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バカは死んでも治らない

 



 昼も夜も無い。日本でも異世界でもない精神世界。しかし視界に移る風景は、紛れも無く日本の住宅街。だが閑静な住宅街は、一体の巨大な黒龍に蹂躙され尽くしていた。

 現代日本には似つかわしくない、最早空想の産物となったドラゴンが安い映画の様に平和を破壊していた。

 その黒龍ファフニールは死体と瓦礫の上で、遊び飽きた子供の様にうたた寝なんてしている。

 眼下には戦車やら迷彩服の兵士の死体なんかが散らばり、どれほど激しい戦闘が行われたのかを物語っている。しかし黒龍の漆黒の鱗に傷一つなく、現代兵器の限りを尽くしても黒龍に傷一つ付けられなかった様だ。


「GRRR……」


 言葉は分からないが、真紅の瞳を微睡みに溶かす黒龍の唸り声はきっと詰まらないと言ってるだろう。

 鳥の囀り一つしない瓦礫と死体の空間に、砂埃を踏む足音が一つ、良く響く。


「Gr……?」

「はぁっ……っ! ふぅ……」


 足音は酷く頼りない。音は軽く、ふらついた足取りなのか引き摺るような音がリズム悪く鳴る。

 やがて足音が止まると、銃を拾い上げた軽い音が聞こえた。興味の一片も惹かれない黒龍は微睡みの中でそれを聞いていると、乾いた発砲音が響いた。

 カンッという小さな衝撃が黒龍を襲う。蠅が耳元で飛び回るような不快感しか与えない、それでも攻撃は攻撃だ。

 ゆっくりと瞼を開くと、黒龍の真紅の瞳は拳銃を構える一人の少女を捉える。

 黒髪の女子高校生。可愛らしい顔立ちだが、血と埃に塗れた姿はこの凄惨な光景の被害者の一人と見える。


「っち! トカゲ野郎がっ」


 悪態をつく少女は拳銃程度じゃダメだと分かると、すぐ傍の軍用車から一本の筒を肩にかける。破壊に特化した人類の武器、ロケットランチャーだ。

 やれるものならやってみろと傲慢に鎮座する黒龍に狙いを定め、力強く引き金を引いた。

 突出した弾頭は、白煙を上げながら黒龍に着弾した。強烈な爆発は、そのまま黒龍の頭を破壊したと確信する。普通ならそうなるはずだ。


「GRRR……」

「これでもダメなの!?」


 だが爆炎が晴れて現れたのは、傷一つない黒龍の姿。傷一つ負わせる所か、ただ悪戯に不快感を与えただけらしい。

 折角新しい玩具が来たと思ったら、ただ苛立たされただけの黒龍は深く息を吐きながら尻尾を叩きつける。

 一歩も動く事が出来ず、黒髪の女子高生は物言わぬ肉塊となった。飽き飽きした様子で黒龍は再び微睡む。

 数え切れないほど同じ相手を殺してきた黒龍は、また同じことの繰り返しをその場で待ち続けた。



 ◇◇◇◇



「ぶはぁっ!!??」


 黒龍によって全てを破壊され尽くした空間とは違う、真っ白な空間でセシリアは勢いよく飛び上がる。

 黒髪でも、黒目でも無い。蒼銀の長い髪、血の様に濃い真紅の瞳。そして日本人とは明らかに違う顔立ち。まごう事なきセシリアの姿だ。

 そんなセシリアは荒れた息を整えると、深く頭を抱える。


「はぁ、はぁ……はぁ~またダメだったか」

『ダメだったか~じゃないわよ。ロケットランチャーなんてもう何回も試してんのに、今更聞くわけないじゃない』


 上下左右も分からなくなる純白の空間で、一人しかいない筈のセシリアの呟きに呆れ交じりで返事が返って来た。

 そんな声にセシリアは驚く様子も無く、顎に手を当ててブスくれる。


「そんな事言ったって、あそこじゃ私は愛衣の身体なんだからどうしようもないじゃん。セシリアの身体を返してよ、お姉ちゃん()

『はぁ、そういう話じゃないって分かってるでしょ。(馬鹿妹)


 セシリアの目の前に、話し相手の少女が突如姿を現した。鏡写しの様にセシリアと瓜二つの容姿。唯一違う点は、今のセシリアとは違って嘗てはそうだった空色の瞳を浮かべている事。

 彼女は生まれる事の出来なかった双子の姉。幻覚なのか転生という奇跡の弊害なのか、何故こうして話す事が出来ているのかは分からない。

 彼女は自分を愛衣とも、生まれる事の出来なかった双子の姉とも言う。きっと二つの奇跡が交じり合った影響。

 しかし今、確かにこうしてセシリアはもう一人の自分と話していた。

 とは言うが、二人はごく普通の姉妹の様に話し合う。記憶に間違いが無ければ、二人は互いに殺し合いをしていた筈だが。

 セシリアは自分の人格を守る為、彼女は自分がセシリアとして生まれる為に。


「無理だってー。セシリアの身体で、変身して初めて戦えるんだよ。愛衣の身体じゃ戦う事すら出来ない、ていうかどうしてここじゃセシリアなのに、向こうじゃ愛衣なの?」


 だがセシリアは頭の後ろで手を組んで寝転がると、彼女へ向けて文句を言う。文句を言われた彼女は、腕を組んで呆れたとため息をついた。


『それはあそこが(セシリア)の精神世界だから。今居る場所は、(愛衣)が作ったセーフゾーン。でもあそこは違う。あそこは(セシリア)の精神世界、愛衣の記憶に引っ張られて作られた世界に、セシリアの記憶が入り込んだ』


 彼女は、ここの成り立ちを改めて説く。その表情は何回も同じ説明をさせられてうんざりしている。

 つまりこの真っ白な世界は彼女が作った安全地帯。しかし黒龍の居るあの日本の世界は、セシリア自身の精神世界。


「あー、それじゃあ何であの黒龍が居るの」

『……あの変身した姿の所為ね。(愛衣)には分かるわ、その一端は私の想いだから。まぁ大部分の原因は魔法ね、普段使ってる魔法じゃない。血筋とか……そう言う』

「お父さんの……魔王の血?」

『かもね』


 もう何度も聞いた話を改めて聞かされ、セシリアは頭を抱えた。

 マリアの口から聞いた通り、セシリアの身体には三つの血が流れている。一つは天使の血、これはマリアが元は天使であるという理由。二つ目は人間の血、それも天使の力を失ったマリアから齎された物。そして三つ目、それが父親に当たる魔王ファウストの悪魔の血。

 あの変身した姿は、その魔王ファウストの悪魔の血が一因らしい。

 困惑は無い。人外染みた膂力もそれが理由であろうし、そのお陰で戦う力を得られているのだから。

 セシリアは右手を掲げた、そこにはいつのまに握られたのか純白のリボルバーが納まっている。


「……多分さ、私にとってあの黒龍って色んな意味でトラウマなんだと思うんだ。ほら、初めて変身した時って私ダキナに勝てなかったじゃん? それでもっと力が欲しいって望んだ時に、あの黒龍が現れたからそれをイメージして変身したんだと思うんだ」


 15歳の誕生日の日。ダキナにマリアが拐れた時、黒龍に街を半壊された時、あの時セシリアはマリアを殺された絶望と殺意、そして力を望んだ。全てを壊してしまえ、殺してしまえ。ただマリアと幸せに過ごしたいと願っただけのセシリアを否定する世界なんて、滅んでしまえ。

 そう願ったセシリアに、悪魔の血が深層心理に根付いた黒龍を元にセシリアをあの姿に変えた。

 だから、セシリアからすれば黒龍と言う存在は故郷を壊した敵である以上に、力のイメージの元となっているんだ。


「あの変身した姿を私は制御できない。殺意と絶望で得た力は、すぐに暴走しちゃう」

『そう。折角愛衣とセシリアの魂が交わり合って安定していたのに、そこに第三の力が介入した所為で魂も安定しなくなっちゃった』

「だからあの黒龍を倒さないといけないし、お姉ちゃん()が出て来たんだね」


 この精神世界から抜けるには、黒龍を斃し力を制御しなくてはいけない。そういう目的はあるのだが、その為の力が無い。

 先ほどの戦闘を含めれば、数え切れないほどの戦いを挑んでいる。が、何故か黒龍と相対する時は愛衣の身体になってしまうのだ。魔法も身体能力も無い、凡庸な日本人の身体に。正直勝てる見込みはゼロだ。


 ため息を吐いたセシリアは、腹筋だけで身体を起こすと彼女を見上げる。


「でも驚いたよ、お姉ちゃん()が出て来た時は殺す気満々だったじゃん? 実際何回か殺されたし、なのに今はこうやって手伝ってくれてるんだもん」

『仕方ないじゃない、折角生まれる事が出来たのに不甲斐ない姿ばかり見せられたら。何の為に私は生まれる事が出来なかったんだって憤るわよ』


 この純白の精神世界に踏み込んだ時、セシリアと彼女は確かに殺し合った。

 彼女はお前がそんなんだと、私が代わりになると精神を入れ替えようと本気で殺しに来たんだ。だがそれも最初だけ、今はセシリアが元通りになる為に手を貸してくれるし、呆れながらも普通に話す事が出来る。

 手のかかる妹に呆れながらも、姉らしい姿で笑ってくれる。


『私は生まれる事が出来なかった。でも心の中には居る、そしてセシリアの身体を通して世界を知る事が出来る……でもそれより!』


 しんみりと語っていた彼女は、今度は眦を釣り上げて掴みかからんばかりの勢いでセシリアに詰め寄った。


『この精神世界であんたママに何てことしてんの!?』

「あ、あ~……それか」


 怒りも露わに詰め寄られたセシリアは、苦い顔で降参した。自分自身、何て事と怒られた事をした自覚があるからだ。

 この精神世界に来た時、まだ彼女に出会う前の時。幾度となく日本風景の精神世界でマリアとの平和な日常を、黒龍に壊され続けたセシリアは精神を病んでしまっていた。死んでは目覚めからやり直し、マリアも千夏も殺され、あらゆる手を尽くしても救えなかったセシリアはマリアを縛り付け家から一歩も出なかった。

 怯えるマリアをベットに縛り付け、困惑する彼女に何度も何度も貪るような口づけを送った。怒られても罵られても、貪って貪りつくした。


『夢とは言えママを縛り付けて、嫌がって怯えるママにあ……あんな……キ、キッスなんて!』

「まぁ、キスより先もしたんだけど……」

『知ってるわよ! 全部見てたんだから!』


 セシリア自身ですらした事ない様な、照れながら怒るという器用な怒り方をした彼女は何処か羨ましそうに天を仰ぐ。

 もしかしたらセシリアが生み出した幻覚かもしれないのに、随分とまぁ感情的な事だ。セシリアのキスよりすごい事をしたという発言にすら顔を真っ赤にしてしまうから、セシリアは笑ってしまう。


「ていうかお姉ちゃん()、随分初心な反応するね」

『普通はこうなの! アンタは現代日本の知識があるだろうけど、普通の15歳はキ、キッス! なんて言うのも恥ずかしいの!』


 彼女の初心な反応を楽しむセシリアは、片膝を立てると手元の大柄なリボルバーを眺める。

 師匠であるアイアスに作って貰った、セシリアの為の5連装50口径リボルバー。恐らく、セシリアがこれ以上堕ちない為の楔だ。

 握っているだけで、心が落ち着く。これを使えれば黒龍を倒せるかも知れないが、何故か黒龍と戦おうとしたら愛衣の身体になるしリボルバーも無くなってしまう。

 はっきり言えば、今ここで彼女と話しているのも問題解決への糸口が見つけられないが故の、現実逃避だ。


「……はぁ」

『ため息つきたいのはこっちよ、何の為に私が死ぬ度にここに戻してると思ってるのよ。ここで得た経験で、成長しなきゃ意味ないじゃない』


 二人そろって同じようにため息をつく。

 結局、必要なのは黒龍を倒す事。そうしなければ力の制御は出来ないし、この精神世界からの脱出も叶わない。

 じゃあどうすれば良いかと問われても、答えは無い。愛衣の身体で打てる手は全部打った後なんだから。

 項垂れるセシリアに、彼女は膝をついて顔を覗き込む。真剣な表情を浮かべていて、おしゃべりはもうおしまいらしい。


『そもそも、ここは(セシリア)の精神世界。あの黒龍だって悪魔の力のイメージ、所謂トラウマでしかないんだから。それを自分の物に出来なきゃ、仮にここから出られても同じ。また変身して、暴走してママも危険に晒すつもり?』

「危険……?」

『あぁ、スペルディア王国での記憶はないのよね。良いわ、過ぎたる力の弊害を教えてあげる』


 暴走した力の所為でマリアに危険が、と言われてセシリアは怪訝な表情を浮かべる。生憎、スペルディア王国で暴走した時の記憶が丸々無かった。一度目はまだ朧気にはあったのに、二度目は完全に頭から抜け落ちている。

 そんなセシリアに、彼女は空間を歪ませてあの時何があったかを映し出した。セシリアにとっては、知りたくない現実を。


(セシリア)が初めて変身した時に望んだのは、絶望による世界の破壊。その力は絶対的な力の象徴たる黒龍を模倣し、だけど唯一残ったママへの愛が騎士を象った。それがあの禍々しい黒い龍騎士の姿。でもね、殺意と絶望という獣の感情は、人には相応しくないから愛と言う人の想いを喰らいつくす。その結果が、これよ』


 揺らいだ空間に、鏡の様にスペルディア王国での記憶が映る。

 ベルナデッタとダキナとの戦いで変身したセシリアが、禍々しい黒い龍騎士の姿に変わり、二人をねじ伏せた後、無意識にマリアを求めたのか彼女の元へ。

 しかしマリアの必死の呼びかけも懇願も届く事は無く、彼女にけがを負わせるばかりか本気で殺そうとした。

 唯一残っていた理性の欠片が、何とかその場から離れさせたがそこからは獣の所業。

 外に出て人の身体を繋ぎ合わされた化け物達を破壊し続けた。中には人の言葉をまだらに話せる物もいたが、その声を無視して楽しそうに壊し続ける。

 そこに現れたスーリアとアレックスも、生者である彼らもねじ伏せた。

 そして天球儀の魔力に釣られ向かった先で、師匠であるアイアスの右腕を千切り殺そうとし、結局そこでやられた。

 それは紛れも無いセシリアの軌跡、向き合わざるを得ない豪の数々だった。


「う……そだ」

『嘘じゃないわよ。これが力を制御出来ない代償なの』


 それを見せつけられたセシリアは、食い入るようにその映像を見つめながら力なく否定する。大好きな母に怪我を負わせ、師匠すら殺そうとした。許容量を超えた脳は、精神を守る為にシャットダウンする。

 だがそんな【逃げ】を、生まれる事の出来なかった家族は許さない。項垂れそうになったセシリアの頭を掴むと、無理やり目を合わせた。

 虚ろに翳りだした真紅の瞳に、嘗てはそうだった空色の瞳が映る。正者にしか持つ事を許されない、強固な意志の光が照らす。


『戦う事は偉いわ。力も求める理由も理解できる。でも覚悟を決めなさい、人らしく傲慢に力を望むなら、高慢に力をねじ伏せるの』

「でも……どうやって」

『どうやって! まだそんな腑抜けた事言うっていうの!? まだ死に足りないって言うならお望み通り、脳みその中身を全部新鮮な豚のクソに変えてやるわよ!』


 腑抜けたセシリアの額に、骨が割れそうな程力強く額を叩きつけた。本気の怒りを、骨の髄まで染み込むほどに怒声と共に叩き込まれる。


()()()は諦めるの!? 大好きなママと、もう一度平和な日常を送りたくないって言うつもり?』


 生まれる事の出来なかった彼女だから、死んでも諦めない事の崇高さを知っている。


『思い出しなさい、このクソガキが。アンタは一人だった? 仲間や友達が居なかった?』


 セシリアの魂に宿る、もう一つの人格だとしても。セシリアを通じて知った世界の温かみ。そして愛を知っている。


『自分一人で何でも出来るなんて偉ぶれる程強いって言うつもり? だとしたらおめでたい頭してるわね、ママの事ばっかり考えてるから脳みそ腐ったの』

「……」

『ちっ』


 貶されても顔色を失ったセシリアは項垂れるばかりで、吐き捨てた彼女は手を離すと落とした純白のリボルバーを拾い上げる。

 彼女がリボルバーを手にしても、何も感じない。セシリアであってセシリアではない彼女にとっては、ただの武器でしかないから。

 項垂れるセシリアのつむじに、意識させる為に銃口を押し付けた。撃鉄を倒し、死を意識させる。


『初めてここで殺し合った時のあの殺意は何だったの、死んでもセシリアで居たかったから戦ったんじゃないの? それが何よ、たかが何十回か死んだだけじゃない』

「……どうせ死んでる()()()()()には分かんないよ」 

『あ“?』


 更に詰って引き金に指を掛ければ、弱弱しい声ながらセシリアは反論した。だがそれはただ火に油を注ぐだけで、望んだ回答ではない。

 顔色を青白くしながら、翳差す相貌で銃口越しに睨み上げる。憤懣遣る方ないと。それは禁句だ、絶対に言ってはいけない言葉。


「死ぬって言うのがどんだけ怖いか分かんないでしょ! 例え夢の中だって言っても、死ぬって分かったら何も出来なくなるし逃げたくなるよ! お姉ちゃんは死んでるから分かんないんだよ!」


 死を経験した事のあるセシリアは、溜まりに溜まったうっ憤を最悪の形で吐き出す。

 二度経験した。一度目は前世で、鬱屈とした現実の中で、自分の意思で死ぬと分かっていて赤の他人である幼い命を守って死んだ。二度目は大切な母の死を。自身の死、大切な人の死。この二人を経験した彼女だから、死ぬという事がどれだけ恐ろしくて残酷かを知っている。

 自分が死ぬ事は怖い。冷たい手で心臓を鷲掴みにされたように、身体が震えて動かなくなってしまう。だってそこで死んだら全てが終わってしまうから、楽しかった過去を振り返る事も、未来へ夢馳せる事も出来なくなってしまう。

 そしてそれ以上に、大切な人が死ぬというのはもっと怖い。

 心にぽっかりと穴が開いた様な感覚を覚え、全ての感情がそこから流れ落ちていく。そして流れ落ちて空いた隙間に、頭を可笑しくさせる様な怨嗟の声と怒りが注ぎ込まれるんだ。


 相手を憎む気持ちと、自分を責める気持ちが濁流の様に叩き込まれ、何もする気が起きなくなるのに衝動のままに暴れまわりたいと思う。

 いっそ自分と言う存在を殺せれば、楽になれるだろうなと現実逃避をしてしまうんだ。


『分からない……? 分からないですって!!』


 だがそれは最悪の禁句。一番言ってはいけない相手に言ってしまったツケは、暴風の様な激しさの怒りで自身へと跳ね返ってくる。

 怒りのままに引かれた引き金が50口径炸薬徹甲弾を吐き出し、セシリアの右耳を巻き添えにして通り過ぎた。


『生まれる事が出来なかった私に死の恐怖を知らないって? ふざけんなよクソ妹! そんなの誰よりも知ってるに決まってるわよ!』


 彼女は、生まれる事の出来なかった双子の姉は鬼の様に怒りに表情を険しくさせながら吠えた。

 それは魂からの怒り、震える程の怒気はセシリアを気圧させる。


『私は何も知らない! いっそ存在すら消えてしまえれば良かったのに、アンタの心の中でアンタの人生を見続けていた! 私の気持ちなんて分からないよだって? 逆に言ってやるわ! アンタこそ私の気持ちの何が分かるっていうの!? あ“ぁ”!? 人の人生を見続ける私の気持ちが!』


 そこに籠められた思いは、ただ切実な願いだった。

 もし生まれる事が出来れば、中の良い姉妹として過ごせただろう。しかしそれは叶わなかった、それだけでなくセシリアの心の中でセシリアの人生を眺めるという非情な仕打ち。

 それがどれだけ辛いかなんて、セシリアに分かる筈なんて無い。だが喉が張り裂けそうな絶叫は、そこに籠められた悲痛な感情は嫌と言う程伝わってくる。


『どうして私だけなの! アンタは生まれる事が出来たのに! どうしてっ! どうして……』


 身を裂くような悲痛な絶叫は、次第に涙交じりの呻き声へと変わり彼女は力なく座り込むと涙を流し続けた。

 セシリアが苦しむのと同じように、彼女もまた苦しんでいたんだ。どっちが上とか下とかは無い、どちらも深い苦しみを抱えている。

 セシリアは生きているが故に苦しみ、彼女は死んでいるが故に苦しんでいる。


『うぅ……ぐすっ……』

「おねぇちゃん……」


 座り込んで肩を震わせながら涙を流す彼女を見て、セシリアも涙を流した。

 セシリアは彼女の苦しみを理解出来た。前世で親の愛情を求めてもそれを手に入れられず、空想の世界に浸った時に思った。こんなお母さんが居たらいいな、こんな風に愛されたいな。しかしそう思えば、見れば見る程、それが空想の産物であるが故に現実の息苦しさに空虚に喘いだ。


「ご、ごめんなさい……」

『ひぐっ、あや、謝んじゃないわよぉ! 分かってるわよ! アンタだって苦しんでるってぇぇぇ!』

「ごめ“ん”なさ“ぁぁい~! ごめ”ん“な”さ“ぁ”~い“!」


 一度決壊すれば止まらない。二人で子供の様に大きな声で泣き続けた。嫌いな訳が無いんだ、大切な家族なんだから。同じ人が大好きで、同じだけ辛い事も幸せな事も知っている。

 例え現実に戻れば会う事は叶わずとも、心は繋がっている。

 文字通り一心同体の、同じだけの愛情を注がれて同じ胎の中で過ごした姉妹なんだから。

 喉が枯れるまで泣いて、目が真っ赤になるまで泣いて。泣いて泣いて泣き続けた。

 二人は何時の間にか抱擁を交わし、互いに慰め合っていた。慰めている筈なのに、涙が止まらなかった。


「ひぐっ、えぐっ」

『馬鹿よ……ぐすっ。馬鹿な妹よ……私も……』


 溢れるばかりの涙は温かい。どれだけ怒ってもどれだけ妬んでも、根底にあるのは優しさと愛情なのだから。

 憎み切れないが故に突き放せず、絶望し切れないが故に諦められない。甘さに似て非なる、想い、感情。


「ずびっ……」

『ひ、ひっくしょん! はぁ……なんか疲れちゃった』


 ひとしきり怒りを吐き出したからか、涙を流し終えた時にはスッキリした表情を浮かべる。セシリアは女の子座りで赤い瞼を擦って鼻を啜り、彼女は乱雑に目元を拭うと天を仰いだ。

 そう、疲れた。殺し合って、怒って、泣いて、本気でぶつかり合った。


『嫌いになれたら楽だったのにな』


 彼女はふと呟く。母親の愛情を独り占めする妹を、羨んで喧嘩した拍子に言ってしまう様な感じだ。

 別に本心ではない、でも嘘でもない。後で自分で後悔してしまう事が分かっているけど、我慢出来なかったから。そんな子供染みた呟き。

 セシリアが傷ついた表情を浮かべたのが、天を仰いだままでも分かって苦々しく微笑んだ。


『本気にしないでよ』

「ぢでない……」

『ふっ、してるじゃん。本心じゃないって……まぁ嘘でもないけど』


 幼子の様に鼻を啜って唇を尖らせるセシリアに苦笑して、彼女はよいしょっと重たく腰を上げた。

 その手に納まっている純白のリボルバーを弄びながら、眦を下げて眺める。

 お互い思う存分ぶつかった、怒った、泣いた。数え切れない程の死を繰り返して、数え切れない程の苦しみを味わった。

 でももう良いだろう。


『よく聞きなさい、バカ妹』

「うん」


 シリンダーを回し、手元をスナップさせて装填する小気味良い音が鳴る。重たいリボルバーを、ゆっくりとセシリアへ向ける。

 そこに怒りは無い。ただ静かに、花を手向けるような穏やかさで狙いつけた。

 セシリアはそれを黙って見上げる。


『アンタは生まれる事が出来たんだから、一生感謝して生きなさい。それがアンタに課せられた生まれながらの罪よ』


 それは恨みがましい言葉ではあるが、一本芯の通った綺麗な声で紡がれる。聞く人の心に静かに通るのは、そこに相手への思い遣りを感じられるからか。

 撃鉄を倒す、鈍い音が響く。


『そして誓いなさい』


 何を、とは聞かない。

 もうセシリアはそれを理解している。

 泣き腫らした顔で、力強く頷いた。


『その誓いは向こうで言うのよ、死人に言ったって意味は無いんだから』


 今言おうと口を開きかけたセシリアを遮って、彼女は笑いかける。きっとその誓いは、生まれる事の出来なかった双子の姉よりも、前世の自分よりも相応しい相手が居るから。

 生涯で一人だけに捧げて良い、本気の誓い。


『じゃぁ』

「お姉ちゃん」


 引き金を引こうとした彼女に、セシリアは口を開いて止める。理屈ではないが、今ここで言わなければもう二度と言えないと直感があった。

 にかッと、歯を見せて満面の笑みを浮かべた。


「ありがとう」

『……散々殺された相手にお礼とか、バカじゃない?』


 彼女はやっぱり呆れたと笑って唇を噛む。でも、むずがゆそうで嬉しそうにそっぽを向いてやっぱり笑った。

 恥ずかしそうに一つ咳払いして、深呼吸すると向き直る。引き金に、指が掛けられる。


『それじゃ、ママによろしく』

「うん。行ってきます」


 気軽な挨拶を交わして、銃声が鳴り響いた。

 これで、セシリア自身の精神世界への片道切符は切られた。自分のトラウマとの、父親の力との戦いに。


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