お母さんが大好き
毒の進行を抑える為、夢魔の魔法による強制的な睡眠に陥っていたマリアは、一種の植物状態に陥っていた。
身体は眠っており起き上がることは無いが、まるで幽体離脱でもしている様に、水面越しにマリアの周りで起こっている事を見聞きしていた。
(泣かないでください、セシリア)
セシリアが治癒士によってマリアの容態を聞いて居た時も、マリアはその様子を感じていた。
それからセシリアが森に赴いている間、マリアの元に様々な人が訪れていた。
トリシャとガンドは勿論の事、妖精の止まり木の客やラクネアの孤児院の子供も訪れていた。
誰も彼もが悲痛に顔を歪め、悔やんでいた。
治癒士に詰め寄る者、自らの伝手を使ってマリアを助ける為に尽力する者。
マリアは沢山の人のお見舞いに感動していたが、その間セシリアが一度も顔を出していない事で不安が押し寄せる。
(セシリア? 何処にいるんですか? 顔を見せてください、声を聞かせてください)
『マリア……どうしてこんな事に……』
『セシリアはどこに行った?』
『セシリアちゃん何処にもいません!!』
(どう言う事!? セシリア!! あの子は何処なんですか!!)
トリシャとガンドはそれを聞くなり病室から飛び出した。
マリアは意識は覚醒してるのに、身体が動かないというジレンマの中で自分の娘が消失した事に悲鳴を上げていた。
身を挺して守った筈の娘が消え、マリアはただ願う事しか出来なかった。
(…………あぁ……セシリア……何処にいるんですか……声を聞かせてください……傍にいてください……)
そんなマリアの意識が朧気になって来た頃に、マリアは温もりを感じる。
(これは……魔力? ただの魔力じゃない……まさか天使の魔力!?)
人間は魔力の違いまでは感じられない。
たがマリアにはその懐かしい魔力の波動に驚き、続いてゆっくりと水面に浮上する様に目が覚めた。
鶏の朝を告げる鳴き声と喧騒が届く中、マリアは真っ白な天井を見上げる。
身体を起こすと自分の身体に傷一つ無い事を、呆然と見下ろして知る。
「……セシリア……」
自分はあの時、重傷を負った上で身体が石の様に動かなくなった筈だ。
マリア自身、死を覚悟していた。
だがこうして穏やかに朝日を迎えられた事に呆け、傍でうつぶせに眠るセシリアのくたびれた様子に薄く目を見開くが、その姿を見て眉尻を下げる。
マリアの嫋やかな指が、セシリアの汗ばんで絡んだ髪を梳く。
傷の類は見えないが、頬には涙の痕が残り服装や髪形の荒れ具合から何かがあったのだろうと推測され、自分を治したのがセシリアだと直感的に理解する。
「セシリア……ごめんなさい」
その言葉は何を指したのか。
危険に晒した事か、娘を一人残して死にかけた事か、それともボロボロになってまでマリアを治した事か、はたまた魔力に天使の気配が滲んでいた事に関してか。
「もう貴女は、平穏な人生を歩むことは出来ないでしょう。それでも……私は貴女の娘です、お父さんと私の子です」
アリアは伸びるセシリアの影に翼が生えている事に、娘の運命を呪う。
これからやってくるであろう困難を思い、母親として最後までセシリアを守ろうと誓う。
「……おか……さん?」
マリアに頭を撫でられ、眠た眼を擦りながら身体を起こしたセシリアにマリアは、慈愛に満ちた天使の微笑を浮かべる。
「おはようございます、セシリア」
「おか……おかあさあぁぁぁん!!!!」
もう見れないと思った母の笑顔。
朝日に包まれるマリアに、セシリアは感極まりその腕の中に飛び込む。
「ごめんなさい、ごめんなさい!! おかあさん!」
「ごめんなさい、心配をかけて……」
流れる涙に嬉しさを、悲しみを、後悔を、あらゆる思いを滲ませ形の良い瞳から溢れさせながら親子は抱きしめあう。
セシリアはもう二度と得られないと思ったその温もりに心から安堵する。
マリアは娘を一人残して死ななくてよかったと涙を流す。
「お母さん……おかあさん……」
「セシリア……」
二人は絶対に離さないと、固く抱き合いながらいつまでも泣き合う。
何分だろうか、数十分にも感じられる時間を二人は抱き合い。目を真っ赤に泣き腫らしながら涙が出なくなるとお互いの抱擁が緩み、自然と向き合う。
セシリアはいの一番に言うべきだと、考えていた言葉を口にしようとするが、いざマリアを前にすると頭は真っ白になり口籠ってしまう。
「あ、あのね……わた……わたし……」
何から言うべきか。
危険に晒し守れなかった謝罪か、傍にいたいという懇願か、セシリアの前世の事―セシリアが隠していた真実―をか。
つっかえながら、ぐるぐると言葉が胸の中で混ぜ合わされセシリアは呼吸が荒くなってくる。
そんなセシリアをマリアは、優しい手つきで撫でる。
それだけで、セシリアは不安も恐怖も霧散してしまった。
「落ち着いて。ゆっくり、お母さんは傍にいますから」
マリアの鈴の鳴るような声がセシリアの心を落ち着かせ、凪の様な心持でセシリアは口を開く。
「私ね、お母さんの子供だけど……前世の記憶を持ってるんだ。赤の他人の子だったの、ずっと嘘ついてた、騙してたの」
セシリアは無意識にマリアの服を握る。
「気持ち悪いと思うかもしれない、本当のセシリアちゃんを殺しちゃったかもしれない。でも……私……お母さんと一緒に居たい! 捨てられたくない! お願いします! 嫌いにならないでください! 傍に居させてください!」
マリアの胸に顔を埋めながらセシリアは叫ぶ。なんと言われるか、どんな表情を浮かべているか。怖くて見られない。
暫く、静寂だけが二人を支配するが、マリアのため息が聞こえセシリアは肩を撥ねあげさせ、マリアの服を掴む手が緩む。
「良いですかセシリア」
マリアは、セシリアの両頬を包み無理やり目を合わせる。
マリアの空色の瞳がセシリアの真紅の瞳と交差する。
「例えセシリアが前世の記憶を持っていようと、セシリアはセシリアです。私がお腹を痛めで産んだただ一人の娘なんですよ」
「で、でも……セシリアちゃんを」
「確かに、もしかしたら元のセシリアの魂を塗りつぶして来たかもしれません。でも貴女は無理やりそうしたんですか?」
「してない! 何もしてないし、生まれ変わるなんて思ってもみなかった!」
マリアはふっと表情を和らげて、セシリアに微笑みかける。
「ならセシリアが気に病むことはありません」
「でも……」
「それに、例え前世の記憶があろうと、今日まで過ごした私達の日々は偽らざる事実でしょ? それともセシリアは私をお母さんだとは思わないんですか?」
「そんな事ない! お母さんは私のお母さんだよ! ……あ」
セシリアは思わずと言った風に否定する。
セシリアにとって生まれ変わってからの10年間はまさに夢の様に幸せで、一度たりとてマリアを母では無いと思ったことは無かった。
そしてそれはマリアも同じだった。
マリアもセシリアを身ごもってから今日まで、親子で過ごすその何でもない一日一日が、二人で作った思い出がかけがえのない思い出であった。
「でしょう? 私達は誰が何と言おうと親子なんです。貴女を身籠った時からそれは変わりません」
「じゃ、じゃあ。私はお母さんと一緒に居て良いの?」
「当たり前じゃないですか。お母さんは輿入れ以外で離れる事を許しませんよ」
震えながら、それでも自信の無さから問うセシリアに、マリアは少しばかり冗談めかして笑う。
「で、でもお母さんが怪我したのは私の所為だし、守れなかったし」
「悪いのはセシリアじゃなくてあの人たちです。それに守るだなんて、セシリアはまだ10歳なんですよ?」
「で、でも……」
「もう、仕方の無い子ですね……ちゅっ」
「んきゅ!?」
マリアがセシリアのおでこに唇を落とす。
柔らかな、瑞々しい唇がほんの僅かな瞬間だけセシリアの肌に触れ、リップ音をセシリアの鼓膜に響かせる。
おでこへのキスは親愛。
見返りを一切求めない無上の愛を示すもの。
目を見開いて見上げるセシリアに、マリアは微笑を浮かべる。
「家族だから、娘だからキスをするんですよ? セシリアは私が誰にでもキスをすると思いますか?」
「思わない思わないよ」
首をぶんぶんと振って否定する。
セシリアはもうマリアの言葉を欠片も疑ってはいない。
「じゃ、じゃあ……ママって… 呼んでも良い?」
セシリアに生まれ変わって初めての懇願。
マリアは何を今更? と思ったが、セシリアがそう呼ぶのはいつも不安に揺れるときだったと思い出し苦笑する。
「勿論、そっちの方が可愛いですしね」
「じゃ! ……」
喜色を浮かべるセシリアは、恥じらいで頬を赤く染めながらためらいがちに口を開く。
「ま……ママ」
「~~~私の娘が可愛すぎです!!」
「わっ! ふへへ」
恥じらいがちに、上目遣いで可愛く呼ばれマリアは感極まってセシリアを抱きしめる。
前世の事が邪魔をして呼べなかった事を、漸く呼べた喜びでセシリアははにかみ抱き返す。
「ふへへ。ママ、ママ! 私頑張ったよ!」
「よしよし、偉い偉い」
二人だけの幸せな時間。
邪魔する者は誰も居ない、お互いを失いかけた恐怖をかき消すかのように二人は抱擁を重ねる。
「ママ! もう一回キスして!」
「良いですよ、セシリアが望むなら何度だって、いつだってしてあげますね」
マリアはキスの嵐をセシリアに落とす。
それに、セシリアは本当にうれしそうな表情で満面の笑みを浮かべる。
その姿は、17歳の少女では無く、何処にでもいる母親が大好きな10歳の少女だった。
幸せだ。
セシリアは今日初めて、本当に心からマリアを母と呼べた気がした。
拒絶されなかった。否定されなかった。それだけが、セシリアの積年の憂いを断ち、今日初めて二人は本当の親子として固い絆を、魂を繋ぐ親子となった。




