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敗け続けた女達




 ドンッ!

 

「……がっ!?」


 傷だらけのヴィオレットをベットに押し倒し、犯そうとしていたイライジャは突然響いた空気を裂く轟雷の様な音と共に、腹を貫かれた熱に顔を顰めた。

 何が起こったのか一瞬理解できなかった彼は、視線を腹へ向けると丁度そこには白煙を上げる黒い棒が見える。

 

「っち!」

「どけ!」


 未知の攻撃に硬直したイライジャの身体を、ヴィオレットが蹴り飛ばしてベットから叩き落す。

 内臓を貫かれ、腹から血を溢れさせるイライジャはその攻撃を受けながら大きく距離を取った。

 ナイフや魔法を使わせるつもりはなく、そんな動作も無かったのに一体何の攻撃を食らったのか理解できないと言わんばかりの顔をして、緩慢に起き上がるヴィオレットを見上げる。


「んだ……それ」

「セシリアさんに頂いて助かりました、流石にこれが何かは知らないでしょう」


 全身傷だらけ。右腕はひしゃげていて、二の腕辺りを千切った服の布で縛っているから止血こそできているが、空気に触れるだけでも激痛を呼び起こす。

 清潔、静謐を重んじるメイド服も血と埃に塗れ、今は片足の付け根が露わになるほど引き裂かれていて、紫色のガーターベルトが露わになり煽情的な格好となっている。

 そんな満身創痍のヴィオレットが左手に持つのは、黒いリボルバー。本来ならまだこの世界に存在しない、たった一人の少女が大切な人を守るために作った人殺しの武器。


『ヴィオレットさん、欲しいって言っていた銃です』

『ありがとうございます、セシリアさん』

『ただ、これだけは覚えていて下さい。銃は人殺しの武器です、私のは魔獣用に改造してるだけで、その本質は指先一つで簡単に殺せる武器なんです』

『大丈夫ですよ、大丈夫です』


 銃を受け取った時の、セシリアの表情は真に迫る物だった。セシリア自身は戦える術が体術しかない、だから火力の無さを補うために銃を作り使っているのだが、ヴィオレットは違う。

 ヴィオレットが持つ銃は対人を想定した威力。だからこそ、それが人を殺すための物だと、本来の用途に準ずる使い方をされると知っての忠言。

 人を殺す覚悟はあるのかと言う問いかけに、ヴィオレットは哀愁を交えて答えた。

 もう、人を殺す覚悟とかそういう段階ではないんだと裏側に滲ませて。


(大丈夫ですよセシリアさん、私の手は既に血濡れていますから)

「さて、そのまま立たないでいてくれると助かるのですが」

「げほっ、そりゃぁ無理だな。もう勃ってる」


 腹に風穴空いたというのに、口元の血を拭いながら立ち上がるイライジャの腹の傷はもう治っている。これがイライジャの『全てを反転させる魔法。』これを何とかしない限り、ヴィオレットに勝利は無い。

 リボルバーを口に加え、ガーターベルトに装着させたポーチから注射器を取り出す。そして僅かな躊躇いも無く、自分の首に突き刺し中身を注入した。


「っぐ!?」

「へぇ、そんな物まで持ってんのか。良いねぇ、本気の殺意を感じるぜ」


 注入された薬液が、身体に染み込むとヴィオレットの顔が苦しみに歪む。 

 血管が浮き上がり、目が充血し心拍が異様に早くなる。身体への負担が激しい証拠だ、しかし気を失いそうになる激痛を歯を食いしばって耐えるヴィオレットは、再び魔力が戻る感覚と、疲労感が誤魔化され身体がまた動くようになった。


 今注入したのはただのドーピング剤。セシリアがダキナから受け取ったのと同じ、様々な軍隊で使われる比較的普及している物だ。

 ただしその効果は通常の三倍。たった一回使うだけで瀕死の身体でも戦う事が出来る代物だが、その分代償は大きい。

 使えば廃人に堕ちる事は理解しつつ、必要とあれば躊躇いなく使うのが、彼女の覚悟。

 それを躊躇いなく使ったヴィオレットは、注射器を踏み壊しながら呼吸を整えて一歩距離を詰める。


(セシリアさんの魔法に近い。だけどアレは再生で、こっちは反転。傷も瞬きの間に無くなる。だけど限界はある筈だし、即死には対応出来ない筈。ヘッドショットならいける筈)


 口にリボルバーを加えたまま、そのまま血濡れた手で前髪を掻き上げると、集中するために息を吐いて銃を左手で握りしめた。

 失血で霞む思考を無理やり働かせて、どうやって勝つかの道筋を作る。だが細かい作戦など浮かばず、新しい武器を使って至極単純なやり方で殺すとしか思いつかない。

 死ぬ気で殺す、絶対殺す、持てる全てを使って殺す。

 ただそれだけ、策も何もあった物ではないがまだ彼女の闘志は尽きていない。

 薬によって高揚した精神が、知らずの内に獰猛な笑みを浮かべて。


「まぁ、状況は変わらねえな。それが何かは知らねえけど、こっちは無傷、そっちは瀕死。さてどうする?」

「関係ねぇよ、お前だけは絶対殺す」


 余裕綽々に笑うイライジャに、ゆっくりと距離を詰める。

 頭の中を空っぽにして、ただ殺意と決意を固めて撃鉄を起こす。

 途中に落ちているナイフを拾って口に咥え、身を低くして踵を浮かす。

 イライジャも、穂先を地面に当てて身構える。瀕死のヴィオレットが果たしてどれだけ楽しませてくれるのか、楽しみで仕方ないと笑いながら。


「ふっ!」


 獣が獲物に襲い掛かる様に、全身のばねを使って勢いよく突撃する。

 真正面から、一飛びで。

 イライジャは、ただそれに対してタイミングを合わせて槍を穿てばいいだけ。穂先を向けて迎え撃つ。


 ドンッ!!


「またそれか!」


 飛びながら、間合いの直前で一発顔面に向かってリボルバーを撃ち込む。

 しかし虚を突いた訳でもない弾丸は、イライジャの驚異的な反射神経によって避けられた。だが想定内、ヴィオレットの狙いはその向こうにある装填済みのクロスボウ。

 弾丸は引き金に寸分の狂いも無く当たり、解き放たれた矢がイライジャの背に突き刺さる。


「なぁっ!?」

ひね(死ね)


 意識の逸れたイライジャの隙を突いて、ヴィオレットは懐に踏み込む。

 狙いは頭。心臓や他の急所ではだめだ、魔法を使われて無かったことにされる。確実に殺す為、辞世の句すら読ませる間もなく殺す必要がある。

 銃口を顎下へ向けて、脳天までぶち抜く為に引き金に指を掛ける。


「っラァッ!」

「じぃっ!」


 だがギリギリで反応が間に合ったイライジャが、銃を蹴り払って狙いを逸らす。放たれた弾丸は耳を吹き飛ばした。

 すぐさま反撃に槍がヴィオレットの心臓に突き刺さろうとするが、大きく上体を後ろに逸らして避ける。

 その勢いを乗せたまま、ヴィオレットのサマーソルトキックがイライジャの顎を蹴り上げる。

 着地するまでの僅かな滞空時間を使って、今再び銃口を向ける。


 ドンッドン!


 今度は二発放つ。

 イライジャは胴体を晒して天井を仰いでいる。弾丸は吸い込まれるように僅かなタイムラグを開けて、綺麗に飛ぶ。

 着弾まで一秒も掛からない、静かに弾丸は宙を舞う血を被りながらイライジャの喉へ食い込んだ。

 あと少し技術があれば、ここで決められた。絶好のチャンスを逃したヴィオレットは激しく悪態をつく。


「畜生!」

「あ“と”何発だァ!? ァ“ア”!?」


 残りの弾丸は一発。魔法を使う隙さえ与えなければ、あるいは魔法を使わせて喉の穴を塞がせてその隙を突けばまだあるいは。

 喉に風穴空いて呼吸も覚束ないイライジャへ、ヴィオレットは口に咥えていたナイフを落とすと蹴って飛ばす。

 それも避けられ、背後の壁に深く刺さった。


 すぐさま、ナイフを追うように駆けだしていたヴィオレットが蹴りを繰り出す。

 鋭い一撃は槍の腹で受け止められるも、膝を軸にした右足が更に跳ね上がりイライジャの脇腹へ突き刺さった。

 高い体術から繰り出される、時間差二段蹴り。確実に入った蹴りが、イライジャの態勢を崩す。


「ああぁァァァ!!!」


 追い打ちを掛けるべく更に蹴りが叩き込まれる。

 ありとあらゆる急所に確実に鋭いつま先が食い込む。大きく膝の皿を蹴り砕いて膝をつくように態勢が崩させると、ヴィオレットは銃を構えた。


「これで!!」

「残念」

「っ!?」


 だが引き金に掛かる指に力を込めたその時、うなじが逆撫でられる危機感がヴィオレットを襲った。

 刹那の間に選択を迫られる。本能の警告を無視して引き金を引くか、回避行動をとるか。

 ほんの少しの躊躇いが、判断を鈍らせた。必ず殺すという殺意が、冷静さをほんの僅かに奪ってしまったのだ。


 その僅かな判断の遅さが、気づいた時にはイライジャが槍を構えているのに反応しきれなかった。

 穂先を地面に、前傾姿勢で大きく後ろ足を引く。弓が力を貯める様に、大きく槍が引かれる。


「後わりはお前だな」


 咄嗟に壊れた右腕を前に出す。

 だが神速で穿たれる槍は右腕の障害を物ともせず破壊しながら、ヴィオレットの心臓へ一直線に向かう。

 神経も筋肉もボロボロになって、薬によって感覚を失った右手が、感覚が無いが故にブチブチと破壊される感覚が酷く不快で激痛を呼び起こした。


「っ!! なっめるな“ァァァァ“ァ”ァ“!!!」


 吠えて瞬時に自分の右腕を【傀儡魔法】で操り、骨を削って軌道を逸らし筋肉を収縮させて威力を削ぐ。

 少しでも軌道と勢いを削ぐ。

 それでも槍は止まらず、ヴィオレットは無我夢中で常人なら選ばない凄惨な行動を取った。


「ァ“ァ”ア“ア”ア“アア!!!!」


 ブチブチブチ!!!


 血反吐を吐きつつ右腕を千切れさせながら、勢いよく身体を捩じって軌道を逸らした。

 幸か不幸か、右腕が完全に千切れるとその反動でヴィオレットの身体は後ろへ倒れて胸元を抉れさせるだけで済む。

 即死は回避した。だがその代償は凄まじく、右腕は乱雑に引き千切れて冗談としか思えない大量の血が溢れる。

 最早立ち上がる事すら叶わないのか、荒く息をするだけで地面に倒れ込む。


「ふぅ……中々良かったぜ、人生で一番楽しめたわ。久しく味わってなかった快感で勃起が収まらねぇ位だぜ」


 全ての傷を跡一つ残さず反転させて治したイライジャが、恍惚のため息を吐く。

 もう何をした所でヴィオレットは助からない、一分もしない内に大量出血で死んでしまうだろう。


「さて、楽しませてくれた駄賃だ。トドメは指してやる」


 最高の玩具を壊してしまった後悔を僅かに滲ませて、せめて一思いにトドメを指してやろうと一歩踏み出したイライジャの動きがピタッと止まった。


「っ!? ……これは、糸?」


 糸が、魔力によって出来た強靭な糸が蜘蛛の巣に絡め捕られた獲物の様にイライジャの身体に巻きついている。間接に、首に。

 何時の間にと驚くイライジャは、その糸の先を辿って理解した。全て、弾丸が着弾した所から伸びている。つまり、弾丸に魔力の糸を結び付けて罠を這っていたのだ。

 それに気づかなかったイライジャが、こうして完全に動きを封じ込められて追い詰められている。


「お前……なら、引っか、かると……思ってた」


 虫の息だったヴィオレットが、誇る様に左腕を伸ばして掲げている。その五指には、魔力の糸が巻き付いている。つまり、第二の引き金はヴィオレットが握っていた。

 その鋭い紫の瞳は、失血で霞んでいると言うのに強い意志で輝いている。


「はは、こりゃヤベぇや」

「忌々……しいけど、お前も、お嬢様の様に……自身に溢れて常に余裕を見せている。あぁ、確かに兄妹だ。だから必ず、激しく……動かず、受けに、徹すると……思っていた」


 ヴィオレットが震える身体で力を振り絞って開いた指を閉じれば、それに比例して糸が閉まる。少しずつ、肉に食い込んで赤い線が浮かぶ。

 無理に抜けようと動けば、それだけ身を切り刻まれるまでが速くなるだけ。もう詰みだ。


「だけど……お嬢様とお前では、決定的な……違いがある」


 それが何かを、問う事も出来ない。もうあと少し、後ほんの僅かでも力も籠めれば糸がイライジャの身体を微塵に裂くだろう。

 その姿を這って見ながら、左腕に全神経を集中させて欠片も油断しない。勝利を確信して気を抜く何て真似は、一切ない。


「お嬢様は……敗北の、屈辱を、知っている。だから、常に……胸を張り、ながらも、あらゆる状況を想定し、勝った……その、時、まで、決して油断は……しない!!」

「まっ……!」


 目を見開くイライジャに言葉を言い切らせる事なく、ヴィオレットは力強く拳を握りこんだ。

 それを起点に、イライジャの身体に食い込む糸は完璧に四肢を寸断し、首の骨を折って決定的な一撃を加える。

 絞首刑後の死体の様に、糸が切れた人形の様に吊るされるイライジャへヴィオレットは最後の力を振り絞って立ち上がって近づき、トドメの弾丸を撃ち込むべく撃鉄を起こして狙い降ろす。

 イライジャが魔法を使うが、折れた首の骨が繋がるだけで四肢は地面に落ちたまま。

 二人の身体から溢れる血が、足元に夥しい池を作る。


「はぁ、はぁ……まだ、生きてんだろ」

「ごふ……まぁ、な。ただ、もうなんも出来ねぇよ……無くなった、四肢を繋ぎ合わせられるほど。万能じゃねぇんだ……」


 もう完全に負けを認めた顔で、心底スッキリしたと言う穏やかな顔をしている。ヴィオレットへ感謝する様に穏やかで、死への恐怖を一切感じている様子も無い。

 ただ思いっきり心から遊びつくした子供が、母の腕の中で眠るような満足げな顔。

 それがヴィオレットを緩く苛立たせる。勝者の余韻なんて、ヴィオレットには何一つ感じられない。敗者が、満足そうに笑って死ぬだけ。


 後味の悪さしかないヴィオレットへ、羨ましいだろうとでも言いたげに笑ってイライジャは顔を上げる。

 その額に、銃口が当たった。


「やれよ……まさか、今更躊躇うなんて……処女、みたいな事言わねぇよな?」

「はぁ、はぁ……すぅ。当たり前です」

「くはは。やっぱそっちの、口調の方が……良いわ」


 引き金に掛かる指に力が掛かり、シリンダーがゆっくりと回る。賽は投げられた、もう止めようがない。止めるつもりも無い。

 イライジャの命が完全に潰えるまで、思ったよりも時間は長く感じた。

 撃鉄が完全に落ちる直前、イライジャがふっとほほ笑んだ。その顔は、愛する主人によく似ている。


「お前、イイ女だな」


 ドン……ドン!


 白煙が上るリボルバーを握る力も無く、するりと地面に落ちる。

 出血量は減ったが、それはもうヴィオレットの身体に碌な量の血が無いから。虚ろな目で物言わなくなった死体を見下ろし、ヴィオレットの身体が糸が切れた様にばたりと血の中に倒れる。


「……すみません……お嬢様……もっと、お傍に……」


 命の光が、瞳から失われていく。ゆっくりと、意識が闇に溶けていく。

 胸中を占めるのは、もうこれ以上愛する人の傍に居られないという後悔だけ。霞みながらも潤ってぼやける視界が、閉じていく。

 もう一度、もう一度だけ愛する人に会いたい。

 力なく伸ばした手の先に何を見たのか、弱弱しく微笑んだままその手が力尽きた。



◇◇◇◇



 窓から差し込んだ風に、豪奢な立て巻きツインテールが揺れる。

 その風に何を感じたのか、クリスティーヌは徐に振り返った。


「ヴィー?」

「如何致しましたか、クリスティーヌ様」

「……いえ、何でもありませんわ」

「左様で。当主様は既にお待ちです、足元にお気を付け下さいませ」


 しかし被りを振ると、妙な胸騒ぎを無理やり意識の外に追い出す。

 今クリスティーヌが居る場所は、深い歴史が刻まれた荘厳で上等な作りの邸宅。ローテリア帝国の帝都にある、12までは過ごした生家その物。

 記憶にある生家と変わらない廊下を、鬼の亜人の老家令の背を追って進む。目的の場所は知っているから案内は要らないが、今のクリスティーヌはもうこの家の人間ではない。

 他所の家の人間だ。突然の面会が通っただけでも奇跡だし、案内と銘打って監視も兼ねているのも仕方のない事。


 廊下の端で頭を下げる使用人たちは、皆知った顔なのに今日初めて会いましたと言う態度で使用人に相応しい仮面を被っている。

 息苦しさすら感じられる家は、昔から何一つ変わっていなかった。


 そうこうしている内に、目的の部屋へ辿り着き扉の向こうへ立ち入る。

 一度として入った事のない、当主のみが入れる執務室の中に。

 部屋へ入ったクリスティーヌは、窓の向こうを眺めてこちらへ背を向ける男の背に帝国式の挨拶をする。


「先触れなく訪問した事への謝罪と、こうしてお顔を拝見する機会を下さった事に深い感謝を」

「……あぁ。座れ」


 記憶にあるより、幾分か老けた元父親とテーブル一つ挟んでソファに座る。

 それは親子の再会と呼ぶには、余りに他人行儀過ぎて二人が親子だと知らなければ本当に赤の他人同士の会話に見えただろう。

 それ位、二人の顔には何の表情も浮かんでいない。


 老いてなお精悍で逞しい元父親で公爵家当主は、生来の物らしい強面で静かにクリスティーヌを観察し。

 クリスティーヌも精巧なビスクドールの様に、ただそこに静かに佇んでいる。


 先に口を開いたのは元父親。


「それで、私に話とは何だ」


 その言葉と共に、冷たく見据えられる。

 これから発せられる言葉の真偽を、心の内まで暴かれてしまいそうな重責を背負う貴族らしい思いやりも遠慮も無い視線。

 剣を喉元に突き付けられた様なプレッシャーも柳に風と言わんばかりの表情で、クリスティーヌは背筋を伸ばしたまま堂々と言い放った。


「宝杖エルキメデス。それをお譲り頂とうございます」


 その名を口にした時、元父親の目が僅かに開かれる。だがすぐさま、姿勢をやや前のめりに倒すと威圧を纏わせた。

 それは、一つ言葉を間違えればすぐさまこの場で断首されかねない程の、明確な殺気。

 思わず、クリスティーヌの喉が一つ跳ねる。


「何故、とは聞く気はない。だが、貴様はなんだ。既に当家の人間ではない、フィーリウス家の人間としてこの場に立つ者が、当家の至宝を望むと?」

「既に薄らと気付いてはおりましょう。教会が勇者などと言う偶像を作り上げた訳を」

「無論、300年前の魔界との戦争が再び起ころうとし、それに備えての事だろう」

「故にですわ」


 驚くくらい説明の必要が無い。

 それぐらい、何てこと無いと簡単に知り尽くしていた。

 だがそれだけ知っていて、何故。という疑問を抱いたクリスティーヌに気づいたのか元父親は一つため息をつく。

 それが自分の事を話さなくてはいけないという時の癖だというのを、知っている。


「陛下が代替わりし、当家もその為の謀反には手を貸した。故に、陛下が黒龍の封印を解き力を蓄えているのは知っている」

「陛下の目的は大陸全土の戦争ですわ。今も、ワタクシの友がそれを止める為に戦っています。それを止め、魔界との戦争を回避する。ただその為に、力が必要なのですわ」

「だから?」


 だからと言われてクリスティーヌは口籠る。

 だから? それが全てだ、全ては無辜の民を守る為。無用な戦争を回避し、失われなくて良い命を救うため。

 その為に、だからこそ力を求めて今ここにきているのだ。

 なのに、それが分かっているだろうに元父親は冷めた目でクリスティーヌを見据える。


 理解が出来なかった。


「帝国は侵略と戦争によって作り上げられた国だ、血濡れた歴史は強固な武力を有する」

「だとしても、時期が悪すぎですわ! 今戦争を行っても、結果は際限なき泥沼と魔界の者による蹂躙ですわ!」

「だからこそだろう。だからこそ、黒龍の力と帝国の国力を以てして諸大国を最小の被害で属国化し、統一軍隊を以てして魔界との戦争に臨むのだ」


 告げられた理想に、余りの大言にクリスティーヌは戦慄いてしまった。

 そんなの理想過ぎる。黒龍の力の強大さは身をもって知っている、だがたった一頭の龍の力を頼りに他の二大国に戦争を仕掛けるなど無謀すぎるだろう。

 余りの驚きに、震える声を何とか絞り出す。


「まさか……その為なら、無辜の民がどれだけに犠牲になろうと構わないと?」

「大義の前の必要な犠牲だ。国を守ると民を守るは必ずしも両立する物ではない、我々貴族が考えなくてはいけない事は、自国の存亡と発展だけだ」

「……その為なら、他国の民を肉盾にすることも厭わないと……」


 意味を理解し、クリスティーヌの目に怒りが灯る。

 爆発はさせない、意味が無いから。無意識に深く息を吸って、無意識に溢れた魔力が風を起こして立て巻きツインテールを揺らした。

 確かに、それが出来れば帝国は最小の被害で戦いに臨めるだろう。 

 だがその結果は、導火線に火が付いた爆弾の処理を敵に任せるだけだ。数えきれないほどの、協力して諸国が手を取り合えば犠牲は大幅に減るかもしれない。


「……現在、スペルディア王国と勇成国との三国同盟は揺らいでいる。スペルディア国王は無能、勇成国は力が強すぎる。今この大陸はな、人類共通の脅威が迫ろうと背中を気にせず手を取り合える状況ではないのだ」

「そんな……」


 国際情勢がそこまで悪化していたとは知らず、クリスティーヌは顔を伏せてしまった。

 それだけ人間は愚かなのだと。それだけ救いようが無いのだと。

 故にクリスティーヌは、全てを完璧にこなさなければいけない。エリザベスの暴挙を止め、魔界との戦争を完全に回避する。どちらか片方でも失敗すれば、待ち受けるのは際限なき悲劇。

 俯いてしまったクリスティーヌを見て、元父親は興味を失せたと視線を外す。心が折れたのだと切ったのだ。


 だが、俯いたクリスティーヌの肩が小さく揺れ、小さな笑い声が静かな室内に響く。

 

「くふふ、あははははっ!」


 顔を上げ、腹の底から笑う。堪え切れなさ過ぎて、目じりに涙を貯めながら笑ったクリスティーヌを見て初めて元父親は仏頂面を崩した。


「あははは、はぁ……くふふ、失礼致しましたわ。余りにも、余りにも小物過ぎて。どうして幼い頃はあれ程に恐れたのかと、思わず……」

「何?」


 笑いながら馬鹿にされ、元父親の眉間に皺が寄るがクリスティーヌはそんなもの欠片も気にしない。

 目の前の男が、幼い頃は絶対に越えられないと思った男が今では何の変哲も無いただの大人に見える。怖いとは欠片も思わない。


(ヴィーの怒り顔の方がもっと怖いですわ)


「お父様。ワタクシは、例え無謀だと分かっていても諦めませんわ」

「……」

「例え失敗しても後悔はしませんわ。無辜の民に犠牲を強いる気など欠片もありませんわ。戦争なんて美しくない事をするつもりはありませんわ」

「それは子供だから言える事だ」


 苦々し気に言われ、酷薄に笑う。

 挑発的に目を細め、背は自分の方が低いのに見下ろしている気分で。


「保身に走り堅実に逃げるのが大人ですの? そんなの美しくありませんわ。ワタクシ達は貴族。その生は国の為、その命は民の為。民とは国の生き血ですわ、流すだけ国は衰える」

「だから全て守ると? 失敗すると分かっていて?」

「失敗を恐れて祖先に胸を張れますの? 今際の際に、ああしておけばよかったかもと後悔して死にますの? ふっ、美しくありませんわね」


 徐に立ち上がると、淑女として全く持って美しくはないがテーブルに足を叩きつけ、その膝に体重を預けながら座る元父親を見下ろす。

 自分の首を晒しながら、限界まで挑発しながら。


「ワタクシは例え失敗しても後悔しませんわ。自らの選択に誇りを持ち、信じてついてきてくれている友にこう言いますわ。次は勝ちますわ。と」


 強い意志で輝く翠の猫目はその自信を現す様に凛々しく、目を離したくても離せない魔力がある。

 暫し押し黙っていた元父親はため息を吐くと、立ち上がり壁に掛けてある虹色の拳大の宝石がはめ込まれた杖を手にした。

 それを、雑に放り投げる。


「お前の魔法ならこれを十二分に使えるだろう」

「……よろしいのですか」

「何をいまさら委縮する、埃を被った置物に価値は無い。それに、この私に大言を吐いたのだ。その言葉、決して違えるな」


 目的の物を受け取ったクリスティーヌは、予想外の素直さに目を丸くするも。帝国式の礼を送るとすぐさま部屋を後にした。

 今もなお戦っている友の元へ、一秒でも早く向かう為に。


「目的は果たしましたわヴィー、今すぐそちらへ向かいますわ……連絡は不通、急ぎますわよ」


 外へ出たクリスティーヌは、一も二も無く乗って来た騎竜に跨り手綱を引く。

 だがふと振り返ると、幼き頃を共に過ごした使用人達が揃って列を作っていた。皆、一様に帝国式の礼を取り深く頭を下げている。まるで、子が旅立つのを見送る様に。

 顔は伏せていて見えない、だがその気持ちは充分伝わった。


「……遅すぎですわ。さようなら、お父様。さようなら、亡きお母様。さようなら、皆さま」


 気持ち悪いと思っていた。

 感情一つ出せない家が。生まれた時から生き方を決められていた家が。家族なのに、他人の様な人たちが。

 だが、今だけは不思議と不快には感じない。

 自然に前を向き、振り返る事無く空を駆ける。大切な人と友の元へ、早く会うために、自らの信念を貫くために。


「ヴィー、死ぬんじゃありませんわよ。死んだらお仕置きですわ」


 風に乗って流れた水滴は、果たして何を意味したのか。


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