お粗末な悪意
夜の帳が降りた頃、緑光石と呼ばれる淡い緑に光る鉱石の光に照らされた街道を、セシリア達は冒険者風の軽装に武器を携えた青年と女性の後を歩く。
始めは青年にも警戒していたセシリアだが、青年は柔和な笑顔を浮かべたまま適度な距離を保ち先導しているおり、そんな姿勢につい警戒が緩んでしまう。
「へー、じゃあ今日はセシリアちゃんの誕生日だったんだ」
「はい、それでお母さんと出かけてたんですけど……ちょっと迷っちゃって」
「お母さんは泥酔……と」
「酔ってないですよ~?」
女性と足並みを揃えて青年の後に続く。
その道中お互い名前を教え合ったが、女性は一瞬考える様に遠くを見ると自分を「ダキナ」、青年を「ロン」と比較的何処にでもいる名前を答えた。
「悪いねぇ、水袋があればよかったんだけど手元になくて」
「いえ千鳥足って訳でも無いですし、このまま暫く歩いていれば酔いもさめると思います」
「そっか、なら急がないとね」
その物言いに少し違和感を覚えたが、急ぐことには賛成な為特に気にしない。
「そうですね、なんか素行の悪い傭兵団が居るらしいですから早く帰りたいですね」
「……そうねぇ」
淀みなく歩くロンに着き従う。
その迷いのない足取りにセシリアは安心感を覚える。
「なら、少し悪路だけど近道しようか」
「え……」
青年が指さしたのは裏路地。
街灯の明かりの届かない、月明かりだけが照らす闇の向こう。
その暗さに怯んでしまう。
「でも、裏路地は危ないですし…」
「大丈夫、直ぐに隣の大通りに出るし、俺達もそこそこ腕が立つからね」
「浮浪者程度獲物を抜くまでも無いね」
自信満々に言い捨てる二人に頼もしさを覚えるが、それでも躊躇してしまう。
でも早く帰りたいのも事実。逡巡しているとダキナに腕を引かれてしまう。
「ほら、早く行きましょ?」
「え、ちょっ!?」
そのまま闇の中に踏み込んでしまう。
明るい大通りとは真逆の暗い世界。
鼻につく、すえた匂いに顔を顰める。
ぼろ布を纏った汚い、枯れ木の様な男か女かもわからない人々。
街の入り口である西区では見た事の無い世界。今まで安全な世界にいたセシリアには衝撃以外の何物でも無く、恐怖する。
「うぇ……臭いです、せっかくいい気分だったのに……あれ?ここは何処ですか?」
周囲の匂いにマリアの酔いも醒めてしまう。酩酊状態だった記憶が曖昧で、ここで漸く周囲に気付く。
「セシリア? この人達は? ここは何処なんですか?」
「ここは裏路地、私達は困ってる人に話しかけた優しい他人さ」
マリアの質問に答えたのはダキナ。だがそこに浮かんでいたのは優しい笑顔では無く、心の底からバカにするような嘲笑。
よく見ればロンも優しそうな笑みでは無く、ニタニタと舐め回すような目でセシリア達を眺め、その視線に肌が泡立つ。
「え? どういうこと?」
「セシリア、私の後ろに」
本能が警鐘を鳴らしながらも、頭の片隅では理解しつつも受け入れきれない。
そんなセシリアを庇う様にマリアが険しい顔で前に立つ。
状況をきちんと理解した訳でも何があったかもわからないが、母親としての本能が状況に即した行動を起こさせた。
そんな麗しい母性愛を前に、ダキナは嘲笑を張り付けたまま口笛を吹く。
「良いねぇ、そういう睦まじい親子愛みたいなの」
「貴女達は一体何なんですか」
後ろににじり下がりながら、警戒を限界まで引き上げてマリアは睨みつける。
そんなマリアに、ダキナは腰から見せつける様にナイフを引き抜きくるくると弄ぶ。
その姿はまるで舞台役者の様に芝居がかっているが、不思議と様になっていた。
「道に迷った親子に声を掛ける、優しい優しい素行の悪い傭兵団だよ」
「!?」
「うそ……」
絶望的な表情を浮かべる二人の反応に、気を良くするダキナの肩をロンが叩く。その表情は興奮を抑えきれないのか、少し目が血走っている。
「おい、御託は良いからさっさと捕まえようぜ」
「そうね、最近は他の奴らが好き勝手やる所為で美味しい思い出来てないし、さっさと頂こうかしら」
二人が一歩踏み出す、土の擦れる音が闇夜に響く。
「セシリア!」
「うわ!」
その瞬間弾かれたように、マリアはセシリアの手を取り後方へ駆け出す。
恐怖から、一秒でも僅かでも遠くへ。
早く、早くあの危険人物たちから逃げないと。
道の脇に寝転がる浮浪者の傍を駆け抜け、積み上げられた木箱にぶつかりながらも前へ前へ。
「お母さん、ごめんなさい」
「謝るのはお母さんもです、気を抜き過ぎてました」
息を切らせながら必死で走り、希望の、安堵を覚える緑の光が視界に入るとセシリアの顔に喜色が浮かぶ。
「大通りだ!」
「!! セシリア! いけません!」
「え?」
制止の声に目を丸くして振り返ったセシリアが見たのは、必死の形相で己に駆け寄る母の姿と、左右から迫る土の壁。
マリアはセシリアを抱き込むとそのまま後方に飛ぶ。
しかし一歩遅く片足が土壁に挟まれてしまい、ゴリッと鈍い音を鳴らす。
「ぐっ!?」
「お母さん!!」
「……ケガは、ありませんか?」
「無いよ! それよりお母さん足が!」
自分の状態よりも先に娘を心配するマリアに、うれしさが湧き上がってしまうがそれ以上に不安と共に悲壮に叫ぶ。
マリアは挟まった足を引き抜こうとするも、びくともしないその状態に歯噛みする。
突然の土壁の隆起、それが魔法だと分かった所でどうする術も無い。二人は魔法を使えないのだから。
「ざ~んね~ん、逃げ切れなかったね~?」
「見た!?俺の魔法完璧じゃね?惚れるわ~」
その場に響く軽快な話声。
二人の心情など微塵も酌まないダキナ達は、あえて恐怖を助長させる様に声を張りながら角の向こうから顔を出す。
追ってきた二人はこうなる事を予想していた様な、息を切らした様子も焦ってきた様子も無い。
初めからセシリア達に逃げ場はなかった。
深い絶望を与えるためにわざと逃がしてあと少しという所でその希望を断つ。悪趣味な行動だが、効果的だ。
現にマリアは逃げる事を諦め、セシリアだけでも何とか出来ないかと必死で考える。
「あら? そんなぼろ切れで何するつもり?」
「っ! ダメですセシリア! 逃げなさい!」
ダキナとセシリアの間に、近くに落ちていた角材を拾って立ち塞がるセシリア。
しかしその足は、身体は絶望的な状況でも立ち上がり母を守ると言う勇気に反して震えが止まらない。
マリアに対する思いだけでその場に踏みとどまっている現状。
恐怖に歯が噛み合わずカチカチとなり、涙で視界が滲む。
マリアの声が聞こえ、言葉通り母を見捨てて逃げ出せば良いと耳元で誰かが囁くが、唇を噛んだ痛みで堪える。
そんな無様なセシリアを嘲笑する声と悲鳴が闇夜に響く。
かなり大きい音がしているのに誰も来ない、それでもセシリアはせめてもの思いを込めて息を吸い込む。
「誰かー! 助けて―!!」
誰でも良い、誰かお母さんを助けて。
その思いを込めて叫ぶも、虚しく闇夜に溶け込むだけで望んだ反応は帰ってこない。
「ふーん、普通こういう状況になったら声も出せずに諦めるか、泣き叫ぶ子ばっかなのに。貴女随分と勇気があるのね、あたし気に入っちゃったぁ」
舌なめずりして獲物を狙う目をするダキナに、セシリアは身じろぎ涙が溢れそうになるが、なけなしの勇気を振り絞って睨みつける。
そんなセシリアの行動が、ダリアの情欲に火を注ぐとも知らずに。
「良い! 良いわその眼! 今にも折れそうなのに、大事な物を守るために健気にも立ち向かうその姿! 最っ高! あの子はあたしが貰うから」
「あーあ、火着いちまった、ごしゅーしょー様。なら俺は母親の方を頂くか」
二人は爛々と目を輝かせながら緩慢に動き出す。
「速く逃げなさい! 逃げなさいってば!」
「嫌!」
幼い子供の身では何も出来ないのは分かってはいる、だがだからと言って大好きな母を見殺しにして自分だけ生き残るなんて選択肢は毛頭なかった。
例え死ぬことになっても母と共に、死ぬ最後の時まで抵抗してやると腹をくくる。
「うわぁぁぁ!!」
大振りの一撃。
体重も乗っていない心得があるわけでも無い、たた力任せの一撃を恐怖を忘れる為に叫びながら飛び出す。
「かーわい」
「っ! あぐぁ!?」
「セシリア!!」
当然そんな一撃が当たる筈も無い。
ダリアは角材を軽々と掴むとセシリアの腹部を蹴り飛ばす。
背骨が折れる様な衝撃に吹き飛ばされセシリアは激しく咳き込み、胃液を吐き出しながら蹲る。
「あらダメじゃない蹲ったら。その可愛い顔をみ・せ・て!」
「がっ!? ~~~!」
顎を蹴り上げられ、舌を噛みながらマリアの元まで吹き飛ばされる。
脳が揺れ意識が混濁し心が折れかける。
「セシリアァ! お願いします! 娘は、この子だけは見逃してください!!」
倒れ込むセシリアに何とか手を伸ばし覆いかぶさる。
そのままセシリアを守る様にしながら、ダキナに懇願するマリア。
美しい顔にありとあらゆる感情を内包させ、恐怖に震えながら涙を堪えるその表情は、闇夜の中でも一等輝く。
故に犯したい、汚したい、壊したいと悪人は嗤う。
「良いわねぇ、美しい親子愛だわぁ」
ダキナは己の秘所が濡れそぼるのを感じながら、二人の深い繋がりに醜悪な笑顔を浮かべて見下ろす。
「それが人に物を頼む態度かしら~?」
「お願いします、この子だけは……私が代わりになるので」
地面に額を押し付け懇願する。
そんな姿をダキナ達は嘲笑う。
「ふふーん、何してもらおうかな~」
「おい、そっちは俺が貰う筈だろ」
「あんたは黙ってて」
「…っち」
ダキナはマリアの頭をぐりぐりと踏み滲りながら、何をさせるか上機嫌に考える。
ロンはダキナには逆らえないのか、舌打ちをするとつまらなそうに壁にもたれ掛かる。
「どうしよっかなー、とりあえず服脱いでよー?」
マリアは娘を守るため、望み薄の中指示に従う。
その様子をダキナは無邪気な子供の様に、純粋で、残酷に、明確な悪意だけを持って楽しそうに眺めながら舌なめずりをする。