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大義なき正義、正義なき忠義

 


 ナターシャ達が必死で目指した魔王城の玉座の間。城の登頂部に位置するそこは、まさに王が座すに相応しい場所。当時なら。

 300年も経ち、当時は美しく飾っていたシャンデリアも絨毯も、今は朽ち果てている。しかし職人の魂を込めて作られた建築性は、300年経って尚思わずため息をついてしまう程に美しき黄金比を描いている。


「おい、それを取れ。違う、その黒い板だ……何故今紅茶と菓子を出す、と言うか何故そんな物が入っている。あぁもう良い、座って菓子でも食ってろ」


 しかしながら、エリザベスに伝統的な空間を楽しむ気は一切無く、玉座の間の最奥にある黒い大扉を開こうとしている。

 黒い大扉は300年経っていると言うのに、傷一つ付いていない。それどころか、どういう素材で作られているのかも分からない、鏡の様に磨き上げられた黒曜石の大扉はこの場にそぐわない異質さがある。


「っち、封印階層が厚いな。おい贋物、突っ立てないで少しは手伝え」

「おや、手伝ってもよろしいのですか?」

「朝まで叱られた子供の様に立っていたいなら、好きにしろ」

「ふむ……」


 黒曜石の大扉には、幾何学的な紋章が淡く輝いている。幾重にも重なった紋章は、見た事が無いほどの高度な魔法技術と、数学的な美しさが一目で窺える。

 しかしその紋章は大扉を固く閉じる封印だ、今はエリザベスにとって邪魔にしかならない。

 紋章の状態を見比べながら、手元の黒い板を操作して封印の解除を進めている。


 その様子を、赤髪赤目の帝国騎士であるスーリア・ベルファスト・ローテリアは腰の刀に手を置きながら物憂げに眺めている。


「陛下、な……っ」


 思わず口をついて出掛けた言葉を、すんでの所で飲み込む。

 今自分が何の言葉を発しようとしたのか、その言葉に何の意味があるのか。それを理解しているが故に言葉を発せなかった。


(陛下は……子供を使ってまで何を)


 スーリアの視線は、エリザベスの足元で寝転がる長すぎる黒髪の全身拘束衣に包まれた少女(ティア)に向けられている。

 その少女(ティア)を使って黒曜石の大扉を開けようとしているのは分かる。きっと必要だからやっているのだろう。それがエリザベスが語ってくれた理想の為に必要な事なのだろう。

 スーリアとて子供ではない、時には犠牲を払わなければ果たせない目的がある事も理解している。エリザベスが皇帝となるに行った謀反では、多くの部下を犠牲にした。

 だから私情に走らない、だから唇を噛んで固く刀を握りしめる。


(そうだ、私とて理想は既に語れぬ身。必要とあらば部下に死ねと命令もしてきた……だがっ、だが子供は、あんな幼子まで)


 だが理解と納得は別物。

 騎士としての心だけは常に高潔にあろうとしてきた彼女にとって、守るべき絶対の対象である子供まで利用するのだけは、どうしても納得できなかった。

 それは彼女の確固たる忠義が揺らいでしまう程。


「……? 君は」


 険しく眉間を顰めて考え込んでいたスーリアの袖が、小さく引かれる。

 見下ろせば、シスターズの一人がスーリアを見上げていた。この少女達もスーリアには良く分からない存在。

 双子や三つ子と言うよりは、まるで一人の少女を元に複製した様に同じ顔立ちと体型の少女達。無表情と言うよりは、感情や心が無いと思うくらい何の表情も浮かべていない。


 エリザベスは何なのか知っているのか、装備や物資を持たせて傍に居させている。それもスーリアには解し難い。


「……」

「そんな食い入るように見上げられても困る。ほら、向こうで一緒に休んでいると良い」

「……?」

「んぅ、困ったな。子供は苦手なんだが」


 しかしシスターズはそんなスーリアの悩みなど分からないのか、きょとんと首を傾げている。余りに無垢。12歳程の容姿ではあるが、まるで赤子の様だ。

 だとしてもそれを追求する気にはなれず、スーリアはただ居心地の悪さを覚えて背を押すがシスターズは動かない。

 スーリアは苦々しく顔を上げて、エリザベスの背を捉えて止まった。


「おい、作業の邪魔だ、纏わりつくな。菓子は要らん……要らんと言っている、押し付けるな。ほら向こうで一緒に大人しく菓子でも食ってろ、お前たちの仕事は大人しくしている事だ」


 作業に難航して眉間に皺を寄せるエリザベスを気遣ったのか、シスターズの一人がお菓子を上げようと傍に寄る。エリザベスは要らないと言うが、少しムッとした表情で背伸びして更にお菓子を食べさせようとする。

 エリザベスは板から目を背けずに頭を撫でて向こうに行けと言うが、やっぱりシスターズは動かない。


「はぁ」

「ん……」


 やがて諦めたのか、エリザベスは作業を一時中断するとシスターズの脇に手を入れて抱き上げ、落ちない様に丁寧に抱いたまま体育座りして静かにお菓子を食べている他のシスターズの元にゆっくりと置いてあげた。

 最後に一つシスターズ全員の頭を優しく撫でて、ため息混じりに作業を再開する。


 その姿を、つぶさに見つめていたスーリアの肩の力が自然と抜けた。


(そうだ、陛下は心優しき御方なのだ。陛下の理想も、お優しさ故だ。事実少女達を利用こそすれ、無体は働いていない……ならば迷いは不要)


「……?」


 すっと背を伸ばし、顔を上げたスーリアはシスターズを抱き上げた。お尻を持ち、落ちない様に身体に預けて背を支える。

 きょとんとするシスターズは結局何がしたかったのか分からないが、優しく背中を叩かれ気持ちよさげに目をとろんとさせちゃう。

 スーリアは眠たそうに胸に顔を埋めるシスターズを、上着を敷いた上に優しく寝かせた。


「良く寝ると良い、子供は寝て育つものだ」


 優しく頭を撫でたスーリアの表情は、強張りが取れて自然体だった。


「さて、我も陛下の騎士としての本懐を遂げるとしよう」


 ゆっくりと立ち上がったスーリアは、ごく自然体に踵を返し剣を抜く。

 その意味は、戦闘が起こるという事。敵が来たという事。

 誰よりも先に、敵が来た事を察知した。


「お二人とも、敵襲です」

「来たか」

「おやおや」


 スーリアの警告に、エリザベスとアダムも気づいて振り返った。

 玉座の間の壊れた大扉へ歩くスーリアの先に、青肌黒白目、真紅の瞳の悪魔の女がゆっくりと歩いて来ているのを捉えた。

 ナターシャただ一人が、普段の眠た気の妖艶なお姉さんと言った雰囲気を一転させ、冷気の様な殺気を纏わせて剣呑に目を細めながらゆっくりと歩いてきている。


「何者だとは問うまい。私はローテリア帝国騎士が一人、スーリア・ベルファスト・ローテリア! 敬愛する陛下の大義の為、貴公には悪いがここでその歩み止めさせて貰おう!」


 スーリアは剣を抜き放ち、立ち塞がる。

 剣先を突きつけ、声高に正々堂々と名乗りを上げ一騎討を申し込むように胸を張った。

 さあお前も名乗りを上げろ、正々堂々と戦おう。そんな心の声が聞こえる、凛とした表情でスーリアは真っすぐ見つめる。


「……」


 しかし当のナターシャは一度驚いたように足を止めるが、剣呑に目を細めたまま無言で歩みを再開した。

 その真紅の瞳は目の前に居るスーリアを捉えておらず、その奥で封印を解こうとしているエリザベスとアダムだけを捉えている。

 明らかにスーリアを敵とすら認識していない。それをスーリアは馬鹿にされたと受け取った。


「ひくっ……私など眼中にも無いと言う訳か。良いだろう、名乗りも出来ぬ蛮族など一刀に伏してやる」


 突き付けた剣を鞘に納め、上体を深く前へ倒すと足を広げて抜刀の姿勢を取った。敵である以上、手加減は一切するつもりはないのか静かな殺気を滲ませて深く息を吐く。

 スーリアの家系に続き、かつスーリア自身が研鑽を重ね続けた必殺の居合切り。それを、最初手に放つ様子だ。


「我がベルファスト家に伝わる一子相伝の絶技、冥土の土産に味わうがいい。——白刃一閃」


 音すらしない静謐な抜刀、神速の踏み込み。その二つが生み出すは瞬きの間の懐への侵入と致命の一撃。

 一瞬の間にナターシャの懐へ入り込んだスーリアが、剣をそのまま払えばナターシャの首と胴は泣き別れ。

 未だ何の反応も見せずに歩く姿勢のままのナターシャに、防御の手段は無い。


「邪魔」

「!? なっ!!」


 だがナターシャは、一瞥すらくれる事無くただどうでも良いと呟くとその剣を素手で受け止めた。

 肉を裂き骨を断つ致命の一刀が、全力で振りぬかれた筈の一刀が素手で受け止められたのだ。余りに予想外過ぎてスーリアの動きが止まってしまう。

 剣に赤い血が滴るのを見て、その視界にスーリアの放った蹴りが映りこむが防御が間に合わない。


「ぐはっ!!」


 鋭い蹴りは完璧に鳩尾に入り、受け身も取れずに転がった。 

 喉が詰まって息が出来ずに転がる彼女を尻目に、ナターシャは興味なさげに歩みを再開する。


「かはっ! っ……魔法か? いや、魔法ではないっ身体強化!? あり得ない、肉体変質が出来る程の身体強化など机上の空論でしかないっ!!」


 ナターシャが刀を受け止めたのは、魔法ではない。魔力による肉体強化、その極地にある肉体変質。

 スーリアもそれを知っている。極めた剣士が鉄の塊を刃こぼれ無く切り裂くことが出来る様に、時に人の技術は想像を超える。

 だが『知っている』と『出来る』は果てしない差がある。ナターシャが見せた技は机上の空論でしかないのだ、澄んだ水面に波紋一つ浮かべずに飛び込む様な常軌を逸した技術が必要。


 ナターシャが最後まで一瞥もしなかった理由を理解した、敵ですらないのだ。 

 敵と見做されない程の実力の差があるんだ。


「っクソっ!」


 それに気づいて唖然とするが、息も満足に整える余裕も無く剣を杖に立ち上がって背を向け先へ進むナターシャへ斬りかかろうとする。


「邪魔だって言ってるでしょ」


 しかしナターシャは最後まで面倒くさそうに肩越しに振り返るだけで、真面に相手しようとしない。

 剣を振りかざしたナターシャの足が、ひたと止まる。


「……ごふ……?」


 何故。と驚愕に目を見開いたナターシャの口からどす黒い血が溢れ、地面に落ちた剣を追うようにその膝が地面を着く。

 ナターシャの【全てを溶かす激情の魔法】が、ナターシャの静かな殺意の下で狂い暴れる激情が、目に見えぬ毒となってスーリアの身体を犯した。

 本格的に魔法を使った訳ではないから、命までは失わずに済んだがそれでももう立ち上がることは出来ないだろう。苦しそうに地面に蹲っている。


 ぱちぱちぱち。と場にそぐわない軽い拍手の音が響いた。

 その音が不快なのか、ナターシャの眉間に皺が寄る。


「いやはや、流石は魔王の剣。たかが平和な時世で持て囃された戦士など、歯牙に掛ける価値も無しですか」


 尊大に、傲慢に玉座を降りてくるアダム。

 嘲笑の上に軽薄な笑みを携え、的確に人の神経を逆撫でる言葉を発し続ける。

 その姿を前にして、ナターシャは足を止めて拳を握った。青筋が浮かび、掌に出来た裂傷が更に開いて血が溢れる。


「折角ご足労頂いて申し訳ないが——」


 階段を降り切って嘲笑うアダムの言葉は、ナターシャが手を振り払われた事に途切れた。

 顔色一つ変えず上体を逸らしたアダムの顎下を、温い風が撫でた。不可視、だがその風の先にあった瓦礫が撫でられ泡立って溶け出す。

 有無を言わさない必殺の魔法。それに込められた荒れ狂う程の怒りが、見ずとも感じられた。


「ごちゃごちゃごちゃごちゃ。300年前から変わらないわね、さっさと死んでくれない? 殺す」


 心底腹立たしいと顔を歪めたナターシャは、あと少し口を開かれたら怒鳴り散らしそうなのをギリギリで堪えながらも、問答無用でさっさと殺すと更に腕を振るう。

 今度は意表を突く不可視の毒ではなく、毒々しい色の大量の剣が背後に浮かんだ。


「我は魔王ファウスト様の敬虔なる臣下である、我が王の城を踏み荒らす愚弄者に今怒りの鉄槌を。——愛すべき陛下に捧ぐ、臣下の愛——」


 戦場の雨となって、毒の剣が針を通す隙間も無い程撃ちだされた。一つ一つが触れただけで即死する毒が、髪の毛一つ血の一滴すらも残さないと迫る。

 それを見上げる事もせず、アダムは軽薄な笑みを浮かべたまま指を鳴らそうと腕を上げた。


「権限開放、固有機能【神なる人間——アダム】認証確認。機能起動、神の庭園」


 パチンッ。という軽快な指鳴らしの音が響くと共にアダムを溶け殺そうと迫っていた毒の剣が、まるで見えない結界に触れたかの様に霧散した。

 毒の剣が弾かれたというよりは、魔法その物が消滅したような消え方。水滴一つ残さず突如消えたのだ。

 絶え間なく降り注ぐナターシャは、訝し気に眉を潜めながらも攻撃の手は止めない。そのからくりを探ろうとしている。


「不可視の結界、では無いわね。魔法その物が無効化され消失している」

「まぁそんな物です。どうしますか? 我慢比べと行きましょうか?」

「ほざくな」


 このまま毒の剣を降らしても意味は無いと判断したナターシャは、毒の剣を降らしながら駆けて間合いを詰めた。降りしきる毒の剣の雨の中に自分が通れるだけの、産毛を撫でるようなギリギリの隙間だけを作って駆け出す。

 魔法がダメなら体術で、拳を貫手に変えて。


「魔法がダメなら体術ですか? 浅はかですねぇ」


 無策に突っ込んできたナターシャを嘲笑い、アダムは不可視の結界を展開したまま腕を広げて待ち構える。

 余裕の姿勢で何が出来るのかと絶対の自信が、死ぬほど苛立たしい位だ。


 ナターシャは低い姿勢のまま素早く距離を詰め、一切の躊躇いなく貫手を不可視の結界にぶち込んだ。


「はははっ! 神の庭園は資格無き者の侵入の一切を許さない! 魔法だろうが肉体だろうが、触れた瞬間に無に帰すのですよ!!」


 不可視の結界に触れた瞬間、ナターシャの指先から腕が塵と化していく。それはまさしく神の庭園と言う名に相応しい、隔絶された一種の亜空間となり攻守両刀の最強の結界なのだ。

 馬鹿みたいに突っ込んで肘まで塵と化したナターシャを嘲笑うアダムは、何かに気づいて口を噤んだ。


「違う! 人形か!」


 腕が塵と化して尚突っ込むナターシャは、いつの間に入れ替わったのかその姿がどろりと溶けて毒の塊へと姿を変えた。

 腕が塵と化しても表情一つ変えない所で気づくべきだったが、それが出来ない程何時入れ替わったのか、見破る事が出来ない程の精巧さで作られた毒の人形はアダムが気付いたタイミングで膨張し爆発する。


「視界がっ!?」


 爆発した毒はどういう原理が、不可視の結界に触れない様にしつつ完全に覆いこんだ。

 慌てて不可視の結界を広げて毒を除こうとしたアダムの背後に、ナターシャが低く貫手を構えて滑り込む。

 常に降り注ぐ毒の剣の雨と、意表を突く毒の人形によるかく乱。この二つが不可視の結界に穴を作る事に成功したのだ。

 そしてその存在に気づいた時には遅く、ナターシャは瞳孔を開いたまま致命の一撃を放つ。


「しまっ!」

「死ね」


 完璧な隙を突いた貫手は、アダムの首を切断した。

 誰が見ても分かる、絶対の死。それを証明する様に不可視の結界は無くなったのか毒の剣の雨が瞬く間にアダムの全身に突き刺さりその身体を四肢からゆっくりと溶かしていく。


 アダムの死体はボロ雑巾の様に討ち捨てられ、胴体を残して倒れる。暫くすれば、骨も残さず溶かしきるだろう。

 その姿を汚い物を見る様に見下ろすナターシャの背中に、女の悲鳴が轟く。


「アル!!」


 振り返れば、エリザベスが悲壮な表情で立ち竦んでいる。自らを守る騎士が倒れても作業を止めなかった彼女は、その正体を知っていて尚、異母弟の死に動揺を隠しきれなかったらしい。

 その姿を認め、ナターシャはゆっくりと彼女へ向けて歩みを進める。


「また……また我は家族を……」


 ナターシャは何も語らず、ただ氷の様な無表情を張り付けたまま膝をついて項垂れるエリザベスの前に立つ。

 そのまま、貫手に構えた右手を掲げる。せめて一思いに殺してやるのが優しさと言いたいのか、一切の迷い無く振り下ろした。


「!!」


 だが突如横合いから飛んできた小さな人影が、エリザベスを押し倒し振り下ろした手刀を躱した。


「な……! 何故だ」


 もう戦える敵は居ないというのに誰だ、と眉を顰めたナターシャは横を見ればシスターズの一人がエリザベスを庇うように覆いかぶさっていた。

 ぶるぶると小さな身体を震わせ、恐怖に目を瞑りながらもエリザベスだけは死んでほしくないと言うようにその身体に抱き着いている。

 エリザベスの驚く顔を見下ろすナターシャが、再び足を踏み出すと何かが足にしがみついて来て止まった。


「……【賢者の石】の燃料体ねぇ」

「貴様ら!? 何をしている!」


 ナターシャの足にしがみつく、シスターズ達。皆身体を小さく震わせ、固く目を閉じて恐怖に竦みながらもしがみついたナターシャの足や手を離さない。

 エリザベスの怒声が響いても、彼女達はガタガタと震えながらではあるが子供の精いっぱいの力でナターシャを止める。


 その姿たるや、どちらが悪者か分かった物ではない。


「……はぁ」


 振りほどこうと思えば振りほどけるし、排除する事も出来る。だが引き留められたナターシャは諦めた様に肩の力を抜いた。 

 先ほどまで放っていた氷の様な凍てついた鋭い殺気も同様に霧散し、いつもの気だるげなお姉さんの顔に戻って髪を乱雑に掻き毟る。


「子供は卑怯よねぇ。ねぇ女王様」

「……貴様、憐れんでいるつもりか」

「どっちかっていうと、呆れてるわねぇ。お姉さん自身にぃ」


 そういってしがみついて震えるシスターズ達の頭を撫でるナターシャ。恐怖に震えていたシスターズ達は、何が何だか分からずきょとんとした顔でナターシャを見上げた。

 その間抜けだけど可愛らしい顔を見て、ナターシャは優しく目元を柔らげる。


「もう勝負はついたわぁ、大人しくしてなさぁい。こっちは魔王様の遺体さえ回収出来れば本望なんだからぁ」

「……悪いがそれは出来ない」


 シスターズの頭を撫でながら降伏勧告を言うナターシャに、エリザベスは憮然と言い放った。

 往生際の悪い姿に、ナターシャは眉を潜めて顎を上げて冷たく見下ろす。少なくともそれはナターシャなりの優しさなのだ。降伏しようがしなかろうが、抵抗するならシスターズ達ごと排除するのはやぶさかではないだろう。

 撫でていない方の左手の指を曲げ、骨を鳴らす。


 それはこれ以上無駄な時間を取らせるなら、本気で容赦はしないという警告。それを聞いてもエリザベスはナターシャをにらみ返して口を開く。


「我には野望がある。例え世界中を敵に回しても、屍の山の上に一人立つ事になっても為さねばならぬ野望が」

「聞いてるわぁ。その為に扱いきれない力を手に入れて戦争なんて、大馬鹿の考えだわぁ」

「理解は求めていない、共感も要らん。我が求めるのは結果ただ一つだ。もう誰も、家族を失わなくて良い世界を作る為なら、我は神すら殺してやる!!」

「っ! 閃光手りゅ——」


 吠えながら、エリザベスは懐から閃光手りゅう弾を放り出した。シスターズ達に未だ抱き着かれているナターシャは反応が僅かに遅れてしまい、視界を埋め尽くす閃光に目を焼かれてしまった。


「今だ! スーリア!!」

「はぁぁぁっっ!!」

「っ!? まだ動けて!」


 背後から血を吐き出して毒に身体を犯されたスーリアが、決死の表情で大上段から斬りかかって来た。

 血涙を流す姿は、なぜ動けるのかと戸惑ってしまう程。


「大義の為なら! 私は修羅となろう!!」


 何度も剣を振るう余力は無いほどに追い詰められている。しかしこと現状に関しては、たった一度振るえれば充分。

 上から、残った全ての力を籠めて刀を振り下ろすだけで良い。


 目は見えずとも、気配で背後を取られた事を悟ったナターシャは避けようとして気づく。


(避けたらこの子達がぁ!)


 避ける事は出来る、だが避けたら最後シスターズ達が刀の餌食になってしまう。合理的判断か、リスクを覚悟の私情か。

 シスターズ達は眩しそうに目を瞑ったまま、スーリアの接近にすら気づいていない。


「女は覚悟ねぇ」


 逡巡したのは一瞬。目を瞑ったまま気配だけで位置を完璧に悟り、硬質化した腕を背後へ振りかざす。

 だが先手を取られている現状、刃が届く方が先。振りかざした貫手より先に刃がナターシャの肩へ食い込む。


 ズブッ!!


「入った!」


 肉を裂く感触に、スーリアは勝利を確信する。


「残念、甘いわぁ」

「刃が止まって!?」


 だが肉に食い込む感触はあっても、骨に当たる感触を最後に刃が押し込めない。

 見れば振りかぶっていた筈の貫手は、攻撃や防御の為ではなく刃の腹を殴って軌道を逸らしたのだ。首に向かって振りかぶられた刃は肩に食い込み、骨で受け止めた。

 肉を裂き、骨で受け止める。まさに肉を裂き骨を断つ。覚悟が無ければ決して出来ない選択。


「ぐっ! 力が!? しまっ!」


 そのまま更なる力で押し込めばいい、しかしそう出来ないのがスーリアの身体の限界。


「惜しいわぁその気合、あと100年もあればいい戦士になれるわよぉ」

「かはぁっ!」


 肩骨で刃が止まってしまったスーリアは、ナターシャが硬く拳を握り込んだ姿を最後に腹を殴られて意識を失った。

 エリザベスが生み出し、スーリアが掴み取った最後のチャンスはナターシャの肩に深い傷を作るだけで終わってしまった。


「はぁ、はぁっ……」

「これでもダメかッ……! ごほっごほっ!? っがはっ!」


 悔し気に唇を噛み、咳込み吐血するエリザベス。どす黒い血を吐き出し、シスターズに背中をさすられても収まる気配は無い。

 その蹲る彼女に、ナターシャは肩の裂傷に応急処置をしながら近づく。 

 今一度周囲を見渡した。


(もう敵は居ない、後はこの女王様を確保すれば終わりねぇ)


 アダムは断頭の上達磨の死体。スーリアも完全に沈黙、シスターズ達もペタンと座り込んで目を擦っている。

 もう邪魔者は居ない、これで全てが終わる。そう安堵したナターシャは気付くことが出来なかった。


 玉座の間にある黒曜石の封印扉は、王の玉座の後ろにある。そこは壇上になっており、その下に居るナターシャは壇上に横たわるティアに気づけなかった。

 アダムの事を知っていて、怒りを覚えていた彼女がそのアダムを殺した事に、明確な敵を倒してしまったから安堵してしまったから。

 あるいは、ティアの存在までは知る事が出来なかったから。


 アダムは殺した、エリザベスももう手の内。後はゆっくりと魔王の遺体を回収すればいい、そう判断したナターシャの耳に、全く予期しない声が聞こえた。


「ふわ~あ、良く寝た~……ってあれ!? アダム死んじゃってる!?♡」

「っ!? 誰ぇっ!」


 全く予期しない第三者。

 凶悪犯罪者に使うような全身拘束衣に身を包み、長すぎる黒髪は足元に広がっている。12歳程の容姿で全く状況を理解していないのか、無垢な幼子の様な困惑した表情を浮かべている。

 その少女ティアは、ぴょんぴょんとその場で跳ねながらアダムの死体を見て晩御飯が苦手な物だと言われた程度の残念がり。


 見てくれだけならただの少女、シスターズ達と何ら変わらない様に見える。


「ぅえ~ん、ティアすっごく悲しい。大好きなアダムが死んじゃってすっごく胸が痛い」


(何この子、状況を理解していなぁい? 賢者の石の燃料体ではないしぃ、なんの力も感じないわぁ……のに、気持ち悪いわねぇ、何かしら)


 その姿を見てナターシャは知らずの内に冷や汗を流していた。

 倒そうと思えば一息で無力化できる位、ティアはただの幼子にしか見えない。しかし、言いようのない存在感がナターシャに一歩踏み出させるのを躊躇わせた。

 その何かが分からず生唾を呑むナターシャに一瞥すらくれず、ティアは拳を作る様に意気込む。


「でもティアは良い子だからやる事は分かってるよ、ティアはアダムのやりたい事をちゃんとやるからね♡」

「こいつぅ! 処女の偏愛ぃ!」


 そう言ったティアは黒曜石の封印扉に向き合うと、瞼を閉じた。

 何をするつもりか悟ったナターシャは、即座に最も射程と速度のある毒を飛ばして阻止を図る。


 しかしその魔法はティアに届く前に消滅する。


「魔法が!? アダムがまだ生きて!」


 見覚えのある現象に驚くも、アダムは死んでいる筈。死者が魔法を使うなどあり得ない、その動揺がチャンスを逃した。


「機能解放申請……固有機能【原初の母——ティアマト】認証確認。機能発動、母胎解放……起きて天球儀。宇宙の全てを明かして欲しいと願われたその頭脳で、ティアのお願いを叶えて」


「これはっ! スペルディア王国で感じた異常な魔力!」


 台風の様な異常な大きさの魔力が、ティアの胎に納まっていた天球儀から溢れ出る。宇宙の果てまで解き明かす事を願われて作られた、魔道歴の遺物はその演算処理能力を以って瞬く間に封印を解いていく。

 幾何学的な紋章は、まるで糸が解れる様にその形を消してしまう。


 300年の間、魔王の遺体を守っていた封印はあっさりと無くなってしまった。


「やったー♡開いた、開いたよー♡」

「封印が! このクソガキぃ!」


 手放しで喜ぶティアへ、憤怒を浮かべてナターシャは飛び出す。ナターシャの経験と全細胞が叫んでいる。

 この少女はヤバい、絶対に殺さなきゃヤバい。と


「きゃぁっ!」


 だが眼前から降り注いだ突風が、ナターシャの足を止めた。

 目を開ける事すら厳しい、翼の羽ばたきによって生まれた突風。


「GRuuuuu」

「……黒龍ファフニール。何処に居るのかと思ったらぁ、その胎に居たのねぇ」


 漆黒の暴力の権化。強靭な身体と天高く羽ばたく両翼の何者をも引き裂く爪と牙を揃える真の化け物。

 黒龍ファフニールが、ティアを守る様に唸り声を上げて真紅の瞳で睨みつけている。


 自然災害にも等しい威圧感に、ナターシャは身構えて止まる。

 だがその視線は自らが敬愛する主の寝台に横たわる遺体と、その前に立つティアを捉えて見開かれ、勢いよく飛び出した。


「その方にっっっ触れるなアアアァァァ!!!!」

「GAAAAAAAAAA!!!!」


 ティアの手の内にある、球体を見て走り出した。それが何か知っているから、それを使って何をするかをナターシャは知っているから。

 黒龍が立ち塞がろうと、ただそれだけはさせないと死ぬ気で走り出していた。


「アダム♡ ここまで来たよ♡」


 手に持った、林檎に手を伸ばす茨に包まれた手の紋章が浮かんでいる球体に口づけし、ティアはそれを魔王の遺体に落とした。

 アダムのコアが、魔王の遺体に取り込まれた。


「GRAAAAAAAAA!!!!」

「邪魔すんなクソトカゲぇぇぇ!!!!!!!」


 黒龍のブレスが、全てを吹き飛ばす。

 黒い極光を前にナターシャが見たのは、大切な主の起き上がる姿。だがそれは願った物とは違う形だと、ひしと感じる。


(クソが……!)


 苦渋に顔を顰めたナターシャの姿が、極光に呑まれて消えた。


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