踏み出した一歩
「嫌だぁぁ!! ママと離れたくないぃぃ!」
「あらあら、仕方ないですねぇ」
「これはまた筋金入りだねぇ」
仮眠を取って落ち着いたセシリアが目を覚ました後、話し終えたマリアとアイアスは二人でセシリアの元へ訪れ、ここで魔法の修業を行う事を告げる。
その際、セシリアの生い立ちについては語らず、ただ魔法に覚醒したからとだけ伝えられた。
ここまでは問題は無かった。
だが今、こうしてセシリアがマリアに抱き着いて泣き喚ているのはその後の言葉が問題だった。
『通いだと空間跳躍を何度もしないといけないけど、あれは子供の身体への負担が結構激しいから泊まり込んでもらうよ』
『へ? ……ひとりで?』
『宿屋のお仕事もありますし、休日や早く上がった日は夜来るようにしますが……我慢出来そうですか?』
の言葉でセシリアは決壊した。
そも、セシリアが頑張ったのは全てマリアと一緒に居る為で、失いかけた今だからこそマリアへの思いは一層強く、離れがたいとなっている。
マリアと一緒に泊まり込むならまだしも、一人でなんて耐えられないと、セシリアは泣き喚いて懇願した。
その姿は出先で親を怒らして、置いてかれた子供と全く同じで悲壮極まりない。
だがマリアも仕事がある。
トリシャ達なら長期の休みも問題なく卸すだろうが、セシリアの修業は年単位を想定されてる。
それに金銭的な憂いもある為、常に一緒に居るという事は難しかった。
マリアは泣き喚き抱き着くセシリアをあやしながら、苦笑しつつ妥協案を考える。
「アイアスさん、空間跳躍は何度も使える物ですか?」
「は……あぁ、あたしの師匠の御手製だからね、森と街への行き来位なら問題ないよ」
アイアスはつい畏まってしまいそうになったが、マリアからセシリアと変わらない態度で接してほしいと言われており、ぎこちなくではあるが普段の不愛想な態度で接する。
セシリアに生い立ちを話さない以上、マリアが畏まっておればセシリアに話さなくては行けなくなるための措置。
天使たるマリアにこの様な崩した態度なんて…敬虔とは言わないが、信仰心を持つアイアスには非常に胃の痛い話だ。
「それなら、朝晩だけ一緒に居るってのはどうですか? それなら殆ど一緒に居られますよ」
「ぃやぁ……」
「あらあら……どうしましょうか……」
それでも、決して離さないで涙ぐむセシリアに母性本能を刺激され困っている風だが、頬が綻んでしまうマリア。
それでも、どうしたものかと頭を悩ませるマリアにアイアスが案を出す。
「ならセシリアがマリアさんを養えば良いじゃないか」
「……ふぇ?」
アイアスの言葉に、セシリアは顔を上げる。
涙に目元を腫らすセシリアを、アイアスはしっかりと見据えて説く。
「アンタが強くなって魔獣を狩って金を稼げば良い、そしたらマリアさんは働く必要は無くなるしアンタも守れる力を手にできる」
「守る……ママと一緒に……」
セシリアは言われて思い出した。
マリアが怪我した切っ掛けを、セシリアの力不足で守り切れなかった事を、力を欲しいと思った事を。
セシリアの目が変わる。
乱雑に涙を払うと、そこには泣いて縋りついていた少女の顔では無かった。
「分かった、私強くなる。強くなってママを楽にする」
「別に苦労してる訳じゃないですが……ありがとうございますアイアスさん」
苦労した記憶の無いマリアは苦笑を浮かべるが、自分を思っての発言にセシリアの頭を撫でる。
「別にこれぐらいは構わないさ。それよりどうする、泊っていくかい?」
「そうですね、とりあえず一旦帰って泊まり込みの準備します。数日は休むようにと、トリシャさん達にも言われてるので」
「そうかい。アタシは準備があるから失礼するよ、終わったら呼ぶから適当に待ってな」
アイアスは返事も聞かずに部屋を後にする。
残された二人は手持ち無沙汰になりながらも、手を繋いで寄り添う。
「ねぇママ」
「どうしました?」
繋いだ手をにぎにぎとしながら、セシリアは俯きがちにやや暗い声で語りかける。
娘の不安に揺れる様子に気付いたマリアは、握られた手を強く握り返すとセシリアの頬が綻ぶ。
「私……強くなるね」
セシリアはマリアが倒れた時の事をありありと思い返しながら、ゆっくりと言葉にする。
セシリアの中のダリアの言葉がいつまでも反芻される。
強さが正義だとばかりにいう彼女の言葉が、マリアを守れなかった後悔が、セシリアの心の傷を撫でる。
「強くなって、ママも、トリシャさんもガンドさんも、街の人も皆守れる位強くなる」
マリアはその言葉に即答できなかった。
ただ、悲し気に微笑んでセシリアを抱きしめる。
セシリアはどうしてそんなに悲しそうに笑うのか、何も言わないのか分からなかったが、マリアの温もりが心地良くてそんな事はどうでも良かった。
ただ、マリアと一緒に幸せに過ごせればそれでよかった。
◇◇◇◇
昼過ぎ、泊まりの準備の為アイアスの庵を去ったのを見送った後、セシリアは広大な自然の中でアイアスと向き合あう。
「強くなるとは言ったが、あたしは武芸者じゃないからね、直接戦う技術を教える事は出来ない」
「じゃあ魔法とかですか?」
「そうさね、ただ魔法ってのはその人だけの物だから正直そこまで具体的には教えられない。だからこれから教えるのは魔力の使い方だ」
「魔力……」
神妙に頷きながら、初めて自身が体験する異世界らしさに静かに興奮する。
それにマリアの為に強くなるという目的がある以上、セシリアは一音一句聞き洩らすつもりは無かった。
幸いにして勉強や運動は愛衣の頃から得意だったため、嫌だという気持ちは欠片も無かった。
「魔法は使えたんだろ、今から魔力に依る身体強化のやり方を教えるからしっかり聞きな」
「はい!」
「魔力を知覚してるみたいだから、それを全身の骨や筋肉に染み込ませな。ゆっくりと、白い絵の具に黒い絵の具を混ぜるみたいにね」
アイアスはセシリアに、魔力に依る身体強化のやりかたを伝え、言われた通り、セシリアは先日の感覚を思い出して全身に魔力を巡らせる。
ゆっくり、身体に流れる血液に近い感覚の魔力の流れを意識する。
そのまま、血管を巡らせ、細胞から肉に至るまでの全身に染み込ませる様に作用させ…た所でビギッ!という音が聞こえそうな痛みがセシリアの身体に走る。
「あぐぁっ!?」
余りの当然の激痛に悲鳴すら上げられず、脂汗を流しながら全身を縮こませて痛みに耐える。
「ま、普通はそうなるさ。身体強化ってのは爆発の衝撃で飛ぶようなもんなんだ、肉体が張り裂けてもおかしくないんだよ」
アイアスの呆れ声を聞きながら、セシリアは全身の痛みに耐える。
そんなセシリアに、アイアスは治療用の包帯やら薬やらを手に近づく。
「っ! ……なおれ」
「なっ!?」
セシリアが呪文ですらない言葉を呟くと、全身を引き裂かんとしていた痛みが瞬時に引き、脂汗を冷や汗に変えながら立ち上がる。
呆然と口を開くアイアスに、セシリアは苦笑を浮かべる。
「そういえば、魔法を使えるんだったね」
「みたいですね、こっちはそこまで意識しなくても出来ないことも無いです」
失敗した恥ずかしさに頬を掻くセシリアに、驚きから抜けたアイアスが聞くと、少し疲れなながらも答える。
セシリアは自身の魔法を使いたいとき、怪我がない正常な状態に戻る事をイメージしたら発動出来た事に、咄嗟ながらも自身の魔法のおおよそを理解する。
「そうかい。魔力の扱いについての危険性は分かったね」
「はい、正直死ぬかと思いました」
「他には? 委細隠さず言いな」
「えっと……魔力? 魔法を使うとごっそり身体からそれが抜ける感じで……結構眠いです」
セシリアはだるい身体で瞼を擦りながら答える。
アイアスは落とした物を拾いながら、安堵のため息を吐く。
「それは魔力の使い過ぎだね。必要な量を必要なだけ、効率よく適切に使うのが魔法で、魔力の扱い方だよ」
「成程……」
「だから、これからアンタには徹底的に魔力の使い方と、身体を鍛えて貰うよ」
「分かりました。よろしくお願いします!」
セシリアは腰を折って頭を下げる。
強くなるためなら、どんな事でもこなす気合で。
「良いかい。世の中に奇跡なんて無い、努力と研鑽だけが願いを叶える。死ぬ気で努力しな、出なければ最後には何も残らない」
アイアスの言葉に頷くと、アイアスは「そうだ」と思い出したようにセシリアに問う。
「その魔法の性質はちゃんと理解してるのかい? 見た所、治癒魔法を超す希少魔法って感じだが」
その言葉にセシリアは顎に手を当てて考える。
セシリア自身、体感的にしか理解しておらず、上手く言葉に出来ないのだ。
「多分……肉体を正常に戻す魔法……的な感じですかね」
「根拠は?」
「お母さんを治したいとき、正常な状態に戻れ。って願ったからだと思います」
「ふむ」
アイアスは顎に手を当てて考える。
今目の前で見た光景と当てはまらくも無い。
少なくとも、肉体の自然治癒力を活性化させる程度の治癒魔法と比べても、遥かに強力な希少魔法だろう。
その魔法をきちんと使いこなせるようにさせる自信は無いが、元とは言え天使たるマリアの頼みもあるし、セシリアの魔法を覚醒させた責任もある。
アイアスは一息ついて、改めて腹をくくる。
「とりあえず、名前だけでも付けときな」
「名前、ですか?」
「そうさ、無いと不便だろう?」
セシリアは腕を組んで、愛衣の知識を呼び起こして何かカッコいい名前を考える。
「パーフェクトヒール!」
「却下」
「ぐぬぬ……なら天使の祝福!」
「ダサい」
余りにセンスの無いセシリアに、アイアスは目頭を揉むと、面倒くさくなって適当に無難な名前を付ける。
「回復魔法とかにしな」
「えー、普通過ぎません?」
「普通が一番だよ」
不満げにするセシリアをそのままに、アイアスは修業の開始を告げる。
「光栄に思いな。あたしが唯一取った二人目の弟子だ、そこらの魔獣になら負けない程度には強くしてやるよ」
◇◇◇◇
「ぢがれだぁ~……」
「よしよし、お疲れ様です」
一日の終わり、寝室にてセシリアとマリアは寝台にて抱き合う。
二人とも既に寝間着に着替えられ、就寝の準備は万端だ。
一日の修業で酷使しすぎた筋肉痛と怠さにに、指先一つ動かしたくないと思いながらマリアの柔らかな身体に寄り添う。
うつらうつらとしながら、赤子の様に縋りつくセシリアをあやしながら、マリアは慈しみを持って抱きしめる。
「アイアスさんの修業はどうでした?」
「ぅ~ん。すっごいきついけど、それでも意味はありそうだよ」
「そうですか、応援してますね」
「うん、頑張る」
いよいよ船をこぎ出したセシリア。
二人は横になってお互いの温もりを肌に感じながら、就寝態勢に入る。
お互いの温もりが心地よい、こうしてマリアの温もりに包まれて眠るときは絶対に安眠出来た。
マリアの柔らかな温もりと匂いに包まれ、セシリアの眠気は限界に訪れる。
「ねぇママ……」
「どうしました」
「わたし…」
夢の世界に片足を突っ込むセシリアは、幸せそうに、心底安堵した柔らかさで微睡む。
「ママがママで……うれしかった……」
その言葉にマリアは息を呑む。
「ママ……すき……だいすき……」
寝言の様に呟いて、夢の世界に堕ちたセシリアの柔らかな頭をマリアは撫でる。
マリアは穏やかに眠る娘の寝顔を眺めながら、寂しそうに微笑む。
「私も、セシリアが娘で良かったですよ」
マリアの柔らかな唇がセシリアの額に落ちる。
マリアは少しだけ、震える声で囁く。
「普通の子に産んであげられなくてごめんなさい。今は、今だけは……おやすみなさい」
それだけを残し眠ったマリアは、決して離さない様にと強く抱きしめる。
無意識にか、セシリアも抱き返して。




