異質
「これはぁ、どういう状況かしらぁ?」
青肌の煽情的な恰好の女性の言葉に、その場の全員の視線が膝を着いて気絶するそれと、地面に仰向けに横たわり穏やかな寝息を立てるマリアへ向けられる。
手足から生えた鋭い爪は獣を連想し、禍々しい全身鎧は悪魔の騎士の様で、少なくとも人型である事を除けば人だとは分からないだろう。
「も、もしかしてセシリアちゃん……デス?」
ヤヤの言葉にそれは答えない。
ヤヤだってセシリアだという確証はなかった。
だが地面に横たわるマリアを守る様に佇むその姿が、胸元で垂れた空色のネックレスからセシリアだと推察しただけだ。
「あれが……ミスセシリアだと言うのですの?」
「まさか。何処からどう見てもあれは……」
クリスティーヌとヴィオレットは、ヤヤの言葉に信じられないと目を見張る。
だってその姿は、どこからどうみても【人】には見えないのだから。セシリアには亜人らしい特徴がない、普通の人種だったはずだ。
よしんばそうだとしても、目の前の昆虫の外殻と騎士が混ざった、黒く禍々しい姿をセシリアだとは思えなかった。
化け物。という言葉が脳裏を過る。
「登場からクライマックスっぽい雰囲気すぎて、お姉さん困っちゃうわぁ」
その場にそぐわない、酔った様に気だるげで熱っぽい声。
青肌黒白目、真紅の瞳という見た事の無いタイプの亜人。
腰まである癖っ毛の黒髪は緩く流され、眠たそうな目と厚ぼったい唇に添えられた艶黒子が印象的で、男の情欲を誘う肉付きの良い身体を黒いビキニと沢山のベルトで覆っている。
「ってよりは、エンディングって感じじゃね? シーズン2ってか?」
妖艶な女性の言葉に答えたのは、同じく青肌に黒白目で真紅の瞳を持つ軽薄そうな糸目の青年。
前髪だけ上げられた黒髪は無造作に整えられ、身体のラインが出ない緩めのパーカーとジョッパースパンツを着ている辺り、見た目の印象と内面に違いは無いのだろう。
額に手を宛てて遠くを見る様に観察してた彼は、地面に尻を着かない程度に腰を下ろしている。
「そうねぇ。折角三百年ぶりに人間界に来たんだしぃ、まずは穏便に行きたいわねぇ」
呟いて、女性は敵意を見せない様に両手の平を掲げながらセシリアだったそれに、困惑と緊張で身構える三人に歩み寄る。
「あーあー、ハロぉ? こんばんはぁ? 言葉は通じるかしらぁ?」
愛想の良い笑みを浮かべながら近づいてくる女性に、三人は反射的に武器を構える。
普段なら平和な対応をするだろうが、今の状況を考えると、敵かどうかも分からない相手に平和的に接しようとは思わないだろう。
三人が身構えたのを見て、女性は困った様に眉尻を下げて足を止める。
そのまま、言葉を発さずにクリスティーヌ達に敵意が無い事を示し続ける。
「……お初にお目にかかりますわ」
最初に構えを解いたのはクリスティーヌ。
クリスティーヌはヴィオレットに目配せで、警戒だけは解かない様にと伝え、嬉しそうに微笑む女性に一歩踏み出す。
「言葉は通じるっぽいわねぇ? 初めましてぇ」
「初めまして。幾つか聞きたいことはありますが、貴女達はどうしてここに?」
クリスティーヌは自然体で警戒しながら問う。
もし彼女が街の冒険家で、仕事帰りだと答えたなら拘束するつもりだ。
青肌黒白目、ましてや真紅の瞳で娼婦も恥じらう格好をしてる目立つ格好の彼女の存在を、クリスティーヌはこの街で聞いた覚えは無かった。
それに、つい先ほどまでこの場からは地震もかくやと言う戦闘が行われていたのだ、普通ならこの場から早々に逃げるだろう。
もし不心得者なら、拘束の一つ位はすべきだと警戒する。
「う~ん、そうねぇ」
女性は小首を傾げて、眠たそうに伏せられた、長い睫毛に縁どられた目でじぃっとクリスティーヌを見つめる。
蠱惑的に、どこか幼げに、女性のクリスティーヌですら思わずドキッとしてしまう様な色気と魅力を滲ませて。
「……この子は大丈夫そうね」
その呟きはクリスティーヌには届かなかったが、女性は一つ頷くと両手を上げたままニコッと笑いかける。
「お姉さん達はぁ、さっき魔界から来たのぉ、それで地理が分からなくてぇ戦闘音の方に来たらって感じぃ」
「……魔界? ……まさか、悪魔だというのですの」
クリスティーヌは眉を潜めた。
突拍子の無い言葉という事もあるが、余りにもあっさりと告げられた言葉に嘘かどうか計りかねているからなのだが、少なくとも彼女と彼の身体的特徴に当てはまる既存の亜人の存在は頭になく、また嘘をついている様には見えなかった。
少なくとも、敵意は感じられない。
クリスティーヌは貴族だ。
それも実力主義を掲げる、教会すら政治に関われないほどの軍事国家の貴族の娘。
当然権謀術数の類は身に付けているし、相手が笑顔の下で嘘をついてるかどうかなど、嫌と言う程の経験から察することが出来る。
そんな彼女が、目の間の女性からは敵意を感じないという事に、尽きない疑問と質問をぐっと飲みこみ少しだけ警戒を緩めて示す。
「それで、彼女やこの状況は貴女達の仕業ですの?」
チラリと前方で膝を着いて動かないセシリアであろうそれと、横たわるマリアを一瞥する。
ここで黒龍が戦っていたのは知っているが、直接見た訳では無い為目の前の二人が地形を変える程の戦闘に関わっていたのだと質問するが、女性は肩を竦めて否定する。
「うんにゃ、お姉さん達は何もしてないわよぉ、あの化け物と戦ったのはその子」
「は! セシリアちゃん! マリアさん! 生きてるデスか!?」
漸くと言った所で、ヤヤが正気に戻って二人に掛け寄る。
ヤヤが傍まで来ても、セシリアだったそれは姿を変えたまま動かず、一切の反応を見せない。
マリアの安否を確認すれば、胸元は何かが貫通したように穴開いてる上血だらけだが、きちんと息をしている事に安堵する。
ヤヤはセシリアだったそれに触れるのは怖いのか、マリアの方に身を寄せたままクリスティーヌにどうすれば良いのか教えて欲しいと言わんばかりに見上げる。
その視線を感じながら、傍らに立つヴィオレットがナイフを構えながら顔を寄せる。
「お嬢様、これ以上は完全に陽が落ちます。流石に夜間に光源も無く戦闘をするのは、今の状態では流石に無謀かと」
「そうね、魔力ももう殆ど無いし、あの黒龍も去った事ですし一度街に戻りたい所だけど……」
二人は静かに待つ女性と、つまらなそうに欠伸をしたまま地面に腰を下ろした青肌の青年に視線を向ける。
「貴方達二人の目的は何かしら? 本当に悪魔だというのなら、魔界の尖兵として来たのかしら?」
クリスティーヌはヤヤの視線を無視して女性に問う。
女性は心外とばかりに大げさに肩を竦めて、背後の青年を手招きする。
「まさかぁ、お姉さん達はぁ探し物を見つけに来たのぉ」
「そうそう、俺らに戦争の意思なんて欠片も無いっしょ」
額面通り受け取るべきか、スパイとみるべきか。それを判断するには材料が足りないし時と場所が相応しくない。
「……詳しい事は街で聞きますわ。ヴィー」
「二人とも、抗戦の意思が無いのであれば拘束させていただきます」
ヴィオレットの言葉に二人は苦笑して両手を上げる。
そしてヴィオレットがスカートの中から二つの手錠を取り出し、抵抗なく二人の腕に掛けられる。
余りにもあっさりと、記録に殆ど残らない悪魔を確保してしまい、クリスティーヌは二人の処遇をどうするべきかを眠気に包まれた頭で考える。
「まぁ? 仕方ないわよねぇ」
「うわ、これ魔力の流れを乱す系の手錠じゃん、まじ気持ち悪り~」
二人への対応がひと段落ついた所で、クリスティーヌは木の棒で黙して動かないセシリアだったそれをつつくヤヤに向き直る。
「ミスヤヤ、彼女は本当にミスセシリアですの?」
突然話を振られたヤヤはビクっと身体を跳ねさせ、慌てて木の棒を投げ捨てて羞恥にか頬を桜色に染めてクリスティーヌに向き合う。
「で、デス。血の匂いが強すぎて分かりにくいけど、セシリアちゃんの匂いがするデス。それに、セシリアちゃんの宝物のネックレスがあるデスよ」
「あら? これはワタクシの商会のネックレスですわね」
永遠や不変の愛を意味する空色の宝石の、シンプルなネックレスを見てクリスティーヌは口元を綻ばせる。
思わぬところで自分との繋がりがあったのだと。だが今はすべきことがあると表情を引き締めて、驚くヤヤを尻目にその禍々しい外殻に触れる。
「見た目が変化……と言うよりは肉体そのものが変質してる様ですわね、興味深い」
「あ、あの……触っても大丈夫なんデスか?」
「えぇ、特に異常はみられませんわ。貴女も触ってみなさい? 不思議な感触ですわよ」
言われてヤヤは恐る恐る黒く禍々しい外皮に触れる。
「……あったかいデス」
騎士の鎧や昆虫の外殻の様なそれに冷たさは無く、ほんのりと温かさを感じられる。
人肌の温もりと、心拍に合わせて脈動する外殻に反し、手触りだけは固く指で叩けば軽い音を奏でる。
「この兜は、んっ! ……はぁ、ダメですわ。やはり肉体そのものが変質してる様ですわね」
「そ、それじゃあ治せないんデスか?」
「少なくとも、これが彼女の魔法に依るものだとしたら、ワタクシにどうこうする術はありませんわね」
クリスティーヌは竜騎士の様な兜を外そうと、それに手を掛けて引っ張るもやはり兜と言うよりは、頭その物を引っ張ている様で諦めのため息を吐く。
ちらりと、べそをかくヤヤと静かに後ろで、興味深そうに観察している悪魔達に目を向ける。
青肌の女性は視線に気づくと、コテンと首を傾けた。
「なぁに?」
「……」
クリスティーヌは逡巡する。
もう数分もすれば世界は闇に包まれるだろう。
早く街に戻らなければ、だがこの姿のセシリアを街に入れるのは不味い。
ただでさえ黒龍によって街は半壊してるのに、異形の姿のセシリアを街に入れて傷を負った住民を恐れさせるのは危険だろう。
住人が、では無くセシリアが。
今はまだ良いだろうが、改めて明日になって半壊した家や街をみた人々は何を思うだろうか。
諦念? 後悔? それとも復興への明るい気持ちだけ?
まさか。根底に抱くのは行き場の無い怒り。
黒龍と言う加害者が居る以上、自然災害の様に諦めのつくものでは無い。溜飲は下げるだろうが、少なくとも腹に一物抱えるだろう。
そんな時に今のセシリアを街にいれて、もしセシリアが見た目通り理性無く行動すれば、その時は手を下さなければならなくなる。
元が人である以上、無用な殺生や混乱は避けたいとクリスティーヌは考える。
かと言って、クリスティーヌに目の前のセシリアをどうやって元のあの麗しい姿に戻せば良いか分からない。
念のため、ヴィオレットに問うも首を横に振られる。
闇夜に紛れて中に入るかべきか、二人の悪魔の監視ややるべき事が他に沢山ある以上、出来るなら今ここで元に戻したいところだが。
「もしかしてぇ、それを元に戻そうとしてるのぉ?」
「……出来るんですの?」
「無きにしも非ずかしらぁ」
「本当デスか!?」
女性の言葉にヤヤは喜色を浮かべる。
本当かどうか訝しむクリスティーヌに対し、女性は肩を竦めて隣の糸目の青年の足をつま先で小突く。
「いって、なにすんだよねぇちゃん」
「寝てるんじゃないわよぉ。あれ、元に戻せるぅ?」
「あ、あぁ~、まぁ出来んじゃね」
その言葉にヤヤは息を呑んで尻尾を嬉しそうに振り回すが、青年は「ただ」と一言置く。
「確実じゃないし、割と運任せ。失敗しても怒らないで欲しいな~、なんて」
「失敗したら、どうなると?」
「何も? 強いて言うなら、俺が間違えて殺しちゃうかもって位?」
「……どうして疑問形なんですの」
クリスティーヌは糸目の青年のへらへらした顔と物言いに、頭痛を堪える様にこめかみを抑える。
青年はへらへらと笑いながら肩を竦めて、糸目の目を薄く開きセシリアに向ける。
「いや~、人それぞれっていうか~、混ざり物の悪魔とか知らんし」
「混ざり物?」
「おっと。それよりやるの、やらんの?」
明らかに何かを隠してる様子だが、辺りは既に暗く、足元すらおぼつかない。
それにクリスティーヌが特にだが、三人共黒龍のブレスを耐えた事による疲労と魔力切れが著しく、今すぐ横になりたい気分だった。
「……ヴィー、彼の手錠を」
「しかしお嬢様、危険です。もしここで戦闘となれば、お嬢様はともかく、ヤヤちゃんと彼女らまでは守り切れるか……」
「構いませんわ。もし彼らがその気だったのなら、初めから戦闘が起こっていたでしょうし」
「……わかりました。ですが念のため、お嬢様はお下がりください」
もし彼らが行動を起こせば、直ぐに対応できるように身構えながらヴィオレットは糸目の青年の手錠を外す。
「あ~、すっきりー。これ体内の魔力が乱れるからキモイんだよね~」
「ちょっとぉ、お姉さんは外してくれないのぉ?」
「必要なんですか?」
ヴィオレットが青年に問うと、青年はニヤっと口角を上げて顎をしゃくってくるりと背を向ける。
「うんにゃ、姉ちゃんはいらね」
「男女平等キック!」
「ぬほぁ!?」
憎たらしく鼻で笑い、背を向ける青年の股間に、女性の肉付きの良い長い脚が生える。
ここに彼以外の男性が居ればきゅっと膝を寄せてしまうが、生憎と女性しかおらず、ピクピクと蹲る青年の痛みに共感できる者はいない。
「っく……っそ、アマが……」
「弟の癖に生意気ぃ、さっさとやってよ。お姉さんもう眠たいのぉ」
内股になりながら、口の中で姉と呼ぶ女性への恨み言を転がしつつ青年はセシリアに近づく。
「あ~、くっそぉ、痛くて集中できねぇっしょ……?」
青年は股間を抑えながら顔を顰めていると、ちょいちょいと裾を引かれる。
見ればそこには心配そうな顔をしたヤヤが、身長差故に上目遣いで青年を見上げていた。
「えっと、痛い痛いするデス?」
「え……」
ヤヤの言葉に青年の糸目が見開かれて硬直する。
青年の患部は股間だ。
一般的に痛い痛いと呼ばれる行為は、患部を撫でて「痛いの痛いのとんでけ~」と小さな子供にする誤魔化しなのだが、それを股間を痛める青年に言い放ったのだ。
犯罪的、いやお縄まっしぐらな行為。
「?」
目を見開いて硬直する青年を、不思議そうに見上げるヤヤ。
他意なんて無い、セシリアを助けようとする青年が、痛みに集中できないという言葉を聞いて声を上げただけだ。
孤児院などで幼い子供達にするのと同じ様に、そして失敗されたら困るから言っただけなのだが。
そういった知識の無い12歳のヤヤに、自分の発言がどういう意味を持つか分からない。
ゴクリ。と青年が生唾を呑んでしまったのを他の女性たちは見逃さなかった。
「最低ですわ」
「殺す」
「縁がちょかなぁ」
「ちょっ! 違う! 驚いただけだから! 何も想像してないから!」
「?」
女性たちの蔑みの目に刺されながら、青年は逃げる様にセシリアの前に滑り込み咳ばらいをする。
「うん、これ失敗したら殺されるな」
青年は三人分の殺気を浴びながら、口角を引くつかせて深呼吸する。
それだけで、青年の纏う雰囲気が変わった。
「出てこい、冥府の花嫁——」
直前までの軽薄な雰囲気では無く、反射的に身構えてしまう様な戦士の顔。
横に広げられた右手の平に、足元の影が這って集まると、徐々に成形しだす。
「——ヘルベリア」
それは混じりっ気の無い漆黒の大鎌。
三日月型の刃はギロチンの様に、一刀の元に相手の命を刈り取れる程に大きく、鋭い。
2mはあろう大きさのそれを、青年は軽やかに、身体の一部の様に自然に扱う。
何をするか見ていた三人は、青年が武器を出した事で瞬時に戦闘態勢に移る。
それを見て青年は鎌を首に預けて、降参の姿勢を取る。
「待て待て! こいつを助けるにはこれが必要なの! それに戦うつもりなら始めっからそうするっしょ!?」
その言葉に三人は逡巡の後、武器を下げる。だが何時でも対応できるように警戒だけは外さない。
その様子に青年はほっと安堵し、ニヤニヤと傍観を決める女性を睨みつけた。
「それで、どうやって彼女を元に戻すというのですの。まさかその大鎌で首を落とすとでもいうんですの?」
「まー、あながち間違いでも無いかな」
その言葉に、ヤヤは矢を番える。
疲労によって矢を握る右手が震えるが、瞬時に行動を阻害できるようにする。
そんなヤヤの視界を、誰かの手が遮った。見ればクリスティーヌが落ち着けと言う様に首を横に振っており、弓矢を下げた。
「冗談は控えていただけます事? ワタクシ達、今は少し余裕がありませんの」
クリスティーヌが翠の猫目で睨みつければ、青年は両手をひらひらと振って苦笑する。
「え~っと、要はこいつで魂と肉体の繋がりを一時的に遮断するんよ。そうする事で、肉体変質系の魔法であれば、術者の意思を介さずに強制的に元に戻せるって訳っしょ」
「……え? セシリアちゃんの魔法は変身系じゃないデスよ?」
青年の説明に、ヤヤは思わずと言ったように口を突き、はっと口を抑えるが、時すでに遅し。
全員の視線がヤヤに集まり、ヤヤは灰色の狼耳を垂らし尻尾で顔を隠す。
「それはどういうことですの、魔法も無しに肉体を変質させるなど、聞いたこともありませんわ」
「流石に俺もそれは想定外なんだけど、え? 無理じゃね?」
クリスティーヌと青年の言葉にヤヤは狼狽える。
ヤヤも然り、青肌の二人もそうだが亜人と言う種族が居る。
獣の因子が濃い亜人と薄い亜人に二分され、かつその種類も生物の数だけ存在するのだが、そこは生物の範疇に収まるのか、希少魔法も無く見た目を変える亜人は存在しない。
青年が語った方法は、魔法の根源である魂を、肉体との繋がりを断つ事で魔法によって変質した肉体を戻そうという話だったのだが、そも魔法による変質では無いと言うのならその手段はとれない。
「何してるの、止まりなさい」
「ねぇお嬢ちゃん? その話、詳しく教えてくれなぁい?」
両手に手錠を掛けた女性が、ヴィオレットの制止を振り切ってヤヤに視線を合わせて座り込む。
眠たそうに伏せられていた目が、今はきちんと開かれていて、真紅の瞳がヤヤの青みがかった灰色の瞳を逃がさないと射抜いている。
ヤヤは「あぅ……」と目を泳がせる。
つい口を突いてしまったが、セシリアの魔法の事は本人から言わない様にと言われているのだ。だが、言わないでその当人をこのままにするのも違うかも知れない。
心の中でセシリアに謝って、口を開く。
「セシリアちゃんの魔法は、相手を正常な状態に戻す希少魔法デス。まるで時間を戻したみたいに、治癒魔法みたいに相手の体力を使わない魔法、セシリアちゃんは回復魔法って呼んでるデス」
「つまりぃ、あの状態は魔法に依るものじゃないって事ぉ?」
「デス。少なくとも、他に魔法を持ってるなんて聞いたことないデス」
「ふぅん」
俯きがちに語られたヤヤの言葉に、女性は噛み締める様に頷く。
セシリアに嘘を付かれていたら別だが、嘘はついていないとヤヤは信じていた。
「正常……なんというか、抽象的ですね」
ヴィオレットの一人言にその場の全員の視線が集まる。
「それはどういう事ですの?」
「え? あ、いや、その」
聞かせるつもりは無かったと、クリスティーヌに反応されてヴィオレットは慌てるも、咳ばらいを一つして主の問いに答える。
「例えば、生まれつき四肢が欠損してるとして、他者から見ればそれは異常だけれど、生まれつきそうだったなら、当人からすればその状態が正常であると言えると思うんです」
一概に、絶対正しいと言える事と言うのは存外多くない。
肉体に於いては比較的、共通の認識に元づいて【正常】と認識できる事は多いが、人に依っては一般的に正常でない事を正常であると自認する事もある。
劣悪な環境にいる人間が劣悪でない、一般的に衛生的で健康的な生活を知らなければ、その人にとって劣悪な環境は正常と言えるだろう。
勿論、それは当事者では無いヴィオレットの解釈な為、一概にそうだとは言えない。
「えっとつまり、正常って結構個人の認識によって変わると思うんです」
「正常というよりは、単純に時間を戻したかの様に傷を治す魔法。と仮定したほうが説明がつくと?」
「はいはぁい、魔法談義は後にしましょぉ? 今はこれの……からだ……を」
女性は逸れた話筋を遮って戻すが、セシリアの方を向くと言葉尻を窄める。
それに従う様に全員の視線が再びセシリアを見下ろすが、同じように呆ける。
「……すぅ……」
見間違いだったのかと思う程禍々しい姿は欠片も無く、黒かった髪は蒼銀に、鎧の様な外殻は筋肉質だが白く柔らかい女子の身体に、何処からどう見て、元の端麗な姿のセシリアに戻っていた。
良く見ればセシリアの右手を、マリアの左手がぎゅっと、五指を絡めて握っていた。
「……とりあえず、帰らね?」
青年の気の抜ける軽い声に、全員が頷いた。




