強く願え、それが魔法だ
「はぁ~……いつかそうなるとは思ってたけど、予想より早かったね」
アイアスは始め目を薄く見開いたが、そこまで大きな反応は見せず落胆の色が強く浮かぶかのようにため息をつく。
「えぇ、陛下や宮廷魔法士長もまだまだ先という見解でしたが、どうやら不心得のある者が小突いた様で」
「どうせくだらない権力欲だろう? 全く、あれは人間が御せるような物じゃないってのに」
「えぇ、下手人は既に拘束しましたが封印に綻びが入ってしまい……もって5年らしいです」
セシリアは真剣な表情で話す二人の傍で、肩を縮こまらせて温くなって来たお茶を啜る。
(あれ? 何か私、蚊帳の外でまったく訳わからない話してるけど、これはいったい何の時間?)
そんなセシリアを置いて二人は会話を続ける。
「それで封印の術式に関して先生に連絡を取ろうとしていたんですが、気づいて貰えず」
「あぁ悪いね、最近森の様子がおかしくて探っていてね」
「……黒龍に関係が?」
「いや、それとは別さ。ただ魔界の気配はしたね」
「まさか! ……いや、それなら辻褄が合う」
セシリアはいつ口を挟むか考えていた。一刻も早くマリアを救う為に行動したいが、無遠慮が過ぎて追い出されたは敵わない、黙って成り行きを見守る。
口に手を運んで考え込んだアルに、アイアスは片眉を上げる。
「何か知ってるのかい?」
「……黒龍を起こした下手人なんですが、しがない子爵家だったんです」
「……それはおかしいね」
「えぇ、黒龍は皇族と建国から成る公爵以上の地位の者が徹底して監視してます。始めはいずれかの公爵家の手引きを疑っていたのですが」
「悪魔の助力を得たとなれば、監視の目を掻い潜るのも出来るかもしれないね」
これは自分が聞いても良い話なのだろうか? と疑問に思いつつも、漸く話が切れた所でセシリアは声を上げる。
ここで二人はセシリアの存在を失念していたかのように目を瞬かせる。
「あ、ごめん。つい忘れてた」
「いえ、それは大丈夫です。それよりアイアスさん」
アイアスはセシリアの言いたいことを理解して眉を寄せる。
「ダメだね、教えた所で立ち入れない所だし私が立ち入らせない」
「だとしても!」
「大方! 家族が病気とかで、死んでも良いって思って来たんだろ?」
あっさりと見抜かれてセシリア悔しそうに俯きながら浮いた腰を下ろす。
「……どうしたもんかねぇ」
「代案は無いんですか?」
ここで無理やりセシリアを街に返した所で直ぐに森に入るのは明白、それならいっそ教えてしまおうかとも思ったが、アイアスは自身が唯一足を踏み入れる事の出来ない場所の秘匿性を思い出して即座に却下する。
助け舟を出したアルをアイアスは睨みつける。
セシリアはアルの事を掴み切れなかった。
セシリアを突き放していたと思えば手を差し伸べ、身を挺してセシリアを守っていた。
結果的に、アルが帝国の皇子でなにやら大事な事をアイアスと話していた事だけは分かったが、だからと言って矛盾を感じるアルの行動が、セシリアには不信感をぬぐい切れない。
アイアスは腕を組みながら指を叩く。
「エリクシールの花が欲しいってことは、助けたい人は病気か何かなのかい?」
「え? ……あ、はい。解毒できない毒みたいなのらしくて」
「なんて毒なんだい」
「え……と、確かバジリスクの毒と神経系の複合毒らしいです」
「猶予は?」
「……半月……完治するには数日です」
マリアの容態を思い出して消沈するセシリアを横目に、アイアスは唇を尖らせる。
「私の本職は錬金術だから、専門の人間が匙を投げる毒にエリクシールも無くどうこうする術を私は持ってない」
「……」
「それにエリクシールの花があるであろう場所は、私ですら入る事は許されない。もし入れば森だけじゃなくカルテルにまで被害が及ぶかもしれないからね」
黙して答えないセシリアを痛ましげに見ながら、アイアスは考え込む。
「……一つだけ、方法がなくも無い」
「ほんとですか!?」
「落ち着きな、期待なんて出来るもんじゃないよ」
セシリアは興奮を抑えられなかった。
例えそれがどれだけ勝算が無かろうと、元々エリクシールの花ですら希望の欠片だったのだ、期待できないと言われたところで今更消沈したりしない。
「早く! 早く教えてください! 時間がないんです!!」
「落ち着きな、聞き分けの無い子は嫌いだよ」
「そうだよ、一旦冷静になった方が良い」
二人に窘められてセシリアは興奮冷めやらぬ様子で腰を落ち着かせるが、それでもアイアスの二の言葉を今か今かと待っている。
苦々しい顔でアイアスは逡巡するが、やがて諦めた様にため息を吐いて懐から一本の試験管を取り出す。
「魔法が何なのかは知ってるかい」
突然の質問にセシリアは首を傾げながらも、アイアスがしっかりとセシリアの目を見据えてる為答える。
「えっと、人類の魂に刻まれた潜在能力を形にしたもの……だったかな?」
セシリアは嘗て学び舎で教わった事を思い出す。
残念ながらセシリアは魔法を使えなかったが、マリアとの生活で満足していた為そこまで気にしたことは無かった。
「そう、魔法ってのは誰しもの心に宿る物だが誰もが使える物って訳でも無い。先天的に使える様になるのが殆どで、後天的に目覚める場合は命の危機に瀕した時ばかりなのさ」
それもセシリアは覚えがあった。
亜人人種問わず人は誰しも魔力と呼ばれる、エネルギーを操作することが出来る。
それを使って魔道具と呼ばれる道具を操作したりする。
魔力は扱えるが、魔法を使えない人も多い。
だが魔法を使う為には緻密な魔力の操作が必要であり、魔法に目覚めた者は必ず専門家の監修の元魔力操作の練習をする事を義務付けられている。
「そして魔法の中には希少魔法と呼ばれる物がある」
それも学校で教わる事。
希少魔法。
例えば火や水を操る魔法はそれなりに一般的ではあるが、他に強力であり唯一無二の魔法が存在する。
かつて人類を魔界より侵攻してきた悪魔達から守った勇者ブレイドの使うその力が、最たる例だと言われている。
セシリアは見たことは無いが、希少魔法の中には星すら滅ぼす魔法が存在していると言われている。
「私の魔法は物質への干渉。無機物有機物問わず、それに干渉し変質させる」
アイアスの手の中の試験管に入った水の色が、透明から赤、赤から青等鮮やかに変わっていく。
呪文を唱えた訳でも無い、試験管を眺めながら一瞥しただけだ。
セシリアはその試験管の鮮やかさに目を奪われる。
「私の魔法を使ってアンタの魔法を呼び起こす。運が良ければ病気を治す希少魔法が生まれるかもしれない、悪ければ」
そこでアイアスは言葉を切ると、やや逡巡しながら口を開く。
「死ぬだろうね」
セシリアは思ったよりショックを受けなかった事に内心驚いた。
元々死んでも良いと破滅願望すらあったのが幸いしたのか、それともそれを受けいれて尚マリアを助けたいと思ってるからか。
脳裏に刻まれたマリアの姿を思い出し、セシリアは一息深呼吸をする。
「構いません、お母さんを助けられるなら何だってします」
「……そうかい」
アイアスはセシリアの鋭い目を見据えると、ため息を一つ吐いて立ち上がる。
答えを間違えた!? と手を伸ばすセシリアに背を向けたまま、アイアスは扉に手を掛ける。
「その子は任せたよ」
「ふふ、相変わらずの人の好さですね」
肩越しにアルを睨みつけるアイアスは、やや乱暴に扉を閉めると騒々しく去っていく。
「大丈夫ですよ、先生は口は悪いですけど人一倍お人好しですから」
不安そうに瞳を揺らすセシリアをアルが落ち着かせるが、セシリアの不安は晴れない。
魔法を覚醒させると言っていたが、一体何をされるのか。覚悟はしたが怖くないわけではない。
「……はい」
しおらしい態度のセシリアにアルは苦笑すると、洗礼された仕草で空になったセシリアのコップに新しいお茶を注ぐ。
「以前、先生に言われた事なんだが」
突然のアルの独白にセシリアは小首を傾げながら傾聴する。
アルはお茶に口を付けるとその味に顔を顰め、コップを置き思い出を懐かしむように虚空を眺める。
「魔法ってのは魂を形にしたものだからこそ、魔法を手にしたいなら強い想いが必要だって」
「想い?」
セシリアにとって想いとは何だろうか。
マリアを救う事が第一だ。
だが今回マリアを救った所でその後は? 例えばの話マリアを救う為にあらゆる毒を浄化する魔法を得たとして、もしこの先毒以外の重傷を負えば? 死に瀕する様な外傷を負った場合解毒の魔法を持ったとしても、今回と同じ状況になってしまうだろう。
なら治癒魔法?
それも却下だ。
治癒魔法は対象の自然治癒力を活性化させる程度のもの、重傷者には薬と外科手術を併用して行われるのが常だ。それに比較的少ないだけで、希少魔法とは言えない程度には数が居る。
「魂なんて不確かな物だからこそ、それを確たる物に昇華させる為には良くも悪くも尋常ならざる想いを抱く必要があるんだ。嘘偽りない、心からの願いをね」
「……お兄さんはそれで魔法を手にしたんですか?」
アルはセシリアの質問に寂しそうな笑みを浮かべる。
「昔、まだ俺が君くらいの頃、母が殺されるのを目の前で見ていたんだ」
親が目の前で殺された。それはセシリアと似た境遇で、セシリア自身あと数日もすればアルと同じになるだろう。
「俺の母は陛下の愛妾だったんだ。吹けば飛ぶような男爵家の一人娘だったんだが美しい人でね、偶々視察に来た陛下に見初められて誘拐同然に後宮に連れ去られたんだ」
セシリアはそこではたと気付く。
笑顔こそ浮かべているがその眼は笑っておらず、小さく震える手で血が滲むほど強く手が握られている。
アル自身、昔を思い出して腸が煮えかえっているのを努めて冷静さを保つ。
彼にとってセシリアに話したと事で益体の無い事だろう。だが、何故だかセシリアに話しておきたいと思った。
「後宮は、いや貴族社会というのはただ美しいだけの母が生きていくには厳しすぎた。それでいて陛下の寵厚い母を他の寵姫達は心底恨んだらしい」
セシリアには想像もつかない世界。前世の知識にはそう言った物はあったが、それでもアルの気持ちに共感も理解も出来はしない。
ただ黙ってセシリアはアルの独白に耳を傾ける。
「ある日、寵姫達の策略によって俺と母は賊に襲われたんだ。憎い男の子である筈の俺を捨て置けば生き延びられただろうに、あの人は命尽きるその時まで俺を守り笑顔を浮かべていた。心底理解できなかったよ、どうしてそこまでして俺を守ろうとしたのか」
セシリアはマリアと共に襲われた時の事を思い出して無意識に胸元のネックレスを握りしめていた。
アルとセシリア、二人の母親の思いは同じであっただろう。
「『例え誰との子であろうと、アルは私がお腹を痛めて産んだ子だから』だってさ。馬鹿だよな。結局、母は死に俺だけ生き残った。俺が死にゆく母を救いたいと願っても、守る力が欲しいと願っても魔法を覚醒することは出来なかった」
疲れた様に息を吐くアルは冷めきったお茶で唇を潤わす。
「恐らく、先生がやろうとしてる事は想像を絶する苦痛を齎すと思う。君はそれでもやるつもりなのかい? 大人しく残り少ない時間を、母親と過ごした方が良いんじゃないか?」
それはアルが求めていた穏やかな母子の時間。だれよりもその時間の尊さが理解できるからこそ、心からセシリアに告げる。
それも悪くないだろう。
何もかもから逃げて、耳を塞いで目を閉じる。そして儚くも尊い僅かな時間を過ごす。
前世のまま、セシリアとの思い出が無ければ恐らくそうしていただろう。
だが、セシリアは愛衣であり、既に愛衣では無い。
失う辛さも恐怖も知っている。幸せの喜びも知っている。温もりを忘れられない。
それを失いたくないからこそセシリアは今ここに立っていて、嫌われたくないからこそ断腸の思いでマリアの元を去る事を決めていた。
「嫌だ、お母さんを助けられないなら死んだ方がマシ。お母さんにはいつまでも笑っていて欲しい、例えそこに私の居場所が無くても」
「……そうか」
アルは母親が救われたとしても、傍に娘が居なかったら決して笑う事は無いだろうと思う。だがそれを今のセシリアに言った所で本当の意味で通じることは無いだろう。
手のかかる妹を見る様な目でアルは苦笑する。
「先生の準備が出来るまで休むと良い。少しでも体力を戻さないと持たないだろうからな」
「……そうですね」
「最後に」
アルは立ち去るセシリアを呼び止める。
「余計な事は考えるな、自分の本音に向き合うんだ」
「……はい」
セシリアの内心を見透かすように語られたアルの言葉に、顔を背けて部屋を後にする。
部屋から出るセシリアの背を見送りながら、アルは胸元のペンダントを取り出す。
「母さん、俺は間違ってないよな?」
その言葉に答えが返ってくることは無く、アルは痛みの滲む穏やかな表情で美しい女性が赤子を抱える姿絵を眺める。




