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私のお母さんになってと告白したら異世界でお母さんが出来ました  作者: れんキュン
2章 物事は何時だって転がる様に始まる
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秘密は暴かれ導火線に火が付く




 目的の場所は直ぐに分かった。

 二階の応接間だと伝えられていた二人は、二階に上がると踊り場からすぐにヴィオレットと目が合い、彼女の先導に従って応接間の扉の前に案内される。


「もし、体調が悪くなれば遠慮なく仰って下さい。お嬢様も、流石に病み上がりの方に無理をさせるのは本意では無いと思いますので」


 ヴィオレットの気遣いに感謝しながら、二人は体調を再度確認し、問題が無い事を再確認するとヴィオレットに頷いた。

 二人の了承を得た事で、ヴィオレットは入室の伺いを立てる。


「お嬢様、お二人が参りました」

「入って貰って」


 帰って来た声は紛れも無いクリスティーヌの静かで、凛とした声。

 許可を得た事でヴィオレットは一歩横にずれながら、扉を開く。


「御機嫌よう」

「遅れてごめんなさい」

「こんにちは」


 頭を軽く下げる二人を出迎えたのは、入り口に向かって正面のソファで上品に座る詰襟の軍服を着込んだ、金髪碧眼で立て巻きツインテールのクリスティーヌ。

 彼女は遅れた事に文句を言う事も無く、穏やかに微笑んだまま着席を促す。

 二人は入ってすぐ目の前にあるソファに、肩を並べて座った。


「師匠、黙って居なくならないでせめて一言言って下さいよ」

「悪い、あの空気を遮るのも憚られてね」


 セシリアは向かって左手に座るアイアスに先の文句を言う。

 彼女は仮眠を取ったのか、幾分か目の隈を薄くして普段に近い雰囲気で肩を竦めながら笑った。

 ナーバスな様子から回復しているのを見て、ほっと安堵する。


「それで、そっちの人は……」

「初めましてぇ」

「うっす」


 セシリアの視線の先、右手側のソファに座る黒髪青肌で黒白目、そしてセシリアと同じ真紅の瞳を持つ男女。

 煽情的な恰好で情欲的な身体を晒す女性はひらひらと手を振り、緩い服を着て前髪を無造作に上げる青年は首だけ前に出す様に挨拶する。

 見た事の無いタイプの亜人で、思わず不躾にも物珍しく眺めてしまう。

 特にセシリアは、初めて見た自分と同じ瞳に強い興味を持つ。隣でマリアの表情が強張ったのに気付かずに。


「この人達が、会わせたいっていう人?」

「えぇ、ですが自己紹介は後に回させていただきますわ」


 扉に背を預けて部屋を俯瞰するヴィオレットの除き、部屋の中に居る人物はこれで最後。

 クリスティーヌの言葉に、セシリアは訝しみ、警戒心を持って浅く座り直した。


「二人の事は予め伝えてあるから、お二人から自己紹介はしていただかなくて構いませんわ。お互い、余り時間は掛けない方が良いでしょう?」


 クリスティーヌのプライバシー? な気遣いにセシリアは内心感謝する。

 別に自己紹介をするのが嫌な訳では無いが、早く終わるに越したことは無い。病み上がりで食後なだけに、程よい眠気に襲われているのだから。


 コンコンコン。と控えめなノックの音が響く。

 誰かが話していればかき消されてしまう程度だが、生憎と丁度会話が途切れていた。


「ご、ごめんなさいデス。遅れちゃいました」


 入って来たのは髪に水気を纏わせ、ほんのり湯気を蒸気させたヤヤ。

 おずおずと入室した彼女は、腕に何故か見覚えのあるデフォルメされたクマの人形を抱えていた。


「あ、ヴィーさん。これ、案内ありがとうデス」

「いえいえ」


 ヤヤは手に抱えた人形をヴィオレットに返す。

 それはヴィオレットが洞窟で索敵に使った人形であり、今回はヤヤの道案内に使われたようだ。

 人形を受け取ったヴィオレットは、ヤヤの視線が外れた瞬間に怜悧な美貌が一瞬にへらと崩れたが、瞬きの間に元の澄ました侍従の表情に変わる。


「ヤヤちゃんも来たの?」

「お呼ばれして……ヤヤ、臭くないデスか?」


 アイアスに手招きされ隣に座りながらヤヤは答え、自分の身体を嗅ぎながら隣のアイアスを見上げた。


「ん? いや、石鹸の良い匂いしかしないね」

「デスか、良かったです」


 石鹸の良い匂いしかしないヤヤに小首を傾げつつアイアスが答えると、分かり易い程にヤヤは安堵した。


 実はここに来る前、倒壊した建物に押しつぶされる形で死体が飛び出し、ヤヤはその腐肉をもろに浴びてしまったのだ。

 泣きっ面で一生懸命、遅刻してまで身体を洗っていたのだが、ヤヤの人間より鋭い嗅覚は未だ腐肉の匂いを感じ取ってしまっている。

 そして先ほどのクマはお風呂に入るヤヤの足元に気づいたらおり、約束の時間が迫っている事と場所が変わった事で案内を受けながら慌てて来た次第だった。

 いつから傍にいたのか、ヤヤは気付かなかったが湯船に浸かっている時には浴槽の淵に立っていた。


 よく見れば、ヴィオレットの鼻周りが赤い様な。


 当然、そこまで説明する事も暇もなくクリスティーヌの音頭で話が再開する。


「さて、これで全員集まった事ですのでまずはミスセシリア。貴女に幾つか質問がありますわ」

「何?」


 ヤヤの入室で少し緩んだ空気が、引き締まる。

 自然と背筋が伸びるセシリアに、クリスティーヌは淑女の微笑を張り付けたまま翠の瞳を向けた。


「まずはワタクシ達より先行した貴女が、どうして街の外れであるあの場に、御母堂と居たのか。それを聞かせてくれるかしら?」


 セシリアはちらりと隣で爪を弄る女性と、欠伸をする青年を見る。

 クリスティーヌならまだしも、完全な他人である二人の前でそれを話すのは憚られるが、クリスティーヌが同席させている以上無関係。という訳でも無いのだろう。


「……細かい所は端折るよ?」

「構いませんわ、都度質問するので」


 セシリアは一つ深呼吸して、思い出したくも無いが脳裏に焼き付いたあの日の事を語りだす。


(あぁ、本当に。出来れば忘れてしまいたいけど、忘れちゃいけないんだよね)


 硬い声音で語る口調に反して、脳内では達観する様に別の事を考えてしまう。

 トリシャとガンドの件でアイアスの表情が強張り、孤児院の件でヤヤが唇を噛んで膝の上に置かれた手を握り込む。


「っ……」


 思い出すにつれ鮮明にフラッシュバックし、動悸が乱れ、嫌な汗がじんわりと滲み平静が保てなくなる。

 吐き気が込み上げ、説明が止まってしまう。


 震えるセシリアの酷く冷たい手が、柔らかい温もりに包まれた。


 隣ではマリアが安心させる様に微笑み、手を包みこんでいる。だけれどマリアだって血の気を引かせていて、それがまたいじらしいと感じてしまう。

 マリアの気遣いに心にじんわりと陽の光が差し込み、セシリアは落ち着きを取り戻す。


「ありがとう」


 お礼を言えばマリアの微笑みが深まる。

 セシリアは再度一つ深呼吸すると、最後のあの場での事を語りだした。


「ダキナっていう狂った女に攫われたお母さんを助けに行って、そこで戦ったんだけどお母さんを死なせちゃったけど……まぁ色々あって蘇生は出来た」


 敢えて、最後は暈した。

 あの姿になった原因は分かるが、理由が定かでは無いしセシリア自身化け物になっただなんて受け入れがたい所が有ったから。


「ふむ……」


 クリスティーヌは口元を手で覆って思案する。

 その横では女性が豊満な胸を強調する様に腕を組みながら、組んだ足先を揺らし、その隣で青年が詰まらなそうな表情で後ろ髪を掻いている。


 扉の傍で静かに佇むヴィオレットを含んだ四人を除いて、アイアス達4人は少なからず、孤児達ともトリシャ達とも交流があった為、その光景を語られて沈痛な面持ちを浮かべてしまう。


「凡そは分かりましたわ。それで、黒龍と戦った筈ですしその事に覚えはあります?」

「……なんの事」


 視線を少し下げていたクリスティーヌの言葉に、反射的にセシリアはとぼけてしまう。

 ダキナとの戦いまでは語ったが、その後を語るにはあの姿になった事を話さざるを得ない。それならば、知らないととぼけた方が良いのだが内心の動揺が伝わったのか、猫の様な翠の瞳がセシリアの真紅の瞳をしっかりと見据え、それを暴く。


「どうやらあるようですわね」

「いや、それは——」

「安心しなさい、貴女がどんな姿になろうと軽蔑したりはしませんわ。寧ろ、今回はその事について話をしようと思っていたの」


 クリスティーヌのさっぱりした言葉に思わず凝視してしまうセシリア。

 鏡で見た訳では無いからどんな姿だったかは定かではない。だが自分が異形の姿に変身したのは分かっていた。

 普通、知人が化け物に成り代わったら驚き、大なり小なり眉を潜めてしまうだろう。セシリアだって正直な所、目の前のクリスティーヌが化け物になったら今と同じ態度を貫ける自信は無い。


 にもかかわらず、目の前のクリスティーヌはセシリアのあの姿を知っている口ぶりで、代わらない態度で接している。

 嘘かどうかは目を見れば分かる。腹の探り合いなどした事の無いセシリアだって、その眼に脅えや軽蔑の色が浮かんでいないのは分かった。


「……見たの?」

「戦いの場には間に合いませんでしたが、貴女が異形の姿で倒れている御母堂に寄り添っている姿は」

「そう、なんだ」


 セシリアの記憶にあるのは、黒龍を撃退した所まで。

 そこからの記憶はなかったが、直ぐに元に戻った訳では無いのだと思い至り、どこまでも変わらないクリスティーヌの態度に苦笑する様に少し頬を緩めた。


「なら良いや。うん、お母さんが殺されてもうどうでも良いや、でもダキナだけは殺そうって思ったらあの姿になった。そのままダキナを撃退したけど、何か手からビームを出す義肢の女の子に邪魔されて、その後黒龍が乱入。後は黒龍も撃退して……で終わり」

「意識はあったんですのね」

「うん、でも意識があっただけで身体は勝手に動いてたって感じ。もう一人の自分が戦っているのを見ていたみたいな感覚かな」

「ふむふむ、でしたら——」


 診察の様にその後も幾つかクリスティーヌは質問を投げ、それにセシリアは正直に答える。

 いちいち隣でマリアが強張った気配を感じたが、何に反応したのか分からず、セシリアは握られた手を握り返すしかしなかった。


 10分程だろうか、目を輝かせたクリスティーヌは聞き取った事を纏めた紙を仕舞いながら紅茶で唇を潤わせて人心地着いた。


「ふぅ、なかなか興味深いお話でしたわ」

「これって、必要な事だったの?」

「勿論。さて、私の番は終わりですわね」

「やっとかー! 正直眠いっしょ」


 クリスティーヌの言葉に青年が場の空気を一新する様な声を出し、隣で女性が背を伸ばす。

 軽すぎる態度だが、セシリアは二人の目が一度だって自分達母娘から離れなかったのに気付いていた。さながら、獲物を狙う獰猛な猛禽類の様に。


 二人の一挙手一投足に注視しながら、セシリアは何時でも有事に対応できるように浅く座り直す。


「まずは初めましてぇ、セシリアちゃん?」

「……どうも」


 同性であるセシリアですら、クラっと来てしまう色香を纏わせる女性。

 長い睫毛に覆われ、眠たそうに伏せられた瞼から覗く真紅の瞳は儚さを匂わせ、彼女の煽情的な恰好で晒された情欲的で肉感的な身体も相まって思わず生唾を呑んでしまう。

 極力首から下は視界に映さないようにするセシリアに、女性は笑みを深めると一転、流し目がちにマリアへ焦点を合わす。


「初めましてぇ。マリア、さん?」

「っ……初め、まして」

「……お母さん?」


 彼女を知らない者から見れば、初対面の緊張で強張ってるだけに見えるだろう。

 だがセシリアはすぐにマリアの様子がおかしいことに気付いた。

 普段通りを装っているが、繋がれた手は小さく震えていてそれを隠そうとしている。そしてそれが緊張というよりは、畏れか何かに近い物だと察した。

 マリアはセシリアの呼びかけに答えず、ぎゅっと手を握り返しただけで、それがセシリアには酷く不安に感じた。


「改めて初めましてぇ、元魔王軍第3師団、師団長ナターシャよぉ。横のこれは弟ねぇ」

「っす、元魔王軍諜報部隊、非常対策担当エロメロイ。不本意ながら横の猥褻物の弟っしょ」

「うるさい、これはファッションょぉ」

「娼婦も真っ青の格好はファッションとは言わねぇっしょ」


 挨拶もそこそこに姉弟と言う酔ったような喋り方のナターシャと、軽薄な言葉遣いのエロメロイは気心知れた様子で話し合う。

 二人の自己紹介に、他の三人は予め聞いていたのだろうセシリアとマリアだけが驚く。


「魔王……軍?」


 隣で目を見開くマリアを横に、セシリアが訝し気に口を開く。

 セシリアだって確かに驚いたが、マリアの驚き方は尋常では無く漠然とした違和感を覚えた。


「そぉ。魔王様に仕える悪魔達の軍団よぉ」


 ナターシャはおどけた様に答える。


 悪魔。というには二人は見た目を除いてセシリア達人類と変わらない。

 見た目だって、今この場に獣の血が濃い亜人が居ないだけで、イヌやラクネアが居ればそれも目立たなくなるだろう。

 それほどに目の前の二人は理性的で、人間らしい。


 悪魔。という言葉から、洞窟で見たガーゴイル型のゴーレムや二足歩行の禍々しい羊の姿を連想したセシリアからすれば、肩透かしだ。

 ふと、そこでセシリアは悪魔についての知識が地球の物しか無い事に気づく。

 魔法があり、亜人もいて、嘗て悪魔と人類の戦争があったと言うのに、それついての詳細はおろか悪魔についての情報だって碌に聞かない。


 ふと沸いた疑問は宗教に疎いが故の物だろうと流した所で、隣で勢いよくセシリアの手を引きながらマリアが立ち上がる。


「す、すいません。ちょっと体調が芳しくないので、一旦娘と退室させて下さい」

「え!? 大丈夫お母さん?」


 見ればマリアは顔面蒼白で、目を泳がせている。

 まるで目の前の二人から今すぐ離れようとしているかのように。

 セシリアの魔法は傷や病は治せても体力までは戻せない。故に、セシリアは慌てて席を立ち退室しようとする。


 だが刹那背後に何かが近づく気配がし、セシリアは反射的に視界の端に映り込んでくる黒い影に割り込む。


「おっと、動くと危ないっしょ?」

「……なんのつもり」


 セシリアの首に掛けられる黒い大鎌。

 それを差し向けるは、申し訳なさの混じる苦笑を浮かべるエロメロイ。

 殺気こそ感じないが、武器を突き付けられた事で臨戦態勢に移ったセシリアは目の前のエロメロイを睨みつけ、マリアを庇う。


「な、何もしない約束だろう!?」


 アイアスが怒声にも似た悲鳴を上げながら勢いよく立ち上がる。

 ヤヤは突然の事に目を丸くしながら、クリスティーヌを有り得ないと言う様に見つめた。


 少なくとも、アイアスとヤヤは敵では無いのかと内心安堵しながら、セシリアは動揺の一つ見せないクリスティーヌを横目に見やる。


「騙したの」

「騙した訳ではありませんわ。ワタクシも寝耳に水ですの、これは何のつもりで?」


 クリスティーヌの咎める様な声音が、一触即発の空間に響く。


「ちょぉっと逃げられると困るだけでぇ、危害を加える気は無いわよぉ?」


 ナターシャは降参と言わんばかりに両手を掲げて、エロメロイに目配せすると彼は一言謝罪しながら鎌を霧散させる。

 一触即発の空気のまま、敵意が無い事は示されたがナターシャの目は絶対に逃がさないと語っている。


 ちらりと唯一の出入り口である扉に視線を向ければ、ヴィオレットに立ち塞がる意思が無いように見えるが、味方という感じでも無い。


「彼女達に危害を加えるという事はワタクシとの約束を反故にする、敵対するという事になりますわよ」

「ごめんってぇ、でも逃げられるのは困るからぁそれだけは勘弁して欲しいなぁ~」

「そそ、諦めて俺達の話を聞いて欲しいっしょ」


 どうしてマリアが逃げようとしたのかは分からない。

 だがセシリアはこのままここで無理に逃げ出して戦うよりは、一旦二人の言葉を信じて話位は聞いても良いのでは。とマリアを一瞥する。


「な、なら娘だけでも別に——」


 ギリッ! と歯が噛み擦れる不快な音が一つ鳴り響く。

 音の発生源であったナターシャは一瞬、悪鬼もかくやという程に顔を歪ませていたが一瞬で元の眠そうな表情に戻る。


「だぁめ、もう逃がさない」

「っ……」


 穏やかだが、有無を言わせない圧を滲ませるナターシャにマリアは悔しそうに唇を噛む。

 強張るマリアの手を、セシリアは安心させたくて握り返すが、マリアの表情は晴れない。寧ろ申し訳さなの滲んだ表情を浮かべて、セシリアは訳が分からず不安に揺れてしまう。


「な、何かするならヤヤは容赦しないデス!」

「あたしも、二人に何かするのを黙って見てはいられないよ」


 勢いよく立ち上がるアイアスとヤヤも相まって、状況は更に混沌に包まれる。

 フー! と尻尾を逆立てるヤヤと懐に手を入れるアイアスに、ナターシャは降参と両手を上げる。


「ごめんってぇ、ちょっとイラっと来ちゃっただけだからぁ、本当にお話したいだけなのぉ。あ、心配なら弟に手錠しとくぅ?」

「え? 俺? 姉貴がやるべきっしょ」

「お静かに! ヴィー、二人に手錠を。お二人も、敵意があると取られる様な事は慎んでくださいまし、こちらはお二人の事を信じ切っている訳では無いのですから」

「はぁ~い」

「何で俺まで……姉貴に逆らねぇんだって……」


 ヴィオレットに手錠を掛けられ、体内の魔力が乱れる不快感に顔を顰めながら二人は無力化される。

 エロメロイはぶつぶつとナターシャに文句を垂れているが、脛を蹴られると押し黙ってしまう。


「……とりあえず、お母さんを休ませたいから一旦失礼するよ」


 だがセシリアからすれば安心しきれない。

 何より隣のマリアの身を案じている以上、これ以上この場にマリアを置いておけない。

 自分だけで話を聞こうと思いつつ、彼女らに背を向けて扉に手を掛ける。


「あの姿が父親の遺伝で、その人が魔王だって知ってもその態度を貫けるのかしらぁ?」


 背に突き刺さるその言葉に、セシリアの手が止まる。

 隣で、マリアが息を呑んだ気配がしたが、セシリアはそちらでは無く背後のナターシャを肩越しに見た。


 挑発的なナターシャの目がセシリアを捉える。


「……どういう事」


 ショックを受けた様に、震えたセシリアの声が静寂の中に響く。

 その場の全員の視線が、セシリアに集まる。


「言葉通りよぉ?」


 押し黙るセシリアを余所に、ナターシャの言葉は続く。


「魔法に依らない肉体変質ぅ。それもぉあの騎士とも龍ともとれる姿は魔王様だけの体質だったのぉ。それを持ってる事が貴女が魔王の子である要因の一つでぇ……もう一つはそこの女」


 冷たい目に射抜かれたマリアの方がビクっと跳ねる。

 ナターシャは明らかにマリアを知っている様で、視線にありありと嫌悪感と侮蔑を含めて口を開く。


「魔王様の寵を得て、当時は天使の力を持っていたにも関わらず魔王様はおろか、護るべき者も何もかも捨てて一人逃げた卑怯者のその女が母である事が何よりの証拠」


 ありありと憎悪や侮蔑を籠められた言葉に、マリアは俯きながら黙して受け止める。

 いつの間にか、繋いでいた手はマリアから離されていて、服の裾を掴んでいる。

 そんなマリアを嘲笑うナターシャの舌は、どんどん滑らかになっていく。いつの間にか、酔ったような口調では無くしっかりとして女性の鋭い口調になっていた。


「魔王様は認知していた様だけど、私は信じられなかったわ。天使でありながら人間の様な好奇心や明るさは見ていて面白かったし、何より私達悪魔と一緒に居たいと受け入れてくれたのが嬉かった」


 頭に血が上ったナターシャは、溜まった鬱憤を吐き出す様に周りの事を忘れて立ち上がり、一歩一歩マリアとの距離を詰める。


「そんな貴女が大戦前に何も言わずに姿を消して、最初は信じられなかった。でも戦況が激化しても姿を見せない貴女に本当だと悟ったわ。どうして、護りたいと言ったあの言葉は嘘だったの? 貴女の天使の魔法があれば死ななくて良い人達を救えたはずよ」

「……ごめんなさ——」

「謝るな!」


 マリアの言葉を遮ってナターシャが吠える。

 お互いの距離が無くなってナターシャが掴みかかろうとした所で、セシリアが間に入ってナターシャの頭が少し冷える。


「失望したわよ。もしかしたら何か理由があって、どっかで頑張っているのかと思ったよ。でも蓋を開けてみればこれよ、貴女は無力な人間に堕ちてるし、のうのうと娘に守られて生きているだけ。魔王様の判断を間違っているとは思わない、でも私はもう貴女を友とは思わないから」

「…………」


 唇を噛んで俯くマリアを冷ややかに見下ろしながら、ナターシャはマリアの盾になるセシリアの真紅の瞳を見据える。


「分かった? 貴女のあの姿は魔王様だけが使っていた体質だから、貴女は半分とは言え同族なの」


 その言葉を、セシリアは無表情で受け止める。

 怒りも、困惑も、衝撃も何もない。

 ただ静かに、物語を読んでいる様に無感動に視線をナターシャの真紅の瞳と交差させた。


「……驚かないのねぇ」

「……まぁ」


 否定とも、肯定とも取れない曖昧な反応を返すセシリアは何を考えているか分からない。

 セシリアは深く深呼吸すると、隣で俯くマリアの腰に手を添える。


「話は、終わり?」

「え? えぇ、言いたい事は言ったわねぇ」

「なら先に失礼させてもらうね」


 あっという間にセシリアはマリアを連れて扉の先に消えてしまう。

 先に我に返ったのはエロメロイだった。


「珍しいな姉貴があんなにキレるなんて、大戦ぶりっしょ?」

「そうねぇ、300年溜まった鬱憤が爆発しちゃったかしらぁ」


 恥ずかしそうに顔を逸らすナターシャは、ソファに身を沈ませてその場の全員の視線に刺される。


「セシリアちゃんが悪魔……マリアさんも元天使で、魔王さんのお嫁さん?」


 ヤヤは咀嚼しがたいと突き付けられた情報に頭を悩ませる。


「悪魔と天使の子……にわかには信じがたいですわね」


 悪魔とはかつて人類と敵対した絶対の敵。相容れない化け物。

 天使とは誰もが信仰する神の代行者。清廉で、決して万人が目にかかる者で無いが故より一層神聖視される絶対の存在。

 相反する二つの存在を直接目にし、更にその二つが混じった存在がセシリアだと知り、クリスティーヌは思わず深くソファに沈んでしまう。

 特に、信仰を持つ以上少なくない衝撃があった。


「ミスアイアスは驚かないんですのね」

「まぁね、マリアに会った時に教えて貰ったし。いつか話すからとセシリアには秘密にしていたがね」

「そうですの。悪い事をしたかしら」


 いつの間にか傍に居たヴィオレットが入れてくれた紅茶で落ち着きながら、クリスティーヌは呟くと、件のナターシャとエロメロイに恨めし気な視線を送る。


「あの姿の理由を伝えるだけ。と聞いていたのですがね」

「理由でしょぉ? 本当はこっちに誘っかなぁと思ったけどぉ、あれは要らないわねぇ」

「まぁ、彼女は御母堂に付きっ切りの様ですから。貴女方が望んでも色良い返事が返っては来ないでしょうね」

「あ、あの……」


 二人の会話に、ヤヤは未だショックから抜け出せない様子で割り込む。

 全員の視線に晒され、ヤヤは緊張に腔内を乾かしながらナターシャとエロメロイを横目にクリスティーヌを見据えた。


「ヤヤは、どうしてここに呼ばれたデスか?」

「あぁ、置き去りにしてしまいましたわね。端的に言えば勧誘ですわね」

「……勧誘?」


 小首を傾げるヤヤから視線を逸らし、クリスティーヌはナターシャとエロメロイに目で促す。


「弟ぉ」

「っす」


 ナターシャの言葉に、エロメロイが姿勢を正す。

 表情を引き締めた彼は、深呼吸して口を開いた。


「まず今回、俺達がこちらの世界に来た理由は俺達の世界、所謂魔界で主戦派と穏健派による均衡の崩壊が要因っしょ。あ、魔界の門を通れたのは黒龍の攻撃による揺らぎね、他に通った悪魔は居ないから安心していいっしょ」

「長い」

「っす」


 ナターシャのつま先がエロメロイの脛に刺さると、彼は頬を引き攣らせてこめかみに青筋を浮かべながら、咳払いして要点だけ纏める。


「つまり、また人魔大戦が起きそうだから、俺達はそれをこっち側から阻止しようって話」

「……戦争が……起きるデス?」

「今のままだと確実っしょ」


 慄くヤヤの言葉に、エロメロイは事もなげに答える。

 ヤヤ以外は予め聞いていたのか、驚いた様子は無い。

 ただでさえセシリアの事で頭いっぱいなヤヤは、何も考えたくない面倒くささに襲われてしまう。


「あの場に居合わせたから以上、下手に放置するよりはこちらに引き込んだ得策だと思いまして。勿論、断っても構いませんが、その場合当面は監視を付けさせていただくことになりますわ」


 クリスティーヌの言葉はヤヤの心に刺さる。

 これがヤヤの実力を買って。というならばヤヤの心はまだ晴れただろうが、彼女は口封じと伝えた。

 良くも悪くもはっきりと告げるクリスティーヌの物言いが、ヤヤには辛かった。


「少し……考えさせて欲しいデス」

「構いませんわ。でも明日までには答えを出して下さいまし? 首都の方に戻らないといけないの」

「分かったデス……」


 お辞儀だけして、俯いたままヤヤは退室する。

 それを見送ったクリスティーヌは、気難しく眉根を寄せるアイアスに水を向けた。


「ミスアイアスは……」

「勿論協力するよ。防人の役割でもあるからね」


 話は終わり。と言わんばかりにアイアスも立ち上がり退室する。


「それじゃぁ、お姉さんも失礼~」

「おじゃま」

「ヴィー、二人を連れて行って」

「畏まりました」


 一人、また一人と退室していって、最後にはクリスティーヌだけが残った。

 ぽつんと残ったクリスティーヌは、深いため息を吐くと、だらしなくもソファに深く深く沈んでいった。


「……今請け負っている復興作業は商会の方に任せて良いとして……戦争……黒龍。悪魔と天使……まずはお姉様や義兄様に相談……いえ、その前にお父様に報告して、各国に通達……は、時期尚早ですわね、今はあの二人の話が本当か見極めなければ」


 天井の木目を数えながら、クリスティーヌの頭は忙しなく働く。

 やらなければならない事は沢山ある。その中で優先度を付け整理付けする。

 だがよく見れば、化粧で上手く隠しているが目の下には酷い隈が浮かび、気を抜いた所為でくたびれた雰囲気が濃く纏わりつく。


「……少し、疲れましたわね」


 静かに瞼を閉じるクリスティーヌは、直前まで纏っていたしゃんとした雰囲気は無く。

 ただ疲れ切った、年相応の寝顔で静かに寝息を立てだす。

 その双肩には、少女には重すぎる重圧がかかっていた。


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