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私のお母さんになってと告白したら異世界でお母さんが出来ました  作者: れんキュン
2章 物事は何時だって転がる様に始まる
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堕ちる、何処までも深くに

先日分の投稿にズレてました!お恥ずかしい……飛んだ1話は昨日の分に投稿してるので、見てください




 セシリアは地面を蹴って肉薄した。

 薬によって疲労と痛みを誤魔化してるだけだが、笑ってしまうような興奮が身体を動かす。


「っらぁ!」


 セシリアの横蹴りがダキナの足元を払う。


「あはっ! エンジン掛かったね!」


 ダキナは勢いの点いたセシリアの動きに嬉しそうに笑いながら、上に跳んで避けると、空中で身を捻ってセシリアの頬に回し蹴りを放つ。


「ふっ!」

「うぉ!?」


 セシリアはその足を脇に抱える様に掴むと、一歩下がって後ろに投げ飛ばす。

 勢いよく投げ飛ばされたダキナは、地面を掴んで四肢で着地し、楽しくなって来た戦いに口角を上げる。

 そんなダキナにセシリアは一気に詰め寄ると、丁度膝の位置にあった顔面に突っ込み膝を叩き込む。


「ぶっ!?」

「まだまだぁ!!」


 大きくのけ反って地面に背を付けたダキナに馬乗りになり、鼻血を溢れさせながらも笑う憎たらしい顔面を殴りつける。


 殴る。

 殴る殴る。

 まだまだ殴る。


「死ね! 死んじゃえ!!」


 怒りに任せて殴りつづける。

 だが疲労によるダメージの減衰は著しく、片目が開かなくなっても余力のあるダキナはセシリアの横っ腹を殴りつけた。


「ぐふっ……」


 ダキナは拘束が甘くなった隙をついて、両足を揃えて胸元まで折るとドロップキックの要領でセシリアの胴体を蹴りつける。

 一瞬心臓が止まるも直ぐに叩き起こし、後ろに派手に吹っ飛ぶセシリアだが、地面を削りながら獣の様な前傾姿勢で着地し土を掴んで再び突っ込む。


 間合いの直前で地面を蹴って飛び掛かると、まるで狼の如き食らいつくようなストレートパンチをそのニヤケ面に叩き込む。

 ダキナは避けようとしたが、背骨のダメージの所為で痛みに僅かに硬直してしまいもろに食らってしまい、歯の一本が血と唾に混じって虚空に舞う。


「っ! でも甘いって!!」

「ふぐっ!」


 ダキナはカウンターにと、そのがら空きの鳩尾を殴り上げた。

 衝撃にセシリアは胃液を吐き出して滞空する。

 だが痛みを麻痺させているセシリアは締まった気道にねじ込んで息を吸うと、滞空したままヤクザキックを心臓に叩き込む。


 ダキナは土埃を上げながら後ずさり、セシリアは着地をするが膝を折ってしまう、しかし隙を見せまいと倒れる事だけはせず手をついて堪える。


「あはは、薬使ったって言ったって動き良くなりすぎでしょ、獣みたい」

「ふー……良い加減、倒れろよ」

「あはー、良いねその顔」


 真紅の瞳と黒色の瞳が交差する。

 片や喜びを内包して。

 片や怒りを溢れさせて。

 お互い顔中を血塗れにし、身体はボロボロだ。


 セシリアは肋骨の数本を折り全身に打撲痕を作っている、今すぐ治療をしないと死ぬ危険もある重体。

 ダキナも目立った怪我は顔だけだが、背骨に罅が入っていて内臓の幾つかもズタボロになっており、立っているのも不思議な重傷を負っている。


 だが二人はそれを忘れる様に嗤う。

 お互い心臓が爆発しそうな程アドレナリンを出して、痛みを紛れさせている。


 どちらから先に攻撃するか。

 一陣の風が間を吹き抜ける。


「……ねぇ」

「ん?」


 おもむろにセシリアは口を開いた。

 水を挿されたダキナは僅かに不満気に眉を潜めるが、セシリアの次の言葉を待つ。


「トリシャさんとガンドさんを殺したのは、お前?」


 遅まきだが問う。

 頭の片隅では確信している。

 だが確認しておきたかった。


 セシリアの問いにダキナは誰? と言わんばかりに首を傾げるが、直ぐにそれが誰かを思い出した様に頷く。


「あぁ、あの宿屋の二人か。うん、そうだよ」

「~~!!」


 その何でもない物言いに怒りで視界が真っ赤に染まり、歯が軋む。

 今すぐにでも飛び出したいのを抑え、もう一つだけ、と口を開く。


「なら、孤児院に火を着けたのは」

「うん、あたしだよ」

「っ! ふぅぅ……」


 もう良い。

 時間の無駄だった。

 セシリアはその吐き気を催す口を塞ごうと殴り掛かる。


「ぐっ! 良いパンチだねぇ!!」

「っ! うるせぇ!!」


 一撃の重さは失われていく、だが重体の身体には良く効く一撃だ。

 それでもダキナは、血だらけの顔から笑みを絶やさない。


 一発殴れば一発殴り返される。

 嘲笑を張り付け、殴る。

 獣の様に吼えて、殴る。


 セシリアは殴ると見せかけて、脇を蹴り上げる。

 ダキナはその一撃を食らうも、即座に足を引っ張り鼻っ柱を殴りつける。

 衝撃に後ずさりそうになるも、ダキナの襟を掴んで額に頭突きをかます。

 脳が揺れた二人は顔を顰めながら、数歩後ずさる。

 二人は被りを振って、唇を噛んで意識を保たせる。


 まだだ、まだ倒れる訳には行かない。


「死ね!!」


 大きく一歩踏み込んだセシリアの一撃が、ダキナの鼻っ柱を折る。

 膝を折ってダキナは一歩後ずさってしまうが、身体を一回転させると遠心力を乗せた横殴りがセシリアの左頬を抉った。

 衝撃に歯が一本、粘性の血と共に吹き飛ぶが、ぐっと足を踏み込んで殴り返す。


「っらぁ!」

「かはっ! まだまだぁ!!」


 段々と二人は、技術も読み合いも無い、雑な攻撃になっていく。

 最早避ける素振りも見せない。

 文字通り、ただの殴り合い。

 繊細さを欠いた一発一発を、ふらつきながらも振るう。


「ひゅー……ひゅー」

「かはっ……はぁ、はぁ」


 ダラダラと顔中から血を垂らしながらも、セシリアは虚ろな目で彼女を睨みつける。

 ダキナも片目を残して顔を真っ赤に腫らしている。それでも相も変わらず、笑みだけは張り付いていてセシリアから目を離さない。


 二人は息も絶え絶えに、膝に手をついて精一杯耐える。

 一歩歩くのすら億劫だ。

 だがどちらかが倒れるまでは終わらない。終われない。

 歯を食いしばって一歩踏み出す。

 薬が薄まったのか、はたまた出血の所為か、蓄積した疲労か。セシリアの視界が霞んでくる。

 それでも唇を噛み切って目を凝らす。

 まだだ、あと少し……。


「……?」


 だがふと、ダキナの向こう、街の方角に何かが見える。

 地平線に沈む夕陽の中に浮かぶ黒い点。

 普通なら視界にすら入らない小さな点、視界に入ったゴミか何かだと見向きもしないだろう。

 だが何故か、何故だかセシリアはそれから目が離せなかった。


 バクバクと、先ほどから煩い心臓が一際大きく啼いた気がする。

 いや、心臓では無い。もっと深く、身体の芯から、魂がその黒点が徐々に大きくなるに比例して煩く叫び出す。


「ん? ……なんだ?」

「なに……あれ」


 腔内が異様に乾く。

 寒さを覚える様に、セシリアの身体がぶるぶると細かく震える。

 見ればマリアも血の気が失せ顔色蒼白で、ガタガタと震えている。

 二人の種としての生存本能が今すぐ逃げろと叫んでいる。

 脳裏でけたたましく警鐘が鳴り散らすが、セシリアはそれを食い入る様に見つめて動けない。


「んー! んんんー!! んんー!!」


 狂ったようにマリアが叫ぶ。

 逃げてと叫んでいるのだと、セシリアは頭の片隅で理解する。

 しかし理解して尚、セシリアの身体は動けない。

 動かないのではない、動けないのだ。

 ダキナを殴り飛ばしてマリアを助けようという意思はある。だが、ガチガチと歯が噛み合わずに震えるばかりで、上手く動かせないのだ。


 徐々にそれが露わになる。

 夜の帳が降りる茜色の世界で、己の存在を示すような混じり無き黒。

 まるで天空を覆うような巨大な一対の翼。

 その身体は大樹の如き逞しさと雄大さを連想させる。

 だがその幹から生える四本の手足と一つの尻尾が、命を刈り取る武器を持つ生物だと示す。

 それは混乱極まる街を前にして、身の丈もある翼をはためかせ、地上の有象無象を鮮血を凝縮した宝石の様な真紅の瞳で見下ろす。


「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!」


 それは街の上空で一際大きく翼をはためかせると、台風もかくやと言うような咆哮を上げる。


 見ろ!

 竦め!

 畏れろ!


 まるで己の存在を示す様に、空間を支配する。

 大気が、魔力が、本能が、身体が、草木一本に至るまでが怯える様に震える。


 まるで降伏勧告、いや宣誓の様にそれは叫んだ。

 これからお前ら種の一片に至るまで、築き上げた文明の全てを蹂躙するぞと言う様に。


 滞空したまま、それは大きく息を吸いこむ。

 龍の代名詞。

 万物を塵と化す理外の攻撃。

 人類がどれだけ魔法と言う特異を手にしようが、どれだけ高く壁を築こうが、どれだけ己を鍛えようが、それの前では飛沫の泡に等しい。


 黒龍の真紅の瞳が一際輝く。

 刹那、黒龍が大きく口を開くと黒き極光が一線を引く。


「きゃあ!?」

「っざけんなって!」

「んー!?」


 街を西から東に二分する一撃。

 一つの極光が一線を引くと、一拍の後、轟音と叩き付ける突風が三人に襲い掛かる。

 セシリアとダキナは地面に投げ飛ばされながらも、土や草を掴んで耐える。そうでないと遥か彼方まで吹き飛んでしまう程だから。

 街から離れたここでこの衝撃なのだ、街はどんな有様に……。


「うそ……」


 闇が顔を出す茜色の世界を、更に彩る紅蓮の赤に染まっていた。

 焦土。という言葉が脳裏に浮かぶ。

 突飛すぎる出来事に、セシリアとマリアは呆けてその惨状に目を見開く。


 何が起こったのかは見れば分かる。

 あの黒龍が黒い極光のブレスを放ち、それによって爆発が街を北と南に割いたのだ。

 たった一発。たった一発のブレスが、厳戒態勢を敷いていた街を破壊した。

 数秒も掛からず、セシリアの故郷が半壊してしまった。


「成程ねぇ、あれの為の工作か~」


 ダキナが納得がいったと頷き、膝に手をついて立ち上がる。

 その言葉にセシリアは察する。

 直前の5つの爆発、あれは街を蹂躙する黒龍の為の工作だったのだと、街を混乱に陥れて黒龍に先制を撃たせる為だったのだと。


「っおまぇっ!? ……?」


 ふざけるなと立ち上がろうとしたセシリアの身体が、糸が切れた様に倒れ込む。

 困惑にセシリアの瞳が揺れた。

 何してる? 立てよ、早く立てよ。と内心で叱責するが、セシリアの身体は指先一本に至るまでピクリとも動かない。


 限界を超え、薬によってそれを誤魔化し、怒りを燃料に気力だけで立っていたセシリアの身体は、黒龍の存在によって恐怖を染みつけられて、その一撃による圧倒的な差に、諦めてしまったのだ。


「はぁ、はは……流石に、もう終わり、かな」

「っ!! ぐっがあぁぁぁ……」


 倒れ伏したまま、顔だけ上げたセシリアは焦りを張り付ける。

 倒れていれば良いのに。セシリアは歯を食いしばって立ち上がろうとするが、思いに身体が答えることは無い。

 少しだけ身体は浮くが、直ぐに力抜けて土の苦い味を味わう羽目になる。


 その姿を見下ろしながら、ダキナは満足そうなすっきりとした笑みを浮かべて、息も絶え絶えに一歩歩み出した。


「はぁ、楽しかったけど、時間切れだね……残念」

「クソ! 立ってよ!! 立てよ!!」


 己の身体を殴りたい衝動に襲われ、焦りに吠える。

 まるで芋虫の様に這うセシリアは、背を向けてマリアの方に歩きだすダキナの背を見送る事しか出来ない。


 ダキナは地面に刺したナイフを拾いあげながら、二人の間に陣取る。


「ねぇ、一番強い想いって……なんだと思う?」

「なに……突然」

「答えてよ」


 突然の問いにセシリアは怪訝な表情を浮かべる。

 だが少しでも、立ち上がる為の時間が稼げるならと、睨みつけながら口を開く。


「愛」


 躊躇ず答えた。

 これは愛衣(前世)の16年間とセシリアの15年で培った価値観だった。


 愛衣の母親は愛に溺れて愛で狂った。

 愛衣の父親は家族を愛していたが為に、身を粉にして働き、間違えた。

 愛衣は今際の際ですら、母親の愛を求めた。

 セシリアは一度失いかけたからこそ、それを守りたいと文字通り血反吐を吐いてまで力を手に入れた。


 これを愛と言わず何という。

 愛があるからセシリアは立ち上がれる。

 マリアを愛してるからこそ、限界を超えられる。


 その答えにダキナは、満足そうにうなずく。


「そうだよねぇ、愛。うん、凄く大事だよね……なら恋心は?」

「……?」


 上手く言葉の意味が理解できず首を傾げた。

 愛と恋の違い。

『恋は堕ちる物、愛は育むもの』なんて言葉が脳裏を過ったが、一蹴した。

 答えを返さないセシリアを見下ろしながら、ダキナは口元を歪ませる。


「まだ良く分かんないかー、なら質問を変えよっか。恋したとして、相手に何を望む?」


 セシリアは反射的にちらりとマリアを一瞥する。

 セシリアは恋が何かを知らない。でも、もし自分が恋をしたらと想像し、その相手にして貰いたいことを考える。


 色々な言葉が脳裏を過る。

 逞しい男性に守られたい? 寧ろ守ってあげたい。

 お金持ちを相手に贅沢をしたい? 偶に贅沢する程度の豊かささえあれば良い。

 沢山の人に愛されたい? そんな尻軽では無い、たった一人の好きな人と夢の様な生活を送りたい。


 どれも釈然としない。

 恋とか愛とか分からないが、マリアと二人で過ごす幸せに勝るものは無いように思う。


「……優しさ……だと思う」


 結局、マリアが自分に与えてくれる暖かい物を答える。

 何となく、胸に疼く言語化出来ない何かに、一番近いのがそれだと仮定し口に出した。

 その答えに、ダキナはやや物足りなさそうに肩を竦める。


「つまんない答え。さては恋した事ないね?」

「……っさい」


 少しずつ息が整って来る。

 だがそれでも身体が動かせそうにない。

 まだ、あと少し、あと少し時間を稼げ。

 そんな思いが届いたのか、ダリアは悠長にしゃべり続ける。


「あたしはね、忘れられたくないんだ」


 顔を上げたセシリアが見たのは、狂的な笑みでは無く、普通の女性の、どこか儚げな微笑だった。

 初めて見るダキナの表情。

 何かを悔やむような、何かを思い出すような、何かに縋りつく様な弱弱しい姿。


「だから、その人の大事な物は全部壊すの」


 だがダキナは一転して、黒い目に狂気を戻してにっこりと笑う。

 見間違いだったと思ってしまう様な変わり身。

 セシリアはその言葉に理解を苦しむように顔を顰めた。


「ねぇ、トリシャとガンドだっけ、セシリアちゃんのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんなんでしょ」


 少しずつ、手足に力が戻って来たセシリアを見下ろしながら、ダキナは浪々としゃべり続ける。

 最早セシリアの返事を待っている様子は無い。


「凄かったよ、どれだけ甚振っても全然口を割らないんだもん。セシリアちゃんと母親は何処? って聞いただけなのに、ぜーんぜん」

「!! お前……何を言って……」


 信じられないと目を見開くセシリアに、ダキナは歯を見せて嗤いながらしゃがんで目線を合わせる。

 その眼は昏く、淀んでいながらも、キラキラと、まるで恋する乙女の様に光っている。


「殴っても焼いても潰しても砕いても千切っても裂いても、どれだけ悲鳴を上げようが貴女達を守ろうと口を開かなかったよ」

「あ……あぁ」


 殴られた様な衝撃がセシリアの頭を揺さぶる。

 二人が死んだのはセシリアの所為なのか?

 セシリアの居場所を知ろうと、ダキナは二人を殺したのか?


「でも旦那さん? に止めを刺そうとしたら奥さんの方が泣いて縋りって来てね、セシリアちゃんと母親の場所を教えてくれたよ」


 黙れ。

 しゃべるな。

 聞きたくない。


「ま、結局二人とも最後には殺したんだけどね。はは、最後になんて言ったと思う? 『親失格でごめん』だって」


 その口を塞げ。

 それ以上二人を語るな。

 お前ごときが口に出して良い二人じゃない。


「それで途中で教会によるじゃん? そしたら母親がいるじゃん、ラッキーって思って拉致ったんだけど、森の家って何処だよって思ってさ、むしゃくしゃしたから近くの孤児院と教会をついでに焼いちゃった」


 こいつを。


「あはは! そしたらビックリ! セシリアちゃんのお友達が居る所じゃんって、火を放って直ぐに避難してる地下室の扉を閉めてやったよ。その所為で外に出れずに焦ってさ? 『助けてーラク姐さん』『助けてーセシリアちゃん』って、子供達が泣き出してもう笑いが抑えられなくって」

「っあああぁぁぁ!!!」


 こいつだけは許してなる物か。

 骨を使って身体を起こす。

 全身のばねを使って、ダリアの首筋に噛み付こうと飛び跳ねる。


「うぉっ!? 危ない危ない、窮鼠猫って奴を忘れてた」

「ああぁぁ!! くそ! クソ! 立って! 治れ!! 治れよぉぉぉ!!!」


 だがダキナは後ろに飛び跳ねて避け、セシリアは虚しく空を噛む。

 セシリアは唯一真面に動く頭を、地面に叩き付けながら魔法を使う。

 だが魔力が無い今のセシリアに、身体が答えてくれる訳もなく、セシリアは鬼の様に怒りに染まった真紅の瞳でダリアを睨みつける。


「良い感じだね、それじゃお母さん? 仕上げと行こうか」

「っぷはぁ! セシリア!!」

「! お母さん!!」


 猿轡を外されたマリアは漸く愛娘の名前を呼べる。

 だがその痛ましい姿に、少しでも気を抜けば涙が決壊してしまいそうだった。


 セシリアは必死で這いずる。

 胸中を己に対する叱責が飛び交いながら、絶対に助けようと。


「はいはーい、そういうお涙頂戴は良いって」

「っ! あぅ!?」

「お母さん!!!」


 ダリアが吊り上げていたマリアの紐を切り、地面に下ろすとその背に足をのせて、マリアの綺麗な長い蒼銀の髪を引っ張って喉を曝け出すように顔を上げさせる。

 セシリアは悲鳴を上げて更に這いずるが、近いのに、その手が届かない。


「まって! お願い! なる! 私が代わりになる! だからお母さんは解放して!! お母さんには手を出さないで!」

「セシ……リア」


 セシリアの悲鳴にダキナは目を細める。


「言ったでしょ? 好きな人には忘れられたくない、あたしはセシリアちゃんに恋してるの」

「だったら!」

「だーかーら! 言ってるでしょ? 忘れられたくないって」


 セシリアの言葉をダキナは遮る。

 理解が及ばない。

 セシリアに固執するなら、何故マリアを狙う。

 忘れられたくないという言葉の意味が理解できない。

 これだけ強烈な女を忘れるなんて到底不可能だろう。


「話を戻すけど、最も強い感情はね。憎しみだと思うの」

「……まさか!」


 漸く理解出来た。

 全てを理解した。

 これからダキナが何をしようとするのか。

 目を見開くセシリアに、ダキナはにぃっと醜悪に笑う。


「遺言の一つ位は、言わしてあげるよ?」


 ダリアのナイフがマリアのシミ一つない、真っ白な喉に添えられる。

 マリアは喉元に当たる冷たい感触に生唾を呑んで、空色の瞳を愛娘に向ける。


「……ごめんなさい」


 ごめんなさい。

 泣かないで。

 ごめんなさい。

 守れなくて。

 ごめんなさい。

 諦めて。


 心の中で謝りながら、マリアは一筋の涙を零す。

 せめて最後は笑顔で。

 これからのセシリアの成長を見られ無い事に、セシリアを悲しませてしまう罪悪感に、せめてセシリアが笑って将来を過ごせる様に、でも忘れて欲しくない。最後は母親としてしっかりと強くあろう。


「セシリア……愛してま——」

「あ、ごめん、手が滑った」


 マリアが言葉を言い切る暇もなく、ダキナの腕が引かれる。

 ツプ……。と赤い一閃が引かれたと思ったら、冗談の様に真っ赤な血が噴き出た。


「は……お母さん!!!!!」


 髪から手を離されたマリアが、力なく血の池に倒れ伏す。

 留まる所を知らない出血で、段々と身体が動かなくなってくる。


「ひゅ……せし……り……ぁ」


 それでも、マリアは弱弱しく手を伸ばす。

 寒い。セシリアを抱きしめてあげたい、泣き止ませたい。

 怖い。まだまだ話したい事がある、やりたいことがある。

 嫌だ。死にたくない、まだセシリアと一緒に居たい。


 こんな終わり方は嫌だ。


「なか……いで……せし……りあ」

「いや! いやだ嫌だ!! 治れ! 治れ治れなおれぇぇ!!」


 伸ばした指先がセシリアの手に触れる。

 暖かい。

 駄目だ、眠たい。

 嫌だ、眠りたくない。

 怖い。セシリア、何処、何処にいるの。

 抱きしめて、離れないで…………。


「……おか……さん?」


 冷たい手。

 セシリアは呆然とその手を引っ張る。

 反応がない。

 名前を呼ぶ。

 反応がない。

 悲しそうに微笑みながら、マリアの空色の瞳から光が失せる。


「……ねぇ……起きてよ……」


 迷子の子供の様に揺する。

 だがマリアは起きない。

 死んだんだよ。と頭の中で親切な誰かが教えてくれる。


 死んだ。

 呆気なく、あっさりとマリアが死んだ。

 しんだ。

 最後までセシリアを想ってしんだ。

 シンダ

 守り切れずにシンダ。


「はは…………はははは……あはははははははは」


 もう笑うしかなかった。

 笑ってるのに泣いて。

 笑ってるのに怒って。

 笑ってるのに疲れて。

 笑ってるのに諦めて。


「あはははは…………はは……は……」


 もう分からない。

 頑張る理由が無くなった。

 生きる理由が無くなった。


 もう良いや。

 もうなんでも良いや。


「は……」


 何も考えたくない。

 何も見たくない。

 何も聞きたくない。


「…………いらない」

「ん?」


 要らない。

 マリアが居ない世界なんて。

 マリアを害する人間なんて。

 マリアを守れない自分なんて。


 セシリアの心に罅入ったような音がする。


「……ぜんぶ……いらない」


 どうなっても良い。

 頭の中で声がする。

 昏い、今のセシリアには心地の良い声だ。


「嗚呼……」

「あれ、なんで立ち上がって……」


 全てを委ねよう。

 耳を塞いで目を閉じて、心を閉ざして眠りたい。

 でも最後に、一人だけ殺そう。


「ちょっとちょっと! 何それ! 人間じゃないの!?」


 そしたら、後はもうどうなっても良いから。


「嗚呼嗚呼嗚呼ああああああアアアアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」


 タトエアクマにタマシイをウッテも。

 ゼンブ壊シテシマオウ。


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