弱肉強食
「はぁ、はぁ……くっそ、やっぱりキツイな」
青年は薄暗い森の中、最早自分の半身とも言える無骨な片手直剣を右手に構え、迫りくる俊敏な狼達を相手に息を切らしながらその腕を振るう。
剣筋は流水の様に美しく、明らかにどこかの流派に依るものだと分かるその剣は並みの魔獣や人間なら致命の一撃だろう。
だが青年達を囲う狼は、空を蹴るという予想外の回避方法を取りその一撃を避ける。
またこれだ。
青年は息を整えながら、悪化の一途を辿る現状に歯噛みする。
「せめてこの子が起きててくれれば……いや、これも俺の所為か」
青年は自分の背に背負うセシリアを一瞥し思わず文句を呟いてしまうが、この状況に陥った原因の一端を自分も担っている事を思い出して被りを振る。
禁忌の森のB級以上が立ち入ることを許される深部。
少し前にそこに立ち入った二人は、魔獣との遭遇を極力回避し慎重に先へ進んでいた。何処にあるかも分からない幻の花を求めて。
そんな折、セシリアが湖の傍に咲く一輪の花を見つけた。
遠目からでは目的の花かどうかを判別できない為、青年が確認する事を提言し実行した。
そこまでは良かった。
慎重に近づいて確認した青年は、それを手に取ってセシリアの元に戻ろうとした。
が、ここで問題が発生してしまう。
その花はある魔獣と共生関係にあり、青年は花の共生相手である湖に住む鰐に襲われてしまう。
間一髪、セシリアの注意の声で噛み殺される事は避けれたが左肩を負傷してしまう。
必死でその場から離脱して応急処置を施すものの、花は目的のそれとは違く完全に徒労に終わってしまった。
左腕の怪我が致命傷では無い事を確認すると再び深部を進むことを決めるのだが、青年の血の匂いに惹かれた森林黒狼と呼ばれる、全身が黒く集団で狩りをする1.5m程の大きさの森の狩人達に襲われてしまう。
この狼たちは常に集団で狩りを行い、そして風の魔法を操る事でA級冒険者達にとっては悪夢の様な存在となっている。
そんな魔獣たちに襲われセシリア達は奇襲を受け、その余波でセシリアは吹き飛ばされ木に頭を打ち付けてしまい。青年は気絶したセシリアを背負って逃げる事を強制される。
明らかに追い込まれているのが感じられる中、青年はセシリアを背に抱えた状態で、右手一本で度々牙を立て襲い掛かってくる狼達を迎え撃っていた。
「なぁ……君! 起きてくれ!」
青年は背負うセシリアに呼びかける。
ここで青年はお互いが自己紹介をしていない事を思い出し、この窮地を脱したら自己紹介しようと呑気に思う。
セシリアは青年の呼びかけに呻き声を上げ身じろぎし、鈍く痛む頭に顔を顰めながら目を覚ます。
「っ……!?」
「起きたか。悪いけど自分で走ってくれないか? 剣が振りにくい」
「あ、はい!」
逼迫した状況だと即座に理解し、走りながら青年の背から飛び降りたセシリアはもたつきつつも、何とか体勢を整え必死で青年の後に続く。
その間も森林黒狼達は定期的に、まるで体力と気力を削る事を目的とするかのように襲い掛かり、青年が振るう剣をギリギリで避け並走する群れに戻る。
「これ、不味くないですか!?」
「あぁ! 死ぬほど不味い!」
「何とか出来ないんですか!」
「なんとも出来ないな!!」
走りながら打開策を必死で探すも、セシリアは言わずもがな青年も状況を好転させれる様な策は思い浮かばす、ただ焦燥に暮れながら足を止めたら終わりだと走るのを止めない。
「はぁ、はぁ……」
「ぜぇ、ぜぇ……」
緊張の中走り続けた所為で青年もセシリアも体力の限界が早々に訪れ、息も絶え絶えに必死で歯を食いしばって走る。
「っ! 避けろ!」
「きゃっ!?」
その頃になると森林黒狼達の攻撃は鋭さを増し、隙あらば二人の首筋にその鋭い牙を突き立てようとしてくる。
青年の剣も既に鋭さを欠き、セシリアは身体に幾つもの裂傷を作りながら紙一重で避け続ける。
徐々に、体力と気力を削られじわじわと確実に獲物であるセシリア達のその肉に食らいつこうとする森林黒狼達の攻撃に晒される。
「はぁ、ふぅ……聞いてくれ」
「ぜぇ……なんですっ危ない!」
「くそっ!」
青年が左手から迫る狼に鈍い一閃を放つも、それが狼の肉を裂くことは無くただ体力だけを浪費させられる。
「このままだと……確実に俺達は死ぬ」
「ぜぇ……そう、ですね」
自分がただの足手まといになっているセシリアは、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
せめて一対一ならまだやりようはあるのに。
一対多数の無謀な戦いをしようとする程愚かでは無いセシリアは、なまじ自分の膂力に自信があるだけに悔しい思いをする。
「賭けになるが、この先に渓谷と川がある。そこに飛び込めばあの狼達からは逃げられるんだろうが、確実に帰り道が分からなくなる」
セシリアは何故B級の青年がそれを? と疑問が浮かぶが逼迫した状況が余計な思考を許さず、その疑問を直ぐに振り払う。
今回の目的は目的の幻の花を手に入れ街に帰る事。だが現状では死ぬのも時間の問題だろう。
疲れて霞む頭でセシリアは、腹をくくる。
「それでも、今死ぬよりはマシです!」
「……分かった。こっちだ!」
青年はセシリアの鋭い目を見続ける事が出来ず視線を逸らすと、一気に反転し、乳酸の溜まり切った身体に鞭うつ。
森林黒狼達も逃がす気は一切なく、寧ろ狩りの締めに入ったのか攻撃のスパンが短くなる
苛烈極まる森林黒狼達の攻撃を何とか紙一重でいなし続けながら、森の中を駆けていると視界の先の木々の向こうが空いているのを見つける。
「あと少し! ……しまっ!?」
ゴールが見えた事で気が緩んでしまった隙を突かれた青年は、飛び掛かって来た一匹の森林黒狼に覆いかぶさられてしまう。
さらにその衝撃で剣が手元を離れ、青年は森林黒狼の岩すら穿いてしまいそうな犬歯を血を滲ませながら両手で抑え込む。
「ぉぉお……」
「お兄さん!」
「俺は良い!! 行けぇ!!」
顔を向ける余裕すらなく、脂汗を滲ませながら青年は大声で告げる。
セシリアは足を止めて逡巡してしまう。
信用なんて未だしていない。
だがここまで連れてきてくれたの事には感謝しているし、ここまでの青年の行動がセシリアには悪意を内包した嘘だとは思えなかった。
ここで見捨てれば目的を達成するための可能性は落ちるだろう、しかし裏切られる心配は無くなる。
時間は無い。今も他の狼達がセシリア達を襲おうとしている。
「くっそ! ふざけるな! 俺はこんな所で死ぬわけにはいかないんだ!!」
青年の叫びがセシリアを動かした。
「おおりゃぁぁぁぉ!!」
「キャウン!?」
セシリアは吹き飛ばされた青年の剣を拾い、身体ごとぶつかる様に、無様に青年の上に覆いかぶさる狼のどてっ腹に剣を突き立てる。
肉を裂く柔らかいのに固くもある嫌な感触。一瞬で広がる血の錆びついた嫌な臭い。顔に掛かる血飛沫の不快な温もり。
そのどれもがセシリアの気分を最低なものする。
「立って!」
「あ、あぁ」
息を荒げながら、吐き気に涙目になるセシリアは呆然と目を見開く青年に手を差し出すと、無理やり立ち上がらせ手を繋いだまま崖先へ走る。
切り立った崖先、下には川が流れているのが見える。
風が甲高い音を立て吹き抜ける中、二人は生唾を呑んで怯む。
その背後には森林黒狼達の群れが牙を立て唸りを上げている。
彼らが思うのは仲間を殺された憤りか、それとも人が家畜を殺すかの様に日々のルーチンワークたる作業感か、セシリア達に知る術はない。
しかし確実に分かるのは、今ここで覚悟を決めないと待っているのは死だけという事。
「……これは流石にちょっと怖いな」
「……でもやるしかないです」
「そうだな」
二人は覚悟を決め、一歩踏み出す。
青年は背を向けたまま中指を立て、セシリアは前世の知識を総動員して身体を一本の槍の様にし衝撃に備える。
強烈な風が全身を包み身体の芯から震えさせる。
迫る水面。
二人は目を瞑り衝撃に備える。
ドパンッ!
ドプン!
二つの入水音が渓谷に響き、セシリア達は平衡感覚すら失う水流に揉まれる。
「……ぶはぁっ!」
「ぷはぁっ!」
二人は水を吸って重い服に引っ張られながら必死で水面から顔を出す。
その間も流され、溺れそうになる身体を必死で動かして酸素を求める。
「この後は!」
「しらん! 何とかしてくれ!!」
二人は自分の事で精一杯ながらも、お互いの無事を祈って耐える。
「がばば……」
先に限界が来たのは青年だった。
度重なる戦闘による疲労、開く傷口による血液不足、そして軽装とはいえ装備による重さの所為で縺れる様に水面から姿を消す。
その姿を水に染みる視界の端で見つけたセシリアは、心の中で悪態をついて深く息を吸い潜水し、水中でもがく青年の元へなんとか泳ぐ。
気泡を口から溢れさせながら鎧を脱ごうと藻搔く青年の元へたどり着くと、セシリアは腰のナイフを取り出し、鎧を繋ぐ紐に刃を立てる。
水中による抵抗の所為で思う様に力が入らず、酸素が危うくなる焦燥に焦がれながらセシリアは必死でナイフを動かす。
がぱぁ……。と一際大きく青年が気泡を吐き出したと同時に、セシリアは胴鎧を繋ぐ紐を切る。
死体の様に動かなくなった青年の身体を支え、セシリアは水流に身を任せながら水面へ泳ぐ。
泳ぐ。
必死で泳ぐが水面に届かない。
セシリアの身体に纏わりつくように水が覆い、伸ばしても伸ばしてもその手が水面に届くことは無く、まるで引き摺り込まれるように暗い水底へ落ちていく。
(息が……! くる……し)
酸素を求める身体が激痛を訴え、苦悶の声を水中に気泡と共に溶け込ませる。
(お母さん……ごめんなさい……)
霞む視界中で伸ばした手の先に母の笑顔を幻視し、セシリアは後悔と共にその意識を暗闇の中に沈ませる。




