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私のお母さんになってと告白したら異世界でお母さんが出来ました  作者: れんキュン
2章 物事は何時だって転がる様に始まる
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月の魔力




 クリスティーヌ達と別れセシリアの病室に戻った二人は、備え付けのソファでテーブルを挟んで向かいあって座っている。

 二人は一言も言葉を発さない。

 こんな沈黙は二人にとっては初めてだろう。視線が合う事が無く、マリアは俯いて膝の上に置いた手を握る。

 彼女からはセシリアの表情は分からない。だが、つむじに刺さる視線が自身を見下ろしているのだと察せられる。


「ごめんなさい」

「……なんで謝るの?」


 その声に棘は無い。

 かと言って普段通りの柔らかさはない。

 暗い雰囲気に充てられたからか、何処か翳のある声音だ。

 どんな表情をしているのだろうか、そればかりが脳裏に過り、そしてその原因が自分だと思うと慰めてあげる事が出来ない。

 不甲斐なさに、唇を噛む。


「ナタ……あの人の話していた事、本当は話さなきゃって思っていたんです。でもそれを話すのは、貴女には十字架になってしまうかもしれないと思ったら、今日まで話す事が出来なくて」


 言葉を挟む事も無くセシリアは耳を傾ける。

 何かを言われることが怖くて、マリアは言葉を続けた。


「あの人が言っていた事は全部事実なんです。私は元天使で、貴女は悪魔の、それも魔王と呼ばれる夫の子供なんです。そして私が友達も夫も見捨てて、天使であることを捨てて未来に逃げた事も本当の事です」


 どんな風に思われただろうか。

 天使でありながら悪魔と情を交わした売女と思われただろうか。

 または戦いから逃げ出した卑怯者と罵られるだろうか。

 それとも、隠し事をしていた事を詰られるだろうか。


 そのどれか一つでも言われたと思うと、マリアの目頭が熱くなってしまう。

 だけれども、泣く資格は無いとぐっと堪えた。


「それでも、私が貴女の子である事には変わりはありません。貴女を思わなかった事は一度だってないんです」


 それでも言い訳がましい事を言ってしまうのは、少しでも嫌われたくないという気持ちがあるからだろう。

 静寂が再び訪れ、二人の息遣いだけが嫌に良く響いた。


「あ~っとぉ……」


 数秒。体感的には数分に近い静寂を破る、戸惑い気味なセシリアの声がマリアの鼓膜を震わす。

 その声は先とは違い、平時に近い声だ。


「何か勘違いしてるっぽいけど、別に怒ったりしてないよ?」

「え?」


 予想外の言葉に顔を上げたマリアが見たのは、()()()()()を浮かべて頬を掻くセシリアの姿。

 その表情は確かに、マリアに対して怒りや侮蔑と言った当たる様な色は無い。

 寧ろどうしてそんな事を言っているのか、至極分からない様だ。


「でもだって、貴女は忌むべき悪魔との子なんですよ? それに私は堕天使ですし、貴女にずっと隠し事をしていたんですよ?」

「うーん、それが良く分からないんだけど。別にそこまで言う程の事なの?」

「は?」


 余りの認識の違い。それをマリアは肌で感じ思わず呆けてしまう。

 セシリアは空になったコップに水を注ぎながら、一つ小さく唸って言葉を整理する。


「なんて言うか、多分この世界の人からしたら滅茶苦茶最悪な事なのかも知れないけど、正直私からすれば、悪魔と天使ってカッコ良くない? 位の認識なんだよね」

「……あ! 前世の……」


 セシリアとマリアの認識の違いがそれだった。

 セシリアとして15年間この世界で生きて来た。最早愛衣であった頃の記憶は朧気で、家族の事だって思い出そうとしなければ思い出す事も無い。

 そして一般的に、現代日本の女子高生でヲタクが入っている愛衣が信仰を持っている筈もなく、その価値観がセシリアとしての認識に影響を及ぼしていた。

 信仰者で無くヲタクである以上、悪魔や天使といったワードは、非常に厨二心をくすぐるワードでしかなかった。


 マリアの反応にセシリアは頷いて肩を竦める。


「うん。やっぱりどうしても、愛衣だった頃の価値観が染みついてるからね。それに私のこのバカみたいな膂力も悪魔の所為って思ったら、意外と納得いったしね」

「じゃ、じゃぁ貴女は……軽蔑したりしないんですか?」

「どうして?」

「だって私は夫も、友達だったナターシャさん達も裏切って逃げたんですよ」


 セシリアの純粋な問いに、マリアは目を逸らしながら答える。

 当時マリアのお腹には新しい命が宿っていて、マリアは子供か、夫や友人達かを天秤にかけたが故の選択だった。

 だがそれを言うのは、セシリアを免罪符に使うようで気が引いてしまい、それは胸の内に仕舞いこんだ。


「それだってママがその選択をしてくれなかったら、私は生まれる事も出来なかったかも知れないんだから。感謝こそすれ、恨む筋合いは無いよ」

「なら、お父さんについてはどう思ってますか?」


 マリアの不安そうな問いに、セシリアは唇を指の背で押し上げながら考えた。


「前も言ったけど、私の前世って家庭崩壊してたんだ」


 セシリアが10歳だった頃、魔法の覚醒と共に前世の記憶があると明かした時に、セシリアは愛衣であった頃の幾つかを語っていた。

 当然、その中には大まかではあったが愛衣であった頃の家族の話も含まれていた。

 セシリア自身、思い返しても何も思わない記憶を呼び起こしながら語る。


「父親も母親も愛し合っていた筈なんだ。でも父親は幸せの形をはき違えた、家族をほったらかしにしてずーっと働いてた。それに不満を持った母親は私に色々芸を教え込んで良い母親であろうとして失敗して、それで不倫したの。結果的に離婚して父親に引き取られたんだけどね? でも結局そうなってからも、父親が改善することは無くって……まぁなんて言うか、父親って居ない物っていう認識が今も前もあったから、正直あんまりどうとも思わないかな」


 母親。は別だったけどね、と言うセシリアは嘘や気遣いを言っている風には見えない。


 夫をどうでも良いと言われて複雑な心境だが、少なくとも父親が居ない事で寂しい思いをさせていたり、魔王と聞かされて何か思う所がある訳では無い。強いて言うなら無関心と言う良くも悪くもない反応に、漸くマリアは全てを咀嚼し終える。


「そ、そうですかぁ~……」

「わわっ!? 大丈夫!?」


 セシリアから苦笑交じりにお礼を言われ、マリアはへなへなと力が抜けた様にテーブルにつっぷしてしまう。

 慌てて回り込んで隣に来たセシリアは、背中に手を宛て身を案じる。

 背中に伝わる遠慮がちな、されど温かい手の感触にマリアは自然と口元を綻ばせながらセシリアの真紅の瞳を見上げた。


「すいません、ちょっと安心したら腰が抜けちゃって……」

「そっか、なら良かった」


 ただ力が抜けただけだ。と説明されてセシリアは安堵する。

 そのままセシリアは暫くマリアを介抱し、マリアが落ち着くと時刻は既に夕暮れを過ぎ夜になっている事に気づく。


「そろそろ良い時間だし、お湯貰って身体拭いたら寝よっか?」

「えぇ、そうしましょう。今日は一緒に眠ってくれますか?」

「今日も、でしょ?」

「ふふ、そうですね」


 穏やかに笑い合いながら冗談を言い合う。

 マリアは長年の隠し事を話せて、心の重荷を捨てられた安堵からどっと疲れが込み上げてきていた。


「ねぇセシリア」

「ん?」


 立ち上がって、扉に向かったセシリアをマリアが呼び止める。


「ありがとうございます。私を、許してくれて」


 その言葉に、セシリアは扉に手を掛けながらいたずらっ子の様な笑みを浮かべ肩越しに振り返る。


「当り前じゃん。私はママの娘なんだから」


 微笑を深くするマリアに笑いかけながら、セシリアは治癒官を探す為廊下に出る。


「でも、できればお母さんから教えて欲しかったな」


 その呟きは、蝶番の悲鳴にかき消されてマリアへ届かなかった。

 マリアは安堵から瞼を伏せてしまった、だから見えなかった。セシリアが終始いつも通りの笑みでは無く、愛衣の笑みを浮かべていた事を。



 ◇◇◇◇



 ヤヤはベットの上で膝を抱えて思い耽っていた。

 脳裏に浮かぶはクリスティーヌの勧誘に対する答え、では無い。

 この二日間で見続け、看取ってあげる事も出来なかった被災者達の姿だった。


 綺麗な遺体もあれば、原形を留めていない遺体だってあった。

 だが共通して言えることは、どの遺体も無念を、後悔を、怒りを死の間際まで抱いた死に顔で、誰も彼もが死にたくない。と思って死んだのだと容易に察せられた。


 詳しく聞いたわけでは無いが、死者だけでも数百は下らないらしく、また街も北と南に分断され大きな傷跡を残している。

 春先とは言え、日中は陽射しも相まって暖かく、遺体の処理は倒壊した家屋の数も相まって難航し、未だ遺族に対面させてあげられていない遺体も多い。


 ヤヤは肌や髪にわずかに残る腐臭に鼻孔を刺激されながら、膝を抱き込んで谷間に顎を沈める。


「セシリアちゃんが居なければ、イヌちゃんとスーちゃんも死んでいたデス……」


 ヤヤの視線の先にはハンモックで眠るラクネアと、彼女に抱き着いて眠るイヌとスーの姿。

 三人共、穏やかとは言えない表情で、悪夢にうなされているのか眉間に皺を寄せている。

 特にラクネアは酷く、うなされながら「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝罪し続けている。

 これで二日前に比べれば、良くなって来たと思ってしまうのは、麻痺してしまったのだろう。


 あの日の晩、セシリアの対処をクリスティーヌ達に任せたヤヤは、心配だった東区の孤児院に足を運んだ。

 だが彼女を迎えたのは何時もの孤児院では無く、倒壊し焼け落ちた残骸だけだった。

 黒龍のブレスによって破壊されたというには、明らかに焼け落ち、時間が経っているそれにヤヤは動揺を隠せず、そして眠るイヌとスーを抱えながら幽鬼の様にふらふらと焼け落ちた孤児院の中で、煤まみれになりながら何かを探すラクネアを見て安堵と共に駆け寄った。


『ラクネアさん! 何があったデスか!?』

『……あぁ、ヤヤ、ヤヤ……』


 駆け寄ったヤヤに、ラクネアはうわ言の様に名前を呼びながら痛い程に強く抱きしめて来た。

 その普段とはかけ離れた姿に、ヤヤは驚きを隠せず何があったのかと震える声で問いかけた。


『……見ての通りだよ。皆燃えて無くなっちまった、家族が、残った子供達はこの子達とヤヤだけだよ』

『……どうして……』

『そんなの私が聞きたいよ……セシリアが居なければこの子達も失う所だったよ』


 今にも壊れてしまいそうな、いや、壊れしまっているラクネアは濁った複眼で壊れ物を扱う様に腹部の上に縛り付け寝かせたイヌとスーの頭を撫でる。

 愛おし気に撫でているが、思わずゾッとしてしまう雰囲気を纏ったラクネアは、驚いて固まるヤヤを見つめる。


『ヤヤは、居なくならないよね?』

『え……あ……』


 ヤヤは答えられなかった。

 ヤヤは別に孤児では無い。ただ宿として寝床を貸してもらって、善意に対して家事の手伝いや孤児たちの相手などをしているだけで、何時かは離れるだろうと思っていたから。

 だけどそれを、目の前の昏い目で、言いようの無い圧を放つラクネアに言う事は出来なかった。


『だ、大丈夫です。ヤヤは死なないデス』

『そっか……』


 何の保証も無いその場限りの嘘ですら、見抜けない程に憔悴しているラクネアは心底安堵したように表情を柔らげる。

 それが酷く歪に見えて、ヤヤはどうしてこうなってしまったのだろうと涙ぐんでしまった。


「ヤヤは……どうすれば良いデスか」


 寒い。

 物理的にか心象的にか、はたまた両方か。

 もう何も考えずに眠ってしまいたかった。

 だがクリスティーヌの誘いへの答えは明日に迫っていて、このまま眠る事は出来ない。


 考える事は沢山ある。

 母親の魔力欠乏症という死病をどうにかしたい。

 ラクネア達だって心配だ。

 強くなりたい。という気持ちに偽りは無いか。


 だけれど、今のヤヤはこれ。という決定が出来なかった。

 道標を、目的を見失っていた。


 故郷の為にお金を稼ぐのを目的にこの街に来たが、それだって母が病に倒れた今となってはその気力も失せてしまった。

 強くなりたいと漠然に思うだけで、ヴィオレットの辛辣だがはっきりとしたあの言葉に答えられない自分が歯がゆかった。

 ラクネア達だって、何時までもそばにいる事が出来ない。いつかは離れる時が来るが、それがいつになるかは今の様子からは分からない。


「止めて……お願い、連れてかないで。返して、返して!! いやっいやぁぁっ!!」


 ヤヤの熟考はラクネアの悲痛な泣き声に遮られた。

 慌ててヤヤが駆け寄れば、ラクネアは両腕を突き出して砂の中に埋もれた砂金を探す様に手を動かしている。


「大丈夫。大丈夫デスよ」

「あぁ、離れないで……」


 ヤヤは慣れた手つきで彼女の右手を包みこみ、左手はイヌの上に置く。

 そしてそのまま、母が風邪の時に隣にいてくれた時を思い出して、それに倣って柔らかい声音で囁く。

 そうすれば、とりあえず落ち着きを取り戻しラクネアは静かな寝息を立てだした。


「ふぅ……」


 それを見て一息つくが、ヤヤが手を離せばまた数時間後には同じ事を起こすだろう。

 だがこれだって、二日前に比べればマシになった方だ。

 二日目、あの日の夜はそれこそ酷いもので、突然甲高い悲鳴を上げて泣き喚くのがしょっちゅうだった。

 赤子の夜泣きの様に泣き喚くその姿に、ヤヤは途惑いと共に朝日が昇るまで、目が覚めて泣きそうなイヌとスーと共にラクネアに付き添っていた。


「ヤヤちゃン……」

「うにゅ……」

「あ、起こしちゃったデスか?」


 ラクネアの声に起きてしまったというよりは、二人も熟睡が出来ていなかった様子で目を覚ました。


「にゅぅ、おしっこ……」

「スーも」

「ついていくデス?」

「にゅぅ」


 目を覚ました二人は尿意を訴え、ハンモックからヤヤの手によって降ろされてヤヤ先導の元、イヌとスーはお互いに手を握ってトイレに向かう。


「イヌ、ホラ起きテ。ツイたヨ」


 トイレに付いた一行だがそれなりに目を覚ましたスーと違い、イヌはうつらうつらとしている。

 そんなイヌは寝間着のドロワースを脱ごうとしたが、かぼちゃパンツが引っ掛かるのか、腰に当てた手を離しスーに向き直る。


「にゅう、ぬがして……」

「イヤ、スーもおしっこシタイ」


 イヌより目が覚めているとはいえ、寝起きのスーも少々不機嫌に顔を逸らす。

 その言葉にイヌがムっとしたが、何か言う前にヤヤが傍に寄ってきた。


「スーちゃんはしてて良いデスよ、ヤヤがイヌちゃんの相手するデス」

「アリガト」

「ごめん」


 そそくさと個室に入って行ったスーを見送り、ヤヤはイヌのカボチャパンツを緩める。

 同じ年齢の筈なのにどうしてこう、妹を相手している気分になるのだろうか。


「ヤヤちゃん」

「ん? どしたデスか?」


 固く結ばれている所為で、なかなか腰ひもを緩められないヤヤのつむじに、イヌの声が降る。

 目が覚めたのだろう、舌ったらずな声では無い。


「ラク姐の事、ありがとね」

「ん……ん?」


 やっと紐を解けた。と小さな達成感を覚え額を拭ったヤヤは、一拍遅れて顔を上げる。

 ヤヤが見たのは妙に大人びた、悲し気に微笑んだイヌの姿だった。

 人型で12歳児と変わらない身長で、見た目は完全な猫の獣人のイヌは普段は無垢な子供と変わらない姿しか見せていなかった。

 だからこそ、初めて見たイヌのそんな姿に目を丸くしてしまう。

 イヌはそんなヤヤから目を逸らし、ラクネアが眠っているであろう部屋の方を壁越しに見つめる。


「イヌとスーじゃラク姐をどうすれば良いか分からなかったから、ヤヤちゃんが来てくれて安心したんだ」

「え……あ、イヌ……ちゃんデス?」

「なにそれー? ヤヤちゃん見て分からないのー? やばっ! もれそう……」


 誰? と言わんばかりに呟いたヤヤに、イヌは子供じみた雰囲気で唇を尖らせ聞き返すが、尿意に刺激されて慌てて個室に飛び込む。

 それを見送ったヤヤは、驚きから立ち直るととりあえずとトイレの外に出た。

 そのまま、壁にもたれ掛かって狼尻尾の毛先を弄ぶ。


「…………」


 ありがとうの言葉を嬉しくないと思ってしまったのは、初めてだった。

 知らずの内にため息がでて、どんどん思考が悪い方に向いてしまうのは疲労と寝不足の所為だろう。


「いやぁぁぁ!!」


 葉擦れの音一つしない丑三つ時に響く甲高い悲鳴。

 慌ててヤヤが音の方へ駆け出せば、バァン!! と勢いよく扉が開け放たれ縺れながらラクネアが飛び出して来た。

 完全に瞳孔の開ききったラクネアはヤヤの姿を捉えると、目にも止まらぬ勢いで抱きしめる。


「あぁヤヤ……ヤヤぁ……どうしよう、イヌとスーが居ないの、どうしよう、どうしよぉ……」

「お、落ち着くデス。二人はトイレに行ってるデス……」


 ヤヤの言葉を証明する様に、背後から足音が二つ近づいてくる。


「ラク姐!?」

「ラクネー」

「イヌ! スー! あぁ良かった……無事だったんだね……」


 ただトイレに行く為に離れていただけなのに、大げさな反応で痛い位抱きしめるラクネアに、二人は複雑そうな表情を浮かべる。

 ラクネアは自分の糸で三人にリードを付けると、背の腹の上に乗せながら部屋の中へ戻って行った。


「ダメだよ三人共、夜は危ないから離れちゃ。ほら、ちゃんと眠らないと」

「う、うん」

「ワかっタ」


 ラクネアは壊れた人形を思わす笑顔を浮かべながら、三人を抱きしめながらハンモックに横たわる。

 用を足したから特に不満の無かった二人は、特に何も言う事なく目を瞑る。まるで、朝になれば元のラクネアに戻る事を期待する様に。


「離れちゃだめだよ……危ないんだから……」


 ラクネアは愛おし気に三人の頭を撫でる。

 三人の重みと温もりに安心したのか、次第に穏やかな寝息を立てだした。

 暫くすると、むくりと一つの影が起き上がる。


 起き上がったのはヤヤ。

 彼女は狼耳をペタンと垂らしながら、痛ましく三人を見る。


 イヌとスーは変わってしまったラクネアを怖がっている様子はあるが、それでもラクネアの傍にいる理由をヤヤは二人の口から語られていた。


『今のラク姐はちょっと怖いけど、別に良いんだ』

『スーも、一緒ニ居ルとアンシンする』


 二人はセシリアに助けられる前、どうしてもトイレに行きたくなって地下室からこっそり出た所で、気付いた時にはあっという間に火の手が回っていた。

 そこからは外に出ようとした所で、老朽化した建物の一部が二人の元に崩れ落ちてきて熱に焼かれる中意識を曖昧にしていた。


 そんな中で思ったのは家族の、ラクネアや他の孤児たちの事だった。

 そしてラクネア以外の家族が居ないと伝えられた後、二人はラクネアから離れがたいと言う様に傍にいる様になった。


 ラクネア程顕著では無いが、たった一人残った家族を、親に執着する様になったのだ。

 その所為で二人の笑顔が曇ってしまい、仕方ないとはいえヤヤは一抹の寂寥感を覚えていた。


 そしてこのままラクネアの傍にいても、何も変わらないことは容易に理解できる。

 時間がラクネアの傷を癒すだろう。少なくとも、ヤヤに今日明日で彼女の笑顔を取り戻す手段は持ち得ていない。

 何より、ヤヤにとってラクネアは友人でしかない。本当の家族が居て、本当の母が病に伏している。


「ごめんなさい。ラクネアさん、スーちゃん、イヌちゃん」


 謝罪を口にすると、ヤヤは線引きをするように自分のベットに移り、横たわった。


 答えは出ていなかった。悩んで悩んで、誰かに相談したかった。

 自然と、心許す仲間の顔が浮かんだが、彼女の秘密を聞いて複雑な心境ではどうしても相談できる気がしなかった。


「セシリアちゃんが悪魔……嘘じゃ、ないんデスよね」


 次に会った時はきちんと笑えるだろうか。

 仲間だと、友達だと思う気持ちに揺らぎはない。

 それでも、セシリアの正体を知って複雑に思う気持ちが無い訳では無かった。

 こんな事なら、信仰なんて持っていない方が良かったと思ってしまう。


「ヤヤは誇り高い灰狼。決して仲間を見捨てない。仲間は第二の家族」


 言い聞かせる様に呟く。

 とりあえずクリスティーヌの誘いを受けよう。

 細かい事はそれから考えれば良い。

 疲れ切った頭では、そんな風に考えてしまう。


「明日からは……ちゃんといつも通りにするデス。だから……今日は……もう……」


 暗い自分はキャラじゃない。

 いつも笑って気楽に行こう。

 弱い自分にはそれ位しか出来ないから。


「ヤヤは……はい……ろう……」


 いつの間にか意識は微睡み、静かな寝息を立てだした。

 その日は久しぶりに、故郷の、家族の夢を見ていた。

 彼女が大事に思う本当の、暖かい家族全員の思い出を。



 ◇◇◇◇



 カランッ。とグラスに積まれたロックアイスが溶ける音が響く。

 月光に包まれながら窓際の椅子に座るアイアスは、そのグラスに入った蜂蜜色の酒を煽り呑んだ。


「ふぅ……酒なんて、いつ振りだろうね」


 空になったグラスに度数の強い酒を注ぎながら、久しぶりに呑む酒に苦笑いを浮かべる。

 その皺が目立つ肌はほんのり色づき、いつもは小難しく細められた目も何処かトロンとしていて、良い感じに酔っている事が察せられる。


 欠けた所の見えない綺麗な円を描く満月を見上げながら、アイアスはグラスに口を付け、深いため息を吐く。


「ダキナ……まさかね」


 本当はこれからの事を考えなくてはいけないのに、どうしてもセシリアの話した女の事が脳裏から離れない。

 アイアスには嘗てセシリア以外にもう一人、弟子が居た。

 セシリアにとっては姉弟子となる、初めての弟子が。


 その子は幼少の頃、魔法の覚醒に伴いそれが強すぎる影響を与えすぎて、少女を不幸のどん底に陥れた。

 その少女は魔獣の住まう森の中で遭難し、魔獣の食い残しの中で必死で息を殺して三日三晩見つからない様に過ごしていた。

 その結果、少女は他者からの認識を曖昧にする希少魔法に覚醒するが、それを制御しきれず、生きて故郷に帰った彼女を迎えたのは家族から認識されないという結果だけだった。


 完全な透明人間。

 自身はそこにいるのに、他者からは認識されない。

 まるで存在を忘れ去られたように、幽霊になってしまった様に。

 手を触れれば気持ち悪がられ、物に当たれば悪魔の仕業と言われ、気配だけが漏れていた所為で畏れられ少女を残して家族は家を去ってしまった。


 失意の中で出会ったのがアイアスだ。

 アイアスだけは少女を見つけられた。

 境遇を知ったアイアスは、少女を引き取り魔法や魔力の扱い方、製薬などの錬金術や生き方を教えた。


 少女が女性になるまでは二人で楽しく生活していた。

 だがある日、女性は「恋をしたい」と言い残して旅に出て行った。

 馬鹿げた理由だが、世界を見るいい機会だと見送ったアイアスだったが、それからセシリアに会うまで一度も交流が叶う事は無かった。


 何処かで死んでいると思っていた。

 人類の生存圏から一歩外に出れば、そこは人類など生物界に置いて格下の存在だと言う様な魔獣たちの生存圏。

 そんな危ない世界だから仕方がないと思っていたが、セシリアの話からその容姿や行動を聞いて、どうしても脳裏にその少女がチラついて仕方が無かった。


「ダメだね。防人としてすべき事があるってのに」


 被りを振って頭を切り替える。

 考えるべきことは沢山ある。

 アイアスはクリスティーヌの誘いに当然、イエスと答えた。

 彼女の役目は禁忌の森にある魔界の門への不可侵の監視と、帝国の黒龍の封印の補強。そのどちらも破られた以上、今はエロメロイの語った事への事実確認と対処が必要だ。


 だが事実確認に関しては、必要ないと思っていた。

 魔獣の狂暴化という形で、各地で問題が多発しているのが、魔界からの干渉が強まっていると考えれば納得する節があった。

 細かい所は調べないといけないが、直感的には彼らの話は嘘では無いと思う。


「悪魔……ねぇ」


 空になったグラスを揺らしながら、初めて目の当たりにした悪魔の姿を思い浮かばせる。

 彼女の師匠からこの役割を引き継いでから今日まで、当たり前と言えば当たり前だが悪魔の姿を見た事は無かった。

 だからこそいざ本物を前にして、自分らと全く変わらない、知性ある存在に驚き、腑に落ちた。

 なるほど、だから()()()()、戦争か。と。


「ま、話の通じる相手で良かったというべきかね」


 独り言ち、再びグラスに酒を注ごうとした所で瓶が軽い事に気づき、思わず舌打ちを一つ鳴らしてしまう。

 しかし壁時計の針が深夜を回っているのを見て、深いため息をついた。


「寝酒。には浅すぎるけど、明日は師匠の所に行くし丁度良いか」


 立ち上がり、グラスと酒瓶を片付けるとテーブルの上に置かれた白く輝く重厚な銃を撫でる。


 本当なら、直接では無いがあの日にサプライズで送るつもりだったそれ。

 一心に母を慕い、目新しく面白い発想で錬金術の先を見させてくれ、前世の異世界の知識を持つ特別な弟子。

 自らが言い含めた約束を素直に守っている所為で、何時までも満足の良く物が作れない彼女に謝罪の意味も込めて作った、彼女の武器。


「誕生日プレゼント。にしては物騒すぎだよね」


 アイアスは苦笑しながらそれを床に置いたバックに仕舞い、自分も床に着いた。


 皮肉にも、セシリアが大事な物を失った日はセシリアとして初めての、愛衣が命を終えた年齢と同じ、16歳の誕生日だった。


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