飛んでいく。

 突然の轟音と共に、痙攣する肉体と化して戻って来た仲間に目を見張るゴブリン達だったが、断続的に放たれた二つの轟音によって一歩も動く事も無く、最初のゴブリンと同じ結末をあっさりと迎えた。


 調子を確かめる様に一発一発再装填しながら、セシリアは轟音に顔を顰めるヤヤに向き直る。


「ごめんヤヤちゃん、私お母さんの様子見に行きたいから任せていい?」

「っ~大丈夫デス……それよりセシリアちゃん。良いんデスか?」


 ヤヤの視線はその手の純白のリボルバーに向かっている。

 セシリアが己の手の内を隠しているのは知っている、不可抗力とは言え魔法の事は話してしまった事もあるが、まだ銃の事はクリスティーヌ達には明かしてなかった。

 それはセシリアも承知の筈なのだが、躊躇う様子は無く使っている。隠すのを辞めたのか? と言外に問うヤヤ。


 それに対してセシリアは肩を竦め、リボルバーをホルスターに納める。


「これからも付き合いのある相手だしね、隠しててもいずれバレるだろうから」


 クリスティーヌとセシリア交わした契約は、セシリアが侍女として身辺警護につく代わり、クリスティーヌはセシリアに戦闘の師を紹介すると言った物。

 隠していてもその内バレるだろう。ならば開き直ってしまった方が楽な話だ。


 再度馬車の上に飛び乗り、周囲の警戒に当たるヤヤに背を向け、セシリアはマリアの居る後方馬車へ向かう。

 丁度、馬車から降りた詰襟の黒い軍服を着込んだクリスティーヌと目が合う。


「状況は?」

「ゴブリン三体を処理。待ち伏せされてたし、周囲に気配はあるけど出て来る様子は無いみたい」

「分かりましたわ。ヴィー、横転しないように進むことは可能かしら?」

「慎重に進めば可能かと」

「よろしい。まずは周囲の確認からですわ。ミスセシリアはレディヤヤと協力して周囲の安全確認、ヴィーは再出発の用意を」


 セシリアから報告を受けたクリスティーヌは、真剣な表情でテキパキと指示を出す

 その姿は慣れを感じさせるもので、確かな頼もしさがある。

 一礼したヴィオレットが足早に離れるのを横目に、セシリアは一言断りを入れてクリスティーヌの横を通り過ぎる。

 リボルバーの事で何か言われるかとも思ったが、何も言われなかった事に肩透かしを覚えたが、名前を呼ばれて振り返る。


「後で、その武器の事を詳しく教えてくださいな」


 猫の様に大きな翠の瞳を好奇心に輝かせながら淑女の笑顔を残し、クリスティーヌは先頭馬車の方へ歩いて行った。

 残されたセシリアはなんと説明しようか、面倒くささを感じながら馬車の足場に足を掛け中に上体を覗かせる。

 急停止によって荷物の幾つかは散乱してるが、目立った怪我は無いマリアとアイアスがセシリアを迎えた。


「大丈夫? お母さ——」

「セシリア!!」

「——うわっ!?」

「怪我は無いですか? どこか、痛い所は……」


 セシリアの姿を捉えた瞬間、マリアは勢いよくセシリアを抱きしめる。

 だがすぐにハッとすると、慌ててセシリアの身体をペタペタと触れて怪我の有無を確認する。

 突然の急停止に落雷もかくやと言う銃声。屋根の上に居たセシリアを心配するなと言う方が無理である。

 セシリアの無事を確認すると、マリアは力が抜けてしまった様で慌てたセシリアに抱きしめられる。


「わわっ!? 大丈夫?」

「す、すみません。ちょっと安心しちゃって……」


 恥ずかしそうにしながらも抱きしめられるマリアは、離れようとはしない。離れがたいと言う様にセシリアの薄い胸に頭を押し付けて、鼓動の音を確認する。

 ドクンッドクンッと、やや早い鼓動の音が生きているのだと安心する。

 いつの間にか、セシリアの腰に手を回すマリア。

 頭一つ大きいセシリアは、彼女のつむじを見下ろしながら柔らかい匂いに包まれて、直前のゴブリンを殺した不快感が霧散する。


 マリアの抱擁に、セシリアも優しく答え、痛い位に抱きしめあう。


「……イチャつくなら後にしてくれ」

「!?」


 アイアスの呆れたであろう声に、二人は弾かれたように離れる。

 完全にアイアスの存在を失念していた二人は、気恥ずかしそうに曖昧な笑みを浮かべながら頬を掻いたり髪を弄ったりしてる。

 流石に見慣れたとはいえ、母娘と言うにはお熱い二人にため息が漏れる。


「し、師匠! 銃ありがとうございます!」

「あぁ。問題は無かったかい?」

「もちのロンです! 大満足の出来でしたよ!」

「なら良かった」


 セシリアの脇のホルスターに収まっているリボルバーの製作者は、当然ながらアイアス。

 安全確認はしたとは言え、いざ本番で暴発しました。となっては錬金術師の名折れだ。ほっと安堵するアイアスは雑談は終わりと気を引き締める。

 それに倣う様に、セシリアも背筋を伸ばす。


「それで、私達はどうするべきだい」

「ゴブリンと会敵して一旦は対処したけど、こっからは鈍足になるみたい。私は外で護衛するから、師匠はここでお母さんを守ってて」

「分かったよ。気を付けな」


 必要な事を、端的に確実に。

 言葉少なに交わした二人は、それだけで満足だと頷く。

 直ぐに立ち去ろうとしたセシリアの裾を、マリアが摘まんだ。


「セシリア、何か……お手伝い出来ることは無いですか……?」


 何が起こってるのか分からないが、危ない事が起こってる事だけは分かる。今まで壁に囲まれた街の中か安全な庵で、戦いとは無縁の日々を送っていたのだ。

 セシリアが強いとは聞いているが、直接戦ってる所を見た事も無く、ただただ不安で仕方ない様子。


 戦いに赴こうとするセシリアに、胸の痛みを堪える様にマリアは摘まんでいない手を胸の前で握って俯く。

 だが自分が手伝える事など無いのは、理解してるのだろう。その声は尻すぼんでいる。


「……お母さん……」


 むず痒そうな表情を浮かべたセシリアは、向き直るとマリアの手を取った。

 そのまま、唇を噛むマリアへ安心させるように下から覗いて微笑む。


「大丈夫だよ、怪我しない……はちょっと難しいかもだけど、死ぬつもりはないから」


 言うが早いか、遠くからセシリアを呼ぶ声が聞こえ慌てて飛び出す。

 残されたのは、あっと手を伸ばすマリアと心配そうにしつつ護身の用意をするアイアスだけ。


 沈痛な面持ちで、マリアは扉を閉める。それだけが、己に出来る事だと言う様に。


 ◇◇◇◇



 同刻。森の深部にて、幾つもの戦闘音と男性の野太い声が響く。

 金属が打ち鳴る甲高い音と、肉を裂く鈍い音が幾つか響くと、途端周囲に静寂が戻った。

 だが、その場に満ちる血と糞尿の匂いが、その場で命を奪う行為が行われていたのだと物語っている。


「ふぅ。一班は周囲の警戒、二班は5分休憩、その後は1班と交代して警戒に入れ。10分後には次に行くぞ」


 清廉な片手直剣についた血脂を払いながら、ゴブリンの死体が転がる洞窟の中で息を吐く騎士達に命令を下すには、切り揃えられた金髪に深海を思わす濃い青い目のまるで物語の皇子様の様な端麗な顔立ちの青年。

 後処理を隣の騎士に任せ、彼は洞窟の端で嘔吐する新人騎士の元へ歩み寄る。


「大丈夫か?」

「うっうぇぇ……ず、ずびばぜん“、隊長……」

「ほら、水袋だ」


 水を溢れさせながら口を濯ぐ彼は、つい先日、勇成国の()()()()【自衛隊】に入ったばかりの新人だ。

 そして彼の背中を擦る美丈夫は、この隊の隊長を務めている、アレックス・ガルバリオ。

 若干20にて騎士爵を受勲し、御年23になるが勇成国では王子様の様な見目も相まって庶民貴族問わず、高い人気を誇っている貴族の次男坊だ。


 新人騎士の様子がひと段落ついたのを確認すると、アレックスの肩に誰かが腕を乗せた。


「さっすが次期勇者候補の第一席様! 20はあるゴブリンも一刀の元に切り伏せる! その剣は芸術の神も見惚れる戦神の如き強さ! お陰で仕事が楽だわー!」

「止めてくれ。俺が勇者候補とか、王家の方々への不敬だろ」


 茶化す同僚の言葉に、不快そうに顔を顰めながら組まれた腕を外すと洞窟の外へ出る様に全体に命令を下す。


 勇者候補。

 それは教会が、各地で頻発する魔獣や魔物の問題に対して、民衆の不安を解消しようと旗頭を立てる為に布告した事だった。

 そしてその最有力候補が、騎士アレックス。

 これは周知の事実となっているが、アレックスはそれを嬉しく思ってる様子は無い。


 茶化した同僚騎士も、戦闘の興奮で思わず口走ってしまったのだろう。降参のポーズをとりながら謝罪すると、全体に喝を入れる。

 それを横目に、アレックスはため息を吐いて肉と血で彩られた道を振り返る。


(ゴブリンが洞窟に住処を持つのはおかしくないし、雌だって居たから分かるが……だとしても多すぎる。近隣で()()()()()()()()()も無いのに)


 彼の脳内では、ここ半年程の魔物や魔獣による被害報告を遡っている。だがどれだけ振り返っても、ゴブリンによる目立った被害は無い。

 多少、新人冒険家が力量を見誤ってゴブリンの巣に踏み込み、返り討ちに遭って身も心も犯されたという話はある。


「隊長、保護した冒険家達はどうします? 民間人は居ない様ですが……」

「女性騎士を付けて首都まで送ってやれ。そこからは精神系の魔法を使えるハーピーが居たろう、あぁそうだ、救護隊の精神科医だ。彼女が何とかしてくれる」


 虚ろな目をした女性数人が、掠れた声でお礼を言いながら女性騎士に連れられ外へ向かって行くのを見送りながら思案する。

 礼を言えるという事は、少なからずまだ被害に遭ってから日が浅いという事だ。五体満足な所を見ても、それは言える。


 ゴブリンと言うのは残虐性が強く、初めの内はただ嬲るだけだったが、ある程度立つと母胎を肉袋の様に扱うようになる。文字通り、肉の袋だ。

 ゴブリンによる被害女性をアレックスは見た事はあるが、騎士について5年近く魔獣や魔物と戦ってきた彼ですら、思わず吐き気を催す酷さだった。

 だからこそ、ただ犯されただけの女性を見て、20を超すゴブリンの量には違和感しか無かった。


「しっかし、2師団を投入しての大規模ゴブリン掃討作戦ってやべーよなー。ただでさえ最近は想定外の魔獣被害もあるってのに」

「……そうだな。どうしてゴブリンが大量発生するようになったんだろうか」

「それこそ想定外だろ。調査はしてるらしいけど、()()()()()()()()様に増えたってのが今の所の仮説らしいぜ?」


 いつの間にか、撤収作業を終えて隣に来た同僚の言葉に反射的に返す。

 今回、ゴブリンを掃討しに来たのは彼らだけでは無かった。

 北と東の二つの地域で、ゴブリンが大量発生しているとの報告を受け、大規模掃討作戦が決行されたのだ。

 だが肝心の、どうして大量発生したのかまでは分からず、彼らはただ言いようの無い不安を抱きながら仕事をしていた。


「それより見ろよ。これ」


 へらへらと笑っていた同僚騎士は、すっと表情を深刻な物に切り替えながら、その手に掴んでいた小さな死骸を見せる。

 四足動物で、額に小さな角がある。ある魔獣の子供だった。

 アレックスはそれが何の魔獣の子供か察し、目を見開く。


「……おいおい、まさかこれって」

「想像通りだぜ。あいつら、一角象竜の子供を盗みやがっていたんだわ。今指令隊に伝令を出したが、最悪どっかで親と遭遇するぞ」


 足元のゴブリンの死体に向かって唾を吐きながら、苛立たし気に吐き捨てる同僚騎士の言葉に、二人は足早に外へ向かいだす。


 一角象竜は基本的には温厚な魔獣だ。

 仮に縄張りに入っても、余程虫の居所が悪くない限り何もしない為、益獣とみなされている所もある。

 だがその本質は何処までも魔獣で、一度彼らの逆鱗に触れると、討伐ランクはAに跳ね上がる。一角象竜の子供を浚い、村一つが壊滅した記録もある程だ。

 何故ゴブリンの巣に一角象竜の子供の死体があったのか、それは定かでは無いが、それを調べる余裕は欠片も無く、ただただどこかで暴れているだろう親への対処を考えなければ行けない。


「隊長! 報告です!」


 洞窟を出たアレックスに、一人の騎士が駆け寄る。

 慌てて来たのだろう、息を切らしている。

 アレックスはひとまず落ち着くよう声を掛け、騎士の息が整うのを待った。


「1.5㎞先の街道で、冒険家らしき複数の女性がゴブリンの大群に襲われてるとの事です!」

「何? 街道は封鎖してる筈だろう」

「それが、向こうに配置してた騎士が持ち場を離れていたらしく……恐らく、その女性達は今回の掃討戦を知らないのかもしれません」


 思わずと言う様に舌打ちが鳴ってしまう。

 当たり前だが、今回のゴブリンの大規模掃討作戦は予め周囲の村や町には布告してる、それに万一が無いよう通行規制も掛けているのだが。職務怠慢のツケは無辜の民に押し寄せた様だ。


「その騎士への懲戒処分は後だ、詳しい場所を教えろ。ステイ、残りの指揮は任せる」

「おっおい! まさか単身で救助に向かうつもりかよ!?」

「作戦行動中だ、隊員を連れてはいけない。後は一か所だけだし、ここまで大した仕事はしてないんだ、体力は有り余ってるだろ?」

「それはそうだけど……っち、分かったよ、他の隊員には上手く行っとく、作戦終了までには帰ってこいよ」

「恩に着る」


 言うが早いか、正確な場所を聞きだすとアレックスは腰に挿した剣を撫でながら、口笛を一つ鳴らす。

 数秒後、彼の元に影が挿した。

 太陽が雲に隠れたのではない、彼だけに影が挿したのだ。

 その原因は、大きな羽ばたきで轟音と風を起こしながら、空から彼の目の前に降り立った一等の海緑色の翼竜。

 3m程の大きさで鞍が付いている、人に飼われている事が伺える一頭のドラゴンだった。

 ともすれば人間などひと飲み出来そうな魔獣を前に、アレックスは優し気に微笑んだまま翼竜の頬を撫でる。


「グルル……」

「やぁフォス。休んでる所悪いね、ちょっとひとっ飛びお願いして良いかな?」

「グルァ」

「ありがとう」


 撫でられ、気持ちよさそうに目を細めていた海緑色の翼竜——フォスフォライト——は一つ甲高く啼くと、膝を折って背中に乗るよう促す。

 するりと滑る様に、甲冑を着てるというのに重さを感じ無い動きでアレックスはその背に乗ると、手綱を引く。すると、フォスフォフィライトは大きな翼を開き、瞬く間に空へ登っていく。


「それじゃ! 後は任せた!」


 返事をする間も無く空を掛けるアレックスを、残された騎士たちは尊敬と興奮に目を輝かせながら見送った。


「ステイ副隊長! 凄いですねあれ! おれドラゴンを飼いならしてる人なんて初めて見ましたよ!」

「ったりめぇよ! なんてったってあいつはこの大陸でも極少数の、竜騎兵の一人なんだからな!」

「ほぇ~。23で騎士爵持ってて、大陸有数の竜騎兵でイケメンで……嫉妬すら起きませんよ……あれ? そう言えばアレックス隊長って、勇者候補に挙がってませんでした?」

「お前それあいつの前で言うなよ、嫌がるから」

「あ、了解です!」


 ステイ自身、冗談と通じる言い方とは言えそれで機嫌を悪くさせてしまった為、余り強くは言えないがそれでも注意する。

 慌てて敬礼する騎士に苦笑しつつ、振り返って未だ呆ける若い騎士達に向かって手を叩いた。


「さーて! 雑談は終わりだ! 残りは一か所! 我らが隊長は姫君を救いに行ったが、俺達は花々の妖精姫ことセレスティの為にキリキリ働くぞー!」


 残された騎士たちは、ステイの冗談に笑い声を上げながら意識を切り替えて歩きだす。

 その足取りは軽いが、皆一様に鎧に血を付着させている。


 因みに。

 花々に囲まれる妖精こと、花屋のセレスティ。

 会う度に飴をくれる御年88の、笑顔が眩しい女性である。


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