ちっぽけな夢想
「では、これが悪魔だと?」
「ええ、悪魔の形をした玩具ですわ」
クリスティーヌはガーゴイル型のゴーレムの頭を、鉱山責任者である青いつなぎの男性の前に証拠として提示していた。
男性はそれがなんだかは分からなかったが、鉱山の持ち主であり、貴族のクリスティーヌが事件解決だと言う言葉に大げさに安堵のため息を零す。
「それじゃあ、もう問題は無いんですね」
「えぇ、ですが暫くは鉱山業務を休業して頂きますわ。勿論、その間の保証は致しますので、時季外れの長期休暇だと思って下さい」
死体の処理、そして発掘した古代遺跡の対処にクリスティーヌは鉱山に労働者が入るのを控えるよう伝えた。
始めは驚いた男性だったが、保証を出すという言葉と共に書面に起こされて、珍しい休みに心躍らされた。
「分かりました。では私は諸々の事後処理がありますので」
男性はそう言ってニコニコと立ち上がる。
余程心労から解放された事と、休みを貰った事が嬉しいのかスキップすらしそうな勢いで退出していった。
それを見ながら、クリスティーヌは背後で壁にもたれ掛かるセシリアとヤヤに向き直る。
「お二人もご苦労様、報酬の金貨30枚は街に戻ってから組合経由で渡す事で問題ないかしら?」
「うん、それでお願い」
ひとまず、きちんと報酬は払われるのだという事に安堵したセシリア、安堵の色を浮かべて答える。
「……ありがとうデス」
隣ではヤヤが少し高い椅子に腰かけ、プラプラと足を揺らしながらむすっとした顔でお礼を言う。
ヴィオレットに対しては普通なのだが、クリスティーヌに対しては不機嫌そうに目を合わせない。
その姿に、ヴィオレットはむず痒そうな苦笑を浮かべる。
「今日中に達成の連絡を入れておくから、明日にでも受け取って?」
クリスティーヌはそう言って退出する。
「先に馬車の準備しとくね」
帰宅の準備の為セシリアも後を追う。
残されたヴィオレットはヤヤに近づくと、身を屈めて微笑みながら目線を合わせる。
「あの時怒ってくれてありがとね、ヤヤちゃん」
「……悔しくないんデスか、仲間に物って言われて」
ヤヤのブスッしながらの言葉に、ヴィオレットは苦笑を浮かべて頭を撫でる。
優しい、梳くような、遠慮がありながらも暖かい撫で方だ。
「悔しくないよ。私にとってお嬢様は主で、仲間じゃないからね。私の命はお嬢様の為にあるんだよ」
「……なんデスかそれ」
ヴィオレットの言葉にヤヤは眉を潜める。
ヤヤにはヴィオレットが笑う理由が分からない。
セシリアに物だと言われたら、ヤヤは悲しいと思う。
困った様に微笑むヴィオレットに、ヤヤは続けて口を開く。
「分からないデス、灰狼は仲間を第二の家族とするデス。狩りをするのも集団で、寝食だって、村で無ければ共にするデス。仲間は絶対に裏切らない、仲間をぞんざいに扱わないデス」
その身に流れる灰狼の誇り高く、仲間想いな血を、教えをヤヤは幼いながらも心に刻んでいた。
だからこそ、仲間を物という言葉に憤った。
「ヤヤは……羨ましいデス。強くて、一緒に戦えるその関係が羨ましいデス」
ヴィオレットはただ黙って耳を傾ける。
母親が我が子を見る様な穏やかな微笑を携えて。
「ヤヤは強くなりたい。幼さを言い訳にしたくないデス、セシリアちゃんと対等の仲間になりたいデス」
戦いに置いて、ヤヤは自分の弱さに悩んでいた。
そして仲間を想う血筋故かそれともヤヤの性格故にか、仲間と対等の存在になれない。そんな思いに歯噛みしていた。
客観的に見てヤヤは弱くはない。
12歳で風魔法を十全に使えて、斥候職をこなせる弓使いであれば十分な強さだろう。
だが本人が満足していなければ、そんな言葉は慰めにもならない。
ヴィオレットは、何というべきか悩むように少し上を向く。
「もっと強くなってセシリアちゃんも、故郷も守れる様になりたいデス」
ヤヤはポケットからしわくちゃの手紙を取り出す。
質の悪い安物の手紙だ。
それはヤヤの故郷からの届いた手紙だった。
ヤヤは何度も見返したそれを開く。
そこには男らしい、汚くてやや右上がりの角ばった字が綴られていた。
『元気にしてるかい、こっちはお前の仕送りのお陰で今年の冬は越せそうだ。
お前の事だから無茶をしてるんだろうが、お前以外にも兄弟や若い衆が出稼ぎに出てるんだ、無理はしないで健康に気を付けて過ごしてくれ』
文章はまだ続いていた。
だがヤヤは、それ以上は見ずにヴィオレットに手渡した。
見ても良いのかと目で問い、ヤヤが頷いたのを見て読み開く。
ヤヤは、ヴィオレットにどうして見せようと思ったのか分からなかったが、ヴィオレットなら良いと思った。
『この事を話そうか今日まで悩んだ、大いに悩んだ。お前の事だから自分を追い込んでしまうと思ったが、帰ってくる機会だと思って伝える事にした』
そこから先は何度も書き直した後、二重線を何重にも重ねた部分が並んでいた。
文字から苦悩がありありと伝わってくる。
『母さんが倒れた』
その部分を読んでヴィオレットは息を呑みヤヤに紫の瞳を向けるも、ヤヤは未だ俯いたままだ。
一息深呼吸して続きを読む。
『村の治癒士に診て貰ったら、魔力欠乏症と言われた。治療法の確立していない死病だ。一度村に帰って母さんに会ってやってくれ』
「ヤヤは、何も出来ないデス。村の為にお金を稼ごうとしたけど、お母さん一人幸せに出来ない、ヤヤがもっと強ければ、なんとかできるかもしれないのに」
「それは……」
傲慢だ。と言おうとした。
だが今のヤヤに、与えるべきはそんな安い言葉ではない。
少なくとも、一言で済まして良い物では無いだろう。
ヴィオレットは手紙を丁寧に畳んで、ヤヤの膝に乗せる。
そして言葉を整理するように、一度深く深呼吸をする。
「私はスラム街の、肥溜めの中のゴミだったんだ」
突然のヴィオレットの独白に、ヤヤは顔を上げる。
ヴィオレットは懐かしそうに遠くを眺めて続けた。
「家族なんて生まれた時から居なかった。どっかの娼婦が孕んで、産んだと同時に死んで、私はそのまま娼館に引き取られて。でも8になる頃に娼館が……多分あれは商売敵だったんじゃないかな、結構あくどいやり方の店だったし」
それはヤヤにとっては未知の世界。
貧しいながらも、優しい家族に囲まれ過ごしたヤヤには想像すらできない世界だ。
父親に狩りを教わり、母親に苦言を零され、兄弟と好物をめぐって殴り合いの喧嘩をする様なヤヤには理解も共感も出来ない。
「まぁ運よく生き残った私は、そのあとスラム街で生ごみみたいに生きてたんだ。実際生ごみと変わらない生活だったんだよ? 虫を食って泥水を啜って、時には人を殺して二束三文を得てたし」
人を殺した。
その言葉にヤヤは目を見開く。
当然ながら、ヤヤもセシリアも人殺しの経験なんて無い。
魔獣は飽くまで獣。商用価値があって、人類の敵であるが故にその命を奪う事が出来る。
だけれど人は別だ。人殺しという禁忌に、外道に堕ちるつもりなんて欠片も無いのだから。
何かを言おうと逡巡するヤヤに、ヴィオレットは苦笑して肩を竦める。
「まぁ、正真正銘のクソガキだったよ。生きる為とは言え、客観的に見たらただの犯罪者だしね、いつ死んでもおかしくない日々だったんだ」
ヴィオレットはスカートの中から、一体のクマの人形を取り出す。
新しい、埃一つついてない可愛らしいクマの人形だ。
まるでそれを慈しみ、懐かしむように撫でる。
「家族の居ない私には汚い人形だけが家族だった。今でこそお嬢様に拾われて人並みの生活をしてるけど、当時は強くなりたいだとか誰かを幸せにしたいだとか、欠片も思わなかったんだよ」
ヴィオレットは一つ息を吐くと、少し疲れた色を浮かべる。
「お嬢様に出会って、命を拾われ、この身を捧げようと誓ってから私は強くなろうとした。血反吐を吐くような努力の末、お嬢様を守れるだけの力を手にしたの。でもね……」
ヴィオレットは人形をヤヤに手渡した。
それは滑らかな肌触りで、良い素材を使っている事が察せられる。
「ある日、お嬢様が賊に襲われたの」
「え?」
力を手にしたという話からのそれに、ヤヤは目を丸くした。
だが続きが気になるからか、何も言わずに閉口する。見れば灰色の狼尻尾がゆらゆらと揺れている。
その姿に、内心悶えながらヴィオレットは続ける。
「慢心……したつもりはなかったんだ、慢心する様なプライドは持ち合わせていなかったからね。ただ単純に相手の方が強かっただけの話」
その時を思い出したからか、ヴィオレットは自然と拳を握る。
「幸か不幸か、そこでお嬢様の魔法が覚醒して自ら窮地は乗り越えたけど、それが力不足を強く認識した出来事なのは確かでね。そこからかな、そこから更に強くなろうと毎日を鍛錬に充てたの」
肌を見せないメイド服の腕を捲ると、鍛えすぎだと分かる程の筋肉が浮かんでいた。
思わずヤヤも興味を惹かれて触ると、その硬さに感嘆の声を零す。
「それでも、力不足を痛感しない日は無かった。あの時はこうすれば良かった、もっと鍛えておけばよかった、もっと力が欲しい……ねぇヤヤちゃん」
そこでヴィオレットは、己の紫の瞳でヤヤの青みがかった灰色の瞳を覗き込む。
真剣な表情だ。ヤヤは生唾を呑んで二の言葉を待つ。
「力が欲しいってのは際限が無い事なの。どれだけ努力しても満足のいく結果なんて数えられる程度、寧ろ後悔と反省の方が遥かに多い。それなのに、力が欲しいっていう渇きは何時まで経っても止まない、寧ろ日を追う毎に強くなる。ヤヤちゃんには耐えられる? 毎日毎日、想像を絶する苦境に己を追い込んで鍛えて、それでも何度も心折られて、なのに立ち上がらなくちゃいけない、そんな人生に」
ヴィオレットの真摯な、何処までもまっすぐな言葉にヤヤは反射的に目を背けようとしたが、意識的にそれをねじ伏せる。
だが言葉が出ない。
それほどの覚悟があるのかと問われ、即答できる程ヤヤは大人では無かった。
声を出そうと、口を開くが乾いた息が漏れるだけで言葉に出来ない。
「や……ヤヤは……」
ある。と言えなかった。
それほどの覚悟なんてしていなかった。
ただ漠然と、強くなれば幸せになれると、もっと家族を楽にしてあげれると、セシリアの仲間だと胸を張って言えると思ったから。
何処までも子供らしい、夢想だ。
言葉が出なくて俯いてしまうヤヤの頭を撫でながら、ヴィオレットは立ち上がる。
「弱い方が楽な場合もあるんだよ」
ヴィオレットはヤヤに背を向け歩き出す。
そして、扉に手を掛けて背を向けたまま。
「もし強くなりたいと、人生を捧げてでも守りたいと思う物が出来たら……その時は力になるわ」
蝶番の不快な音が、やけにうるさく聞こえた。
◇◇◇◇
「ミスセシリア」
既に世界が黄昏に染まった頃合い、セシリアは鉱山責任者の好意で出してもらった馬車を前にヤヤを待っていた。
そんなセシリアに、クリスティーヌが近づく。
セシリアは何となく居心地の悪さを覚えながらも、向き合う。
「何? 侍女にならならないよ」
「それはまた別の機会で構いませんわ、それよりお話ししたいことがありますの」
クリスティーヌは、布が掛けられただけの馬車の荷台に腰かける。
セシリアは馬車にもたれ掛かっており、自然と見上げる形になった。
「まずはミスセシリア、今日はご苦労様ですわ」
「え、あ、うん」
まさか労いの言葉を貰うと思ってなかったセシリアは、思いっきりどもってしまう。
そんなセシリアの反応に、クリスティーヌは可愛らしく唇を尖らせる。
「なんですの? ワタクシが、労いの一言も言えない女だと思ってましたの?」
「あ~……まぁ」
ヴィオレットに放った最後の言葉を思い出し、セシリアは曖昧に頷く。
クリスティーヌは心外だと言いたげに片眉を上げたが、直ぐにその理由を察し肩を落とす。
「……まぁ良いですわ、それより貴女にはお話ししなければならない事がありますわ」
セシリアはやや佇まいを直して、クリスティーヌの憂い気な顔を見上げ、黙って待つ。
クリスティーヌは赤い前髪を耳にかけ、セシリアの真紅の瞳をしっかりと見据える。
「貴女、帝国に来ません事?」
セシリアは結局それかと、にべつも無く断ろうとしたが、クリスティーヌが真剣な目をしてるのを見て少し考える。
「……それは侍女の話とは別、って事なんだよね」
「えぇ私の下ではなく、我がフィーリウス家の部下、我が国ローテリア帝国の人間として国に貢献して頂きたいのですわ」
セシリアの何がそこまでクリスティーヌの琴線に触れたのか。それは分からなかったが、セシリアの答えは決まっている。
「ごめんなさい」
「良い待遇を用意すると言っても?」
「うん、私はお母さんと平和に暮らしたいだけだから」
「……そう」
分かっていたとばかりさして落胆はせず、クリスティーヌは腰かけていた馬車から降りる。
セシリアに背を向けながら、足元の小石を蹴るその背は年相応に小さい。
クリスティーヌは勢いよく小石を蹴ると、振り返り笑みを浮かべて片手で髪をかき上げる。
「まぁ良いですわ、遠くない内に母子共々ワタクシの物にするのは変わらない事ですし」
その物言いに普段ならむっと来るセシリアだが、もう会う事も無いだろうという気持ちと、夕焼けに照らされた子供の様な無邪気な笑顔に苦笑を浮かべる。
「しつこいよ」
「あら、多少のしつこさは良いスパイスですわよ?」
「こっちからすれば、たまった物じゃないけどね」
くすくすと笑い合う二人の間に、朗らかな、落ち着いた空気が抜ける。
ふと、どうしてそこまでして二人に声を掛けるのか気になっていた事を、今なら良いかと問う。
「それにしても、どうして態々私とお母さんにそんな提案するの? 言っとくけど私達は普通の庶民だよ?」
「あら? 価値のある物を手元に置いときたいと思うのは、人として当然では無くて? 美しく輝く物なら尚更でしょう」
分からなくも無いと、セシリアは頭を掻く。
結局顔か。と結論付けたセシリアはそれ以上聞こうとは思わなかった。
丁度、クリスティーヌの向こうにヤヤを見つけたのも相まって。
「それじゃ、私達はこれで」
「えぇ、ワタクシは事後処理があるからお別れですわね」
握手はしない。
そこまで親しくない。結局、二人は依頼主と冒険家の関係なのだから。
お互いが踵を返して立ち去ろうとするが、慌ただしい足音が二人に届く。
「お嬢様!!」
焦りに満ちたヴィオレットが、息を切らしてクリスティーヌに駆け寄る。
その姿にクリスティーヌは怪訝な表情を浮かべる。
「どうしたのヴィー、そんなに焦って」
汗を滝の様に流すヴィオレットは、深く深呼吸して呼吸を整える。
「黒龍が……カルテルの街に向かっているそうです」
「なっ!? どういう事ですの!!」
クリスティーヌが動揺し大声を出す。そしてヴィオレットに耳打ちされ忌々しく顔を顰める。
「……ねぇ、今の話……」
だが風下に、近くに居たセシリアは、ヴィオレットの言葉が聞こえてしまった。
焦りのあまり、セシリアの存在を失念していたヴィオレットは顔を顰める。
クリスティーヌは形の良い眉を潜めながら、関係がある事だと口を開く。
「貴女の街に、災害が迫っていますわ。街を崩壊する程の」
「どういう事!?」
セシリアは歯を剥いて詰め寄る。
突然のこと過ぎて理解が及ばない。
それはクリスティーヌも同じなのか、困惑を混ぜた翠の瞳でセシリアを見上げる。
「落ち着きなさい、まだそれは街には到着してませんわ」
「そう言う事じゃなくて。いや、それが仮に街に着いたらどうなるの」
セシリアの懸念はそこだった。
黒龍と言う言葉に聞き覚えがある。
嫌な予感もする。
焦燥感にも近い不安だ。
クリスティーヌは口籠るも、重たく開く。
「街の一つ位は、簡単に焦土と化すかもしれませんわ」
その言葉を聞いた瞬間、セシリアは馬車に繋げた生き馬の繋ぎ紐を解いた。
そのまま、鞍も鐙もついてない馬に、碌な乗馬技術なんて持って無いが跨って腹を蹴る。
「ミスセシリア!?」
「セシリアちゃん!?」
背後でクリスティーヌとヤヤの声が響く。
だがセシリアは一切振り返らず夕焼けの中に姿を溶かす。
「なんなんだよ……何が起こってるの、お母さん……」
もっと早く走れと腹をけりながら、馬にしがみついて街を目指した。




