変わらない日常
「はい、16体の蜂蜜熊の討伐を確認しました。金貨1枚、二人で分けて銀貨50枚ね。後、討伐した場所のおおよそは分かる?剥ぎ取り業者を向かわせたいんだけど」
「大体こことここですね」
「そう、随分浅いのね。それにこんなに大量だなんて…やっぱり森の生態系に変化でも起こったのかしら」
「それは私には何とも。環境調査は畑違いなんで」
足早に街に戻ったセシリアは、現在受付にて事後報告を済ませている。
討伐証明の千切った耳を確認し、後の素材の回収の為にミラにおおよその場所を伝えている。
一通り事後報告が終わると、やはり諦めきれないミラは両手を重ね頬に添える。
「そうね。それより、やっぱりA級にならない?」
「なりません、しつこい女は嫌われますよ」
「うっ、今はその手の返しは辞めて……はぁ、でもね? 組合はやろうと思えば、無理やりA級にすることだって出来るのよ?」
ミラの言葉にセシリアはため息をつく。
冒険家というのは基本的に後ろ盾の無い一般庶民の集まりだ、貴族の様に権力がある訳では無い。
故に、そんな彼ら彼女らを束ねる組合は、やろうと思えばセシリアの意見など無視して国防の一員にする事も出来る。
「そんな事したら私、冒険家辞めますね。貯金も結構溜まったし、今は無理にこれで稼ぐ必要も無いですし」
「それは止めて! セシリアちゃんに辞められたら、お姉さんホントに怒られちゃう!」
だが冒険家など殆どが根無し草だ。
禁忌の森のお陰で冒険家事業が盛んな辺境の街と言えど、肌に合わなければ去る者など多い。
故に組合は下手に優秀な人材が外に流れるのを防ぐために、ある程度の推量措置を図っている。
隣国に実力至上主義の帝国があるだけに、近年は慎重になっているらしい。
勿論、マリアを最優先とするセシリアがその例に漏れない訳が無く、街を離れるとまではいかないが、少なくとも態々嫌な思いをしてまで冒険家活動を続けようとは思っていない。
それだけ余裕が出たと言えばそうなのだが、セシリアは自分が冒険家を辞める姿を余り想像できなかった。
怖いし、痛いのは嫌だし、血の匂いだって撲殺の感触だって好きじゃない。
魔獣といえど、命を奪う事に葛藤が無い訳では無い。だが、本当に、本当に偶にだけ、戦いが楽しいと脳裏を過るのを、自分でも心のどこかで自覚していた。
だが普段のセシリアはそんな事は思わない。
仕事をしないでお金が手に入るならそうしたいし、痛い思いも怖い思いもしないで済むならそれに越したことは無い。
愛衣の価値観と、セシリアとしてのあの出来事を除いた幸せな人生は、良くも悪くもセシリアを普通の女の子以上にはしなかった。
「兎に角、私は今以上を望んでないし、戦いとか強制されてまでしたくないんで。それじゃ、お疲れ様です」
「もー待ってよー! あ! 剥ぎ取り終わったらそのお金もあるから、ちゃんとヤヤちゃんにも伝えといてねー!」
やはり三十路女性の縋りつく声を無視して、セシリアは報酬の入った麻袋を手に、ヤヤの待つ長椅子に向かう。
「はいこれ、報酬ね」
「良いんデスか? 殆どセシリアちゃんが倒したのに」
「良いの良いの、何があろうと報酬は半分って最初に決めてたでしょ?」
遠慮するヤヤにセシリアは微笑みかけながら、半ば押し付ける様に渡す。
それにヤヤは遠慮しつつも、お礼を言って自分の分け前を受けとるが、折角金を手に入れたと言うのに、表情は晴れない。
それを見ながら、セシリアは気にするなと言う様に、頭を撫でる。
ヤヤはくすぐったそうに身を捩ると、頬を軽く叩いて気持ちを切り替える。
いつまでも暗いのは自分らしくないと。
「今日はもう、ラクネアさんの所に帰るの?」
「あ~、今日は外でご飯食べたい気分デス。孤児院ではゆっくり食べられないデスし」
ヤヤは、セシリアの紹介でラクネアの住む孤児院の一室を借りていた。
勿論生活費の一部を出して住ませて貰ってるが、それだって宿屋に長く泊るよりは安上がりである。
だが、幼い子供も多い孤児院での食事は気が休まらず、ヤヤはその苦労を思い出して尻尾と耳が項垂れる。
「それじゃ、私もご飯食べてから帰るつもりだったし、一緒に行く?」
「行くデス!」
「おっけー」
二人は昼食を摂るために立ち上がり、組合を後にしながら雑談に興じた。
道中でヤヤはセシリアの筋肉質ながら、少女らしい柔らかさのある腕を羨ましそうに興味深げに触る。
父親の逞しい腕より細くて柔らかい。なのに自分よりもはるかに大きい熊を殴り飛ばせる膂力を持っている、一体どこにそんな力があるのか。
ヤヤは、自分の一時成長が始まったばかりの小さな手を見下ろしてセシリアを見上げた。
「セシリアちゃんってホント強いデスよね。どうしてそんなに力強いんデスか?」
「ん~、元々力は強かったんだ。そこに筋トレと魔力の身体強化でって感じで……正直良く分かんない」
「デスか……」
だがセシリア自身、己の膂力の冗談加減は説明がつかない。
生まれた時から力が強かったのだ、そういう物だとしか言えない。
例え鍛えていた所で、魔力で肉体を強化したところで、元が強いのだから仕方が無い。
そんな漠然とした答えに、ヤヤは不満そうに小さく唇を尖らせた。
「それよりヤヤちゃんの方はどう? お金は溜まった?」
「デスデス、セシリアちゃんのお陰で故郷への仕送りが増えたデス!」
「それは良かった」
セシリアは嬉しそうにはにかみ、尻尾をぶんぶんと振り回す愛らしい姿に笑みを深める。
ヤヤとセシリアが出会ったのは二月ほど前。
ローテリア帝国の山岳部にある故郷から出稼ぎにきたヤヤは、当初迷子の様に組合でうろうろしており、日々の食費すら切り詰めて仕送りの為に最低ランクであるE級の安い仕事を幾つもこなしていた。
それを見かね、当時すでにC級になっていたセシリアが、自身の依頼に便乗する形で話を持ち掛けた。
当時ソロで仕事をしていたセシリアの誘いにヤヤは躊躇ったが、それでもE級の薄給とC級の討伐依頼の報奨金では全く違く、ヤヤは申し訳なさそうにしつつもセシリアの提案に乗った。
「家族からの手紙とか来た?」
前を向いたまま、セシリアは何気なく聞いた。
尻尾を振り回したまま喜色満面で肯定が帰ってくると思ったが、ヤヤは一瞬笑顔を強張らせるも、微笑む。
それにセシリアは気付かない。
「……来たデスよ。お父さんは元気にしてるって言ってて、後、気を付けてって言われたデス」
「そっかそっか」
家族を愛する者同士、自身の親が元気であるという事にセシリアは喜色を浮かべる。
セシリアは、ヤヤが少し固い笑顔を浮かべていたのに気付かずに。
そして二人は、目的の場所を前に足を止める。
そこは懐かしき宿屋。かつてセシリア達が働いていて、心の祖父母の様な二人が経営する『妖精の止まり木』。
「お昼はここで良いよね?」
「デスデス」
ヤヤの同意を受け、セシリアは中へ踏み込む。
今はアイアスの庵に住まいを移してる為、こうして客として訪れる事しかないが、それでも実家の様な安心感を覚えセシリアは落ち着いた微笑を浮かべる。
そんなセシリアの来店に、嘗てのセシリアと同じように配膳に勤しむ従業員の一人が喜色の滲む大声を出す。
「アー! セシリアだー!」
「え!? セシリアが来たのー!?」
大声を上げながらセシリアに駆け寄るのは、嘗てセシリアとマリアが訪れた孤児院に住む青色のスライム娘のスーと、二足歩行の猫な獣人のイヌ。
二人とも当時から一切成長した様子の無い、10歳児の姿でセシリア抱き着く。
そんな変わらない姿の友人に腰に抱き着かれ、セシリアは驚くも直ぐに微笑みを浮かべて二人の頭を撫でる。
「二人とも久しぶりだね、元気にしてた?」
「シテター!」
「もちのロンだよ! ミーは何時だって元気百倍だよー!」
「そっかそっか、とりあえず席に着きたいから案内してくれる?」
「アイ!」
「カウンターへどうぞ!」
嬉しそうにはにかむ二人に先導され、厨房と向き合うようなカウンター席に座ると、懐かしい人がセシリアを出迎える。
「元気にしてたかいセシリア?」
「うん、あんまり来れなくてごめんね? トリシャさん」
「本当だよ、突然修業するって母子共々出て行って、あたしゃ寂しかったんだよ?」
「あはは……」
年の所為か、少し痩せたトリシャの苦言にセシリアは苦笑いを浮かべる。
当時、娘孫と可愛がってマリアとセシリアに不幸が降りかかって心労が集ったと言うのに、そこから話もそこそこにセシリアはアイアスの庵にて泊まり込みで修業を始めてしまったのだ。
マリアもセシリアがごねた事で、日中だけ妖精の止まり木で働いて朝晩は庵へ通っていたが、それもセシリアが魔獣を狩って金を稼げるようになると、養うと言い出しマリアを庵に泊まりこまされた。
結局、必要な時だけマリアは手伝いに来るが、それでもここに顔を出す頻度は減りトリシャは物寂しさを覚えていた。
自身のわがままでトリシャに寂しい思いをさせたと、セシリアは曖昧な苦笑で頬を掻く。
元気そうな様子にトリシャは安堵するも、その服についた血の跡と穴開いた部分を見て眉を寄せる。
「怪我してる訳じゃなさそうだけど、大丈夫なのかい?」
「あ、うん。怪我とかは回復魔法で直ぐに治るしね」
セシリアは自身の身体に怪我無いと伝える為、肩を回すもトリシャの顔は晴れない。
「やめろと言っても無駄だろうから言わないけど、身体は大事にしな。マリアも度々嘆いてたし、あたしもセシリアが傷つくところは見たくないんだよ」
「うん……ごめんなさい」
トリシャの言葉にセシリアの表情に翳が差す。
それを見てトリシャは気まずげに頭を搔くと、パンパンッと空気を入れ替える様に強く手を叩いた。
「まぁ年寄りの小言なんて適当に聞いてくれればいいさ! それより食事しに来たんだろう? 何にする」
「あー、じゃあ肉盛りで!」
「ヤヤはこの昼食セットでお願いデス!」
「あいよ! ヤヤちゃんもいつも頑張ってるしサービスしとくね」
「えぇ!?悪いデスよ!」
ウインク一つして背を向けるトリシャに、ヤヤは申し訳なさそうに腰を浮かすも諦めて腰を落とす。
だがその尻尾は雄弁に嬉しさを語っている。
だからこそ、背後で目を妖しく光らせる二人の影に気付かない。
「尻尾―!!」
「ドーン!!」
「デーース!!??」
そんなヤヤの尻尾にスーとイヌが飛びついて、ヤヤの可愛らしい悲鳴が響いたのはご愛敬。
◇◇◇◇
「ごちそうさま」
「美味しかったデース」
「お粗末様ね」
昼過ぎ。二人はガンドの料理に舌鼓を打ちながら、若さ溢れる勢いで腹が膨れるまで食べ進めていた。
数枚の皿をトリシャは片付けながら、苦笑しつつもその食べっぷりに安心する。
丁度客が引いて来た為、ガンドも表に出てきてセシリアと会話を交わし始めだす。
長く間を明けた訳では無いが、それでも共に暮らしていない上毎日会う事も無い為、孫娘の様に可愛がるセシリアとの会話は二人にとっては大事な時なのだ。
勿論、セシリアも祖父母と慕う二人には、マリアへ向ける様な親愛を含ませ楽しそうに笑う。
「最近、森の方で異常が起こってると聞くが大丈夫なのか?」
「あ~、うん。多分、生態系がちょっと書き換わってるだけだから大丈夫だと思うよ」
「そうか」
セシリアはスー達と戯れるヤヤを横目に、先の蜂蜜熊達を思い返しながら答える。
セシリア自身、どうして温厚な筈の繁殖期でもない蜂蜜熊が、あんなに大挙してセシリア達に襲い掛かって来たかは分からない。
だが、だからといって心配させるような事を言うのは気が引けたため、セシリアは無難な回答でお茶を濁す。
ガンドはそれだけ聞くと静かにお茶を啜る。
そんなガンドに呆れる様に、洗い物を終えたトリシャが傍に腰かける。
「折角可愛い孫娘が来たってのに、それだけってどうなんだい」
「……すまん」
そんな変わらないやり取りに、得も言われぬ安心感がセシリアを包む。
するとトリシャが思い出したように手を打つ。
「そう言えば、最近帝国の御貴族様がこの街に来てるらしいんだ」
「帝国の? まぁでも、そこまで珍しくもないでしょ?」
勇成国の要であり、諸外国にもその特産品が評価されるこの街カルテルには、大勢。とは言わないが、それでもそれなりの数の貴族が訪れる。
皆この地から得られる利益を求めて訪れる為、今更貴族が来た所で話の種にも上がらない。
だがセシリアの反応に、トリシャは腕を組みながら唸る。
「そうなんだけどね? その御貴族様が、ちょっと珍しい事を言ってるらしいのさ」
「どんな?」
トリシャは、言葉を選ぶように重たい口を開く。
「何でも、美しい人を探してるって」
「何それ? 外国に来てまで愛人探し?」
貴族は政略結婚するもの。セシリアでなくとも誰もが知る事実。
貴族が平民と結婚するなどありえない、精々愛人が良い所だろう。
セシリアはそんな色狂いを笑い、はっと口元を抑える。
「もしお母さんに目を付けられたらどうしよ」
セシリアはその光景を想像する。
態々他国に来てまで愛人を探す位だ、最低最悪な色狂いだろう。そしてそんな男に愛しい母を奪われたら?
見知らぬ男に抱かれる母を幻視し、セシリアは勢いよく立ち上がる。
「……先に潰しとくか」
「落ち着きな!」
「あべし!?」
剣呑な眼差しで、殺気を滲ませるセシリアの頭にトリシャの拳骨が落ちる。
何歳になっても脳髄に響くその拳骨に、セシリアは涙目を浮かべて蹲った。
「先走るんじゃないよ。その貴族はセシリアと同じくらいの女の子だし、仮に想像通りでも貴族に手は出しちゃダメだろう」
「ぅう……でもお母さん美人だし……」
「だとしてもだよ。危ないからって、人様を傷つける様な真似はさせないよ」
呆れるトリシャにセシリアは弱弱しく反抗するも、トリシャの言葉にすごすごと下がる。
マリアを悲しませたくないセシリアはそう言われると弱い。
痛みに悶えていると、ちょいちょいとコートをヤヤに引かれる。
「セシリアちゃん、ヤヤそろそろ帰るデス」
「あ、ごめんね? 帰ろっか」
遊び疲れたヤヤは、乱れた綺麗な灰色の毛並みを整えながら帰宅を告げる。
それに合わせてセシリアもトリシャ達に別れを告げ、四人に見送られながら店外へ出る。
「それじゃ、次は二日後にね」
「デスデス! またデース!」
元気に手を振るヤヤに背を向け、セシリアは足早にマリアの待つ庵に向かう。
鼻歌を奏でながら、マリアに合える喜びに女神もかくやと言う微笑を浮かべてスキップしてる為、道行く人々は見惚れて立ち止まってしまう。
有象無象の視線など視界にも入らないセシリア、早く帰る事だけを考える。
「早くお母さんに会いたいなぁ……」
その蕩けた表情は、恋する乙女の様だと街の人々は語った。




