棘だらけの華々
魔王城の城門内。ベルナデッタ率いる聖職者達によって作られた急ごしらえのテント、そこにヤヤ、フラン、ヴィオレット、エロメロイの四人が適切な治療を施されて横たわっている。
救護に当たっていた聖職者達は各々隠れたり、重傷者達を守ろうとしている。だが全員の視線は正面に固定されていて、騒々しい音と振動が響いてるのに瓦礫一つ飛んでこない。
ドンッッッ!!
「GRuAA!?」
「蠅叩きは年寄りに任せな」
空気を殴ったような音と衝撃と共に、対戦車ライフルをぶっ放したのはアイアス。岩盤すら砕くその威力は、滞空していた黒龍の黒曜石の如き輝きと硬さを誇る龍鱗を破壊し墜落させた。
未知の攻撃に驚き墜落する黒龍は、何とか身を翻し地面に追突する事こそ免れるも視界に炎が迫る。
「あぁ可哀想に……炎とは浄罪であり主の慈悲なのに、それに抗うなんてなんて罪深いのでしょうか」
炎に包まれる黒龍に、涙を帯びた声でベルナデッタは憐れむ。
大気すら焦がす熱は、確実に黒龍の肉体を焼いていく。龍鱗は焦げ付くだけだが、目や口を開くことは出来ない、ただ耐え凌ぐだけでも少しずつ肉が、臓器が焼き尽くされる。
「GURAA!!?」
たまらず四肢に力を籠め、背後へ大きく飛ぶ。空へ飛んではまたアイアスに落とされると理解しているのだろう、まずは距離を取る事を優先した様だ。
しかし着地と同時に、地面が刺激臭を上げて溶けた事で黒龍の態勢が大きく崩れる。
「お姉さんの毒は最強よぉ、そのまま溶けて死になさぁい」
「GUGYAAAAAAAAAA!!!!」
ナターシャの『全てを溶かす激情の魔法』は、あらゆる物を溶かす。一瞬にして地面を猛毒の底なし沼に変えた事で、黒龍ファフニールの身体は瞬く間に白煙を上げて四肢が溶けていく。
たまらず悲鳴を上げてしまう程に、猛毒の威力は凄まじい。野太い悲鳴を上げながら、黒龍は大きく羽ばたいて空へ飛び立った。
だがそんな事をすれば、当然対戦車ライフルを構えるアイアスの術中。
「はっ。ご丁寧にでかい図体で空へ飛んでくれるなんて、なんて年寄り思いなんだい」
ゲスく薄ら笑いを浮かべながら、アイアスはマガジン全ての弾丸を一切の躊躇い無くぶち込む。
ただでさえベルナデッタの炎とナターシャの毒で傷ついている黒龍の黒鱗は、対戦車ライフルの弾丸を防ぎきれずに剥がれ落ちて鮮血が宙を舞った。
「例え空中だろうと、我ら信徒の主への愛が届かぬ場所はありません」
宙を舞う黒龍の鮮血が地面に落ちる事は無く、地上から噴火の如く吹きあがったベルナデッタの炎が一瞬で水分が蒸発する程の威力で炙る。
二度目の炎は、黒龍の内臓を焼き尽くしか細い声を上げて墜落させた。
「やったぞ!!」
「まだよぉ」
戦いを眺めていた聖職者が歓喜の声を上げるが、それをナターシャは鋭く遮る。
地面に落ちた黒龍が、低く地面に這いながら黒い極光を口内に貯めていた。
狙いはナターシャ達。背後には動かすことが出来ない負傷者や、聖職者達が。避ける事は叶わず、守るか阻止せざるを得ない。
立ち塞がるは、負傷している筈のナターシャ。
「馬鹿の一つ覚えみたいにぽこぽこぽこぽことぉ、いい加減鬱陶しいのよねぇ」
肩は骨まで達する裂傷に内臓に至るまでの打撲、決して素面で立っていられる状態ではない。しかしナターシャは薄らと汗こそかいてる物の、怖気や焦りと言った様子は一切なく他者を守るために立ち塞がる。
「GAAA!!!」
「恋故に触れる事叶わずぅ、愛するが故に貴方をぉ拒絶する。『悲哀の聖女』」
苦し紛れに放たれた黒い極光だが、その威力たるや全霊を籠めて放たれたのか地面が融解する程の熱と大気が震える振動がある。
それに対し、ナターシャはただ静かに瞼を閉じると隔絶する毒の壁を築く。ナターシャの毒はただの毒ではない。思いの強さが毒として形作られるだけで、毒にも薬にも成り得る。
仲間を傷つける極光に対し、万物を拒絶する想いの壁で応えた。
「……全く、悪魔ってのは皆こうなのかい。恐ろしいねぇ」
「決して相容れない存在ながら、敬虔なる愛は感じられます。これも主の思し召し」
ナターシャの隔絶の壁は黒い極光を完全に防ぎ、塵一つ背後へ流さない。欠片も綻びを見せずに守り切るその背中は、悪魔だという事を置き去りにしても余りある頼りがいを背負っている。
気づけば五感全てを犯す極光は、一人の負傷者も出さずに完璧にナターシャに防ぎきられた。
地形を変えてしまう程の極光の後はナターシャの位置で途切れ、一陣の風が吹き抜ける中で魔法を解いたナターシャは流石に脂汗を滲ませながらもニヒルに嘲笑った。
「はぁ、はぁ……流石にぃ、魔力からっぽよぉ」
その言葉を残して荒く息を吐きながら膝を突く、流石に連戦に次ぐ連戦と負傷も相まって限界の様だ。
開く傷口を抑えながら、汗が滴る地面を眺めるナターシャの背中に二つの手が乗せられた。
「助かったよ、後は任せな」
「貴方の忠義はしかと感じました、300年前の罪は赦されるでしょう」
「まっ……たくぅ、人間の癖に生意気言わないでくれるぅ?」
嘗ては争った人間と悪魔。決して相容れる事のない種族だが、今は共通の敵と目的を前にして歩みを共にする。
ある者は復讐に近い思いを、ある者は自らの信ずる正義を。互いに譲れない思いを胸に秘めつつ、戦いの場で発散と決め込む。
人間二人に褒められ、ナターシャは気恥ずかしそうに手を払うと肩の力を抜いた。
それぞれデカい武器を構える二人の背中を眺めながら、ナターシャは後を託す。閉じた瞼の向こうで何を思うのかを浮かべないまま。
「GURuuu……」
低くうなり声を上げる黒龍も、無事とは言えない。
両の翼はボロボロで羽ばたく事は出来ないだろう。内臓も焼け爛れ、苦しそうに呼吸する様子を鑑みるにもう極光も撃てない。
しかしそれでも腕や尻尾を振るうだけで致命傷になり得るその身体は、戦いへの意思はまだ折れていない。
ゆっくりと四肢で地面を踏みしめ、距離を縮める。
「作戦はあんのかい?」
「勿論。我ら信徒は、主への愛を丁寧に教えるだけです」
「つまり無しって事ね。まぁ良いさ」
アイアスとベルナデッタも、それぞれ武器を改めながらゆっくりと近づく。
黒龍はあくまで前座なのだ、本当の敵はその奥に居る。時間を掛けて戦うのが安全策だが、それでは時間が掛かってしまう。だがら敢えて近づき、危険だが早くトカゲ野郎をぶちのめすと決め込む。
そんな二人の目には、決して折れない意思が根付く。
両者の距離は少しずつ縮まる。
あと三歩でアイアスの銃弾が届く。
「GUruu……」
あと二歩でベルナデッタの炎が届く。
「主よ。我らは貴方の敬虔なる僕。願わくば今、貴方の敵を滅する御力を授け下さい」
あと一歩で黒龍の爪が届く。
「思えば、アンタが全ての始まりだったね。何を思ってあの街を襲ったのか知らないけど、アンタの所為で愛弟子が傷ついたんだ。一回死んでも許さないからね」
両者の動きが止まる。
互いに睨み合い、僅かな動作すらも無くなって対峙する。風も音も無くなり、試合開始のゴングを自然と待った。
たった一つ、木の葉が落ちるだけでも間合いの内で対峙する二人と一体の火花が引火するだろう。
レフェリー気取りか、後方で観戦するナターシャがコインをトスした。
「レデぃ」
コインはゆっくりと弧を描き、両者の間へ落ちていく。
ゆっくりと、時間すら遅くなった様にすら感じられる。流れて、落ちて。
「ファイトぉ」
始まる。
「GAAAAAAAAA!!!!!!」
「「はぁぁぁっっっ!!!」」
黒龍が今までのうっ憤を籠めて豪爪を振り下ろす。岩すら砕く豪爪を、ベルナデッタは十字架型の火炎放射器で受け止めた。
鬼種の彼女だから出来る強靭な肉体による防御。常人なら瞬時に押しつぶされる重みを、呻き声一つ漏らすだけで耐え忍ぶ。
そして黒龍がベルナデッタにより止められれば、横合いからアイアスの対戦車ライフルがゼロ距離で撃ち放たれる。
ドッゴォンッ!!
「GUA……!」
一発で脳が揺れる衝撃。当たり所が良く貫通こそしなかったが黒龍の身体が大きく浮いた。当然一発で終わる訳も無く、続いてマガジン全ての弾丸が脳天にぶち込まれた。
「聖職者!!」
「はい!」
致命的な隙に届くのは、ベルナデッタの渾身の殴り落とし。
脳天から叩きつけられる十字架の一撃は、ベルナデッタの鬼種の腕力を加味しても重たすぎる。黒龍は地に叩きつけられた。
自分達と同じ位置に落ちた黒龍に向け、二つの銃口が突き付けられる。
一つは掠るだけで龍鱗を削る対戦車ライフル。当然ゼロ距離で真面に受ければもう防ぎきれない。
もう一つは鱗すら貫通して肉を焼く火炎放射器。その銃口を口にねじ込まれ、内部の燃料剤が燃え盛る。
脳が揺れて昏倒する黒龍だが、自らの死を正しく直感すると暴れて抵抗した。
「GAAAAAAAAAAAA!!!!!!」
「いけません!! 避けて!」
「くっそ!!」
引き金を引こうとした直後に、暴れた黒龍に足場の安定性を失った二人。そしてアイアスに向かって振り払われた尻尾が、ギリギリ空中で受け身を取ったアイアスを吹き飛ばした。
「しまっ!」
派手に吹き飛ぶアイアスを心配しつつ、ベルナデッタが顔を上げると視界一杯に黒龍の大咢が迫る。
ベルナデッタを食い殺そうとする黒龍に、彼女は十字架で上あごを受け止める。
「GUuuuu……!」
「っぐぐぐ……!!!」
クルミを割る様に上下から押し込まれる大咢に、さしものベルナデッタも耐える以外の方法を見い出せずに脂汗を流し歯を食いしばってただ耐える。
巨人ですら躊躇う大岩を持ち上げるような物だ、いくら鬼種のベルナデッタとて耐え続けられる物ではない。全身の筋肉が力を籠めすぎて負荷に耐えきれず、骨が軋む音が嫌によく響く。徐々に咢が閉じていき、ベルナデッタの片膝が着いた。
だからと言って打開策は無し、今はただ耐え忍ぶだけ。待てば、必ず状況は打開すると信じて疑わずに。
ドッゴォン!!!
「GA!?」
吹き飛ばされたアイアスの対戦車ライフルが、黒龍の失われた片目を穿った。セシリアによって撃ち抜かれた片目に、更に深くアイアスの弾丸が撃ち込まれ黒龍が苦しみ悶える。
「悪い! 気ぃ抜いた!」
「問題ありません!! その罪を贖いなさい!!」
悶え暴れた黒龍の牙に掴みながら、ベルナデッタは口内めがけて炎を撃ち込む。
炎を阻む龍鱗も、体内に直接撃ち込まれれば関係ない。全身のありとあらゆる穴から炎を噴き出しながら内臓全てを焼き尽くされる。
血液すら沸騰させられ流す事すら叶わない。内側から炎で蹂躙される黒龍の暴れる脳髄に、対戦車ライフル弾が撃ち込まれる。
「さっさと死んじまいなトカゲ野郎!!」
「生温い、もっとその罪深い血肉を主の為に捧げなさい!! あははははは!!!」
最早防ぐ龍鱗は剥がれ落ち、柔らかな肉にライフル弾が食い込み肉体を壊していく。逃げようと腕に力を籠めれば腕に風穴が開き、足が恐怖で震えて滑る。
何とか抵抗しようという意思は、体内を焼き尽くす炎と一緒に燃やされる。意思を折られ、しかし強靭な生命力がこの時ばかりはただ黒龍に地獄の苦しみを与えた。
蹂躙。ただその一言に尽きる。
暴力の権化として名高い、生命体として完成しきっている筈の龍が、脅威に怯えるだけの人間に。しかもたった二人の女と亜人の女に殺されたのだ。
「gruu……」
結局、抵抗らしい抵抗一つ出来ずに黒龍は懺悔するかの様な、命乞いする様なか細い声を上げてその命を散らした。
身体中穴だらけ、肉の焼ける何とも言えない匂いを上げる死体が一つ出来上がった。
「はぁ、はぁ……もう弾切れだよ」
「ぜぇ、ぜぇ……血を、流しすぎました」
「本当に勝っちゃったわぁ」
満身創痍と言っても差し支えない三人。三人ともどっと溢れ出て来た疲労感と汗にまみれながら、思わず膝を突いて荒く息を吐く。勝利の余韻に浸る余裕も無い、ただ体力を少しでも回復する事に尽力しなければいけなかった。
そんな三人に、空気が割れんばかりの歓声が轟いた。
「うおおおおおおおおォォォォォォォ!!!!!!」
「マジでドラゴン倒したよ!!!」
「神話だわ!! 神話の一つに立ち会ってるのね私達!!」
「あぁ主よ! 我らが主よ、ベルナデッタ様に貴方の恩寵を授けて下さり誠にありがとうござます!!!」
後方で隠れていた筈の聖職者達が、戦いに目を奪われていた人々が勝利の確信を期に歓喜の咆哮を上げている。
逃げればいいのに、律義にヤヤ達を守る様に祈りを捧げていた者や隠れている者もいるの。涙を流したり興奮に顔を真っ赤していたりしていて、騒がしい事この上ない。
「騒がしい部下だね、全く」
「ふふっ、可愛らしい子達でしょう? 素直で無垢な良い子達なんですよ」
「あたた、傷に響くんですけどぉ? ったく、聖職者ならもっとらしくしなさいよぉ」
一つの戦いを終えたという達成感が、三人に程よい安堵を齎した。次の戦いが控えているのは分かっている、三人とも示し合わせた様に重たく立ち上がり次を意識する。
後ろで歓喜するベルナデッタの部下達に苦笑しながらも、もう歩くのも億劫な身体でもやらなくちゃいけないから喝を入れる。
「待て」
だが魔王城を振り返った三人の背に、エリザベスの涼しい声が届く。
振り返れば、ぎゅっと唇を噤み眉間に皺を寄せたエリザベスが何か言いたげに立っている。反抗期の子供が、素直にお礼を言えない。そんな印象を受ける。
「なぁにぃ? 悪いけどぉ何言われても止めないわよぉ」
「……違う」
言いたい事があるならさっさと言ってくれないかと言うナターシャの視線と、黙って眺めるアイアスとベルナデッタの視線を受けながら、エリザベスは片手を抑える様に袖を握って顔を逸らしていたが、やがて覚悟を決めたのか視線を合わせた。
「何故、何故戦う。何を思って戦う。何が貴様らをそこまでさせる」
躊躇いを交えた怜悧な声で紡がれたのは、問いと言うには曖昧過ぎる質問だった。死力を賭して戦うナターシャ達に対して問うには、余りにも陳腐すぎる問いかけ。最早確認程度の意味しか成さない。
ナターシャ達は白けた様な表情を浮かべつつ、馬鹿にした素振りは一切なく真剣に。一切の躊躇い無く口を開く。
「敬愛する魔王様の為よぉ」
「防人としての役目だね」
「主の敬虔なる信徒として、成すべき事を成しているだけです」
三者三様に躊躇いの無い答えを返す。自らの信念と忠義に基づいての答えが、一足す一は二ですだなんて軽さで放たれた。
呆気からんとした調子で答えを放つ三人に、エリザベスは目を丸くする。もっと重たい答えを、慎重に慎重を重ねた神聖な答えが返ってくると思ったのか。
しかし現実を見れば、模範的で教本的な答えだ。しかし三人の純粋な気持ち。
今戦っている三人は、誰かのために戦っているんだ。三人だけじゃない。
ヤヤはフランを追いかけて、黒龍や化け物に蹂躙された赤の他人を見て戦う事を決心した。
フランは大切な人の為に戦う事にした。例えそれがその人の夢を砕く事になろうとしても、生きて欲しいから。
ヴィオレットは主の理想の為に戦った。例え敬愛する主の血を分けた兄を殺すことになろうと、それが従者の務めだから。
エロメロイだって同じだ。姉にケツを蹴られて来た人間界、文句ばかり垂れているがその行動に偽りは無い。もう二度と戦争を起こさない為、敬愛する主を慣れ親しんだ地に眠らせたい。
皆、この場に居る全員が誰かの為に戦ってきたのだ。
そんな人たちに向けて、何故。だなんて愚問が過ぎるだろう。
「……そうか」
答えを聞いたエリザベスは固く瞼を閉じると、深く息を吐いて肩の力を抜いた。ナターシャ達の強い意志、それはエリザベスの想いを上回ってしまうのかも知れない。
自分の為ではなく誰かの為。尊い自己犠牲や奉仕の精神が、力となって障害を打ち壊したのだ。
それを悟ったエリザベスは、憮然と何か言い難い様子で地面を見下ろしながら拳を握った。
「どいつもこいつも役に立たない、邪魔ばかりする。何処まで苛立たせれば済むんだ」
アダムの声が響く。全員が声のした方へ顔を向ければ、アダムが苛立ちながら空中に浮いているのを見た。何故浮いているのかが分からない者は唖然とし、たった4人だけが警戒心をむき出しにする。
アダムは死んだ黒龍を苛立たし気に一瞥すると、無造作に掴んでいたティアを地面に落とした。
「きゃぅ!?」
「治せ」
地面に落とされたティアは全身を拘束衣に包まれている、立ち上がるのにも苦労するティアは痛々しい様子で命令するアダムと、黒龍の死体を見比べてふるふると首を振った。
「だ、駄目だよアダム。ティアの機能を使ったら、黒龍ちゃんがすっごく痛い痛いしちゃうんだよ? 可哀想だよ」
それは出来ない。可哀想だとティアがいう。既に死した存在ですら、ティアにはどうにかする手段があるのだろう、しかし余程の苦痛を齎すのかティアは出来ないと言った。
それを聞いたアダムは地面に降り立つと、ティアの頬を容赦なく叩く。叩き続ける。
「きゃん!?」
「口答えをするな、お前は俺の言った事を聞いていればいいんだよ! 副産物の癖に俺の言う事が聞けないのか!?」
「ごめんなさい! ごめんなさい! やる、やるよ。ティアはちゃんという事聞くから、だから怒らないで、嫌いにならないで……」
ティアの見た目は12歳程の少女だ。今まで見てきても身体能力もそれに比例している。なのに幼い少女であるティアを、アダムは何の躊躇も無く叩き、殴り続けて言う事を聞かせる。
殴られたティアは悲惨としか言いようがない。虐待児とも言える様。殴られて口端から血を流しながら、涙ながらに懇願している。捨てないで、嫌いにならないで。と。
殴られてボロボロになったティアは、フラフラと一人で立ち上がると黒龍に向かって歩き出した。
ドパンドパンッ!!
「……無駄な事だ」
「はっ、ガキ相手に暴力振るう野郎には物足りない位さ」
アイアスがリボルバーを放つが、それは不可視の結界に阻まれた。意識外からの奇襲にも関わらず、阻まれたのだ。常時展開型の結界か、少なくともアイアスにはその原理が分からない。
「では」
「こんなのはどぉ?」
一足の間に間合いを詰めた二人が、左右からの挟撃を繰り出す。
右からは低く毒の直剣を携えたナターシャ、左には十字架を狙いつけるベルナデッタ。瞬きすらさせる間も与えずに、アダムの身体が炎に包まれ毒剣が突き刺さる。空気すら犯す毒と、大気を熱する炎。
攻撃と同時に素早く二人は離脱した。結界に阻まれようと、呼吸した瞬間に死ぬだろう。
「無駄だと言っているだろうが。有象無象の攻撃など、俺には傷一つ付けられない。何故なら俺は神になるべく作られた、最も神に近い人間なのだから!!」
しかし炎と毒が払われ現れたのは、傷一つないアダムの姿。これでもダメかと歯噛みする三人に、アダムはゆっくりと手を翳す。
練り上げられた魔力、使われる魔法の兆候に気づいたナターシャがいち早く危機を察した。
「避けてぇ!」
「んなぁっ!」
視界が歪んだように見えた。だが大気の流れに異常は無く、歪んだのは空間そのもの。歪んだ空間がズレて戻る。しかし割れた水が元に戻るときに波が起きる様に、ズレた空間が戻る時も衝撃が生まれる。
空間の衝撃によってアイアスの身体が吹き飛び、破壊された義手と血涙が宙を舞った。
「今のは……! 空間が!?」
「あれは魔王様の魔法よぉ。【次元に干渉する魔法】の一つねぇ」
「つまり、彼の存在が第二の人魔大戦のきっかけになると」
アイアスを案じるも動けないベルナデッタは、その真の脅威に戦慄く。ただ国を脅かしただけの敵ではない、もう一度世界全てを巻き込んだ戦争を起こしかねない敵がそこに居るのだ。
自然と、十字架を握る手に力が籠る。
「そうだ、空間に干渉するだけではない。次元を超えるという事は、神の箱庭にすら踏み込む事が可能と言う事だ」
「かはっ!?」
だが義憤に駆られたベルナデッタの身体が、アイアスと同じように空間の衝撃によって派手に吹き飛んだ。立ち上がろうとするも四肢に力が入らないのか、落ちた十字架に手を伸ばすもうめき声だけを上げる。
黒龍相手でも強靭な精神力で立ち上がっていたアイアスとベルナデッタが、たった一撃で戦闘不能に陥った。死ななかったのは、偏に二人の回避が間に合ったからだろう。
残されたナターシャに、アダムは右手を向ける。
「どんな気分だ? 敬愛する魔王の魔法で殺されるというのは」
「嬉しすぎて泣いちゃうわぁ。クソ野郎じゃなければねぇ」
ナターシャは悪態を突くだけで動く事が出来ない。何故ならその魔法の強さを、この中で一番知っているから。そもその魔法を前にした時点で終わりなのだ。
実際、二人は為す術なく地に伏せてしまった。
余裕ぶって時間を掛けるアダムに顔を顰めるナターシャは、彼の背後で黒龍に額を着けるティアを睨む。
「機能開放申請……固有機能【原初の母——ティアマト】認証確認。権能発動、母体開放……ごめんねティアの子、痛いけど起きて」
ティアの機能が発動し、母の腕の中を連想してしまう光と匂いが広がる。柔らかくて、ほんのり甘くて、気づけば肩の力を抜いてしまうような匂いと光。
その光は黒龍を優しく包む。頑張って戦った黒龍を労うような光が。
だがその祝福の光は黒龍にとっての祝福であって、それを影から眺めるナターシャからすれば身を焦がす激痛でしかない。
「GURUUU……! GAAAAAAAAAAAA!!!!!」
「ははっ……ほんとぉ勘弁してほしいわぁ」
死んだはずの黒龍ファフニールが、傷の一切を無かった事にされて激痛に悶えるような悲鳴を上げた。だがすぐさま目に怒りと戦意を滾らせると、絶望の咆哮が轟いた。
一体どういう原理で蘇生されたのか、そんな物を考える余裕は無い。ただ突き付けられた絶望に、希望を見出したが故に一転してしまった絶望的状況にナターシャから乾いた笑い声が漏れた。
「……ごふっ」
「主よ……どうか、今一度か弱き我らに……貴方のご慈悲を」
頼りにしたいアイアスとベルナデッタは動くことが出来ない、二人とも命を繋ぐことだけで精一杯な状態なのだ。
「べ、ベルナデッタ様が……」
「おしまいだ……こんなの勝てる訳ない」
「し、主と聖霊の聖名に於いて願います。どうか、どうか貴方様の恩寵を我らに授け下さい」
聖職者達も恐怖と絶望に打ちひしがれ、動く事が出来ない。
完全に追い詰められ、打開する策も術も無い。ナターシャとて、限界なのに歯を食いしばって立ち上がっていたんだ。それすらも出来ない状態と無意味さに一歩も動けずにいた。
「GAAA……!」
「やってらんないわぁ……」
蘇生された黒龍が、黒い極光を貯める。
もう一度ナターシャにそれを防ぐ体力も、気力も魔力も無い。完全なるチェックメイト。
膝を突いた状態でも何とか立ち上がろうとするナターシャの耳に、誰かが立ち塞がる音が届く。
「ははっ、立ち塞がって何の意味がある? 魔法すら持たない劣等種の癖に」
「意味などない。だが二度命を救われた、それに我は王だ。死の間際に女々しく泣き入るなど矜持が許さない」
誰一人立ち上がる事が出来ない中で、最も無力なエリザベスが立ち塞がった。しかしだから何が変わる事も無い、ただ立ち上がっただけ。
死ぬまで数秒、アダムの戯れで伸びただけ。それが誰かの希望になる事も無い。
それでもエリザベスは、最後は僅かに残った矜持を誇って死のうと覚悟して立ち塞がる。
「愚王として後世に残してやるさ、安心して死ね」
「ふっ、精々見下す人間に足元を掬われない事だな。贋物」
僅かな時間稼ぎの結果は変わらず、無慈悲な暴力の死。
黒い極光が放たれて尚、エリザベスは一歩も引かずに睨み続ける。命途切れるその時まで。
誰一人動けない。神に祈り、無力を嘆く。
だが、だが最後まで諦めていない女たちが居る。
「立てよ……! 年寄りがっ一番にやられてどうすんだ!!」
「かはっ! 主よ……どうか今一度力をお授け下さいっ勇気を!!」
「っぐ! あああぁぁぁ!! 動けぇぇぇ!!」
諦めなければ分からない。例え四肢が千切れても、魔力が尽きても、策が無くなろうと諦めなければ負けてはいないんだ。
それを知っている。三人は知っている。
たった一人の母親の為にボロボロになっても、例え人間ではなくなろうと自我を無くそうと、最後まで戦った少女がいたのを知っている。
だから諦めない。自分達より若い少女がそう出来たのだ、大人である自分達が一番に諦めてどうする。
ボロボロの身体を無理やり動かし、血反吐を吐いて地面を蹴った。ただ諦めの悪さだけで飛び出した。
自らを盾に極光の前に飛び出す。魔力が無いなら身体で守れば良い、誰かの為に戦った三人の後ろにはその誰かが居るから。
命を賭けて守れ。守る!!
死力を尽くして、万策を尽くして肉の盾となる覚悟を決めた三人の目の前に。極光を阻むように空から一つの人影が落ちた。
鬱陶しい位の派手で美しい立て巻きツインテール。太陽の様に自信が溢れる年若い背中。
「お待たせ致しましたわ!!!」
豪奢な立て巻きツインテールを優美に払い、自信に煌めく翠の猫目を勿体ぶって開く。
虹色の宝杖を持ったクリスティーヌが、諦めない彼女たちの前に立ち塞がった。
全てを任せろと、今まで戦ってくれてご苦労と背中で労いながらお伽噺の王子様の様に間に合ったのだ。
「地上に顕現せし美の女神たるワタクシ、クリスティーヌが命じますわ!!」
虹色の宝杖を高く掲げ、迫る黒い極光を前に一切の怯みなく強く意思を吠える。
全てを守る。自分の代わりに戦い抜いてくれた皆の為に、自分の矜持に従って。
「醜悪なる一切は触れる事叶わず! 今ここに奇跡の宝石の姿を現しなさい! クリスティア・サンクチュアリ!!!」
淀みなく吠えて発動した【宝石魔法】が、宝石の力を引き出す魔法が、荘厳に作り出された虹色の城が暴力の濁流を受け止めた。
まるで神話の一つの様な神々しく、白と黒の二つだけに世界が支配された。