裸の付き合い
カポォ……ン。と小気味いい音が、湯気立つ中に響く。
濁りのあるお湯に足先をつけ、マリアはセシリアにエスコートされながらゆっくりとお湯に肩までつかる。
「ふぃ~……」
「ふぅ……気持ちいですね」
「そぉだねぇ……」
母娘共々長い蒼銀の髪をお団子にしている。
マリアが脱力し、そんな彼女に後ろから緩く抱きしめられながら豊満な胸を枕にしてセシリアも弛緩する。
少し熱いが、それでも魂まで染みる心地よい温泉に、この数日で溜まった心労や疲労が全て解されていく。
「凄い! スゴいデス! 泳げるデス!!」
かなり広い温泉の、セシリア達とは少し離れた場所でヤヤは大興奮でバシャバシャと水しぶきを上げてはしゃいでいる。
注意する気も起きず、セシリアもマリアも微笑まし気に眺めている。
「ふぅ。美しい月夜、麗しい美女達、心地よい温もり。最高の肴ですわね」
「お嬢様、呑みすぎないで下さい。ただでさえ仮眠しかとっていないんですから」
「むぅ、ヴィーのいけず」
「いけずで結構です。寝不足で飲酒だってホントはダメなんですから」
むぅ、と可愛らしく頬を膨らませるクリスティーヌは、長い眩しい金髪をタオルで纏めながら、手に持つ軽くなった熱燗を揺らす。
ヴィオレットは濡れた紫のセミロングの前髪をかき上げながら、レモンを漬けた果実水を一口煽る。
「んっ……ふぅ、それにしても……」
おちょこを煽ったクリスティーヌは、マリアの潰れる胸に後頭部を沈めるセシリアを興味深そうに見つめる。
視線に気づいたマリアが、何か? と小首を傾げれば、クリスティーヌは感心したように酒気を帯びた目で口角を上げた。
「肉体年齢が31、と聞きましたが、とてもそうは見えないですわね。と言うか、そこらの貴族よりもキレイな肌ですわ」
「へへ、そうでしょ。お母さんは綺麗なんだよ」
クリスティーヌの言葉に、セシリアは身体を起こすと自分の事の様に胸を張る。薄い胸を。
「そんな、こんなだらしない身体を見ないでください……もうおばさんなんですし」
マリアは恥ずかしそうに両腕で胸を隠すが、その手からは零れてしまう。
マリアの身体は30代と言ったが、とてもそうは見えない。
白くきめ細やかで瑞々しい肌。筋肉の代わりに脂肪がついて少しムチっとしているが、それだってメリハリのついたスタイルには変わらないし、寧ろ豊かな胸と安産型の臀部も相まって母性を感じられる。
男受けする身体でありながら、女性からも羨ましがられる身体を隠すマリアに、セシリアは隣に移動し肩を並べてると安心させる様に微笑む。
「そんな事ないよ、充分魅力的だよ?」
「そ、そうでしょうか……」
「うん。羨ましい位に」
セシリアのまっすぐ目を見つめながら紡がれる言葉に、マリアは顔が火照って上手く目を合わせられなくて顔を背ける。
今まで何度も、セシリアからこういう言葉を言われていて、その時は単純に嬉しいとしか思わなかったが、あの日を境にセシリアの言動や行動に落ち着きを失ってしまう。
暫くの間、深呼吸して心を落ち着かせると、マリアは悪戯心と気恥ずかしさでセシリアの六つに薄く割れている腹筋を指でつつく。
「それを言うなら、セシリアのこの筋肉も羨ましいですよ」
「ひゃはは、くすぐったいよ」
「ふふ、小っちゃい頃からこういうのに弱いですよね」
くすぐったそうにお腹を隠すセシリアのお腹をつつく。
気持ちの良い反応を返してくれるセシリアに、マリアは楽しそうに笑う。
顔を合わせた時の様に鼓動は激しくない、じんわりと心が温まっていく。
「でもほんと、凄い筋肉ですよね」
「ん。まぁ、これでも5年鍛えてるからね」
誇る様にセシリアは二の腕にこぶを作る。
健康的に日焼けしつつ、白さを失っていないセシリアは、16歳だからこそ筋骨隆々とは言えず柔らかさを残しているが、それでも良く鍛えられている事が分かる程にははっきりと筋肉がついている。
羨ましそうに見ながら、マリアは筋肉の一切ついていないどころか、ぷにぷにと御餅の様な二の腕を摘まむ。
マリアだって一緒に鍛えようとはしたのだが、生来の体力の無さか二三回も腕立てをすればダウンしてしまった。
だからこそ10歳から身体を鍛え、今でも欠かさず鍛錬に励むセシリアには尊敬の念を抱くし、そうさせてしまう事に罪悪感を抱いてしまう。
「私も結構鍛えてるつもりだったけど、ヴィオレットさんには比べ物にはならないね」
「ん?」
水を向けられたヴィオレットは、大の字になってぷかぷかと浮かぶヤヤの姿に表情を緩めていたが、セシリアの視線に気づくと首を傾げる。
「ヴィーの身体が、羨ましいと話していたのよ」
「私の? そんな羨ましがる物でも無いと思いますが」
果実水で喉を潤すクリスティーヌの言葉に、ヴィオレットは訝しみながら腕を上げて見下ろす。
セシリアよりもがっつりと付いた筋肉、柔らかは殆ど無く男性的、とまでは言わないが女性としてはかなり異質に筋肉がついている。
二の腕もマリアの倍以上は太く、腹筋もバッキリと割れていて相当身体を虐めているのだと容易に見抜ける。
そして最も印象的なのは、身体中の傷痕だろう。
生傷の類は見当たらないが、切り傷に火傷痕、薄くはなっているが打撲痕。
身体中に残る傷跡は、昨日今日ついた物では無い。
いつの間にかヤヤも傍に来て、クリスティーヌの身体を痛ましげに、でも羨まし気に眺めている。
「バッキバキデス。どうやったらそうなるデス?」
「私も気になるな」
ヤヤは己のぷにぷにした二の腕を眺めながら、耳をぺたんと垂らして呟く。
12歳の少女が、がっつりと筋肉をつける事は難しいだろう。16になったセシリアだって、かなり鍛えている筈なのに柔らかさを残しているのだから。
二人の言葉と傷に触れない気遣いに、ヴィオレットは苦笑を浮かべる。
「今は難しいんじゃないんでしょうか。私が今20ですが、18になるまでは脂肪の方が多かったですね」
生物的、性別的壁だと答えるしかない。
女性である以上、基本的には筋肉がつき難いのだから。
ヴィオレットはその壁を、文字通り血反吐を吐く程の努力で超えたのだがそれ勧めるのは良心に引っ掛かる。
「やっぱそっかー」
「うぅ……カッコいい筋肉欲しいデス……」
理解しているセシリアは特に気負う事も無く、淵に背を預ける。
理解してるから、これ以上無理に鍛えて身体を壊すような事はしない。それでも羨ましいとは思うが。
ヤヤはペタンと耳を垂らして俯く。
ヤヤだって長い狩猟経験や冒険家活動でそこそこ筋肉は付いている。だが比較対象は同年代でしか無く、セシリアやヴィオレットに比べれば筋肉なんて無いと言っても良いかもしれない。
本人なりに鍛えてはいるのだが、12歳の内から筋肉がつく筈も無い。ぷにぷにと弾力のある腕を見下ろしている。
「まぁ、お二人も成長期が終わればもっと筋肉つくとは思いますよ」
「そ、そうデスよね! ヤヤはまだ成長期デスから! おっぱいもちょっと大きくなったデスし!」
「ぐはぁっ!?」
「セシリアぁ!?」
ヤヤの様子を見て、ヴィオレットが慰めるとヤヤはにっこりと立ち直る。
だが立ち直り方が悪かった。成長期を二度迎えてる筈なのに、一度もサイズの変わらない、いや筋肉が増える毎に多少膨らみを増すだけの硬い胸に矢が刺さったように、セシリアは吐血してマリアにしなだれる。
内心ヴィオレットもダメージを受け大人の矜持で耐えたが、遠い目になった所をクリスティーヌに含み笑いされて、恥ずかしそうに口までお湯に沈めた。
「ふ、ふふ……別に良いし……胸とか、飾りですし」
「デデデ、ごめんなさいデス!?」
「よしよし、おっぱいが無くてもセシリアは魅力的ですよー」
「およよ~!」
セシリアはマリアに頭を撫でられながら、豊かな谷間に顔を沈める。
どうして母娘なのに格差があるのか。目つきと言い胸と言い、変な所だけ父親の遺伝子を継いでしまったのだろうか。
「あ、そうだ。ねぇヴィオレットさん」
「はい?」
貧乳とは前世からの付き合いだ、今更本気で傷ついたりはしない。ただオーバーリアクションでヤヤをからかっただけ。
けろっとした態度で立ち直るセシリアは、目を丸くするヤヤに悪戯が成功したような笑みを浮かべると、むぅっと頬を膨らませるヤヤを横目にセシリアはヴィオレットに向き合う。
「ヴィオレットさん、あの時黒龍が来たってどうしてわかったの? 覚えてる限りだと、私が出ただいぶ後に到着した筈でしょ?」
電話なんて無いこの世界、どうやって黒龍があの街に向かっている情報を得たのか、それが気になっていた。フランが無線で会話する様な仕草をしていただけに、もし無線の様な物があるなら是が非でも欲しかったから。
セシリアの問いに、ヴィオレットはクリスティーヌに許可を得る様に見つめると、クリスティーヌは頷いたのでセシリアに向き直る。
「私の魔法、の応用で一足先に封印が破られた事と接近を気付けたんです」
「傀儡魔法だっけ? 操ったり五感を共有する奴」
「えぇ。と言っても、長距離間での使用は特定の条件下のみですが……」
「そっか……」
「それが、どうかしたんですか?」
「あ、いや……ちょっと気になっただけ」
無線的な物がある訳では無いのか、と落胆の色を隠せないセシリア。
それがあればマリアと離れていても状況が確認できるため、マリアを守るうえでは大変役に立つのだが。
「因みに、遠距離でも会話できる道具ってあったりしないかな?」
「さぁ、聞いたことありませんね。お嬢様は?」
「ワタクシもありませんわ。そんな便利な物、喉から手が出る程欲しいですわね」
最もそう言った情報に強そうなクリスティーヌ達ですら知らない存在、セシリアはフランのあの行動を思い出す。
耳に手を当て何やら話す動作。あれはどう見ても無線か何かだろう。それとも、ヴィオレットの様な希少魔法なのか。
兎にも角にも、無い物ねだりをしても仕方ないとため息をつく。
それに、今はあの時の事は思い出したくない。
翳の挿した心から目を逸らす様に、濁り湯の下でセシリアはマリアの手に己の手を重ねる。
セシリアが手のひらを重ねたのだと気づいたマリアは、隣に顔を向けると娘の微笑に翳が挿しているのを見抜いた。
何か悲しい事を思い出しているのだろうか、そんな表情をして欲しくない。と思ったマリアは何も言わず、セシリアの指に己の指を絡め、一歩、身体を近づけた。
ほんの少し肩が触れる程度だ。
でもそのほんの少しで充分だった。
何も言わなくても大丈夫。そう言う様に微笑むと、セシリアの表情は和らいだ。
「……あったかいね」
「ええ、とても」
セシリアはマリアの肩に頭を預ける。
筋肉の一切ついていない柔らかい身体。心の蟠りが全て洗い落とされる温もりに、セシリアは心地よさそうに目を瞑る。
穏やかに肩を寄り添わせる二人を、他の三人は微笑まし気に見つめる。
五指を絡めて手を握っているのは、二人だけの秘密だ。
◇◇◇◇
「ん~! っはぁ、良いお湯でしたぁ」
「だねぇ、めっちゃ身体が解れた。あ、化粧水塗った?」
「えぇ、セシリアがくれたの、ちゃんと塗りましたよ。触りますか?」
満足いくまで、心身ともに心まで解した一行は灯篭の淡い灯りが照らす幻想的な石畳の廊下を歩く。
満天の星空には少し欠けだした満月が鎮座し、蒸気に肌を色づかせる一行は春の程よい涼しい夜の風に撫でられ心地よさを覚える。
「ねぇヴィー、この浴衣いつ購入したのかしら? 確か前回泊まった時は無かったわよね?」
「前回来た時の去り際、閉店しかけた呉服屋があったんです。折角なので立ち寄ったら、掘り出し物を見つけまして……どうやらもう閉まってしまったようですがね」
「そう。良いセンスよ」
「ありがとうございます。美しいですよ、お嬢様」
「貴女もね」
クリスティーヌは鈴蘭の華をあしらった白い浴衣、大してヴィオレットは白百合の黒い浴衣。
クリスティーヌの言葉にヴィオレットは嬉しそうに微笑み、クリスティーヌもひらりと身を翻して上機嫌に鼻を鳴らす。
そしてその後に続く三人は、旅館で貸し出している紫陽花の華があしらわれている青い浴衣。
「うー、尻尾が出せないから何か気持ち悪いデス……」
「私も、少し胸が……もう少し布が欲しい所ですが」
「部屋に着いたら一枚羽織ろ? ね?」
人種用の浴衣な為、尻尾を外に出すとお尻が見えてしまうヤヤはどうしても仕舞わざるを得ない。だが慣れない感覚に不満そうにしている。
クリスティーヌもだが、巨乳組は谷間が覗いてしまう。クリスティーヌは予め予想していたヴィオレットが、カーディガンを一枚羽織らせた為問題ないが、マリアは谷間を晒しながら帰路に着いてしまっている。
マリアは恥ずかしそうに胸に手を隠す所為で、より強調され少ない数少ない通行人が二度見してしまうのだ。
セシリアは周囲の男達を睨みつけながら、極力前に出て身体で隠すようにしている。
男達はセシリアの顔をおっ。と見るが、その胸を見るとあからさまに落胆の色を浮かべるので、尚セシリアの機嫌が悪くなる。
そうこうしている内に自室に戻った一行は、机に並べられる春節料理の数々と、広縁に座るアイアスに出迎えられる。
「お帰り。疲れはとれたかい?」
「うん、師匠はまだお風呂入ってないの?」
「食事を取ったら入るさ。それより」
「わー! 凄いご馳走デス!」
「こ、これ食べても大丈夫なんでしょうか……後で凄い料金請求されたり」
「ご心配なく。既に料金は払っていますわ。心置きなく楽しみましょう?」
アイアスの言葉を遮って喜色の声を上げるヤヤは、戦々恐々とするマリアの言葉にハッとするが、クリスティーヌに優しく頭を撫でられると飛び込むように一番手前の席に座る。
ブンブンと尻尾を振り回す所為で、可愛らしいお尻と綿パンが露わになるが、ヤヤはそんな事は気にせず早く食べたいと一行を見上げる。
出来立ての春節料理の香ばしい匂いに、空腹を刺激された一行はヤヤの姿に表情を緩ませながら倣って席に着く。
熟練の女将のなせる業か、つい先ほど運ばれたばかりの料理は未だ冷める様子を見せず、そして新鮮さを失っていない料理の数々は否が応にも早く食べたいと落ち着きを失ってしまう。
「それでは、食事に致しましょうか。挨拶は私が。慈悲深き主よ、今日も我らが主の子らは主の母なる海の如き深い慈悲でもって、今日も一日の恵みを得られます」
クリスティーヌとヴィオレット、アイアスが長机に座り、対面にヤヤ、マリアにセシリアと座る。
そしてクリスティーヌの音頭で、一同は手のひらを握り込み瞑目する。
「主に感謝と敬愛を」
「いただきます」
一同が挨拶し、その後に続いてセシリアが日本の挨拶をしてしまう。
空気を読んでクリスティーヌに合わせたが、つい普段の癖で呟いてしまった。幸い、クリスティーヌは気づいたようだが何も言わず、ちらりとセシリアを一瞥しただけでフォークを手に取る。
挨拶が終わるや否や、ヤヤは待ちきれないと尻尾をブンブン揺らしながらフォークを握りしめる。
「えー、どれから食べるデスかね~。う~ん、やっぱお肉デス!! はむっ……はふっはふはふぁ……さいっこうデスぅ~」
「あら、この蓮根の天ぷら、新鮮で歯ごたえが良いですね。ねぇセシリア、これ美味しいですよ」
「ホントだ。それにこっちの鯛の白身もほろほろで美味しいよ。はい、あーん」
「んっ……ふふ、本当ですね、とっても美味しい。じゃあお返しにどうぞ」
ヤヤは少々はしたないが、はふはふと頬を落として恍惚と貪る。美味しいデス美味しいデス! と、人生初の高級料理の数々に興奮が最長天にまで上っている様だ。
そんなヤヤを余所に、マリアとセシリアは早速二人の世界を築いてお互いに食べさせ合う。
その所作は美しく、箸を巧みに使うマリアとセシリアは浴衣の雰囲気も相まって清廉な上品さを醸し出していた。
「あら、このシイタケとっても良いわね……ねぇ、ヴィー?」
「ダメです、ただでさえ温泉でお酒を呑んだんです。これ以上は控えてください」
「むぅ、いけず。えいっ」
「あっ!? お嬢様いけません! そんな品の無い事、ていうか私の根菜返してください!」
「あんっ! もう、はしたない子」
「どっちがですか……はぁ」
シイタケを上品に食べるクリスティーヌは、流石貴族と言うべきか所作の全てに品があり洗礼され切って板についている。
成人を迎えて法的には問題ないとはいえ、寝不足と入浴中の飲酒を重ねているのにまだ酒を呑もうと卓上のお酒を羨ましそうに見つめる。
それを察したヴィオレットが制すと、クリスティーヌは可愛らしく唇を尖らせ当てつけにヴィオレットの好物が詰まった根菜の器を奪うと、それを一口食べてどや顔を向ける。
量の少ない根菜を、大事に食べようと思っていたヴィオレットはキッと目を鋭くするとクリスティーヌのお尻をバレない程度に叩く。
食べ物の恨みは恐ろしいのだ。
「賑やかだねぇ……」
騒がしくも楽しそうな光景を、アイアスは孫を見る様に微笑まし気に目を細めてちびちびと焼酎を呑んでいく。
普通、貴族であるクリスティーヌが居れば緊張の一つでもするだろうが、そこは彼女の気質に依るものだろうか皆下品にならない程度にはめを外していて、アイアスの心が満たされる。
「にぎゃぁ!?」
「ど、どうしました!?」
突然のヤヤの悲鳴に、マリアが心配そうに驚いたように身をのけ反らせて顔を顰めて舌を出すヤヤの肩に手を添える。
「ひはをやへほひたへふ(舌を火傷したデス)」
「あら、ちょっと失礼しますね……ホントだ、赤くなってる、とりあえずお水で冷やしましょう?」
えあっと舌を出すヤヤの介抱をするマリアは、涙目のヤヤの背を擦る。
折角の料理なのに、これじゃ気になって美味しく食べられ無いだろうな。と肩を落とすヤヤに、セシリアは手を伸ばしてマリア越しに肩に手を当てると、魔法を使って傷を治した。
「はい、大丈夫?」
「えぁ? あ、治ったデス! ありがとうデスセシリアちゃん!」
火傷が治った事で嬉しそうにお礼を言うヤヤは、お肉をお礼に差し出そうとするがそれをセシリアは拒否する。
お礼を貰う程でも無いと肩を竦めるセシリアは、座り直すとアイアスと目が合う。
その眼はクリスティーヌ達も居るのに、何をしているんだ。と咎めているが、既に知られている事を聞いているのだろう、舌鼓を打って解れていた眉間に皺が寄る。
一言言いたいが、この場の雰囲気を壊すのも憚られる。と言った様子だ。
セシリアも空気を読んで何も言わず、ただ肩を竦めて苦笑すると、アイアスはため息を吐いて食事の手を再開する。
「うおっほん! デス」
だが突然、上座の位置に立ち上がったヤヤにその場の全員の視線が集まる。
全員の視線を一身に集めるヤヤは、緊張にか耳をペタンと垂らし尻尾を振り子のように揺らしている。
それでもしっかりと背筋を伸ばすと、ヤヤはにこっと笑う。
「え、えーっと。本日は、お日様も良くぅ、えっと……」
ちらちらと虚空と後ろ手に隠したメモを盗み見るヤヤは、言い慣れていない言葉を無理に喋ろうとし、噛み噛みで頭を真っ白にしている。
そんな姿に悶え、口をきゅっと結ぶヴィオレットの隣で、クリスティーヌが助け舟を出す。
「ヤヤちゃんお日柄、ですわ。というより、無理に挨拶を丁寧にしなくて良いんですのよ」
「え、あ、あっと。デス! セシリアちゃんお誕生日おめでとうデス!!」
「おめでとうセシリアー!」
「おめでとうございます」
「え、え? ……あ……へへ、そっか。誕生日だったんだ」
やけくそになって満面の笑みで祝福するヤヤを皮切りに、前方馬車組から祝福を送られる。
馬車での道中、過ぎてしまったセシリアの誕生日を祝おうと4人はこっそり計画していた。と言っても、色々あって忘れているであろうセシリアに、食事の機会にでも祝おうという程度だが。
祝われたセシリアだが、本当に忘れていた様子で、暫くきょとんとしていたがマリアの微笑に漸く自分が誕生日を過ぎていた事と、それを祝われているのだと気づいて破顔する。
最悪な事が重なっていたが、今こうして前世の享年を迎えられた事に、じんわりと安堵の様な暖かい気持ちが浸透する。
「セシリアちゃん! これ、ヤヤからのプレゼントデス! 手紙は後で読んで欲しいデス」
「おぉ! ミサンガだ、ありがとうねー」
ヤヤが渡したのは灰色と青の毛糸を使って編み込んだ、一つのミサンガと手紙。
お世話になったお礼と、例え離れても友達である事を忘れて欲しくないという気持ちを込めて四苦八苦しながら編んだ一品。提案したのはラクネアで、長く使える様にアラクネアの糸も混ぜ合わせていて、そこらのミサンガよりも上等な品となっている。
そして手紙。
それは直接話そうとしたヤヤだが、上手く言葉が浮かばないヤヤを案じ、クリスティーヌが提案した事だった。
ヤヤのセシリアへの感謝と、変わらぬ友情を記したそれ。
セシリアは早速ミサンガを、右手首に巻き付けると満足そうに達成感に胸を張るヤヤに笑顔でお礼をお返しする。
「おめでとうございますわ、ミスセシリア。ワタクシからはうちの商会の優待証を」
「? 何の商会?」
「貴女のネックレス、実はワタクシの商会の物なんですわ」
「え、そうなんだ……ありがとう」
次に続くのはクリスティーヌ。
馬車の中でセシリアの誕生日を知った為、用意する時間が無かった彼女はセシリアが己の商会で買い物をするときにお得な書状を一筆したためた。
セシリアが自身の商会で買い物をした事に驚いたが、なにより驚いたのがそのネックレスを選んでいた事だった。
束縛の意味もあるネックレスに、永遠を意味する空色の宝石を付けたそれは、クリスティーヌですら些か重たい為大して売れないだろうと思った品だった。
実際売れ行きは良くないだけにそれを持っているセシリアが、自身で買ったのかプレゼントなのか、意味を知ってるのか聞きたくなったがぐっと堪えた。
「おめでとうございます、私からはこれを」
ヴィオレットが手渡したのは炎の魔法式を付与した5枚ほどの札。
使い捨てで高価だが持ち運びに長け、また魔力を流せば瞬時に起動できる火種として便利な一品。
冒険家であるセシリアだからこそ、実用性に長けた物をプレゼントするヴィオレットらしいチョイス。
「おめでとう」
「あれ~? 師匠はプレゼントくれないんですか~?」
祝言だけのアイアスに、セシリアは場の雰囲気に充てられて態とウザ絡みする。
そんなセシリアに鬱陶しそうに、されど冗談と分かっているから苦笑しつつ肩を竦める。
「あんまり食事時に渡す物じゃないからね、後で渡すさ」
「大丈夫? 爆弾とかじゃない?」
「危険物って点では、間違ってないかもね」
猫の様に目を細めるアイアスの言葉に、戦々恐々とするセシリアは期待と不安に愛想笑いしながら一番大事な人に向き直る。
正面から向き合うと、マリアは心の底から祝福する様に微笑みながらセシリアの頭を撫でた。
「16歳のお誕生日おめでとうございます。大きくなりましたね」
「ふへへ、ありがとー」
心の底から嬉しそうに、一番の笑顔を浮かべる。
世界で一番幸せだという様な、誰が見ても羨ましく思ってしまう程に幸せそうに。
「私からはこれを。気に入ってくれると良いんですが……」
マリアが遠慮がちに差し出したのは、小さな紙袋。
確か去年がネクタイだったな、と思い出したセシリアは不安そうにするマリアに苦笑する。
マリアからの贈り物にケチをつける気なんて更々無いのだが、と思いながらセシリアは期待に胸を膨らませながら箱を開いた。
「お、おぉ~? これは、シュシュ?」
出て来たのはセシリアの瞳の様な濃い赤のシュシュ。
相当高い素材が使われている様で、肌触りは滑らかで天然のゴムが無い世界だが、魔獣から取れる為きちんとゴムが通っている。
勿論、魔獣からな為価値は高く、更に生地も高いのを使っているのか簡単に破れそうにない。
「セシリアってお仕事の時、髪形おろしっぱなしですよね? だから良いんじゃないかなって、それに冒険家の方も使っている物らしいので壊れにくいみたいですよ」
「へー……うん! めっちゃ嬉しいよ! ありがとお母さん!」
確かにセシリアの長い蒼銀の髪は、マリアと同様に常におろしっぱなしだ。
戦闘中に邪魔だとは思うのだが、どうしてもセシリアの戦い方だと怪我を負ってしまったり激しく動いたりで、高頻度で髪を纏める紐が取れたりするのだ。
途中で鬱陶しくなるか、初めから鬱陶しくてして慣れるかで、セシリアは後者を選んでいた。
セシリアが喜んでくれた事にマリアはほっと安堵すると、バックの中から一つのシュシュを取り出す。
「因みに、私も買っちゃいました。色違いですけどね」
恥ずかしそうに笑うマリアの手には、セシリアのと色だけ違うシュシュが収まっている。
セシリアが真紅に対して、マリアのは空の様に鮮やかな青。
お互いを象徴する色合いのシュシュに、二人は嬉しそうにはにかむと、セシリアは早速と使いだす。
「よし、どう?」
「とっても似合ってますよ」
「ふへへ」
長い蒼銀の髪をポニーテールに纏めると蒼銀の髪に一点の真紅のシュシュが映え、ワンポイントのお洒落としては完璧だろう。
褒められると溶けた様にはにかみ。その後も何度も気にしてしまう位、嬉しそうにしていた。
若干気にしすぎて食事が一番遅くなったのを、アイアス等は呆れた目で見ていたが。




