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憎まれっ子世に憚る

 



「あはーはーはー!!」


 突如、天井を突き破って現れたダキナはマリアの姿を見て腹を抱えて爆笑していた。

 マリアの姿は酷い物だ。全身白い血液と腐肉塗れ、黒翼からは血が滴り、顔色は悪く今にも死んでしまいそうな程青白い。

 それ以上にダキナの琴線に触れたのは、服の前面が裂かれた事によってあられもなく晒されている胸部だった。

 マリアはそこを気にしている余裕なんて無かった。忘れていた位だ、だからそれを笑われて、何よりダキナの雰囲気に呑まれて羞恥心が返ってくるとマリアは顔を真っ赤に染めて両手で隠した。


 その姿に、ダキナは一層笑いこける。


「あはーはー! 無理っ! 無理ぃ! おっぱい丸だしで戦ってるとか!」


 黒い虫の群体も、ダキナの地面を転がって笑う姿に呆然とする。

 何だこれは、何だこの人間は。初めて見る人間の姿は、虫の本能を停止させる程度には衝撃だったらしい。

 まぁ、化け物染みた見た目の黒い虫をガン無視で知り合いのあられもない姿を爆笑してるのは、何だって驚く以外ないだろう。


「あはーはぁ。あ~笑った笑った。ほんとマリアちゃんと言いセシリアちゃんと言い、一緒に居て楽しいの無いや」


 目尻に浮かんだ涙を払いながら、漸く落ち着いてきたダキナは息も絶え絶えに立ち上がった。服にこびり付く腐肉を払いながら、義手をぷらぷらと揺らしてマリアに近づく。

 流石にマリアも平静を取り戻し、黒翼をざわつかせて警戒の色を浮かべた。


「どうやってここに」

「ん~? 上から」

「見ればわかります。何故ここが分かったのか、どうやって来たのかを知りたいんです」


 相変わらずマリアが聞きたい事を分かっていて、勿体ぶるダキナのニヤケ顔にマリアは苛立ちも露わに語気強く返した。

 ダキナは唇を尖らせ、顎を人差し指で叩きながらう~んと呟く。緊張感の欠片も無い。


 どうやってここに来たか。それは単純だ。

 マリアを探して歩いていたら、いきなり目の前に光り輝く紋章が地面に現れた。初めは警戒したが、何がある訳でも無く消失。

 何だったんだろうと考え、地面を掘ったら何かあるんじゃないかな? なんて考えたダキナはパイルバンカーで地面を穿いて掘り進めたら、何とマリアと再会したではないか。

 偶然と言うには出来すぎだし、そもそも気になるから地面を掘ってみようなんて普通はやらない。

 でもダキナは普通じゃないから、こうしてまた再会を果たしたんだ。


「答えても良いけど、まずはこっちが先じゃない?」


 言いながら、背後へ右手を向けると共に義手のパイルバンカーを射出させる。

 肘から突き出す杭が火薬と内部機構によって弾かれ、激しい火花と金属が擦れる悲鳴を立てると掌の先に居た黒い虫の頭を貫いた。

 白い血液がダキナの頬に飛び散り、指先で拭い取る。


「でっかいゴキブリ。見た事ないなぁ、突然変異……いや、この施設の薬品でも飲んで育ったのかな?」


 知的好奇心を疼かせながら、ダキナは興味深そうに黒い虫の痙攣する新鮮な死体を足蹴にする。

 視界の端では、驚きから復活した黒い虫の群体が動き出しているのに。


「キィィィィ!!」


 その鳴き声は仲間を殺された事に対する怒りか、邪魔をするダキナに対する苛立ちか。

 判別する手段は無く、理由も無い。ダキナも、それ自体に興味はなさそうだ。


「くっ!」


 黒翼を広げ、拳を握り込んで戦おうとしたマリアをダキナは手を翳して止めさせた。銃口を向けない様に五指を広げないで、しっしっと払うように止めたダキナはニヤケ面のまま視線を少し下げる。


「おっぱい出したまんまで戦われても笑っちゃうから止めて?」


 そう馬鹿にする様に言って、ダキナは黒い虫の群体と向き合う。

 振り向き様に一瞬だけ、ダキナが労う様に優しい笑顔を浮かべたのは……きっと気のせいだろう。


「さーてと。クズはクズらしく、清掃ボランティアと行きますか」


 首を鳴らしながら、ダキナはチシャ猫の様な笑みを浮かべてゆっくりと歩く。

 義手のパイルバンカーを装填し、部隊役者の様に芝居がかった仕草で大きく手を広げた。

 月明りのスポットライトに照らされ、巨大な化け物と対峙する彼女は、まさしく主役なのだろう。


「ま~ずは」


 マジシャンが種も仕掛けもありませんと前口上を述べる様に、両手の平を化け物へ向ける。

 小手調べと行きましょう。そう呟くのを引き金に、両手から激しい火花を散らせて二本の杭が螺旋を描きながら撃ち出された。

 二本の太くて鋭い杭は、弾丸にも等しい速度で黒い虫の群体の、脳天を撃ち抜いた。


「ギィィィ!」


 大量の黒い虫が群がって出来た巨大な黒い虫の頭が吹き飛ばされた事によって、大量の黒い虫が散らばって巨大な黒い虫も動きを止めた。

 悲鳴を上げているが、それは集まれと言う指示かも知れない。実際、飛び散った黒い虫達は律義に失った頭を再び形成しようと集まる。

 それを、ダキナは興味深そうに眺めた。


「へ~、虫って確かに集団を作るけど、これは初めて見る。でもどうやって集団を維持しているんだろ、女王虫でも居るのかな?」


 考察を深めながら、ダキナは義手を一回強く振った。

 義手の中で歯車が組み変わる音が鳴り、義手の形が変わった。極力生身の腕に近い形から、より武器として性能を高める重厚な見た目に。

 排熱性を高め、一撃をより重たくする為に支柱の様な棒が肘へ向けて伸びる。


「その秘密を暴くために、我々調査隊はより強力な武器を使う事にしました。なんつって」


 懐から、新しい杭を取り出して装填する。

 その杭は、通常の杭より一回り太くて二回り短い。杭と言うよりは、樽と表現しても良いだろう。

 貫通力よりも、破壊力を重視した杭。


「キィィィ!!」


 再形成が終わった黒い虫の群体は、今度は確実に怒っているのだと分かる絶叫を上げて一心不乱にダキナへ詰め寄る。

 ダキナが両手を差し向けていても、もう二度と止まるつもりは無い位の全速力で。

 撃ち出される杭が何であろうと、自分には効かないと慢心しているんだ。


「あはっ」


 馬鹿正直に真正面から突っ込んでくる黒い虫を嗤って、杭でお出迎えする。

 両腕が反動で押し返されながら、飛び出した杭は目で捉えられる程度の遅さで飛んでいく。一瞬、黒い虫は避けるかどうかを思案する様に硬直した。しかし遅すぎる、一度目の杭は音速だったのに、二度目のこれは何だ。まるでシャボン玉だ。

 避ける必要すらないと切り捨て、そのまま突っ込む。


 ダキナは、嗤った。


「ば~か」


 ベ。と舌を出した瞬間に、杭は黒い虫の目の前で爆発した。

 その爆発は、中に入っていた大量の杭を鉄の雨として打ち出す為の爆発。何十という大量の杭が、一切の隙間なく黒い虫の群体に降り注ぐ。

 一切の隙間無く、鉄の雨は殻を貫き肉を抉った。悲鳴を上げる事すら出来ずに、何十という数の黒い虫が粉微塵と化していった。


「す……すごい」


 ばらばらと降り注ぐ黒い虫の死骸を眺めながら、マリアは呆然と呟いた。

 強い。

 ただその感想しか思い浮かばなかった。

 マリアがあれほど苦戦していた黒い虫の群体を、事も無げに相手したばかりがあっさりと蹂躙したではないか。

 下半身を残して震える黒い虫の群体を、マリアが眺めているとダキナの笑い声が響いた。


「あはーはーはー!! ぶ、文明の利器サイッコー!!」


 最っ高に気持ちよさそうな声を上げて、高らかと笑い続ける。

 黒い虫の死体を踏みつけて、余りの昂りに瞳孔が完全に開いている。

 楽しくて楽しくてしょうが無いと、心の声が駄々洩れだ。


「キ、キィ……」

「アレは!?」


 上半身が吹き飛ばされた黒い虫の群体の様子に、マリアが気付く。鳥肌が立つ程に群がる黒い虫の中に、一匹だけ真っ白な一回り小さい虫が居る。

 杭に身体を穿たれ、痛みに弱弱しい鳴き声を上げている。そんな白い虫を、他の虫は守る様に自らの身体で再び覆い隠そうとし出した。

 それは弱点を隠そうという意思にも、女王を守ろうとする臣下にも見えた。


「や~っぱり居た~♡」


 ダキナはウットリと笑いながら、逃げようとする黒い虫の群体へ向かって地面を蹴った。一気に距離を詰め、壁を蹴って高さを合わせる。

 不完全に再結成した黒い虫は、怯えた様に後ずさった。もうそこに、一心不乱に突っ込もうとする強気さは無い。


「逃げないでってば~」


 逃げようと後ずさった黒い虫の群体へ、ダキナはその身一つで飛び込んだ。大量の触覚や尾葉が褐色肌を撫でる。不快な筈の感触に鳥肌が一斉に立つが、怯える黒い虫を千切っては投げて女王虫の元へ進む。

 黒い虫達は、されるがままであったり逃げ出す個体まで居る。


 虫達は、きっとこの数分で様々な感情を知っただろう。今まで縄張りの中で、ただ食事と繁殖を繰り返していただけの虫達は、猛烈に身体を支配するその感情の名前を知らない。

 ただただ、目の前の女から逃げなくてはいけない。ここに居てはいけない。生まれて初めて、言葉も知らずに恐怖がどんな物なのかをその身で知った。

 だから逃げる。生存本能に従って、逃げなければいけないと這い回る。


「キィィィィィ!!!」


 しかしそれを白い虫は許さない。

 自らの手足となる他の黒い虫が、何故自分を置いて逃げようとするのか。理解しつつも理解しがたいと絶叫を上げて、まるで逃げるな、あいつを殺せ、私を守れ。と言うように叫んだ。

 それによって、他の黒い虫達は逡巡した。生物としての本能か、刷り込まされた種としての本能か。いずれにしても、その絶叫によって思考を放棄した虫達はまるで半狂乱になりながらダキナへ群がった。


「あはーはー!」


 群がる黒い虫に、身体を食い千切られてもアドレナリンが出すぎて痛みを訴えるよりも大爆笑で、邪魔する虫を千切って女王虫へ迫る。

 片や狂奔に食い殺そうとする虫、片や狂喜に浸りながら真っすぐ進み続ける女。虫の絶叫とダキナの笑い声が響く中で行われる殺し合いは、おぞましい程に凄惨だった。


 白い血液と赤い血液が飛び交い、マリアの元に虫の死骸が幾つも飛んでくる。

 その中には人の歯で噛み千切られたのもあって、ダキナの戦い方が如何に激しいかが窺える。

 慄いているマリアの前に、ダキナが転げ落ちて来た。


「だ、大丈夫なんですか!?」

「あはー、ダイジョブダイジョブ。流石に数が多くて大変かな」


 ダキナは全身血だらけで軽薄に笑う。虫の白い血液と自分の血、それだけでも酷い姿なのに、身体中の至る所の肉が削げていて普通なら死んでいなくても息をするだけで激痛に動く事が出来なくなっても可笑しくない。

 それでもダキナは肩を回し、まだまだやる気充分に唇を舐める。


 それはある種、女王虫を守る為に狂奔に殺そうとしてくる虫にも通ずる執念で、マリアは鳥肌が立つ。

 言葉を無くすマリアに、ダキナは顔を向けた。悪戯を思いついた子供の様な満面の笑みで、嫌な予感がする。


「マリアちゃ~ん、お願いがあるんだけど~」


 いやらしく猫なで声でお願いなんて言っているが、マリアに用意された答えは一つしかない。このままダキナを餌に、天井の穴を登って逃げることも出来る。寧ろ、その方が一番確実だ。虫達はダキナだけを見ているから。

 マリアは押し黙って眉間に皺を寄せる。


「……何をすれば良いのですか」


 絞り出すように重たく、ダキナの話に乗っかった。

 ダキナを見捨てて一人で逃げる。それは、人として最低の行いだ。もしそれをすれば、マリアはセシリアに正しく向き合えなくなるだろう。それが悪人であるダキナであろうと、人として恥ずべき行いは、母親としてのマリアが許さない。

 それに、逃げないと決めたんだ。なら、その誘いに乗るしかないだろう。

 何より。


(ダキナさんに借りを作るのは、腹に据えかねます)


 良い所ばかり持っていかれるのは気に食わないという、至極シンプルで分かり易い感情が一番だった。

 それを察して、ダキナは嬉しそうに笑う。


「あはっ。それじゃこれあげるから、デカいのお見舞いして」


 緑の薬液が入った注射器を取り出した。ダキナ様お手製の、魔力回復薬。回復薬とは言うが、根本的には強心剤や麻薬の類である。搾りかす程度の魔力しかない身体に、鞭打って魔力を絞り出す。

 戦場で兵士が死ぬのを覚悟して使う薬を、ダキナが手を加えた物だ。

 それはセシリアも使った事のある物で、見覚えのあるマリアは嫌悪感に顔を顰めながら受け取った。

 毒や罠とは思わない。そういうつまらない事は、やらないと嬉しくない信頼がダキナにはある。


「それじゃ、あたしはまた遊んでくるね」


 ダキナは動き出した黒い虫の群体に、再び飛び込んでいった。

 マリアの準備が整うまでの時間稼ぎはダキナの仕事。彼女は再び嬌声にも似た笑い声を上げながら、黒い虫達と戯れる。


「ふぅ」


 それを尻目にマリアは僅かに躊躇いを見せるが、覚悟を決めて注射器を首に打ち込んだ。

 疲弊の酷い身体に、異物が入り込んでいるのが分かる。深呼吸する度に身体に力が湧いて来る。だけど根本的に回復した訳ではなく、限界近い身体に残った、生命力とも言える使ってはいけない力を絞り尽くして魔力を作り上げている。

 とはいえど、それも万全ではない。出来て、あと一回魔法を使えるかどうかだろう。

 今も、強く歯を食いしばらなければ立っている事も難しい。


「…………」


 それでも膝は折らない。深く瞑目し、集中する。

 勝つ為には、セシリアに会う為には、生きる為には。ただそれだけを考え、余計な思考を放棄する。

 恐怖には屈した。だからもう恐れない。

 後悔で泣いた。だからもう泣かない。

 無力に逃げた。だからもう目を背けない。


 二度と、あんな思いをするのは御免だ。


「行きます」


 瞼を開いて覗いた真紅の色は、春の風に撫でられる彼岸花の様に鮮やかで、静かだった。


「あはーはー! あぎゃ!?」


 ダキナの方も、もう限界の様だ。

 奮闘は凄まじく、血で血を洗う激しい戦闘でダキナの片腕は半壊し、飛び掛かって来た虫に地面へ押し倒された。

 黒い虫の鋭い咢がダキナの顔に迫り、彼女は突き飛ばす力も既になく足で押しのけようと抵抗する。しかしそこへ、他の虫達が加勢に迫る。


「あは。やば」


 流石の彼女も頬を引き攣らせ、慌てて残った右手の義手に杭を装填しようとする。だが鼻先にはカチカチとなる鋭い咢、一瞬注意を逸らした隙を突いて咢は更に迫り、慌てて足に力を込めた衝撃で杭は滑り落ちてしまった。

 左腕の無い彼女では、それを取りに行くことも出来ない。

 目の前には食い殺そうとする虫の咢、背中は生温い血液のワックス掛けの床。四方にはカサカサと迫る虫達。


「マリアちゃーん! 流石にヤバいってー! 助けてー!」


 死にかけているというのに、本気でヤバいと分かっている癖にやはり緊張感を微妙に感じない様子は、死んでもダキナらしい。

 そして、死なないと。マリアが助けると分かっているから、目の前の黒い虫の側面に黒い羽根が勢いよく突き刺さっても驚かなかった。


「じゃっま」


 力なく圧し掛かってくる死骸を蹴飛ばし、ダキナは身体を起こす。その背中に黒い虫が飛び掛かっても腰に手を当てて疲れたとため息を吐いて見ればその虫諸共、黒い羽根に穿たれる。

 待ちに待った主役の登場に、ダキナは嬉しそうに目を細めチシャ猫の様な笑みを浮かべて歩いて来るマリアへ顔を向けた。


「気分はどう?」

「最悪です。何ですかあの薬」

「傭兵時代は評判良かったんだよ? 皆してダキナ薬をくれ、アレをくれ。頼むよ何でもするから。ってハーレム気分に浸れた代物なんだけど」

「それを娘にも使わせましたよね、ここから出たら一発殴らせて下さい」

「やーだぴょん」


 左の義手に杭を装填し、ダキナはぴょんと飛んでマリアから距離を取った。思わず舌打ちを漏らしたマリアも、その後を追って黒い虫の群体を見上げる。

 黒い虫の群体は最早、その形を保つことが出来ない程に数を減らしている。

 半数は逃げ、ダキナに殺され、残った黒い虫達は女王の命令に従って周囲を守り続ける。


「キィィィィィィィィ!!!!」


 結末はどうであれ、最後である事を悟ったのか女王虫である白い虫の絶叫が響き渡った。命令は、あの人間共を殺せ。だろうか。黒い虫の群体はそれぞれ決死の鳴き声を上げながら迫り出す。


「んじゃ、よろー」


 ダキナは気軽に手を振り、走り出す。

 今度は上手い具合に距離を取りながら、杭を撃ち出して注意を向けさせる。目論見通り、走り回るダキナに黒い虫の群体は意識を取られた。

 楽しそうに笑いながら、大型犬と元気に散歩でもするように走り回るダキナを横目に、マリアは祈りの姿勢を作る。


「天におわします我らが主よ。どうかその眼を逸らす事なかれ」


 マリアの祈りに、絞り尽くした魔力が黒い羽衣となって包み込む。それは温かくも冷たくもあって、不思議な感覚に陥る。しかしそれに包まれると、不思議と頭が冴えた。口から出る祈りの詠唱が、羽衣から紡がれるように自然と頭に浮かぶんだ。


「今この時を生きる全ての人の、主の子の生き様を」


 祈りと言う形をとっているが、その言の葉は宣言だった。

 力強い意思を籠め、はっきりと言い放つ。

 この愛を目に焼き付けろ。


「人の弱さを侮るな。母の怒りに触れるな。女の愛に、震えろ」


 高く広げた黒翼が、黒く光り出す。黒い羽衣が、彼女の愛の深さを証明する様に周囲へ広がった。

 大気が風も無いのに震える。泣き出す。

 一度目とは比べ物にならない、息が詰まるような膨大な魔力が空間を支配した。


「!? キィィィィィ!!」


 黒い虫の群体は、白い女王虫は漸くそれに気付くと決死の悲鳴を上げた。

 アレはダメだ、アレだけは放置してはいけない。本能が訴えている。マリアのあの魔法を使われた絶対に死ぬ。

 血を吐きながら、マリアを殺せと悲鳴を上げて一も二も無くマリアへ迫ろうとする。


 だがそんな事を、ダキナは許さない。

 こちらへ背を向ける虫の群体の背中へ、大量の虫がひしめき合うその中へ飛び込んだ。


「デート中だよ? あたしだけ見てよ♡」

「キィ!?」


 完全に瞳孔の開いた目が、狂気すら感じさせる満面の笑みが背中へ突き刺さる。それだけで、本能が恐怖に屈した。

 最早女王虫に冷静に指示を出す事は出来ない。ただ半狂乱に暴れまわりながら、命令を下す。


「キィィィィィィィィ!!!!」


 マリアを殺せ。ダキナを殺せ。早く、早くこいつらを殺せ。

 ただそれだけを暴れまわって叫ぶ女王虫に、他の虫達は混乱に陥った。どっちを殺せば良い、どうやって殺せば良いんだ。

 マリアを殺そうとすれば、ダキナが女王虫を殺す。

 ダキナを殺そうとすれば、マリアを止められない。

 一匹の虫の指示だけで、自らで考える事をしない黒い虫達は女王虫という脳が発狂した事によって完全に統率を失う。

 それは、何十という数の黒い虫が繋がり合って出来た巨大な虫の形を崩し出す

 程に顕著だった。


「我が名は愛しき悪魔の王より授かりし、聖母の名なり。我が子の為なら、鬼にも悪魔にもなろう」

「あはーはー! ほらほらぁ!! もたもたしてると死んじゃうよー!!」


 空気はどんどん重たくなる。

 虫はどんどん殺されていく。

 殺さなくては、早く、速く、急いで。

 どっちを、どうやって、誰が。


「キィィィ!」

「キィ!」

「キィィィィィ!!」


 とうとう完全に頭がおかしくなった黒い虫達が、それぞれ鳴き声を上げだした。女王よ、助けて下さい。女王よ、正しきご命令を。女王よ、女王よ。

 そんな声が聞こえる。

 もう一匹に至るまで、正常な判断も狂奔に暴れ出す事も、逃げ出す事も出来ない。


 女王虫が再び叫び声を上げようとするが、それは限界まで高まった黒い魔力の重圧に息を詰まらせた。

 その空虚な目が、怯えに染まり切った眼が強く煌めく真紅の瞳とかち合う。

 血の様に濃く、宝石の様に鮮やかな赤を、女王虫は最後の記憶に魂まで刻まれた。


「討ち滅ぼしなさい! ダーク!! ラプチャァァァ!!」

「あはァァァ!!」


 黒き閃光と、激発の轟音が同時に響き渡った。

 黒い閃光を纏う羽根は、神の嘆きである豪雨の様に黒い虫達に降り注ぐ。

 一切合切、一匹たりとて逃げる事も抵抗する事も叶わず、全身を穴だらけにして空気を引き裂く悲鳴すらかき消した。

 決死の咆哮に共鳴する様に、黒き閃光は全てを喰らいつくす。


 人類が生み出した殺意無き殺しの武器は、轟雷の如き音と共に女王虫の胸を貫いた。

 最早守ってくれる虫達は黒き閃光を纏う羽根に貫かれ、無力な女王は胸に杭を突き刺さりながら宙を舞う。死にゆく女王虫は、声の一つも無く他の虫達が破壊されていくのを力なく目に焼き付けていた。


「キィィィィィィ!!」


 だが女王たる意地が、はたまた自らを滅ぼす悪魔に対する怒りか。女王虫は最後の力を振り絞って絶叫を上げながらマリアへ向けて飛び掛かった。

 自らが死ぬ事は理解している。呼吸は既に出来ず、今の絶叫と動きで手足も羽根も動かせない。だが口は動く、鋭い咢でマリアの首へ喰らいつこうとする

 死なば諸共。せめてマリアだけは生きて返さないと、恐怖の象徴である真紅へ飛び込むんだ。


「……ごめんなさい」


 マリアは迎え撃つ姿勢は取らず、僅かに目を伏せると力強く見上げ返した。この虫達だって、死んで良い理由は無い。あの時、マリアが落とし穴に落ちて洞窟の中に入らなければ、今も平和に過ごしていただろう。

 もう謝らない。と誓ってはいたが、勝者のエゴであると理解しているが、最後の言葉を送った。


 ドッバァン!!


 それが、女王虫が最後に見た記憶だ。魂の一片に至るまで真紅に染められた女王虫の身体が、胸に突き刺さった杭の爆発に弾け飛ぶ。

 白い血液に触覚が吹き飛ぶが、無念さを現すようにその一滴すらもマリアにかからなかった。

 女王虫の残骸を見下ろすマリアの周りには、物寂しい風の音だけが包み込む。

 あれほど大量に居た虫達も、今や一匹残らず残骸と化している。部屋の中は惨状と言う他なく、白い血液と虫の残骸で足の踏み場も無い程だ。


「……疲れました」


 達成感や高揚感は無い。マリアは、ただ生き残った事に対する安堵の息を零して、ゆっくりと顔を上げた。


「あはー。疲れたー、流石のあたしもくったくたー」


 不快ではないのだろうか。ダキナは傷だらけで全身に虫の返り血を浴びた姿で、黒い虫の死骸の上で寝転がっている。物憂げなマリアに反し、ダキナは遊び疲れた子供の様に満足そうに天井の穴から覗く月を眺めている。

 それを見て、マリアは再びため息を吐くとしゃがんで項垂れた。


(戦いとは、こんなに辛く苦しい物なんですね)


 ずっと極限状態だったから、緊張の糸が解けた今立ち上がれる体力が無い。このまま眠ってしまいたい、瞼が重たすぎて感覚が無い。

 今だけは、少しだけ休みたい。

 初めての真面な戦闘。初めての殺し合い。その全てを、決死の覚悟と胆力だけで乗り越えたんだ。無理からぬ話。このまま休んだ所で、誰も咎めたりはしないだけの事を成し遂げた。


「……まだ」


 でもマリアが立ち上がる。

 例え誰もが休んでいい、よくやったと褒めてもマリア自身がその言葉を否定する。

 そう、まだなんだ。まだマリアの戦いは終わっていない。

 この戦いは所詮、寄り道に過ぎない。本当の戦いはこれからだ。 


「あの子に会う。それまでは、立ち止まれない」


 震える膝を抑え、魔力も血も体力も足りない身体に鞭を打つ。ふらふらと歩く彼女は、今にも倒れそうなのに不思議と歩き続ける姿しかイメージが出来なかった。

 何度も倒れた。何度も折れた。だから立ち上がり方は誰よりも知っている、折れた心の直し方も知っている。

 大好きな娘は、いつもそうしていたじゃないか。


「あは」


 寝転がっているダキナは、その姿に大好きなあの子の姿を見て嬉しそうに笑った。勢いづけて起き上がると、壊れた義手を懐から取り出した新しい物に取り換えながらマリアの横についた。

 鬱陶しそうな顔をするマリアに、ダキナはニヤケ面で構い倒す。

 マリアはそれを押しのけようとして、止めた。

 憎い相手だけど、なんだかんだ憎み切れないダキナに疲れてしまった。純粋な悪意は、純粋が故に嫌いになれない。

 これが憎まれっ子なんちゃら、という奴なんだろうか。


「何か、やっと親子って感じになったね」

「うるさいです」

「あっ! ちょっと置いてかないでよー。ねー」


 せめてもの意趣返しに、天井の穴を飛んで登るマリアはダキナを置いていった。どうせ勝手に出てくるだろうと、実際出て来たし。

 ダキナが追いかけてくるが、今度は逃げなかった。


「あ……」

「おっ、もうそんな時間経ったんだ」


 夜が、明けた。

 長く深い闇が、光に照らされた。


「おはよ、マリアちゃん」


 朝日に照らされながら、マリアは空を仰ぐ。

 その表情に、不安は無かった。


「……えぇ、おはようございます」


 マリアが挨拶した事に、ダキナが狂喜乱舞で叫びまくったのは言うまでもないだろう。


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