古代文明の遺産
そこは地獄の様な光景だった。
凄惨。という言葉ですら足らない、筆舌に尽くし難い。
「うぇ……ちょっとヤヤは無理デス」
「……吐きそう」
「これ以上、匂いはどうにかできませんの?」
「風向きの操作位しか出来ないから、目の前に匂いの発生源があるんじゃ無理デス」
数十の死体に蛆が湧き、蠅の集ってる鬱陶しい音が空間に反響している。
腐敗臭のする死体は、幸いと言って良いかは定かでは無いが肉片であったり、元の形状を保っていなかったりと、少なくともそれが人ではないと明確に示していないお陰で、魔獣狩りによって血の匂いに慣れているセシリアとヤヤは吐き気を抑える程度で済む。
驚いたことに、クリスティーヌも無様な姿を見せることは無く、匂いや惨状に顔を顰めて口元を抑えるにとどまっている。
なるほど、確かにただの放蕩娘では無さそうだ。
死体の共通する点を挙げるなら、それは惨殺死体であって、獣によって食い散らかされた痕跡が無い事。
やはりあのガーゴイルの仕業なのだろう。
腐敗の始まっている死体だらけだからか、閉鎖的な空間に嫌な空気が充満し重苦しく感じ、吐き気が込み上げる。
三人は涙目で口元を抑えながら、込み上げる酸っぱくて熱い物を何とか飲み込み、今すぐこの不快な空間から抜け出したいと思う。
「早く抜けよう」
「賛成デス」
「ですわ、匂いが染みついてしまいそう」
「……あれはこの先に逃げたようですね」
ヴィオレットは死体の海を踏み越え、坑道の奥に続く足跡をしゃがみながら照らす。
不快そうに顔を顰めてはいるが、三人ほど堪えている様子は無い。
「ヴィーさん臭くないんデスか?」
「私はこういうのに慣れてるので、それでも嫌な物は嫌ですけどね」
肩を竦めて苦笑するヴィオレット、そこに嘘をついている様子は無い。
魔獣討伐で血の匂いに慣れたセシリアとヤヤですら、吐き気を催すこの瘴気に笑う余裕すらあるヴィオレットの姿に慄く。
あからさまに驚く二人に、ヴィオレットは慌てて手を振って弁明しだす。
「あっ! 違いますよ!? 別になんかそう言う仕事してる訳じゃなくて、私が元スラム育ちってだけですよ!?」
慌てて弁明するもヴィオレットはやってしまったと「あっ」とするが、特にセシリア達の反応は変わらず「はぁ……」と呟くと、今度はヴィオレットが目を丸くする。
「あれ? スラム育ちって聞いてもそんな反応なんですか?」
「別に、育った場所は関係ないデス。単純に、この匂いに耐えられることに驚いただけデスし」
「私も大体同じかな。育ちが良かろうと悪い人は居るし、逆も然りでしょ」
「デスデス」
それは偽らざる本心だった。
というよりも直接スラムを見た事ない二人だ、そも良く分かっていない。
そんな二人の呆気からんとした答えに、ヴィオレットは暫し呆然とするも、柔らかく笑う。
「変わってますね、二人は」
二人は何が変わってるのか良く分からなかった。
片や交友関係が狭いセシリア、片や子供のヤヤ。偏見を持たない二人には、ヴィオレットがそう言った理由が分からなかった。
「ちょっと!! ワタクシ一人で先に行かせる気ですの!? 早く来なさい!」
「……はいはい、今行きますよ」
先行したクリスティーヌの、明らかに泣きそうな声が洞窟に響く。
苦笑するヴィオレットの後をセシリア達もついていくが、その時小さくヴィオレットが「ありがとう」と呟いたのは、クリスティーヌの文句で聞こえなかった。
◇◇◇◇
死体の散乱現場を抜けた先、足跡は穴の中に進んでいた。
四人は警戒しながらもそこを潜ると、暫くは何も無い天然の洞窟が続いていた。
行きたくないなとセシリアは思うが、金貨30枚を足蹴には出来ない為、竦みそうになるのを叱責して先へ進む。
「っし! 何か聞こえるデス」
既に魔法を解いたヤヤは、その灰色の狼耳をピンと立てて警戒の声を上げる。
そのまま、静かに、進め。とジェスチャーで促し、4人は足音を立てない様に静かに進む。
ゴッ……ゴッ……。
その音がヤヤ以外にも聞こえた。
姿勢を低くして進むと、開けた場所に出る。
そこは暗くてよくは分からないが、縦も横も広くカンテラの明かりが届かず相当の広さを感じられる。
「皆さん、正面を」
ヴィオレットの言葉に全員が正面を見る。
暗闇で見えないが、何かが動いているのだけは見えた。
その間もゴッ……ゴッ……と何かを叩くような音は続いている。
セシリアはポケットの中のライトが、まだ光っているのを確認すると振り向いてそれを照らすと伝える。
それが何であれ、照らせば相手に悟られる。つまり戦闘が起こるかもしれないと伝えると全員が頷く。
「それじゃ、行くよ」
セシリアはライトで正面を照らす。
そこに照らされたのは片腕を無くしたガーゴイル。
少なくとも未知の敵では無かったのと、逃げたガーゴイルを見つけた事で安堵する。
「……?」
だがガーゴイルは自身を照らされているにも関わらず、セシリア達に背を向けたまま振り返らない。
訝しむ全員が、音の正体を知る。
ゴッ!!
一際強く音が響く。
それはガーゴイルが残った左腕で、無くなった右腕を殴っている音だった。
まる幻視痛を誤魔化すかのように、まるで自分が異形の人形になった事を拒むかのように、一心不乱にガーゴイルは自分の腕を殴っている。
その光景に四人は唖然としてしまう。
「一体何なの?」
セシリアの呟きに、漸く反応したガーゴイルは眩しそうに振り返ると、自分を照らしているのがセシリアだと気づき、腰を浮かす。
だが様子がおかしい。
「あのゴーレム、ビビってるデスか?」
ヤヤの呟きの通り、ガーゴイルはまるでセシリア達を畏れる様に腰が引け、後ずさっている。
それは作られた存在であるはずのゴーレムにはありえない挙動だ。
百歩譲って、戦闘もこなせるゴーレムが居てもまぁ良いだろう、だが道具である、人の手によって作られた人形に感情があるなどありえるのか。
感情がある存在。それは生物に他ならないだろう。
比例するように、セシリア達が近づくとゴーレムは後ずさる。
「! 逃げましたわ!」
とうとうガーゴイルは踵を返して駆け出す。
その姿は生に意地汚く縋りついたその物で、慌ててセシリア達も駆け出した。
「一体あれは何なの? ゴーレムじゃないの?」
「ヤヤの耳でも呼吸音とかは聞こえないデス、匂いだって土か岩のそれデスよ」
後を追いかけながらセシリアとヤヤは疑問を零す。
だが答えなど欠片も持っていない二人は、恐らく何か知っているであろう後ろのクリスティーヌに矛先を向ける。
「さっきので確証を得ましたわ」
クリスティーヌの言葉に前を走る二人は顔を向けた。
思案気に走るクリスティーヌは、難し気な表情で眉を潜める。
「あれは恐らく、魔導歴の産物ですわ」
「魔導歴?」
その言葉に二人は首を傾げる。
何となくだが、聞き覚えのある言葉な気はしたが思い出せない。
そんな二人に、クリスティーヌは呆れの色を浮かべる。
「魔導歴は新生暦、今の時代の前の時代ですわ。人々が空を飛び、石炭は金に水はワインに、数里の距離をものの数分で移動できる。魔法によって発展し魔法によって滅んだ神代の事ですのよ、これ位常識でしょう」
その言葉に二人は朧げにだが思い出す。
現在は新生歴662年。
そしてその時代の前の神代と呼ばれる、誰もが魔法を使い、その魔法によって現在では解明できない程の高度な文明を築き、それによって滅んだとされる時代。
そして悪魔達が進攻しようと決めた切っ掛けが、魔導歴の世界大戦による人類の衰退に依る物らしい。
ゴーレム技術も魔導歴の産物と言われている。
だが二人はそれでも首を傾ける。
「ならあのゴーレムはその魔導歴の遺産って事?」
「断言はできませんが、少なくとも今の技術であれは作れませんわね」
「でも、そうならあのゴーレムは何処から来て、何処に逃げてるデス?」
ヤヤのその質問に、誰もが窮する。
今現在つかず離れずの距離を保って追っているが、ガーゴイルは止まる様子を見せない。
貝塚や土器の様に地層から現れ、突然動き出したのだろうか、それともアレを作った場所へ向かっているのだろうか。
「あれ!? 消えた!」
その瞬間、正面に居た筈のガーゴイルが、まるで幻だったかの様に忽然と姿を消した。
「まさか、幻?」
「……そうではありませんわ、見なさい」
突然の事に足を止めた一行だったが、ヴィオレットの言葉にクリスティーヌは否定する。
彼女はガーゴイルが消えた場所まで歩み寄ると、右手を突き出す。
「え!?」
「腕が……消えたデス」
「お嬢様!!」
クリスティーヌの肘から先が突如として消えた。
ヴィオレットに至っては悲鳴を上げて駆け寄るが、それをクリスティーヌは片手で制す
「落ち着きなさい、美しくありませんわよ」
だがクリスティーヌは眉一つ動かさない、その姿に冷静さを取り戻すと、クリスティーヌの消えた肘から血が一滴も垂れていないのに気付く。
まるでそこから先だけ透明になったかのようだ。
「お嬢様? それはどういう?」
「ヴィー、まだ人形はある事?」
「え、あはい。まだ余裕はありますけど」
「なら人形をこの先に向かわせなさい」
何がなんだか分かっていないヴィオレットに指示を出しながら、クリスティーヌはうんうんと難しそうに頷いている。
置いてけぼりのセシリア達は、おずおずとクリスティーヌへ声を掛ける。
「ねぇ、一体何なの?」
「お待ちなさい、確認が先ですわ」
そういってクリスティーヌはセシリアを黙らせる。
セシリアは黙って人形を用意してるヴィオレットを見ながら、何が起こっても良い様に警戒をする。
ヴィオレットが人形を用意し、ヤヤが不安げに弓を構え、クリスティーヌが思案気に眺める。
沈黙が生じる。
ヴィオレットは居心地の悪さに作業の手が自然と早まるが、はやらない様に深呼吸を一つして支度を終え、立たせる。
「行ってらっしゃい、ゴンザレス二世」
その呟きは静寂故皆に聞こえたが、あえてスルーする。
再び落ちた静寂の中、クマの人形はとことこと不可視の境目に歩んでいく。そしてそれがふっと消えた。
「……きゃっ!?」
突然、ヴィオレットは可愛らしい悲鳴を上げて尻餅をつく。
その悲鳴が会敵のそれと思い、セシリア達は反射的に武器を構えた。
「どうしたデスか!?」
「あ、だ、大丈夫です。いきなり目の前に、白骨死体が現れたからびっくりしただけですので」
白骨死体?
そんなものは何処にも無い。最早クマすら存在しない。
眉を潜めるセシリアとヤヤを余所に、咳ばらいをして気を取り直したヴィオレットは、真剣な表情でクリスティーヌに向き合う。
「お嬢様」
クリスティーヌは翠の瞳だけ向ける。
「どうやら、ここを境目に不可視の結界が張られている様です。それと通っても問題は無いですね」
「そう、ご苦労様。二人とも行きますわよ」
クリスティーヌはヴィオレットの言葉に頷くと、躊躇いなく一歩踏み出し、姿を消した。
「え!? ちょっ!」
「神隠しデス!?」
慄く二人に、ヴィオレットは苦笑しながら向き合う。
「大丈夫ですよ、どうやらここを境に見えない壁があって、それがこちらと向こうを移さないだけの様ですから。通っても問題ない事は確認しましたし、っと多分お嬢様が呼んでますね。それでは、お先に失礼します……全く、怖がりなのに先行するんだから」
ヴィオレットも気負う様子無く一歩踏み出し、姿を消す。
残された二人は顔を見合わせる。
「どうするデス?」
「どうするって……行くしかないでしょ。金貨30枚の依頼主だよ?」
「デスね。でも正直、ヤヤ結構興奮してるデス」
「私も、何か冒険みたいだよね」
「デスデス」
仕事として森でしか冒険家活動をしていなかった二人からしたら、こういった未知への挑戦は新鮮で、状況も忘れて浮かれてしまう。
未知の緊張に若干硬くなりながらも、二人は興奮に口角を上げて横に並ぶ。
「ど、どうする? 一緒に行く?」
「お願いしたいデス」
「じゃあせーの。で行こっか」
「デス」
二人は一つ深呼吸して、立ち幅跳びの様に身を沈める。
「せーっの!」
「デース!」
目の前の不可視の境界に飛び込む。
膜の様な物を抜ける感覚。
二人は固く閉じた目を、恐る恐る開く。
視界一杯に広がる白骨死体。
「きゃぁぁぁ!!」
「でぇぇぇす!?」
「何をしてるんですの、お二人共」
突然目の前に現れた白骨死体に驚いて、抱き合った二人にクリスティーヌの呆れの声が降りかかる。
「あ……んんっ」
「てへへ……」
恥ずかしそうに頬を掻く二人は、枝毛を弄ったり意味も無く袖口を直したりして落ち着きなくなってしまう。
そんな二人に胡乱な目を向けるも、クリスティーヌは正面に向き直る。
「ミスセシリア、先ほどの明かりはまだあります?」
「あ、うん」
「なら正面を照らして下さいな」
言われてセシリアは、暗くなり始めて来たライトで正面を照らす。
そこには見慣れない物があった。
「扉?」
「ですわね、あのゴーレムが入っていったみたいですし」
両開きの扉だったであろうそれは、突き破って入ったのか破られている。
クリスティーヌが興味深そうにしゃがんで見ている横で、セシリアは扉の残骸に目が留まる。
それは茨に包まれた林檎に、人間の手を伸ばした六角形の装飾だった。
錆びついてはいるが、原形は留めており未だ金の輝きを放っている。
「おや、それは珍しい物ですわね」
「! ……いきなり声を掛けないで、フィーリウスさん」
「クリスで良いですわよ? それよりも、珍しい物を見つけたのですわね」
いきなり耳元から囁かれて肩を撥ねさせたセシリアの、もの言いたげな視線をどこ吹く風に、クリスティーヌはその手に収まる装飾に目を留める。
「これが何か知ってるの?」
セシリアが手渡すと、クリスティーヌは興味深げにあらゆる角度から眺めながら口を開く。
「これは魔導歴に最も発展し、最も外道と罵られた組織『叡智の道』の紋章ですわね。成程、ここは研究所という事ですの」
知りたいことは知ったと装飾を放り捨て、クリスティーヌは手をはたく。
「諸々は道すがら説明しますわ、先に行きましょう。最悪の事態になる前に」
そこには、先ほどの興奮は無く。焦りの様な物が滲んでいた。




