死が二人を別つまで
300年前、人類と悪魔の戦いは熾烈を極めていた。
互いに多くの血を流し、互いに憎しみ合い理解を拒み、ただただ殺して殺されて。互いに策略を巡らし、如何に多く敵を殺すかを考え如何に多くの同胞を救うか。
最早正義や悪といった境界など朧気で、ただ互いの存在を残す為だけに殺し合った。
その最も中心に近い場所に居たのが——最も全ての戦士が戦いの中心人物だが——エロメロイだった。
「くそっ! 撤退だ! 総員生き残る事だけ考えるっしょ!!」
その日は酷い雨の日だった。
まるで争い合う二つの種族に、神が嘆き悲しむかのような雨だった。全ての血が洗い流され、全ての罪が露わになるような豪雨。
その中で、エロメロイ率いる諜報部隊は敵の補給線を断つ為の作戦に臨んだが、想定外の伏兵に当たってしまい撤退戦を繰り広げていた。
「隊長無理です! 地形が悪すぎる! 敵陣のど真ん中で逃げ場などっがぁ!?」
「ふざけるなっしょ! 無理かどうかじゃねぇ、死ぬ気で逃げるんだよ! 負傷者は捨てろ! 殿は俺がやる!!」
仲間がどんどん減っていく。状況は絶望的、全滅するか僅かな数が生き延びるか。チェックメイトを掛けられない様に逃げ回ることしか出来ない。
執念を以ってエロメロイ達を皆殺しにしようとする、数えるのも無理な数の人間を相手にエロメロイは剣一本で戦い続けた。
人間からしたらある日理不尽に自分たちの世界を侵略してきた敵だ、見逃してくれる訳も無い。だが彼らにだって仲間はいるし家族は居る。
少しでも多くの仲間を生かす為に、エロメロイはただ必死だった。
「はぁっ、はぁっ……他の、奴らは無事、逃げられたか?」
「ぜぇっ、ぜぇっ……さ、さぁ? 自分の、目でっ確かめたら、良いわ」
「へへ。そうしたいのは山々っしょ。ていうか、お前もさっさと逃げろよヘルベリア」
「っ……お断りよ、隊長残して副隊長が逃げるなんて、私の矜持に反するわ」
どれだけ人間を殺したのかも数えきれない。ただ周りに散らばる大量の人間の死体と、更に多くの人間が来ているのを見てエロメロイは隣の女と疲れ切った笑みを浮かべ合う。
彼女は黒としか言いようがない容姿の悪魔。美人なのだろうが、センスの悪い黒い仮面を普段は被っている、冗談も通じないエロメロイに反抗してばっかの仲間だ。
普段から母親の様に小言ばっか言って、ちょっとふざけよう物なら首根っこ掴んで来る女で、その度に尻に敷かれてると部隊の仲間に笑われていた。
こんな状況ですら、逃げろと言うエロメロイの命令も鼻で笑って一蹴すると、身の丈もある大鎌を手にエロメロイよりも前へ出る。
「ほんっと、可愛げがねぇ。最後位命令聞くっしょ」
「最後? 魔王直属諜報部隊、隊長兼非常対策担当様ともあろうお方が随分弱気ね。私は諦めてないわよ」
「ほんっと可愛くねぇ」
「……バカ」
「何か言ったっしょ!? 聞こえねぇよ!」
「敵増援! 接敵!」
互いに軽口を言い合うが、二人とも満身創痍でもう生還は絶望的な事は理解している。
だが少しでも、仲間が撤退する時間を稼ぐために二人とも自然と一歩前へ踏み出した。
「オラオラぁ! 悪い悪魔様のお通りっしょ! 死にたくなきゃ帰ってママのおっぱいでも吸ってろ!」
「下品! 語彙力! 馬鹿!」
「お前それ今言う!? こっちも必死なんっしょ!」
吠えて剣と大鎌を力強く握りながら、最後のその時まで意思を強く燃やして戦った。
殺して、殺して。この時ばかりは人間の恨み言と死に際に呟かれる大切な人の名前を聞かないで済む豪雨に感謝しながら、ただ効率的に殺す機械となって戦い続けた。
ただ殺し続ける時間は、死に切らなかった人間がエロメロイの足を掴んだ瞬間に終わりを告げる。
「悪魔め……死ね……」
「っ! んのっ死にぞこないが!」
「エロメ! 前!!」
疲労が反応を遅らせた。
普段なら避けれる未熟な剣も、振りかざされて尚対応できなかった。もしかしたら、今まさに殺そうとしている兵士が、女だからだったからだろうか。
人間は殺され過ぎて、女ですらも戦場に立たなくては行けなくなったのなんてとっくに知っていたのに。泣きそうな顔で技術もクソも無く振り下ろされる剣を、ただ眺めることしか出来なかったエロメロイの前で、その女の首が真っ二つに吹き飛ぶ。
間一髪で、ヘルベリアの助けが入ったらしい。
だが、元々狂った歯車の綻びは致命的な一つのきっかけを始めに連鎖する。
「ヘルベリア! お前腹に矢が!」
「うるさいわよ、ちょっと致命傷なだけ……」
「っちくしょぉ!」
助けたヘルベリアの腹には、深々と矢が突き刺さって真っ赤な血が雨に流されていく。エロメロイを助ける為に、無理をした彼女は小生意気に口答えするもそれも弱弱しい。どうやら急所に刺さってしまったらしい。
咄嗟に倒れそうになったヘルベリアの身体を抱きしめ、エロメロイは最後の爆弾を投げると爆発に紛れて逃げ出す。
最早何処が安全なのかも分からず、少しでも追跡の手を逃れるべく近くの森の中を必死でヘルベリアを抱えながら走った。
腕の中のヘルベリアからどんどん温もりが失われるのは、雨の所為だと思いたかった。
「エロメ……私はもう無理よ」
「うっせぇ! 仲間見捨てるとかダセェ真似させるなっしょ! 黙って傷塞いどけ!」
必死で走っても安全な所なんて無い。元よりここは人間の世界なのだ、至る所から人間の気配が騒ぐ。
ヘルベリアを抱える体力すらもう残っていないのに、エロメロイはただ必死にその手から零れない様に歯を食いしばって抱きしめながらただ走る。
しかし森の中で唯一開けた、月明りが差し込む幻想的な湖の前に出てエロメロイの足が止まってしまう。行き止まりだ、背後からは多くの人間が今まさに迫ってきている。
「っくそっ! 何か、何かある筈っしょ! 考えろよ俺!!」
それでも必死で二人一緒に助かる方法を探す。一人は負傷兵、一人は疲労困憊。片や人間はその数を衰えさせる所か執念を増して大挙してくる。
最早一縷の希望すらなかった。
「……エロメ、もう良いよ」
「ふざけんな!! 諦めてたまるかよ!」
「……ねぇエロメ、最後に少しお喋りしよっか」
早々に諦めたヘルベリアに怒りを向けようとした彼の頬に、ヘルベリアの黒い手が添えられる。
冷たいけど、ほのかな温もりが心地良い。まだ、まだ生きている温もりが。
思わずエロメロイは、優しくヘルベリアを地面に下した。
もう起き上がる力も無いのか、彼女は仰向けになったまま頭を抱えられている。
「エロメはさ、私が何で仮面をつけているのか……聞かなかったよね」
「んなもん俺からしたら、ファッション程度っしょ」
「ふふふ、それに何時も口煩く言っても本気で拒絶しないし……優しいよね」
力なく、初めて穏やかに懐かしむ様な声音でヘルベリアは静かに笑いながら、仮面を取った。美人なのだろうなと思っていたエロメロイは、その仮面の下の素顔を見て言葉を失う。
美人何て言葉では足らない、絶世の美貌だった。言葉に出すのも憚られる位、その素顔を見て状況も忘れて見惚れてしまう程に。
そんなエロメロイの間抜け顔を見て、ヘルベリアは優しく微笑む。いたずらが成功したと喜ぶような、幼さが印象的。
「ふふ、見惚れちゃって。変な顔」
「……やべぇっしょ」
「ねぇエロメ。ありがとうね」
もう目が見えないのか、エロメロイの顔を両手で包み込む。それは、生まれたばかりの我が子を抱きしめる母親の様に優しくて、力強かった。
「好きよ、エロメ」
短く、ただの言葉にこれでもかと言う程の愛情を籠めて告げる。火傷してしまいそうなほど、熱が籠っていた。
こんな状況じゃなかったら飛んで喜んでいただろう、ただエロメロイは喜びと悲しみが入り混じりすぎて上手く笑えなかった。
「はは……何言ってるっしょ。今までそんな素振り見せた事なかったじゃん」
「……うん、凄く後悔してる。なんでもっと早く言わなかったんだろうって、なんでもっと言えないんだろうって」
今わの際で言うには、余りに残酷すぎる言葉だ。死に際に愛を囁くなんて、陳腐すぎる。
ヘルベリアの口から出るのは、愛と後悔の言葉ばかり。
何時もみたいに小うるさく小言を言ってればいいのに、らしくもないと笑おうとして上手く笑えず、ヘルベリアの頬に涙が落ちる。
その涙は、彼女の涙と混ざって滴っていく。
「エロメ。私の魔法を教えてあげる……私の魔法は【死がふたりを分かつまで】私が死んでエロメが受け入れてくれたら、エロメは力を得られる」
「はは……上手い話っしょ、代償は明日の未来か?」
「うん……だから、受け入れなくて良いよ」
「ほんっと、可愛くねぇ女」
受け入れなくて良いなんて口にしながらも、請う様な目をしたヘルベリアは可愛くないと言われて表情を曇らせる。
しかし、次の瞬間にエロメロイの熱い口づけが彼女の目を見開かせ、ヘルベリアも貪る様な口づけを自分から重ねる。
その意味を理解し、ヘルベリアは歓喜の涙を流しながら息が切れるまで続けた。
惜しむように唇が離れると、エロメロイは笑って言う。
「最後位可愛くおねだりしてみろよ、惚れてたんだぜ?」
「っ……私、すっごく嫉妬深いよ?」
「そんだけ惚れられたら、男冥利っしょ」
「きっと、凄く痛くて辛いよ?」
「戦争やってんだ、覚悟は出来てる」
「……私、私ね」
きっと、その時浮かべたヘルベリアの顔は一生忘れないだろう。
言葉は、要らなかった。
◇◇◇◇
(……また、懐かしい夢っしょ)
意識が浮上する。どうやら夢を見ていたようで、エロメロイの目からは涙が一筋流れていた。
気絶していたのはほんの一瞬、今のエロメロイは壁に叩きつけられて項垂れている。
ふらつく頭を振りながら、全身の倦怠感と激痛に耐えながら立ち上がれば目の前に広がるのは人間の身体にクマの様な強靭な腕と、バッタの様に変形した歪な足を持つ化け物が立ち並んでいる。
今は300年前ではないし、ここは魔王城の地下動力制御室で今まさに魔王城の制御を奪おうとするオルランドを、エロメロイが止めようとしていた。
「っ……!」
「おや、目が覚めましたか。一瞬気絶していたようですね」
「お陰様で、良い夢見れたっしょ」
しかし現実は思うようにいかず、化け物達の強さは相当な物でありその一体一体が連携して襲い掛かって来た。
その内の一撃がエロメロイを壁に叩きつけ、頭を打ったのか懐かしい夢を見せるに至る。
ちらりと制御モニターを見れば、残り一分を切ったカウントダウンが映っている。本当に気絶していたのは一瞬だったのだろう、流石に寝坊なんて事にならず安堵する。
だが状況は何も好転していない、未だ化け物達は健在で真面に再戦しても勝ち目はない。疲れた様に思わずため息を吐いた。
「ったく、やってらんねぇっしょ」
「おや、泣き言ですか?」
「おぉ、駄々こねて泣きてぇよ」
息を吐くと折れた肋骨が痛む、身じろぐだけでも刺さる痛みと倦怠感が全身を包む。状況は最悪だし体調も最悪。
しかもここを凌いでも、めでたしめでたしで終わらないんだからしょうがない。
「俺本当はこっちに来るつもりなんて無かったんだよ、マジで。なのに三百年位引きこもってたら、姉貴に首根っこ掴まれて来たんだぜ? 同情するっしょ?」
スケールのデカい引きこもり発言にオルランドは鼻で笑い、モニターを一瞥する。残り時間はもう一分を切った、終わりまで秒読みだ。
なのにエロメロイは動く様子は無い、たださえ劣勢なのに焦った様子も無い。また、ヘルベリアの力を使うつもりなのだろう。
その予想を肯定する様に、エロメロイの足元で影が揺らめく。
「昔懐かしの魔王城で死にかけて、化け物と戦って。傍には嫉妬深い女だぜ? 泣いちゃうよ」
漆黒の女(ヘルベリア)が、再び人の形を成して背後に現れる。
見るだけで、対面するだけで根源的な恐怖を呼び起こさせる恐ろしい女の影が。エロメロイを母の様に後ろから優しく抱きしめる姿は、彼女に対する恐怖を微塵も柔らげさせない。
ただそれでも、ヘルベリアが底知れない愛情を抱えているのは理解出来る。
長い黒髪が、相貌など分からないが美しいと分かる体躯がエロメロイの身体と共に周囲の空間一帯を浸食する。夜の始まりの様に。
『まぁ、失礼しちゃう。怠けたツケが降りかかっただけでしょ』
「それを言われると痛ぇけど、だとしてもっしょ」
『はいはい。それなら、打開策位あるんでしょ?』
「おうとも、畜生に殺される義理は無いっしょ」
動けば良い筈だった。のうのうと魔法と化した恋人と喋るエロメロイを、隙だらけのその身体を切り刻み食い千切ればよかった。
だが化け物達はその場を一歩も動けない、指先一つ動かすことが出来なかった。
最早原型を留めていない魂が、根源的な恐怖に打ち震え本能的に動きを止めた。濁った眼を、ゆっくりと前へ踏み出すエロメロイへ向けたまま身体を小さく震わせる。
「力を寄越せ、ヘルベリア」
『……でも今日はもうかなり力を使ったのよ、それ以上は』
「殺し合いしてんだ、覚悟決めるっしょ」
『……本当に、馬鹿な人。でもだからこそ愛しいわ』
エロメロイの言葉に、ヘルベリアが苦笑した気配が伝わりその身体がエロメロイに溶けた。
ゆっくりと、蜜が滴る様にエロメロイの身体を犯していく。
闇が彼の青い肌を撫で、入れ墨の様に彼の身体に痣を作る。
「っぐ!?」
「——はっ! 何をしてるんですか! 早く殺しなさい!」
身体の内側から食い破られる激痛と、それを堪えて尚有り余る力が湧き上がる。エロメロイは、自らの魂が削られるという形容しがたい感覚を覚えながら右手を横に広げた。
恐怖に怯えていた化け物達が、その恐怖の原因を排除しようと一斉に飛び出して来るのを前に、静かに息を吐く。
ゆっくりと、エロメロイの身体が傾く。真紅の瞳を輝かせながら、大きく構えた空の両手に漆黒の大鎌を作る。
「————!!」
化け物達の、言葉にならない咆哮が響き渡る。恐怖を吠えて紛らわせないと、化け物達は動けなかった。最早正者とも死者とも言えない彼らは、ただ最後に残った本能に従って自らの生命を脅かす敵を殺そうと藻掻く。
四方を囲む化け物へ、一瞥すらせずエロメロイはワルツでも踊る様に静かに一歩踏み出した。
ドゴンッ!!
「——!?」
「なっ!? 消えた!?」
化け物達の四方一対の攻撃が、地面を穿つ。直前まで見ていた筈のエロメロイが、まるで霧に包まれたかのように彼らの前から姿を消した事に、攻撃した筈なのに固い地面を抉った感触しかない事に化け物達は混乱した様子で顔を見合わせた。
オルランドも含め、消えたエロメロイを見つけられない。どれだけ周囲を見渡しても、影一つ掴めないでいる。
「闇の悪魔、ヘルベリアの愛憎劇、幕章。偏愛と執着」
「っ!! 上ですか!?」
唯一後ろで全体を俯瞰していたオルランドが、頭上の暗闇の中に溶け込んでいた姿を見つける。
その声に反応が出来なかった二体の化け物の首を、エロメロイは闇の中から静かに姿を現しつつ漆黒の大鎌を振るい断頭した。
「っち!」
だが完璧な奇襲を失敗した事に舌打ちを鳴らし、エロメロイは直ぐに二の太刀を振るおうとするもすぐさま化け物の凶爪が迫る。
咄嗟に鎌で防御するも、一体の攻撃によって足を止めたら次の化け物が背中を裂く。
「がぁっ!」
痛みに一瞬力が抜け、鎌の防御を縫って化け物の健脚がエロメロイの視界に迫る。血を吐きながら歯を食いしばり、上体を大きく逸らしてギリギリで躱しながら下から振り上げた鎌で目の間の化け物の身体を両断し、天上に掲げた漆黒の大鎌を手放す。
「っなめんな畜生がよォ!! 魔女の抱擁!!」
エロメロイの手を離れた漆黒の大鎌は、その形を解いて闇と化して突出し逃げ切れなかった化け物達に襲い掛かった。
闇は化け物を包み、その姿を覆い隠すも愛する人を傷つける化け物を許さないのか、凄惨な鈍くて千切れる音を響かせて地面に血と臓物を撒き散らすと、再び鎌となってエロメロイの手の中に戻る。
「はぁっ、はぁっ! やっと半分かよ!」
「これは……不味いですね」
刹那の戦闘だが、命を削って力を得たエロメロイの奮闘はオルランドの用意した化け物の数を半分まで削った。
それでもエロメロイとて無事とは言い難い、ただでさえ命を削って戦っている為その身体に刻まれる闇の入れ墨は絡めついたら二度と離れない茨の様に全身を蝕み、血と脂汗を垂れ流しながら意識を強く保たなければ立っているのも難しいだろう。
しかしオルランド側も危うい。残り時間はまだ30秒近く残っているが、化け物は仲間の数が減った事に怯んだのか足踏みしてしまっている。獣の精神を組み込んだが故に、人よりも明確に敵の強さを理解出来るが故だろう。
だからといって両者に止まるという選択肢は無く、互いに言葉なく示し合わせたかの様に一歩を踏み出した。
「闇の悪魔ヘルベリアの愛憎劇、終章。女神の慈悲」
「出し惜しみは愚策ですか、これは使いたくなかったのですが仕方ありませんね」
エロメロイは漆黒の大鎌を解き、全身に闇を纏わせる。鎧というには簡素すぎ、武器と言うには異質すぎる。
自分自身を一つの鎌とするような、肘や膝から鎌の刃を生やす漆黒の武装に変わる。
唯一人型なのだけが分かる闇の姿で、真紅の色を意思に比例する様に力強く輝かせると、両手を腰だめに低く身構えた。
オルランドも最後の手段を取るのか、注射器を化け物達のうなじに投げて突き刺した。
それが何の薬なのかは分からないが、化け物達は苦しむように呻くと涎を垂らし全身の筋肉を怒張させる。
化け物達は狂化され、怯えも僅かな理性もかなぐり捨てて目の前のエロメロイを殺す事だけを考え出す。
「っウ“!」
「——!」
先に動いたのはエロメロイ。
地面を陥没させる程の力で地面を蹴り、空気を切り裂きながら真正面から突っ込んだ。
化け物達も、吠えてあるモノは爪を。あるモノは豪脚を震わせて涎を撒き散らせながら飛び出す。
姿すら捉えらない速度で走りだした両者は、ただ戦っているとだけ分かる火花を空間に走らせる。
一つ、二つ。数え切れないほどの火花が空間に走り、耳を塞ぎたくなるような咆哮と戦闘音が空間を支配する。
「ア“ア”ア“ァ”ァ“ァ”ァ“!!!」
「————!!!」
一体。切り刻まれた化け物が地面に倒れる。四肢はバラバラに、臓物を吐き出した姿で断頭されている。
いったい火花しかとらえる事の出来ないあの中で、どんな戦闘が起こっているのかも分からない。
ただ分かるのは、刻一刻とタイムリミットが近づくと共に地面に転がる化け物の数も増えていくという事だけ。
「っひぃ!?」
漆黒の刃がオルランドのすぐそばを通り抜ける。血に塗れた闇の刃は、地面に大きな亀裂を作りながら背後の壁に深い傷を作った。
ただ傍を掠っただけ、それだけで人間の身体なんて簡単に切り裂かれると理解出来る威力にオルランドは怯えて身を縮こまらせた。
「——!!」
「ガッ!?」
漸く、両者の姿が現れる。
血まみれで両腕を切り裂かれた化け物の一体が、エロメロイの腹に豪脚を叩き込んでいる。
エロメロイの圧倒的優勢だと思われたが、そのエロメロイの身体も左腕はひしゃげ足元に夥しい量の血を滴らせていた。
だが化け物達も無事ではない、最早その数を三体まで減らしている。
「——!!」
「っウ“ゼェ”っ“し“ょ”!!」
エロメロイの背後を取った二体の化け物が、地面を蹴って襲い掛かる。
腹に刺さるバッタの様な足を断ち切るも、目の前の化け物は執念を以って動かせまいと噛みついて拘束する。
背後からは化け物が殺そうと迫り、反撃するには間に合わない。
焦るエロメロイは進水するかの様に、深く息を吸い込んだ。
「ガッッッア“ア”ア“ア”ア“!!!!!」
腹の底から響く咆哮が、獣の様な魂の方向が空気を震わせると共にエロメロイの身体を覆う闇が四方一斉に弾け飛びやたら滅多に漆黒の斬撃を飛ばす。
咆哮に混じった漆黒の刃の斬撃は、三体の化け物を臓物とクソを撒き散らす肉片へと調理し、静寂が生まれる。
「な……なっ……!」
「ガァ……はァ……残り十秒! ははっ、どうよ。お気に入りの玩具を、ぜぇっ、ぶっ壊された気分はよ」
目を見開き怯えるオルランドに、変身が解けたエロメロイは満身創痍なんて言葉では済まない程の重体で嘲笑う。
息も絶え絶えで、立っているのすら不思議な程の血を流した姿は称賛すら送りたくなる。
「は……はは……ですがもう手遅れです、僕の勝ちは確定しました。それでは、また会える事を期待しています。今度は科学者と検体として」
そう言って、怯えたオルランドは身を翻して逃げ出した。それを追う体力も無いエロメロイは優先事項を正しく理解し、傷を抑えながらふらついた身体で残り十秒を切ったカウントダウンの表示される制御装置に辿り着く。
だが血濡れた手をキーボードに置くも、悠長に停止命令を打ち込む時間も体力も無い。
ゆらりとエロメロイの背後にヘルベリアが姿を現す。
「っふー……ヘルベリア、最後に力を貸してくれ」
『何するつもり? もう真面な魔力も無いのに』
「魔王城の、動力部を破壊する」
『え!?』
ヘルベリアが驚くのも無理はない。魔王城は地脈に流れる膨大な魔力を使う、それその物が巨大な魔力炉心となり得る。
だからこそ、その心臓部たる動力部を破壊すれば大陸一つ吹き飛んでも可笑しくはない程の危険性がある。
だがそんな事は承知の上と、エロメロイは完全の炉心へ顔を向ける。
「完全には破壊しないっしょ、炉心と魔力路を断ち切って一時的に魔王城の機能を停止させて再起動させる」
『でもそんな事……』
「出来る、お前なら。魂すら切り裂き肉体との繋がりを断てる俺の女なら」
荒唐無稽な話を、心底疑わずに言い放つ。それは自分を信じているというよりは、愛する女の力を信じているんだ。
だから神経を繋げるような繊細な作業だとしても、死にかけていたとしても出来ると疑わない。
おだてられて嬉しいのか怒ればいいのか、微妙そうな、だけどやっぱり嬉しそうな気配を滲ませてヘルベリアは肩を落とす仕草を浮かべる。
全身真っ黒で表情など分からないが、もし見えたなら呆れた表情を浮かべているだろう。
『ほんっと、馬鹿しかしないんだから』
「へへ、でも好きだぜ? 自分のこういうとこ」
『はいはい、私も好きですよー……じゃ、時間も無いしやりましょう?』
「おうっしょ」
生憎と悠長におしゃべりしている時間は無く、エロメロイは躊躇ないく魔力炉心に手を差し込む。
「ッッッ!!?? がァァ!!」
炉心には膨大な量の魔力が溢れている。その中に手を入れるというのは、竜巻の中に飛び込むのと同様。
瞬く間にエロメロイの腕が千切れていく。だが決してエロメロイは腕を引かず、更に奥へ差し込み残った全てを使って魔法を使う。
「やれェ“ェ”! ヘルベリア!」
『【死が二人を別つまで】』
闇の波動が炉心の中に響く。
音も振動も無く、波紋の様に闇は広がり魔力炉心に染み広がった。
一歩間違えたら、暴走した魔力炉心が全てを塵へと還す常識外れの作業だが。時間にしたら一秒も無い刹那の作業は、やがて魔力炉心の沈黙と言う形で応える。
モニターに映るカウントダウンは残り一秒を切った所で暗転し、再び現れたカウントダウンは停止していた。
『やった! やったよエロメ! ……エロメ?』
喜ぶヘルベリアに、返事は帰ってこない。
その代わり魂と、魔法と化したヘルベリアの身体に走る薄ら寒い喪失感に勢いよく振り返れば、血の池の中に沈むエロメロイの姿だけだった。
『エロメ! エロメ!! ダメッ死んじゃダメよ! 起きてエロメ! 起きてよぉぉぉ!!!』
静寂の中に、悲痛な女の慟哭が響き渡った。