硝煙を燻ぶらせる贋作
セシリアとヤヤは禁忌の森に立ち入っていた。
二人とも、危険な冒険家として仕事をしなければいけない理由がある。
まだ15歳と12歳の少女達だ。
見目だって良い。尊厳や誇りを売って働く事も、普通に街の中で平和に働くという選択肢もある。
だが二人はその中でも時間に融通が利き、己の命を賭け金に働く冒険家家業に身をやつしているのはそれだけ理由があるからなのだが、そんな事は冒険家の殆どに言える。
二人は今日も高い報奨金を求めて、危険な仕事へ赴く。
「それで、今日の依頼は何なんデス?」
D級のヤヤは、灰色の狼の耳をピンと立てて周囲に気を配りながら、セシリアに依頼の内容を聞く。
二人は常にパーティーを組んでいる訳では無く、セシリアが仕事をする時にヤヤに声を掛け、ヤヤがその依頼に便乗する形となっている。
とはいえ、ヤヤだってただ着いて来てる訳では無く、狼の高い聴覚や嗅覚を使って索敵に貢献したり、風魔法を使える事を活かして弓矢で援護する事も多い。
完全に寄生するのは、ヤヤの誇り高い灰狼の血が許さなかった。
「蜂蜜熊の間引きだって」
「蜂蜜熊? 普段は温厚だけど、怒らすとB級の危険度を持つあの蜂蜜熊デスか?」
ヤヤは小首を傾げる。
蜂蜜熊と言えば、蜂蜜を好んで食す2m程の大柄な熊で、その肉は甘く柔らかく食用に適し、牙や皮は諸々に使える等人々の暮らしへの貢献度が高い温厚な熊だ。
だがその商用性の高さから過度な狩猟は禁じられていた為、間引きという言葉に違和感を持つ。
勿論それはセシリアも承知だが、報奨金の良さと近場という事に釣られて受諾した訳だ。
「うん、蜂蜜熊の数が増えて森の手前に溢れてるらしいから、その間引きをして欲しいって」
「デスか……!」
ヤヤの尻尾がピンと逆立ち、警戒の色を浮かべる。
それだけでセシリアも察し、背に背負った大剣の柄に手を掛ける。
「足音デス、匂いも……蜂蜜熊デスね」
「ここ相当森の入り口に近いよね? 中層付近を縄張りにする魔獣が、ここまでくるとかどうなってるの」
ヤヤの言葉に、セシリアは疑問を零すもその答えを持つ者はいない。
仮に答えられるとすれば、今二人に迫る何かだけだろう。
ヤヤは弓を構えて低く唸りを上げる。
ヤヤに頼らずともセシリアにも、視線の先に魔獣が居る事は察せられた。
ヤヤは地面の振動や足音などから、細かい情報を得られるだけ得て共有する。それがヤヤの仕事だから。
「来るデス! 前方3!」
「ヤヤちゃんは木の上から援護と警戒を」
「了解デス!」
それぞれが自分の武器を手にして、迫る足音に警戒する。
ヤヤは弓を番え、呼吸を落ち着かせて狙いを定める。
セシリアは身の丈もある大剣を肩に構えると、前方から迫る足音は一層強くなりその姿を現す。
「グオオオオォォ!!」
姿を現すは2mはあろう茶色の毛並みの熊。
鋭い爪と筋肉の塊のそれは、血走った目で涎を飛ばしながら自身の進路に立ちふさがるセシリアを、親の敵と言わんばかりに睨みつけ咆哮を上げる。
そんな魔獣が三体もセシリアの眼前に立ちはだかる。
一般人なら恐怖で腰が抜けるだろうその光景を前に、セシリアは不快気に片耳を抑え蜂蜜熊を睨みつける。
「ねぇ、蜂蜜熊って温厚な筈だよね? まだ繁殖期に入ってないのに、どうしてあんなに興奮してるの?」
「わかんないデス、でも最近森の様子がおかしいってミラさんも言ってたデス」
おしゃべりしてる余裕すら見せるセシリアに、蜂蜜熊達は唸りを上げ威嚇する。
セシリアは意識を切り替えると大剣を両手で構え、一息吸い魔力の流れを意識し肉体に作用させる。
ゆっくり、身体に流れる血液に近い感覚の魔力の流れを意識する。
全身に流れる魔力の流れを意識し、肉に、骨に、細胞や血管に染み込ませる。
マグマの様に熱い物が全身を伝う。
肉体が活性化され、少しでも集中を欠いたら身体が弾け飛びそうに怒張する。
脂汗を流し、肉体が強化されるイメージを保つ。
「ふぅぅ……」
まるで限界まで熱されたエンジンの様に、赤熱した身体から蒸気が吐き出される。
心臓が張り裂けそうな程早鐘を打ち、痛みに歯を食いしばる。
全身が燃える様に熱くなり、反比例して思考がクリアになるとセシリアの準備が整う。
「行くよ! 援護お願い!!」
セシリアは地面を踏み込むと、弾丸の様に三体の蜂蜜熊の元へ飛び込む。
その後先考えない、ただまっすぐ突っ込むという愚行に、蜂蜜熊は容易いと嘲笑を浮かべる様に漆黒の瞳を細め、人間の体など容易く引き裂ける豪爪の生えた右腕を振り下ろす。
それに合わせる様に、セシリアは後ろに流した大剣を振り抜く。
ガキィン……と火花を散らして蜂蜜熊の腕が弾かれた。
蜂蜜熊は、自身がどうして目の前の矮小な人間に力負けしたのか分からず、瞬きする。
だが瞬時に驚きを怒りに変え咆哮を上げると、三体の蜂蜜熊と共に再び豪爪を振り下ろす。
空気すら裂く三位一体の一撃。
大剣を振り抜いた体勢で固まるセシリアに逃げる術は無い、必ずこれで死ぬ。と蜂蜜熊は確信する。
「まだまだぁ!」
セシリアが叫ぶと、少女の力とは思えない力で振り抜いた大剣をのけ反った態勢のまま腕の力だけで戻し、三方から迫る一撃を大剣の腹で受け止める。
ミチミチと、全身を支える背骨と筋肉が悲鳴を上げながら振り下ろされたその一撃に、歯を噛み締めて耐える。
蜂蜜熊達は直ぐに叩き付ける様にして、目の前の少女を押し潰そうとする。
「ウィンドアロー!」
だがそれはヤヤの風魔法を纏った豪速の矢が、一体の蜂蜜熊の右目に笛を鳴らすような音と共に矢が深く刺さる。
そして追撃として、幾条もの矢が鋭い勢いで降り注ぐ。
「ガァァァ!?」
「セシリアちゃん! 大丈夫デスか!?」
「ありがと!」
セシリアは攻撃の手が緩んだ隙に、片足を軸に身体を捩じり左手に立つ蜂蜜熊の脇腹にブーツの厚底を叩き付ける。
蜂蜜熊は視界が滲むような衝撃を横っ腹にもろに受け吹き飛び、唾液をまき散らしながらその巨体を浮かせ後ずさる。
それを横目に、セシリアは目の前の蜂蜜熊の横薙ぎの一撃を膝をついて避け、そのままばねの様に膝を伸ばし、大上段から大剣を蜂蜜熊の固い頭蓋に叩き込む。
ゴチィッ! という音と共に大剣を通じてセシリアの腕が震えるが、空中でそのまま身体を捩じると力任せに横薙ぎの一閃で蜂蜜熊の頭と身体を切り離す。
確実な致命の一撃。
しかしその代償は、持ち手の歪みと刀身に横一閃走る罅と言う形で現れ、セシリアは持ち手が歪み力を籠めにくくなった大剣に舌打ちを一つ鳴らすと、自身に迫る片目だけでなく身体の至る所に矢が刺さった蜂蜜熊の一撃をバックステップで避ける。
「セシリアちゃん武器が!」
「大丈夫」
ヤヤの悲鳴に冷静に答え、セシリアは息を整える。
お互いが態勢を立て直し、二体と二人は向き合う。
片目や体中に矢の刺さった熊と脇腹を蹴り飛ばされた熊は、痛みに顔を歪めながら憎々しくセシリア達を睨みつける。
ヤヤはその殺気に尻尾を逆立て警戒し、限界まで弓を引き絞り確実に狙いつける。
セシリアは使い物にならなくなった大剣を地面に突き刺すと、懐に右手を入れ、第二の武器を取り出す。
「またうるさい奴デスか!?」
「ごめんね、でも確かめときたくて」
セシリアの右手が懐から出されると、その手にはまだ存在しない筈の武器が握られている。
ヤヤはそれが何をもたらすかを思い出して、弓を仕舞い慌てて両耳を抑える。
彼女の鋭い聴覚にとって、セシリアのそれは鼓膜にダメージを与える無差別兵器と化すのだ。
「撃つなら早く撃ってくださいデス!」
「うん、今撃つね」
セシリア達が喋っている間に、息を整えた蜂蜜熊達が四足で駆けだす。
地響きすら起こす、その巨体を前にセシリアは右手を突き出し、身体の前面と銃口を向ける。
「今日こそ壊れないでよ」
その手に構えるは全長35㎝の六連装リボルバー。
銃身は細身で、50口径の炸薬徹甲弾を打ち出す、セシリアお手製の無骨なリボルバーだ。その引き金をセシリアは願いながら引く。
ドパァン!!
森中に響く、火薬が弾ける轟音と衝撃と共に、右腕は大きく跳ね上がりセシリアはその衝撃に歯噛みする。
打ち出された弾丸は導かれるように、唯一外傷の無い蜂蜜熊の眉間に吸い込まれ、その脳髄を木っ端微塵に吹き飛ばし汚い花火を上げる。
突然の轟音と共に頭を吹き飛ばされた仲間に、残った一匹はここで初めて恐怖を覚えたのか駆ける足を止め後ずさりしだす。
「あ~……やっぱり駄目だった」
ジンジンと痺れる腕に顔を顰めながら、セシリア手にした武器の惨状に愚痴を零す。
見れば長いバレル部分には罅が走り、本来は撃鉄倒すと同時に次弾が装填されてる筈のシリンダーは正常に回ってない。恐らく、内部の細かい部品の幾つかは弾け飛んでるだろう。
「ぅう~耳が~痛いデス~」
「ごめんごめん」
尻尾を逆立たせ、頭上の耳を抑える涙目のヤヤにセシリアは謝ると、壊れかけの銃から残りの弾丸を取り出し、腰のベルトに仕舞うと銃を脇のホルスターに収める。
(帰ったら師匠に相談かな)
呑気に考え事をしながら最後の一匹に向き合う。
今回の依頼は蜂蜜熊の間引きだ、逃がす理由は無い。
セシリアは地面に落ちたひしゃげた大剣を拾い、恐怖にか、逃げ出せない最後の蜂蜜熊に近づく。
「グ、ガアアァ!!」
「逃げればいいのに」
仲間を殺された恨みか、それとも右目の痛みに正常な判断が出来ないのか、踵を返して逃げるよりもセシリアに襲い掛かるという選択肢を選んだ蜂蜜熊に、呆れとも憐みとも取れる声で小さく呟く。
身体を半身に傾け大剣を後方に流すと、鈍器と化した大剣を勢いよく振り抜く。
刃の立っていない一撃など食らった所で問題ないと、慢心していた蜂蜜熊は視界がぶれる一撃に驚く暇も無く横に吹き飛ばされる。
セシリアの人外の膂力と魔力に依って強化された肉体から生み出されたパワーは、例えただの鈍器と化していようがその一撃は致命の一撃と化し、蜂蜜熊はひしゃげた自分の腕に悲鳴の様な小さな呻き声を上げながらも、尚立ち上がる。
そんな蜂蜜熊にセシリアはトドメをさすべく近づく。
最早、蜂蜜熊の戦意は確実に削れてるだろう。
だがそれは逃げる意思を見せず、憎々し気にセシリアを睨みつける。
「ガアアッ!」
熊は残った右手を振りかざし、セシリアを八つ切りにしようとする。
だが痛みに冷静さを欠き、力の入り切ってない一撃など食らう筈も無く、セシリアは半身を傾けて避ける。
そのまま隙だらけの脇に、避けた運動エネルギーを加えたハイキックを叩き込み、地面に倒れ込ませる。
確実に命を刈り取るために、窮鼠すら咬ませない様にする為、セシリアはその脳天に大剣を叩き込む。
切断こそ出来なかったが、脳が揺れた熊は立ち上がる事も出来ず地面に這いつくばりながらセシリアを見上げる。
憎しみに燃えた真っ黒な目で、セシリアを見据える。
その視線にセシリアは僅かにたじろいでしまうが、これは仕事だと言い聞かせて大剣の切っ先を首に当てる。
「クマさん……」
まだ幼いヤヤには、何度見ても慣れる事の無い光景。
故郷で狩りを学んでいたが故、生きていく上で必要な事だと理解してるがそれでも心苦しくなってしまう。
「ごめんとは言わないよ」
セシリアは大剣を蜂蜜熊の首に突き刺す。
一際大きく身体を跳ねさすと、それは直ぐにただの肉の塊と化した。
そのまま二人は言葉なく討伐した証明として、三体の熊の右耳をはぎ取っていく。
「……次に行こう」
セシリアは重い空気を破って次に移ろうとする。
間引きが仕事なのだ、三体程度では終わりではない。
「だけど、セシリアちゃんの武器が」
「気は乗らないけど素手でやるよ、師匠の元ではそうしてたし」
セシリアは拳の調子を確かめながら歩み出す。
ヤヤも慌ててその後を追う。
「セシリアちゃん……ヤヤのナイフ使うデス?」
「大丈夫だよ、私の力だと壊しちゃうしね」
気遣いこそありがたいが、セシリアの握力ではヤヤのナイフも潰してしまうだろう。
それに弓矢がメイン武器のヤヤにとって、ナイフはいざと言う時にサブ武器なのだ、セシリアが借りてしまっては緊急時にヤヤは丸腰になってしまう。
結局セシリアは己の拳を武器に、森の深部へ足を運ぶ。
何度やっても慣れない仕事に、既に精神的に疲れを感じながら、それでもマリアとの生活費を稼ぐため、もう二度と弱い自分に戻らない為に。
セシリアは手のひらに残る、嫌な感触を意識しないようにしながら先へ進む。




