禁忌の森
「この森はおおよそ、全三層に分かれている。と言っても、それは別に明確に分かれている訳では無く生態系による区分けなんだ」
青年の先導の元、セシリアは周囲と青年に警戒しつつ草木覆う獣道を進む。
自然の中を歩き慣れていないセシリアは、早くも体力が削られているのを感じながら意識的に呼吸を深くして青年に追いつく。
そんなセシリアに気を遣いつつ、青年は剣で道を阻む枝木を刈り取りつつ先へ進む。
流石は冒険家と言うべきか、その足取りは軽やかで無骨な片手直剣を振り回しているその姿もブレは無く、素人のセシリアにもその姿は経験を感じられる。
青年は道すがら暇だからか、はたまたこの森の危険性を理解させるためにか禁忌の森に着いて説明をしだし、セシリアは息が荒れて来るのを感じながら耳を傾ける。
「まぁ、先輩冒険家達によってある程度視覚的にも区分けされてるけど所詮は気休め。基本的には地図や周囲の生態系に気を巡らして、深入りしすぎないようにするのがこの街の冒険家の常識なんだ」
おもむろに足を止めた青年が剣先で右手の樹を示す。
つられて視線を向けたセシリアは、その樹に黄色い塗料が線引くように塗られているのを視認する。
確かに人為的に区分けしている感はある。が青年の言うように、似た様な樹の多い森の中ではそれは埋もれてしまうだろう。
事実セシリアは指摘されるまで、それに気付かなかった。
「森の入り口付近は新米や認可を受けた一般人でも入れる程度の危険性だけど、此処からは違う。中堅か多少力があると認められた、所謂C級以上の冒険家しか入る事は出来ない、死と隣り合わせの場所なんだ」
セシリアはその言葉に生唾を呑み、ナイフを握る手が汗ばむ。
そして些か乾いた口を開いて青年に問いかける。
「貴方は強いんですか?」
「弱いとは思わないよ? ソロでB級にまで上がれたし」
級位がどれほどの物かは分からないが、少なくとも中堅として挙げられたCより高いとなるなら腕は立つのだろうとセシリアは思う。
そしてそんな人物がもし自分に牙を剥いたら、果たしてセシリアは太刀打ちできるのか? 嫌な汗が背を伝う。
そんなセシリアを気遣う素振りも無く、青年は歩みを再開し慌ててセシリアはその後を追う。
二人は言葉を交わすことも無く、魔獣に出会う事も無くただ道なき道を歩み続ける。
「……ふぅ、ふぅ」
「すこし休憩しようか」
「いえ、だいじょう―」
「いざ、魔獣と遭遇した時に満身創痍だと死ぬよ?」
「―……分かりました」
時間が惜しいセシリアは青年の提案を断ろうとするが、危険性を挙げられれば従う他ない。
みすみす死ぬつもりなんて欠片も無いのだから。
「……君、水も食料も無しで森に入ったの?」
「……すみません」
「はぁ~」
地面に座っても水分補給する様子の無いセシリアに、眉をひそめた青年はその姿を改めると軽装過ぎる事に気づき深いため息を吐く。
そして自分の背嚢から水袋を取り出し、セシリアに手渡す。
始めは警戒して固辞していたセシリアだが、青年が一口飲んだのを見るとおずおずとそれを受け取る。
「普通さ、森に入るって思ったらそれなりの装備をするものだろ? なのにナイフと着の身着で来るとか、自殺志願者そのものだよ」
「ぷはっ。すいません、焦ってたもので」
指摘され、冷静になるとセシリアは己の浅慮を恥じる。
宿屋を出るとき、セシリアは一種の破滅願望すらあったのが起因したのか、花を入れるリュックは背負っているにも関わらずその中は空であった。
冷静に考えれば、死にたいとは思うがそれはマリアを救ってからの話であって、マリアを救えずに死ぬつもりは毛頭なかった。
仮に青年の助力なく外に出られても、一人で森に踏み込めば待っていたのは確実な死であっただろう。
「まぁ、俺に感謝してゆっくり休むと良いよ。1分したら休憩は終わりだ」
「分かりました」
青年は水袋を受け取り立ち上がると、周囲の警戒の為セシリアから少し離れた位置に陣取る。
そんな青年をセシリアは探る様に見つめる。
人好きする笑顔を浮かべていた、端正な顔立ちの青年の顔にはその若い人生の苦労が刻まれたかの様に小さな細かい傷が幾つかあった。
軽装の鎧に包まれた身体は細いとは言えず、服の上からでも良く鍛えられているのが伺えた。
剣を腰に収める動作から、腰の剣に手を宛がいながら周囲を警戒する仕草も、一種の芸術を思わせる洗礼さがあり、愛衣だった頃の剣道を思い出す。
「休憩は終わりだ。このまま魔獣に遭遇しない内に距離を稼ごう」
「はい」
セシリアは青年に従い歩みを再開する。
汗を滲ませながら、小さな身体を懸命に動かして青年の背を追う。
「あの」
「どうした? 何かあったか?」
セシリアは足を止めずに、逡巡しつつも疑問に肩眉を上げる青年の目を見据える。
「……いえ、何でもないです」
「? まぁ良いか。君も周辺の警戒は怠らないでくれ」
「はい」
青年はセシリアが何を言おうとしたのか訝しんだか、既に青年にとっても危険な地域に足を踏み込んでいる為、直ぐに冒険家として意識に切り替える。
「とまれ!」
「!」
暫くの間、お互いは無言で進んでいたが、突然青年の厳しい制止の声が小さく響く。
腰を低くして厳しい表情を浮かべる青年。セシリアはその姿に慌てて倣う様に腰を低くして、青年の視線の先に目を向ける。
「ひっ…」
視線の先にはセシリアなど一口で呑みこんでしまいそうな、巨大な象の様な姿に一角を生やした魔獣が木々の間から漏れる陽の中で穏やかに鎮座していた。
その余りの大きさにセシリアは悲鳴を上げかけるが、青年の固い手がセシリアの内を覆う。
「あれは一角象竜。基本的には温厚な魔獣だから刺激しなければ脅威にはならない」
だから静かに。と言われてセシリアはコクコクと頷く。
「あれが居るってことはここら辺は比較的安全な筈、刺激しない様に通り抜けるよ」
「分かりました」
緊張に強張らせながらセシリアは青年の後を足音を立てない様に慎重に追う。
慎重に、わずかな足音すら立てない様に呼吸さえ抑えながら進むセシリアは、唐突に足を止めた。
その肩は震え、慄いている。
日光浴で微睡んでいた一角象竜の目が開かれ、その黒い瞳がセシリアを捉えている。
青年の言葉を信じるなら刺激しなければ問題ないのだろう、だが恐怖を覚えない訳が無い。
10歳のセシリアを遥かに超す、巨大な筋肉の塊の魔獣。
人間を殺す事に躊躇いを持つ事の無い獣その物、もし目の前の魔獣が気まぐれにセシリアを襲えば、どうする術も無いだろう。
息を吸うのも忘れて、その黒い瞳を凝視する。
(怖い……こわい!)
悪意も殺意も無い純粋な脅威。
自然の脅威に、純然たる恐怖を覚える。
一角象竜は震えるセシリアを敵とも、立ち上がる価値すらないと見たのか鼻息を噴いて目を閉じる。
それを見て、漸く息を吸えるようになる。
刺激しない様に、成り行きを見ていた青年はセシリアの手を引いてその場を離脱する。
「大丈夫か?」
「はぁぁ……っ、はい」
震えながら答える。
怖かった。危機から脱したと言うのに震えが止まらず、震える身体を抱きしめる。
そんなセシリアを、青年は震える背に手を当てあやす。
十分な時間を置いて落ち着くと、セシリアはバツの悪い顔をして立ち上がる。
「……すいません」
「別に良いさ、潰れてないんだから大したものだよ」
未だ少し膝は笑ってはいるが、確かに立つセシリアに青年は感心したように笑い、歩み出す。
「俺が初めて魔獣に出会った時なんて、悲鳴を上げて泣き叫んだもんだよ」
苦笑しながら先行する青年の気遣いにセシリアは黙して答えないが、その気遣いに内心感謝しながら先を目指す。
「もし、あの程度の魔獣相手に悲鳴を上げているようだったら、気絶さしてでも街に連れ戻すつもりだったけど、それも愛がなせる物なのかな?」
相も変わらずセシリアは青年の軽口に沈黙を返す。
(愛……私にそれを抱く資格なんて無い)
それに答えられなかったのは、セシリアの弱さによる物だからか。
自己嫌悪による否定を頭がよぎるが、それを口にするのは心に秘めた本音が阻まれた様に思われ、セシリアは被りを振って意識を切り替える。
既にいつ危険な魔獣と会敵してもおかしくないのだ、マリアを救うと言う目的のために、セシリアは険しい顔つきで周囲に気の警戒をしながら青年の後を追う。
青年は先行しつつも、セシリアの危うさすら感じられる覚悟に少しだけ眉尻を下げ、剣の柄に手を宛がい、目の前に赤い塗料で線が引かれた樹を見つけると顔を緊張で強張らせる。
「さて、ここからはB級以上の冒険者だけが入る事を許可される本当の魔境だ。ここから先は一歩間違えれば俺も君も確実な死が待っている」
その脅し文句にセシリアは生唾を呑み、先の一角象竜をおもいだして身震いするが、決意に満ちた目で青年を見据える。
「今ならまだ引き返せるけど、それでも行くつもり?」
「当り前です」
セシリアの答えに、青年は頷くと一息深呼吸して剣の柄を強く握りしめる。
「それじゃ行こうか、小さな勇者様」
「……よろしくお願いします、お兄さん」
セシリアは、此処まで連れてきてくれた事に対する感謝と申し訳なさを抱きつつも、前だけを見て歩き出す。
(お母さんを救ったら……お母さんと居られない人生に意味はあるの?)
ふと思った事に、セシリアは被りを振る。
余計な事は考えるな、今はマリアを救う事だけを考えろ。
セシリアはナイフを握りながら、前だけを睨みつける。
毎日頑張って書いてます。
感想下さい、書く事ないなら好きな百合シチュ下さい。作者が妄想します