悲鳴と血潮の中で輝く一つの光
薄暗い部屋、蝋燭の明かりだけが揺れる室内でセシリアは、自ら拘束具が敷かれたベットに腰を据える。
室内には家主であるアイアスとこれから手術を受けるセシリア、そして戸口に背を預ける様に二人を見守るアルの三人のみ。
「本当に良いのかい」
「構いません、お願いします」
「確認するようだが絶対に魔法を覚醒できる訳じゃない、寧ろ激痛の果てに死ぬ確率の方が高いって事は分かっているんだろうね」
「承知の上です」
アイアスはセシリアの返答に、不機嫌そうに眉を寄せている顔を更に顰める。
提案したのはアイアス自身だが、それでもこれから目の前の少女にする所業を思うと気が重くなる。
だがそれでも、勝算の無い賭けに出て森で無駄に命を落とすよりは、アイアスの提案の方がまだ僅かな希望がある。
そしてアイアス自身快く思わないが錬金術師としての性か、この実験の結果の先を見てみたいと思ってしまう。
それほどに、今からセシリアに施す手術は危険であり価値のある物なのだ。
「……ならこれを飲みな」
アイアスがセシリアに手渡したのは、紫色の粘性の飲料かどうかも怪しいコップ。
鼻を突く刺激臭でセシリアは涙が滲むも、必要な事だとアイアスに促され生唾を呑み冷や汗を流しながら腹をくくる。
「っ!? っえ!!」
「吐くんじゃないよ」
「~~~~~~~~~~~~~!!!」
セシリアの腔内を蹂躙する強烈な痛み。
苦いや辛いという味覚を超え、痛みすら訴えるそれはドロドロと最悪ののど越しで、セシリアは戻しそうになるのを必死で抑えて呷る。
(無理無理無理!!!???)
心の中で弱音を吐きながら必死で飲み干す。全身の汗腺が開き脂汗が滲み余りの味に目が血走る。
飲む。というよりは押し込むといった表現が適切だと思えるような形相で、セシリアは必死にその飲みにくい液体を飲み干す。
「うっ!? ~~~~……の、飲みました……」
漸く全てを飲み干したセシリアは顔面蒼白になりえずきながらも、吐き出すのを堪える。
その様子は部屋の隅で見守るアルですら顔を引き攣らせる物で、セシリアは今程マリアが傍に居ない事を感謝した。
「よし、これで成功率は僅かだが上がる。まぁ気休めにはなるだろうね」
アイアスですら空のコップから発せられる異臭に顔を顰め、ゴミ箱に投げ捨てる。
セシリアが落ち着くのを待ち、多少マシになった所でセシリアに横になる様に告げる。
「今から私の魔法を使って無理やり魂に干渉する。その際激痛が全身を襲うだろうけど、上手くいけば魔法を覚醒できる、あんたは激痛の中で必死で願いな」
「何をですか?」
「心からの願いをさ。こんな魔法が欲しいとかあれがしたいなんて曖昧な物じゃない。復讐者が力を願うような、魂からの叫びさ」
拘束されながらセシリアは呆然と考える。
今の状況だけを考えるならあらゆる毒の解毒だろう。だがそれでは限定的すぎる、少なくともマリアがケガをした場合は……とここまで考えてはたと、セシリアは自分がこの先もマリアの傍にいる事を前提に考えているのに気付く。
妖精の止まり木を出るときは、マリアの傍から離れる事を考えていたと言うのにだ。
傲慢な自分に薄く笑みが浮かぶ。
「準備は良いかい」
「ふぅ……お願いします」
未だ考えは纏まっていなかったが、セシリアは虚勢を張って答える。
身体は小さく震え、唯一拘束していない左手でネックレスを握っていないと泣き出してしまいそうだった。
だがそれでも、セシリアは僅かな希望を願いながらアイアスに答える。
「それじゃ。行くよ」
アイアスの手がセシリアの胸に当てられる。
緊張に強張るセシリアは、アイアスの手の平から伝わる温もりに一瞬安堵するが、直後何かが身体に入り込む異物感に襲われる。
直接骨を、心臓を、血管を撫でられるうすら寒い感触。強烈な不快感に顔を顰める。
「ふぅ、それじゃ歯を食いしばりな」
セシリアはアルから差し出された布を口に当て、舌を噛まない様に堪える。
胸を侵食する異物感が一層強くなると、何か。心臓とは別の身体の奥深くの何かを掴まれた様な感覚と一瞬の浮遊感が襲う。
(これが……たまし)
「嗚呼あああああああああああああああああああ!!!!!?????」
それが自分の魂だと知覚した瞬間、全身を内側から切り裂かれた様な激痛がセシリアを襲う。
まるで毛細血管全てにカミソリが通るような激痛、小さな虫がセシリアの身体を食い破るような不快感、鈍器で骨を一本一本叩き潰すような衝撃。
ありとあらゆる激痛がセシリアの身体を襲い脳を侵食する。
「なっ……! これは……」
突然目を見開いたアイアスは、何かに気づき顔を顰めるも今手を離したら確実にセシリアが死ぬだろうとそれを頭の片隅に置く。
アイアスは一層、気合の入った様子で魔法を行使する
「セシリアちゃん! 負けるな!! 願え! 君は何しにここまで来た!!」
異常な程脂汗を流すアイアスの横で、アルの激励が飛ぶ。
セシリアは激痛で朦朧とする意識の中で、不思議とその言葉が鮮明に聞こえていた。
最も、気絶した瞬間に激痛で目が覚める。という地獄を数秒間に何十回と繰り返しているセシリアに、何かを考える余裕なんて無い。
「ぐうううぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」
激痛に噛み締めた顎は布をすりつぶし、セシリアの未だ若い歯に何本も罅が入る。
黄泉に片足を浸す激痛の中、セシリアの脳裏に再び愛衣とセシリアが浮かび上がる。
その二人の顔を前にして、激痛に悶えるセシリアの中で何かが弾ける音がした。
『そこまでして助けたいと本気で思ってる?』
『本気で思ってるなら、どうして初めからそうしなかったの』
(うるさい!! 何も出来ないお前達は黙ってろ!!)
激痛がセシリアが心を裸にする。
虚栄も後悔も怒りも何もかも、余計な物を取り払う。
生まれて初めて、セシリアは本当の意味で自分ですら知覚していなかった本音と向き合い、今まで固く蓋をして目を逸らしていた思いを吐き出す。
『私は貴女だよ? 私が何も出来ないのは貴女が何も出来ないからでしょ?』
『私を殺してお母さんの子になった癖に、どう? 他人の魂を殺して得た泡沫の幸せは』
(黙れ!! 私がそうした訳じゃない! 何も出来ないからこうしているんだろ!!)
とうとう、セシリアは奥歯をかみ砕いて血の涙を流す。
その姿に思わずアルは不安げにアイアスに中止するように提言しようとするが、セシリアの目が死んでいない事を見て考え直す。
『そうやって他人の所為にするんだ』
『だから? そんな事を言った所で他の人が納得するとでも? お母さんが許してくれると?』
(許さないとか許すとか! どうでも良い!! 私は!!!)
セシリアの脳裏にマリアの笑顔が浮かぶ。
物珍しい物を見て子供の様に目を輝かせるマリア、小さな子供と一緒に宿屋に来る男達に悪戯を仕掛けトリシャに怒られて不格好に笑うマリア、セシリアを心から案じているが故に厳しく叱るも最後には苦笑を浮かべるマリア、そして。
(いつも私を愛してくれるお母さんのあの笑顔が好き!!)
誰よりも輝いていて、どんな物よりも価値があって、欲しくて欲しくてたまらなかったその笑顔。
それさえあれば他はどうでも良かった。マリアが笑いかけてくれる、それだけがセシリアの心を満たしていた。
マリアには傷一つ、病の欠片も負って欲しくない。常に元気でいて欲しい。
他には何も望まない。ただマリアが健やかに生きて、セシリアにあの慈しむ笑顔を向けてくれれば満足であった。
『そんな資格があるの? 誰の所為でマリアさんが死にかけてると思ってるの』
『貴女がお母さんを愛してようと、貴女が原因でお母さんが傷ついた事実は消えないよ』
直前のアルの独白が思い返される。
アルの母親は望まぬ子ですら命を賭けて守り慈しんだ、セシリアはマリアが同じ気持ちであったと信じた。
マリアがセシリアの魂が別人だとしても、愛してくれない事があるのか、そんな事は無いと、愛してくれる筈だと信じたかった 。
例えそれでマリアがセシリアを拒絶しても、ただ一人の娘であるセシリアが、母親を信じなくてどうする。
(許されなくて良い! 資格なんて無くて良い!! 私はお母さんの娘で!! お母さんは私のお母さんなんだ!! 絶対に! 二度と!! 離さない!!)
二人の姿が歪んで薄れていく。
消えたと思えば憎きダキナの姿に変わり、嘲笑を浮かべ見下ろしている。
『好きだっていうけど、貴女はマリアの娘だけど別人だよね? 嘘をつき続けてるよね? そんなんで好きだって言えるの? 弱っちいセシリアちゃん?』
その言葉がセシリアの一番柔らかい部分を抉る。
一瞬、死を幻視したがセシリアはもう一本歯を噛み砕いて血反吐を吐く。
「知るかぁぁぁぁ!!!!!!!」
突然叫んだセシリアに、アイアスもアルも目を見開いて驚く。
そんな二人を気にする余裕なんて無いセシリアは今生、生れ落ちてから今日までの貯め込んでいた、否、前世の頃から言えなかった事をすべて吐き出す。
「皆だいっきらいなんだよ!! 中途半端に優しいお父さんも!! 自分勝手なお母さんも!! うじうじとしてるお前も!!!!」
吠える。
血の涙を流しながら最後まで口にできなかった慟哭を上げる。
愛衣だった頃の全てが嫌いだ。
仕事を優先しすぎて家庭が崩壊したのに改善しきれないで、悔やんでる癖に中途半端な優しさを向ける父親のそれが煩わしくて嫌いだった。
自分勝手に生きて、勝手に苦しんで愛している癖に何も信じず何もかもを捨て、どこまでも自分の事しか考えてなかった母親が嫌いだった。
愛衣の事を知ろうともせず、勝手に自分の理想を張り付けて決して手を差し出してくれなかったクラスメイト達が嫌いだった。
うじうじと何時までも悩んで、殻に引きこもって自分を蔑み、自分から一歩を踏み出す勇気も無かった愛衣が嫌いだった。
愛衣の思い出を血の濁流が呑みこんでいく。
幸せだったはずの記憶も、暖かったはずの思い出も何もかも。
手を差し伸べて笑顔を向けてくれた人が居る。
だがそれが誰かはセシリアにはもうわからない。どんどん朧げになり記憶の彼方に沈んでいく。
肉体と魂を限界を超えるまで痛めつけられ、生存本能を刺激されたセシリアは生への執着と母を求める欲求だけが支配する。
誰が悪い! 弱いお前が悪い!!
弱いからマリアを守れない!! 弱いお前なんて死んでしまえ!!
マリアの居ない人生に意味なんて無い!! 絶対に死なせない!!
殺せ!! 死んでも死なない!!
弱い自分への殺意とマリアを絶対に死なせないという強欲が、歪な形を成した願いがセシリアの魂を変質させる。
『その程度で変われるつもり? 人間一度死んだ程度では本質は変わらないよ』
「知らねぇぇ!! 弱虫で!! 愚かで!! 甘さしか無い私でも! お母さんと一緒に生きたい!! この思いだけは嘘じゃない!!」
魂から吠える。
「何てことだい……」
アイアスは自身の手の中で魂が変質し、魔法に覚醒するその瞬間に慄く。
何処までも強大で、それでいて驚くほどに純粋な願い。
死にたくない、死なせたくない。その叫びがアイアスは自身の魔法を通じて魂で感じる。
「セシリアちゃん……」
アルは転心する少女に天使と悪魔を幻視する。
天使の様な美しさと悪魔の様な凶悪さが、その少女に被さって見える。
まるで、人間が天使か悪魔のどちらかに変わろうとしているかのように。
『それでも拒絶されたらどうするつもり?諦めて離れる?』
「嫌だ!! 一緒に居たい!! 離れたくない!!」
もう一人は嫌だ。
泣きたくない、後悔したくない。
例え拒絶されたとしても、みっともなく縋りついてでも離れたくない。
孤独の辛さを前世で死ぬほど味わった。愛を渇望する痛みならだれよりも知っている。
マリアさえいればいい、他は要らない。
マリアを守れるだけの力が欲しい。
マリアを二度と傷つけられたくない、死なせない。
『あっそ、なら好きにしたら? でも忘れないでね、世界は優しくない。常に死と隣り合わせの薄氷の上で誰もが生きてるって』
ダリアはそう言って嘲笑を浮かべながら消えていく。
「成功だ……」
「おい! セシリアちゃん!! しっかりしろ!! 死ぬな!」
アイアスの手が離れる感覚と共に痛みが引いていく。
が、それと同時に精魂尽き果てたセシリアは、皮肉にも激痛によって保っていた意識が薄れかかる。
「ひゅー……かひゅー」
薄れゆく意識の中、セシリアはありとあらゆる穴から血を流しながら自分の中で何かが変わった感覚に笑みを浮かべる。
(ざまぁみろ、前世。私は……変わるんだ……)
セシリアの中で愛衣は死んだ。そう思ったらセシリアは不思議と心が梳いた、僅かに刺さるささくれを残して。




