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傷は舐め合えない

 




 夜の帳が降り、世界は静まり返った夜更け。エリザベス・ウィルヘルム・ローテリアが廃城となった魔王城が佇む湖面の前に立っている。

 状況と目的を考えなければ、その美しさに見惚れる事も出来ただろう。しかしエリザベスは興味なさげに見下し、先に辿り着いていた異母弟の身体を使うアダムに冷たい目を向ける。


「これが旧魔王城か。なるほど、魔法を持たぬ我でも感じられる、強大な魔力だな。地脈を使っているのか」

「えぇ、300年前の戦争では魔王ファウストはこの地の霊脈を用いて戦争の要としましたから。流石に今は全盛期程の魔力ではありませんが、望みを叶える為には充分ですよ」

「ふんっ。ならばさっさと事を済ませるぞ」


 尊大に見下しながら、エリザベスは歩みだす。その先は波紋一つない湖面、小舟の類は見当たらないが、なんの躊躇いも無くエリザベスは湖に足を踏み出した。

 しかし、エリザベスの裾が濡れる事は無く。すたすたと湖の上を歩いている、まるでそこの水面を歩くのが当たり前だと分かっていたかの様に。

 その堂々とした姿に目を開いて驚くアダムの雰囲気に気づいたのか、エリザベスは肩越しに振り返り挑発する様に流し目を送り薄く笑う。


「何も知らないと侮っていたか? お前が思うほど人間は無知では無いんだぞ」

「……」


 虚を突かれて初めて苦々しく眉間に皺を寄せるアダムの表情に満足したのか、小さく鼻を鳴らしてさっさと進む。その後を追うドクターオルランドとイライジャ、そして物資を運ぶ数人のシスターズの後ろをアダムも追い、一行は湖面の上を歩きながら旧魔王城へ向かう。


「うっわ、マジで水の上歩けるし。なんか気持ちわりぃ、これも魔法か?」

「半分魔法ですね。水面に硬化の性質を持たせて、それを水面下に置くことで反射が不可視を齎す。知らなければ水面を渡るのに労するが、知ってればこれを渡って敵の裏をつける。これほど攻めずらい拠点はありませんよ。いやはや、本当にどうやって」

「へぇ、俺からしたらそれよりもどうやって、湖のど真ん中にあんな堅牢な城を築いたのかが気になるけどな」


 水の上だと言うのに足裏から伝わる感触は、普通の石畳の上と変わらない。どれだけ目を凝らしても地面らしい物は見えないから、水の上を歩いてるのは間違いないのだが未知の感覚にイライジャは気持ちが悪そうだ。

 その横では知的好奇心が刺激されたのか、ドクターオルランドは目をキラキラと輝かせてその場に膝を着いて調べようとしている。


「いやしかし、実際に見ると300年前の技術が如何に優れていたかが分かりますね。まだ魔道歴の技術が残っていた時代ですから、この魔王城もその技術を流用……していると言った所でしょうか……って待って下さいよ~」


 研究者気質というのだろうか、目を輝かせながら少年の様にあっちへこっちへ興味を惹かれている。

 本来の目的よりも、今ここで居座って研究でもしたいと言いたげだ。

 それでも気づいたら全員に置いてかれているのを見て、オルランドは渋々後を追う。誰一人待とうとする素振りも見せないでサクサク進んでいる。

 先頭のエリザベスに追いついたオルランドに、彼女は呆れ交じりに声を掛ける。


「玩具遊びがしたいなら勝手にしてても良いぞ」

「いやはや、そうしたいのは山々ですが、それで一番の見どころを逃すのは勿体無いですし。まぁ楽しみは後に取っておきます」

「はぁ、どうしてこう優秀な奴は皆頭のネジが外れてるんだか」

「深淵を覗くとき、深淵もまた覗いている。深みにハマれば闇に取り込まれてしまいますから」


 純粋な子供の様な笑顔に、狂気を潜ませてオルランドは眼鏡を直す。エリザベスの元にはこういう奴ばかり集まる。なまじ腕は確かなだけに、扱いづらさが頭を悩ませた。

 だがそれももうすぐで終わりだ。目の前の魔王城、これを掌握出来ればエリザベスの目的は果たされたと言っても過言ではない。

 最後まで気を抜かず、誰も信用はしないで。


「ついたぞ、正門だ」


 湖を渡り終えれば、一行の目の前には魔王城へ入る為の重厚な扉が聳え立つ。試しにエリザベスが開けようと手を当てても、重たすぎて開く気配はない。

 だが予想はしていた事だ、エリザベスに戸惑いは無い。振り返り、人形の様に荷物を背負って追従するシスターズ達を見下ろす。


「爆薬を設置しろ、こじ開けるぞ」


 フランと共にいるシスターズ達が特殊なだけで、殆どのシスターズ達は培養液育ちな為自我という物が無い。物言わぬ生きた労働力だ。

 言われたとおりに、黙々とシスターズ達はバックから門をこじ開けるのに十分な量の爆薬の取り付けに掛かる。


「あぁ勿体ない。たかが門と言えど歴史的価値はあるのに」

「ならそこのごく潰しか贋物に頼めば良い。出来るのならな」


 挑発的にエリザベスが流し目を送れば、イライジャは瓦礫に腰掛けたまま肩を竦ませ、アダムは無表情を取り繕って見つめ返すが、やがて顔を逸らす。だがエリザベスは見逃さない、顔を背けた時に一瞬浮かべた、怒りに震える歪んだ顔を。

 言い返す事も出来ない、異母弟の身体を使う共犯者にエリザベスは知らず唇が歪むのを手で隠すと、もう片方の袖をシスターズの一人がクイっと引っ張った。


「終わったか?」


 エリザベスが聞けば、シスターズは頷く。言葉を知らぬ少女ではあるからか、エリザベスの言葉を真似して口を開くがそこから出るのはうめき声の様な音だけ。つい先日まで自我すらなかったのだから、言葉を発するなんて高度な技術は無いし、それを教える時間も無い。

 労い代わりにエリザベスがその色素が抜け落ちた白い髪を撫でれば、シスターズは気持ちよさそうに目を細めて踵を浮かす。

 猫みたいだな、と目を柔らかく細めた所で今度は裾が引かれた。数人分の重さ。


「はは、モテモテですね」

「む……」


 撫でられるシスターズの一人を羨ましく思ったのか、残りのシスターズがエリザベスの周りで撫でてと言わんばかりに見上げている。表情一つ浮かばない人形の様なのに、やはり感情はあるのだろうか。

 仕方ないとため息を吐いて、一人一人優しく撫でる。エリザベスは自分の手が、誰かの頭を撫でて喜ばれるなんてと呆れ交じりに、されど憐憫の目をシスターズに向ける。

 燃料として複製され、運よく生き延びても長く生きる事は叶わない。きっと言葉を教えても覚える頃には寿命が尽きるだろう。それならばとこうして労働力として扱っているが、それでも見た目が12歳程の少女だからだろう、罪悪感は感じないが哀れだとは思ってしまう。


(子供か……本来なら撫でる資格など無いが)

「そうしてると、本当の親子みたいに——」

「オルランド」


 オルランドの言葉が逆鱗に触れる前に、エリザベスが冷たく遮る。シスターズを優しく撫でていた時とは一転して、静かな殺意を籠めて睨めばオルランドは出過ぎたと頭を下げた。

 それだけは禁句だ。エリザベスは一瞬緩んだ気持ちを完全に頭から振り払い、もう撫でるのは終わり? と言いたげに首を傾げるシスターズを視界から外すと起爆装置を手に取ってスイッチを入れる。

 豪快な爆発と共に、門が吹き飛んで先へ進めるようになった。さてさっさと先へ行こうと門を跨いで魔王城へ一歩踏み込んだ瞬間、耳をつんざくサイレンが一行を出迎える。


 ビーッビーッビーッ!!


『侵入警報。侵入警報。正門ニ敵襲。直ちニ侵入者を排除サレタシ』


 不快な耳障りに眉間に皺を寄せる一行と、揃って耳を抑えて蹲るシスターズ達を排除しようと、サイレンと共に魔王城の防衛機構が発動する。

 客を出迎える石像が、細かい錆びを落としながら命吹き込まれわらわらと正面に現れた。1体や2体なんて生易しい数ではなく、何十体という規模のガーゴイル型のゴーレムが空虚な眼を一斉にエリザベス達へ向ける。


「まぁ、予想はしていた事だ。傭兵、仕事だ」

「へいへい、ったくこの数一人で相手しろとか女王様は人使いが荒い事で」


 しかし焦りは無く、エリザベス達の代わりに自分が相手するとイライジャがたった一人で立ちはだかる。

 この中で唯一、戦闘が出来る人間。

 朱色の槍を気だるげに構え、撫でつけた金髪を一度撫でる。その翠の瞳に玩具を前に早く遊びたいと子供染みた享楽を浮かべながら、たった一人で相手取る。


「ま、前戯かな。滾らせてくれよ?」


 ゆらりと穂先を地面に滑らせ、ニヤリと笑うとイライジャは力強く地面を蹴る。

 魂なき人形たちは、たった一人で数10という土塊の守護者を相手する愚か者を前に、嘲りも憐憫も無く、ただそう命じられて作られた存在意義で以って爪を立てた。

 我が王が眠る城を犯す狼藉者を、その爪と牙で以って肉塊と化せ。殺せ、殺せ!!


「はっはー!」


 何十と迫りくる原始の凶器を前に、イライジャは猫の様に隙間を縫いながら地面を掛け空へ飛びあがる。

 そして月を背負いながら、背中を軋ませる程大きく槍を振りかぶり、突風と衝撃をつき従えて槍を大きく払いガーゴイル達の頭蓋を尽く破壊した。


 砕けた頭蓋が舞い散る中を、イライジャは着地すると残っていた他のガーゴイルは仲間が倒された事に一切目を向けず、イライジャに襲い掛かる。

 だがその爪が届く事は無く、何故かガーゴイル達の視界がぐらりと揺れて地面に倒れこんだ。

 ガーゴイル達の足が砕けている。立ち上がるもバランスがとれなくなったガーゴイル達は、今度は石の翼をはためかせて飛翔する。足が砕けても仲間がやられても、これらに侵入者を倒さないという選択は無い。


「あー、やっぱ人形遊びは趣味じゃねえわ。勃たねぇ」


 まだ数体倒しただけだが、イライジャは既に飽きたとため息をついて構えを適当な物に変える。最初の一手でガーゴイルの戦力は理解したのだろう、真面目に相手する価値なしと彼の中で判断が下った瞬間だ。

 迫りくるガーゴイルの攻撃を、最小限の動きで避けながら一体一体適当に破壊していく。どれだけ囲まれても汗一つかかない、全て倒しきるのは時間の問題だろう。


「特に問題はなさそうだな」

「まぁ、遺物と言えど所詮は単純行動しか出来ないゴーレムですから。強力な物は殆ど300年前に壊れたのでしょう……女王陛下!!」


 ゴーレムの数はどんどん目減りしていく。これなら戦闘が終わるのも時間の問題だろうと、エリザベスが気を緩めた所で一体のガーゴイルが狙いをエリザベスに変えた。

 イライジャは敵に阻まれていてそれを止められない、仮に止められたとしても彼の性格上止めるかどうかは怪しい。

 オルランドの驚愕の声が、その接近をエリザベスに伝え彼女は素早く腰の剣に手を当て身構えた。


「っ!? ごほっ! ごほっ!?」


 だが剣を抜き放ったと思ったら、エリザベスは激しく咳込み膝を着くではないか。咳は止まらず、混じって血が出て指の隙間から零れ落ちた。


(くっ! こんな時に……)


 瞬きの間に迫りくるガーゴイルの凶爪を前に、エリザベスは何とか剣を構えようとするが身体に力が入らず立ち上がれない。

 身を挺してオルランドやアダムが庇うか、そこまでの忠誠心は無いだろう。シスターズが飛び出そうとしているのが横目に見えるが、距離が遠く間に合わない。

 せめて致命傷だけは避ける気概で、エリザベスは血を吐きながら防御態勢を取った。


「へ、陛下!!」


 だが凶爪がエリザベスを襲う事は無く、代わりにエリザベスの前に赤い髪が映ると甲高い金属音が鳴り響いた。

 帝国軍人を示す軍服に身を包み、騎士が持つには特徴的な片刃で切っ先が反り返った極東の刀と呼ばれる剣を持つ赤髪の女騎士。スーリア・ベルファスト・ローテリアが。


「はぁっ!」


 エリザベスに降りかかる凶爪を、刀で受け止めたスーリアは素早く弾き飛ばすと返す刀で一刀両断する。

 刃こぼれ一つなくガーゴイルを切り捨てるのと、次は来ておらず他のゴーレムはイライジャが止めているのを確認して振り返って手を差し伸べる。


「陛下、立てますか」

「こほっ……あぁ」


 さし伸ばされた手を掴もうとするが、左手は血で濡れている。一度逡巡すると、剣を地面に突き刺して右手で掴んだ。

 未だふらつく身体ではあるが、少しずつ呼吸を落ち着かせればエリザベスの身体に力が入るようになる。

 エリザベスが一息つくと、目の前で申し訳なさそうに視線をやや下に落とすスーリアに何故と問いかけた。


「何故ここにいる」

「その……陛下が夜更けに出立する姿をお見掛けして……」


 叱られた子供の様に顔色を悪くしながらも、スーリアは後を着けてきたと馬鹿正直に答える。そこには一切の邪念は無く、ただエリザベスの身を案じる気持ちと僅かな不信感しか感じない。こういう良くも悪くも裏の無い女だからこそ、エリザベスは彼女を連れてこなかったのだ。

 真面目で、エリザベスを信じ切っている。だが今だけは、流石にこの場の面子を見て不審に思ったのだろう。


「その……この者たちは何者でしょうか。アルベルト殿下は分かりますが、他の……特にそこの子供とあの戦っている傭兵は」


 ここが何処かも分かっていない、何故イライジャが見知らぬゴーレムと戦っているのかもわかっていない。

 だけれども、スーリアはこの戦いの場に子供が居る事の方が気になるらしい。まだ年端もいかない子供が、感情という物を知らないであろう表情で装備を背負っている。明らかに、子供を利用しているエリザベスに不信を募らせている様だ。


「……」


 エリザベスは直ぐに答えは返さず、スーリアの鮮やかな赤い目を見つめ返した。その瞳の中には、冷たい炎を燻ぶらせた女が写っている。

 盲信的に付き従う騎士には、どんな風に見えているだろうか。尊敬に値する素晴らしい主だろうか、少し前までならスーリアの赤い瞳が不安に揺れる事は無かった。

 だが今は、違う。


「……いえ、今の発言は忘れてください。きっと、何か深いお考えがおありなのですよね」


 無理やり笑みを作って、エリザベスを信じようとする。必死で自分を犯そうとする不信を隅へ押しやって、見えないように潰して叩いて。

 もし、その不信を肯定されてしまったらどうしたら良いか分からないから、スーリアはエリザベスの答えを聞かない様にした。


「……ならどうする、このまま帰っても咎めはしない」

「いえ、付き従います。陛下は世界を変えると仰ってくれました、私は……それを信じます」


 エリザベスが嘗てスーリアに言った、世界を変えるという言葉。エリザベスが父親を手に掛けた時、血濡れた玉座に座った時に決めた事。

 世界で最後の悪になって、世界を変えるという言葉だ。決してウソではない、ただその為に何をするかを伝えてはいなかった。

 スーリアはただ、その言葉だけを信じている。愚かに、無知に、信じたいモノを信じて。


「……そうか」


 だから、エリザベスは目を伏せてスーリアの向こうへ歩みだす。

 既に出迎えのガーゴイル達は瓦礫と化し、その上にイライジャが座って煙草を吸っている。振り返ることなく、エリザベスはただ真っすぐに進む。世界を変えるという言葉を本当の物にするために。

 その背に刺さる視線を、無視して。



 ◇◇◇◇



 初めてスーリア・ベルファスト・ローテリアがエリザベス・ウィルヘルム・ローテリアに出会った時に思ったのは、思いのほか普通という印象だった。

 特別愚かではない、だが天才でもない。ごく普通に不幸に見舞われ、ごく普通に怒りに燃えている女。唯一気に掛ける事と言えば、父親である前皇帝に目を掛けられていた事だった。何が前皇帝の琴線に触れたのかは理解できなかったが、エリザベスに見舞われた悲劇は全て前皇帝が原因だった。


 ローテリア帝国は女や弱者が生きるには、辛い国だ。その中では、スーリアはかなりマシな部類の生まれだっただろう。

 親は帝国騎士として名を馳せ、自身もまたそうあれかしと育てられた。弱者を救い、帝国の敵を滅ぼせ。そう育てられたスーリアは、帝国を知れば知るほど何を守るべきか分からなくなった。


 弱者を救えと、守れと教わった。だけれども、帝国では弱者は虐げられる物で、ただ搾取されている。国を守るべき騎士なのに、国は弱者を貪り享楽に浸る。

 そんな汚らしい国の本当の姿を知った時、スーリアは何を守り討てば良いか分からなかった。

 だからだろう、エリザベスが前皇帝の首を掲げた時。その時の宣誓にスーリアは追従する事を決めた。


『聞け!! 全ての帝国臣民よ!! 虐げられ、奪われた同胞よ!!』


 だから躊躇いは無かった。ただエリザベスを信じたから、同じ帝国人を、昨日の同僚を手に掛けた。剣を持ち、業火と混乱を以って変化への第一歩への露払いを行えた。


『我はエリザベス・ウィルヘルム・ローテリア!! 今この時を以って新たな皇帝として、この忌まわしい玉座の主となる!!』


 信じるという言葉は耳障りが良い。自分で考え、疑う必要が無いから。もしかしたら、なんて考えを持たずにただ盲信して良いのだという免罪符がスーリアの心にこびり付いた。


『我はこの腐った世界を変える! 我が子に同じ不幸を味わわせたいか、愛する者を慰み者にしたいか。剣を取れ! 死兵となり地獄の業火に身を焼かれながら吠えろ!!』


 最後まで笑っている父親の首を手に、血濡れた剣と復讐の炎を身に纏うエリザベスの姿は、場違いにも美しいと思わせた。

 だからだろう、スーリアは惹かれてしまったのだ。この人の作る世界を見てみたい、その言葉を信じてみたい、羨望してしまったのだ。

 自分では出来なかった、身を焦がしながら進むその先を。


「ぼうっとして、どうしましたか?」

「…………アルベルト殿下」


 アダム(アルベルト)に声を掛けられ、スーリアの意識が現実に帰ってきた。はっと顔を上げれば、既にエリザベスは魔王城に踏み込んでいる。

 傍にはアダムしかおらず、思い耽っていた様だ。

 慌てて追いかけようとした所で、アダムは追いかけなくて良いのかと踏み出した足を止めた。スーリアは、彼がアダムであると知らずにいるから。


「アルベルト殿下も、エリザベス陛下のやろうとしている事はご存じなのですか」

「えぇ」

「そうですか。でしたらお力になってあげて下さい、陛下のご家族はもう殿下しかおりませんので」


 寂し気に表情を柔らげながらスーリアは歩き出す。こちらを振り返ることなく先を進むエリザベスの後を追いながら、スーリアは独り言の様に喋り続ける。


「私にも兄はおりました。まぁこの手で殺したのですが……兄は罪なき人々を食い物にする男だったので、後悔はありません。ただ、やはりご家族が居ると居ないでは違うものでしょう」


 誰かに聞いて欲しいのだろう。本当に聞いて欲しい人には届かないから、自分の中で理由をつけて勝手に託す。

 後ろで聞いている人の、表情は分からないまま身勝手に。


「私では……陛下のお力には添えられませんから。露払いは出来ても、そのお心に触れる事も出来ません」

「何故ですか? 少なくとも、多少は信頼されている様ですが」


 アダムの言葉にスーリアは力なく首を振って否定する。客観的に見ても、オルランドやアダムに対しての態度よりはまだ柔らかい物があるのだが、彼女はそうとは捉えないらしい。


「陛下は誰にも心を許しておりません。必要だから私や傭兵の力を使う事はあっても、計画の全容や気を許す事は一度もありませんから」

「共に謀反を行った中なのに?」

「数いる兵士の一人に過ぎません。その中でも実力があったから多少傍に控える事が出来ただけで、寝所に入れる者すら一人もおりません」


 つまり利用されているだけで、信用はされていない。実際、スーリアは何も知らないのだろう。いまここにエリザベスが居る訳も、何をしようとしているのかも。

 それでも信じると都合の良い言葉で問い詰められず、傷ついてでも傍に居る事は出来なかった。

 そんなスーリアに、アダムはふむと一つ顎を撫でて隣まで進む。その口元に醜悪な笑みを携えて。


「それはそれは、寂しくは無いのですか?」

「な、なにを……?」


 突然人が変わったように話しかけられスーリアは、アダムの言葉に対して狼狽える。頭の片隅で酷い警鐘が鳴り響き、耳を貸してはいけないと騎士の直感が囁くが振り払えない。


「貴女はエリザベス陛下を敬愛しておられるのでしょう? なのに信用の一片すら向けられない、虚しいと思いませんか?」

「そ、そんな……こと……」


 それはするりと心の鎧をすり抜けて、スーリアの最も弱くて深い所に入り込んでくる。毒を持つ綺麗な花に飢えた人が誘われるように、駄目と分かっているのに払えない、危険だと頭では理解しているのに靄がかかったように正常な思考を阻害する。


「もしかしたら、陛下は貴女の望まざる事をするかもしれませんよ。見たでしょう? 年端もいかない子供を使っていて……なにより」


 昔、スーリアは寝物語に聞いた事を思い出した。

 悪魔の話だ。善人の様に人の心に入り込み、疑いの芽を撒き、人を堕落させ、愉悦に笑う存在。


「何故騎士の貴女ではなく、たかが傭兵を傍に置いているのでしょうか」

「っ……!」


 そして、最も人の弱い所を壊していく。


「へ……! 陛下には、何か深いお考えがおありなのでしょう……きっと」


 自分の心に泥が流れ込んだ感覚に、スーリアは慌てて顔を背けて苦し紛れにそんなことを言う。赤い瞳は揺れて、手足が震えている。乾いて上ずった声を上げる彼女の目には、確かに不満と疑心が生まれていた。

 きっと今でなければ撥ね退けられた。こっそり後を追いかけてこなければ信じられた。一言、来いと命令されれば必要とされていると確信できた。

 だがその全てが、たった一つの言葉が無かったが為に砂上の城と化したのだ。

 呆気なくも言葉一つで強固な見てくれの柱が揺れてしまう程に、スーリアは強くなかった。


「そうだと良いですね。残念ながら、私にも陛下のお心は計りかねるので」


 確実にスーリアの心に致命的な罅が走ったのを認めると、アダムはそれ以上何も言わずに足を止めたスーリアの先へ進む。

 スーリアには最後まで見せない。愉悦に歪んだ口元を隠しながら。


「……私は……帝国騎士だから……陛下を……へいかを?」


 ポロポロと何かが壊れる音が脳裏に響く。

 信じていいのか? 信用してくれていない相手を、一切気に掛ける事無く待ってくれない相手を。騎士より傭兵を使う人を。


「違う!! 私は陛下のお力になると決めたのだ!! 祖国を、世界を変えるんだ!!」


 無理やり言い聞かせて、スーリアは走って追いかける。

 だけど、その足は肉親を殺した時よりも重く感じた。


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