正しい状態に戻す
月明かりは頭上の木々に遮られ、足元すら僅かにしか見えない闇の中をセシリアとアルは行きとは正反対に悠々と進む。
「先生から貰った、魔獣除けの聖水とこのルートだと本当に魔獣と遭遇しないんだな。暗いから足元に気を付けてな」
「大丈夫です」
アルは帰路に着く前、アイアスから受け取った魔獣除けの聖水と魔獣に遭遇しないルートを受け取り、その予想を上回る効果に感心する。
セシリアは自身の万能感と、真紅の瞳に代わってからの目の良さに内心嘆息していた。
(夜目……っていうんだっけ? 足元どころか木々の向こうまでハッキリと見える)
どうして自分の目の色が変わったのか、それについてはついぞ分からなかったが今は明らかに性能の高まった自分の目にほくそ笑んでしまう。
それだけでは無い。
セシリアは、自分の血液の流れの様に身体の中を何かが流れる感覚を覚える。
それが血液かと思えば、その流れを意識するとまるで大気に溶け込むような感覚で。本能的にそれが魔力であり、それを使う事で魔法を発動できるのだと理解する。
「おに……アルさん」
「ん? どうした?」
魔獣に襲われることも無く、過度に警戒をしている訳では無いセシリアはアルの名を初めて呼ぶ。
初めてセシリアが自分の名前を呼んだことに目を丸くするも、アルは周囲を警戒しながら耳を傾ける。
「ここまで連れてきてくれて……ありがとうございます」
セシリアがマリアを救える手段を手にできたのは、アルの助力が大きい。
始めは警戒しかなかった、今でも心から信用している訳では無い。それでも、セシリアはここまでのアルの行動を思い返し、礼儀として言うべきだと心からの礼を口にする。
気恥ずかしそうに、顔を背けながらそんな事をいうセシリアにアルは一瞬目を丸くし、苦笑する。
「礼を言われるような事では無いよ、結局助けられたのは俺だし魔法を手にしたのも君自身の努力だ」
アルは嘘偽りなくセシリアに告げる。
恐らくセシリアが居ようといなかろうと途中で魔獣に遭遇していただろうし、森林黒狼に襲われた時や水中でセシリアに助けられたのを忘れていなかった。
セシリアが死を覚悟で母親を救う為に、血涙を流して歯を食いしばったのを見ていた。
羨ましいと思っていた。
弱いくせに最後まで諦めず、親を思って死すら覚悟できるその心を眩しいと。
アルは無意識に胸元のペンダントを握りしめ、自分の過去を思い返す為に瞑目する。
一拍して目を開いたアルは、常に浮かべていた柔和な笑みを張り付ける。
「自分が嫌になる」
「……? 何か言いました?」
「いや、先を急ごう。いつ魔獣に遭遇するかわからない」
「そうですね」
アルの呟かれた声はセシリアに届かず、先を促され急ぐ。
セシリアには時間が無かった。
三日も経ってしまったのだ、今のセシリアの魔法をもってしても確実に治しきると言える自信は無かった。それでも、絶対に助けるという意思があった。
マリアを治して、謝って、一緒に居たいと伝えたかった。
「心配してるだろうなぁ、トリシャさん達」
マリアは眠っているから知らないだろう。だがトリシャ達は突然居なくなったセシリアを心配しているだろう、その姿がありありと思い浮かぶ。
拳骨一つでは収まらないだろうな、とセシリアはトリシャの拳骨を思い出してつむじを撫でてしまう。
トリシャ達にも謝りたかった。
心配をかけてしまった事、マリアを守れなかった事。
「お、街が見えて来たぞ」
「やっとついた」
幸いにして魔獣と遭遇する事も無く、二人は安堵のため息をついて見慣れた辺境の街の外壁を見上げる。
二人は強張った肩を解しながら門を潜る。
セシリアの知る門兵では無かったが、門兵はまだ幼いセシリアが深夜に森から出て来た事に顔を顰めるも、街に帰って来たのなら。とすんなりと通す。
「それじゃ、ここまでだ」
「お世話になりました」
月下の街道で、セシリアは腰を90度に折って頭を下げる。
同じ街に居ればまた会う事はあるだろう。だがセシリアもアルもわざわざ再開を約束しようとは思わなかった。
「うん、元気でね」
「アルさんも、お気をつけて」
そして確証はないが、いつかどこかでまた二人は出会えるような気がしていた。
だからこそ、二人は特に気負う事も無くまるで「また明日」とでも言うような気安さで背を向ける。
セシリアは月明りの中、マリアが眠る治癒院に向かってゆっくりと足を運ぶ。
一人になると様々な事を考えてしまう。
希望も、妄想も、不安も良い事も悪い事も何もかも取り留め無く考えてしまう。
マリアを本当に助けられるだろうか、助けた後はなんて言おう。
マリアに前世の事を話すべきだろうか、話したら気持ち悪がられるだろうか、もしそうなったらそれでもセシリアは傍に居続ける事が出来るだろうか。
「見ててねお姉ちゃん……あれ?」
治癒院の正面扉の前で足を止めたセシリアは、無意識に呟いた言葉に首を傾げる。
自分に姉なんて居ない筈だ、前世を含めて姉と思う相手も居なかった。
そしていつの間にか、愛衣とセシリアの声が聞こえなくなってる事に気付く。
「今はお母さんだけに集中しよう」
余計な事を考えるなと、頬を叩き気合を入れる。
ただマリアを救う事だけを考えろ。その為に森へ行ったのだから。
「ていうか、深夜だけど開いて……ないか」
セシリアは固く錠が掛けられた扉を前で腕を組む。
乗り越えようにも外門では無く、扉を覆う門ではそれも叶わない。他に出入り口を探す為に建物を一周するも芳しくない。
夜勤のスタッフがいる事を願って、ドアノッカーを叩く。
ゴンゴンッ。と音が鳴るが反応がない、焦る気持ちを抑えながらセシリアは二度三度ドアノッカーを叩く。
「はいはい! 居るよ!」
反応が返ってきてセシリアは安堵する。
扉の向こうから人の気配がして、のぞき窓が開かれると眠そうな女性が、不機嫌さがありありと浮かぶ眼差しで顔を出した。
「急患? 悪いけど今治癒士は居ないから、応急処置しかできないし割高だよ」
「あの、ここに入院してるお母さんに会いたいんです」
帰ってくれないかという気持ちがひしひしと伝わる女性の物言いに、セシリアが答えると「面会は日中だけだよ」と覗き窓を閉める。
だが今帰られては困ると、セシリアは扉に張り付いて懇願する。
「待ってください! 今じゃなきゃダメなんです! 今すぐお母さんを助けたいんです!!」
セシリアが懇願するも女性が帰ってくる気配はせず、どうしようも出来ず弱弱しく扉に縋りつく。
それでも、何度も何度もドアを叩いて一目会うだけで良いからと叫ぶも、女性が戸を開けてくれることは無い。
明日なんて待てない。
今すぐじゃなければだめなのだ。
一秒でも遅れてマリアを治しきれなかったらどうするんだ。
「お願いします!! 開けてください!!」
「うっさいな! 分かったよ!!」
その声と共にガチャガチャと扉が開かれる。
頭痛を堪える様に顔を顰めながら、女性は苛立たし気に扉を開く。
「ったく、こっちは4連勤目で死にそうだっての。病室に行って良いから、勝手に夜に入れた事は誰にも喋んない、朝まで病室から出ない。良い?」
「はい! ありがとうございます!」
「あー、大声出さないで。寝不足で頭痛いんだから」
鬱陶しそうに手を払う女性に頭を下げ、セシリアはマリアの待つ病室へ向かう。
そうしてマリアの眠る病室に辿り着くが、足が止まってしまう。
入っても良いだろうか、吹っ切れた筈であったのにと。無意識に身体が震えだす。
仮に治しても、恨み言を言われたらどうしよう。
そして、セシリアの秘密をすべて打ち明けて、拒絶されたらどうしよう。
「……今はお母さんを治す事だけを考えよう。拒絶された時はその時だ」
病室の扉に手を掛け、ベットで眠るマリアの元へ歩み寄る
「……ただいま、お母さん」
月明りが窓から差し込み、ベットで眠るマリアを照らす。
死んだように眠る姿は幻想的で美しく、状況とマリアの状態さえ鑑みなければ見惚れていただろう。
セシリアの手がマリアの罅が走っている頬を撫でる。
水気は無く柔らかさの代わりに、乾いた感触が伝わる。
それは生気が無いというべきか、半ば石を触っている様な感触でセシリアは唇を噛み締める。
「今助けるね」
セシリアは気合を入れ、マリアの豊かな谷間に右手を当てる。
「ふぅぅ……」
瞑目して自分の魂を意識する。
アイアスは魔法は願いだと言った。
セシリアは自身の魔法を、願いを意識する。
(私はお母さんを助けたい。お母さんの笑顔が好きだから、笑顔を浮かべられる正常な身体に戻す。あらゆる病だろうと傷だろうと絶対に治す奇跡を)
治癒ではない。もっと強力な、絶対に死なせない奇跡の御業。
肉体を、全てを正常な状態に戻す魔法。
心臓の向こう、魂に全身を流れる魔力を注ぎ込む。
魔法が起動した事が感覚的に分かる。
願え、イメージしろ。
マリアの笑顔を、正しい正常な身体を。時間が巻き戻るイメージを浮かべる。
「治れ」
呪文なんて無い。ただ願う。
加減なんてセシリアには分からない、故に自身の身体に満ちる全ての魔力を注ぎ込む。
瞬間、セシリアの身体から何かが流れ落ちる脱力感が襲い、マリアの身体を白い光が包む。
まるで逆再生の様に罅が収縮していく。マリアの肌に生気が戻り、小さすぎる呼吸は正常な寝息に代わる。
「治っ……た?」
セシリアは確実にマリアが治ったか確信が持てず、不安げに瞳が揺れる。
「あれ?」
初めて魔法を使った反動か、魔力を使いすぎた影響かセシリアは意識を保てなくなる。
必死で目をこすり堪えるが、気絶するようにセシリアはマリアに寄り添うように倒れ込む。
「お……かぁさん」
意識を手放す瞬間、セシリアはマリアの手に手を重ねる。その手は温かく、根拠も無く大丈夫だとセシリアは思った。




