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理解=拒絶

 



 スペルディア王国を襲った未曽有の災害。人の身体を繋ぎ合わせた異形の化け物が大量発生し、王都は甚大な被害を受けた事件から一夜明けた。

 死傷者は人口の半数近く、二次災害で火事や倒壊などが起こり建物もその数を目に見える程に減らした。皮肉にも、貧民区に住む逞しい人々を除いて平凡に暮らしていた人々の多くは嘆き悲しむ事となった。


 これだけ被害が大きくなったのは、何も化け物の数が多かったからだけではない。本来なら即時対応に当たるはずの騎士団は、何者かによって襲撃を受けその足を止めざるを得なかった。

 そうこうしている内に被害は瞬く間に広がり、結果として災害といって差し支えない被害となったのだ。


 化け物を焼く黒煙を上げる惨劇夥しい城下を、クリスティーヌ・フィーリウス・ローテリアは窓に凭れ掛って見下ろす。


 普段は眩く輝く豪奢な立て巻きツインテールも包帯を巻いている為緩く自然に流し、その翠の瞳に疲れと憐憫を潜ませて静かに伏せられている。

 純白のシルクの寝巻の上から、詰襟の軍服を肩にかける彼女は眺めているのに疲れたのかふぅっとため息をつくと、それに反応し濃紫のボブカットの信頼熱い侍女が分厚い装丁本から顔を上げた。


「如何なさいましたか? お嬢様」

「何も、ただ自分の至らなさに呆れただけですわ」


 自らの主の弱音に、ヴィオレットは心配そうに鋭い眉尻を下げた。頭に包帯を巻き、左腕は絶対に動かさないように固定された上全身至る所に傷と治療の跡を残しており、傷の度合いはこっちの方が酷い。

 本来なら絶対安静を言い渡されるような状態のヴィオレットは、ご丁寧に肌を見せないクラシックメイド服に身を包んで今もこうして隣に居る。


 そんな危なっかしい侍女に流し目を送り、今度はクリスティーヌが心配そうに気の強そうな猫目を柔らげた。


「それよりも、寝ていなくて良いのかしら? 立つのも辛い怪我な筈ですのよ」

「最低限治癒魔法で治したので大丈夫ですよ、これ位で倒れる程やわじゃないですから」

「はぁ……左腕は千切れかけ、全身の神経や筋組織もズタボロ。死んでもおかしくない傷をこの程度、それで肝心な時に倒れたら容赦しませんわよ?」

「大丈夫ですよ、まぁ流石に暫くは戦闘は出来ませんね」

「良いですわ、無理は禁物ですわよ。それより、資料はこれで全てですの?」

「はい、マクシミリアン王のお陰で関係ある物は全て運び込まれましたから。300年前の人魔大戦においての書物は」


 二人は傷と疲れを癒す為にゆっくり休む事もせず、今もこうして古びた書物を漁っていた。

 数は大して多くない、数えられる程度。歴史的に誰もが知っているはずの300年前に起こった人と悪魔の戦争は、その知名度に反して形ある歴史の証明は酷く少ない。

 300年前間残った国ですらこれなのだ、今は諦めてある分の情報から手を付けるしかない。それでも充分な収穫はあったと頷く。


 態々このタイミングで人魔大戦、勇者と魔王について調べようと思ったのはただ興味があるからではない。


「何故お兄様は勇者と魔王を調べろと仰ったのかしら」

「……想像ですが、程よく餌をちらつかせて楽しもうとしているのではないでしょうか」

「あり得ますわね。あの人は自己中心的な快楽主義者ですもの」


 ヴィオレットが酷い傷を負った原因である、クリスティーヌの実兄であるイライジャからの言葉に従って今こうして調べていた。

 イライジャを信用して、ではない。ただクリスティーヌ自身調べる価値があると判断したから、なにより今手元にある手札を改めてその必要性を感じたからだ。

 先日の惨劇の結果を見れば、クリスティーヌ達の完膚なきまでの敗北だ。守るべき人々は守り切れず、大きな傷跡を残された。

 だが無駄ではない、収穫はあった。反撃に移れるに足る最良の手札を今クリスティーヌは手中に収めている。


 コンコン。と控えめなノックの音が響く。

 その手札が来たようだ。


「えっと、失礼しますデス」

「来たわね、そこに掛けて少し待って貰えるかしら」

「デ、デス」


 おずおずと扉から顔を出してきたのは、灰色狼の獣人であるヤヤ。灰色のショートカットとその上で不安げに垂れた狼耳、青みがかった灰色の瞳はきょろきょろと動き、腰から生えるふわふわの灰色の尻尾はゆらゆらと揺れている。

 彼女は普段通り、黒いTシャツの上からボレロタイプのジャケットを着こみ、ホットパンツからスパッツと健康的な生足を覗かせ、些か体躯に似合わない大きな靴のつま先を合わせている。


 非常に愛らしいヤヤだが、その腕に抱えられている少女の姿は異様の一言に尽きる。


「調子はどうかしら、レディ・フランケンシュタイン」

「クリスティーヌ・フィーリウス・ローテリア……健康状態に異常はない。ボクをどうするつもり」

「そう邪険にしないで下さいまし、話し合いをするだけですわ」


 ヤヤの腕に抱かれた少女、フランの姿にクリスティーヌは眉一つ動かさない。予め知っていなければまた違う反応を返しただろう。

 色が抜け落ちた白髪のセミロング、左目は綺麗な青色だが、やけど跡に覆われる右目は宝石の様な人工的な赤い色を放っている。髪色に負けず劣らず病的に青白い肌と感情の起伏の薄いが幼くも可愛らしい相貌。

 だが最も異様なのは彼女の手足は失われており、貫頭衣に身を包み静かに収まる姿はまるで赤子そのものだ。


 あの戦いで得た最有力の手札とはまさに彼女で、彼女達。ここにいる理由は、フランの正体を知っているから。

 フランがあの惨劇に関わった犯人の仲間であると、確信をもって今ここで相対している。


 クリスティーヌは静かに翠の猫目を向け、フランは諦めを帯びた青と赤の瞳でじっと見据える。


「あっあの! フランちゃんは敵……だったけど……酷い事しないで欲しい、デス……」


 不安げに尻すぼみ、されどはっきりと自分の意思を伝えるヤヤの声がピりついた空気を裂いた。

 フランを守るように、ヤヤはぎゅっと抱きしめてクリスティーヌの顔をじっと眺めるが、当の彼女は眼を丸くすると口に手を当てて上品に笑い声を上げた。


「やだわ、なんだか悪者みたい。ふふっ、大丈夫ですわよ。欲しい情報はもう得ていますし、戦意の無い相手を甚振る趣味はありませんもの」

「ほっ、良かったデス」

「それに、可愛らしい番犬付きなら放っておいても問題ないですもの」


 疑うということを知らないヤヤは素直に安堵し、肩の力を抜いた。クリスティーヌとて鬼ではない、必要な情報は得たから子供を始末しようとは思わない。

 それに今なら丁度いいお目付け役もいる事だから、クリスティーヌは優し気に二人を眺める。


 さらについで扉が開かれるが、その人物の格好に皆を目を丸くする。


「お待たせぇ~、時間かかってごめんねぇ?」

「構いませんわ。それより、その引き摺られているのは何ですの?」

「ぅん~? 弟ぉ」


 眠たげな喋り方が特徴的な、青肌黒白目に真紅の瞳で黒髪の悪魔の女性——ナターシャ。女性として成熟した魅力的な身体に、黒いビキニと幾つものベルトだけが覆う娼婦も頬を引きつらせる煽情的な格好をしている。

 だが皆が目を丸くしたのはその恰好ではなく、襟を掴まれ引き摺られている悪魔の青年の姿だった。


「ぉお~、ちょっと姉弟喧嘩しただけっしょ。ダイジョブダイジョブ」

「いや、さっきちょっと死んでませんでしたか?」

「悪魔の喧嘩はちょっと派手なんっしょ」


 悪魔の青年——エロメロイは特徴的な糸目でウインクしながら前髪を掻き上げる。

 弟らしくナターシャと同じ外見で、しかし黒いパーカージョッターズパンツといった姉とは違う若者らしい恰好で地面に胡坐を掻いた。


 二人とも300年前に人間と争った悪魔そのもの、しかし今ここには争うためではなく争いを止める為に立っている。

 亡き魔王の意思を継いで。


 地面に胡坐をかく無作法な弟の頭をこづきながら、ナターシャは背後へ声をかける。そこから不安そうに顔を覗かせる三人の少女へ向かって。


「汚い。ほらぁ、貴女達も入って来なさぁい」

「こんにちはっす」

「失礼します~」

「ひ、人がいっぱい……す、すみません……」


 フランと同じ顔の三人の少女。差異点は右目が赤くないのとそれを覆うやけど跡が無い事。それぞれがフランとは全く違う性格な事。

 彼女たちはフランを複製して作られた、【賢者の石】の燃料体。シスターズ、と呼ばれる存在。


 三人が席に着いたのを認めると、クリスティーヌは手を叩いて教師の様に注意を集めた。


「さて、全員集まった事ですし、作戦会議と行きますわよ」

「作戦会議……デスか?」

「ええそうですわ。レディ・フランケンシュタイン、貴女たちの主の企てを潰す話し合いですわ」


 そう言って、クリスティーヌは足を組んで面々に視線を滑らせる。ヴィオレット、ナターシャにエロメロイ、ヤヤとフランとシスターズ、最後に人が三人程入る空っぽの空間。

 一度瞑目し、頭を整理する。


「先日の事件、いえ災厄。あれを起こしたのはワタクシの母国の新皇帝、エリザベス・ウィルヘルム・ローテリアによって起された事がそこのシスターズ、から情報を得ましたわ。間違いありませんわね」

「……うん、ウチらはスペルディア王国の遺物を強奪する作戦だったんだ」

「わたし達は補給部隊なんですけどね~」


 室内に緊張が走る。シスターズ達から齎された敵の目的、首謀者の名前。最も衝撃を受けた筈の帝国人であるクリスティーヌとヴィオレットは予め聞かされていたお陰で動揺は無いが、内心は穏やかではないだろう。

 これが世に明るみにでれば国同士の戦争は免れないほどの重要な情報。しかしそれを知るのはここにいる面々だけ。


「目的は分かりませんわ。彼女達もそれは知らないようですし、戦争をするつもりなのか何か違う意図があるのかは。ただワタクシはこの情報を得た以上、帝国貴族として、また一人の女として王の暴挙を止めるつもりですわ」

「でぇ? その手段はぁ? 暗殺でもするのぉ?」

「それが必要であるなら辞しませんわ」


 それが出来るのか。と挑発的に首を傾けるナターシャにクリスティーヌは無言でじっと見つめる。

 貴族としての矜持を何よりとする女が、王殺しという大罪を犯す覚悟の強さは彼女自身にも分からない。だが少なくとも、誰かが何とかしないといけない事なのだ。

 無辜の民に多くの犠牲を出したエリザベスの所業を、許すことは出来ない。


「それで、馬鹿正直に帝国へ乗り込んで寝首を掻くつもりか? 裏側の仕事してた俺から言わせてもらえば、それは愚策っしょ」

「次の行動の予想はついてますわ、これは貴方達悪魔にも関係ある事ですのよ。敵の次の目的は魔王の遺体ですわ」

「ひぃっデス!?」


 魔王と言った瞬間、咄嗟に身構えてしまう程の濃密な殺気が部屋の中を襲った。その原因である、悪魔二人は静かにクリスティーヌへ殺意を向ける。

 エロメロイは薄らと糸目を開き、ナターシャは顎を上げて剣呑に目を細める。さながら、闇の中で獲物を狙いつける狼の様な剥き出しの殺気を纏わせている

 だが口は挟まない、ただ黙って次の言葉を待つ。ここでそれをぶつけた所で何の解決にもならないから。


「スペルディア王国には当時の人魔大戦の記録が秘密裏に残っておりますわ、当然その中には歴史に周知されない魔王のその後も。ただ倒して終わりました、とはいかないのが戦争ですもの。貴方達もそれが目的でこの国へ来たのでしょう?」


 無言の肯定。態々この国へ足を運んだ二人の意図を知っているクリスティーヌは、机の上に肘を置いて殺気を物ともしない様子で薄らとほほ笑めば、ナターシャのため息と共に二人の殺気は霧散する。


「……まぁ良いわぁ。そうよぉ、お姉さんと弟はぁ魔王様の遺体を取り返したいのぉ。王の眠る墓が空なのは悲しすぎるでしょぉ」

「えぇ、良き臣下の忠義ですわ」

「え、あの、何で魔王さん? を狙うって分かるデスか?」


 唯一、話に取り残されているヤヤが声を上げる。魔王だろうがなんだろうが、死体を狙う意図はそのメリットを知らなければ何も分からない。


「魔王様はぁ、魔道歴の遺物の一つよぉ」

「い、ぶつ? でも人なんデスよね?」

「……多分、生物工学兵器。人と兵器の融合、ボクと同じ存在」


 フランの言葉にヤヤは首を傾げる。分かるには分かるが、まだよく理解できない。だが彼女の脳裏には、以前洞窟の中で見つけた動く石像のゴーレムの事がよぎった。

 人の動きに酷似した、作られた存在の事が。


「例え死体だろうと、魔法があれば関係なく使えるっしょ。戦場じゃ味方の死体が敵に操られるなんて日常茶飯事だったっしょ」

「魔王様の魔法はぁ、【世界に干渉する魔法】。【賢者の石】は燃料、【天球儀】は魔法を使うための制御装置ぃ、もし敵に魔王様の遺体が渡ったらぁ、それこそ戦いなんてレベルにはないわぁ」

「つ、つまりヤバいかもって事デス?」

「かも。ではなく、確実にヤバいですわ」


 ここまで説明されて漸くヤヤもその危険さを悟った。

 【世界に干渉する魔法】だなんて聞いただけでヤバいと分かる、そんなものを手に入れられれば戦いになんてならないだろう。


「でもよく分かったわねぇ、お姉さん達だって昨日やっと確信を持てたのにぃ」

「ワタクシを舐めて貰っては困りますわ。それでどうかしら? 少なからずお互いの目的が被ってる以上、本格的に手を組むのは」

「俺は構わないっしょ、そろそろ本格的に動こうとしていた所だし」

「お姉さんも良いわよぉ。魔王様の遺体をぉ人間に奪われるのはぁ、業腹だしぃ」


 お互い腹に一物抱えている事を理解しながらも、現状をきちんと理解し笑顔で手を組む。

 300年前に血を流した合った人と悪魔が、今度は血を流さないために手を組む。もう誰も死なせたくない、悲しい結末を見たくない。そんな思いだけは、変わらないのだろう。


「さて、次は貴女方ですわ。レディ・フランケンシュタインと、シスターズ」


 一つ仕事を終えたクリスティーヌは、ここまで黙って息を潜めていたフランたちに翠の瞳を向ける。

 それに対し、シスターズ達はびくっと肩を震わせ俯くが、ヤヤの腕の中に収まるフランだけは相も変わらず無表情のままじっと見つめ返して口を開く。


「……一つ、要求……いや、お願いがある」

「聞きましてよ?」

「必要な情報は全て話す、戦えって言うなら意のままに戦う。だから彼女達が帝国に帰還する事を許してほしい」

「オリジナルッ!!」


 フランの口から放たれる、随順の言葉にシスターズ達は非難にも近い声を上げるが、フランは一瞥だけしてクリスティーヌへ戻す。

 その言葉に偽りは無いのだろう。感情の読み取れない表情ながら、色違いの目に嘘偽りの色は無い。

 だが何故、自分の自由と引き換えにそんな願いを言ったのかが分からない。クリスティーヌは胸を支える様に腕を組んで、背もたれに深く背を沈める。


「……何故ですの」

「この子たちは長く生きられない。だけど帝国内の、ボク達の拠点に行けば延命装置があるから」

「本当ですの?」


 クリスティーヌの問いに、シスターズ達は苦々しく頷く。

 だがそれを許可するには、クリスティーヌにメリットが無さすぎる。敵の首謀者の顔は割れている、分かっていないのは戦力の規模だけ。それを探るためには人員もメリットも無い。

 こっちにとってのアドバンテージは敵に認知されていないことだ、シスターズ達を戻せば十中八九こちらの事がバレる。それだけは今は避けたい。

 しかし命がかかっていると分かっていて、それを無碍に出来る程クリスティーヌも非情ではない。


「……一日や二日で死ぬものですの」

「それは……違う」

「はぁ……」

「お嬢様」

「分かっていますわ。傷を癒す時間は無くなりますが仕方ありませんわね」


 自分の甘さに呆れると言わんばかりにため息をつくと、フランは目礼で感謝を伝える。本来ならもう少し時間を起きたかったが、許可してしまった以上そうは言ってられない。


「ではレディ・フランケンシュタイン……いえ、レディ・フラン、貴女には洗いざらいエリザベス女王陛下が何を狙っているのか話してもらいますわ」

「分かった……エリザベス様は、魔道歴の遺物を使って世界を支配するつもり、争いも差別もない平和な世界を」

「はっ、良くある大義名分っしょ」

「違う、エリザベス様は本気でそれを願っている」


 聞く分には良くある為政者の戦争の口実だ、しかも平和を願いながら戦争という手段を取ろうというならそれは陳腐な言葉となる。

 だがそれをフランは断言する。珍しく、目に怒りを浮かべて。それは簡単に主を売ったフランが思うのだから滑稽だろう。自分自身それを理解してるのか、直ぐに怒りを消し俯いて続ける。


「エリザベス様は確かに復讐心で力を願った、だけどあの人は優しい人。ボクも、シスターズ達もあの人に救ってもらった」

「だから殺さないでほしいと? それは出来ない相談ですわ。例えどれだけ身内に優しかろうと、彼女がしたことは立派な殺戮ですもの」

「違う、確かにエリザベス様は許されないことをした。それはあの人も理解している、だけどエリザベス様よりも危険な敵がいる、あの人の弟の身体を乗っ取った()()()って——」


 ガタっと、フランの言葉を遮って背後から大きな音が鳴った。突然の音に二人を全員の視線が音の出どころ、ナターシャとエロメロイへ向く。

 二人は目を見開き、信じられないと言わんばかりの顔でフランを注視していた。何か、予想外の事を聞いたのだろうか。


「おい賢者の石っ子、今なんつったっしょ」

「? ……アダム?」

「あぁそうだ、アダム……なんであいつが……」

「弟ぉ、今すぐ拠点から荷物を取って来なさぁい。全部よぉ」

「お、おう」

「待ちなさい! 一体何ですのっ、アダムとは何ですの!」


 クリスティーヌの静止の声を無視して、エロメロイは影——ヘルベリア——に包まれるとその姿を消した。

 一体その【アダム】と言うのが何なのか、何が悪魔達に動揺を齎したのか。苛立たし気に唇を犬歯で噛むナターシャは口を噤んで答える気はないと顎を逸らす。

 暫くはクリスティーヌも強くにらみ無言で圧を加えていたが、頑として聞かないその姿勢にどれだけ問いただしても無駄だろうと悟り、ため息をついてフランに先を促した。

 その【アダム】とやらを聞いておくべきだろう。どの文献を漁っても出てこない名前を。


「……話を戻す。エリザベス様に魔道歴の遺物の情報を与えたのはそのアダム。黒龍の封印を破いたのも、賢者の石の隠し場所を教え制御方法を与えたのも、そう。ボクが知ってるのはそれだけ」

「……分かりましたわ。ですがやるべき事は変わりませんわね、ワタクシ達は陛下の企みを潰し、惨劇の清算を払わせるだけ。その相手が増えただけですわ」


 聞きたい事はまだまだ沢山あるが、既に話し合いを始めて小一時間が経とうとしている。そんな影は一切見せないが、クリスティーヌもケガや疲労も相まって疲れてしまっていた。それは他の面々も同じだろう。

 詳しい話はまた後程聞けばいいと、やや強引に話を締めるとややふらつきながら立ち上がり終了の空気を流す。


「では、細かい話はまた後程で構いませんわ。各々、準備を済ませ夕刻までには出られる準備をしておきなさい」


 それに対して異を唱える者は出なかった、一人を除いて。扉に一番近いナターシャが戸に手を掛けた所で、ヤヤがおずおずと手を上げた。


「あの、さっき全員って言ってたけど、セシリアちゃんとマリアさんは居ないんデス?」


 ピタッと、戸を開きかけた所でナターシャの動きが止まる。クリスティーヌもヴィオレットも、気遣わし気な表情を浮かべた。

 ヤヤは知らない。セシリア達がスペルディア王国に飛ばされる前にフランを追って飛び出したから。あの時、あの惨劇の中心にセシリア達がいた事を。自我を無くし暴れまわった事を。

 その後、セシリアの行方の一切が分からない事を。


 重たい口を開き、クリスティーヌが答えた。


「ミスマリアは先日の一件で怪我を負い、今はミスナターシャが預かっていますわ」

「ケガ……? え、でもセシリアちゃんがいれば……! セシリアちゃんは居ないデスか!?」


 セシリアが居ればどんな怪我だって治せる、それが無いとなればセシリアの身に何かあったとすぐに考えついた。

 ここに居ないのは、つまりそういう事なのかと。


「ならっ! 急いでセシリアちゃんを探さないとデス!」

「どうやって探すつもりですの」


 反射的にセシリアを探すべきと進言するが、クリスティーヌは静かに、気の強そうな猫目をやや細めてヤヤを見下ろす。

 不機嫌なのだろうか、その翠の瞳に射貫かれたヤヤは怒られたように感じて尻尾と耳を垂らす。


「え、えっと……一生懸命、探すデス」

「論外ですわね」

「でも探さないとデス!」

「探して? 当てもなく草木をかき分けてたった一人の少女を探して、その間に何百何千と人が死ぬのを指を咥えて見ているつもりですの?」

「っデ……それは……」


 静かに諭されて、ヤヤは俯いてしまう。彼女だって見てきた、黒龍によって恩人達とその街が焼けていくのを。自らの腕の中で命が消えていくのを。

 化け物に襲われ、自分を助ける為に死んだ男を。救いを求める人々の声を背に駆けた事を。

 地獄を二度味わった。それをまた味わうのか、味わわせるのか。今度は自分の家族や友達に。


「勘違いしないで欲しいのだけれど、単純な優先順位の問題ですの。ワタクシ達に時間は無い、心配な気持ちは分かりますわ、ですがこちらは事を大きくする前に終わらせる必要がありますのよ。人と人の戦争が起きる前に」


 一人の仲間を見捨てるか、大勢を救うか。選択肢なんて合ってないような物だ。

 気持ちを抑えきれず口を開くが、そこから言葉が出てくる事は無く項垂れた。血が滲む位強く手を握りしめて。


「マリアさんは……」

「その目で確認すればよろしいですわ」


 こくんと頷き、ヤヤはフランをシスターズに預けてナターシャの元へ歩み寄る。逡巡しながらも、ナターシャはその背を優しく押して二人は退出した。

 残されたフランとシスターズも、その姿を追って足を向ける。


「……ボクも、この子達もエリザベス様の()()生きている。だから……協力は惜しまない」


 ただそれだけを告げ、フランはシスターズ達に抱えられながら返事を待たず退出した。

 残されたのはクリスティーヌとヴィオレットだけ。

 完全に扉が閉まったのを確認すると、クリスティーヌは隠していた疲れを吐き出して椅子に深く沈む。

 クリスティーヌの前に温かいハーブティーを出し、ヴィオレットは肩を揉んで労う。


「お疲れ様です」

「ありがとう、ヴィー。休ませてあげられなくて申し訳ないのだけれど、準備を任せても良いかしら?」

「勿論。夕刻までには全て手配しておきますから、お嬢様は休んでいてください」

「ごめんなさいね」


 先ほどまで気丈にふるまっていた姿は無く、眠そうに瞼を伏せてクリスティーヌは申し訳なさそうにほほ笑めば、ヴィオレットは頭を撫でようと伸ばしかけた手を止め、手の甲にキスを一つ落として静かに部屋を後にした。

 人一倍責任感の強い主に、少しでも休んでほしく。


「……同じ帝国人ですもの、気持ちは痛いほど分かりますわ。陛下」


 少しだけ眠ろう。軍服を背もたれに預け、目を閉じる。

 これからしようとする事は、帝国貴族として正しく、間違った己の正義の押し付けだから。そんな事実から目を背けて。


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