募る
生きてありんす。
もう30話くらいぶっとばしててぇてぇシーンだけ書いてたいでありんす
「あ! もうこんな時間!」
頭を撫でられ続けていたヤヤは、視界に入る時計塔の針が昼を回っているのを見て灰色の狼の尻尾を立てる。
あわあわと墓参りの道具を片付けたヤヤは、セシリアとマリアに頭を下げて被災地へ行こうとする。
「復興作業があるからヤヤは先に失礼するデス。あと、良かったら今晩はラクネアさん達と一緒に居てあげて欲しいデス、ヤヤ達は暫く南区の教会に寝泊まりしてるから、それじゃ!」
言うが早いか、返答も待たずにヤヤは手を振りながら去って行く。
笑顔を浮かべて走り去る姿は、マリアによって心の蟠りを少しは解かされたのか明るい笑顔だった。
「行っちゃいましたね」
「……うん」
「セシリア?」
姿が見えなくなったヤヤを見送っていると、セシリアの表情が曇っているのに気付く。
どうしたのか、と近づけば、セシリアはマリアの袖を小さく掴み俯いたまま何も言わない。
「どうしたんですか? もしかして、体調が悪いんですか?」
「……大丈夫」
眉根を寄せたまま不機嫌そうな表情のセシリアはただ黙ってマリアの袖を掴み、やがてそれはマリアの細く嫋やかな指に移り五指を絡めて繋がれる。
暖かく、マリアの指より筋肉質ながら柔らかさの残る指だが、それは何処か鎖の様に巻き付かれている印象をマリアは受けた。
「セシリア……?」
「それより」
マリアの困惑に揺れる言葉を遮るセシリアは、何処か硬い声音で繕ったような微笑を浮かべた。
どうしてそんな表情をするのか、それを聞こうと一歩踏み込もうとしたマリアだったがセシリアが口を開いたことで止められる。
「流石にちょっと冷えて来たし、それにお腹も空いて来たから私達も帰ろっか」
「え、は、はい」
勘違いだった? と思う様に普段通りの穏やかで自然な笑みと声音でマリアの手を引くセシリアに、マリアは言葉を詰まらせながらも気のせいだったと被りを振る。
正直な所、貫頭衣の下には下着しか付けていない上カーディガン一枚羽織ってるだけだ、それに二日間も寝込んでいた為胃が悲鳴を上げだしている。どこかで腰を落ち着かせたかった。
「そういえば、いつの間にか師匠居ないんだけど」
「あら、そう言えば……ん? ポケットに何か入ってますよ」
「お? ほんとだ」
ふとアイアスの姿が見えない事に気づいた二人は、まばらに参拝する人々の中にアイアスの姿が無いか探したが、影も形も見当たらない事に、せめて一言言ってくれればいいのにと唇を尖らせた。
その折、セシリアのポケットからはみ出す紙切れにマリアが、気付きセシリアはそれを広げる。
『用事があるから先に帰る。15時くらいに南区の一番高い宿屋に来てくれ、会わせたい人が居る』
「……直接言えば良いのに」
「今日のアイアスさん、様子がおかしかったですね。自分を責めている感じで、その所為でしょうか」
「とりあえず、もう一回会った時に聞けなかった事とか聞くで。今ってご飯屋さん開いてるのかな」
文句は出るが、直前のアイアスの様子であったり場の雰囲気であったりを思い返して仕方ないかとため息をついたセシリアは、釘を叩く軽快な音や指示を出す人々の声を聞いて食事を取れる場所があるのかと首を傾げてしまう。
少し前ならトリシャ達の元へ食事に行くが、今となってはそれは叶わない。
「適当な所でご飯買って、治癒院に戻って食べよっか」
「そうですね、流石に今は包丁を持つのは怖いですし、出来合いで済ませましょうか」
二人は固く手を繋いで墓地に背を向ける。
向かうは騒々しくも明日への活力を滲ませる街中へ、娘が手を引き母はそれに従う。
立場が逆転している様に見えるが、セシリアがマリアを母と慕う気持ちに揺らぎはない。
揺らぎは無いからこそ、その想いは深く重く積もっていく。
15歳のセシリアにとって、母を失う恐怖は彼女の心に翳を作った。
◇◇◇◇
「ふぅ、状況が状況だからしょうがないけど、ご飯を買うだけなのに疲れた……」
「えぇ、まさか串焼きを買うだけで、一時間近く待つ羽目になるとは思わなかったです」
「大丈夫? 具合悪くなったりしてない?」
「えぇ、セシリア程じゃないですが、ちっちゃい子達の相手でこれでも体力があるんですよ」
「なら良いけど……気分悪くなったりしたら言ってね? 直ぐに治すから」
「えぇ、その時は頼りにしていますね」
時刻は昼を大きく回り、アイアスに指定された15時に差し掛かろうとしている。
二人は戻って来た治癒院は南区にあるとは言え、今から食事に着替え、病み上がりの身体を気遣って小休憩を経たとしても遅刻は免れないだろう。
マリアは一方的とはいえ、待ち人を放置してしまう事に罪悪感を抱いてしまう。
セシリアだって申し訳ないと思う気持ちはあるが、少なくとも病み上がりのマリアに無理を強いてまで人に会おうとは思わなかった。
仮に何か言われてもこちらは傷病人だし、言い訳の一つや二つ言うつもりではある。
二人は女性二人が食べるには多すぎる、剱山の様に串が顔を出す程に詰まれた袋を手にしていた。
その量を見てすれ違った看護官は目を剥いて、その身体の何処にそんなに入るのかと驚き、そしてそれだけ食べるのに理想的なプロポーションを維持する二人に羨望の眼差しを向ける。
尚、60本程ある串の50本以上はセシリアの胃に納められるのを彼女は知らない。
「流石に、病室で食べたら怒られるよね?」
「そうですね、確かセシリアの部屋は個室でしたがタレ物ですし、何処か問題ない場所に行きましょうか」
セシリアの部屋が個室とは言え、真っ白なシーツにタレのシミを作るのは申し訳ない。
そう至った二人は、食事も可能なレクリエーションルームがある筈だと頭の中で地図を思い出して、一旦財布等の荷物を置くために病室へ足を向ける。
病室へ戻ろうとした二人は、セシリアの病室の前で背筋を伸ばして人形の様にまっすぐと立っている女性の姿を見て訝し気に立ち止まる。
メイド服を着込んだ紫髪の怜悧な美貌の女性——ヴィオレット——は二人の姿を捉えると、フッと表情を柔らげた。
「無事に目が覚めたのですね」
「どうしてヴィオレットさんがここに?」
セシリアはマリアを庇う様に一歩前に出る。
ヴィオレットが居るという事は当然その主であるクリスティーヌが居る筈、二人に対して先の男性の貴族の様に嫌う感情は持っていないが、殆ど反射的な行動だった。
ヴィオレットは一度周りを見て人通りが少ない事を確認すると、冷たい印象を受ける顔に穏やかな笑みを浮かべる。
「アイアス様からお伝えされていると思いますが、お二人が目を覚ましたらお嬢様がお話を伺いたいと仰った件と合わせてお二人に会わせたい方が居るのですが、ご足労頂くのはお二人にはまだ辛いだろうと、こちらへ伺った次第です」
「あー、師匠が言っていたのってフィーリウスさんの事だったんだ。特に問題は無いけど、ご飯食べてからでも良いですか?」
アイアスが会わせようとしたのはクリスティーヌだったようで、それなら一言言ってくれれば。と思った所でアイアスには面識がある事を話していなかったなと失念する。
相手が分かった所で多少の肩の力は抜けたが、それ以上に空腹が限界だった。
セシリアの言葉にヴィオレットは問題ないと、寧ろ病み上がりなのだからと気遣う姿勢を見せた。
「勿論です。お嬢様の本日の予定は全て済んでいるので、こちらの事は気にせずに食事をしていただいて構いません」
「じゃあ、30分位時間貰いますね」
「分かりました、準備が済んだら二階の応接間にお越しいただければ」
「はい、それじゃ後で」
言うが早いか、セシリアはマリアの手を引いてお辞儀するヴィオレットに背を向けレクリエーションルームへ向かう。
目的地はそう遠くなく、また人もまばらな為特に苦労することも無く席に着いて一息つくことが出来た。
「あのセシリア、あの方って以前会った貴族の女の子の……」
席に着いて、串焼きや野菜を取り出したセシリアにマリアは不安げに問う。
マリアからすれば一度しか面識がなかった、それも余り良い邂逅では無かった筈の相手とセシリアがそれなりに自然体で話している事に驚いていたし、仕方ないとはいえ自分を差し置いて話を進められたことに少し不満があった。
「え? あ、うん、あの日の仕事の依頼主があの時侍女になれって言ってきた子でね、まぁ一緒に仕事をしたんだ。その縁でね」
「そうですか、仲は良いんですか?」
「いや? 普通に依頼主と施工者だよ?」
セシリアはそんなマリアに気付かず、少しずつ熱が失われていく串焼きを広げ一つを口に運びながらなんてことない様に答える。
事実セシリアからすれば、その言葉が適当な認識だった。
確かに共に仕事をこなし去り際に憎まれ口の一つも言い合ったが、クリスティーヌは貴族で依頼主、セシリアは庶民で冒険者。
お互いを友と呼ぶには時間も身分を足りていない。
「そうですか? でも態々病室に来るなんて、結構仲が良いんじゃないんですか?」
「えー? ないない、確かに最後はそれなりに砕けて会話できたけど、会って精々一日だよ? 良くて知り合い位だって」
瞬く間に串焼きの山が崩れていく食べっぷりを披露しながら否定するセシリアに反し、マリアは上品に一つずつ丁寧に食べていく。
余り待たせるのも悪いからと、少しだけ食べるスピードを上げながらセシリアは一体何を聞かれるのか考えるが、いまいち思い当たる節が無い。
「それもそうですね、でもクリスティーヌさん? 彼女は良い子そうでしたよね」
「あー、うん、確かに悪い人じゃないと思う」
セシリアは口に詰め込んだ肉を呑みこんでから、マリアの言葉に同意する。
第一印象こそ最悪だったが、先のガーゴイル討伐に置いては頼もしかったし、思わぬ冒険も彼女のお陰で良い思い出になった。
セシリアの中でクリスティーヌという少女は、友達とは言えないが顔見知り程度には心許している。
そして、あの強さに惹かれている節があった。
(あの化け物になった時の力を安定して使えればいいんだけど……)
セシリアはあの時、変貌した時を覚えている。
と言っても、最終的に気絶してしまいその後自分がどうやって元に戻ったかを覚えていないが、気絶したら元に戻る、所謂変身ヒーローのダーク版だという認識を持っていた。
だけれども、ダキナを一撃で沈めた事、乱入者の人造感ある少女の弾幕に本能のままに即応した事、あの本能から竦んでしまう黒龍を圧倒した事。
そのどれも覚えていて、だからこそあの力を自由に使える様になれば銃以上のポテンシャルを得られると確信していた。
(っても、あの状態になった原因が原因だから、あんまり良い気分じゃないけど)
けれども、あの状態になったトリガーの愛しい母の死を思い出すと心にどす黒い膿が溜まる。
ダキナを逃したのは分かっている、だからこそ次にあった時は必ず殺すつもりだし、邪魔をしたあの少女も、街を破壊した黒龍も殺してやりたいと思う気持ちがある。
(いや、今考えるべきはママの安全。正直あいつを殺したい気持ちはあるけど、態々ママを危険に晒すのは嫌だし、何処か安全な田舎に引っ込む? いや、現代日本ならまだしも、この世界で田舎は流石に文化レベルが……)
「——リア、セシリア?」
「……ん? どうしたの?」
思考の海に沈んでいたセシリアは、マリアの声に我を取り戻す。
みればいつの間に串焼きは完食され、空腹は満たされている。
二日ぶりの食事にいきなり脂物を叩き込まれた胃は、悲鳴を上げているがそこは15歳の身体、数分もすれば健気に消化を始めるだろう。
「あ! めっちゃ食べちゃった……ごめん」
「いえ、構いませんよ、どうせそんなに食べれないですし。それよりも大丈夫ですか? 上の空で黙々と食べていましたが」
セシリア程胃の強くないマリアは、当然ながらそれほど脂物を食べれるはずもなく一口二口食べただけですぐに野菜に手を着けたのだが、会話の途中で突然上の空になったと思ったら、思案気な顔で一定の、それもそこそこ早いペースで脂物を食べていくセシリアの姿に大丈夫なのかと心配していた。
空串を片付けながらマリアは、食休みにと謝るセシリアを近場のソファに移動させて隣り合わせに座る。
約束の30分後まではまだ10分程ある、食休みに時間を割いても問題ないと二人はソファに身を沈めた。
「ごめん、全部食べちゃって」
「いえ、充分お腹いっぱいになったから大丈夫ですよ、寧ろセシリアこそ病み上がりなのにあんなに食べて大丈夫だったんですか?」
「うん、まだまだ余裕だよ」
「流石ですね、若くて羨ましいです」
「そう? お母さんだってまだまだ若いじゃん」
「もう年増ですよ」
空腹も満たされて、程よい眠気と満足感に包まれた二人は肩を寄り添わせて穏やかに談笑する。
二人の会話が途切れると、お互いの手が自然と絡み合う。
「……あったかいですね」
「……うん」
お互いの温もりが心地よい。
いつの間にか、程よい喧騒は遠くへ離れていた。
マリアはセシリアの肩に頭を預けて目を閉じる。
セシリアは彼女の温もりを感じながら体重を少しだけ預けた。
たった一日、たった数時間で色々な事が起きすぎた。
家族が殺されてしまった、友人が死んでしまった、故郷が傷つけられた。
これからどうしようか、どうやってマリアを守れば良いのだろうか、それだけをセシリアは考えていた。
マリアはセシリア程強くない、寧ろ弱い、極一般的な成人女性と変わらない普通の母親だ。だからこそセシリアが守らないといけないんだ、とセシリアは鼻の奥がツンとする感傷に浸りながら考えていた。
(安全な所に逃げるのも手だけど、戦闘を避けれない場面に出くわした時、今の私だとまた同じ目に合わせちゃう。せめて一か月で良いから対人戦闘……それも徒手空拳とかの師事を受けられれば良いんだけど、この街には居ないんだよね)
禁忌の森という宝の山がある為、この街には数多くの冒険家が集まるがセシリアの様に素手で戦う者は普通居ない上、対人戦闘となれば騎士や衛兵の役目になってしまう。
かと言って剣や槍を今から覚えるのか、と言えば自分のセンスの無さは理解している。
唯一銃はあるが、あれだって体術の延長の様な物な為カウントには入らない。
ふと、脳裏にクリスティーヌの顔が浮かぶ。
貴族というセシリアには文字通り空の上の人物ならそう言った伝手の一つ位はあるのではないか、金貨30枚の事も一緒に聞いてみようと考え付いた。
「ねぇお母さん」
「どうしました?」
微睡みに揺蕩うマリアに、セシリアは柔らかくて甘い匂いを感じながら憂い気に口を開いた。
どうしたのだろうか、と見上げるマリアの空色の瞳を見つめながらセシリアは穏やかに微笑む。
「もし……もし私がこの街を捨てて、どっか遠くに行こうって言ったら、お母さんは一緒に来てくれる?」
セシリアは不安に揺れる瞳で問う。
唐突な質問と、その表情にマリアは静かに驚くも、直ぐに苦笑を浮かべてマリアはセシリアの頬に手を添えた。
「朝も言いましたが、私は貴女に冒険家を辞めて欲しいと思っていたんです、危ない事なんてして欲しくないですから。我儘なのは分かっています、でも、貴女がもし死んじゃったらと思うと苦しくなるんです」
マリアは真紅の瞳を見据えていたが、目の前の娘がボロボロになってまで助けに来て、甚振られて、絶望したあの姿を思い出して目を伏せる。
あの時を思い出すと、また涙が出そうになってしまう。
鼻の奥をツンとさせながらも、唇を噛んで呑みこむと儚げに微笑んで顔を上げた。
「逸れちゃいましたね。はい、私は貴女とずっと一緒に居ますよ」
「ママ!!」
「わっ。ふふ、ママが出てますよ」
マリアの答えにセシリアは喜色満面で抱き着いた。
人前ではママと呼ばない娘が、素を出しながら抱き着いて来てマリアは少し驚くも直ぐに抱き返す。
「ねぇセシリア……」
「なぁに?」
「さっきは怒ってごめんなさい。本当は、貴女が助けに来てくれてとても、とても嬉しかったんですよ」
「……うん」
マリアはセシリアの温もりに包まれながら、落ち着く気持ちに反して早鐘を打つ心拍に耳を傾ける。
マリアにとってセシリアは大事な娘で、たった一人の家族で、命を賭しても守るべき相手。
反抗期すら迎えず全身で愛情を示してくれる娘も、いつかは他の家庭と同じように親離れし、一緒に過ごす機会も減ってしまうだろう。
その時、自分は笑って見送れるだろうか。
その姿を想像すると、胸にガラスが刺さったような鋭い、されど小さな痛みが走る。
(嫌だ。と思ってしまうのは、我儘なんでしょうね)
子は何時か巣立つもの。
それは分かっている、自分が寂しいからと未来ある子供を縛り付けるのはいけないと。
それでも感情と言うのは厄介な物で、理性に反して抱きしめる手に力が籠ってしまう。
自分の心の揺らぎから目を背ける様に、マリアはセシリアの腕の中で目を閉じた。
今は何も考えずに、この幸せな時間を噛み締めていたい。
胸に響く痛みの残滓も、早かった鼓動も、いつの間にか凪の様に穏やかに揺蕩っていた。
「…………あ! 時間!?」
だが名残惜しくも、母娘の時間は終わりを迎えてしまう。
このまま約束を放り出したいという気持ちに傾くのをぐっと飲みこみ、セシリアは立ち上がった。
「行こっか」
「……そうですね」
お互い面倒くささを滲ませ、緩慢な動きながらその足はクリスティーヌ達が待つ部屋へ向かう。
出来るなら早く終わらせたいが、そんなに早く終わることは無いだろうと言う予感が何処かにあった。




