親子ゲンカ?
浮遊感の中でセシリアは懐かしい光景を見ていた。
視界に広がるのは、最早遠い記憶となった日本の光景。
セシリアの前世の、愛衣の過ごした世界の筈なのに、別の人物の、ただの記録を見てるような気持ちになるのは前世を吹っ切って今を生きている証拠なのだろう。
その光景を見ながら、前世の母にざまぁみろと笑ってやりたくなり、そしてマリアに会いたくなった。
視界が切り替わる。
そこは懐かしい学校だった。
皆が同じ制服に身を包み、セシリアの世界より遥かに進んだ教育を受ける場所。
そして、視界の主。愛衣は一人教室で、コンビニで買ったサンドイッチとおにぎりを食べていた。
クラスメイトや他の生徒が遠巻きに見てくる中で、愛衣は一人で食事を取る。
(懐かしい……この頃は一人だったな)
当時の事を思い出して胸は苦しくなるが、セシリアとしてどれだけの幸せを得たかを思い出して、愛衣には悪いが死んで良かったな。なんて思う。
「ねぇねぇ」
そんな声に愛衣は振り返る。
後ろの席の少女が声を掛けて来たのだが、その少女の顔が霧がかって見えない。
「私■■っていうんだ! 良かったら一緒にご飯食べない?」
少女が誰かも、どういう容姿なのかもわからない。
だけれど、とても懐かしくて心地の良い、マリアとは少し違う、胸がきゅーっと苦しくなるような痛みが走る。
(誰だろう……とても懐かしくて……とても申し訳ない……)
セシリアにはどうしてか、その霧の向こうの少女が泣いている様に思えた。
胸を締め付ける罪悪感と、何か。それが何かを知る前に視界が切り替わる。
そこは愛衣の家だ。
新築で、クリーム色を基調とした暖色系の一軒家。
だがセシリアは、その家が暗く淀んで見えた。
門の前で見上げるセシリアの背後から、小さい人影がすり抜ける。
「ただいま……」
その人物は幼い頃の愛衣。
手にはコンビニの袋が握られている。
出来合いの料理ばかり食べている所為で、栄養が偏って10歳児にしては小さな姿を見て、セシリアは懐かしさと心苦しいを覚える。
(10歳位の私だ……てことは)
コンビニの袋を見て、忘れもしないあの日を思い出す。
あぁ、このまま手を引いて彼女を連れ出せれば良いのに。セシリアの手が玄関に消える愛衣の腕を擦り抜ける。
その先を覚えているからこそ、セシリアは過去の自分を憐れむ。
(でもまぁ、死んで幸せになる……し……)
憐れみつつも、自分が辿る先にマリアとの出会いを思い出し目尻を下げるも、直前の出来事を思い出して真紅の瞳を揺らす。
守ると誓ったのに守れなかった。
救える力を持ってたのに、いざと言う時に使えなかった。
対人戦闘の備えをしていなかった所為で勝てなかった。
(っう! っ……)
込み上げた拒絶感が吐き気を覚え、セシリアは蹲る。
そして現実を思い出したからか、嘗ての夢が遠ざかる。
悪夢から、生き地獄に戻される。
「…………知らない天井だ」
人生で二度もこのセリフを言うとは、とセシリアは呆然と真っ白な天井を見上げる。
身体の感覚が無く、指先一本に至るまでピクリとも動かない。
訝しみながら唯一動く頭を起こして身体を見下ろすと、体中に包帯を巻いた己の身体が真っ白で清潔なベットに寝かされている事を知る。
「……治れ」
掠れた声で魔法を起動すると、身体が淡く白く光り手足の感覚が戻る。
グーパーと手を握り治った事を確認すると、だるさを覚える身体を起こして、邪魔な包帯等を解く。
だがその手が、ふと止まる。
(ママは死んだ。ならこのまま生きてる必要は無い)
覚えてる。
温もりを失っていく手の感覚を。
知っている。
命が潰える瞬間を。
脳裏に焼き付いている。
マリアの光を失った空色の瞳を。
(そこからの記憶は朧気だけど……私が化け物になったのは覚えてる。あれは、なんと言うか……)
マリアを失った世界に意味があるのか。
マリアを守れない自分に価値があるのか。
生きていても辛いだけの世界で、ただ無為に生きて良いのか。
自分があの時、全てに絶望して怒って、心の中から湧き上がる昏い何かに身を任せた事を思い出す。
そこから先は朧気で、ただ感情のままに暴れた事しか覚えていない、が。
「……楽だった」
もう一度あれになれば。
あの力があれば。
何も考える必要が無い、全てを壊せる獣になってしまいたい。
「……違う……ママは死んでない」
呟いたセシリアの目は光を失っている。
柵を支えにセシリアは立ち上がる。
白い清潔な貫頭衣に身を包んだセシリアは、ふらふらと外を目指す。
「あの施設……あれを使えば」
死者蘇生。
死者転生。
前者は記憶にある、あの施設で見た記録。
後者は己自身が体験した奇跡。
簡単に諦めるのはまだ早い。
殺されても死ななければ良いんだ、マリアの魂を復元できれば良い。
転生し、別人の人格を持ったセシリアをマリアは我が子だと言ってくれた。マリアがその魂のまま生き返ってくれれば、例え肉体は変わろうと母と慕おう。
ガチャ……。
壁に沿いながら、扉を目指したセシリアの前で内側に開かれる。
誰だ? と動きを止めたセシリアは、その扉から漏れる蒼銀の髪を見て目を見開く。
まさか……有り得ない。
だって……だって……。
「セシリア……」
「おかぁ……さん」
生きている。
動いている。
空色の瞳に光を宿したマリアが、セシリアと同じように白い貫頭衣に身を包み、扉を開いた所で目を見開いて立ち竦んでいる。
マリアの耳触りの良い穏やかな声が、生きてるのだと証明してくれる。
死んだと思ったのに、助けられなかったと思ったのに、守れなかったと思ったのに、生きてる。
セシリアの視界が滲む。
それにつられる様にマリアはくしゃっと顔を歪め、垂れ目がちの目尻に涙を溜め出す。
だがマリアが涙を流すことは無く、キッと形の良い眉を寄せ小ぶりの唇を噛んで精一杯睨みつけた。
初めて見るマリアの怒りの表情。睨みつけられて、抱き着こうと一歩踏み出したセシリアは逆に後ずさってしまう。
「おか……さん」
マリアが一歩踏み出す。
手を伸ばせば抱き寄せられる距離だ。
マリアは泣きだす一歩手前で怒ったまま、唇を噛んで右手を大きく振りかぶる。
パァン!! …………。
「……え」
何をされたのか分からなかった。
常に穏やかで優しいマリアが、怒りを見せただけでも頭が真っ白になったのに。
腕を振り上げたと思ったらセシリアの頬に紅葉を作ったのだから、何かを考える余裕なんて無かった。
何かを言おうと思って錆びついたロボットの様に、叩いたマリアの方へ向き直るとその気が失せてしまう。
「っ! ぐすっ……ひぐっ……」
ボロボロと珠の様な涙を流すマリア。
叩いたのはマリアだと言うのに、セシリア以上に辛そうな表情で嗚咽を漏らす。
頬を涙で濡らしながら、マリアは小さく喉を震わせて口を開く。
「どうして……どうして逃げなかったんですか!」
6畳程度の小さな部屋に、マリアの裂くような痛ましい悲鳴が轟く。
そのまま胸の内の激情を、目を見開くセシリアに叩き付ける。
「あんなボロボロになってまで来て、魔力も切れて魔法が使えない状態で戦うなんて無茶して……私なんて放って逃げてくださいよ!」
「っ! 出来る訳!!」
黙って聞いていようと思った。
セシリアは何故怒られているのか分からなかったし、何より初めて見るマリアの剣幕に圧されていたから。
だがその悲痛な叫びを聞いて、いや、最後の言葉を聞いて反射的に言い返してしまった。
セシリアの遮る様な大声に、マリアが濡れた空色の目を開いたのを見て少し頭が冷えたが、止まる事は出来なかった。
「私がママを見捨てて逃げる!? 出来る訳無いじゃん!」
「それでも!!」
だがマリアだって、セシリアの剣幕に負けじと叫び返す。
腕を振り下ろして、行き場の無い怒りを叩き付ける様に。
「貴女がボロボロになっているのなんて見たくないんです! 満身創痍で、魔力も切れて、そんな状態でどうして戦おうだなんて思ったんですか!」
「無理なんて承知だよ! それでも戦うしか無いじゃん!」
「それで! それで死ななくても、傷が出来たり一生傷が残ったりしたらどうするつもりなんですか!」
その言葉に、セシリアはなんて事なく答える。
「回復魔法があるんだから大丈夫だって」
「っ!」
その言葉がマリアの逆鱗に触れたのか、再び乾いた音が部屋に響く。
二度叩かれた。
あの怒ると言う事を知らないマリアに、二度も顔を真っ赤にしながら、泣きながら。
「ふざけないで下さい! 治せるから? 我慢すれば大丈夫? そうやって無茶をして死んだらどうするんですか! 死んだら終わりなんですよ!」
「っ……」
死んだら終わり。
一度死んで転生したセシリアだからこそ、その言葉の重みを理解できる。
マリアだって、一度死を経験した説得力がある。
心に刺さる言葉の重みに、セシリアは再度言葉を詰まらせるも頭に血が上った状態だから血が滲むほど拳を握り吐き捨てる。
「そんなの分かってるよ」
「分かって無いです! 私がどれだけ心配しても笑って誤魔化して、貴女が傷つく位なら私なんて見捨てて良いんです!」
「ふざけないで!!」
激昂したマリアの言葉が、今度はセシリアの逆鱗を撫でた。
セシリアは吠えながら、マリアの顔の横の壁に手を突き立てる。
息がかかる程に顔が寄り、一音一句たりとて互いの言葉は聞き逃せない。
セシリアの方が背が高いため、マリアへ覆いかぶさる様に影が落ちて、マリアは小さく腕を胸元に寄せるがキッと睨みつける。さながら子猫の様に。
「私にママを見捨ろって? ふざけないで、大好きなママを見捨ててのうのうと生きるなんて出来ないよ!」
「そ、それでも! セシリアは生きなくちゃいけないんです! 貴女にはまだまだ将来があるんだから!」
「ママはそれで良いって言うの!?」
「良い訳ないじゃないですか!!」
売り言葉に買い言葉。
二人は冷める所を見せず鼻先をすれ違わせて叫びあう。
「死にたくなんて無いに決まってるじゃないですか! 貴女ともっと一緒に居たいし、大きくなるのを見たい! おばあちゃんになるまで一緒に居たいですよ!」
「それなら見捨てるなんて言わないでよ! 私だってママとはまだまだずっと一緒にいたいもん!」
「それで貴女が死んだらどうするんですか!」
「死なないよ!」
「死にかけたじゃないですか!」
思わずと言った様にマリアがセシリアの胸を叩きつける。
だが鍛えられたセシリアからすれば蚊が止まったような衝撃程度で、おおよそ一般的な女性らしい非力さだと頭の片隅で冷静に観する。
「ダメ、ダメなんです……何も出来ない私を守って、セシリアが死んだら……私……」
少しずつ、怒りが続かなくなったマリアは、涙を流して嗚咽を漏らす。
セシリアも痛ましいその姿を見降ろしながら、涙を釣られるもぐっと堪える。
「嫌なんです……貴女が傷つくのが」
「ママ……」
口元を手で覆いながら、枯れる事の無い涙を流し続けるマリアをセシリアはそっと抱きしめる。
華奢で、柔らかい、暖かな身体。
高身長で、筋肉質なセシリアとは真逆の女性らしい抱き心地の良い身体は、少しでも力を籠めれば折れてしまいそうに細く、脆い。
そんなマリアはセシリアの腕の中にすっぽり収まると、セシリアの平らな胸に顔を押し付けて嗚咽をくぐもらせる。
「本当は冒険家なんてして欲しくない、あの危ない武器を作る度に怪我をするのも止めて欲しい、誰かを傷つけて欲しくない。トリシャさんとガンドさんのお店で働いてた頃みたいに、平和に過ごして欲しいんです」
そう言えば、冒険家を始めた頃やリボルバーを作り始めた頃はそれこそ、毎日傷を作ってその度にマリアを悲しませていた。
いつしか、マリアの笑顔以外を見るのが嫌で、上手く取り繕ったり傷を負った痕跡を隠す様になったと何となく振り返り、積もり積もったマリアの心の内をぶつけられて、その甘い誘惑に屈しそうになる。
「……ごめん、でも無理だよ。この世界は力の無い人が生きるのは難しすぎる。日本みたいに安全じゃない、命が軽すぎるんだよ」
だけれど、マリアの言う通りにただの非力な女の子として、これからを生きていくなんて気は無かった。
瞑目したセシリアの瞼の裏に映るのは、トリシャとガンドの姿。
燃え盛る孤児院と子供達。
そして、守り切れなかった母を。
無意識に抱きしめる力が強まり、マリアが苦悶の声を漏らした。
マリアはそれでも止めてとは言わず、涙で濡れた空色の瞳でセシリアの顔を見上げる。
何かを言いたげなマリアに、セシリアは儚げに微笑んだ。
「何でだろうね。悪いことはしてないのに……ママと一緒に笑って過ごしたいだけなのに」
「セシリア……」
マリアが気遣し気にセシリアの頬を撫でる。
自分が叩いた、未だ赤みを残す頬を、産毛を撫でる様に恐る恐ると。
その手に頭を預けるとセシリアとは違う、柔らかくて小さな手のひらから穏やかな温もりが伝わる。
「その……叩いてごめんなさい。痛かったですよね」
「うぅん、これ位慣れてるからへっちゃらだよ」
少しだけ落ち着きを取り戻したマリアの言葉に、あまり考えずに返事をしてしまい、それが間違いだと気づいたのは、マリアが悲し気に顔を歪めたのを見てからだった。
「ねぇ、セシリア」
慌てて言い訳を言おうとしたセシリアを、マリアの言葉が遮る。
その表情は今にも壊れそうなのに、どこか決意を秘めた何かがあった。
「……もし、また同じことがあれば……私を見捨てて生きてください」
「っだから!」
「違うんです」
まだ言うか。と眉を寄せたセシリアにマリアは静かに遮る。
「貴女が、私を守るために一生懸命努力してるのは分かってます。でも、私は貴女が傷つくのなんて見たくないんです、だから約束してください。もし私を見捨てて生き延びれる状況になったら、迷わず自分を優先するって」
「……どうしてそんな事言うの」
なんてふざけた約束だ。
セシリアは迷わず一蹴するつもりだったが、しんとマリアの目に射抜かれながら迷子の子供の様に縋りつく。
マリアは娘の頬を撫でたまま、その真紅の瞳から僅かも目を逸らさないで、安心させる様に微笑んだ。
「私に貴女を守る力はありませんから。娘一人碌に守ってあげられない母親の、唯一の矜持です」
「そんな事ないよ! ママは——」
思いつく限りの擁護の言葉を吐こうとした。
だがそんなセシリアに、マリアは首を横に振って遮る。
「分かってます。貴女がそんな事ないと思ってくれているのは」
「なら!」
「でも駄目なんです。貴女を守れずに居るなんて母親として、私個人として耐えられない。せめてこれ位の覚悟はさせてください」
「っ……」
その言葉にぐっと言葉を詰まらせるセシリア。
悔しいと思った。
守りたいと、守らなくちゃと思った大事な人に、こんな事を言わせる自分のふがいなさに。
今すぐ自分を殴り殺したいと思った。
何時からか、敵は魔獣だけだと思う様になっていた。
5年間鍛え、そして冒険家として魔獣と戦う様になって、魔獣と戦える自分に慢心していた。
何処かで、何とかなるだろうと思う様になっていた。
その結果がこれだ。
実の母にこんな事を言わせた。
守るべき人に涙を流させた。
愛してる人を一度は死なせた。
噛み締めた奥歯が乾いた音を立てた。
「……約束は出来ない」
「セシリア!」
「無理だよ!」
血を吐くように叫ぶ。
どうして分かってくれないの。と言おうとしたマリアは、セシリアがボロボロと涙を流しているのを見て言葉を切った。
違う、泣かせたいんじゃないの。という様にマリアはボロボロと涙を流してしゃっくりをあげるセシリアの涙を払う。
「えぐっ……むりだよ……見捨てろとか、ひぐっ、いわないでよ……」
「セシリア……」
流した涙は無意識だったのか、戸惑う様子を見せるセシリアはそのまま涙を拭うマリアに縋りつく。
「わたし……ママが居なくなったら生きていけないよぉ」
「私だって……貴女が居なくなったら生きていけないです。せめて貴女だけで生きていて欲しいんです」
「いやだよぉ、頑張るから、絶対に守るからぁ……」
「……」
自分より頭一つは大きく成長したセシリアを、抱きしめながらあやすマリアは儚げに泣いている。
身体は大きくなっても、まだまだ子供で、そして大事な娘。
縋りついて忍び泣くセシリアをあやし続ける。
「ぐす…………ごめん」
「大丈夫です、泣かせたのは私ですから。落ち着きましたか?」
「うん……」
どれほど泣き続けたか。
既に陽は完全に上がっており、室内を明るく照らされている。
そんな中で、セシリアもマリアもお互い目を真っ赤に泣き腫らして、文字通り枯れるまで涙を流した結果、始めの勢いは完全に削げ普段通り穏やかに、それでいてお互いが決して離れない様に背に両手を回して抱き締め合っている。
二人は無言で見つめ合う。
セシリアはマリアの空色の瞳を見下ろし、マリアはセシリアの真紅の瞳を見上げる。
さながら、これからキスをしようとする恋人の様に。
だが二人が顔を寄せる事は無く、セシリアはきゅっと悲し気に唇を結ぶ。
「やっぱり、ママの言う事は聞けない。それだけは無理」
完全に落ち着いてから、改めてNOを突き付ける。
他のお願いなら何でも聞くのはやぶさかでは無いが、そう言った事だけは何が何でも聞くつもりは無い。
その返答に、マリアは分かっていたと言う様に困った風に微笑む。
「そうですよね、私も、貴女に同じことを言われても頷くことは出来ないですから。ごめんなさい」
落ち着きを取り戻して自分がどれほど酷な事を言ったか、自分が言われたら。と考えたマリアは謝罪する。
それでも、やはり表情のどこかに諦め切れていないのが伺えるのは、仕方の無い事なの知れない。
沈黙がお互いの間に流れる。
生まれて初めての親子喧嘩をして、何となく気恥ずかしさがお互いにある上、折角ひと段落ついた話を蒸し返したくないが、次になんと言えば良いのか上手い話題が浮かばない。
「ママ」
「? どうしました?」
「怪我は……大丈夫?」
セシリアは、マリアの細く白い首を気遣わし気に撫でながら問う。
そこには傷跡一つ残っておらず、そして今こうしてマリアが微笑みながら立っているのが何よりの証拠だが、セシリアは問わずには居られなかった。
ここが夢では無く、現実だと再確認したかった。
マリアは首を撫でるセシリアの手に、自分の手のひらを重ねる。
夢では無い、貴女の母はここにちゃんと居ると伝える様に。
「えぇ、貴女が守ってくれたお陰です」
「っ」
守れなかった。と反射的に口を開きかけたが、寸での所で踏みとどまる。
マリアの気遣いを無駄にしたくなかった。それに、こうしてマリアが無事であればそれで良かった。
表情を曇らせるセシリアの頭をマリアが抱き寄せる。
「思いつめないで下さい、貴女は充分頑張ってくれたんです。私の自慢の娘ですよ」
「……うん」
マリアの豊かな胸に顔を埋めながら、セシリアは痛い位に抱きしめる。
ただこうしていたいだけなのに、どうして上手くいかないのだろうか。
たった一人の母親とこれからも安全に一緒に居る為には、何を犠牲にすれば良いのだろうか。そんな事を自然と考えていた。




