もう一人の家族
「あ、そうだママ。聞きたいことがあるんだけど」
「どうしました?」
「私にお姉ちゃんっていたりする?」
「え……」
マリアはセシリアの言葉に硬直する。
どうしてセシリアがそんな事を言ったのか、皆目見当もつかなかった。
セシリアは生まれてこの方、居るはずの父親について何かを聞いてくることも無かった、が、それはガンドとトリシャが父親代わりになっていたからだと思って安心していた。
セシリアの父親について聞いて来るならまだ分かる、だがよりによってどうして姉なのだと。
「ど、どうしたんですか藪から棒に……」
掠れそうになる声を意識的に抑え、セシリアに問うと釈然としない表情を浮かべる。
「何か良く分かんないんだけど、夢でお姉ちゃん? が話しかけてきたような……来てない様な。上手く言葉に出来ないけどそんな気がしたんだ」
セシリアは森での経験を思い返しながら小首を傾げる。
セシリアが森を発つ直前の夢。
ついぞその内容を思い出す事は出来なかったが、治癒院の前での独り言を思い出し、その違和感を取り除きたくてマリアに聞く。
「……えぇ、居ました」
「あ……」
悲し気に俯き、微笑むマリアの言葉にやってしまったとセシリアは慌てる。
「あー、うん! 居たんだね!! そっかそっかー! あ、それより聞いてよ私魔法が使えるようになったの! あと良く分かんないけど目も赤くなったし力も強くなったんだよ」
「ふふ。大丈夫ですよ、落ち着いて下さい。いつか話そうと思った事ですから」
無理やりすぎる話題転換と空気の入れ替えに慌てるセシリアに、マリアは苦笑を浮かべ落ち着かせる。
マリアはいつか話そうと思っていた事の一つを、セシリアに語る事を決める。
「初めて妊娠した時、お腹に身籠ったのは双子だったんです」
「それって……」
「残念ながらもう一人の子は、生まれてくる事は出来なかったですが」
死産。の二文字が浮かんだセシリアだったが、生まれてくる事すら無かったと聞いて、痛ましげにマリアの腹部を撫でる。
「ちょうどその時、色々あったから産む事すら難しいと思ってたんです。実際、セシリアも生まれた時は一度死んだんですよ?」
「え!? じゃあやっぱり私の所為で」
自分が転生したから本来のマリアの子供を……と自分を責めようとしたセシリアの頬をマリアの手が揉みしだく。
「そうじゃありません。元々その可能性が高い出産だったんです、それにセシリアはセシリアです」
「う、うん」
どうしても負い目を感じるセシリアに、マリアは時間を掛けてそれを取り払おうと微笑の中に伏せながら話を戻す。
「でですね、私は生まれてくる事の出来なかったもう一人の赤ちゃん、貴女のお姉ちゃんが自分の分まで生きて欲しいと願ってセシリアを助けたんだと、自分の分を託したんだと思ってます」
「どうして?」
「それは……」
マリアの視線がセシリアの影に向く。
その異形と化してる影に関係してるのだから、きちんと話すとなればそれに触れなければならない。だが話すとなれば全てを話さなければいけなくなる。
せめて今だけはまだセシリアには何も知らずに、平穏に過ごして欲しいと。いけないと分かっていながら後に回してしまう。
「母の勘です」
「……そっか……うん、そうだと良いな」
セシリアははぐらかされたと分かったが、マリアがそう言うならそれでいいだろうと頷く。
それ以上に、そう思った方が気持ちが楽だから。
「それより、私が眠ってる間のセシリアの事を教えてくれませんか?どうして魔法を手にしたのかとかボロボロなのは一体何なのかとか」
「うっ……怒ってる?」
「怒ってる訳ではありません。セシリアが私の為に色々してくれたんだとは分かっています。ええ、言いたい事はありますが過ぎたことですし、セシリアは聡明な子ですから言わずとも分かってるでしょう」
「お……お母さん?」
神妙な空気一転、マリアの静かな怒りを感じたセシリアは思わず冷や汗が背筋を伝わりながら後ずさる。
マリアがお説教をしようとした矢先、病室の扉が開かれる。
「やば! ちょっとごめん!」
「え? え?」
治癒院に入った事は秘密だと言われたのを思い出したセシリアは、反射的に目にも止まらぬ速さでマリアの布団の中に隠れる。
「大変申し訳ありません、今は職員の手が足りておらず対応がおざなりになってしまい」
「良いさ……朝早くから来たアタシ達も悪いからね。あの子の顔を見たら帰るよ」
「すみません。それでは失礼します」
カーテンの向こうから聞こえるトリシャと看護官のやり取り。
扉が閉じると二人の話し声が届く。
「トリシャ……」
「なぁあんた、どうしてあの子達ばっかりこんな目にあうんだい? マリアは起きないしセシリアも居なくなっちまった。アタシはマリアになんて言えば良いのさ、どうして神様はアタシ達年寄りじゃなくてあの子達にこんな事をさせたんだい」
「……そうだな、代われるものなら代わってやりたい」
二人の疲れの滲んだ声。トリシャは涙ぐみ、ガンドがその肩を抱く。
二人ともマリアが襲われたと聞いて血相を変えて駆け込み、その眠る姿に涙を流し、セシリアが消えた事で宿屋を閉じて街中を探し回っていた。
衛兵や顔なじみの客にも声を掛け、探すのを手伝って貰いながら今日まで探していたが、ついぞ見つからず絶望感だけが支配していた。
そんな様子をカーテン越しに聞くマリアたちは、顔を合わせて痛ましげに眉尻を下げる。
「セシリアは衛兵に任せよう、俺達が倒れたらそれこそおしまいだ」
「……そう、だね。何も出来ないけど、せめてマリアのお見舞いだけでもしっかりするっきゃないね」
トリシャ達の近づく足音が聞こえ、マリア達は慌てだす。
「ど、どうしましょ! こういう場合寝てた方が良いんでしょうか!?」
「い、いや起きてた方が良いでしょ! それより私こそどうしよ! トリシャさん達になにも言わず出て行っちゃった!」
「ま、不味いです! なんて顔したら良いんでしょか」
シャッとカーテンが引かれ、顔を寄せて話す二人は、目を見開くトリシャ達と目が合う。
「お、おはようございます?」
「おはよ?」
「あ……あ」
どんな顔をすればいいか分からず、にへらと不格好な笑顔を浮かべたマリア達に、トリシャは目尻にどんどん涙を蓄えふらふらと歩み寄る。
「マリア……セシリア……夢じゃ……無いのかい?」
呆然と手を伸ばすトリシャに、マリア達は一度顔を見合わせ笑顔を浮かべてそれぞれその手を取る。
手のひらから伝わる温もりが現実だとトリシャに教える。
それだけでトリシャは泣き崩れて二人を抱きしめる。
気付けば、ガンドも泣きながらトリシャ毎抱きしめていた。
「あぁマリア! セシリア! 心配ばっかかけて!!」
「ごめんなさいトリシャさん」
「ご心配をおかけしました」
「本当だよ!! 本当に……良かった、良かったよ。二人が無事で……」
「二人とも、無事でよかった」
二人の温もりと愛情に、マリア達は穏やかに目を閉じて抱き返す。
漸くあるべき形に戻れた。その場に居る誰もがそう思ってけっして離すまいと抱き合う。
充分すぎる時間抱き合うと、名残惜しそうにトリシャは離れ、笑顔で小皺の走る目尻に溜まった涙を払う。
「元気そうで安心した、マリアが倒れたって聞いた時はあたしゃ心臓が止まったかと思ったよ。この人なんて立ったまま気絶したし」
「あれは仕方の無い事だった」
「本当にご心配おかけしました」
マリアは二人に苦笑を返す。
その怪我の類を感じさせない様子に、トリシャ達は安堵の色を濃くする。
「良いんだよ、セシリアも無事で良かった。一体何処にいたんだい?」
「あ~え~っと……」
心配しながら聞くトリシャに、セシリアは曖昧な笑みを浮かべたまま視線を彷徨わせる。
その明らかな隠し事の反応に、トリシャは眉を顰める。
「まさか……」
「ギクッ!?」
トリシャの低くした声に肩を震わせる。
まだ何も言っていないのに、その反応だけでセシリアが何か事件に巻き込まれた訳では無く、自ら危険な事をしたんだと察する。
「マリアを助ける為に、そんなボロボロになる様な事を自らしたんじゃないだろうね」
「……うん、ごめんなさい」
傷こそ無いが身に纏った服は泥だらけでボロボロ。髪も乱れており、セシリアが何か危険を冒した事が推して図られる。
素直に謝った事は考慮すべきだが、トリシャはマリアに厳しい目を向ける。
「マリア」
「は、はい?」
「きちんと叱ったのかい」
「え、あ、いえ」
怒る事がまず無いマリア。今回も再開の喜びやセシリアの変化やらなんやらで、叱るといった事が頭から抜け落ちていた。
直前の怒りも叱るに発展したかと言えば、マリアはそこまでしようとは思っていなかった。
トリシャはそんなマリアの反応を、分かっていたとばかりにため息をつく。
そして、セシリアに向き合うと表情を険しくする。
「セシリア、歯を食いしばりな」
「え? っ!」
バシンッ!!
トリシャの荒れた手が、セシリアの頬を叩く乾いた音が病室に響く。
セシリアはどうして自分が叩かれたか理解してるだけに、じんじんと熱持つように痛む頬に堪えながら顔を背ける。
頬よりも、家族に叩かれた事による胸の痛みが痛かった。
「今回ばかりはちょっと怒ってるよ。あたしはね、自分を大事に出来ない子は嫌いなんだ」
「……」
トリシャはゆっくりとセシリアと目線を合わせて、目尻に涙を溜める真紅の瞳を見据える。
「母親の為に何かしようと行動できるのは偉いさ、大切に思うからこそ何かしようとしてるんだろう? でもね、子が親より先に死ぬなんて一番の親不孝を、あたしはセシリアにはして欲しくないのさ」
見ればトリシャは涙ぐんでいた。
更に三日三晩殆ど寝ずにセシリアを探していた為、濃い隈が浮かび身体の節々に小さな傷が浮かんでいる。
自分がどれだけ心配を掛けたのか、もしセシリアが出て行った時のまま傍にいる事を諦めていたら。セシリアは自分のしたことを痛感して申し訳なさで居た堪れなくなるが、それと同時にそれだけ心配してくれた事を嬉しくも思う。
「ごめんなさい……」
「マリアもだよ。甘やかしてばっかりじゃダメだ、大事に思ってるならきっちり叱る事も必要だよ」
「すいません……」
「……まぁ今回は仕方ないとしても。本当に……本当に無事でよかった……親子そろって心配してばっかかけて……」
涙ぐむトリシャに、マリア達は申し訳なさの滲む笑みを浮かべる。
血の繋がりなどなくともそれぞれがぞれぞれを心から思い、家族としての絆を持っていた。それをマリア達は肌で感じる。
「余りとやかく言うのは、この場にふさわしくないだろうから一言だけ……お帰り」
ガンドはトリシャの肩を抱きながら、二人に微笑みかける。
彼を知らない人なら分からない恐ろしい笑みだが、その眼には慈しみと温もりが滲んでいる。
「「ただいま(です)!!」」
二人は満面の笑みを浮かべる。
そんな二人の笑顔を見て、トリシャは一層涙ぐんでしまう。
本当に、本当に二人が無事で良かったと。
全員が落ち着いた頃、トリシャ達は長らく閉めていた宿を再開する為一足先に帰り支度をする。
去り際に、トリシャはマリアに抱きかかえられるセシリアの頭を撫でながら気になっていた事を聞く。
「セシリア、気になってたんだがその眼はどうしたんだい?」
「これ? 何か魔法を覚えたら変わったんだ」
「魔法?」
既に心の蟠りを全て吐き出し、マリアに抱かれながら温もりだけが身も心も支配してるセシリアは、眠た眼を擦りながら半ば眠り掛けている頭で会話する。
故に言わない方が良いであろうことまでぺらぺらと喋ってしまう。
「うん、禁忌の森に行って魔女って人に出会ったの。そしたらその人に魂を無理矢理覚醒したら魔法が使えるって言われて、それで頑張ったらこうなってお母さんを助けたの」
うつらうつらとしながらも、褒めて褒めてと表情を緩ませるセシリアの言葉に、その場の全員の時が止まった。
「禁忌の森?」
「魔女?」
「魂を無理無理覚醒、ですか?」
一番最初に我に返ったのはトリシャだった。
そうかいそうかい。と何度も何度も頷くと、にこ~っと笑みを浮かべる。しかし目が笑っておらず、セシリアは突然の背筋を這う寒気に反射的につむじを抑え覚醒する。
「セシリア……お説教だ、床に正座しな」
「え? え?」
助けを求める様にマリアを見上げるも、マリアも微笑んでいるが目は笑っておらず静かに首を振る。
ガンドもトリシャに追従するように頷いている。
「セシリア、お母さんもちょっと怒りました」
「俺は先に戻ってる。しっかりセシリアに叱ってやってくれ」
「へ……お、お手柔らかにお願いします」
にへら。と曖昧な笑みを浮かべたセシリアが、正座から解放されたのは数時間後の事だった。




