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プライド戦争

 



「急げ急げ! 死ぬ気で負傷者を運び出す準備をしろ!」

「それは置いて行きなさい! 必要なのは患者に必要な物だけ! 聖書より薬と生命維持装置だけよ!」

「はわわ。ベルナデッタさまぁ……」


 魔王城の中は巣を突いた蜂の様に慌ただしい様相だった。誰もが走り回り、怒鳴って混乱している。彼ら彼女らがこんなに慌てているのは、つい数分前にスーリアから化け物の大群が襲ってきていると言われた事が原因だ。

 化け物が何かは彼らも知らない。ただ、死ぬほど焦った様子で本気でスーリアがビビりながら早く逃げろと怒鳴られた事でマジでヤバいと動き出していた。


「こっちだ! こっちに患者を連れて来い。患者を最優先で逃がすんだ!」


 それでも、ここの神官達はただ一つの教えの元に育てられた。隣人を愛せよ。それだけだ。

 彼ら彼女らに戦う技術は無い。神の教えの元、神官になる道を選んだ神官たちはただ話を聞く事しか出来なかった。

 私は罪を犯しました。と言う人に、神は許すでしょう。と言うだけの日々。目の前で傷ついて苦しむ人に何の手助けも出来ず、ただ祈るだけしか出来ない自らの無力さを呪う日々だった。

 神の存在すら信じられなくなっていた。


「階段が使えるぞ!」

「バカ! 待って!」

「ひぃっ!?」


 そんなある日、ベルナデッタが現れた。

 額に二本の角を持つ焔色の髪色の鬼人種の亜人の女性だ。長身で、十字架型の火炎放射機を武器に戦う異端審問官の一人。

 彼女はこう言った。どうか良き人を救う為に力を貸してくださいと。

 そしてこう答えた。私達に何が出来るのかと。

 彼女は微笑んで、手を差し伸べてこう返した。


 ——主は貴方達の奉仕と献身を知っています。そしてその苦悩も。ならば私が救いましょう。主への愛を以って世を正しく導く羊飼いと貴方達がなるのです。敵は、羊犬の牙と爪が切り裂くと約束しましょう。


「化け物がすぐそこまで来てる! 降りれない!」

「昇降機もダメだ! ケーブルを切られた!」

「戻って、戻って! 部屋へ戻って鍵を掛けるのよ!」


 そうして無力だった神官たちは、人を救う技術と知識を学んだ。落ちこぼれと呼ばれた者も居たし、気に入らない上司を殴って田舎に飛ばされた奴も居た。燻ぶって人生を投げやりに過ごしていた彼ら彼女らは、ベルナデッタに救われたんだ。

 自分達でも誰かの役に立てるんだと。自分達みたいな凡庸な人間でも、わき役でしかない人間でも誰かを救えると。

 その時から彼ら彼女らの人生の道筋は定まった。人を救い続ける道を。死んでも、誰かを救うという覚悟を、決めたんだ。


「どうする! どうする!? 廊下はダメだ。化け物がうじゃうじゃ這い上って来てた」

「窓は!? こう、シーツか何かでロープを作って患者を運ぶの」

「無理だ……聞こえるか? この音、虫のぶつかる音がまるで嵐みたいに鳴り続けてる。雨が降ると思って鎧戸を閉めたのが不幸中の幸いだな。今、外がどうなってるのかは見たくないよ」


 そして今、神官たちは部屋に閉じ込まざるを得ない状況に追い込まれていた。

 鍵を掛けベットや棚でバリケードを築いた扉の向こうでは、化け物が扉を叩いている。金属製の扉じゃなければ瞬く間に壊れていただろう。しかし鈍い音が一つ響く度に、何かが歪む不快な音が鳴っていて安心感は一つも無い。


 運よく閉じていた鎧戸によって窓も固く閉ざされ、外の様子は何も見えない。だが霰礫が叩きつけられる様な音が鳴り続け、それが空を覆い尽くす程の数の虫がぶつかる音だと知りたくも無い現実を突きつけられる。


 窓からは大量の虫が叩きつけられる音が。扉からは叩き壊そうと牙やら爪やらがぶつけられて金属が歪む音が。音が鳴る度に誰かの身体が震える。

 気の休まる瞬間は一瞬も無い。


「びえぇぇぇ! ベルナデッダじゃま“ぁ”ぁ“ぁ”」

「泣かないで! 泣いたってしょうがないでしょ!」


 誰もが錯乱から立ち直れないで恐怖のどん底に陥れられている。

 だが示し合わせた訳ではない。全員が、ベットから起き上がる事も目を覚ます事も無い患者を守る様に陣取っていた。例え扉が破られても、例え窓が破られて化け物が大挙してなだれ込んできても背中に感じるヤヤとフラン、ヴィオレットとエロメロイだけは何があっても守ると無意識の内に行動していた。

 そういう教えは確かに彼らの身体に根付いていた。


「おい、何か武器になる物は無いか」

「何、アンタ戦えるの?」

「まさか。地元じゃいじめられっ子で農夫の三男坊だぜ? 人を殴った事も無いさ」

「笑える。でもそうね、あたし達みたいなその他大勢にだって意地があるって所を見せないと神様に呆れられちゃうわ」


 自分達が何も出来ない事も知っている。見慣れない機械に繋げられていないと命を維持できない患者達を守る力も無い事も知っている。

 それでも誰も諦める事だけはしなかった。

 諦める事は、罪だ。神の教えを守り少しでも世の中を良くする使命を帯びた彼ら彼女にとって、それは最もやってはいけない大罪だ。

 何より、余りにもダサすぎる。


「武器を作ろう。何でも良い、少しでも時間を稼げれば良い」

「そうだな。もし、もし扉が破られて化け物がなだれ込んできたら俺たちが壁になる。女たちは四人を逃がしてくれ」

「分かったわ。ねぇ貴女、そこの台車を持ってきて。生命維持装置を運べるようにしましょう」


 誰もが震えて、涙を浮かべていた。自分達がどうなるかを簡単に想像できた。もしかしたら助かるかもなんて妄想はゴンッと扉を殴りつける音にかき消される。

 それでも震える膝を殴りつけて、流れそうになる涙を跡が残るくらい強くこすって今できる事を必死で考え続ける。


「……ほぇ?」


 扉の向こうから、大量の目が彼ら彼女らを捉えた。



 ◇◇◇◇



 魔王城の回廊では、ナターシャを殿にスーリアが先陣を切って化け物の侵攻の中を進んでいた。


「邪魔だ! 白刃一閃!!」


 正面から我先にと牙を剥く異形の化け物ども、その全てをスーリアの眩い白銀の刀身が、片刃の反り返った刀が一刀の元に切り伏す。

 居合切り。彼女の剣術は至高の居合切りこそが真たる物だ。例えどれだけ頑強な骨だろうと、例えどれだけ柔らかい肉だろうと例えどれだけの数が迫ろうと、一度彼女が鞘に納めた刀を放てば、並々ならぬ修練の果てに体得した一子相伝の居合は全てを一閃の元に両断する。


「キモイからぁ近づかないでくれるぅ?」


 背後から迫る大量の虫には、ナターシャの毒が立ち塞がる。

 ナターシャの魔法は【全てを溶かす激情の魔法】。女というのは劇物にも等しい感情を持つ怖い生き物だ。それが魔法となって、毒となって有象無象を溶かし尽くす。

 広い廊下全てを埋め尽くして襲い掛かる虫達は、一匹残らずナターシャの荒れ狂う怒りを体現した毒の壁に突進すると、残骸一つ残す事無く溶かされた。


「エリザベス陛下。こちらですわ、ワタクシから離れない様にして下さいまし」

「あ、あぁ」


 二人に守られながら、クリスティーヌとエリザベスは下へ降りる為に先を急ぐ。

 クリスティーヌの判断は早かった。化け物の大群が進軍して来ていると確認を取るや否やすぐさま撤退を選択。惜しむべくは彼女達自身が魔王城の上階に居たために、階下に居る怪我人達と合流するのに時間が掛かる事だろう。

 何とかして急いで全員と合流し、この魔王城から、化け物達から一刻一秒も早く逃げねばならない。


 それでも、化け物の尖兵は鬱陶しい位に襲い掛かって足止めしてくる。


「はぁ!! はぁ、ふぅ……!」

「埒が明かないわぁ。壁を足場に飛んで先に逃げるべきよぉ」

「いいえ、それは出来ませんわ。友を残して我先に逃げるなど、ワタクシの帝国貴族の誇りが許せない。それに、上がこの状況ですもの。地上に近い階下は更に追いつめられている筈ですわ」


 相手が化け物である以上、この場所に拘る理由は無い。敵が大群であるが故に戦う事は不可能だからだ。戦いでは数が正義、それを知らない全員ではない。こちらが戦える人員はごくごく少数、それに対して化け物は数える事すら出来ない量。

 勝って生き残る事を最優先、全員生きて逃げる事だけが唯一の道、何よりここには意識すら戻っていない負傷者が居るからそれも助けなければならない。そうしないで逃げるのは最低最悪の裏切り。


 ナターシャ達もそれは分かってるから何も言わずに真っすぐに仲間たちの元へ急いだ。

 しかし素直に先に進ませてくれないのが、追い込まれている現状である。


「正面! 敵多数!」

「数が多すぎるわぁ!」


 一度敵の攻撃を凌いでも、次から次へと化け物が襲い掛かってくる。まるでクリスティーヌ達を狙い撃つ様にただ真っすぐに壁を登って、空を飛んで襲ってくるのだ。

 倒しても倒してもキリが無い、物量で押し込まれたら先に息切れするのはクリスティーヌ達。体力も魔力も無限ではない人の身では、終わりの見えない化け物の大群に押しつぶされるのは時間の問題だ。


「っ! 魔王城の防衛設備は使えないのか!?」

「どっかの誰かさん達がぁ奪おうとした時にぃ、弟が動力炉をぶっ壊した所為で使えないわぁ」

「くそっ!」

「後ろからも敵が来たわぁ! 挟まれるわよ!」


 魔王城の防衛設備を使えばまだ時間位は稼げたかもしれないが、今の魔王城はその機能の大半を失っている。その原因がエリザベス自身であると理解しているからこそ怒鳴らざるを得なかった。

 悠長に話している余裕は無い。

 正面から、背後からも化け物達が迫ってくる。選択を迫られる。と言っても、戦うか死ぬかだけの二択。すぐ横には青空が広がっているが、高さは50m以上あって飛び降りる事は不可能。であれば敵中突破しかないのだが、果たして何処まで彼女たちの身体が持つか。


 焦りに足を止める三人の中で、クリスティーヌが浅く息を吐く。


「ワタクシに策がありますわ。時間さえ頂ければ、この状況を突破できる策が」


 クリスティーヌの言葉に、スーリアとエリザベスは怪訝な表情で訝しむ。そんな物があるなら何故もっと早くに言わなかったと言いたいのを抑えつつ、しかし何も言わない。

 代わりに、ナターシャが聞いた。罪悪感を抱えた様な表情で。


「良いのぉ?」


 その問いが何を意味しているのかを、クリスティーヌは理解している。他の二人は知らない事をナターシャは気付いていて、今更言った所で意味が無いからただそう問いかけただけの事を。

 戦士としての不器用な優しさを受け取ったクリスティーヌは、杖代わりに使っている虹色の宝石が嵌めこまれた宝杖を握ってナターシャの声の方を向いて、微笑む。


「構いませんわ。これも全て、帝国貴族としての務めですもの」


 その微笑みが覚悟の表れである事を信じたい。だが戦士としての直感、皇帝としての経験がその微笑みには諦観が混じっている事を感じた。

 諦めの覚悟だ。

 誰も何も言わなかった。スーリアは刀を鞘に納め抜刀の姿勢をとり、ナターシャは右手を敵に向ける。戦士に言葉は不要。背中を預けるに値する覚悟を無駄にだけはしない事が彼女たちが表せる称賛と謝罪だ。


「時間は?」

「1、いえ30秒あれば充分ですわ」

「無茶な話だ。おい悪魔、後ろは任せたぞ」

「はいはぁい、きつかったら言ってねぇ。弱っちい人間様?」

「っち。陛下、そこにお隠れ下さい」


 たった30秒。言葉にすれば短いが、生きるか死ぬかの瀬戸際での30秒は気が遠くなるほどに長い。

 だがたった30秒。自分より幼い少女が望んだ時間を稼げない程、意気地無しな二人では無かった。

 女が命にも等しい何かを賭けてでも決めた覚悟。大人としてやるべき事は一つだ。


「来い、化け物共。今日の私は機嫌が悪いんだ」

「喧嘩しましょ。お姉さん喧嘩だぁい好きなのぉ」


 前だけを見て、腹を括る。後ろは微塵も気にしない、例え手足が千切れようと今立っている場所から後ろには血の一滴足りとて通す気は更々無いのだから。スーリアもナターシャも互いの事を疑う事は無い。その強さと、忠義の深さの加減を知っているから。

 そこに忠義の心がある限り、約束は必ず守り通す。


「……ふぅ」


 スーリアは全神経を柄を握る手と足先に集中させ、深く息を吐いて腰だめに居合の姿勢を取る。

 広く足を広げ、右足はつま先で、左足は踵に力を籠める。上体を深く深く、倒れてしまいそうな程に前に倒して全身から力を抜く。しかし目だけは、視線だけは真っすぐに前を見据え続ける。まるで弓の達人が遙か先の飛ぶ鳥を狙うかのように、あらゆる雑念を捨て透き通り波紋一つ無い湖面の様な、凪いだ目で先を捉えた。


「初めてだった。貴女に全てを捧げても良いと思えたのは、心も身体も。だから貴女も頂戴、貴女の全てを——」


 ナターシャは右手を差し出し、指先を緩く突き付けて謡う。

 彼女の【全てを溶かす激情の魔法】は感情の強さに比例し、その感情のままに形を変える。

 煮え滾る程の愛憎や怒りなら骨の髄まで溶かし、優しい慈愛の気持ちなら痛みも与えず夢見心地に殺す。どうあがいても殺すのは、自分だけの物にしたいから。

 毒は女の武器だ。古来より女は毒としか呼べない感情を腹に抱えながら、時には微笑みだけで相手の心に毒を打ち込む恐ろしさを秘めている。その真髄を、化け物達は知るだろう。

 女を怒らせると怖いというのを。愛を知ってしまった女の微笑みは、どんな毒より強烈だと。


「我が名はクリスティーヌ・フィーリウス・ローテリア。帝国貴族は不条理を決して許さない。矜持と忠義を剣に。されど我らは善に在らず。この手は血に染まり、辿る道は屍によって築かれた。謡えや謡え、神はおらず祈りは届かず。さすれば闇を喰らうは更なる深淵。悪魔の囁きだけが憐れな子羊を地獄の狂犬に変えよう」


 クリスティーヌは虹色の杖を強く地面に突き立て、柔らかに謡う。

 クリスティーヌの魔法は【宝石魔法】。ごく一部の魔力を含んだ、あるいは特異な宝石に秘められた宝石の力を引き出す魔法。後天的魔法使いのクリスティーヌの美しさに拘る性格が反映された、らしい魔法だ。

 【宝石魔法】は、使う宝石の力を呼び起こすだけだ。制御しようと思って出来る物とは限らない。

 今、彼女が手に持つ虹色の宝杖もまた秘められた力を持ち、今まさに二度目の力を無作法な観客に披露しようとしていた。長きにわたってクリスティーヌの実の家が保管していた家宝の力を。

 クリスティーヌの詠唱に反応し、虹色の宝杖が煌めきを放つ。されど、クリスティーヌの翠の瞳は光を反射しない。


「さぁ、30秒稼ぐわよぉ」

「ぬかせ。それより早くここを突破すれば済む話だ」


 クリスティーヌの策が始まったのを背中で感じながら、ナターシャとスーリアは行動を開始した。

 目的は30秒を稼ぐ事。通路を埋め尽くして尚、先の見えない化け物の群れを相手に容易な話では無い。だがやるしかないのだ。生き残る為には、クリスティーヌの策を信じるしか。

 前方はスーリアが、後方はナターシャが立ち塞がる。


「白刃一閃!!」

「処女の偏愛」


 攻撃は二人同時に。

 前方から迫り来る獣型の化け物の群れに、スーリアの居合切りが炸裂する。たった一刀。全身のバネと泥塗れの修練が生み出した居合切りは、化け物如きに捉えられる速度ではない。振り抜かれた白銀の刃には一滴の血すら残らず、一拍を置いて化け物達の身体に一本の線が走る。

 右斜めに上がる線だ。一歩踏み出そうとした化け物達は、前に進んだ筈なのに自分の手足が地面に残っているのを、崩れる視界で初めて知っただろう。


 後方から迫る虫の大群には、ナターシャの毒が襲い掛かった。

 強欲な女の抱擁の如き毒だ。執念深くして、嫉妬深い。まさしく男を知った処女の様に絡みついて離さない毒。

 その毒は迫り来る虫の大群の一匹すら漏らす事無く、包み込んで全てを溶かし尽す。全部、自分の物にする為に。


 絶技とも言える二人の攻撃は化け物を尽く打ち払って行くが、それもつかの間。瞬く間に次の大群が襲い掛かる。


「第二波! 会敵!」

「あと5秒くらぁい?」

「まだ10秒も経ってないぞ! 黙って手を動かせ!」

「お姉さん魔法使いだからぁ、手動かさなくて良いんだけどねぇ」


 時間の流れの遅さに苛立ちながら、目の前の化け物に必死の抵抗を見せる。元より数では圧倒的に劣る以上、下手に出し惜しめばその物量に押し潰されるだろう。故に二人は一切の出し惜しみをする事なく、後の事を考えずに今生き残る為に全力で抗った。


「雑魚が! 数でベルファスト家の栄えある剣術に勝てると思うな!」


 スーリアの刀がひたすらに振るわれ、化け物の死骸が道を塞ぎ血脂が周囲を赤黒く染め上げる。鼻に突く生臭さと錆び臭さが開放的に崩壊している筈の廊下に充満していく。

 殺しても、殺しても殺しても化け物達は同胞の死体を踏み越えてスーリアへ襲い掛かり続ける。その様は獣と称する事さえ憚られる程に、醜悪に狂っていた。


「もう! どぉして虫ばっかりなのよぉ!」


 ナターシャが思わず悪態をついてしまう程に、後方からは虫の大群が襲い掛かり続ける。

 戦闘音を覆い尽くす程の羽音に、太陽の光すら黒く染め上げる程の虫の大群。その尽くはナターシャの毒によって塵一つ残さずに溶かされるも、その数が衰える事無く物量に任せて真っすぐに迫ってくる。

 耳を塞いでも聞こえ続ける羽音と、空を覆う黒い動く霧は虫が好きな子供でも発狂物だ。


「スーリア!」

「っ!? しまっ!!」


 最初の歯転びはスーリアの方。数え切れない程に化け物を切り伏せていたスーリアの剣術をしても、刃には血脂がこびりついて少しずつその切れ味を落としていく。少しずつ、スーリアの負担は増していき脂汗が滲み、刀を握り直す頻度が増して瞬きの回数が増えていく。そして運悪く、息を吐いて一歩踏み込んだスーリアの身体が大きく傾いてしまった。

 地面に広がる臓物と血の池。これらがスーリアの足を滑らせて大きく態勢を崩させたのだ。

 エリザベスの声が響き視界の端で飛び出そうとするの認識しつつ、目の前には化け物が大きな口を開けて臭い息を吐きかけて来る。


「なぁっめるな!!」


 最悪な事に、飛び掛かってくるタイミングと態勢を崩したタイミングが重なってスーリアは即座に反撃が出来ない。せめてもの抵抗に歯を砕けんばかりに噛みしめて、切っ先を前へ伸ばした瞬間に、目の前の化け物の顔がどろりと溶けだした。


「ふぅ」

「助か——前を見ろ!」


 間一髪でナターシャの援護がスーリアの命を救うが、一瞬の隙を晒したのはナターシャも同じ。

 スーリアの怒声に気づいた時には、何匹かの虫が毒の防衛線を突破して突出して来た。

 子供の拳程度の大きさの虫で、尻尾にバカでかい針をぶら下げている。それらの虫は真っすぐにナターシャを、その後ろに居るクリスティーヌ達を目指して飛び掛かる。


「悪魔!」

「あんったはそっち見てなさぁい!」


 援護しようとするスーリアを牽制し、ナターシャの身体は後ろの三人を守る為に立ち塞がる。

 しかし正面の防御を怠る訳にはいかない、だが飛び出して来た数匹を倒すのに魔法を使う余裕は無い。故にナターシャが選んだ選択肢は自らの身体を盾にする事だった。

 突き出したナターシャの左腕に、虫達の太い針が突き刺さる。


「あっつ!?」


 毒を使うナターシャに当てつけるかのように、突き刺さった針から劇毒を注入される熱と激痛が走った。煮え滾る熱と寄生虫が腕を食い破る様な激痛は、瞬く間にナターシャの左腕の自由を奪って腐り落とさせた。

 虫の毒の正体は微小な寄生虫なのか、左腕に飽き足らず上へ上へと浸食していく。


「斬って!」

「っ!? 恨むなよ!」


 一切の躊躇い無く、ナターシャは勝つための選択肢を選んだ。左腕の浸食をどうにかする時間は無い。しかし放置も出来ない。経験に裏打ちされた選択肢は、左腕を切り落とす事だった。

 突き出された腐り落ちていく左腕を見て瞬時にそれを理解したスーリアは、迷いのないナターシャの目を見て頭上に構えた刀を一息に振り下ろす。


「ぐぅっ!」

「『帝国スラング!!』」


 腕を切り落とされたナターシャは自分の毒で傷口を焼いて塞いで、スーリアも悪態を尽きながら再び自分の防衛線の死守に戻った。

 だが少しずつ二人の足は後ろに進み、倒しきれなかった敵も増え、じりじりと化け物との境界線が狭まっていく。


「まだか!」

「あと少し! もう数秒耐えて下さいまし!」

「はぁ、はぁ……肩の傷が開いてぇ、右腕が上がらなくなって来たわぁ」

 

 思わず弱音に愚痴を吐いてしまう中、それでも必死に抗い続ける。

 だがじわじわと抜け出す虫が増え、一体倒すのにも時間が掛かり出して追い込まれていった。

 そしてとうとう、ナターシャとスーリアの背中がぶつかる。必然的にクリスティーヌと化け物の距離が狭まり、彼女に凶牙が迫った。ナターシャもスーリアも、大多数を相手するのに精いっぱいで庇う余裕すら無かった。


 無防備なクリスティーヌの前に、エリザベスが立ちはだかる。


「陛下!」


 武器を持たず、戦う力を持たず、病に侵された身体でその身を盾にした。

 スーリアが気付くも、時すでに遅し。助けに向かう事すら出来ない。真っすぐにエリザベスの喉笛を狙う化け物を前に、彼女は固く唇を噛んで睨み続けた。意思だけは屈しないと最後までプライドだけで立ち向かう。

 がしかし、勝ったのは人間のプライド。


「——刮目せよ! 喝采せよ! これぞ人の足掻きなり! 神すら拒絶する絶対の不可侵なり! フィーリウス・クリスタライズ!!」


 クリスティーヌの高らかな宣誓が響き渡り、虹色の宝杖の力が引き出された。

 虹色の閃光が全てを包み込む。

 エリザベスもスーリアも、クリスティーヌもナターシャも、目の前の化け物達も魔王城すらも。世界全てを虹色の眩い光が包み込み、一切の雑音すら許さず静寂を齎した。

 閃光が収束し、皆が目を開けられるようになると目の前の景色に言葉を失う。

 あり得ざる光景に驚いたと言うよりは、見惚れる。という表現を使うのが相応しい様な、目の奪われ方だ。

 目の前まで差し迫っていた化け物達が、数え切れない程に沢山いた化け物達の全てが、この世の物とは思えない透き通った宝石に姿を変えている。

 化け物達をそのまま宝石に作り替えた様な、名のある芸術家が作ったはく製なんて比べ物にならない程に精巧で色鮮やかな、まるでお伽噺の世界に紛れ込んだと錯覚してしまう程に美しい宝石の彫刻があらゆる所に立ち並ぶ。


「きれぇ」

「これは、化け物が宝石に変わっているのか」


 この魔法の効果は魔王城全体に効果を及ぼしているのか、全員が呆けている間も次の化け物が来る気配は無い。

 何処からも、虫の羽音一つ獣の唸り声一つしない。まさしく、起死回生の一手をクリスティーヌは成し遂げたのが。

 勝った。ナターシャとスーリアがそう喜ぼうとしたその時、クリスティーヌが膝を着いて崩れ落ちる。


「おい! 大丈夫か!?」

「…………えぇ、少し。魔力を使いすぎただけですわ」


 エリザベスが咄嗟に支えたお陰で倒れこそしなかったが、クリスティーヌの顔色は血の気を失って青を通り越して白く、息を荒げながら身体を小さく震わせている。

 寧ろ気絶しなかった事に敬意すら抱く偉業を果たしたクリスティーヌの身体を支えるエリザベスは、安堵しようとして違和感に気づいた。


「フィーリウス」

「…………どうかなさいました? 陛下」


 反応を返したクリスティーヌが顔を上げた時、エリザベスの違和感は確信に変わりスーリアとナターシャも気付く。


「ねぇクリスティーヌちゃん」

「ミスナターシャ? 怪我は大丈夫ですの?」

「フィーリウス。貴様……」

「ミススーリア、声に覇気がありませんわよ?」


 常に気高く、誇りと自信に満ちて前だけを見据えていた翠の瞳に光が映らない。何より、三人の声掛けに顔は向けるが、絶対に目が合わないのだ。顔は向かい合うが、視線が少しズレる。声のした方に顔を向けただけだ。

 皆が息を呑んだ空気を察し、クリスティーヌは諦観を含めた儚い微笑みを浮かべる。


「……仕方ありませんわ。ワタクシの【宝石魔法】は力を引き出すだけ。この宝石は理外の宝石だったというだけ、寧ろ視力を失っただけで済んだのは幸運ですわ」


 クリスティーヌの瞳は未来を映さない。誰よりも気高く、誇り高く、自身に満ち溢れていた少女が払った代償は余りにも大きすぎる。

 未来ある少女から光を。美しさを尊ぶ事はもう出来ず、自らが守り通すと誓った国の将来を眺める事はもう叶わない。

 愛しい人の顔を見る事が、出来ない。


「我は、我は! ……子供の未来を奪わせまいと……何故ッ!? ゴホッ、ゴホッ!!」

「陛下! お気を鎮め下さい、身体に障ります」

「……クソが」


 クリスティーヌの犠牲で、未来ある若者に犠牲を払わせてしまったという後悔と憤りは三者三様に現れる。

 誰よりも自分が許せなかった。大人の癖に、子供に守ってもらった歯がゆさも。子供が全てを諦めた笑みを浮かべるのも。そうさせまいと戦ってきたはずなのに、させてしまった怒りが全てを上書く。

 これほどの代償だと分かっていればさせなかったと思いつつ、そうさせるしか方法が無かったからこそ苛立つ。

 特にナターシャの反応は顕著だ。ここまでだとは思っていなかったのだろう。宝石になった化け物を蹴り壊して当たり散らす。


「おままごとは終わった?」


 そんな怒り心頭の三人の前に、この化け物を率いていたオフィーリアが姿を現す。巨大な鳥の背に立った彼女は、無機質な表情で見下ろしている。

 声はかけたが、三人の反応を待つことなく指を指す。そこにいる奴らを殺せと誰かに命令する様に。


「死ね」


 その言葉を皮切りに、化け物が大量に姿を現した。今の今まで相手していた数など比べ物にならない数が、一斉に姿を現す。質も、量も桁外れ。今までの準備運動の尖兵だったのだ。

 そしてこれら全ての化け物はオフィーリアの【未来を視る魔法】によって、クリスティーヌの決死の一撃は先読みされていて事も無く対応されていたのだ。

 絶望を齎す第二ラウンドが始まる。

 化け物達のあらゆる咆哮が響き渡った。


ワクチン二回目こわいよ~。

ワクワクチンチン~♪

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