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温泉回!!!



 昼を跨ぎ、空が茜色に染まり切った頃。2台の馬車は一つのやや寂れた宿場町を前にして止まる。

 幾つもの店が閑古鳥を泣かせる、寂し気な通りだ。


 先を急いでいたのだろう、殆ど途中で止まる事なく予定していた宿場町で夜を明かす事をヴィオレットはセシリア達にも伝える。

 そして宿場町の門の前で、一晩の滞在の許可と身分証明等を済ませると、今晩の宿の前で全員が馬車から降りだす。


「んー! 身体が痛いですね……」

「デスデス……だる疲れデス……」

「ご安心を、この旅館には天然の温泉がありますの。嵩んだ疲れを癒すには最適ですわよ」


 前方車両から降りるのはマリア達。

 凝った身体を解しながらも朗らかな雰囲気で会話し、クリスティーヌの言葉にマリアとヤヤは喜色を浮かべる。


「温泉デスか!? それは最高デース!」

「それはありがたいですね、あの子にも教えてあげないと」


 明らかに楽しんでいた雰囲気。

 後続車両からも、人は降りていくがその空気は重たい。


「……アイアスさん……」

「……言うんじゃないよ……」


 アイアスとエロメロイは先頭車両の花々を心底羨ましそうに、気疲れと胃痛に顔色を悪くしながら、これ以上疲れたくないと無言で旅館の方へ向かって行った。

 そしてその後に続くのは当然、セシリアとナターシャ。


「……」

「……」


 二人は顔を背けながら、ありありと不機嫌さを隠しもせず地面に足を付ける。

 結局、殺気こそ失せたがずっとこの調子で数時間の無言の旅路となっていた。


「セシリアー……あ」


 そんな二人の元へマリアが駆け寄ってくる。

 彼女は温泉があると嬉しそうに伝えに来たが、ナターシャに睨まれると肩を縮こまらせて言葉を失わせた。

 その空色の眼には、罪悪感が滲んでいる。


「っち……」


 舌打ちを一つ鳴らすと、ナターシャは旅館では無い方へ歩き去って行った。

 ヴィオレットが止めようとしたが、クリスティーヌは好きにさせて置けと放置して、己たちも旅館へ姿を消す。

 残されたセシリアはナターシャの後ろ姿を睨みつけると、マリアに笑顔で駆け寄る。


「どうしたの? お母さん」

「え……あ、その、温泉があるって聞いて……」

「ほんと!? いやー、お風呂はあったけど温泉は無かったからなー、露天だと良いね」


 ナターシャの事なんて知った事では無いと言う様に、セシリアは笑ってマリアの手を握って旅館へ向かう。

 彼女はナターシャが去って行った方を見ながら、セシリアに腕を引かれて旅館へ入った。

 そんな二人を出迎えたのは、上品な紫の着物に身を包んだ、還暦を等に過ぎている大御婆さんだった。


「ようこそ、おいで下さいました。わたくし、当館の女将をしております、レフィーユと申します」

「あ、どうも。さっき入って行ったフィーリウスさんの連れなんですけど」

「承知しております。こちらへどうぞ」


 旅館はそこまで豪奢では無い。

 街道はそこそこ整備されているし温泉があるからか、建物も時代を感じこそすれ落ちぶれている感じは無い。

 瓦張りで和服建築の、檜の匂いが心落ち着かせる柔らかな色合いの旅館だ。

 腰は折れているが、穏やかな笑顔が板についている御婆さんの案内に従い二人は割り当てられた部屋へ向かう。


 入り口で靴を脱ぐという、この世界の住人からすれば珍しい風習にも特に反応する事無く、二人は談笑しながら途中の庭園の美しさにテンションを上げる。


「おー! 立派な庭園!」

「えぇ。夕焼けと相まって、なんだかとっても幻想的ですね」

「それはありがとうございます。亡き主人のこだわりの庭です、お部屋からでも眺めれられる庭園がありますので、まずはどうぞそちらへ」


 一本の波打つ立派な松の木を中心に、睡蓮の華が浮かぶ小池と小川、そして細かく手入れされ波紋の様に広がる砂利の海。

 夕焼けに照らされる美しい庭を囲むように、淡い灯りの提灯が照らす四角い外廊下が伸び、右手に襖の部屋部屋が並んでいる。

 そんな美しい造りにほぅ。とため息をつきながら案内され、二人の期待値が否応に上がる。


「なんか、こういっちゃなんだけど大きい町じゃないからぁあ~……想像以上だね!」

「そうですねぇ、繁盛されているのですか?」

「お陰様で何とか。町に関しては以前はもっと大きかったのですが、20年前でしょうか。首都の方へ少し遠回りになるけれど、安全で穏やかな道が作られてからは少しずつ町は寂れていきまして……今では旅館はうちだけになってしまいました」


 そのお陰でしぶとく続けられているのは、皮肉ですがね。とカラカラと笑う御婆さんに二人は愛想笑いを浮かべる。

 特にセシリアは失言しただけに、あはは~と遠くを眺めている。

 そうこうしている内に、話し声の漏れる部屋に辿り着いた。

 御婆さんが膝を着いて襖を開くと、中にはきゃいきゃいと盛り上がるヤヤとクリスティーヌ、そして荷物の整理をするヴィオレットが出迎える。


「あ! セシリアちゃんにマリアさん! 見てくださいデス! 畳って言うらしいデスよ! めっちゃ落ち着く匂いデスぅ~」

「頬ずりするのは構わないですが、やりすぎると痕になりますわよ」


 ヤヤは恍惚とした表情でお尻を上げて畳に頬ずりしている。

 確かに、畳の匂いと言うのは落ち着くし肌触りも良い。それに旅館の肌色の雰囲気はテンションが上がる。

 だが、尻尾をふりふり揺らしながら頬をこすりつけて畳を滑るヤヤは何処からどう見ても、狼と言うよりは柴犬を連想してしまう。


 そんなヤヤに苦笑するクリスティーヌも、襟元を崩し緩いズボンをまくり上げその下の黒いストッキングに覆われた踝を晒し、随分と砕けた様子。

 ヴィオレットの何か言いたげな視線に気づくと、片膝を立て頭を預け、挑発する様に垂れた金糸の向こうで艶やかに笑った。


「どうしたのヴィー? そんなに見惚れて」

「見惚れてません、人の眼もあるのに崩しすぎだと言おうと思ったんです」

「良いじゃない、彼女達は貴族じゃないし、ここは貴族社会じゃないもの」


 頬に紅を挿したヴィオレットの言葉に、クリスティーヌは縦巻きツインテールを解きながら笑うと軍服の前を完全に開いて白いシャツを晒して畳の上に大の字になった。

 そんな姿にヴィオレットは呆れ混じりに嘆息するも、苦笑を浮かべて従業員が運んでくる荷物の整理や入浴の支度を進めていく。


「私達も疲れたし、ちょっと休憩したらお風呂行く?」

「そうですね、でもこういう所って食事が先なんじゃないんですか?」

「それなら心配ありませんわ。少し早めに着いたので、汗を流す時間位はありますわよ」


 手荷物を置きつつどうしようかと話していた二人に、クリスティーヌは腹筋だけで上体を起こすと、そのまま後ろ手で支えたまま時間があると伝える。

 そしてお風呂に入れる。と聞いた二人は、顔を見合わせてはにかむと今か今かとウキウキしながら支度に移った。


 トランクを漁ろうとしたセシリアは、机の上に畳んで置かれた浴衣に気付いて手に取る。


「これって浴衣だよね、着ていいのかな?」

「大丈夫ですよ、私達も来る時に一度泊まりましたが、宿泊客には自由に貸し出しているそうです」


 言いつつ、ヴィオレットは安全面を考慮してか自らが持ち込んだ浴衣を手に取る。

 説明を受けながらセシリアは貸し出しの浴衣を広げた。

 紫陽花の模様が散らばる、青い浴衣は手触りも上等で凡そ安物には思えない。

 毒や針などが無いか、触って問題が無い事を確認したセシリアは一つ頷くとそれをマリアの前につき出す。


「そっか。折角だしお母さんこれ着ていこ!」

「あら、随分可愛い服? ですね。でも、ちょっと露出が……」


 差し出された浴衣にマリアは素直に可愛いと思うが、大きく前が開いている、最早一枚の布の様な浴衣に見覚えが無く困った様に頬に手を添える。

 その言葉に、この世界に来てから浴衣を来た事は無かったなと思い出しつつ、勘違いを正すために着て見せる。


「いや、このまんまじゃなくて、着る時はこうやって前を閉じて紐で縛るんだよ」

「あぁ成程。そのまま着るんだと思っちゃいました」

「流石にそれは服とは言わないよ……」


 まさか娘がそんな恰好をしろと言っているのかと一瞬疑ったマリアは、恥ずかしそうに頬を赤らめて苦笑した。

 寝間着が決まったセシリアは、トランクの中から乳白色の液体の入った瓶を幾つかとタオルを取り出すと、それを畳んだ浴衣の上に置いて支度を整えた。

 丁度ヴィオレットの方も支度が終わったようで、彼女は3人分の着替えとタオルと瓶を抱えている


「ほらヤヤちゃん、お風呂行こー? 置いてっちゃうよー?」

「ふしゅ~すりすり気持ちぃ~デスぅ~……はっ! まって欲しいデス!! ヤヤも温泉入りたいデス!!」


 恍惚とお尻を突き出して尻尾を揺らしていたヤヤは、慌てて駆けだす。

 そんなヤヤの着替えもちゃんと用意している辺り、流石メイド。全員の視線が外れた瞬間に、ヤヤの姿にだらしない笑みを浮かべたのは秘密だ。



◇◇◇◇



 クリスティーヌが指した温泉と言うのは露天風呂だった。

 本館から伸びる石畳と灯篭によって縁どられた道を、クリスティーヌとヴィオレットを先頭に5人は談笑しながら歩く。


 マリアがアイアスも誘ったが彼女は辞退し、エロメロイは色めき立って浴場に向かおうとしたが、何処から現れたのかナターシャに連れ去られそれはそれは悲痛な鳴き声を茜色の空に響かせていた。


 夜の帳も降りだした頃、石造りの灯篭が周囲を淡く柔らかく照らし、石畳が軽やかな音を立てて揺れる。


「ヤヤ、温泉って初めてだからわくわくするデス」

「私も、セシリアを身籠る前は数回入った事はありますが、出産してからは無いので楽しみですね」

「私も一応初めてだなー、カピパラとか入ってないかな」

「カピバラ? なんデス? それ」

「あ、うーん。ヤヤちゃんみたいなかわいい動物かな」

「……なんか、嘘くさいデス」


 ジト目のヤヤから顔を背けつつ、セシリアは曖昧な笑みで頬を掻く。そんな冗談めかした事を出来るが、ヤヤはまだ心の内を話せていない。

 他の人が居て雰囲気を壊すだろうから話せなかったが、セシリアから特に気にしたような風も無く話しかけてきていて、ヤヤはとりあえずと安堵して空気を読んでいるだけだ。


 そんな三人の声を背に、クリスティーヌとヴィオレットは石畳を静かに踏み鳴らして行く。

 クリスティーヌはチラリと背後を一瞥すると、丁度目的の場所が見えたと伝える。


「着きましたわ」

「おー、お?」


 5人の前に現れたのは温泉……では無く和造りの小さな建物。

 その向こうからは湯気が立っている事から、ここに温泉がある事は間違いないのだろう。

 セシリアは思わず大自然の中の秘湯、の様な物を想像していたので最初に目に入ったのが建造物で小首を傾げた。


 だがそれはそれで、着替えがしやすくて良いと頷くとマリアの手を引いて中へ入っていく。


「おー! 即脱衣所になってるんだ」

「ん……なんか変な匂いするデス……」

「多分、硫黄ですね。整備されてるとは言え天然の温泉ですから。辛いようなら無理しなくても大丈夫で

「いや、そんなに辛くは無いから大丈夫デス」


 扉を潜って迎えたのは初老の女性の番台と、男と女別れての脱衣所への暖簾だった。

 使用許可の札をクリスティーヌが番台に渡すと、幾つかの説明や注意事項を聞いて5人は脱衣所へ乗り込んだ。

 中に入って強くなった硫黄の匂いにヤヤは少し顔を顰めるが、ヴィオレットに言葉通り大丈夫と告げて、物珍しくきょろきょろと散見する。


「服はそれぞれのロッカーに入れて、木札を抜いておいて下さい。邪魔な様なら預かって置きます」

「了解デス! ヤヤはこのおっきいロッカーにするデス」

「じゃあ私は手ごろな奴で。セシリアのも一緒に入れますか?」

「鍵持つのめんどくさいし、お願いー」

「はいはい」


 ヤヤは一番下の大きなロッカーを選び、マリアとセシリアは腰元の丁度いい大きさのロッカーに。

 それぞれが選ぶと服に手を掛ける。

 因みに、クリスティーヌとヴィオレットは一番大きいのだ。別に入れるらしい。


 うきうきと好奇心に身体を小さく揺らしながら、マリアはいそいそと服に手を掛ける。

 彼女はカーディガンを脱ぎシャツのボタンに指を掛けると、なにやら足元から視線を感じて止まった。


「マリアさん……おっきいデス……」


 水玉の綿パンと灰色のスポーツブラという格好で胸に手を当てるヤヤは、マリアの母性溢れる豊かな胸を見上げていた。

 胸に阻まれて顔が見えない。

 思わずヤヤは自分の成長期が来たばかりの胸に手を当てる。


「気にする必要はありませんわ。それに、大きくても邪魔なだけですわよ」

「デス……!?」


 その声にヤヤは振り返り、目を剥く。

 黒い紐の下着だけになったクリスティーヌは、恥じらいと言う概念を投げ捨てた仁王立ちでマリアより大きいが、下品では無い胸を強調する様に腕を組んでいる。


 苦笑し、マリアはシャツを脱ぎシンプルな白い下着に包まれた豊かな胸を解放しながら同意する。

 サイズではクリスティーヌには多少負けるが、全体的に見ればクリスティーヌよりも勝っている。


「そうですね。肩こりも酷いですし、足元が見えないから危ないんですよね」

「分かりますわ。運動する時なんて特に痛くて……」

「それに、いつかは垂れてだらしなくなると思うと……少し憂鬱なんですよね」


 巨乳談義、というより愚痴大会となった二人に乾いた笑いを漏らしたヤヤは、部屋の隅の人影を見てうっと思わず引いてしまう。

 どんより。とキノコでも生えそうな湿った空気に包まれている。


「別に良いですよ……大きくても戦闘の邪魔ですし……」

「ヴィオレットさんは良いじゃないですか……私なんてAAですよ。なんですかAAって」

「私だって限りなくAに近いBですよ……」


 ピンクの下着姿となったセシリアと、紫のレースの下着姿となったヴィオレットが部屋の隅で苔を生やしていた。

 二人共巨乳達の愚痴が耳に届く度、背中に矢が刺さる。

 特にセシリアに至っては前世の頃から貧しかった為、そのダメージは果てしない。

 ヴィオレットだって揉まれている筈なのに。と胸に手を当て、深いため息を吐く。


 そんな陰鬱な雰囲気に、ヤヤは頬を引き攣らせて背を向ける。

 幼いヤヤにはフォローできる気がしなかったし、あの手の落ち込みは放って置くのが正解と胸の大きな母親が言っていたのだ。

 黙々と一糸纏わぬ姿になると、渡されたタオルを手に浴場への扉に手を掛けた。


「お、おーー! 凄いデーース!!」


 ヤヤの前に飛び込んだの、大自然の中で竹の柵に囲まれる天然の温泉だった。

 足元もきちんと整備されていて、滑りにくく手前には竹筒から流れるお湯で身体を洗う場所も配置されている。

 それに既に夜の帳も降り切り、月明かりと丁度良い塩梅に配置された灯篭の柔らかい暖かさと程よい暗さが、否が応にも気分を高揚させる。

 多少硫黄の匂いは気になるが、それ以上の圧巻とも言える優美な光景にヤヤは尻尾をはち切れんばかりに振り回して目を輝かせる。


「まぁ! 見てくださいセシリア! 凄い綺麗ですよ!」

「おおーホントだ!! 気持ちよく入れそう!」


 いつの間に立ち直ったのか、マリアはセシリアを連れて浴場の光景に感嘆の声を漏らす。

 マリアはタオルで前面を隠し恥ずかしそうに、しかし興奮に目を輝かせている。

 セシリアも、一応隠してはいるがそこまで気にしている様子は無い。それ以上に、興奮するマリアを見て穏やかに微笑んでいる。


「ふふ、喜んでいただけて何よりですわ。時間に制限も無いので、体調にだけ気を付けて心ゆくまで満喫してね」

「滑りにくいとはいえ、足元にも気を付けて下さいね。それと水を用意してるので、いつでも申し付け下さい」


 最後に現れたのはクリスティーヌとヴィオレット。

 クリスティーヌは一切恥じらう素振りも隠す気も無く、腕を組んで胸を強調しながら三人の反応に満足そうな表情を浮かべている。

 それに反しヴィオレットはタオルで恥ずかしそうに身体を隠し、それでも気を付ける様にと忠告する。

 タオルで隠している首筋からは、恥じらいか虫刺されか、赤く色づいている。


 三人は特にそちらを見る事無く「はーい」と答え、とりあえずと身体を洗う為に洗い場の椅子に座る。

 竹筒からちろちろと流れる自然味あるシャワーを前に、ヤヤはおっかなびっくり触れると勢いよく腕を引く。


「あっ……つくはないデス」

「あ、ヤヤちゃんこれ使って良いよ」

「ん? なんデス? これ」


 セシリアから手渡されたのは、乳白色の粘性のある液体。

 現代日本人のセシリアなら分かるが、この世界には無い筈のシャンプーだった。


「これは髪を洗う奴ね。程よく手に取って、水と馴染ませてこうやって洗うんだよ」

「ん? こう? デス?」


 セシリアが身振り手振りで説明するが、鼻をスンスンと鳴らすヤヤはいまいち要領を得ない。

 そんなヤヤの背に、マリアがニコニコと膝を着く。


「仕方ないですね、私が洗ってあげますね」

「え? あ、じゃぁお願いしても良いデスか?」

「勿論」


 良く分からないが、笑顔のマリアに圧されてヤヤは完全に背を向ける。

 マリアはニコニコと笑いながら、まずはお湯で頭を濡らす。

 優しく、決してびっくりさせないたり目に入ったりしない様に桶からゆっくりとお湯をヤヤの灰色のショートカットに馴染ませる。


 決して激しくない、気遣いと優しさを感じる指先にヤヤは気持ちよさそうに目を閉じて弛緩する。


「あふぅ~……気持ちぃデスぅ」

「ふふ、セシリアもこうして洗うと気持ちよさそうにしますから。後でセシリアも洗ってあげましょうか?」

「いや良いよ。身体冷えちゃうし」

「それも……そうですね」


 髪を泡立てるセシリアの言葉に、何となく寂し気に微笑んだマリアは動きの止まった事で見上げたヤヤに微笑んで、両手を白濁液で汚す。

 それを背中側で身体から洗い出そうとしていたクリスティーヌが、セシリアに向かって声を掛ける。


「ミスセシリア」

「何?」

「貴女、スペルディア王国へ行った事がありますの?」

「何で? 無いけど」

「そう……」


 泡を流して前髪をかき上げたセシリアは訝しんで振り返るが、クリスティーヌはヴィオレットに身体から洗わせたまま、背を向けていて表情は窺えない。

 特に話が続いたわけでも無いし、続きは入浴中に聞けば良いとセシリアはコンディショナーを手に取る。

 が、そこで鼻歌混じりに髪を洗われるヤヤを見て、何か悪戯を思いついたように口角を上げ、ボディーソープを取り出す。


「髪が短いのでシャンプーだけで良いですよね、身体は自分で……ってどうしました? セシリア」


 一つ達成感で汗を拭ったマリアは、隣で小瓶と身体を洗う用の布を手にしているセシリアに首を傾げた。

 問われたセシリアは、マリアとヤヤの視線を受けながらにこっと笑う。


「私もヤヤちゃんのしっ……身体洗うの手伝うよ」

「え? いや、流石にそこまでは——」

「尻尾とか耳とか、自分じゃ洗いにくいでしょ?」

「うっ」


 少し虐める様な口調にヤヤは唇を尖らせる。

 別に洗えない事は無い、だが洗いにくいというのは事実で、何度か面倒くさがって放置してイヌに尻尾の付け根が芳醇な匂いがすると言われた時は涙目で洗った事もある。

 確かに洗って貰えれば助かるが、目を輝かせるセシリアと、よく見ればマリアも少し期待の色を浮かべている。

 二人の目が、己の尻尾と耳に向いているのに気付いてヤヤは慌てて断ろうとするが、ぎゅっと腰をマリアに摑まれてしまう。


「そうですね、折角ですししっかりと洗ってしまった方が良いですよね。念入りに」

「安心して? 前は自分で洗って良いからさ? 私達は洗いにくい所だけを……」

「ひっ!? や、止めるデス! 自分で洗えふにゅん!?」


 目をギラギラと輝かせる二人から慌てて逃げようとしたが、足を滑らせて小さな桃尻を打ってしまう。

 痛みに顔を顰めたヤヤはハッと顔を上げるが、既に時遅し。

 二人の笑顔が、今だけは悪魔に見えた。

 涙目でヤヤは身を縮こまらせる。


「や、止めっあふん」

「ほれほれー、観念しなされー」

「ふふ、水にぬれる尻尾というのも、なかなか触りごたえがありますね」

「あっあ……やめるデスぅ……」


 セシリアは恥骨を、マリアは毛先から尻尾の腹を。

 二人の虐める様な指使いにヤヤは腰が抜けてしまい、二人にされるがままになってしまう。


 ヴィオレットが羨ましそうに見ている中、ヤヤは二人に尻尾と耳の尽くを弄ばれてしまう。

 気の抜けた犬の遠吠えの様な物が、月夜に響いた。



◇◇◇◇



「ごめんヤヤちゃん! ちょっとテンション上がりすぎた!」

「すいません、私もつい浮ついてしまって」

「ふんだ。知らないデス」


 二人は尻尾と背中()()を洗ってくれた。

 それはそれは、長年の汚れも残さんばかりに丁寧に。楽しそうに。

 だがそれによってヤヤが恥ずかしい思いをしなかった訳もなく、身体を洗いながらヤヤは謝る二人から顔を背けている。


 本音を言えば少し物足りないし、怒ってる訳じゃないのだが、それを言うのは癪なのでこうして怒ってます! と精一杯アピールしている。


「兎に角! もうああいうのは止めて欲しいデス! ……優しくするなら触っても良いのに……」


 身体の泡を流したヤヤは、勢いよく立ち上がり尻尾を一振りすると正座する二人を無視して先に湯船に浸かるクリスティーヌ達の方へ歩きだしていった。


「はは、怒らせちゃったかな」

「そうですね、後でちゃんと謝りましょうか」

「あ、お母さんをまだ髪とか洗ってないでしょ? 洗うよ」

「でも、セシリアも身体まだですよね?」

「後で洗えば一緒にお風呂入れるじゃん?」


 よっこらせ。と立ち上がるセシリアは早く早くと促している。

 一人寂しく身体を洗わなくて済むなら。とマリアも苦笑して椅子に座れば、セシリアは満足そうに頭を洗う為に優しく髪を濡らす。


「大丈夫? 熱くない?」

「えぇ、丁度良い熱さですよ」

「おっけーおっけー、それじゃシャンプー付けるね」


 目を閉じるマリアは、視界が闇に落ち聴力だけが鋭敏になる。


「んっ……」


 背後で手をこすり合わせて泡を立てる粘性の音、僅かな息遣い。セシリアの細く柔らかな指が髪を撫でる。

 視界が使えない所為で、頭を洗われるだけだというのに少し緊張してしまう。


「お母さんって髪綺麗だよね」

「そうですか? セシリアがこのシャンプー? とコンディショナーって言うのを作ってくれたお陰ですかね」


 セシリアはマリアの感触の良い髪を撫でながら、羨ましそうに自分の事の様に嬉しそうに呟く。

 地球の知識を使って、アイアスに頼んで作って貰えたシャンプーやコンディショナー。

 銃同様、商用利用はダメだとアイアスに言われ納得して使うが、戦闘をこなすセシリアではどうしても少しばかり痛んでしまう。


「殆ど作ったのは師匠だけどね。私はアイデア出しただけだし」

「そんな事ないです、充分セシリアも凄いですよ」

「へへっ、そうかな」

「えぇ。自慢の娘です」


 目を瞑りながら見上げるマリアの言葉に、セシリアは嬉しそうにはにかむ気配が伝わる。

 それからはセシリアは他愛の無い事を喋りながら、マリアの髪を洗い続けた。勿論、痛まないように繊細に、丁寧に。コンディショナーまでじっくりと。


「良し! その……身体は、流石に自分で洗った方が……良いよね?」

「えぇ。貴女も、よく洗うんですよ?」

「もちのロンだよ」


 歯切れ悪く聞くセシリアは、マリアの言葉に何処か不満そうに頭を掻くと椅子に座った。

 そこからは特に何があった訳でも無い。

 ただ二人でゆっくりと、益体も無い事を話しながら肩を並べて身体を洗っただけだ。

 少しだけ、ほんの少しだけお互いが時間を掛けて、ゆっくりと。


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