宗教観と未亡人
ガタゴト。と整備こそされているが、臀部を刺激する振動をこれでもかと柔らかいクッション越しに感じる。
窓越しに流れる風景は代わり映えしない、遠くに山脈を、手前には森や平原が並んでいる。
空は蒼く、真っ白な雲と燦々とした太陽が穏やかに昼寝を嗜んでいる。
そんな詰まらない風景を横目に、クリスティーヌ、ヤヤ、マリアの三人は三角に座り合う。
「ミスマリア、もし良かったらで良いのだけれど、天使の事や天界の事を教えていただけないかしら」
クリスティーヌは明らかに好奇心と期待を隠し切れない様子で、珍しくも食い気味に翠の瞳を輝かせて乞う。
その姿は直前までのやややつれた様子はどこ吹く風に、待ちに待った時をやっと迎えたのだと分かる。
口ではマリアに選択権を委ねているが、彼女の目は明らかに話して欲しい。と物語っている。
「そうですねぇ、お二人は敬虔深い方ですか?」
マリアの問いは当然の物だろう。
これから話す事は良い事にしろ悪い事にしろ、神様に偶像を抱いているならば怒るかも知れない事なのだから。
現代日本人の価値観が残るセシリアは例外だが、普通この世界に住まう人間は信仰を持ち、それを人生の道標としている。
つまりこれからマリアが話すことは、大なり小なり価値観に罅を入れる事は間違いがない事。故にマリアは二人のどちらかが敬虔深い様なら、口を紡ぐ気で問うた。
「ワタクシはありませんわ、神など所詮偶像の産物。信仰を持つことは否定しませんが、偶像に縋る様な弱者ではありませんもの。ワタクシが信じるのは知性と倫理だけ、人は人が導く物と生家では教わりましたわ」
そんな問いにクリスティーヌは自分から聞いたのだから当然だと、一切の信仰を持っていないと答える。
豪奢に巻かれた立て巻きツインテールを払いながら、彼女は教会関係者が聞けば激怒する様な事を言い放つが、この場に彼女の言葉に逆鱗を撫でられる者は居ない。
「えっとヤヤも、どっちかっているとそこまで信仰はしてないデス。教会では死んだ人は天界か魔界に行くって言うけど、灰狼族は死んだ魂は自然の一部になるって言われてるデス。だから教会の教えは常識として知ってるけど、どちらかと灰狼の教えに重きを置いてるデス」
そしてヤヤもクリスティーヌと同様に無神論者だと答える。
無神論者と言うよりは、神よりも身近な教えを優先しているだけなのだが、それでもはた目から見れば同じだろう。
そんな二人の珍しい考えにマリアは暫し目を瞬かせるが、ふっと表情を柔らげると感謝を告げる様に小さく頭を下げた。
「それでは、特に話しても大丈夫そうですね」
「えぇ! ですのでお構いなく話して下さいな!」
「え、えぇ」
そんなクリスティーヌの熱にやや押され気味なマリアは、苦笑を浮かべ頬に手を添えながら遠慮がちに返すと、クリスティーヌは明らかに喜色を浮かべてコクコクと頷く。
ヤヤも特に話すことは無いからか、クリスティーヌ程ではないにしろ興味を惹かれている様子で耳をピクピクと揺らしている。
「それじゃ、どこから話しましょうか」
「でしたら、まずは天界、天使の事を」
「分かりました。お耳汚し、失礼しますね」
んんっ。と小さく咳を切ったマリアは、やや視線を彷徨わせて言葉を整理する。
どうせもう二人にも知られている。今更話す事に特に葛藤は無い様子で。
「まずはそうですね、二人は天使や天界にどういう印象を抱いていますか?」
認識のすり合わせ。
まるで教師の様な語りだしに、二人は虚空を眺めて言の葉を紡ぐ。
クリスティーヌは脳内で教典や教えをそらんじ、ヤヤは小首を傾げて無いイメージを唸って練り上げる。
「天使は主の子であり、手足、主の代弁者。天界は神々の住まう極楽浄土……かしら」
「ヤヤは、良い事をした人が行く死後の世界……ってお母さんに教えられたデス」
「成程」
二人の漠然とした認識に、概ねの理解を得るとマリアは苦笑を浮かべた。
その表情は、確かに間違ってはいないが、正解では無いという曖昧な感じ。
「えっと、私も天使時代は曖昧なのではっきりと断言はできないのですが、天使は代弁者でも、天界は死後の世界でも無いんですよね」
「!?」
「え!? 天国じゃないんデスか!?」
マリアのカミングアウトにクリスティーヌは声も無く目を見開き、ヤヤは純粋に驚いた。
そんな二人に申し訳なさそうに頷くマリアは、出来るだけ言葉を選んで語りを再開する。
「天使というのが主の手足と言うのは間違いないです、なんせ天使に自我は無いんですから。それに代弁者なんて大それた物でも無いですし、何より主が人々にコンタクトを取る事は無い筈なんです。極楽浄土……というと語弊はありますが、少なくとも天国ではないですね」
「質問、よろしいですの」
さながら教師と生徒の授業の様に、クリスティーヌが声を上げるとマリアは言葉を切って頷く。
ここまでの話をしっかりと噛み砕いたクリスティーヌは、一つ一つ言葉を組み立てる。
「自我が無いというのに記憶がありますの? それに、主が人々にコンタクトをとる事が無いというのはおかしいですわ。この国の初代国王、初代勇者は主に導きによって現れた代行者とでも言うべき存在ですのよ?」
自我が無いというのは操られているのとは違う。
人が乳児の頃を覚えていない様に、人格が無いならまず記憶がある事がおかしい。
そして彼女の言葉を否定する、歴史の判断材料を突き付ける。
難しい表情をするクリスティーヌは、マリアの答えをじっと待つ。
「えぇ、完璧に覚えている訳では無いんです。朧気であったりが殆どで、正直自信は無いんですけど、でも人間だって赤ちゃんの頃の記憶を持って生まれる子も居るでしょう? それに近い感じです」
「な、成程」
「それと初代勇者の事なんですが……正直私もそれは良く分からないんですよね。確かに主が勇者を呼んだんだとは思うんです、それが切っ掛けで私は自我を持ち出したので」
「切っ掛け?」
最後の言葉にクリスティーヌが反応する。
それほどの大事なのかと、想像がつかない彼女にマリアは唸って言葉を捻りだす。
「うぅ~ん、これは夫……魔王の予想なんですが、異次元から人を呼ぶという裏技の様な事をした所為で、バグ? の様な物が起きたのかもしれない……って言っていました」
「ふむ……確かに初代勇者が作ったこの国は、何処の国にも無い文化や価値観、特に女性の社会的地位の確立と宗教への浅さは、我が国の歴史家達の間でも多々議題に上がる程ですわ」
ローテリア帝国は元より、殆どの国では男尊女卑の色が強く女性は社会的地位が低い。そして何より、勇成国の特色なのは宗教の浅さだろう。
幾つもの小国や先住部族達を武力にてまとめ上げたローテリア帝国は仕方ないにしても、勇成国の宗教への浅さはクリスティーヌから見ても異様に感じられた。
ローテリア帝国の歴史家は、初代勇者は実は神の使いでは無く悪魔の使いかもしれないと言う意見を出すほどに。
「ですがすいません、正直天使関連はこれ位が関の山で……」
「いえ、充分興味深い話でしたわ。ふふ、これを我が国の歴史家たちに聞かせたら、一体どんな反応をするのかしら」
楽しそうに笑うクリスティーヌは、知的好奇心がガツガツ刺激されて思わず淑女の仮面が剥がれそうになってしまう。
必死でそれを理性で抑えているが、ここでクールダウンする事も無く更に話を続ければ恐らく眠気も疲れも忘れて飛びついてしまうだろう。
「あ、そうそう。死後の世界では無いと言いましたが、厳密には間違いでしたね」
「っ! ……詳しくお願いしますわ」
だが熱を冷ます余裕も無く更に燃料が追加されてしまい、いつの間にかクリスティーヌはペンと紙を握っていた。
「えっと、死後の魂は一度天界に呼ばれ、そしてそこで浄化され新たな命として地上に帰ってくる。これは教会での教えでありますよね?」
「えぇ、輪廻転生ですわね、故に全ての死者は神の御膝元に一度は招かれる。そこで善き人であれば天使として転生し、悪人は魔界に堕とされる」
分かり易い輪廻転生だ。
だからこそ人々は信仰に殉じ、その生を良きものにする為に生きる。
敬愛する神の子と生まれ変わるために。
「一度天界へ行くというのは正しいです。でも、天使は人から生まれ変わる事は無いですし、魔界に堕ちる事もありません。魔界はただの別世界ですしね」
全ての前提が壊れる話しだ。
恐らく、一般的な信徒であってもこんな話を聞かされれば受け入れがたいと逆上してしまうだろう。
宗教観を完全に破壊する話だからこそ、マリアは初めに二人に問うたのだ。神様を信じますか? と。
流石に、自分の知る宗教観が足元から壊れる話にクリスティーヌは頬を引き攣らせてしまう。
「さ、流石にこれは誰にも話せませんわね……にしても、朧げという割にははっきりと語りますのね」
クリスティーヌはこれ以上は聞かない方が良いと、話の方向性を変えると、マリアは苦笑交じりに恥ずかしそうに頬に手を添える。
「えっと、初めの頃は全く覚えていなかったんです。でも夫に会ってから、魔界に行ってから色んな人と話しをして、ちょっとずつ思い出して……って感じですね」
上手く話しを切り替えた事に内心拳を握り、クリスティーヌはこの手の話はもう止めようと決める。
少なくとも、徹夜明けと事後の体調で聞く話では無い。
「ふむふむ。因みに、魔王が夫という事は、人魔大戦以前に会ったという事ですわよね? ……その、元天使だから、不老不死だったりするんですの?」
それでも、話を聞いてる内、と言うよりは彼女の正体を聞いてから聞いてみたかった事を問う。
マリアの容姿は一児の母にしては若い。
それこそ、化粧を施せば10代と言っても通せるし、化粧をしていない今だって30と言われると疑ってしまう。少なくとも、20代後半、人によっては30前半と言えるだろう。
皺ひとつない張り艶のある白磁の肌、垂れがちの眦は優し気で、見る者を穏やかにさせる雰囲気を纏っている。
程よく肉付きが良い胸や臀部も、雰囲気も相まって上品さと母性を醸し出す。
だからこそ、魔王は300年前の人魔大戦で討ち取られた、故に魔王の妻だと言う彼女は300歳は下らなく、もしかしたらセシリアもそれに近い年齢かもしれないと想像してしまう。
300年も生きているとは思えない二人だが。
クリスティーヌの問いにマリアは苦笑を浮かべて、哀愁を漂わせて窓の外の風景を見つめる。
その空色の眼は、風景では無く過去を映している様に見える。
「そんな事はありません。天使が不滅の存在でいられるのは天界で、天使であるからこそ。この世界に堕ちた私は、初めは天使の力を幾つかは使えていました、でもあの大戦から逃げる為に、天使の力を代償に未来に逃げたんです。だから、不滅の存在を脱してからの年齢で言うなら、多分16くらいだと思いますよ?」
「…………え!? マリアさん16歳なんデスか!?」
マリアの言葉に、知恵熱を出して死んでいたヤヤは覚醒して叫ぶ。
娘と同じ年齢の母親。確かに若い人だな、という印象ではあったが、まさかの年齢に熱暴走を起こしてたヤヤの頭は一瞬で覚醒してしまったのだ。
「つまり? 天使だから若いのではなく、単純に人魔大戦から時間を跨いで来たから若いのだと?」
「そうですね。初めてこの世界に来たときは15くらいの容姿だったので、そこから5年程は容姿も変わらなかったんですが、天使の力を捨ててからは人間になったので、未だと娘が16なので……31? なんですかね」
その言葉にクリスティーヌは内心落胆してしまう。
もし本当に300年も生きていたなら、幾つもの歴史の生き証人と成り得ただろうに。
だが少なくとも、既に充分クリスティーヌの知的好奇心は満たされた。正直、少し箸休めをしたい位に。
「はぇ~、何か途中の記憶が無いけど、マリアさんって凄いんデスねぇ~」
「いえ、別に今の話に感心する要素は無かったと思いますが……」
何処かずれたやり取りをする二人を眺めながら、クリスティーヌは一人物思いに耽る。
この数分、いや正確に言うなら昨日のナターシャの言葉によってセシリアとマリアの存在を知り、幾つもの自分の常識が壊れていった。
別に、その事を嘆く気は欠片も無い。寧ろ嬉しく思う。
クリスティーヌにとって、学びは生きがいだ。
新しい事を学ぶ度、間違いを悟る度、自分には想像もつかない価値観や歴史を知る度に新しい自分に生まれ変わる様な爽快感がある。
だから、いつしか思春期になった頃、性について興味を抱いた時に同性愛という物があるのを知った。
クリスティーヌは恋らしい恋をした覚えは無い。
クリスティーヌの実母と実夫の影響が大いにあるのだが、いまいち、マリアの様に夫と愛を育み子を宿し母になるという想像がつかない。
そんな状態でヴィオレットを抱いて、本当に愛していないのかと言われれば、彼女は上手く言葉にできない。
お互いに愛してると言ったことは無い。最早半身と言っても過言では無い長い付き合いではあるし、何度も身体を重ねた。
だけれども、これが恋なのか、それともただの性欲なのかクリスティーヌには上手く言語化できなかった。
(ヴィーも、愛してる。とは言った事が無いのよね)
何時しか男に身体を許し、子を産むときが来るだろう。
貴族としての義務には血を繋げる事が入っている。
だけれども、一つ、また一つと常識が崩れて行っても、クリスティーヌは胸に引っ掛かる何かを知る事は出来なかった。
「ミスマリア、面白い話をして頂き感謝を申し上げますわ」
クリスティーヌは被りを振ると頭を切り替えた、今は考えるべきではない。
目の前の大事な客人をもてなす方が大事だから。
容易く己の常識を崩すこの母娘を、手放すには惜しい二人の片割れとは良好な縁を築いておきたい。
何時しか、この胸に巣食う何かを教えてくれる日が来るかもしれないから。
「さて、折角ですしワタクシからも何か道中の暇つぶしに、耳寄りなお話を幾つか」
クリスティーヌは淑女の笑みを張り付ける。
時間はまだまだある。
今は難しい事は考えず、おしゃべりを楽しもう。
◇◇◇◇
場所は変わって先導するクリスティーヌ達の馬車の後ろ、馬型ゴーレムが牽引し、ヴィオレットが二台同時に操作する中、後続の馬車の中でアイアスとセシリア、ナターシャとエロメロイで向かい合い、張り詰めた空気の中居心地の悪い沈黙に支配されている。
(あ~、マジこの空気最悪っしょ……帰りて~……)
その原因は言わずもがな、前かがみで膝に肘を突き立てて顔の前で両手を組んで真紅の瞳に不機嫌さを滲ませるセシリアと、そんな彼女の視線と殺気に気付いてるにも関わらず気怠気に外の風景を眺めるナターシャ。
せめてどちらかが一言話せば良いのに、二人は一切言葉を交わさない。
当然、そんな空間に挟まれるエロメロイはただでさえ細い糸目を更に細めて夢の世界に逃げようとする。
「鬱陶しい」
「あだっ!?」
だがそんな彼の憂鬱と胃痛は、セシリアの隣に座るアイアスが拳骨という形で解放される。
一気に殺気と緊張だが霧散した事に、エロメロイは内心で心からの感謝をアイアスに送る。
「何するんですか師匠!」
「挨拶もそこそこに殺気をぶちまけるんじゃないよ、ただでさえ窮屈な馬車を、更に窮屈にしてどうするんだい」
「いや……それは悪いと思ってますけど……」
悪いと思っているなら止めてくれ、そして姉よ、脛を蹴るなら何か言ってくれ。とエロメロイは最早半ば無我の境地に辿り着きながら、胃薬を買っておかなかった事を後悔する。
そんな悪魔二人を余所に、セシリアは不貞腐れた様に口先を尖らせる。
「大体、言いたいことがあるならはっきりと言いな、睨みつけるだけで黙りこくるなんて、かまってちゃんが過ぎるよ」
「むぅ……それじゃぁ」
言われてセシリアは不機嫌さを隠しもせず、ナターシャに向き直る。
視線を感じたナターシャは、顔を窓に向けたままセシリアを一瞥すると、また詰まらなそうに頬杖をついたまま外に視線を戻した。
「はっきり言うけど、お母さんに言ったアレ、私許してないから」
「……別にぃ、許して貰おうとかぁ思ってないしぃ」
不貞腐れた子供の様に小さな声で返したが、狭い馬車だ、当然セシリアはその言葉を聞き逃す筈も無かった。
セシリアはその言葉に深く眉間に皺を刻むと、やくざの如く唸り上げる様に上目遣いでナターシャを見上げる。
「正直悪魔とか天使とかどうでも良いの、私からすれば。ましてや戦争だって、やりたければ勝手にすれば? って思う。でもお母さんを傷つける様なら今この場で殺す」
完全に瞳孔が開いた目で、セシリアは殺気を滲ませる。
その言葉に初めてナターシャが顔を向ける。
セシリアの眼をじっくりと見下ろすと、はっと鼻で笑った。
「出来るのぉ? 人も殺した事の無い処女にぃ」
「お母さんの敵ならやる」
殺気をぶつけ合う二人の横で、アイアスは弟子の変貌に目を丸くして頭が真っ白になった。
幾ら何でも変わりすぎだ。何があったか聞いてはいたが、つい先日まで魔獣を殺すのすら戸惑っていた少女だった気のする弟子の姿に、思わず血の気が引いてしまう。
子供の成長は早いというが、これは危うすぎる。
その向かいではエロメロイが糸目だった目を完全に瞑り、意識を故郷の魔界へ飛ばす。
内心、本当は来たくなかったのに、折角出来た彼女とのデートだってあったのになぁ……と薄らと眦に光る物が……。
肝を冷やす女二人の殺気に、エロメロイは火傷したくなくて気配を殺した。今までの人生で最も希薄に、完璧に。
「はっ、大体さぁ、ちょぉっと魔王様の力が使えるからってぇ、調子に乗ってなぁい?」
「別に、あの力ははなっから頼りにしてないし」
「なにそれムカつくぅ。魔王様の力も無しに喧嘩売るとかぁ、馬鹿にしてるのぉ? お姉さん言うて強いよぉ?」
「ちょっ! ちょっと待ちな! アンタも! 弟だろう、素知らぬ振りしてるんじゃないよ!」
「う、うっす!! 姉貴抑えろって!」
我に返ったアイアスが慌てて間に入り、怒られたエロメロイは泣きそうな顔で殺気の矛先を血を分けた筈の弟に向ける姉を止める。
アイアスに止められ舌打ちを一つ鳴らすと、セシリアは足を組んでそっぽを向いた。
それに倣う様に、まったく同じタイミングでナターシャも同じように足を組んでそっぽを向いてしまい、それがまた二人の機嫌を逆なでする。
「どうしちまったんだいセシリア。いや、確かにアンタは母親が絡むと荒れるけど、初対面の相手に殺気を向けるなんてらしくないじゃないか」
「マジで姉貴勘弁して!? 俺無理やり連れてこられたんだよ!? これであの貴族ちゃん達の不敬買って敵対されたらマジ最悪っしょ!?」
二人に悲鳴混じりの言葉に、セシリアとナターシャはさながら反抗期の娘の様にツンと顔を逸らす。
「別に、お母さんを傷つけるあの人が許せなかっただけです」
「別にぃ、その時はその時だしぃ」
「はっ、そのまま魔界に帰ればいいのに」
「あらぁ? そうしたらまたぁ、悪魔と人間の戦争が起きるわよぉ?」
「どうせ戦争なんてそこらで起きてるし、仮に起こってもどっかで終わるでしょ」
セシリアは前世の、地球の歴史を思い出していた。
有史以来、人類は戦争と共に発展していった。
第一次世界大戦から第二次世界大戦、世界全土を巻き込んだ戦争は起これど、それによって人類が死滅するには至った事は無い。
そして当然、セシリアの世界でも戦争は多々起こっている。
仮に戦争が起こっても、セシリアはマリアを連れて秘境にもでも逃げれば良いと楽観視している。
「はっ、おこちゃまねぇ」
だがそんなセシリアの内心を見透かしたのか、ナターシャは鼻で笑う。
さながら、良い大人が妄言を吐き叶いもしない夢を語っているのを嘲笑う様に。
「人類同士の戦争とは違うのぉ、侵略を狙う悪魔に取ってぇこの世界は、壊す事を目的とした玩具なのよぉ。どっちかが死に絶えるまで終わらないわぁ」
その言葉にセシリアは僅かに怯む。
セシリアが知ってるのは人間同士の戦争だけだ。
そして人間同士の戦争と言うのは感情で始まり、理性で終わる。『これ以上やったら流石に不味いな』という理性がどこかで働くし、何より最後の一人になるまで戦おうだなんてことにはならない。
そして彼女の語る悪魔の目的が、破壊を目的としているなら仮に世界で最後の人類がセシリアとマリアになっても、もしかしたらそれで終わりになる事は無いかもしれない。
だがセシリアは、何となくその言葉に理解を示すのが癪で唇を結んでそっぽを向き続けた。
返事が返ってくる事が無かったナターシャは、つまらなそうに鼻息を一つ払うと再び頬付けをついて外を眺め出した。
その姿が、セシリアと鏡合わせになっているのに気付かずに。
「あのぉ、お姉さま? そちらの娘さん、やんちゃっすね」
「そっちの姉もね。というか、なんでそんな機嫌が悪いんさ」
そんな二人の影で、アイアスとエロメロイは顔を寄せて話し合う。
特に意気投合していた訳では無いが、唯一話の通じる相手に自然と気が緩んでしまった所があった。
アイアスは内心、なんで悪魔と仲良くしてるんだろうな。と達観しながら、弟子の不機嫌の心当たりを探る。
「……生理前っすかね」
「……あ~、多分、うちのもだね」
不機嫌の当たりを適当に話し合う。
狭い車内だ、当然小声でも聞こえる。
セシリアは耳を赤く染め、ナターシャは弟の脛を蹴り続けた。
朗らかに談笑する先頭車両に反し、後方車両は最悪の空気のまま、途中の宿に泊まるまで止まる事は無く進み続けた。
ストレスで胃痛に悶えるエロメロイと、彼に胃薬を処方するアイアスが仲良くなったのは必然だったかもしれない。




