手のひらから抜け落ちる物と、残った者
お久しぶりです。
年末は色々やる事が重なって執筆が出来なくてムラムラしてます。
気晴らしに息抜きを書く余裕も無い位忙しいですが、わたママをエタらせる気は微塵も無いです、寧ろここからがスタートだと思ってるので、首を長くして待っていただけると幸いです。
宣言します。
ここからいっぱいてぇてぇを書きます。
ゴーン……ゴーン……と鐘の音が鳴り響く。
青々とした雲一つない晴れ空の中、崩れ落ちた家々などが散見する街並み、その街の少し離れた場所、壮厳で静謐な教会の墓地の中で、多くの人々が喪服を着込み石造りの墓標の前で涙を流す。
「えぐっ、ひぐっ」
「パパぁ……ママはぁ? ママはどこぉ?」
「ママはね……旅に、長い旅に出ているんだよ」
「やだよぉ……ままにあいたいよぉ……」
「えぐっ……とおちゃん……ママにあいたいよぉ」
「そうだな……パパも会いたいよ……」
二人の子供の泣き声だけでは無い、老若男女問わず全ての人々が涙をむせび泣き、悲鳴を上げ、一帯を涙だけが覆う。
黒、黒、黒。
一面に散らばる喪服の人々は皆亡き人々を思い出して、悔しさを、虚しさを、行き場のない怒りを涙に込める。
そんな悲しみしか無い悲痛な空間を、一人の老齢な女性が見つめる。
その女性はいかにも魔女と言った装いの黒く緩いローブを纏い、白髪が大分多くなった暗い茶髪を撫でつけた女性。
目の下に大きな熊を作り、肌や服は煤汚れていたりと、恐らく街の復興作業に殉じていたのだと察せられる。
彼女は静かにその光景を眺めていた。
ただ静かに、痛みを堪える様に、瞳に薄く膜を張って拳を握り込み。ただ眺めていた。
ふと、彼女は背後に誰かが近づく気配に振り向く。
そして近づく人物を認識すると、ほっと安堵に表情を和らげた。
「師匠……」
「アイアスさん……」
女性——アイアス——に近づいたのはセシリアとマリア。
二人は入院患者が着る白い貫頭衣の上から、一枚カーディガンを羽織っただけの格好でこの場に赴いていた。
場に適していないかもしれないが、見れば参列者達の中にも同じように治癒院から抜け出して墓に縋りつく者もおり、大して目立つ事は無かった。
「無事……だったようだね」
アイアスは二人が傷一つなく立っていて、お互いの五指を絡ませて手を繋ぎ合わせている姿に苦笑ともとれる表情を浮かべ、頬に皺を作る。
「悪いね、大変な時に傍に居てやれなくて」
「いえ、帝国へ行っていたんですよね、それなら仕方ないですよ」
「そうさね……」
「?」
アイアスの俯くような謝罪に、セシリアは繋いでいない手を振って大丈夫と答えるも、アイアスの表情は晴れない。
彼女の向こうの光景を見れば仕方の無い事なのかもしれないが、アイアスがそこまで責任を感じる理由がセシリアには分からなかった。
「アイアスさん、看護官の方から聞いたんですが……」
マリアが口を開く。
あの後、二人はどれだけ眠っていたかを看護官に尋ねると二日と答えられ、そしてアイアスから目が覚めたらここに来るようにとの伝言を受けた。
場所が場所だけに二人はおおよその理由を察し、やや重く足を運んだ次第だった。
「あぁ、葬儀は済んでるけれど……こっちだよ」
アイアスは説明の必要は無いと、踵を返して先導する。
その後を、二人は一度つないだ手を握り直して追う。
その先に何が待っているかは分かっている。だがそれでも墓地、葬儀特有の雰囲気や匂いに充てられて、胃が浮くような緊張の面持ちを浮かべた。
「まずは……二人から」
そう長くない時間歩き、アイアスは二つの墓の前で足を止める。
1m程度の真っ白な墓石だ。
その下で眠る人がどんな人だったかも分からない、殺風景で、残酷。
「トリシャさん。ガンドさん」
「二人が……本当に……」
ただ名前だけが彫られた墓石の前に、二人は膝を着く。
「あたしが来た時には既に二人は息を引き取っていたよ。外傷が無かったから、原因は分からなかったけどね」
セシリアが治したが故に、二人の死の原因をアイアスは知らないが、その勘違いを正す余裕はセシリアもマリアも無かった。
「そう、なんだ」
セシリアは直接その遺体を目にし、触れたからこそ衝撃を受ける事は無かった。
それでも喪失感に虚脱、平衡感覚が失う様に、改めて突き付けられる無情な現実に打ちひしがれる。
もしかしたら、あの後二人は息を吹き返していたかもしれない。という希望は、あっさりと失われた。
「夢……じゃないんですよね」
マリアはダキナによって気絶させられる直前に、一瞬しか見ていなかった。
だからあれが、夢だったのかも知れないと言う淡い思いがあった。
でもそれは墓石を撫でる手のひらから伝わる冷たさと、彫られた名前が、無情にも現実を突き付けられて身体から力が抜け、セシリアに支えられる。
夢であったなら、どれほど良かったろうか。
足元で眠ってるであろう二人の、生前の姿が脳裏に幾つも過ぎていく。
逞しく、いつも快活に笑うトリシャ。
怒るときはしっかりと怒って、褒める時はしっかりと褒める。
実の子供が出来なかっただけに、マリアを実の娘の様に、セシリアを孫の様に可愛がってくれた。
物静かで、口下手だが常に気遣いに溢れるガンド。
強面で、身体が大きくていつも人に誤解されるが、誰よりも優しくて穏やかだった。
言葉は少ないが、いつも静かに話を聞いて傍にいてくれた。
父親の様な彼の背は、振り返ればとても大きかった。
「っ……っうっ……うぅ……」
マリアは口を押えて静かに涙を流す。
こんな別れになると思わなかった。
まだまだ、教えて貰いたい事も沢山あった。
話したいこともあった。
親孝行だってし足りなかった。
「トリシャさん。ガンドさん」
セシリアは忍び泣くマリアを抱きしめながら、一筋の涙を流す。
辛気臭い顔をしてるんじゃない。と笑い飛ばして欲しかった。
でも彼女の言葉に望んだ返事が返ってくる事は無く、寂しい一陣の風が吹き抜ける。
何度受けても慣れる事の無い拳骨の痛みが、今だけは、無性に恋しかった。
二人は抱き合い、静かに涙を流し続けた。
周りで涙を流す遺族たちと変わらない、残された者として、静かに。
「……すまないね。あたしがしっかりしてれば、こんな事にはならなかったのに」
「……どうして、師匠が謝るんですか」
直接二人の遺体に触れていたから、泣き崩れる程では無かったセシリアは、縋り泣くマリアを抱きしめながら悲痛な面持ちのアイアスの言葉に答える。
トリシャとガンドが死んだのはダキナの所為で、間接的には自分の所為だし、それ以外の人々もあの黒龍の所為だと分かっている。
だからこそ、アイアスが謝る理由が分からなかった。
セシリアの言葉に、アイアスは目に膜を張ってしんとセシリアを見据える。
「あたしが、あの黒龍の封印に関わっていたからだよ」
「……そういえば、初めて会った時にアルさんとそんな事を話してましたね」
セシリアの言葉に、アイアスは頷いて一息深呼吸する。
アイアスは罵られる覚悟で、黙っていた事を話す決意を決める。
そうやって罪悪感を軽くしようという浅ましい考えが、心の何処かにあった。
「あたしにはね、二つの役目があったのさ」
少しづつ落ち着いて来たマリアも、アイアスの独白に耳を傾ける。
狙ったのか偶然か、いつの間にかその場は三人だけになっていた。
「一つは、帝国に封印されている黒龍の封印の補強。この間、帝国へ行くと言っただろう? あれは綻びが出ていた封印の補強の為だったんだよ」
アイアスが、どうして謝ったのか合点がいった。
だがそうだとしても、セシリアに——当然ながらマリアも——アイアスを責めようという気持ちは湧かなかった。
それ以上に帝国で封印されていたと言うその黒龍が、どうしてこの街を狙ったのか。ふとそこに疑問を覚えた。
だがセシリアは、ただ黙ってアイアスの次の言葉を待った。
アイアスは視線に含まれる疑問を察したのか、苦笑を浮かべた。
「二つ目は、あの森の最深部に行く事は固く禁じていただろう?」
「うん。お陰で銃の製作が難航だよ」
「悪いね」
水を向けられたセシリアは、雰囲気を解そうと肩を竦めて憎まれ口を叩く。
そんなセシリアの気遣いに、アイアスは静かに苦笑を浮かべた。
ここで普段なら、皮肉の一つでも返されたのだろうが、珍しく気落ちしたアイアスの姿にセシリアは居心地の悪さを覚えてしまう。
「あの森の奥にはね、魔界への門が封印されているのさ」
「……魔界……ですか?」
魔界。と言われた所で、大量の髑髏と人骨で作られた悍ましい門をイメージして片眉を上げたセシリアの代わりに、腕の中で涙を流し終えたマリアが目を開いて顔を上げた。
その言葉の重要性に気付かないセシリアは、何かを知ってるの? と言う様にマリアを見下ろすが、マリアはアイアスの方を見たまま視線に気付かない。
「そうだ。あそこには最初の魔界の門。門と言っても何がある訳じゃない、空間の歪みがあるだけなんだけどね。あたしはその門が開かない様に不可侵を敷いていたんだよ……今じゃ、その意味も無いかもしれないけどね」
アイアスの最後の言葉は小さく二人に届かなかったが、彼女はそこで言葉を区切ってマリアを見つめる。
マリアの言葉を待つように見つめる彼女に、マリアは涙を拭いながら少しだけセシリアから離れた。
「アイアスさんは、そんなに大変な事をしていたんですね」
「果たしきれなかったがね……」
その言葉に二人は疑問符を浮かべる。
魔界を管理していた、そしてその務めを果たしきれなかったというなら、歴史を振り返るなら悪魔が現れている筈だろう。
だが空は蒼く、あの黒龍に依る災害の爪痕が残るだけでそんな様子は無い。
消沈するアイアスになんと声を掛けるべきか口を紡ぐセシリアは、何とか別の話題を捻り出す。
「そうだ師匠、二人のお墓は師匠が?」
「ん? あぁ、顔見知り程度とは言え、弟子と友人の家族だからね。あんた達が寝たまんまだったら、無縁仏になっていたかもしれないし」
「それは……ありがとうございました」
トリシャとガンドが無縁仏。親戚が居るかどうかは聞いたことは無いが、少なくとも実子が居ない彼女らなら絶対に無いとは言えないだろう。
大切だった二人に、知らずの内にそんな仕打ちをしなくて良かったとマリアは深く頭を下げ、セシリアもそれに心から倣った。
「止めてくれ、こうなった一因はあたしにもあるんだから」
「それって——」
「ふざけんなぁ!!!」
セシリアの言葉を遮る、怒声が鳴き声が充ちる墓場に響き渡る。
反射的に三人は声の方へ振り向いた。
そう遠くない、10数m先で人だかりが出来ている。
無縁仏の慰霊碑が経ち並ぶ場所だ。
「ってめぇ!!」
怒声は尚も続く。
それ以上に、揉み合いの様な音や気配などの物々しさが人垣の向こうからありありと伝わり、そしてその声が聞き覚えのある声だと気づきセシリアはマリアの手を固く握り直してそちらの方へ向かう。
「すいません、ちょっと通してください」
黒い人垣を抜けて、セシリアは慌てて騒々しいその光景を捉える。
そこには二人の騎士に、地面に押し付けられながら憤怒の表情で吠えるラクネアと、彼女を見下ろして対面する恰幅と身なりの良い、あまり良い印象を受けないカエルの様な貴族らしい男性が立っていた。
「知ってるぞ! 戦争孤児に手を出すクソ貴族だって!」
「何を言っているのか分からないな。私は善意と信仰に基づいて、身寄りも先行きも無い孤児達を引き取ると言ってるんだぞ、一助祭にそんな事を言われる筋合いは無い上、いきなり殴りかかってくるとは……貴様本当に聖職者か?」
「っんな事はどうでも良いんだよ! あの子達は私の子供だ! てめぇなんかにくれてやるか!」
その姿はセシリアはおろか、マリアですら見た事のない程に荒れ狂っていた。
アラクネアの蜘蛛の部分の八足が、地面を削りながら今にも男に殴りかかろうと髪を乱らせながら唾を吐き散らして吠えていた。
男性騎士二人が必死で抑えているが、それだって良い勝負だ。
余りの姿に驚いて立ち止まるセシリアは、彼女の背後に覚えるイヌとスー、そして二人を庇う様に立つヤヤの姿を見て正気に戻る。
「あっ……」
ヤヤはセシリアを起点に、三人の姿を見て安堵から表情を柔らげ、涙ぐむ。
どういう状況? と目で問うセシリアに、ヤヤは首を横に振ってカエルの様な貴族の男性に視線を向ける。
その眼には嫌悪の色が浮かんでおり、何となく察しがついた。
「ん? ……っ」
カエルの様な男性がセシリアの視線に気づいたのか、脂汗に照らされる顔をハンカチで拭いながら目を合わせる。
その瞬間彼は目を見開き、一瞬、醜悪に顔を歪ませた。
「ひっ」
セシリアの横で、マリアが鳥肌を立たせて小さな悲鳴を零してセシリアの腕に縋りつく。
抱き着かれたセシリアだって同じように、鳥肌が立ち嫌悪感が込み上らせてマリアを抱きしめる。
それほどに、男性の目には溢れんばかりの嫌悪する欲望が込められていた。
「きもちわる」
「これはお美しいご婦人とご令嬢、本日はお悔やみ申し上げます」
セシリアの呟きは彼には届かなかったが、彼は嫌悪感をありありに浮かべるセシリアに胡散臭い笑顔を浮かべて近づいてくる。
そこで興奮していたラクネアもセシリア達に気付くと、セシリアに向かって口を開く。
「セシリア! そいつをぶん殴ってくれ!」
「ちっ、うるさい亜人だ」
ラクネアの言葉に男性は苛立たし気に顔を顰める。
あのラクネアにここまで言わせる事を男性がしたのだろうと推察し、余りに悪役貴族らしいその姿に顔を顰めながらセシリアはマリアを庇う。
「何が起こってるか分からないけど、とりあえずラクネアさんを離して貰えますか」
「ダメだ、いきなり殴りかかってくる亜人など自由に出来るか」
「てめぇが私の子供達を奪おうとするからだろうが! 下心が丸見えなんだよ!」
その言葉にヤヤに庇われるイヌとスーを見ると、確かに二人は怯えの色が伺える。
二人はセシリアの視線にはっと気づくと、目に膜を張りながら小さな手を握り込んだ。
「ら、ラクねぇを離せ! カエル野郎!」
「ソーだソーだ! 気持チ悪イゾー!」
「イ、イヌちゃんスーちゃん!?」
怯えつつヤヤの背に隠れながら野次を飛ばす二人。
だが男性に睨みつけられて、ヤヤの背に身を縮こまらせて隠れる。
それを横目にどうやって場を治めようかと考えたセシリアに、男性は汚い歯を見せる笑みを浮かべながら一歩近づいた。
逆に、セシリアが一歩下がると男性はそこで立ち止まる。
だが視線だけはセシリアとマリアの顔、というよりは身体に向けられている。
「それ以上近づかないで下さい。それに、時と場所を弁えてください」
「勘違いしないでいただきたいが、私は何もしていませんよ。ただ彼女の孤児院が無くなって、残った孤児たちを引き取ると提案しただけです」
「私はラクネアさんと友達だけど、彼女があんなに怒るなんて見た事無いです。私は彼女の言葉を信じます」
内心では、お前の視線が気持ち悪いのが理由だけど。と毒づきながら毅然と答えると、男性は一瞬不快気に顔を顰めた。
だがすぐに取り繕ったが、セシリアは彼の本性をしっかりと見抜いた。
「何を持ってそう仰られるのか分かりませんが、私はこれでも子爵家の次期当主ですよ? 不幸にあった子達に救いの手を差し伸べただけです。どうです、貴女達も不幸に見舞われたと見受けしますが、私が援助しましょうか?」
「騙されるなセシリア! そいつは身寄りの無い奴を食い物にする屑だぞ!」
男性はラクネアの声を無視してセシリア達に近づく。
醜悪な笑みを浮かべてながら、手を差し出す。
「どうです? 流石に無償とは言えませんが、まずは我が家で使用人として使える所から……」
男性の手がマリアに吸い寄せられる。
彼の視線は、貫頭衣によって晒されているマリアの上品で肉付きの良い身体に向けられている。
だから気付かなかった、彼女を抱きしめる娘の目が昏かったのを。
「……汚い手でお母さんに触ろうとするな、臭い口を開くな、ラクネアさんを解放しろ」
「あぎゃ!? いだっ! いだだ!?」
マリアへ伸ばされた手は、横合いから伸びたセシリアの手に摑まれた。
男性は初め、女如きと侮り怪訝な顔を浮かべたが、次第に潰される痛みに悶えだす。
純粋な握力だけで男性の手首から先は鬱血し、脂汗が滲んでいたカエル面は真っ赤に染まり苦悶の表情を浮かべながら歯を噛み締め、必死で腕を引き抜こうと背後に倒れる様に腕を引っ張るが、万力の様に締め上げられた腕はビクともしない。
「ラクネアさんを解放して」
「だだっ!? わか、わかった! 分かったから!!」
男性の悲鳴に、ラクネアを抑え込んでいた騎士たちは立ち上がり、ラクネアは自由を取り戻す。
重みが無くなった瞬間跳ねて殴り掛かろうとするが、騎士たちに阻まれて舌打ちを一つ鳴らしてイヌとスー、ヤヤの元へ探る。
セシリアに腕を握りつぶされて苦悶の表情を浮かべたのを見て、少しだけ溜飲は下がったようだ。
それを見送ると、セシリアは掴んでいた汚い手を離す。
「あぁっくそっ! 化け物が! こんな事をしてタダで済むと思うなよ!」
唾を吐き散らす男性を、セシリアは冷たく見下ろす。
その姿に血を沸かした男性は、傍の騎士に命令を下そうとしたが、誰かが呼んだ衛兵が駆け寄るのを視界の端に捉え舌打ちを残して踵を返した。
騎士たちは申し訳なさそうに頭を下げて後を追っている辺り、男性に逆らえないのだろう。
だがイヌとスーとヤヤを抱きしめるラクネアは、彼らの背を射殺さんばかりに睨みつけ、その背が見えなくなるとほっと一息ついた。
「悪い……助かった。えっと、アイアスさん? も」
人を呼んだのはアイアスだったようで、敵が居なくなって落ち着いたラクネアは野次馬たちがまばらになった場で三人に頭を下げる。
ラクネアとアイアスはそこまで面識がある訳では無い、精々知人の知人と言った程度の付き合い。
「気にしないで良いさ、それよりあれは何なんだい」
アイアスの言葉には棘が含まれており、男性が去っていた方を向く目には避難の色が浮かんでいた。
その言葉に、ラクネアはイヌとスーを己の蜘蛛の部分の大きな背に乗せながら嫌悪の表情を浮かべた。
ヤヤも乗せようとしたが、ヤヤは恥ずかしいのか手を振って断り、ラクネアの身体についた土などを払っている。
「あいつはスペルディア王国の貴族だよ。この国に弟がいるだか何だかで度々訪れてるんだけど、クソみたいな噂しか聞かない奴だよ」
「孤児を食い物に。って奴?」
セシリアの言葉に、ラクネアは脇から顔を出すイヌとスーの頭を撫でながら頷く。
「あぁ、私は子供達の引き取り手を探す内にそれなりに情報には強くなったからね、あぁ言った手合いは注意していたんだ、実際、相対して嘘じゃないって分かったろ?」
「まぁね」
セシリアは無意識にマリアを抱きしめて答えた。
気持ちの悪い、纏わりつく視線。
ゲスで女性を性欲発散の道具としてしか見ていないのがありありと分かる性根。
女だからこそ、男のそういった視線や感情には聡かった。
ぎすぎすした空気に包まれた場に、んー! んー! とくぐもった声が響く。
何処から? と思って皆の視線がセシリアの腕の中に注がれる。
何時までも抱き合っていたマリアだったが、いつの間にか顔をセシリアの薄い胸に埋められていて呼吸が危なくなって声を上げていたのだ。
「ぷはぁ!」
「ご、ごめんお母さん!」
「いえ、だ、大丈夫です」
窒息に依るものだろう。顔を赤くしたマリアは、狼狽えるセシリアから顔を背けながら拳一つ分の距離を空ける。
セシリアはそんなマリアの様子に狼狽えだしたが、アイアスに背中を叩かれると落ち着きを取り戻して表情を柔らげるラクネアに改めて向き合う。
「はは、元気そうで良かったよ」
二日間眠っていた二人の、元気な姿を見て笑い声をあげたラクネアは一転、悲し気に微笑みながら背後に気を向ける。
「なぁ、出来ればで良いんだが、この子達の墓参りをしてくれないか」
ラクネアの視線の先には無縁仏、一人一つの墓標では無く、複数人の名前が彫られた慰霊碑が小さく鎮座していた。
ラクネアの言葉や表情、悲しそうにラクネアを慰めるイヌとスーの姿を見て、それが孤児院の子供達の墓だと察した。
「うん、勿論」
「失礼します」
セシリアとマリアはその言葉に頷き、静かに墓標の前に膝を着いて手を合わせた。
その後ろではアイアスが黙礼をしている。
三人だけでは無い、ラクネア達も痛みを堪える様に瞑目して黙礼する。
セシリアとマリアはただ黙って手を合わせ続けた。
脳裏に浮かぶは親無し子ながら、そんな事を気にしない明るさで日々を生きる子供達。
ラクネアと老婆なシスターの元で、騒がしくも笑顔の絶えない日々を過ごし将来に夢を馳せていた姿。
赤子だって居た、面倒だと思う気持ちはあったが、あの騒がしさが恋しかった。
「…………セシリア」
ラクネアの呼ぶ声にセシリアは姿勢を解いて目を開く。
彼女に視線を向ければ、ラクネアはイヌとスーを壊れ物を扱う様に撫でながら視線を二人に固定している。
「この子達だけでも助けてくれて、ありがとう」
「あぁ……うん」
感謝の言葉に素直に喜べないセシリア。
マリアが孤児院に居ると思ったからあの場に向かった、逆を言えば、マリアが孤児院に居ないと知っていれば向かうことは無かっただろう。
事実、あの時のセシリアはラクネア達の事を欠片も思い浮かべなかった。
結果的にイヌとスーを助けるに至ったが、それだってマリアを助けようとした副産物だし、結局、だれ一人地下の人たちを助ける事は出来なかった。
唇を噛んで顔を背けるセシリアに気付かずに、ラクネアはこれ以上この場に居るのは辛いのか、目尻に溜まった涙を払って背を向ける。
「私はまだやる事があるから、また今度しっかり礼をするね」
「またね、セシリアちゃん……」
「マタ……」
イヌとスーは何かを言いたげにラクネアを見上げたが、抱き着いたまま離れることは無く彼女と共に遠くへ離れていく。
残されたのはヤヤと、セシリア達三人。
そんなヤヤは気遣わし気にセシリア達に近づく。
「セシリアちゃん、マリアさん。身体は大丈夫デスか?」
「えぇ、至って無事ですよ」
「うん。あ、ヤヤちゃん怪我してるよ、治してあげる」
復興作業に殉じしていたのだろう、身体の節々に細かい傷を作るヤヤに手を宛てて魔法で怪我を治してあげるセシリア。
治癒魔法の様に相手の体力を使わない、逆再生する様に正常な状態に戻る魔法で、淡く白く光るヤヤは申し訳なさそうに尻尾と耳を垂らす。
その姿は、普段の快活さが鳴りを潜めている。
セシリアはその様子を、孤児院や街の惨状に心痛めたが故の物だと解釈した。
「ありがとうデス」
「気にしないで、これ位大した物じゃないから」
本当に、セシリアからすればこの程度大した物では無い。
魔法による魔力の消費だって、一回程度なら暫く魔力を消費しなければすぐに回復する。
自分が二日も眠りこけている間に、ヤヤは一生懸命街やラクネア達の為に行動していたのだろう。それに比べればさしたるものだ。
傷が治ったヤヤはセシリアを見上げ、はくはくと口を開いては閉じると言った動作を繰り返す。
胸の内の言葉を上手く表に出せない様だが、見かねたマリアがヤヤの手を握り、微笑む。
それに宛てられ、ヤヤは落ち着こうと深呼吸するとセシリアの真紅の瞳にきちんと目を合わせた。
「セシリアちゃん、ごめんなさいデス!」
「え? なにが?」
勢いよく頭を下げながら、謝罪の言葉を上げたヤヤにセシリアは首を傾げる。
そんなセシリアは、次に告げられた言葉に顔を強張らせた。
「セシリアちゃんの魔法の事、クリスさんに話しちゃったデス」
「……説明してくれる」
「セシリア」
明らかに怒気を滲ませた低い声にヤヤは頭を下げたまま肩を撥ねさせ、マリアが落ち着けと窘めた事でセシリアから漏れる怒気は少しだけ納まる。
ヤヤは頭を上げると、マリアにお礼を言って身体の前で右手を左手で包み込みながら説明しだす。
あの時、セシリアの後を追って街に帰って来たヤヤ達は変貌したセシリアを見つけた事。
そこで出会った人物が魔法を強制的に解除しようとしたが、セシリアの魔法が肉体変質系では無いと漏らした所為で、話さざるを得なかった事。
「——それで、クリスさんが目が覚めたら話がしたいって言ってたデス」
「……そっか」
ヤヤの話を聞いて、逆に怒った事に対して申し訳なさを覚えたセシリア。
あの時の事は覚えている。
マリアが死に、誰かの囁き声に従って心が真っ黒になった時、自分が化け物の姿になった事を。
少なくとも、ヤヤはセシリアを助ける為に行動してくれたのだと理解して申し訳なさそうに頬を掻いた。
「えっと、怒ってごめんね。助けようとしてくれてありがとう」
「ヤヤは何もしてないデス」
そう、ヤヤは何もしていない。
あの時気づいたらセシリアは元の姿に戻っていただけで、その後はヤヤはただ街の復興作業を手伝っていただけなのだから。
悔しそうに唇を結ぶヤヤに何と声を掛ければ良いか分からず、セシリアは彼方へ視線を飛ばしてしまう。
そんなセシリアの視界の端で、マリアがヤヤへ一歩踏み込んだ。
そのまま、マリアはヤヤに視線を合わせて頭を撫でだす。
「そんなことないですよ、娘の為に色々考えてくれたんですよね。ありがとうございます」
「え、あ、その、ヤヤは……」
自分なんて……と委縮するヤヤを、マリアはただ黙って微笑みながら撫で続ける。
娘の為に何かをしようとしてくれる。その気持ちだけでマリアは充分だった。特に、自分が娘の為に何も出来ていなかったのも相まって。
遠慮が混じりつつも、次第に嬉しそうにはにかむヤヤを、マリアはただ黙って撫で続けていた。
「…………」
その姿を、セシリアは黙って見つめていた。
笑顔でも無表情でも無い、何処か悔し気に眉根を寄せている姿は、嫉妬の様に見えた。




