自覚しない想い
「あ―楽しかったー!」
「流石に遊びすぎたかもねー」
「気にしない気にしない!」
陽が落ちだした夕暮れ時、愛衣と千夏は両手に大荷物を抱えて帰路に着いた。
愛衣はゲームセンターで取ったであろう大量のぬいぐるみの山、千夏は両手に同人ショップで購入したアニメグッズ等など、持ちきれないと言わんばかりに抱え既にお互い両腕は悲鳴を上げている。
疲れの滲む姿ではあるが、お互い表情は晴れやかで一日を心から楽しんでいた事が伺える。
「帰って寝たいけど帰りたくないなー」
「あー、わかる」
「わかってくれる!?」
鼻息荒く詰め寄る千夏に思わずたじろぎつつも頷く愛衣。
そんな愛衣の反応に満足気な笑顔を浮かべ小さく何度も頷く。
「そっかそっかぁ。へへ」
その反応を見て首を傾げたが、千夏の内心と愛衣の内心は違うだろうと思っていた。
(この楽しい時間から、誰もいないあの家に帰るのはちょっと辛いしね。特に今は、昨日のお母さんからの電話があったから余計に)
苦い物が込み上げてきたが、楽しいこの時間にふさわしくないと被りを振って払う。
「ほら、ぼうっとしてないで帰ろ? 腕痛いでしょ?」
「え? あ、ごめんごめん」
それでも何かあったら千夏に悪いと、遅くなる前に帰る様に促して歩き出す。
「しっかし今日はお金使いすぎたなー、今月ピンチかもー」
「だから言ったのに、途中から私が全部出してたじゃん」
「ふへへ、面目ねぇ」
コラボカフェを後にした二人はゲームセンターから始まり、カラオケにボウリング、アニメグッズショップ巡りなど散財に散財を重ねた。
財布に二万円しか入ってなかった千夏は早々に軍資金が付き、あれだけカッコつけたにも関わらず後半は愛衣におごられるがままになっていた。
恰好を付けていただけに非常に締まらない。
だが愛衣は自分が楽しんだ結果だと割り切っているし、千夏に恩を返せるいい機会だと思っていたから躊躇なく財布からお金をだしていた。
その結果として愛衣と千夏は二人だけの思い出が幾つも出来た。今も、スマホケースの裏には二人で撮ったプリクラが貼られている。
それがとても嬉しくて、スマホを意味も無く取り出してしまう程に。
「今日は楽しかった? 愛衣」
「ん? うん、楽しかったよ。千夏ちゃんのお陰、ありがとう」
突然話を振られて少し反応が遅れたが、嘘偽りなく本心から感想と礼を告げる。
すると千夏は穏やかな、母が子を慈しむような慈愛に満ちた微笑を浮かべる。
その顔に、思わず愛衣は見惚れてしまった。
「良かった、なんだか最近の愛衣は苦しそうだったから」
「……そう、かな?」
「そうだよ。楽しいのに楽しいって言えない、辛い過去を持つヒロインみたいな顔してたよ」
それは何とも具体的な。と思い、それが的確な事に驚く。
腔内が乾いて、それでも何かを口にしようと愛衣が口を開いたところで「あっ!」と千夏は大声を上げる。
「ゴメン! 私お母さんに洗剤買ってきてって言われてたんだ。ちょっとそこのコンビニで買ってくるね!」
「え、ちょっと千夏ちゃん!? ……はや」
言うが早いか、陸上部として鍛えられた俊足で千夏はコンビニの中へ姿を消す。
一人取り残された愛衣は、仕方なく近くの柵にもたれ掛かって帰りを待つ。
その前を通り過ぎる人々。
一人で帰る者もおれば友人と帰る者。
愛衣はそれを何となく見送っていたが、家族三人、父親と母親と娘が仲睦まじく幸せそうに帰っている姿が視界に入り愛理は胃が絞め上げられた様な気分になってくる。
「っはっは……っは」
段々と呼吸が浅くなってきて視界が滲んでくる。
おかしい、別に家族連れだなんて今日一日そこらじゅうで見たでは無いか、なのにどうしていきなりそれを見て狂う程の羨望と悲しみが襲ってくるのか。
とうとう立っている事が出来なくなり、胸を抑えて蹲る。
脂汗が滲んで、見開かれた両目からは涙が零れていく。
痛いいたいイタイ。
声にならない悲鳴が胸中を支配する。
「愛衣!?」
その声が聞こえ、駆け寄ってくる気配を感じられて不思議と胸の苦しさが柔らぎ始めた。
「愛衣!? どうしたの!? 苦しいの? 大丈夫?」
「ち、ちなつちゃん……」
俯いていた顔を上げると、心底心配そうに困惑しつつも顔をくしゃりと歪ませる、泣きそうな千夏が傍にいた。
背中に当てられた手が温かい。それだけで少しずつ呼吸が出来る様になって来る。
「ふぅ……ごめん、ちょっと……」
「だ、大丈夫なの?」
「うん、少し楽になった。ありがとう」
「とりあえず、一回腰を落ち着かせよ? すぐそこに公園があるから」
「ごめんね」
愛衣は背中に手を回されながら目の前の公園に足を運び、色あせたベンチに座る。
その間も、千夏は常に愛衣を気遣い介抱していた。
深呼吸を幾つもして漸く落ち着くと、愛衣は千夏に笑いかける余裕が出て来る。
「ありがとう千夏ちゃん。お陰で楽になった」
「ホントに大丈夫? 辛くない?」
その優しさだけで充分だった。その優しさが愛衣の心に染み広がる。
「大丈夫、千夏ちゃんのお陰。ホントにありがとう」
「そ、そう?」
釈然としないながらも嬉しそうに口元をヒクつかせる千夏に、愛衣は言いようのない気持ちが湧き上がる。
そして出会ってから今日まで、言えなかったことを口にする。
「どうして」
「ん?」
「どうして千夏ちゃんは、こんなに優しくしてくれるの?」
「え?」
愛衣は千夏を見上げる。
瞳は潤い、頬は興奮した所為で上気している。
端麗な顔の愛衣に涙目の上目遣いで見つめられ、千夏は生唾を呑んでたじろぎ、視線を外と愛衣の間を交互しながらも口籠る。
「そ、それは……愛衣が……愛衣の事が……す」
「す?」
「す……す……すごく気になったから!!」
キョトンと目を瞬かせる愛衣と、真っ赤な顔で天を仰ぎ「どうして……」と呟く千夏。
「気になったって……どういう事?」
「……初めてあった時、すっごく美人なのに誰とも話そうとしない。人嫌いなのかと思ったら物寂しそうな顔するし、いっつも寂しそうに談笑している人たちを見ていたから、気になって声を掛けたんだ」
愛衣は千夏の言葉を聴いて胸がドキドキと早鐘をうち、胸が温かくなるような感情がドンドン湧きあがる。
こんな私を見てくれる、心配してくれる。声を掛けてくれる、気にかけてくれる。笑いかけてくれる、楽しませてくれる。
一緒に居ると愛衣は母親の事を忘れられた、家の事を忘れられた。千夏と一緒に居ると楽しかった。
(私にお母さんが居たらこんな気持ちなのかな)
そう思ったら身体が勝手に動いた。
「私、千夏ちゃんと会って毎日が凄く楽しくなった、学校に行くのが楽しみになった。辛いことがあっても、千夏ちゃんと一緒なら笑えるようになった。あの時、千夏ちゃんが話しかけてくれてすごく嬉しかった」
「そ、そう?そこまで言われると面映ゆいなぁ」
頬を掻く千夏は嬉恥ずかしそうに笑う。
そんな千夏には愛衣は笑いかける。夕焼けに照らされた愛衣のその微笑は千夏の人生の中で最も美しいと感じ、顔が真っ赤になってしまう。
「私千夏ちゃんともっと一緒に色々したい、ずっと一緒に居たい。だから」
愛衣は千夏の両手を握り、真剣な凛々しい表情で千夏と目を合わせた。戸惑いながらも何処か期待に目を輝かせる千夏に、愛衣は口を開く。
「私のお母さんになって」
「…………へ?」
「…………あれ?」
二人してキョトンとした顔を浮かべる。
千夏は言葉を理解しきれず、愛衣は何かを間違えた様な気がして。
「あー……うん? 聞き間違い? ごめん、今なんて言った?」
「え? あれ? ……ママに……なって?」
「いや変わって無い、何も変わって無いって」
やはり聞き間違いでは無かったと頭を抱える千夏に、愛衣はキョトンとした顔を向ける。
「う~ん。ママ、お母さんかぁ。まだ16なんだけどなぁ、それに私がなりたいのは恋人であって家族では……いや、ある意味恋人の上位互換?」
「あの……千夏ちゃん?」
ぶつぶつと呟く千夏に声を掛けるも、余程集中しているのかその耳に届かない。
「い、いや。家族になれば合法的に一緒に居られる? でもそうなるとエッチな事とかできない……まてよ? ママプレイ? ……ちょっと理想とは違うけどそれはそれで……」
「全然聞いてない……ん?」
話を聞いてくれない事に不満を覚えて一度顔を上げた愛衣。その視線の先には勢いよく蹴り飛ばされたボールを追う少年。
そのボールが向かう先は公園の出口で、公園を出て直ぐに道路があり、基本的に交通量は多くないが道路は道路。危ないなぁとその行方を目で追ってしまう。
……ブォン。
そんな音が愛衣の耳に届いてしまった。
愛衣は嫌な予感がして無意識的に立ち上がる。
立ち上がって見えた。
道路の向こうに明らかに、スピードの出しすぎな車がこちらに向かってきている。
その車の正面に誘われるように転がるボール、そしてそれを追いかける少年。
思わず愛衣は一歩踏み出していた。
「ダメ」
ボールが道路に飛び出し、それを追いかけた少年が道路の真上で拾い上げる。
それと同時に耳をつんざくような、キキィー!! という甲高い悲鳴が轟く。
「ダメぇぇぇ!!」
叫びながら身体は駆け出していた。
愛衣は無我夢中で飛び出して、道路の上で呆然と立ち止まる少年を抱きしめた。
その瞬間、愛衣の身体は一瞬の強い衝撃の後浮遊感に包まれる。
視界に地面が迫っても尚、愛衣は抱きしめる腕だけは緩めず。
気付いた時には愛衣の動かない視界には血に染まった地面と、悲鳴を上げながら駆け寄ってくる千夏の悲壮な顔があった。
全ての音が遠くなった世界で、強い倦怠感と眠気に包まれる。
(あれ? 腕が動かない。身体も、目もだるくて動かないや)
意思に反して動かない身体に疑問を覚えつつも、ぼろぼろと涙を流しながら視界一杯に映る千夏に笑いかけようとする。
(泣かないで千夏ちゃん。変な事言ってごめんね)
「……だいぅ」
声を出そうとしても、ひゅーひゅーと息が零れるだけで声が出ない。千夏が泣き叫んでいるが、それは愛衣にはどうにも水が膜貼った様に聞こえにくい。
自分の命の限界を本能的に悟る。
それでも何とか緩慢な動きで口を動かす。これだけは伝えたいと言う強い意志で。
(ありがとう)
「……あ……り……とう」
千夏の慟哭が一層激しくなる。
その姿を見て心が張り裂けそうな位痛くなるが、一筋の涙を流して眠る様に目を閉じた。
ただ一抹。僅かばかりの後悔を滲ませる。
(生まれ変わったら、優しいお母さんに出会いたいな)
愛衣の意識が真っ暗な闇の中に溶けて消えた。