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ぶっとばせ後悔

 


 その空間は白と黒の二色で形成され、中央にあるテーブルを境界に別れている。

 左手は純白の白。右手は漆黒の黒。その二つの色をある意味で繋いでいるのは、紅茶やケーキが並べられたアンティークな漆塗りのテーブル。


 白の側には、空の様に青い瞳のセシリアの姿が。

 黒の側には、もやが掛かった黒い人影が。


 二人は向かい合い、優雅にお茶と洒落込んでいた。

 黒い人影が手を差し伸ばすと、茶器が一人でに浮き上がり上品にティーカップに注ぎだした。湯気が立ち、芳醇な香りが良質さを証明する。

 指先で救うようにティーカップを持ち、微笑みと共にお茶を楽しんだ。


「まさかこうしてお茶を楽しむなんてねぇ、ちょっと前まで思いもしなかったわ」


 セシリアの姿をした少女。生まれる事の出来なかった双子の姉は穏やかにほほ笑みながら、感慨深く呟く。

 ここはセシリアの精神世界。いわゆる魂の中だ。彼女はこのセシリアの魂の中から、外の世界を眺め続けていた。現実に干渉する事は出来ず、常にセシリアと対話できる訳でも無い。

 牢獄の中。あるいは画面越しに誰かの物語を眺めるだけの第三者として囚われ続けていた。


 その事で鬱憤が溜まり、つい少し前にセシリアとこの世界で対面した時は殺して入れ替わろうとしたが、何だかんだ姉として背中を押してあげた。

 不満はあるが、15年もここに居れば諦めもつく。そう思っていたのだが、もう一人この世界にお客様が現れたからお茶と洒落込んでいる始末だ。


「それで。今更何の用? お父さん?」


 ティーカップを机に戻し、微笑みと共に言葉に棘を含ませてそう呼べば、対面のもやがかった人影は怯んだように身体を身じろぎさせた。

 その姿は今まで仕事一辺倒で碌に子供と関りを持たなかった父親が、大きくなった子供と改めて対面して所在なさげにしている。そんな風にしか見えない。


 セシリアの双子の姉、つまりセシリアの父親と言う事は300年前に人類に侵略戦争を仕掛けた悪魔の王。魔王ファウストな筈なのだが、表情は伺えずとも肩を縮こませて居心地悪そうにしている様は何とも頼りない。


『——、——』

「やぁね、怒ってる訳ないじゃない。怒るっているのは相応の関係があって生み出される感情であって、赤の他人相手に怒るなんてつまらない事をする女に見える?」

『——……』


 何か音らしきものを吐いている様にしか聞こえないが、セシリアの双子の姉には言葉として聞き取れるらしい。

 だが、何か琴線に触れる言葉だったのだろう。言い訳的な。

 貴婦人の如き微笑みを浮かべたまま流れるように棘だらけの言葉を返し、魔王ファウストの影は更に肩を縮こまらせた。


 子供達からすれば生みの親はマリアだけで、トリシャとガンドという育ての祖父母が家族の全てだった。間違っても種馬魔王様は親とは呼べないだろう。 

 血がつながっただけの存在を親と呼べるほど、セシリア達の孤独は浅くない。


 冷たい微笑みを向けられ可哀想な位、身体を小さくしてしまった魔王ファウストの影を眺めて、ため息を吐いて肩の力を抜いた。

 微笑みを消し、彼女本来のぶっきらぼうな素の表情を浮かべて肩を竦める。


「冗談よ、半分ね。別に怒ってる訳でも完全に無関心って訳でも無いわ」


 いじめ過ぎたと反省し、素の表情で改めて向き合った。一応は父親である存在をいじめて良い気分になれる程、彼女は良い性格をしていないので。

 それに、そろそろ本題に入りたいとも思ったのもある。


「ねぇお父さん、教えて欲しい事があるの」


 真剣な表情で少し身を乗り出して魔王ファウストの影を覗き込む。その表情に魔王ファウストの影は佇まいを直すと、背筋を伸ばしたのか影が大きくなった。

 相変わらず輪郭も分からないし目が何処にあるのかも分からないが、何となく真っすぐに目を見つめ返しているのだと直感する。


 ここはセシリアの精神世界。そしてセシリアの双子の姉は、この世界で15年間を過ごして来た。セシリアの感情がダイレクトに伝わってくる世界で、セシリアが見た物も知っている。

 セシリアが何に巻き込まれているのかも。そして、肉体が無いからこそ考える時間だけは沢山あった。

 だから、ずっと考えて来た事の答え合わせのチャンスを今に見出したのだ。


「セシリアは、あの子は何なの? どうしてあの子は特別なの? 何か、因果や運命みたいな物に縛られているんじゃないの?」


 セシリアの、愛衣の願いは優しい母親だった。理想が高かった訳ではない。普通の、我が子を大切に思ってくれる母親が居ればそれで良かったんだ。

 だがこの世界で生まれ変わったセシリアに齎されるのは、不条理と苦難ばかり。まるで呪いの様にセシリアを巻き込んで不幸が訪れる。

 何よりも不確かだったのは、その生まれだった。


「よしんば本来死ぬ運命だったセシリアに、あの子が入れ替わりで入ったってのは分かるわ。でもそれならセシリアである必要は無かった。死産なんてこの世界ではありふれているもの。誰かが愛衣の魂をセシリアに入れ替え……」


 そこまで口にして、言葉を切った。セシリアの人生を見て来た己の記憶の中にそれを補強する証拠を見出し、目の前の魔王の反応がそれを証明させた。

 今まで確証を見いだせない独り相撲での考察が、第三者が訪れた事で加速度的に答えに導かれたのだ。


「……まさか、本当に誰かが愛衣をこの世界に呼んだの? これまでの全ては誰かの思惑や因果が巡り合った物なの……教えてお父さん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 わなわなと目を見開きながら漸く言葉を絞り出した彼女に、魔王はゆっくりと立ち上がる。

 怪訝な表情を浮かべる彼女を尻目に、魔王が手を広げると数え切れない程の情報、記憶が白と黒で隔たり作られた世界を埋め尽くした。


『————』

「これは……300年前の。違うもっと昔、遥か昔からの記憶? お父さん、一体アンタは何年生きてるの……?」


 泡の様に記憶が溢れる。

 驚愕に頭を白くしたまま触れれば、そこに含まれた記憶や情報が彼女の頭の中に流れて来た。魔王が魔王として魔界で国を興した記憶。マリアが大きくなったお腹を撫でている光景。300年前の戦争の風景。

 そしてはるか昔から続く因縁の記憶。今の文明の前の文明の記憶。


 それこそ、彼女が求めた愛衣がこの世界に転生した理由。セシリアが普通の人生を送れない理由がそこにあった。


「……そういう事だったのね」


 魔王の記憶を見た彼女は、驚きも消え失せ据わった眼で睨む。

 目の前の魔王に怒りを向けても仕方ないのは、今の記憶を見て分っている。だがそれでも、腹の底から湧き上がって奥歯を軋ませる程の怒りをぶつける先が欲しかった。

 結局魔王に怒りをぶつけるのを耐え、テーブルを放り投げて苛立ちを解消するしかなかった。湯気だった茶や割れた茶器は、飛沫と化して消えていく。


 肩で荒く息を切って、深く息を吐いて荒ぶる気持ちを静めようと努力する。


『————』

「えぇ、えぇ。分かってるわ。ママは悪くない。お父さんも悪くない。悪いのは糞みたいな考えを持った遥か昔のどっかの誰か。分かってるわ」


 抑えきれない怒気を溢れさせ肩を震わせ俯く彼女に魔王の影が心配そうに手を伸ばし、だがそれは小さく降ろした。代わりに何か声を掛ければ、彼女は自分に言い聞かせる様に何度も頷き、顔を上げた。

 覚悟を決めた、女の顔を上げる。


「行くわ」


 全てを理解し、呑み込んだ彼女は踵を返す。それを魔王の影は止める術はなく、ただ悲し気に俯いた。


「あの子は前に進んだわ。大好きなママの為に。大切な友達の為に。どれだけ辛い事があっても善良な心を忘れずに悪意と因果に立ち向かったわ」


 15年も閉じこもっていた。それが彼女の弱さ。外の世界へ出たいと渇望しつつ、未知への恐怖と勇気の無さが自らを縛り付けていた。

 だがそれも終わり。

 世界が崩れていく。悲しい事ではない。

 漸く、決心がついた。


「あの子は変わらずに成長した。なら、私は変わる事で前に進む」


 彼女は魔王の影に近づき、その胸に飛び込んだ。

 温かくも冷たくも無い。触れている感覚も無い。だけど、魔王の影がおずおずと抱きしめ返すと不思議と温かい気持ちが湧き上がった。

 誰かに抱きしめて貰うのが、こんなに嬉しい事だなんて初めて知った。羨ましいと思う自分に彼女の口角が緩む。


『————』

「当然よ。だって私はお姉ちゃんなんだから」


 白と黒の世界が崩れ、混ざり合う。

 世界が崩れる時、彼女の身体は影に包み込まれた。

 もう彼女を閉じ込める世界は必要ない。


 溢れ出す光の中を、一つの輝きに満ちた光が登っていく。



 ◇◇◇◇



「ォ“ア“ァ”ァ“ァ”ッ!!」

「はぁァッ!!」


 現実世界。勇成国の王城にて竜騎士化したセシリアとアレックスは激しい戦闘を繰り広げていた。

 セシリアの武器は常人の範疇に納まらない膂力と爪が生えた隆起した手足。鋼の様に固く、獣の様に他者を拒絶する拳は全てを打ち砕く。


 振りかざされる剣を真正面から受け止め、激しい火花を上げて不快な金属音を奏でた。

 最初は一つ、また一つと散っていた火花も夜が更け空に星が増えていくように瞬く間に数え切れない程に数を増し、二人の姿も揺らいでいく。


 地面を砕く乾いた音と、火花が散る不快な耳障りの音に混じるのは心底楽しそうな嬌声と獣の唸り声。


「ははは!! そうだ! これを俺は求めていたんだ!」

「ッ“セ”ェ“!!」


 瞬きすら、ほんの一瞬の気の緩み、僅かな力運びを間違える事も許されない極限の戦闘。本気の命の奪い合い。

 その高揚がアレックスを喜ばせた。格下との相手ではない。本気を出しても足らない、冷や汗をかく余裕すら無い極限の戦闘をアレックスは求めていた。


 だがセシリアからすれば知った事ではない。

 腹の底にこびり付く焦燥感を無視して吠える。


(竜騎士状態で私の理性が持つのは大体10秒。それを越したら、また私は暴走する。だから早くこいつをぶん殴んなきゃいけないのに……!)


 セシリアのこの黒い竜騎士状態は、魔王の血と黒龍のトラウマから生み出された力で強力な切り札ではある。が、現状のセシリアでは未だ扱いきれない爆弾の様な物だった。

 制限時間付きの諸刃の剣。その制限時間も持って10秒。10秒を過ぎてしまうとまた何時ぞやの様に理性なき獣と化してしまう。

 それだけは避けたかった。もう一度元に戻れる保証はないし、そもそもここへは救助という目的があって来たのに暴走したらそれ所じゃなくなる。


 だから残り10秒で全てに片を付ける必要があった。


(思い出せ! 人間との殺し合いはダキナとの経験があるだろうが!)


 インファイトでの殴り合いなんて悠長な事をやっている余裕は無かった。アレックスの隙を突こうにも、その隙が無い。

 ならばこっちから膠着を破るきっかけを作らなければ。拳と両足を中心に戦っていたセシリアは、アレックスには無いアドバンテージを活かして隙を作ろうとした。

 竜と騎士が混じった姿になったセシリアには、剛翼と棘ばった太い尻尾がある。これを使わない理由は無い。


「シ“ッ“!」

「なっ!?」


 振り下ろされたアレックスの剣を、両手で挟んで受け止める。真剣白刃取りなんて普通やらない事をやってのけたセシリアに、アレックスは驚いて一瞬動きが止まった。

 だがすぐさま【紫電魔法】を使い紫電が迸る。それでもその一瞬だけあれば充分だった。

 尻尾をアレックスの足に絡め、引きずり込む。


(捕まえた!)


 足首を捻り、全力を籠めて壁に叩きつけた。瓦礫に埋もれるアレックスがどうなったは分からない。見えるのは、尻尾が巻き付いた右足だけ。その右足も、棘に引っかかり更に強すぎる力で握った所為であらぬ方向に曲がっている。

 だがそれでも、心臓を貫かれても生き返ったのを見たセシリアは警戒を緩めずに二度三度、それこそ壁が完全に崩れ落ちるまでアレックスの身体を叩きつけた。

 一瞬の安堵すらも無い。


「神の怒りを知れ——ケイオス・ボルテージ」


 それだけでアレックスが死ぬ筈も無い。

 土埃を突き破って紫電が迸った。極太の首のドラゴンが大口を開けて襲い掛かって来た様な錯覚すら覚える威力だ。

 思わず足を掴む尻尾を離し、大きく距離を取った。

 死に際のきつねっぺ。ではない。ゆらりと崩れた壁の中からアレックスが立ち上がる。ひしゃげた右足もぐちゅぐちゅと水気の混じった音を上げて再生していく。


 アレックスは何も言わず、嬉しそうに目を細めて剣を握り直した。


 残り7秒。動揺している時間は無いし、想定内だった。

 うなり声を上げて次の一手を繰り出す。


「ゥガァ……」


 隣にある天井を支える為の巨大な柱を殴り壊して、太い柱をもぎ取り持ち上げぶん投げた。

 剛速球で投げられた巨大な柱の塊は、常人ならば避けるか避けれず潰されるかしかない。

 だがアレックスは余裕をもって剣を頭上に掲げると、柱を一刀両断した。まるでバターを熱したナイフで切る様に、剣は淀みなく石で出来た柱を綺麗に二つに分断する。


 そしてセシリアの攻撃はこれだけでは当然ない。柱を囮に、背後に回り込み空中で身体を捻ってアレックスの頭を蹴り飛ばそうと蹴りを繰り出した。

 それをアレックスは背を向けたまま屈んで避ける。

 地面にセシリアの蹴りを繰り出した足が落ちた。振り返る事無く、避けると同時にセシリアの足を切り落としたんだ。


 ドパンッ! と聞き慣れた銃声が響くと、アレックスの剣を持つ右腕が根元からはじけ飛んだ。

 互いに痛みに顔を顰めるが、動きは止まらない。

 セシリアは太く棘が生えた尻尾を足代わりに、アレックスは残った左手を手刀の形にして紫電を纏わせる。


 あと5秒。


(足を治す暇は無い。ていうか時間も無い。なら、このままぶん殴る!)


 拳と手刀が正面から打ち合い、同時に両者の拳が砕ける。

 チャンスだ。これこそがセシリアに齎された最後のチャンス。

 セシリアにはまだ腕がある。踏ん張る足がある。だがアレックスの両腕は無い、顔を歪めている。

 ここだ、今この瞬間だけが、殴り飛ばす最後のチャンス。


 あと4秒。


「ゥァアアアアッッッ!!!」


 全ての力を振り絞れ。痛みなんて忘れろ。恐怖なんて殴り殺せ。

 怖いなんて気持ちは忘れろ。

 逃げたいと未だに思う自分はぶち殺せ。

 何でこんな事をなんて考えるな。


 拳を握れ。力を振りかざせ。今、ここでこいつをぶん殴って殺せば終わる。

 終わる。終わったら、元のあの生活に戻れるんだ。故郷の街で、アイアスに怒鳴られながら勉強して、ヤヤと一緒に森で魔獣と戦って偶には遠出して見た事も無い場所を楽しんで、そしてトリシャとガンドの墓に手を合わせて、そして。


 大好きな母親と何でもない日常を過ごす。


「ッ!?」


 拳は握った。振りかざした。後は振り下ろし、このまま全力で殴り飛ばすだけだった。

 なのに、脳裏にマリアの顔が過った時、握った拳が開いた。


 人だった化け物を殺した事はある。でも、人間は殺した事は無かった。

 人を殺したその手で、マリアを抱きしめられるだろうか。愛していると言えるだろうか。

 こんな時ですら、普通の感覚を忘れられなかった。忘れられなかった代償は、致命的な隙だった。


「ケイオスボルテージ!!」

「ア……」


 砕け弾けた両手を出したアレックスの撃ち出した紫電の放流が、セシリアの身体を貫いて壁に叩きつけられた。

 崩れた瓦礫に埋まり、仰向けに倒れる。電撃を真面に受けて身体が動かない。舌が痺れて呻き声すら出ない。

 痺れと痛みに襲われながら、冴えた頭でぼんやりと自虐する。


(マジかよ。強すぎだろ、私より化け物じゃん。どうしよ、もう時間も無いし、勝てる気がしないわ)


 やられたと言うのに、呑気な事を考える物だと我ながら自虐の笑みを浮かべそうになる。実際は顔が痺れて変な感じになっているのだが。

 だが何にしろ、竜騎士状態の限界を迎えるセシリアにもうこれ以上どうする力が無いのは事実だった。竜騎士状態ですら勝てないのに素の状態のセシリアでは万が一にも勝ち目はない。


 諦めの境地に達したセシリアは、投げやりに変身を解除しようとして気付く。

 壊れた壁の向こうに。自分の背後に。沢山の人が居る事を。

 光る壁。正確には半透明に透けた光り輝く金色の盾が、まるで壁の様に避難して来た勇成国の民を守っている。


「……ェ”?」


 何故こんな所に人が居る。と言う疑問がセシリアの頭の中を満たす。だが、脳がその疑問に答えを齎すよりも先に、自分に突き刺さる視線に籠められた意味を悟らせた。

 ここまで、必死に逃げ込んで来たんだろう。誰も彼もが傷だらけで、着の身着で、恐怖に怯え互いに身を寄せ合っている。

 そんな彼ら彼女らは一様に、竜騎士状態——化け物の姿の——セシリアに怯えと恐怖の目を向けている。


 今のセシリアを見て人間だとは思えないだろう。先ほどまで激しい戦闘の余波でセシリアを敵だと誤認しているだろう。

 イングリットの魔法の盾の向こうで、男は家族を背に睨みつけ、女は涙交じりに恐怖に引き攣った眼で見ている。


 全て、セシリアを拒絶する眼だった。


 頭が真っ白になって、呼吸が乱れる。

 それが嫌いだ。その目が嫌いだ。人間じゃないと。化け物だと言っている目が嫌いだった。拒絶され、理解されなくて、一人ぼっちだと指を指された様な気になる。

 一人は嫌いだった。誰かと一緒に居たかった。安らぎを与えてくれる、温かさが恋しい。


 もう、一人はイヤなのに。


 2。


(変身を解け。元の姿なら、怖がられなくて済む。そして、そして……そして?)


 1。


 急いで変身を解かないと暴走してしまうのに、何も出来ない。

 ただ自分に突き刺さる拒絶と恐怖の視線にさらされながら、刻々と時間が過ぎていく。


(止めてよ、そんな目で見ないでよ。私頑張ったじゃん、怖いのも痛いのも我慢して戦ったんだよ)


 0。


 抑えつけて来た感情が、セシリアの魂の中に残る愛衣だった部分が悲鳴を上げた。

 金属が擦れるような甲高い悲鳴を。


(やだ……やだよ……ママ……)


 意識は、あっさりと遠くなっていく。うたた寝でもするように、手放されていく。もうどうなってもよかった。

 どうにでもなってしまえと。折れかけた。

 眠りにつくように瞼を閉じかけたその時、声が聞こえた。


「あ~。う~?」


 赤子の無邪気な声がすぐ傍で聞こえた。その声があまりにも近かったから、何だろうと目を開ければまだ這う事しか出来ない赤子がすぐ目の前にいる。

 金色の盾に手を当て、不思議そうにセシリアを見上げている。


「……」

「あきゃきゃ!」


 何となく、本当に何となく何も考えずに手を伸ばして指を出せば、それを掴んで嬉しそうに笑った。

 恐怖も怯えも無い。純粋無垢な、何の穢れも知らない笑み。


(はは……)


 触れた指先から熱がじんわりと伝わってくる。冷たく重たい身体にそれは確かに伝わった。

 心臓が激しく脈打ち始めた。自然と笑みが零れる。

 赤子が握る指先を、握り返した。今度は笑い声が二つ響いた。


「ありがと」


 それだけで、充分だった。


 壁に埋もれ、避難民から怯えの視線を受けたセシリアは瓦礫に埋もれたまま動く気配がない。

 そんな彼女に、手足の再生が終わったアレックスが剣を拾いゆっくりとした歩みで近づく。

 その顔に、抑えきれない興奮と喜びを張り付けたまま。


「まだだ、まだ終わりじゃないだろう、セシリア。君だって傷を再生する魔法を、特別な力を持っている。今の俺と同じだ、選ばれた人間なんだ。もっと、もっと戦おうじゃないか!!」


 アレックスにとって、もうこの国を落とすとか自分の理想を実現するとかどうでも良くなってしまった様だ。今セシリアとこうして本気の戦いが出来るのが楽しくてしょうがないと笑っている。


 その笑顔もイングリットが立ち塞がり、壁の向こうに光の盾に守られた避難民を見てスンと落ちる。


「い……行かせま、せん……」


 ボロボロの身体で、ふらふらと立ち上がって両手を広げて立ち塞がるイングリットを冷徹な面持ちで見下ろす。

 道端に落ちているゴミを見るような無機質な目で見て、次いで魔法の盾を見る。その魔法の盾がイングリットの覚醒した魔法だと気付くと、一瞬だけ目に煮え滾る嫉妬の熱を浮かべ、イングリットを蹴り飛ばした。


 魔法を後天的に得る方法は、危機的状況で強い願いを持つ事。強い意思が、魂がその願いの形に変える。

 つまり、イングリットは自分の命が脅かされたその瞬間に【守りたい】と願ったのだ。何処までも眩しい光だった。


「あぐぅ……!」

「貴方は何処まで……!」


 呻き声を上げ、地に伏すイングリットの背中を踏み躙る。

 剣の切っ先が、イングリットの首筋に当てられた。

 この光を消せば、楽になる。彼にとって主であり弟子を殺すと言うのは覆る事のない現実をこれ以上直視しなくて済むと言う逃避だった。


「っ……うわぁぁぁ!!」

「!?」


 足蹴にされていたイングリットが、何処にそんな力があるのか勢いよく起き上がってアレックスに縺れる様に突き飛ばした。

 起き上がった拍子に首が切れ、浅く傷つくも血が溢れ出す。だがそんな傷を気にする事も無く、イングリットは泣きじゃくる様に叫びながらアレックスの胸を叩く。


「なんで! なんで!!」


 痛くは無い。突飛ばせたのは最後の力を振り絞ったからだろう。アレックスに馬乗りになって胸を叩くイングリットの拳に、力は無かった。

 振り払う事も出来たが、アレックスはされるがままに冷たく見上げる。その瞳は、もう揺れない。


「何で……」


 叩く力も無くなると、しゃっくりを上げながらアレックスの胸に顔を押し当てる。

 じんわりと温かさが広がる。心が温かい人間の涙は、燃える様に熱く感じた。

 何度拒絶されても、イングリットは決して諦めない。諦めずに、手を差し伸べ続ける。


「僕じゃ、ダメだったんですか……」


 そんな想いを、優しさをアレックスは拒絶した。


「黙れ」


 突き飛ばし、剣を突きつける。

 それ以上、耳を傾けてはいけなかった。それ以上、優しさを受け入れてはダメだった。

 許されてはいけない。許されるべきではない。許されない事で、悪に堕ちたと割り切れる。それ以上イングリットを受け入れたら、決心が揺らいでしまうから。


 だから、その目から流れるのは最後の心残りであるべきなのだ。人間らしさと言う、過去の思い出の数々を。


「もう遅いんですよ。」


 一抹の後悔を振り払い、アレックスは目を瞑り剣を振り下ろす。逃げ道を無くし、堕ちた先にある願いを求めて。


 ドパンッ!!


「!!」


 一発の銃弾が、振り下ろされている剣を撃ち抜き、折れた刀身が地面に突き刺さる。

 アレックスとイングリットの視線が、そちらを向く。だが、二人ともその姿を見て声を出せずに固まった。


 ゆっくりと彼女が歩み出す。

 だが、その彼女は先ほどまでの彼女とは違った。


「これが現実……思ったより良い物じゃないわ」


 声は彼女のだ。だが、雰囲気が違う。ぶっきらぼうで緊張した場にそぐわない呑気な様子。

 姿かたちも、黒く凶暴な竜騎士のまま。だが確かに先ほどよりの威圧感は無いが、強烈なプレッシャーが空間を支配している。

 彼女は一同の視線に晒されながら、ニヒルに笑って指の骨を鳴らす。


「さぁて。うちの可愛い妹を泣かしてくれたクズは、誰かしら?」


 セシリアの姉。生まれる事の出来なかった双子の片割れは、静かにブちぎれていた。



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