贖罪
遠くから音が聞こえる。甲高い、酷く耳障りな電子音が。間隔を上げずに鳴り響く電子音は、深く沈んだ彼女の意識を無理やり引きずり出した。
「っさい……」
毛布の中から、手探りで元凶たる目覚まし時計を叩き壊す勢いで叩いた彼女は、暫くは動きを見せない。
そうこうしている内に5分、10分と時間は易々と過ぎていく。だが毛布の塊となった彼女の耳に、今度は床を踏みしめて近づく足音が聞こえた。
その足音の主は、彼女の部屋の扉を開けると毛布を静かに引きはがす。
「起きてください、セシリア。もう7時ですよ」
その優しい声と、本当に起こす気があるのか分からない揺さぶりで、セシリアの意識が浮上した。
眩しくて滲む視界が開かれて映ったのは、こちらを見下ろして優しく微笑む大好きな母の顔がある。
「……ママ?」
「はい、おはようございます、セシリア。もうご飯できてますよ、二度寝したら怒りますますからね……って、どうしましたか? そんなぼうっとして」
「え、あれ? え? 何で?」
霞がかった意識が、加速度的に目覚める。半ば無意識に叩いた目覚まし時計も、今自分が居る布団も、身に纏う寝巻も、そのどれもが本来あってはおかしい。
(何で……日本の、私の部屋に)
見間違う筈なんてない、最早思い出すことも無かったが、見て即座に理解する程見慣れた愛衣であった頃の部屋に居る。
平和で穏やかな、転生する前の愛衣として16年育った自分の部屋だ。
脳が混乱する。セシリアとして生きている記憶がある、目の前の母はセシリアの母であって愛衣の母ではない。だが、事実として今セシリアはセシリアとして愛衣の世界に居る。マリアは母として目の前に居る。
これは。
「……死んだ? 夢?」
「あの、本当に大丈夫ですか? 体調が優れないなら学校はお休みしますか?」
心配そうにこちらをのぞき込む、大好きな母の顔。セシリアは答える代わりに、確かめる様にその頬に手を当てた。
温かい。命の脈動を感じる。手を動かせばくすぐったそうにマリアは身をよじって、どうしたのかと聞いてくる。
夢にしては出来すぎだ、やっぱりこれは死後の世界なんだろうか。そう考えて、考えて、考え込んで、セシリアは母に抱き着いた。
「あらあら、どうしました? 今日はやけに甘えん坊さんですね」
「ママ、あったかい」
「はいはい。でも風邪とかではなさそうですね」
抱きしめれば、苦笑しつつ抱きしめ返してくれる。ポンポンと、あやすように背中を叩いてくれる。
華奢だけど柔らかくて、あったかい抱きしめ心地の良い身体はセシリアが知るマリアと相違ない。
暫くは抱きしめ合っていたが、そろそろ遅刻するからとマリアは出て行ってしまった。
残されたセシリアは完全に目が覚め、枕元のスマホを手に取る。15年ぶりに触ったスマホだから、最初は難航したが次第に身体が思い出すとメッセージアプリを起動する。
本来の愛衣なら、ここに社畜の父親との履歴と幾人かの友人のやりとりが入っているはずだ。
「千夏ちゃん……と友達だけ。お父さんが居ない」
しかしどれだけ探しても、もとより大した人数も居ないメッセージアプリの履歴をさかのぼる指はあっさりと底に届き、しかしどこにも父親とやり取りは無い。あるのは自分が転生する前にとったやり取り。友人との漫画の感想の言い合いや、千夏からの『昨日のデート楽しかったね』と本来ならあり得ないメッセージだけ。
愛衣の母親からの連絡の痕跡所か、アルバムを漁っても愛衣の両親は欠片も無い。
小さいころからセシリアはセシリアで、マリアが女で一つで育ててくれたとの記録しかなかった。なのに今居る部屋と家は、愛衣であった頃のまんまだ。
「この漫画、ハマってたな。懐かしい」
女の子の部屋とは思えない、ベットと勉強机、そして漫画が納められた本棚。本棚には母の愛情を求めた愛衣らしい、母子の愛情を深く描いた漫画だらけだった。
歪な世界だ。やっぱりここは死後の世界なのだろう。
平和で平穏な日本で、大好きな母との生活を送れる。これ以上の幸福があるだろうか。全てセシリアが望んだ理想そのものだった。
15年ぶりに着慣れた筈の制服に着替え、階段を下りればスーツに身を包んだマリアが待っていた。
「おはようございますお寝坊さん。もう朝ごはん食べる時間は無いんで、これは学校に着いたら食べて下さい、お昼ご飯も入ってるので食べ過ぎちゃだめですよ?」
「ありがとう、ママ」
「それじゃ、行きましょう。今日も頑張って定時に帰りますから、セシリアも勉強頑張ってください」
大好きな母からの、額へのキスと共に弁当を受け取る。それはいつもしてくれたマリアのいってらっしゃいの挨拶だ。幼いセシリアがすると喜んでくれたから、大きくなっても変わらずしてくれる二人だけの秘密。
愛衣の父とは違う、どれだけ忙しくても大変でも、早く帰宅して家族の時間に割いてくれる。愛衣であった頃の不満がこの世界では消え去っている。
「おっすー! セシリアー!」
二人で家を出て駅へ向かっていると、後ろからセシリアを呼ぶ声に振り返った。
元気に手を振って現れた、もう二度と見る事は叶わない筈だった友人の顔が、同じ声が。最後の最後に残酷な別れをしてしまった大事な友人が。
「おはよう、千夏ちゃん」
「おはようございます、千夏さん」
「あ、マリアさんもおはようございます」
セシリアとして会うのは初めてだが、初めてではない。オフィーリアとしてまた再会を果たすことになった、前世からの大切な友人の千夏。
今目の前に居るのは、千夏の記憶を持つオフィーリアではなく、千夏その人だ。人間離れした虹色の姫ではなく、少し明るい茶髪と健康的に日焼けした純日本人の千夏。
「……?」
「ん? どしたんセシリア、そんなじっと顔を見て」
「……何でもない」
ふと、違和感をセシリアが襲った。千夏は、オフィーリアがセシリアの事をセシリアと呼ぶ姿に。
だけど被りを振る。これは死後の世界なんだ、セシリアの夢。ならこの記憶違いも関係ないのだろう。
「それじゃ、私は仕事に行ってきますね」
「うん、頑張ってね」
「いってらっしゃーい!」
二人っきりになると、お互い言葉が無くなる。セシリアはまだこの幸せな夢の中で、大好きな母と一緒に居たいと寂し気にマリアの背中を眺め続け、千夏は恥じらい気に髪を弄んでいる。
マリアの残り香を追っているだけのセシリアは気づかない、千夏が恥じらいつつもチラチラと見てきているのを。
「ね、ねぇセシリア?」
「なに? 千夏ちゃん」
「あの、そのね……」
もじもじと恥じらいながら、千夏はセシリアへ顔を向ける。頬を赤らめ、瞳は潤っている。
あの時告白をした時、夕日の中で告白した時と同じだ。でも何故だろうか、セシリアはその顔を見ても心がざわつかなかった。あの時は痛いほど胸が高鳴ったのに、締め付けられたのに、息をするのも忘れた筈だったのに。
(……何だろう、この虚しさは)
「ほら、昨日さ、公園で……私たち付き合ったじゃん? だから、手……繋いでも良い?」
「……うん」
セシリアの薄く微笑みながら指し伸ばされた手に、嬉しそうに破願するとまるで壊れ物に触れる様に恐る恐ると手が重ねられた。
そして重ねた手が、指が絡められる。それは確かに恋人同士がする手のつなぎ方で、千夏は嬉しそうに笑みを深めた。
微笑みを返し、セシリアもまた手を握り返した瞬間。
目の前に影が落ちた。
「……え?」
セシリアの頬に、赤い斑点が飛ぶ。
目の前には千夏がいた筈だ、なのに今セシリアの目に映るのは黒くて鱗ばった爬虫類の尻尾が揺れている。
その尻尾にはべったりと赤い血が滴り、何処か見覚えのある血濡れた制服と何かの肉がこびりついている。
呆然と視界を下げれば、伸ばしたセシリアの手に腕だけが繋がれている。その腕は半ばで力なく垂れ、コンクリートに赤黒いシミを作っていた。
誰がこんなことをしたのだろうか、セシリアが顔を上げるとそこには漫画にしか出てこないような、漆黒の竜が何かを喰っていた。
「Gruuu……」
「……あ……」
その何かが、誰かだと漸く脳が理解する。そして悟った、ここは天国ではない。地獄なんだと。
またセシリアから大事な物を奪う、大事な物を壊す敵の居る世界だ。
理解と同時に、セシリアの目が見開かれる。憤怒の炎を浮かべて。
「ッッッふざけんなッ!!」
怒声を上げ、普段通り身体に満ちる魔力で身体強化を施そうとする。目の前の忌まわしい黒龍を殴り飛ばそうと拳を握ったセシリアだが、魔力の一切を感じられない事に拳が開かれた。
何故。と考えた瞬間、黒龍が鬱陶しそうに尻尾を叩きつけるのを見て、慌てて飛んで避ける。
「ッ! 最っ悪!」
魔力で身体強化できなければ戦えない。魔法も使えない、即座に戦える訳がないと判断したセシリアは、踵を返して走り出す。
千夏の腕を放り出し、別れたばかりのマリアを探しに行く。
「GruaAAA!!」
「ついてくんな!!」
逃げるセシリアに何の魅力を感じたのか、黒龍は大口を開けて追いかけてきた。
それでもセシリアは必死で逃げ、走り続ける。身体強化とセシリア自身の身体能力の高さが無いから、多くの人を巻き込んで。
「なんだこの化けも……ぎゃぁ!?」
「きゃァァ!!」
「皆さん今すぐ逃げてください! 本官がッ!?」
「ぜぇっぜぇ、クソクソクソ!!」
魔力が無い事が、魔法を使えないことが歯を砕かんばかりに食いしばるほど腹立たしい。魔力があれば足が縺れる事も無いのに、誰かを巻き込んで逃げるなんて事しなくていいのに、息を切らして無様に走り回る事なんて無いのに。
「セシリア!」
「!! ママ!」
走って転んで、ボロボロになって漸くマリアを見つけることが出来た。だけどこれからどうする? 今のセシリアに戦う力なんて無い。ただ無様に逃げ回ることしか出来ない子供だ。
たった一人の母と合流するだけで、何十人という関係ない人が死んだ。
「あ、あれは何なんですか……」
「敵、逃げなきゃ」
「でも、まだ人が沢山……」
「GRAaaaaaaaa!!」
「っさいな! これでも食らってろ!!」
地面に落ちていた警官の銃を拾って躊躇いなく撃ちだす。だけれども、セシリアの相棒に比べて貧相な銃弾がダメージを与えられる訳も無く、小さな花火と黒龍の注意を呼ぶだけで終わった。
どうする、どうすれば生き残れる。どうすれば逃げれる。揺れる真紅の瞳の奥でセシリアは必死に考えた。考えて考えて、何も浮かばない。
だけど何時だって現実は残酷で、十分に考えを巡らせる時間も、何かをする余裕も与えてくれない。ほんの刹那の中で曖昧な答えを形に出来た者だけが生き延びれる。
その答えを掴み損ねた者は、ただ死ぬだけ。
「GRAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
「ッ!? しまっ……」
「セシリアァァ!!」
黒龍から齎されたにしては、やけに小さな衝撃がセシリアを襲った。視界が何かに覆われて遮られる。何か、柔らかくていい匂いに包まれた。
いつもならそれだけで心静まるのに、鼻につく錆びた匂いが心をざわつかせた。
「……だ、大丈夫ですか? せしりあ……」
「ママ……なんで……」
セシリアをかばって背中を大きく切り裂かれたマリアが、今にも死にそうなのにセシリアが無事で良かったと心底安堵して、血濡れた手を頬に当てた。
守らなくちゃいけないのはセシリアなのに、また守れなかった。
死んでほしくないのに、また死んでしまう。
壊れてほしくない幸せが、また簡単に壊される。
「なおれ……」
「逃げ、て……くださ……い。いきて……」
治せない。直らない。何故? 力が無いからだ。まただ、また無力が絶望を呼んだ。
逃げて、逃げてどうする。マリアの居ない、この夢なのか地獄なのか分からない世界で生き続けなくちゃいけないのか。
「ほら、ママ。一緒に逃げよ。こんな所で寝てたら危ないよ」
「…………」
揺さぶっても、優しく名前を呼んでくれない。
声をかけても、空色の瞳は虚ろに開かれたまま。
黒龍はもうセシリアに興味を失ったのか、ひたすらに暴れて惨殺を繰り広げている。誰かが終わらせないといけない、でもセシリアにはそんな気が無い。マリアを守れないで、赤の他人を守る気なんて無かった。
『もう良いでしょ?』
また聞こえた。
親切な誰かが耳元で囁く。
『現実なんてのは残酷だから、貴女は眠ってしまえば』
それは甘く濁った、誘う声。
纏わりついて、傷ついた心に入り込んでくる。罅に泥を混ぜて、違う物に変えようとしてくる。
『全てを私に任せて。貴女の怒りも、恨みも、後悔も全部背負ってあげる。私の大切な物を奪う全てを壊してあげる』
抵抗する力は無かった。
呆然とマリアの死に顔を見ながら、受け入れた。
親切な誰かが、嗤ってセシリアの心を泥で満たす。
そうして新しく生まれた。黒い龍を模した騎士の様な、悪魔の姿が。
そこからは、ただ破壊の連続だった。
黒龍と悪魔になったセシリアがただ全てを壊す日々。それを呆然と意識の深層で眺めて、セシリアは眠りにつく。
もう傷つきたくないと、耳を塞いで目を閉じて、寒さに凍える様に身を小さくして。
どこかで、耳障りな電子音がする。
◇◇◇◇
「愛衣。ご飯だよ、食べて?」
二人っきりの家。邪魔をするものは居ない。
静かでくたびれた民家で、ベットで上体を起こしたセシリアへ、手ずから作った料理を振舞っていた。
しかし出来たての美味しそうな料理を前にしても、虚ろな目をしたセシリアは視線も合わない。オフィーリアは小さくため息をつくと、食事を自分の口に含み、セシリアの口へ運ぶ。親鳥が雛鳥に食事を与える様に。
ただ流し込んでも食べてくれないから、舌を絡ませ流し込む。
一口一口、飽きる事も無く丁寧に几帳面に。
心配する母親の様な優しい表情で、気遣いに溢れた栄養価の高い料理はオフィーリアの狂気に反した優しさ。
「全部食べられて偉いね、今日はもう疲れたでしょ? ほら、横になって目を瞑って」
盆が空になれば、それ以上口づけをする事は無く、オフィーリアは風邪で寝込む子供をあやすように優しく寝かせる。
されるがままに横になり、目を閉じるセシリアに毛布を被せて、オフィーリアは食器を片付ける為に名残惜し気に部屋を後にした。
部屋をでればすぐに居間に出て、小さい家なのが窺えた。姫として城住まいだったオフィーリアからすれば窮屈しかたない広さだが、セシリアが居るだけで最上級の寝床に変わった。
それでも、冷たい水で皿洗いをするオフィーリアの表情には影が差し込んでいる。
真っ赤に冷えた手を拭いつつ、つま先はセシリアが眠る部屋とは逆に、古びた本が置かれているくたびれたテーブルに向いた。
くたびれて、古びた本の表紙には『人類救済計画』とだけ書かれている。それをオフィーリアは、崩れないように指先でページをめくった。
「序文。我々叡智への道は、とうとう人間が人間を超える日を迎える事が出来た。人間の持てる技術、才能、可能性。それら全てを先天的に開花させた。また、人が持つ欠点を訓練で消した。神の模倣として作られた人は、今まさに【人という名の神】となる日を迎えた。これはきっと世界を正しく導く新たな神となる。人が正しく生き、神という俗物が終わりを迎えるだろう」
内容を諳んじながら、オフィーリアはそれを読み進める。
この本の存在は誰も知らない。今の時代の前の時代に、悪名高く名を遺した研究組織のとある記録。これを見つけられたのは偶然だった。セシリアを見つける為に何か力になるものが無いかと城中を漁った時に、隠されるように奥深くにしまわれていた。
始めはこれが何の役に立つのかと捨てそうになったが、なんの気まぐれか、今もこうして持ち運び、今再び中を改めている。
捨てなくてよかったと、今は思う。
「問題が発生した。何処から漏れたのか各国が攻め込んできた。今まで私たちの技術を享受していた癖に、都合が悪くなれば掌を返して私たちだけを悪としだした。許される事だろうか、私たちはただ神という傍観者を引きずり下ろし、正しく人を導く存在を作ろうとしているだけなのに……いや、恐らくそれを疎んじた神の仕業だろう。だが私たちは屈しない。必ずや人の世界を手に入れる」
ここだけなら、オフィーリアは興味を示さない。セシリアとは何の関係も無い、ただ過去の人間が抗っただけの記録だから。さして興味も無さげに、次へ次へとページを捲る。その指があるページで手が止まった、ここからがオフィーリアがこれを捨てなかった理由。
「各国との戦争は、最早世界大戦へと変わった。様々な魔道兵器が加減も知らず使われ、幾つもの国が滅びた。これが神の望んだ展開だろうか、神という椅子に固執し、守るべき、救うべき人が滅びを迎えようとしている。許される所業ではない。だから我々は、残り少ないリソースを割いて作り出した。神とは対極の存在、悪魔と呼ばれる異界の存在と人を融合させた。まだまだ研究不足で、何が起こるかは分からない。だけれども、悪魔の力は途方も無い物だ。これを使って神を殺す、そしてこの戦争を終わらせる。彼の名前は」
——ファウスト。
そこで本を閉じた。これ以上先は焼け落ちていて読めない。オフィーリアは顔を上げ、物憂げに遠くを見る。
ファウストという名前は知っている。300年前に魔界の住人がこの世界を侵略してきた大戦争に於いて、それを率いる悪魔の王の名。地球の知識を持つオフィーリアからすれば、ファンタジー世界の定番だなとしか思わないし、ファウストが魔王と呼ばれていてもどうでもよかった。
ただ一つ、人と悪魔の融合体という言葉が脳裏にこびりつく。
セシリアだって人の子だ、父親と母親が居て初めて生まれる。母親はマリア、では父親は? セシリアの転身したあの姿、あの悪魔の様な禍々しく、今も身を蝕んでいるその根源は?
言っていたではないか、セシリア自身の口で、魔王との混じり子だと。
「やめてぇぇぇ!!!」
「っ!? 愛衣!?」
どうしようか、そう言いたげにオフィーリアが口元に手を当てかけたその時、痛ましいほどのセシリア悲鳴が響き渡った。
脱兎の如くオフィーリアは飛び上がり、セシリアの眠る部屋へ飛び込む。そこでは、虚ろだった筈のセシリアが、泣き喚き暴れていた。
長い蒼銀の髪を振り乱し、必死で頭を抱え、痛みから逃れる様に暴れている。
「もういやだぁぁ!! もういや! いやぁぁぁ!!」
「愛衣! 愛衣!! 大丈夫! 大丈夫だから!! お願い!!」
「いやぁぁ! 殺さないで!! もう痛いのいやぁぁ!!」
暴れるセシリアを無我夢中で抱きしめ、何度も何度も根気強くあやし続ける。オフィーリアの腕に抱きしめられるセシリアは、それを敵だと思ったのか泣き叫びながら激しく抵抗する。
半覚醒状態だから力は入ってないが、それでも元々異常な膂力を持っているセシリアの抵抗する力は途轍もなく、必死で耐えないと抱きしめる手が解けてしまいそうだった。
「いっ! 大丈夫。お、願い、大丈っ夫だから。私がっ守るから!」
「いやぁ! いやぁぁ!!」
ただ必死で、オフィーリアは抱きしめる手を緩めず痛みに耐え、大丈夫と語り続ける。声が枯れるまで語り続けた。口から血が垂れても抱きしめ続けた。それは例え何があっても絶対に守り抜くという、母親の愛情の様でもあり、絶対に離したくないという強迫観念の様でもあった。
その甲斐あってか、セシリアの声が枯れきる頃には涙と抵抗の跡を残して静かな寝息が静かな寝室に響く。
「……すぅ……」
「はぁ、ふぅ……良かった……」
口端から垂れた血を、あざの目立つ腕で拭うと血のついていない手でセシリアの頭を梳くように撫でる。
慈しみと安堵が混じった顔で、自分の怪我なんて気にした素振りも無くただセシリアだけを気に掛ける。
それでも流石に疲れたのか、目を瞬かせたオフィーリアは裸で眠るセシリアに倣って自分も服を脱ぐと抱きしめて隣に眠る。
互いの体温が溶け合うように、互いの境界が曖昧になるように絡みつく。
嬉しいはずなのに、やっと手に入れることが出来た筈なの。追い詰められた様なひっ迫した表情を浮かているオフィーリアは、セシリアの首に顔を埋める。
「大丈夫、大丈夫だから。もう絶対、死なせないから」
「……ママ……」
「っ……」
血が滲むほど唇を噛みしめて、小さく肩を震わせてオフィーリアは眠りについた。
愛しい人の温もりを感じてる筈なのに、何故か、隙間風が吹いたような寒さを覚えて。




