愛の為に、愛するが為に
繰り返される一日を、何度繰り返しただろうか。
朝が来て、マリアが居て、千夏が居て、黒龍が現れて、全てが壊れて、千夏を殺され、マリアを殺されて、そしてまた親切な誰かに心を明け渡す。
ただその繰り返しを重ねていた。まるで罪を永遠に忘れないように刻み付けるかのように、地獄の罰の様に。
始めは抵抗した。
マリアと千夏を連れて遠くに逃げた事もあった。でも結局黒龍が現れてまた殺された。セシリアを守って。
盗んだ車に二人を乗せ、自衛隊の駐屯地に突っ込んだ事もあった。だけど現代火力を前にしても、ただ被害を拡大するだけでまた死んだ。セシリアを守って。
外へ出るのがダメなら、ずっと家の中に居れば良い。でもダメだった。直ぐに殺された。セシリアを守って。
何をしてもダメだった、考えつくだけの事を、気力の限りを尽くしてもダメ。
だから全部殺した。先に殺した。朝、笑顔でキスをしてくれたマリアを包丁で殺した。朝、迎えに来た千夏を抱きしめて殺した。それでも、黒龍は血濡れて死を待ったセシリアを殺した。
殺して、殺されて、逃げられなくて、逃げるのを諦めて。数えるのも忘れた朝を、また迎えた。
「……疲れた」
朝が忌々しい。差し込む朝日を憎々し気に睨んで、濃い時間を過ごした部屋を出た。そのまま母が起きているリビングではなく、母の寝室へ向かう。本来の流れならもう起きてる時間なのに、母のベットには人影がある。
「セシリア……どうして」
「……ごめん」
ベットには、首輪に繋がれたマリアが居る。
セシリアの事を、怯えと不安の目で見ている。それに対し、セシリアは昏く濁った真紅の瞳を薄く伏せて謝罪すると、目の前で水の入ったグラスに睡眠薬を入れ、自分の口に含むとマリアに口づけする。
「ん、セシ……んむっ」
唇を舌でこじ開け、マリアの咥内に水を注ぎ、舌と舌を絡め合って無理やり飲み込ませる。
ムードも何もない、強引な行為にセシリアは何処か嗜虐的な喜びを目に浮かべ、涙ぐんで両手で押しのけようとするマリアをベットに押し倒す。
水の大半は溢れ、お互いの口元は水と唾液で濡れ滴っている。セシリアはマリアに馬乗りになって更に水を口に含み、止めてと懇願するその口を更に蹂躙した。
「あっ……へひりあ……んっ」
「んっ、っはぁ」
水音交じりの艶めかしい声と、衣擦れの音が寝室を満たす。
段々と抵抗が薄まるマリアの足にセシリアの足が絡み、知らずのうちにセシリアはマリアの五指を絡めとった。
まるで情熱的な恋人の様な、濃密な絡み合いをただ言葉なく重ね続ける。互いの熱を、境界を曖昧にするように身体を深く重ねて、それでも足りないと更に深く、濃く。
どれほどの時が経ったのか、夢中で互いの舌を貪っていたが睡眠薬が利いてきたのだろう。マリアは静かに眠りにつき、それを見送るとふやけた唇を拭ってセシリアも体を起こした。
まだ身体の中が火照っている。下腹部を燻ぶらす情欲の熱は、甘く蕩け無防備に寝るマリアを前に更にセシリアの身体を焦がした。
「大好きだよ。ママ」
まだまだしたり無いと訴える本能を抑え、マリアの首に優しい口づけを一つ落とすと、乱れを整えて外へと向かう。
スプレットシートを埋める様に、このループを何とかしようと藻掻いた。あらゆる手を、あらゆる可能性を模索した。でも全てはバットエンドに繋がっていて、ただ追い詰められていた。
どうすればこの地獄から抜け出せるのだろう。
ただそれだけを考え、時に狂気に身を落として心を殺した。疲れ切っていた、安息が欲しぃ。偽りの愛ではなく、本当の愛を求めて。
「おっすー! セシリアー!」
「……千夏ちゃん」
幾度ものループを迎え、心が壊れた今のセシリアは嘗て一番だった友を前に静かに佇む。
前は胸が苦しかった。一緒に居られるだけで幸せだった。初めてを沢山くれた。目を瞑れば、幸せな思い出ばかり蘇る。
初めてだった。友達と一緒に食事をする楽しさも、下らない事で笑い合うのも、自分が意外と中二病だと思ったのも、辛いことがあっても立ち直る事が出来たのも。
今のセシリアが居るのは、全て千夏のお陰だ。でもそれは前の愛衣が共に過ごした千夏の思い出。目の前の偽りの千夏ではない。今の千夏でもない。
「千夏ちゃん。ごめんね」
「? なに言って……」
何故謝るのか、それを聞く事は出来ずに千夏の上半身が黒龍に食い千切られた。
血潮を吹かす下半身だけが残り、振動に倒れると広がった血がセシリアのつま先を濡らす。
それを見下ろし、謝罪をするように黙とうを捧げた。救えなくて、ごめんと。
そして顔を上げる。魂に満ちる程、怨嗟と憤怒と与えさせられた忌まわしい黒龍を。
「Gruu……」
「お前だけは許さない。絶対殺してやるからな」
やれるものならやってみろ。そう答える様に、黒龍はセシリアを飲み込んだ。
これで、次のループが始まる。その筈だった。
『やっとここまで来たのね』
「……貴女だったんだね。お姉ちゃん」
また朝を迎える事は無かった。代わりに、親切な誰かが話しかけてくる。
それが誰かは、もう分っている。自分自身であり、関わり合う事のない他人。
『やめてよ、私は生まれる事の出来なかった負け犬。何時までも私の心に縋りつく亡霊なんだから』
「この繰り返しも、お姉ちゃんがやったの?」
『違うよ』
何時だって守られていた。だけどそれ以上に、恨まれてもいた。
どうしてお前なんだ、どうして私なんだ。どうして、どうして。そんな怨嗟ばかりだった。
『私はただの亡霊。だけどそこにいて、感じて、聞くことの出来る人間。この力は私であり、私でもある。本当は最初のあの時に諦めるべきだった。だけど諦められないで、何度も何度も手を出した』
「……じゃあこの力は」
『師匠が言ってたでしょ? 魔法ってのは心。私の心は守りたいという想い、私の心は奪ってでも手に入れたいという想い。その二つの心が歪に同調して、親の名残を変えた。ただそれだけ、あの醜い獣の姿も私であり私じゃない』
それは肯定。それは否定。愛しているのに、憎んでいる。
歪な心の鏡合わせは、曖昧な答え合わせを重ねて重なり続ける。二つが一つに、一つが二つに。
人なら誰もが持つ愛しいという想いと、愛しいが故に許せないと憎む心が、溶けては交わり、力任せに剥がして叩きつける。
『私ね、私の事が嫌いなの』
「……」
『だってそうでしょ。大切な物を知っている。たとえそれを失っても、知って死ねたら良い方じゃん。でも私は何も知らない。生まれる喜びを、抱かれる温もりを、失う悲しみを。だからそれを知っているのに、躊躇って足踏みする私(貴女)が嫌い』
「じゃあ、何であの時助けてくれたの。10歳の時、魔法の為に死に掛けた時」
『……何でだろうね』
知らないと言う割には、様々な感情を込めて話す。
ただ悲壮に、生身の感情を痛い位ぶつけてくる。その全てを、セシリアは静かに受け止める。
言葉が無くなり、時間を惜しむように生まれる事の出来なかったもう一人の自分は純白のリボルバーを投げ渡した。
何か、温かくて心が浮足立つ、繋がりを感じる贈り物。
『それは私に託された繋がり、愛されている証拠だよ』
「魔力が戻ってくる。師匠……」
心を埋める様に、力が湧いてくる。そこに秘められた想いを、確かに受け取った。そして、もう一人の自分の覚悟も。
セシリアは目の前のもう一人、力の根源を見つめる。彼女はただ真っすぐに、寂し気に、憎々し気に、その姿を悪魔の竜騎士に変えた。
それの意味を、セシリアは正しく受け取る。
『私は生まれたい。だから』
「私は帰るよ、私の居場所に。だから」
拳を構える。
銃を構える。
互いに自分の想いを貫くために、自分が自分である為に。
これは我儘な子供同士の喧嘩。最初で最後の、生まれて初めての姉妹喧嘩。どっちがマリアの娘に相応しいかの魂の殴り合い。
『「殺す」』
互いに譲れない想いを守るために、戦う。
◇◇◇◇
「はぁ、ぜぇ……まだ、まだ倒れるわけには……いきません」
しとしとと、誰かが悲しむかのような雨が降っている、女の涙の様な雨が。息も絶え絶えに、壁に身体を支えられながら歩く彼女の尾引く血の跡を滲ませた。
その血の原因である、背中から生えた黒い翼で身体を覆いながら蹲る。
まだまだ体調は万全とは程遠い、顔は青白く息も絶え絶えで、今にも倒れてしまいそうだ。だけどマリアは唇の端を噛んで痛みで意識を保たせると、覚束ない足取りで歩みを再開した。
その真紅の瞳に強い意志を宿し、大切な娘の元へ向かおうと一歩ずつ確かに。
雨に濡れた黒い翼の先を地面に垂らし、黒い羽根をヘンゼルとグレーテルの様に落としながら、前へ前へ。
だがぶちゅっという音と共に、千切れた人の腕を踏んだマリアは石畳の上に倒れてしまう。
「ふぎゅっ!? あぁっ……!」
倒れた衝撃で、疼くように痛む背中から刺すような痛みが走り呻く。今踏んだのは紛れもなく人の腕で、マリアは憐れみと共に謝罪の言葉を呟いてまた立ち上がろうとすると、その足を何かに掴まれた。
「ひっ……!」
「蜉ゥ縺代※縺上□縺輔>」
瓦礫に下半身を潰されながらマリアの足を掴むのは、先日このスペルディア王国を襲った、別々の人間の身体を繋ぎ合わせた外見の人を喰う化け物だった。
大方、瓦礫に埋もれて死に切らなかったのだろう。まるで救いを求める亡者の様にマリアの足を掴み、聞き取れないうめき声を上げて引きずり込もうとしている。
「い“っ……離っしてっくだっさい!」
死者特有の万力の様な力で足首を掴まれ、マリアは痛みに顔を顰めながらも半ば反射的にその顔を蹴りつけた。
無我夢中で、何度も、何度も何度も何度も。固いものを蹴りつける音から、肉袋を蹴りつける濁った音に変わっても何度も何度も。
「はぁ、はぁ……」
「ぅ“……a”……」
ピクピクっと肉塊になった化け物の拘束から抜けたマリアは、急いで逃げようと壁に手を着いた時。
聞こえてしまった。
「たす……けて……」
「ひゅ……!」
助けを求める人の声が、その化け物からした事に。醜悪な見た目だから見ないようにしていた。化け物達は皆一様に何かを喋っていたことを。まるで救いを求める様に手を伸ばしていた事を。
人を喰っていたから、ただの化け物なんだと。
だけど聞いてしまった。人の声を。それが元は同じ人間だという事を。
「うっ!? うげぇぇっ……!」
猛烈な拒絶感に堪え切れず、マリアは膝を突いて胃の中の物をすべて吐き出した。何も入っていない胃を激しく痙攣させて、胃液ばかり吐き出し、それでも襲ってくる罪の意識と後悔が耐えがたくマリアを痛みつける。
「げぇっ……! っう、ううっ……」
吐いて、吐いて吐き続けて、胃液が喉を焼いてもう何も出なくなって、マリアは蹲ってしまった。
初めて人を殺した。あの肉を潰す感覚がこびりついている。柔らかい肉を潰して、固い骨を折る不快感が。全身を毛虫が這うような不快感だけが襲い続ける。
蹲って暫く経って、マリアはふらふらと壁に手を当てながら死にそうな顔でまた歩き出した。
「こんなの、あの子の苦しみに比べたら……早く、早く助けに行かないと」
胸を握りつぶすように、掌で握りこむ嘗ては娘とおそろいの瞳の色だった空色のネックレスを更に握りこんで、自分を叱責しながら先を目指す。
自分の娘は泣いていた、怒っていた。自分を見失う程の激情の中で苦しんでいたんだ。これ位の苦しみ、セシリアに比べたら軽すぎる。セシリアの隣に立つためにはこんな所で立ち止まっている訳にはいかないんだ。
「あの子が、苦しんでる……守らないと……もう、傷つかせないために」
「そんな体で?」
「!? 誰ですか!」
誰もいない筈なのに、マリアの独り言に返事が返ってきた。聞き覚えのある、忘れもしない姿の見えない声の主に向かって声を張り上げ、警戒するマリアはその姿を捉えた。
「チャオ」
「貴女は……ダキナさん」
「5年ぶり。ずいぶん姿変わったね、その目とかセシリアちゃんとお揃いになったんだ。おめでとう」
木箱に腰掛け、尊大に足を組みながら軽々しく拍手を送る褐色の女、ダキナ。
忘れるわけなんて無い。殺されかけ、奪われかけ、純粋な悪意をぶつけてきた女だ。
ダキナは新しい玩具を見つけた子供の様に楽し気にニヤケながら、気安げに挨拶してくる。
「大事なセシリアちゃんが今どうなってると思——ひゅう」
軽々しく娘の名前を出すダキナの言葉は、マリアが大きく翼を払って遮られた。何かが飛んだ、その何かはダキナの頬に傷をつけ、彼女の後ろの壁に突き刺さっている。黒い、鳥の羽が。
その攻撃に込められた、こちらを射貫く真紅の瞳に籠った明確な殺意に、マリアの変化にダキナは心から嬉しそうにチシャ猫の様な笑みを深めて木箱から踊るように降りる。
マリアは変わった。ただ守られるだけの無力な母親ではなく、明確に殺意と怒りをぶつけてくる、ダキナ好みの人間らしさに。
「はぁ、はぁ。っぐ!?」
「あーあ、もう戻れないね」
「何がっ! 目的っ、ですか!」
悠々と歩み寄ってくるダキナに、マリアは背中から血を滲ませながら翼を更に払う。そのたびに、鋭利な刃物の様な羽根がダキナを襲うが、どれも彼女の褐色の肌に薄い傷を作るだけ。
彼女の肌に触れるのは段々と勢いを増してきた雨粒のみで、とうとう目と鼻の先にまでたどり着く。
ここで翼を広げれば、まず間違いなくダキナの身体を切り刻める。もしここで、ダキナがその義手を使えばマリアは簡単に殺せる。
だがダキナは殺気の欠片も、殺そうという意思も無く只見下ろし、マリアははためかせた翼をすんでの所で、喉元に当てて止まった。
「うーん、好きな子ってついいじめたくなるじゃん? そんなものかな」
「そんなっ理由で!」
余りにも身勝手な言い分なダキナに怒りを爆発させ、マリアが一思いに殺そうと喉元へ向けた翼を僅かに肉に埋めるが、僅かに血を滴らせたところで止った。
人殺しへの忌憚感と、セシリアの居場所への手がかりが殺意を止める。
それが分かっていて、抵抗を見せないダキナは楽しそうに目を細めて翼を撫でながら口を開く。
「偉い偉い、ちゃんと理性を残して殺意に呑まれる。それでこそ母親だね」
「はぁ、ふぅ……御託はいりません。娘の居場所を教えてください」
「愛されてるね。でもあたしだって愛してるよ? 愛してるから憎まれたいの」
「はぐらかさないで下さい」
語りだすダキナに苛立ちを籠めて、もう一押し翼を押し込む。あとほんの1センチ、数ミリ力を籠めればダキナの喉が突き破れる。
脅しと本気を混ぜながら睨むマリアに、ダキナは自分の血を翼に染み込ませるように撫でながらそれでも自分勝手に話す。
「憎んで貰えば忘れられない。憎しみが深ければ深いほど、それは愛情を上回って一生の傷を作る。それだって一種の愛でしょ? 忘れられたくないから、忘れてほしくないから跡を残す。愛も恋も本質的には自分勝手な感情の押し付け合いなんだから」
至近距離でダキナの目を見ているマリアは気づく。ダキナの歪さの中に潜む、子供じみた感情に。捨てられた子供が、それでも親の温もりを求めるように縋る震える心に。
「……人は、互いに思いやる事が出来る生き物です。誰かを愛し、誰かに愛される。困ってる人がいれば手を差し伸べ、傷ついても立ち上がれる。私は、それを知っています。何百年、何千年と見てきましたから」
そう、見てきた。ただ見続ける日々だった。
世界が移ろいゆく姿を、どれだけ国や人の在り方が変わっても、人は互いに慈しみ合っている。
昔はただ見ることしか出来なかった、でも今は違う。助けてくれる人がいる、力になってくれる人がいる、泣いてくれる人がいる。大切な人の温もりを知った。愛を知った。
「そうね、世界は愛に満ちているわ。でもそれと同じくらい、悲劇も満ちているわ。救いの手がある事も知らない、たった一人で生きていかなくちゃいけない子供が。愛される喜びを中途半端に知ってしまって、ただそれを求める大人だって。世界は悪意で満ちている」
知っている。愛の尊さを。親に抱かれる温もりを。知ってしまったから、それを失ったらそれを求めずにはいられない。
例えもう手に入らないと分かっていても、諦められない。
諦めたらもう絶対に手に入らないから、だから例え間違っていると分かっていても貫くのだ。
たった一つの我儘を。
「例えそうでも」
マリアは翼を離す。翼に纏わりつく血を払って、優しく身体を濡らす雨で濡れた髪を掻き上げて殺意を納めた。
見てしまったから。私を愛してと蹲って泣き続ける子供の姿を。
「私は私の愛を貫きます。私は何時だって愛に守られていましたから、今度は私が守ります。それが、私にできる恩返しです」
守ってくれた人の意思は、確かにマリアの中に根付いていた。
帰る場所も頼れる相手もいない、身重のマリアに手を差し伸べてくれたトリシャとガンドが。
二人は何時だって手を差し伸べて見守ってくれた。マリアにとって親の様な、大きな存在が。
セシリアがいた。全てを捨てて逃げたマリアに残された、最後の愛の結晶が。その愛はいつも傍にいた、いつも愛してくれた、愛した、守ってくれた。
血反吐を吐いて、弱音を飲み込んで、ただ大好きだからなんて理由で傷つき続けた娘が。
「貴女を許したくはありません、あんな事が無ければ平和に過ごせたのかもしれない。もし、と思ってしまう事がありますから」
「あはー、それで良いの。簡単に許す生ぬるさは要らないんだから。そしたらこれあげる」
複雑そうな理解しがたいという顔をしたマリアに、ダキナは注射器を投げ渡す。それはセシリアに打ち込んだものと同じだが、それを知らないマリアは疑いが上回る。
とはいえど、態々このタイミングで毒を渡す必要は無いだろう。そういう意味でだけは、ダキナは信用できる。
嘘だけはつかない女だと。
「元気になれるお薬、きっと必要になるよ」
「……」
投げ渡されたそれを、ポケットにしまって受け取る。
きっとすぐに、これを使う事になるだろう。何の効果があるのかを聞く必要は無い、例え毒だろうが何だろうが、今のマリアには型振り構わずにやり遂げる必要があるから。
マリアの覚悟を見届けたダキナは、紳士的な男性の様にエスコートの誘いを掛ける。
「それじゃあ行きましょう? 愛を貫くために」
マリアは一歩を踏み出す。
もう弱音は吐かない。ただ平和を願うだけでは、守りたいものも守れないから。
ただ大切な家族をもうこれ以上、苦しめない為に。マリアは化生に堕ちて覚悟を決める。
雨は止まない。




