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私のお母さんになってと告白したら異世界でお母さんが出来ました  作者: れんキュン
2章 物事は何時だって転がる様に始まる
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10秒間の蹂躙



 それはまだ夕暮れの刻、黒龍が街を破壊する前の頃。


 辺境の街カルテルに向かって、二頭の馬が全速力で駆けている。


「お嬢様! 危険です! 街へ行くのは止めましょう!」


 先頭を走るクリスティーヌの背に向かって、ヴィオレットは馬の手綱を引きながら焦燥の滲んだ声を掛ける。


「ダメですわ。この国に縁のある以上、帝国貴族として民草を見捨てるなど美しくありませんわ」

「ですが!」

「ヴィオレット!」

「っ!」


 だがヴィオレットの言葉に、一瞥すら向けずクリスティーヌは、夕日に輝く金色の縦巻き

 ツインテールを上下させ馬を走らせる。

 それでも態々、危険が迫っていると分かる場所へ向かわせるのは従者として窘めるべきだと口を開くが、咎める口調で愛称では無く、名前を叫ばれる。

 クリスティーヌは正面を向いたまま、ヴィオレットに向かって口を開く。


「お姉様がこの国に嫁いだ以上、この国は最早他国ではありませんわ。ワタクシは誇り高き帝国貴族、フィーリウス家の次女として、この国の王太子妃の妹として、そして我が宝石商の商会長としてワタクシは選択しました。ヴィオレット、貴女はあの時、ワタクシの手を取った時に誓った言葉に背を背けるというの」


 クリスティーヌは思い出す様に、独り言の様に語る。

 表情は前を向いている為伺えないが、そんな事はどうでも良かった。

 ヴィオレットは深く瞑目し、己の役割を、信念を思い返す。

 嘗て一国の全ての悪意と業を混ぜ合わせた様な地獄で、全てを諦めた世界で、差し出された手を取った時の想いを。


「……失礼しました。この身は剣であり盾。わが身一片に至るまでお嬢様の手足となって、その御心を支えさせていただきます」

「なら良いですわ」


 そういってクリスティーヌは馬の腹を蹴って速度を上げる。

 ヴィオレットも何も言わず、馬の腹を蹴るとクリスティーヌの後を追う。


「あ、あのヴィーさん」

「ん? あぁごめんね? もう少しだけ我慢できる?」

「いや、別に問題は無いデス、でも本当に良いんデスか? 態々街に向かって」


 ヴィオレットの腰に抱き着いたヤヤは、遠慮がちに彼女を見上げる。

 セシリアが飛び出した後、クリスティーヌ達三人も慌てて馬を用意して後を追いかけたのだが、ヤヤは関係ない筈の二人まで危険が迫っていると分かっている場所に向かう事を心配していた。

 クリスティーヌ自身が行くと言い出したのではあるが、それによって貴族であるクリスティーヌが怪我でもして、セシリアとヤヤに何らかの負債を負わされる事になれば目も当てられない。


 その不安を察したのか、ヴィオレットは肩越しに苦笑を向ける。


「お嬢様がそうすると言った以上、私に止める事は出来ないからね。それに何かあってもお嬢様は私が守るから、ヤヤちゃんは気負わなくて良いよ?」

「いや、そう言う事じゃなくて——」


 ヤヤは正面に捉えた避難民の姿に口を紡ぐ。

 何かが起こってるのは分かっていた、だが住民を避難させなくてはいけない程の事とは思わなかった為、長蛇の列を作って他の街や村へ避難する人々を見て唖然としてしまった。


 クリスティーヌとヴィオレットは速度を落として並足で端に避け、表情を引き締め避難民の波に逆らって街へ向かう。


「思ったよりも避難民は少ないですね」

「恐らく、ここに居るのは殆ど余所の人ですわね、あの街に居を構える人々は街に残ってる筈ですわ」


 クリスティーヌの言葉は正解だった。

 今横を抜ける人々は街に居を持たない外の人間、又は街に思い入れの浅い人々。

 本来なら数十倍の避難民の筈の波は、道幅に収まる程度で、カルテルの街を故郷と思う人々は逃げるという選択肢を取らなかった。

 そしてその言葉を裏付ける様に、街へ近づくと西門付近は物々しい雰囲気に包まれているのを捉える。


 武器を構えた兵士の一人が、近づくクリスティーヌへ声を掛ける。


「君、この街には今未確認の巨大な魔獣が接近してるんだ、だから君たちも早く元来た道へ戻って避難しなさい」


 女性が三人、成人女性だと分かるヴィオレットを除けば、クリスティーヌはまだ少女だし、ヤヤに至っては幼女だ。

 兵士は諭す様に馬上のクリスティーヌに避難を促す。

 その言葉に、クリスティーヌ馬から降りると凛と兵士の目を見据える。


「その必要はありませんわ、ワタクシは己の矜持に従ってこの街の防衛に手を貸す事にしましたの、取り急ぎ指揮官に取次ぎを」

「は? 何言ってんだあん——」

「失礼、こちらをご覧ください」


 軍服を纏ってこそいるものの、たった16歳程度の身綺麗な少女が何を言ってるのだと兵士は訝しみながらも押しのける様に馬上へ戻そうと一歩踏み出すが、それはヴィオレットの手によって阻まれる。

 そしてヴィオレットが眼前に翳した紋章を見て目を見開くと、クリスティーヌの軍服と紋章を交互に見比べ、顔を蒼白に染める。


「し、失礼しました! ローテリア帝国の御貴族様とは知らずにご無礼を!」


 平民とは言え仕事柄、貴族についての知識も付けている兵士は、目の前の少女が帝国の貴族、それも最上位に位置する公爵家の人間だと気づき勢いよく頭を下げる。

 脂汗を滲ませる彼のつむじを見下ろしながら、クリスティーヌは再度申し出る。


「構いませんわ、非常事態ですもの。それより指揮官への取次ぎを——」


 その言葉を言い切る前に、クリスティーヌはバッと勢いよく背後を振り返る。

 沈む夕陽の方を凝視して、無意識にか生唾を呑んだ。


「お嬢様? 一体何を……」

「? なんの音デス……か」


 後に続いて二人も振り返り、夕陽の中から徐々に姿を現していくそれを捉え、訝し気に眉を潜め、捉えると目を見開く。


 ヤヤは人よりも鋭い耳でその音を捉えた。

 鳥の様に翼をはためかせる低い音、そしてそれが近づいて来るに従い鳥程度の生易しい音では無く、空気を震わせる程に重く叩き付ける様に響くはためきだと理解する。


 ヴィオレットは身体が小さく震えていた。

 主であるクリスティーヌを守るために、血反吐を吐いても終わらない修練に身を費やしてた身体が、恐怖を覚える様に震えてしまっていた。


 クリスティーヌは形の良い翠の瞳でそれを捉えた。

 始めは鳥が飛竜だと思った、3m程の飛竜に乗って国を守る竜騎士と言う存在が居るのを知っているから、竜というのは珍しくなかった。

 だが徐々に姿を現すそれを見て、認識を改めざるを得なかった。

 何故ならそれは3mなんて可愛い物じゃない、30mは悠にありそうな巨大な体躯の龍。


 誰もが呆けてそれを凝視していた。

 あれほど騒がしかった西門は、音と言う概念を捨ててしまったかのように静寂に包まれた。


 一番最初に正気に戻ったのはクリスティーヌだった。


「!! 至急指揮官に伝えなさい! 一切の余力を残さずあれを迎撃せよと!」

「は、は!!」


 クリスティーヌの命令に彼は己で考えるという機能を放棄し、与えられた命令を愚直にこなす優秀な連絡兵と化して門の中へ駆けていく。

 それを見送ったクリスティーヌは、未だ呆けて近づいてくる黒龍を眺めている二人の肩を叩いて叱責する。


「何を呆けていますの! 今すぐワタクシ達も動きますわよ!」

「は!? し、失礼しました!」

「っ! や、ヤヤは……」


 正気に戻った二人だが、ヤヤは身を震わせる威圧感に震えながら、何をして良いか分からないとクリスティーヌを縋る様に見上げる。

 その視線を感じながら、クリスティーヌは背後で息を吹き返して慌ただしくなった城壁を振り返る。


「すぐさま防衛線に合流し、彼らと共に黒龍の迎撃を行います。ヴィー、貴女は付いてきなさい。ミスヤヤは迎撃に参加するもよし、家族や友人の元へ下がるも良しですわ」


 クリスティーヌは問う様に口にすると、翠の瞳をヤヤに向ける。

 それを横目に、ヴィオレットが前にしゃがみこんだ。


「ヤヤちゃんは安全な場所に避難しててね」

「や、ヤヤもお手伝いするデス!」

「ダメ!」


 ヴィオレットは、ヤヤの目線に合わせて諭す。

 だがヤヤだって、はいそうですかと従う訳にはいかない。街の一大事に少しでも力になろうと身を乗り出すが一喝され身を竦める。

 その姿にヴィオレットは罪悪感に表情を曇らせるが、態度は柔らげない。


「何でデスか! ヤヤだって戦えるデス!」

「ダメ、こういうのは大人の役目だから、ね?」

「大人……」


 食い下がるヤヤはヴィオレットの言葉に愕然とする。

 なんでそんな事を言うのか、ヴィオレットに好感を抱いていたヤヤは信じられない物を見る様に青みがかった灰色の瞳を揺らし、子供だから足手纏いだという言葉の裏に気付き俯いて小さな手を握りしめる。


「それでも——」

「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」


 縋りつくように顔を上げたヤヤの声は、黒龍の吹き飛ぶ衝撃を伴った咆哮によって遮られる。

 鼓膜が破れそうな轟音に、三人は、いやその場の全ての人が耳を塞いで苦悶に耐える。

 咆哮が止むと、真上に躍り出た黒龍によって三人に翳が指し、その威圧感と本能的な恐怖に身を竦ませて震えだした。


「っ!! 二人とも! ワタクシの後ろに!!」


 黒龍が大きく息を吸いこみ、上体を背後に逸らしたのを見てクリスティーヌは悲鳴とも取れる絶叫を上げて指に嵌めた宝石の一つ、オブシディアンの盾を展開した。

 これから黒龍が何をしようとしているのか一足先に察したクリスティーヌの行動に、二人は慌てて背後に回り各々で出来る最大の防御行動を行う。


 ビリビリと肌が泡立つ魔力を黒龍から感じる。

 魔力とは本来空気の様な物だ。体内を流れる魔力は血液の様に感じる事は出来るが、大気の魔力を感じる事は出来ない。

 にもかかわらず、それが途方も無い魔力の圧力だと誰もが肌で感じ、生存本能が泣き喚いて悲鳴を上げる。


「ヤヤちゃん! お嬢様の盾に魔力を流して!」

「どうやってデスか!」

「身体強化の応用!」


 身体強化苦手なんデス……と零しそうになった口を結んで、ヤヤは体内の魔力をクリスティーヌの眼前に顕現する盾に流す。

 肉体を強化する訳では無く、ただ流すだけな為それ自体は出来たが、未だガタガタと震える身体を安心させるには程遠く感じてしまう。


「くっ! 不味いですわ、ボルツ! 補強しなさい!」


 二つ目の宝石を輝かせて、オブシディアンの盾を砂鉄が包み込むと、二回り大きく岩の様な無骨な大盾に変わる。

 そしてそれとほぼ同時に、黒龍が黒い極光を放つ。


「きゃぁぁ!!」

「ぐぅっ! お嬢様ぁ!!」

「でぇぇす!!」


 射線から僅かにそれていた三人は直撃こそしなかったが、視界一杯を黒が包み、台風もかくやと言う叩き付ける暴風と衝撃が三人を襲う。

 少しでも気を抜けば、いや、ヤヤに至っては殆ど浮いている程の衝撃に全員が全力でクリスティーヌの盾に魔力を込めて生存を目指す。


「あ!? っ!」


 一番盾に近いクリスティーヌは盾越しに伝わる熱気に、眼球内の水分が沸騰するのを感じる。

 一瞬意識を持って行かれそうになるが、背中を押される頼りがいのある感触に意識を戻す。


「お嬢様! 私が前に……」

「無理よ! それよりもっと魔力を注ぎなさい!」

「あばばばばば……」


 三人は必死で耐える。

 何が起こってるのかなんて分からない。

 それでも生存本能の叫びに従って、全魔力を唯一隔てる大盾に注ぐ。

 数十分、数時間にも感じられる刹那の時を耐え凌ぎ、穏やかな乾いた風が三人を撫でると、攻撃が終わったのだと察し地面にへたり込んでしまう。


「はぁ、はぁ……」

「ぜぇ、おわっ……た?」

「も、もう魔力が無いデス……」


 顔を上げる余裕すら無く、息も絶え絶えに滝の様に汗を流す。

 三人を守っていた大盾は原型を留められず半固形状に変形し、肌を撫でる風が異様に熱い。

 街はどうなってるのか、見たい様で見たくない。そんなジレンマが疼く。

 だが見なければ、誰もが言葉なく顔を上げ、その惨状に言葉を失った。


「はは、ありえないですわ」


 赤熱した一本が街を横断し、遥か彼方まで線引いている。

 禁忌の森から魔獣が攻撃してくることを想定し、高く堅く築かれた壁はあっけなく藻屑と化して大穴が空き、見渡す限りの建造物は尽く崩壊し火が着いている。

 焦土そのものな光景を前に、クリスティーヌは上空の下手人を睨みつけた。


 黒龍は傲慢に佇む。

 一撃で充分だと、仮に二の手を打つなら何を打とうか、まるで大量の料理を前に手を着けあぐねている様に崩壊した街を見下ろしている。

 その姿に、少なくとも同じ攻撃が二度来ることは無いと胸を撫で下ろすが、緊張は解けない。


「街が……セシリアちゃん! 皆!」

「まってヤヤちゃん!」


 街の惨状にヤヤは駆け出してセシリアを、孤児院の皆を思って走り出す。

 慌ててクリスティーヌとヴィオレットも駆け出すが、赤熱し沈殿した地面に阻まれて足踏みしてしまう。


「こ、これじゃ向こうに行けないデス」

「落ち着きなさい、周り込んで通用口を通れば中に戻れる筈ですわ、ヴィー」

「こちらです」


 ヴィオレットの先導で外壁沿いを進み、緊急用の通用口を見つけると、そこから街の中に戻る事が出来た。

 街の中に入って最初に目に入ったのは、死体と悲鳴だった。


「あ“あ”あ“あ”あ“つ”い“ぃぃ”」

「誰か! 誰か助けて! 夫が家の下敷きになってるの!」

「あは、はははははははは」


 火達磨になって踊る人。

 崩れ落ちた家の前で呆然とへたり込む人。

 狂ったように笑い、ふらふらと赤熱した地面に近づいて命を断つ人。


「クソ! 頭悪すぎるだろ! 被害報告!!」


 野太い怒声が聞こえ、そちらの方に顔を向けると鎧を来た指揮官だろうか、片腕が焼け落ちた男性が興奮で痛みを忘れながら生き残った兵士達に激を飛ばしていた。


「おい! 遊撃隊は今すぐ馬を出してあの化け物の注意を逸らせ! これ以上街に被害を出すな! 生き残った者は今すぐ死傷者の救護救出に当たれ! 治癒院も詰め所も先の爆発で潰れてるんだ、組合でも教会でも良いから薬や治癒士の宛がある場所を片っ端から当たれ!!」


 彼の言葉に、即座に職務に殉じる事が出来たのは数えられる程度だった。

 それ以外は物言わぬ躯と化しているか、惨状に心折れた者ばかり。

 唯一残った生者達は皆、恐怖に身体を竦ませながら、ボロボロの身体に鞭を打って故郷を守るために行動を開始する。


 誰もが絶望する中で、彼ら彼女らは立ち上がる。

 今すぐ逃げたいと、泣き叫びたいと、他の人の様に心が死んでしまえばどれほど楽だろうか。


「てめぇら! 腑抜けてるんじゃねぇ! 俺らの仕事はなんだ! 何のために衛兵を、騎士を志した!」

「……!!」


 一人、また一人と折れた心をつなぎ合わせる。

 それは弱く脆く、黒龍がもう一度攻撃したら折れてしまうだろう。

 だが彼ら彼女らは思い出す。

 自分達が誰かを、故郷を守りたいと思ってこの仕事を目指したのだと。


「騎兵隊6名、準備完了しました!」

「良し、頼むぞ」


 たった6名。

 傷を負っていない物は一人もいない、全員満身創痍だ。

 巨大な黒龍にたった6人で挑む、生存は絶望的だろう。

 だが彼ら彼女らは恐怖に震える身体を、笑顔で隠して敬礼し、無謀な戦いに挑む。


 彼ら彼女らの命は数分の物だろう、策も何も無い、巨大な化け物相手にたった6人で挑み、注意を逸らす事だけを目的に特攻する。

 尻尾を叩き付けるだけで地面が割れ、悲鳴を上げる間も無く死ぬ。

 だが注意を逸らす為だけに必死で命を燃やす。


「爆破された施設は西区だけだ! 他の区画や少し離れた個所の施設は無事な筈だ、救護者を優先して各施設に運べ! 水魔法を使える奴は消火活動! 土魔法は救出作業だ!」


 一人、また一人と立ち上がって己の使命に殉ずる。

 今すぐにでも眠ってしまいたい気持ちを押し殺して、歯を食いしばって激痛に霞む視界を振り払って守るべき物に手を差し伸べる。


「ワタクシ達も救護活動に当たりましょう」

「お気をつけて、お嬢様」

「や、ヤヤも手伝うデス!」


 クリスティーヌの言葉に二人は頷く。

 ヤヤは、本当は友人達の元へ向かいたかった。セシリアは、孤児院は、ラクネアは無事だろうか。

 だが目の前の惨状から逃げる訳には行かないと、ぐっと堪えて一人でも多くの人を助ける為に尽力しようと決める。


 三人はばらけて各々救護活動に向かう。

 ヤヤは目の前で倒れ伏す一人の男性に近づいた。


「大丈夫デスか!」

「あぁ、いたい……さむい……こわいよ……だれか……」

「———っ!」


 一目見て、もうダメだと分かった。

 下半身が千切れ、上半身の殆どが焼け爛れている男性は生きている方が不思議な状態だった。

 即死していればまだ良かっただろうと思う状態、だが彼は虫の息ながら呼吸をして、爛れた目から血の涙を流して必死で生きようとしている。


 ヤヤはどうすれば良いか分からなかった。

 セシリアの様に魔法で治すことは出来ない。

 応急処置しか出来ないヤヤに彼を救う事も出来ない。

 クリスティーヌとヴィオレットの姿を探すも、二人は手一杯な様子で救護活動している。

 ふと脳裏にまだ故郷に居た頃、父に狩りを教えて貰った時の、父の言葉を思い出す。


『良いかヤヤ、矢を射る時は確実に仕留めれる時だけだ、でないと無駄に苦しんでしまうからね。苦しませずに殺してあげる事が、俺達自然に生かされる狩人のせめてもの務めだよ』


「くらい……だれか……だれか」

「…………」


 自然と、ヤヤの手が腰のナイフに向かった。

 彼はダメだろう。

 今この場でヤヤに出来る事、それが優しさ。

 震える手でナイフを引き抜き、彼の心臓に宛がう。


「フー! フー!」


 緊張でナイフを持つ手が震え、残った左手で抑える。

 これは殺人じゃない、救命だ。どうせ苦しんで死ぬなら、今ここで楽にしてあげた方が良い。

 これは殺人じゃない。


「これは獣……これは獣。ヤヤは狩人……」


 言い聞かせる様に呟く。

 落ち着け、落ち着いて一息で介錯しなければダメだ。


「そこに……だれかいるのか……」

「っ!?」


 目元が焼け爛れた彼と、目が合う。

 いや、彼は目が有ったであろう場所を声のした方に向けただけだ。

 だがヤヤは目が合った様に感じ、自分が何をしようとしているのか見咎められた気がして狼狽えてしまう。


「たのむ……だれかいるなら……手を……さむいんだ」


 彼は縋る様に右手を上げる。

 ヤヤに彼の痛みを、苦しみを変わってあげる事は出来ない。

 命を救う事も。

 出来るのは終わらせることだけ。

 そうするのが彼にとっての幸せだろう、このまま痛みも苦しみも味わわずに済むのだから。

 だがナイフを握る手が開き、滑り落ちる。

 彼女はそのまま膝を着くと、焼け爛れて肉が張り付く右手を優しく包み込むように握る。


「大丈夫、一人じゃないデスよ。大丈夫」


 何が大丈夫なのか、ヤヤ自身分からなかった。

 だが安心させる様に、幼子を寝かしつける様に優しく男性に語り掛ける。

 せめて少しでも痛みを忘れられますように。と願って。


「あぁ……あたたかい……主よ……ありがとう……ございます」


 安心したからか、男性は残った口を柔らかに引き、血の涙を流して穏やかに息を引き取った。

 その姿を、ヤヤは痛みを堪えながらも精一杯穏やかな、マリアを意識した微笑みで見送る。


「ごめんなさいデス……」


 なんだ、これで良かったのか。と、違う、本当は助けたかった。と相反する感情がひしめき合う。

 穏やかに眠る男性の手を握りながら、ヤヤは唇を噛む。


「ヤヤに、セシリアちゃんみたいな魔法があれば……」


 セシリアなら命を救えただろうか。

 クリスティーヌならもっと上手く彼の痛みを紛らわせただろうか。

 ヴィオレットなら躊躇うことなく介錯しただろうか。


 まだ他にも救助の手を待つ人々はいる。だがヤヤはへたり込み、段々と硬くなる手を握ったまま動けない。

 動かないと。

 それなのに、力抜けた様に立ち上がれない。


「おい! 全員伏せろ!!」


 その声が、黒龍が再びブレスを放とうとしている警告だと気づいたが、ヤヤはへたり込んだまま動けない。


「あ……あ……」


 動かないと。立たないと。逃げないと。

 逃げないといけないのに、腰が抜けた様にへたり込んで、身体を震わせる事しかできない。

 目の前では黒龍が口を開く。

 黒い極光が己に迫り、諦念と共に意味も無く衝撃に備える。


「危ない!!」


 極光がヤヤを消し飛ばす直前、横合いから飛び込んだクリスティーヌがヤヤを抱き込んで射線から外れる。

 極光は直前までヤヤの座り込んでいた場所ごと抉り森の方へ向かい、上空に弾かれて星礫の様に地上に降り注いだ。


「怪我はありませんの?」

「な……なんで……」


 傷や埃で美しい肌や金色の髪を乱れさせたクリスティーヌは、心配と安堵が混じった微笑で腕の中のヤヤを見下ろす。

 傷を負いながら、一歩間違えればヤヤ諸共消し炭になりかけてまで助けてくれたクリスティーヌを、ヤヤは信じられないと見上げる。

 つい先ほどに仲違いしたのに、あれだけ不愛想な態度を取ったのに。何故助けてくれたのか。


「なんで……助けてくれたデスか……」

「ん? 目の前に助けられる命があれば助けるのは当然の事ですわ、例えそれが嫌われている相手でも」


 そんなヤヤの疑問に対し、クリスティーヌは可愛らしく小首を傾げて平然と答える。

 クリスティーヌは呆然と見上げるヤヤの無事を確認し、誇るでも、驕るでもなく淡々と土埃を払い森の方へ移動する黒龍を見上げた。


「お嬢様! ご無事ですか!?」

「問題ないわ、それより先ほどのブレスは見たかしら?」


 その後方からはヴィオレットが息を切らし、メイド服の至る所に血や埃を付着させながら駆け寄ってきて、クリスティーヌの無事を確認するとほっと一息つく。


「はい、人為的な挙動の逸れかたで上空に弾かれました。それに先ほどのブレスも街を、と言うよりは森の方へ向かって撃ったように見受けられました」

「あのブレスを弾く何か、黒龍にとって街を破壊する以上の敵がいる……と考えるのが妥当かしら。後を追いますわよ」

「かしこまりました」


 二人は黒龍の後を追おうと、真剣な表情で歩きだす。


「ま、待って。ヤヤも行くデス!」


 膝を笑わせながら慌てて立ち上がるヤヤに、ヴィオレットは思案気にクリスティーヌを見る。

 クリスティーヌは肩越しにその姿を捉え、好きにしたら。と言わんばかりに肩を竦めて直ぐに意識を激しく上空を舞う黒龍に戻し、駆けだす。


 上空に舞う黒龍は何かと対峙しているのか、視線を地面に向けている。


 ドパンッ!

 ヤヤにとって何度も聞いた音、二人も直前に一度聞いた乾いた炸裂音を捉える。それが6発。

 森へ向かって駆ける三人は、その音を齎した人物を自然と連想しまさかと目を張る。

 ヤヤは駆ける足に一層力を籠めて、激しく戦闘音と振動を響かせるその場所へ向かう。


 その戦闘音と振動は相当なもので、走っている三人は転ばない様にしなくてはいけない程だ。

 一体どんな激戦が繰り広げられているのか、三人は緊張で言葉少なに目的地へ急ぐ。


「ん……?」


 先を急いでいたヤヤは何かの音を拾って足を止める。


「どうしたのヤヤちゃん、急に足を止めて」

「……なんでも無いデス」


 その大きな耳で何かが遠ざかる音を捉えたのだが、気のせいだと、先を急ぐべきだと被りを振って追い抜いたクリスティーヌ達の後を追う。

 白髪の少女が高速で移動していたのを見た様な気がしたのだが、まさか。と釈然としない気持ちで森の中を抜けると、目的地へたどり着く。


「……なんですの、これは」


 だが黒龍との戦闘は既に終結し、そこに居たのは横たわるマリアと、彼女に寄り添い片膝を着く黒い棘を生やした外殻、騎士の全身鎧の様な見た目で両手両足と背に生える翼だけが巨大な爬虫類の様に異様さを放つそれだった。


「セシリアちゃん……?」


 そしてその向こうには、見た事の無い亜人。

 青肌黒白目、そしてセシリアやガーゴイルと同じ真紅の瞳を持つ二人の男女が立っていた。



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