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変わる事。変わらない事

 



 抱き合うように倒れ込む二つの死体を、オフィーリアは膝を着いて呆然と見下ろしていた。完全に瞳孔の開いた虹色の目で、何の感情も伺えない程の空虚な表情で見続ける。

 何一つ言葉を発する事も、呼吸すらも忘れる程に受け入れがたいと脳裏に焼き付けていた。

 二つの死体は、言われなければ人間だと思うのは難しかった。


 一つは闇の様に深い黒翼を持つ、空色の長い髪を持つ女性。彼女は人類が悪魔と恐れる異世界の人種だけが持つ真紅の瞳を、今は生気を失った虚ろな色で開いたまま倒れている。

 もう一つは、そんな女性の首に食らい付く漆黒の竜騎士。

 清廉さを覚える筈の重厚な作りの甲冑だが、禍々しさすら思わせる棘と赤黒い線が血管の様に表面を走っている。それが人の為の甲冑ではなく、獣の為の甲冑らしく手足は獣の様に太く膨張し鋭い爪が生えている。それだけではなく、身体程の太さを持つ痛々しい棘に包まれた尻尾と筋張った竜の翼が力無く広がっていた。

 その異形の騎士も、同じように真紅の瞳を持つ。今は、半分無いが。


「愛衣……どうして」


 その異形の黒い龍騎士は、オフィーリアが愛衣と呼ぶセシリアである事など言われても気づけない程の変貌だった。

 異形と化したセシリアが食らい付いて抱きしめているのは、実の母であるマリア。死の間際に力を望んだマリアは、自らの魂を代償に堕天使の力に身を窶した。

 心まで別人となってしまったマリアは、同じく獣と化したセシリアと戦い、その結果として二人はこうして死体となって重なり合っている。


 滴る血すら乾いても、オフィーリアは力なく地面にへたり込んだまま動けなかった。


「守りたかったのに。もう二度と傷ついて欲しくなかったのに……だから私は……私は……」


 オフィーリアが取った行動は褒められた物ではない。だが確かに、彼女はセシリアを想って行動し続けていた。セシリアを二度と悲しませない様に、傷つけない様に。その為だけに、オフィーリアは全てを賭して来たのだ。

 その願いすら果たせなかったオフィーリアは、最早抜け殻も同然だった。ただでさえ張り詰めた細糸の様な心が、完全に壊れて行くのをひしと感じる。


「あたた~……久しぶりに気絶しちゃった」


 悲痛なオフィーリアの空気すら気にせず、褐色の女——ダキナ——が暢気に首を弄りながら近づいて来た。

 さび色のベリーショートの髪で、シャツの裾を胸の下で縛るような上着と短すぎるホットパンツと言う自分の体形に自信があり過ぎる格好をしている。

 だが服装以上に、ダキナを特徴づけるのはチシャ猫の様な悪戯好きそうな笑みと鉄製の両腕だろう。

 人を馬鹿にしたような、だけど悪意を感じさせない純粋に愉快さを腹に抱えているんだと思わせる悪戯っ子の笑み。

 両腕は肩の付け根まで生身の腕ではなく、魔力を使わない歯車と鋼糸の義腕。その義手も、ただの腕の代わりではなく掌から杭を撃ち出す武器を内包している。


「お? あちゃ~、こうなっちゃたか~」


 そしてセシリアが、マリアが異形になった原因であるダキナは二人の死体を見てお気に入りの玩具が壊れちゃったとでもいう様な軽さで困ったように眉尻を下げた。

 罪悪感を感じた様子は一切ない。ただ、これ以上面白い劇を見れないんだと肩を落とすばかり。

 普段なら、オフィーリアは射殺さんばかりに睨みつけて殺そうとするが、今のオフィーリアにはダキナの声すら届かない。


「はぁ……お~いお姫様~、聞こえますか~?」


 試しに耳元で呼びかけてみるが、反応一つ帰ってこない。虚ろに、違う。違うと呟き続けている。

 完全に壊れてしまった玩具に落胆したダキナは、さてどうしようかと言うように腕を組んだ。

 そもそもここへはマリアがセシリアを取り戻すために来たのだ。オフィーリアに囲われるセシリアを、例え戦う事になったとしても構わないと無理やり奪い返しに来た。ダキナはそれを見に来ただけ。手を出したのはそっちの方が面白くなりそうだったから。

 だが結果は、マリアとセシリアが殺し合って二人共死んでしまった。セシリアが生きていれば、何時ぞやの様に蘇生させることも可能かもしれないが、考えても詮無い事。


「ね~お姫様~。あたし暇なんだけど~、おしゃべりしよ~よ~」


 岩を椅子にして足をプラプラさせながら、構ってほしくてダキナは呼びかけるが無視。聞こえてすらいない。つまらないと言うのが明らかなダキナはぼーっとする事にしたらしい。

 仲が良いなんて口が裂けても言えない二人な上、今や片方は心が死んでいる。当然仲良くおしゃべりなんてする訳も無く、居心地の悪い沈黙だけが流れる。


「……おと~さん、おと~さん」


 おしゃべりが出来なくて暇を持て余したダキナは、暇つぶしに謡い出した。題名は知らない。歌詞だって中途半端にしか知らない。まるで、幼い頃に聞かされた子守唄の様に朧気にしか覚えていなかった。

 実際、どうやって覚えたのか記憶になかった。ただ何となく耳に残るこの歌を歌う時は、いつも何かをする前だった。セシリアの故郷を半壊させたとき、スペルディア王国でセシリアと戦った時。

 何かが起きる時、必ずこの歌を謡った。だから謡う。こんな呆気ない期待外れの終わり方では無い、舞台の幕が再び予想外の展開で上がるのを期待する様に。


「まお~おが~、くる~よ~」


 ダキナと言う人物は端的に表せば、寂しがり屋の快楽主義者だ。

 自身の【認識を阻害する魔法】の起源にもある、忘れられたくない。その思いだけで、好きだから憎んで欲しいなんて言う構って欲しがりの極地の様なはた迷惑な人間。

 だからダキナは構って欲しくて謡いながら、小石をオフィーリアに投げる。小さい石でも、抵抗する事なく当たり続ければ少しずつ傷が出来た。

 ほらほら、早く助けないと綺麗な顔にいっぱい傷が出来るよ。なんてセシリアを煽る。


「早くしないと。今度は皆死んじゃうよ?」


 謡うのを止めて、セシリアの魂に語り掛けた。憂うように、忠告する様に。全てを失いたくなければ、二度と後悔したくなければ今すぐ起きろと。

 発破をかけるつもりなのか、本気で飽きたのかニヤリと悪戯を思い付いたと言わんばかりの顔をしたダキナは、懐から投げナイフを取り出すと器用に切っ先を持って大きく振りかぶった。

 狙うは、セシリアのもう一人の最愛。最早抜け殻と化した役立たず。項垂れる虹色の少女へ向けて、躊躇いも無くナイフをぶん投げた。


 止める者は居ない。遮る物も無い。真っすぐに全速でナイフはオフィーリアへ迫った。


「——ほんっと。ぶっ殺したいくらいムカつく」


 飛び込んできたナイフが、オフィーリアの産毛に触れた所で懐かしさすら思える声と共に掴まれた。

 期待通りの再演のアナウンスに、ダキナはマジで嬉しそうにさび色の目を輝かせて満面の笑みを浮かべた。死者が生き返るなんてどんな奇跡だと笑ってしまうが、奇跡の一つや二つは起こしてくれないと詰まらないなんて思ってしまうのがダキナ。

 全身の毛が逆撫で、瞳を潤わせて両手を胸の前で組む。頬を高揚させて恋する女の顔になったダキナはその名前を叫んだ。


「セシリアちゃん!!!」

「うっさい死ね!!」


 生き返った。心臓が止まって滴る血すら乾いていたセシリアが、起き上がると一緒にナイフを投げ返した。

 理性を失った獣ではない。マザコンで、ダキナに対しては当たりの強い15歳の少女のセシリアがそこに帰って来た。霧が晴れる様にセシリアの身体が異形の黒騎士から端麗な少女の容姿に戻っていく。

 青空の様に鮮やかな長い髪が風に弄られ、瞼が開かれると、血の様な真紅なのに生きる力が光を見せるのか力強い瞳がダキナを捉えた。

 セシリアは立ち眩みに顔を顰めながら、寝起きの不機嫌さ露わに唸る。


「現実で何があったかは分かんないけど、お前が居るって事は碌な事じゃないよね」

「えへへ」

「うざ」


 嬉しそうに照れるダキナを虫を見るような目で見る。

 寝起きに見るのがダキナの嬉しそうな顔だなんて、奇跡の代償として考えれば安いが気分は一瞬で急転直下。中指を立てて挨拶した。


「……あい……?」


 その姿を、オフィーリアが虚ろな目で見上げる。そして目の前に居るのが魂の入っていない人形じゃない、本物のセシリアだと認識すると掠れた声と共に震える手を伸ばした。

 死んだはずだった。血がこびりつく手には、まだあのうすら寒くなる命が失われる温い体温を残している。だから、目の前に居るセシリアが本当に生きているんだと分かった。

 笑っているのに、泣いている様な笑顔。感情が溢れそうなのに、感情が無くなってしまったような無表情。オフィーリアはまさに狂気としか言えない喜びの笑顔でセシリアへ手を伸ばした。


「あい……あい……」


 やっぱり生きていた。セシリアが自分を置いて死ぬ筈なんてある訳が無い。だって一度離れ離れになってもこうして生まれ変わって、また再会できたんだから。自分と初恋の人が二度と死に別れるなんてある筈がない。

 だから、セシリアが自分の為に生き返って、目覚めてくれたんだと信じて疑わずに手を伸ばした。

 ここに居るよ。寂しかったよ。早く、早くこの手を取って私を安心させて。

 そう願って。セシリアの真紅の瞳が、今オフィーリアに。


「ママ。おはよ」

「——ええ。おはようございます」


 向けられなかった。

 セシリアの真紅は、オフィーリアの虹色を欠片も映す事無くすぐ傍の空色を映した。脳が理解を拒む。

 どうして見てくれない。どうして手を差し伸べてくれない。何故、私じゃないんだ。

 オフィーリアにとって一番はセシリアなのに。セシリアの一番はオフィーリアではない。それだけが、オフィーリアを嫉妬に狂わせる。もう理性なんて欠片も残っていないから、遮る物が何もなくオフィーリアの心に泥が生まれる。

 それはどうしようもない程に冷たく、だけど冷え切った身体には温かく感じてしまった。


「目の色。変わっちゃったね」

「でも、お揃いですよ。昔みたいな」

「う~ん。やっぱり、嬉しいって思っちゃう」


 見てくれない。すぐ傍にオフィーリアが居るのにセシリアはマリアの事しか目に入っていなかった。久しぶりの再会を喜ぶそこに、オフィーリアは居ない。


「ぁい……ぁっ……」


 声が出ない。私はここに居るんだよ? 誰よりも貴女と喜びを分かち合いたいと思っていたのに、どうして私を見てくれないの? そう言えればいいのに、喉が締まって言葉が出なかった。

 唯一出来たのは、弱弱しくセシリアの服の裾を掴むだけだった。


「あ」

「あ……い」


 やっと、やっと気づいてくれた。

 真紅の瞳に、虹色が映る。空色もさび色も映さず、虹色だけが真紅を染める。そう、それを求めていた。

 向けるだけの感情を、同じくらいの感情で返して欲しい。受け入れて欲しい。


「千夏ちゃん……うぅん、オフィーリアちゃん」


 なのに、セシリアは罪悪感を抱える様に寂しげな表情で目を逸らした。それどころか、オフィーリアと呼んだ。前世の親友ではなく、今世の友として呼んだ。

 それはセシリアを愛衣と呼ぶ、前世に拘るオフィーリアにとっては喉が詰まる衝撃を与える。

 衝撃が強すぎて、目を見開き漸く触れる事が出来た手が外れた。

 垂れる手を、セシリアは悲し気に見つめたまま取ってくれなかった。


「な……んで」

「オフィーリアちゃん。高牧 愛衣は死んだんだよ。あの時、車にひかれて死んだの。私はセシリア。大好きなママの娘のセシリアなんだ」


 初恋の人が非情な現実を突きつける。決してオフィーリアが認めようとしなかった、変えようの無い現実を。

 ふつふつと、腹の底に濁った熱い物がこみ上げてくる。


「ちがう……」

「違くないよ。だって死んだんだもん。今、私達はこの世界で生きているんだよ」


 なんでそんな嫌な事を突きつけてくるんだろうか。別に前世に拘っていたって良いではないか。ふつふつとこみ上げてきたものが喉を通って、歯が鈍い音を立てた。生まれて初めて苛立つ。

 セシリアへ向ける愛情の分が、そのまま変わっていくのを感じていた。重すぎた愛情が、壊れた心によって変質していく。

 求めていたのは正論ではなく、許容だった。ただ、受け入れてくれればそれで良かったのに。


「だからオフィーリアちゃん。もう一回、新しい友達としてやり直そう?」


 何とも、筆舌に尽くしがたい音がオフィーリアの耳の奥で鳴った。顔から、一切の表情が抜け落ちる。人形とすら表現するのも足りない。人間、そこまで一切の感情が死ぬ事なんてあるのだろうかと感心してしまう程に、一切の感情がたった一言で死んだ。

 明確に、オフィーリアが今日まで保っていた見えない何かが、言うなれば最後の一線を保たせていた何かが完全に無くなった。


「……く……あは……あははははは!!!」

「ぁーあー」


 一切の感情が死んだまま、オフィーリアは腹の底から笑い声を上げて空を仰いだ。それを見てセシリアは心配そうに手を彷徨わせたまま声を掛けられず、ダキナは友情の崩壊を目の当たりにして呆れ笑う。

 オフィーリアはひたすらに笑い続けた。

 表情の一切を無くしたまま、濁った虹色の瞳を見開いて青空を仰ぐ。陽の光に照らされても光が差さない瞳は、オフィーリアの心情を示している様だ。

 笑い続ける。ただひたすらに、オフィーリアの今を否定された事が滑稽すぎて嘲笑う。


「……もういい」


 ふっと脈絡なく笑うのを止めて、肩の力を抜く。もう全てがどうでも良い、疲れたと言うように空を仰いだまま脱力に言葉を漏らすと、気だるげにセシリアを見た。首に力を入れないままセシリアを見るオフィーリアの目は、もう愛情も狂喜も無かった。

 ただの無。

 狂的な執着を向けていたセシリアを、今は見ていない。視界に映してるのに、認識しない。


「オフィーリアちゃ——」


 何が起こったのか理解出来ていないが、オフィーリアの心が悪い方へ変わってしまったのを感じてしまったセシリアが声を掛けようとするのを遮って、オフィーリアはポケットから手のひらサイズの宝石を取り出すと、雑に地面に落として踏みつぶした。

 宝石に秘められた魔法が、殻である宝石が無くなった事で世界へ進出する。幾何学的な紋章が地面に広がり、オフィーリアを照らし上げる。

 高い技術によって作られた高度な魔法。それはオフィーリアの背後の空間がぐにゃりと歪んだ事で空間に影響する、と言うより空間と空間を繋げる魔法だと周知させた。


「コケ? ケカ!」


 歪んだ空間の向こうから、毛を逆撫でする様な見た目の化け物がぬるりと姿を現した。馬と鳥を掛け合わせたような姿をしている。明らかに人工的に複数の生き物を掛け合わせて作られた生物は、生物と表現して良いのかは難しいが少なくとも生理的な行動を見せる。

 子供が、寝物語に出てくるユニコーンを目指して粘土で作ろうとして出来上がった失敗作の様な化け物は、オフィーリアを認めると騎乗を求める様に膝を折った。


「ねぇ()()()()。私にとって愛衣は、生きる意味なの」


 化け物の登場に警戒しだしたセシリアへ、オフィーリアは告白を始める。

 そう言えば、心の内を語るのは初めてだな。と出し抜けに思う。それじゃ気持ちなんて伝わる訳が無いよな、と思いつつどうでもいいやと首を捻った。

 心底、どうでも良いと言う雰囲気を纏わせたまま、どうしてとでも言いたげに泣きそうな真紅を見て口元を歪めた。


「一目惚れだった。依存だった。初恋だった。私は愛衣さえ居ればそれで良かった、満たされた。どうしようもない程に、愛衣を好きだったの」


 あの夕焼けの中で、最後まで言えなかった告白を世界を跨いで完遂した結果は、罪悪感で傷ついた真紅が答え。きゅっと唇を噛むセシリアの顔が、叶わないと示す。

 だがそれすら、オフィーリアは喜ばし気に酷く酷薄に喜ぶ。

 壊れた彼女にとって、セシリアに癒えない傷を残した事は喜ばしい事でしかなかった。今ならダキナの気持ちが分かる。好きな人が自分の事を忘れられない程の傷を与える、この快感の味を知った。


「きっとこの世界が悪いのよね。この呆れる程に残酷な世界が、私の愛衣を殺したんだわ」


 掌にずっしりと残るリボルバーを見下ろし、元の持ち主に投げ返す。足元へ投げ捨てられたリボルバーは、傷だらけで使い込まれていてオフィーリアには合わない。

 さぁその銃を持って、私を撃ち殺して。とお願いする様に両手を広げてほほ笑んだ。酷く冷たく興味なさげに。


「オフィーリアちゃん」

「その名前で呼ぶな!!!」


 縋る様に名前を呼んだセシリアに、オフィーリアは一転して激情をぶつけた。

 怒りなんて可愛い物ではない。憎悪に嫌悪。あらゆる負の感情のままに、オフィーリアと呼ばれる事を嫌う。

 驚いて口を噤んだセシリアに、オフィーリアはせせら笑う。


「良いよね、望みが叶ったんでしょ? 生まれ変わって愛してくれる母親と出会えて、充実した毎日を送れたんでしょ?」


 視線を滑らせて、もう一つの真紅を見る。初恋の人に愛され、大切にされ、望まれ続ける憎い女を。だが最早、マリアを見ても嫉妬も憎しみを浮かばなかった。

 ただ痛みを堪える様に泣きそうな顔で黙って成り行きを見続ける姿を、どうでも良いと一瞥して、もうセシリアすら見なかった。


「でも私は? 転生して幸せだと思った事なんて一度も無い。あの日を後悔するばかりで、何も変われず堕ち続けていく私を誰が愛してくれるの……無理だよね。貴女は愛衣じゃないんでしょ」


 虚空を眺めたまま、溜まった不満を吐き出して自己完結する。

 もうその目に、真紅は映らない。


「結局、カエルの子はカエルって事か。過去に縋るばっかりで、前を見ない。一人でふさぎ込んで、狂って、それで傷つく人が居ても気にしないんだから」


 オフィーリアの身体には、二つの魂が混じっている。

 誰にも愛されず愛を渇望するオフィーリアの魂。初恋の人を死なせてしまった後悔で狂う千夏の魂。

 今までそれは水と油の様に混ざり合わず、しかし共依存の様に同調していた二つの魂が壊れた器の中で混じり合った。

 オフィーリアの渇望と、千夏の狂気が黒く混じり合うのが不快では無かった。


「でもどうでも良いの。この会話も、世界も何もかもがどうでも良いの」


 穏やかな微笑みを浮かべて、小首を傾げた。壊れた人間の光の無い虹色の瞳に何も映さず、しかし今まで苛まれていた酷い頭痛が漸く無くなったとでも言うように晴れやかな雰囲気で。

 人間味を感じさせない雰囲気で、全ての興味を失ったと語る彼女は化け物の背中に乗って宣言する。


「だから壊すわ。この世界も、私の幸せだった思い出を否定するセシリアも。愛してくれないなら、要らないわ」


 狂った初恋の果ては、世界への絶望。世界滅亡の誓い。

 荒唐無稽な宣言だ。しかし彼女はその手段を持ち得ている。知っている、否応なしにこの世界が破滅の憂いに瀕しているのを。たった一人の過去の産物が今まさに世界を滅ぼさんとしているのを。

 だからそこに加わるだけ。その切符も、化け物の背中に乗った事で手に入れた。


「ちが……! 私は、オフィーリアちゃんと前みたいに友達に」

「はっ……」


 ここまで来て、友達だなんて言うセシリアを嘲笑う。そこ止まりなんだ、それでは意味が無いのに。だがもうそれを訂正する気すらオフィーリアには無くて、それ以上の問答する事は無かった。


「まずは貴女の友達を殺すわ。故郷も、大切な物は全て壊してしまうわ」


 はっきりと平和を滅ぼすと伝えると、セシリアが敵意を浮かべた。ほんの一瞬だけ、直ぐに後悔する様に少し俯く。

 だが一瞬の敵意を向けられた事を知ったオフィーリアは、嬉しそうに目を細めた。

 そして同じ所まで堕ちているダキナを見る。彼女と目が合うと私何かしました? とでも言いたげに大げさに口に手を当てて驚いた表情を作った。


「満足した?」

「そこそこ? こうなる気はしてたし。だってセシリアちゃん鈍感なんだもん」


 ダキナの言葉はセシリアの心を抉る。彼女自身、ここまでオフィーリアを追いつめたのは鈍感が故なのか今まさに後悔している所だろう。

 後悔なんて後の祭りで、今更もうどうにもならない。そんな風にショックを受けるセシリアにほの暗い笑みを浮かべたオフィーリアは、空間の歪みに向かっていく。


「待って! お願い待って!」


 初めて、セシリアが縋りついた。今までとは逆の構図に、オフィーリアは喜ばしさで口端を引いた。だが差し伸ばされた手を無視して、騎乗したまま肩越しに見返す。

 まだ行かないのかと不機嫌そうに泣き声を上げる化け物を窘めつつ、オフィーリアは最後の挨拶と洒落込む。


「またねセシリア。貴女とはもう二度と会いたくないわ」


 次は愛衣として会えれば良いよね。と暗に込めてその姿を歪みの中に姿を消した。

 完全に友情は崩壊し、絶望と共に敵対する事となった友の背中を見送る事しか出来なかったセシリアは、力無くその場に膝を着いて項垂れる。

 必死な思いで精神世界の檻から抜け出したというのに、この仕打ちにはキツイ物があった。


「……セシリア」

「何で。私は、ただ……」


 自分が悪いのだとは分かった。だけどこんな結末を望んだ訳なんて無い。セシリアの願いは大好きな母と同じくらい大切な親友と笑い合う事なのだから。

 結局、拗らせた初恋に気づかず逆撫でしてしまった結果が袂を分かつ事となった。

 度重なる逆境でも抗い続けたセシリアだが、親友の最後の姿にはショックを抑えきれず、ポタリと地面に水滴が落ちた。

 震える肩に、マリアが手を置いても反応出来ずに項垂れ続ける。


「間違ってたの? 私がして来た事は……全部……」


 親友だと思っていたのに、彼女の気持ちに気づけなかった後悔。止められなかった罪悪感。元凶なのが自分だという閉塞感。

 その全てが重たく重なり合って、一気にセシリアの心を押しつぶしていく。

 だが、セシリアはもう一人ではない。


「セシリア!!」


 腹の底から出されるマリアの声。共に鳴り響く頬を勢いよく挟み込む乾いた音。

 セシリアの両頬を、マリアが勢い良く叩くように挟み込んで俯いていた顔を無理やり正面に向けさせた。

 父親の遺伝で変質した真紅の瞳と、娘の血で変質した真紅の瞳がかち合う。驚いて見開くセシリアの両眼に、マリアの怒った顔が超至近距離で映った。

 怒られている。と不安そうに怯えだしたセシリアに、マリアは力を抜くように優しく微笑む。悪戯をしてお説教中の子供に、最後の締めにじゃあ一緒にごめんなさいしましょう。とでも言うような安心してしまう優しさで包み込んだ。


「諦めちゃ駄目ですよ。セシリアなら彼女も救えます、だって私の事を救ってくれたじゃないですか」

「で、でも」


 優しく励ますマリアに、これ以上自分に何が出来るんだと首を振る。親友の気持ちを何一つ理解出来ていなかったのに、ただ追い詰めただけのセシリアに何が出来るんだと。

 また俯きそうになったセシリアに、マリアはこつんと額と額を押し当てて止める。目を逸らさない様に、逃がさない様に。


「セシリアはどうしたいんですか? 我儘な私の大好きな娘は」


 マリアはただ優しく、セシリアを受け入れて道を示す。親として正しい事を成す。


「私は——」


 どうしたいか。

 マリアは余計な事を考えさせない様に問いかけた。

 大事なのは、セシリアの気持ちだ。

 セシリアがしたい事を。セシリアがすべき事を。

 それだけを本人に考えさせる。優しく微笑み、大丈夫だと安心させる。深い闇の中で約束した通り、もう二度とセシリア一人に背負わせない。セシリアの傍に常に居続けると。

 頬から手を滑らせ、両手を握る。指先から、額から。心地良い体温を伝えさせ傍に居ると証明する。


「仲直りしたい」


 セシリアの顔が上げる。その顔には、強い意思以外浮かんでいなかった。

 折れかけた心が、再び強靭な鎧に包まれる。

 セシリアだからそれが出来たんじゃない。マリアが、そうさせた。きっと言葉を掛けるだけだったら不可能だったろう、以前のマリアだったらそうしていた筈だ。

 だけど今のマリアは違う。明確な覚悟を持っている。何があっても隣に立ち続ける。もう二度とセシリアだけに戦わせない。必ず、傍に居続けると。

 その覚悟が、セシリアに再び立ち上がらせる力を。決意を齎した。


「はい。それでこそ、私のセシリアです」


 力強く再起したセシリアを嬉しそうに目を細めながら、マリアはごく自然に優しく抱きしめる。良く出来ました、と遅れたけれど絶望から救ってくれてありがとう。と感謝と労いを籠めて。セシリアも何も言わずに抱きしめ返す。

 お互いの首に顔を埋めるような愛情のハグをして、体温も匂いも共有する。しかしお互い汗と血の匂いで酷い物だから、思わず苦笑してしまう。


「へへ、べたべただね」

「ふふ、でもこの匂いセシリアって感じで癖になっちゃうかもです」

「え……匂いフェチ?」

「ちっ違います! そういうんじゃなくてえっと……」


 隙あらばいちゃつく二人。母娘として再会を喜び合う。あんな事はあっても、二人っきりの世界を作れるのはそれだけお互いが好きすぎるからなのだが。

 とりあえず再会の喜びを分かち合ったセシリアは、重たい腰を上げる。

 もっといちゃつきたいのはやまやまだが、やるべき事がセシリアにはある。


「ふぅ。そうと決まれば、オフィーリアちゃんを追いかけないと。でも何処へ空間跳躍したのかが分からないし」

「チラッ」


 マリアに手を伸ばし、立ち上がらせる。オフィーリアを止めるという目的は出来たが、手段が乏し過ぎた。

 背中を向ける。

「え、ええ。あり得るとしたら私たちの故郷でしょうか」

「う~ん。勘だけど、違う気がする」

「チラッチラ」


 無い。無いったらない。

 また背中を向ける。


「チラ~」

「あの、セシリア」

「……」


 チラッチラ視界に映ってくる女が、背中を向けても向けても回り込んでくる。

 地面にはミステリーサークルばりの線が出来上がって、もう我慢の限界だった。本当に、最悪過ぎるこの上ない気持ちで、苦虫を嚙み潰したような顔で目を合わせる。


「なに」

「あはっ!」


 心底厭そうな顔で、低い声だと言うのに目が合っただけでさっきからチラチラとアピールしていたダキナは破顔一笑になる。

 それはもう、飼い主がリードを手にした瞬間のおバカな犬の様な喜びようだ。逆にどうしてこんなに厭そうなのにそこまで喜べるのか感心してしまう程。


「セシリアちゃん。あたしに任せて! あたしあいつが何処に行ったか分かるよ!」


 頼んでもいないのに全身で協力体制を見せた。ここまで散々裏切って状況を悪化させたダキナが。

 当然信用できるわけなんて無く、マリアですら眉を潜めてセシリアを見上げる。


「はぁ、仕方ないか」


 このダキナと言う女。非常に嫌らしいのが、他に選択肢が無い時に限ってこの女が選択肢に紛れ込んでくる。選ばざるを得ないというのが、散々痛い目を見せられてきた二人にとっては絶対に選びたくないのだが、背に腹は代えられなかった。

 セシリアの諦めに、ダキナは目をキラッキラに輝かせてポケットを弄った。


「えっと、あり? どこやったけ~?」


 セシリアの気が変わる前に何とかしたいのだろうが、目的の物が何時まで経っても見つからないダキナ。そして出てくるわ出てくるわ、飴に玩具に小銭にパンツ。ポロポロと良く分からない物を大量に地面に落としながら、ダキナはとうとう目的の物を見つけ出した。


「あったー!」

「……何で谷間に仕舞ってんのよ」


 散々漁り尽くしたポケットには結局入ってなく、谷間の中から発掘を果たしたそれを天高く掲げて満面の笑みを返す。ドヤッと言いたげな顔に呆れを返せば、ダキナは構って貰えた事で嬉しそうにルンルンでオフィーリアが消えた場所へ向かった。


「え~っと、確かこれをこうしてこうだったかな?」


 見つけ出したのはガラスの破片の様な物。特別目を惹くような事は何もないそれを、踏み砕かれた宝石の上に置く。背中越しに何をしているのか分からないが、あーでもないこーでもないと唸って数分もしない内に出来た! と声を上げると、オフィーリアが使った物と同じ空間の歪みがそこに現れた。

 これにはセシリアもマリアも素直に驚くが、ダキナが褒めて欲しそうに無言で見上げて来たので、二人して無視。

 しゅんとしても無視。ダキナの扱い方が分かって来た二人は次の戦いへ意気込む。

 ごく自然に、二人共何を言わずとも指先を絡めて手を握る。


「そう言えば、言い忘れてた」


 色々あっても、セシリアが欠かさず言い続けていた言葉を忘れていた。

 これを言わなくては再会したと言えないだろう。マリアも何を言われるか分かっていて、繋いだ手を握り返してほほ笑む。


「ただいま。ママ」

「はい、お帰りなさい。セシリア」


 行ってきますなら、マリアがセシリアの頬にキスを。

 ただいまなら、セシリアがマリアの頬にキスを。

 何時もなら親愛のキスをするが、今はもっと違うキスをお互いがしたかった。もっと先の、互いの想いが親子とは違う愛情なのだと知った二人がしたい事を。

 セシリアが顔を近づけ、マリアが受け入れる様に目を閉じる。頬に手を添え、後は流れに任せるだけ。

 夢の中じゃない。本物の体温を感じながら、現実で夢を果たす。


「ちゅーするなら服着たら~?」


 あと少しで本当のキスが出来るのに、ニヤケ面と共に邪魔が入った。

 あと数センチの所でセシリアの動きが止まり、自分がどんな格好をしているのかを思い出して徐々に顔を赤くして、目を開くと共に叫んだ。


「おっまえは本当にぃ!!」


 やっぱり嫌いだ!!

 セシリアの絶叫が山の向こうまで木霊した。


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