贋作の製作者
セシリアはスキップしながら森の中を駆ける。
始めの頃はセシリアも鈴を使って空間跳躍していたが、修業が進んで身体が出来上がる頃には修業の一環として、ショートカットはせずに行き来する事を命じられていた。
そのお陰もありセシリアは特に気負う事も無く、少々行き来の面倒くささに辟易とするだけで、獣道ですらない茂みの間を駆け抜ける。
「おっかあさん♪ おっかあさん♪」
庵が見えてくると、セシリアは一層早く駆け出す。
そのまま、扉を蹴り破らん勢いで勢いよく開くと満面の笑みで帰宅を告げる。
「たっだいまー!!」
セシリアはここで、マリアが優しい笑顔で出迎えてくれることを期待した。
「……あれ?」
しかしセシリアの声に反応が返ってくることは無く、物寂しく木霊するだけ。
今日は外出する予定は無かった筈だと首を傾げるセシリアは、二人の寝室へ足を運ぶ。
「もぅ、まだ寝てるの?」
苦笑しつつも、惰眠を貪っているであろうマリアを起こすべく、セシリアは軽い足取りで毎日二人で眠る部屋の扉に手を掛ける。
「おはようございま~す」
どっきり番組の様な、小声で背を丸めながらニコニコと部屋に入ったセシリアはベットの上で眠ってるであろうマリアを起こそうと、足を踏み込むがやはりそこには誰も無い。
綺麗にベットメイクされた寝台は誰かが寝ていた痕跡も無く、また置手紙の一枚も無い。
セシリアの不安で瞳孔を揺らし、小さく震える手で肌身離さず付けている胸元の空色の宝物を握りしめる。
「お母さーん! お母さーん!」
やや声を張りながら、セシリアは家中を探す。
居間にアイアスの寝室に浴室に工房に、家中の隅から隅まで駆けまわったセシリアは、何処にもマリアが居ない事を悟ると、ネックレスを抱きしめながらソファに身を沈めた。
「お母さん……買い物にでも言ってるのかな」
自分に言い聞かせる様に、震える声で呟き続ける。
マリアが居ないだけでセシリアの心に暗雲が重なり、段々と泣きそうに瞳が潤いだす。
そのまま寒さに耐える様に膝を抱き寄せた。
「大丈夫……だいじょうぶ、ちょっと出かけてるだけだよ」
言い聞かせる様に呟く。
だがそれも弱弱しく、直ぐに落ち着きを失い立ち上がってうろうろと彷徨いだす。
「迎えに行った方が良いかな……でも何処にいるか分からないし……あぁ、もし何かあったらどうしよ……」
次第に爪を噛みだす。
嫌な想像ばっかり脳裏を過り不安が募る。
座ったり立ったり、何度も玄関へ足を向けては反転するというのを繰り返していたが、等々不安が抑えきれなくなる。
「迎えに行かないと、お母さんに何かあったら大変だから」
セシリアは幽鬼の様に顔面蒼白で、ふらふらと街へ戻ろうと玄関を開けようとする。
しかし、そのドアノブはセシリアが触れるよりも先にガチャリと開かれた。
「あら? おかえりなさいセシリア」
「お母さん!!!」
「きゃっ……もう、危ないですよ」
戸が開かれた先にマリアの驚いた顔を見た瞬間、セシリアは一転喜色満面で飛びつく。
柔らかな心地よい匂いに包まれて直前の不安も霧散し、マリアの首筋に顔を埋める様に強く強く抱きしめる。
痛い位抱きしめられながらも、苦笑して背中をあやす。
「ほら、そろそろお家の中に入りますよ?」
「……うん」
深く深呼吸して漸く落ち着くと、セシリアは名残惜しそうにしつつも少し離れ、心底安心した微笑を浮かべる。
「ただいま」
「おかえりなさい」
そのままセシリアは顔を寄せ、マリアの額に唇を落とす。
マリアも微笑みながら少し背伸びして額にキスしようとするが、ここで少し悪戯心が疼き狙いを逸らし、セシリアの形の良い鼻先にちゅっと軽く触れる。
その事にセシリアは目を丸くするも、直ぐに可愛らしく唇を尖らせて抗議する。
「何でおでこにしてくれないのー!」
「ふふ。だってセシリア背高いですし、お母さんいつも背伸びするの、ちょっと大変なんですよ?」
「ならこうしたらしてくれる?」
マリアの言葉にセシリアは騎士の様に片膝をつくと、今か今かと目を輝かせて健康的に日焼けしつつも白さを失わないおでこを晒す。
「もう、仕方の無い子ですね」
口ではそう言うが、満更でも無さそうに微笑むセシリアは目を閉じて可愛らしいリップ音を響かせる。
その音と柔らかな感触を感じると、セシリアはだらしなく顔を緩ませた。
「ふへへ……お母さんにキスして貰っちゃった……」
「ふふ。セシリアったら、毎日してるのに全然飽きないですよね」
二人はまるで恋人同士の様に、甘ったるい桃色の空気を醸し出す。
そんな二人の空気を裂くかの様に、んんっ!とワザとらしい咳払いの音が響く。
「何時まで玄関先でイチャついてるんだい」
「イチャついてるだなんて、そんな~」
セシリアはいやんいやんと身体をくねらせるが、アイアスの鬱陶しそうな目に咳払いをしてしゃんと佇まいを直す。
「それより、二人ともどこに行ってたの?」
「ちょっと街に、夕飯の買い出しに行ってきました」
「突然パンプキンの煮物が食べたいって言いだして、あたしまで連れ出してね」
アイアスは疲れた様子で、両手で季節外れのパンプキンを抱えている。
時期的に取れるものでは無いのだが、何処から持ってきたのか色艶の良いパンプキンだ。
二人がただ買い物に行っていただけだと、セシリアは深い安堵のため息を零すとアイアスのパンプキンを受け取る。
三人はそのまま家の中に入り、それぞれ肩の力を抜く。
「あ、そうだ師匠」
凝った肩を揉むアイアスに、マリアと一緒に晩御飯の支度を始めるセシリアは肩越しに呼びかける。
「なんだい」
「また銃が壊れたって言うか、失敗だったから後で作るの手伝って貰えませんか?」
「またかぃ?」
その言葉にアイアスは心底嫌そうに顔を顰めるも、ソファに深く沈んだ身体を起こして工房へ足を向ける。
「なら今やるよ」
「え!? いや待ってよ! 今お母さんとご飯作るから……」
「あたしは忙しいんだよ! 晩飯位マリア一人でも作れるんだから、さっさと来な!」
「おか~さ~ん……」
「えい! ……あら? 包丁じゃ切れなさそうですね……斧でも持ってきましょうか」
襟首を掴まれながら引きずられるセシリアはマリアに助けを求めるも、マリアはパンプキンの固い外皮と格闘中で気付かない。
セシリアはマリアとの共同作業の機会を逃した事に涙を流しながら、アイアスと共に工房へ姿を消す。
◇◇◇◇
「しかし、恐ろしい物を作るよね。異世界の知識って奴は」
アイアスは、セシリアの書いた銃の設計図を手に独り言ちる。
それを横目に、セシリアは様々な細やかな工具を並べた机の上で、小さな部品を幾つも作っている。
「ていっても、前世の私はちょっと勉強が得意な普通の女の子でしたから、そこら辺の知識も完壁とは言い難いんですけどね」
セシリアはマリアを除いて、唯一アイアスだけには前世の事を、地球の事を話していた。
その理由は銃を作りたかった事。
セシリアは確かに、銃の基礎構造や弾丸の作り方は知識として持っていた。
15年経った今でも図面に書き出せたのは一重に、前世の愛衣が勉強や習い事に比重を置いた幼少時代を過ごしていたからだろう。
前世の母親の教育が思わぬ所で役に立ち、愛衣は皮肉気に口元を歪める。
だが知識は知識。
それを持っていた所で、実際に作れる訳では無い。
制作に必要な工具から、火薬に精練技術など、セシリアには到底超えられない壁が立ちはだかっていた。
そこで目を付けたのが錬金術。
アイアスの物質に干渉する魔法なら、鉱石から金属を取り出す事も可能なのでは? とセシリアは前世の事を話す事を決めた。
始めは驚いたアイアスだが、錬金術の先を見れる興奮に諸手を上げて協力し、鉛から火薬、果ては銃その物やセシリア一人でも作れる様に道具を作り出した。
流石異世界と言うべきか、可燃石と呼ばれる燃焼性の鉱石や鉛に代わる鉱石などが存在し、弾丸作成自体に問題は無かった。
アイアスの高い技術力と、セシリアの正確な設計図のお陰で、寸分の狂いも許されない製作は成功した。
「それだって、威力を増そうとしなければ完成してる筈だろう? 別に多少威力が落ちたって、そこらの魔獣なら充分効くんだから良いじゃないか」
「ダメです。素人喧嘩程度の体術しか出来ない私にはもっと、一撃で魔獣を殺せるような破壊力が必要なんです」
だがここで問題が生じた。
セシリアの前世。地球には魔獣が居ない、いても精々熊が良い所だろう。
そして銃とは人に対して一番の効果を発揮する。
激発の音と光、死の恐怖と罪悪感の緩和。指先一つで人の命を奪える凶器は、魔獣に対して威力不足過ぎた。
故にセシリアはより高い破壊力を求め、可燃石を粉塵にした火薬擬きの量を増やし、弾頭に液体爆薬を取り付け着弾時の威力を増し、弾丸その物の威力も高めるため徹甲弾に変え、銃のバレルも伸ばした。
高い威力は手にできた。
しかし銃その物の耐久力に問題が生じ、セシリア何十本と怪我を負いながらも作り上げ、今日もその問題解消に勤しむ。
「まぁ、あたしも面白い物が見られたし、錬金術の進歩に繋がったから良いけど……それを大量生産しようとはするんじゃないよ」
アイアスはこれが武器だという事に直ぐに気付いた。
気づいて尚手を出したのは研究者の性なのだが、セシリアがもしこれを国に売るような事をしたなら、その時は責任を持って処理しようと考えていた。
セシリアはアイアスの厳しい視線に肩を竦める。
「しませんよ。これが危ない物だって知ってるから、所構わず使ったりしないんでしょ?」
「なら良いがね」
セシリアが銃を見せたのはヤヤのみ。
そのヤヤとて、直接手に取らせるような事は決してさせず「セシリアだけが使える魔道具」とでも誤魔化してる。
セシリアの言葉に神妙に頷くと、アイアスは設計図を手にセシリアと共にあれこれと口を挟みながら制作に勤しむ。
「う~ん、やっぱ素材の問題なんですよねぇ」
セシリアは慣れた手つきでバレルやグリップなど、細かい部品を必要としない個所を作り上げるも、不満げに唇を尖らす。
「て言っても、そこらの鉱石じゃこれが限界だよ。それ以上ってなったら、それこそ森の最深部の魔獣の素材を使うしかないだろうね」
「っていうけど、師匠最深部にはいかせてくれないじゃないですか」
セシリアは嘗てアルと共に踏み込み、森林黒狼達に襲われた森の最深部に再度入る事が出来なかった。
そして森の最深部とは、そこより深く、かつ公的に組合が認知してる到達記録の向こうを挿している。
アイアス以外、誰も踏み込ませていないとされる秘境。
別に入りたいとは思わないが、問題解決の欠片が其処にあるなら入るのも必要だと考える。
だが必ず、アイアスは最深部には入らせない。
「当り前だよ。あそこは決して入っちゃダメな所なんだ」
「危ないから?」
「あたしがこの森で防人をしている理由だからさ」
アイアスはそれだけ告げると、ノックと共にマリアが工房の扉から顔だけ出す。
「ご飯できましたよー」
「今行く!」
「こら! 工具を放り投げるんじゃないよ!」
セシリアは喜色満面で銃も工具も放り出して居間へ向かう。
アイアスも呆れつつも、手のかかる子供に苦笑する様な優し気な微笑を浮かべ簡単に片付けをした後、セシリア達の後を追った。
「主の恵みに感謝を」
「主の寛大な慈悲に感謝と敬意を、我ら主の子は今日も貴方様の愛に生かされてます」
「いただきます、お母さん」
三者三様の挨拶で食事を始める。
マリアは昔から変わらず、アイアスも一般的な信徒らしく長い挨拶。
前世の事を話してスッキリしたセシリアは、冗談めかして言ったのをきっかけにこの挨拶にハマり通例としている。
「ん~! 美味し~!」
「それは良かったです。こっちの煮物もどうぞ」
マリアお手製の愛情籠った食事に、セシリアはうっとりと恍惚の表情を浮かべながらフォークを進める。
アイアスは美味しいと黙るタイプ故か、黙々と食べ進めている。
気持ちの良い食べっぷりの二人に、ニコニコと笑顔を浮かべながらマリアも食事を進める。
「そうだ、明日から暫く留守を任せるよ」
「どこかに行くんですか?」
「ちょっと所用があって帝国方面へね。ひと月も掛からない筈だから、偶の二人っきりの時間を楽しむと良いさ」
食後のお茶に一息つかせたアイアスは簡潔に用件を伝えると、準備があるからと席を立つ。
「そうだセシリア。私が居ない間、人前で魔法を使うんじゃないよ」
「あー、教会や国に目を付けられるから?」
アイアスの言葉にセシリアは疑問符を浮かべる。
セシリアは自身の魔法が希少魔法だとは理解してるし、隠せと言われる理由も理解している。唯一、ヤヤには銃同様見せてはいるが。
「そうだ。変に目立って、マリアと一緒に居られなくなるなら別に構わないけどね」
それだけ言ってアイアスは居間を後にする。
残されたセシリアは、その言葉をしっかりと噛み締め刻むとマリアに向き合う。
「てことは、明日からママと二人っきりだね!」
「そうですね、何しましょうか」
二人っきりになった瞬間、ママと呼ぶセシリアの頭を梳くように撫で、洗い物を始める。
その隣で共に洗い物を手伝うセシリアは、翌日からの二人っきりの時間をどう使おうかとだらしない顔で考える。




