羨望とその先にあるもの
「……っ!? ここは?」
「目が覚めたか、スーリア嬢」
質素なベットで寝ていたスーリアは、目を覚ますと見慣れぬ天井に眉を潜める。何故こんな所で寝ている? どれ位寝ていた? と体を起こそうとした所で隣から聞こえたアレックスの声に顔を向ければ、彼もまた包帯を巻いて椅子に身体を預けている。
その姿を改め、自分の身体を見下ろせば自分もまた包帯が巻かれ、適切な治療を施されている。
現状を認識し、何故ここにいるかを悟る。
「勇者? ……あぁそうか、負けたのか。騒動はどうなった」
「幸い、俺たちがここに来た時にはもう殆ど鎮圧が完了していたさ。手厚い看護を貰ったよ」
「……そうか」
戦いはひと段落ついたのだと、スーリアは納得しすぐ隣の窓へ顔を覗かせればぞろぞろと軍隊が歩き回っている姿を捉える。
どうやら持ちこたえる事には成功したようで、ちらほらと非戦闘員も外へ出ている姿が見受けられる。
昏い面持ちのまま、スーリアは痛みに歯を食いしばりながら立ち上がろうとしてアレックスは腰を浮かした。
「まだ寝ておいた方がいい、死んでもおかしくない傷だったんだから」
「い、良い。陛下の元へ戻らねば、刀を寄越せ」
「……分かった、せめて肩を貸そう」
一人で歩こうにも、鋭い痛みを訴える臓器や肋骨に顔を顰めたスーリアは軍服を肩にかけながら、黙ってアレックスに肩を貸されつつ部屋の外へ出る。
廊下へ出れば多くの人々に出迎えられた。軍が鎮圧に来てくれたお陰で事態は収束に向かっている様だが、負傷者の数が減る訳も無く至る所から苦悶の声と忙しく駆け回る人に埋もれている。
耳に残る喧騒の中を歩いていると、ふとスーリアは呟いた。
「最後に戦ったアレ、どうなった」
「逃げられた。お陰で助かったけど」
「ふっ……助かった、か」
皮肉気に口端を引くと、おもむろにスーリアはアレックスから離れ壁に背を預ける。周りを見渡せば人影は見当たらず、二人で会話するにはお誂え向きな様だ。
剣を持つその手は震えているが、こみ上げる笑いを堪える様に俯く姿からは痛み以外の何かが混じっている。
臓腑を爛らせる昏い炎が。
「貴様は平気そうだな」
「……魔獣との戦いは慣れてるから、君程の傷は避けれ——」
「ケガではない。貴様、本気で戦わなかっただろう」
確かに嘲りを含んだ、確信に満ちた声音でスーリアは言い放つ。心中を言い当てられたアレックスは顔を強張らせて僅かに視線をさ迷わせるが、否定はしない。ここで否定した所でなんの意味もなさないだろう。
無言を貫くアレックスを、鼻で笑うとスーリアは続ける。
「いや、確かに貴様は手を抜かずに戦ったのだろう。アレを前に手を抜いて生きていられる訳がない。だが本気で戦ったわけではない、本気とは最後の最後まで歯を食いしばって戦うことだ。血反吐を吐いても立って、死肉を食らって生き抗う。自分のすべてを賭して最後の最後まで抗うことだ」
徐に刀を抜き、綺麗な刀身を晒す。幾度幾万の命を屠り数多の血を啜った刀は、余りに美しく機能的。命を刈り取るのに最も相応しい綺麗さ。
それを力なく振れば、音もたてずに宙を舞っていた木の葉が裂ける。
「所詮私たちの技は人殺しの物だ、そこには大義も名誉も無い。良き時代の為、守るべき人の為にと理由をこじつけて人を殺す。だからこそ、私たちはそれに命を賭けなければいけない。もう私たちはただの騎士じゃないんだぞ、勇者」
静かなお説教に黙って耳を傾けていたアレックスは、綺麗なかんばせに曖昧な笑みを張り付けて顔を上げる。
しょげているようにも、悲しんでいるように、どうでも良いと思っているようにも見える曖昧な笑み。
「あぁ、勘違いするな。別に怒っているわけでも詰っている訳でもない。そもそも、先にやられたのは私だからな、その資格はないさ」
「……なら、どうして態々」
「貴様には才能があるからだ」
「っ……」
才能。と言われて、初めてアレックスの顔が歪んだ。分かり易い位、嫌悪感から厭そうな顔をしている。
実際、どちらが強いかという話になれば最後まで意識を失わなかったアレックスの方が強いと言えるだろう。
スーリアはあくまで優劣を決めるわけではなく、事実として語る。
「見ろ」
スーリアが顎で示した先を見れば、担架を運ぶ人影を見つけた。担架に乗せられている人はピクリともせず、だらんと腕を垂らしている。一目見て生きていないと分かり、その担架を並べられた死体の列に加えられればもう確定。
聖職者が祈っているのを二人が眺めていると、スーリアは告げる。
「力を持つ者には責任が伴う。望む望まないにしろ、弱者を救わなければいけないという、命を背負うという責任が。貴様も貴族なら分かるだろう? 生まれた時から義務と責任を背負うんだ」
息苦しさすら覚える重責。スーリア・ベルファスト・ローテリアとして、アレックス・ガルバリオとして生きる限りその重責からは逃れられない。
その重責をスーリアは受け入れている。受け入れざるを得ないから、それを矜持と変えた。
「貴様は望んでいないと言いたげな顔をしているが、嫌なら名前を捨てろ。それをしないなら余計な考えは捨てて戦え、私たちは二度と敗北は許されない。それが命を背負う物の宿命だ」
言いたいことは言い終わったとばかりに、スーリアは刀を杖に歩き出す。一度の共同戦線はここで終わりとなった。最後まで高慢な姿勢を崩さずに。
「私は貴さ……勇者アレックスに期待している。私より強いのだから、その強さは世の為になるんだ」
期待してるとは言いつつ他人事の様に呟いてスーリアは立ち去った。その背を見送ったアレックスは、深くため息をついてくしゃりと前髪を握りしめる。
「君達みたいにあれたら、どれだけ楽だろうな」
皮肉気に口端を引いて、アレックスは遠く呟いた。
羨望に満ちた声音は、葉摺りの音に揉まれてもやけによく響く。
◇◇◇◇
閉じた瞼を朝日が照らす。閉じて尚強い刺激に意識が浮上すれば、鳥の囀りと人々の喧騒が耳を突いた。
「っう……ここ、は?」
乾いた喉から掠れた声を上げてフランは目を覚ました。身体は怠いし、異常に身体が水分を求めている。起き上がろうとした所で、フランは自分の身体の状態に気づく。
「ぅあ、魔道ブラスターが」
彼女の四肢を形作っていた光弾を放つ鋼鉄の義肢が無い。正確には壊れていて、付け根の辺りにその残骸がついているが、腕や足としての機能は果たしていない。
文字通り、フランは今四肢が無いダルマの状態でベットに寝転がっていた。
動けないなら仕方ないと天井を眺めて、最後に覚えている記憶を掘り起こす。
あの時、過剰に魔力を使ったせいで右目の【賢者の石】が暴走を起こして行動不能に襲われた筈だ。
その状態で撤退するエリザベス達に追いつけることは無理と判断し、死ぬのを覚悟でアイアスと戦ったはずだ。記憶にあるのはそこまでで、今は見覚えのない部屋で眠っている。
あの後、帝国側の誰かに回収された訳ではないというのは何となく察した。
ふと現状を認識したところで、フランは自分の右目の違和感に気づく。
「? 接続が、不安定?」
癖で右目に手を当てようとして、無い腕にため息をついたフランは無表情という言葉を顔にそのまま張り付けながら首を傾げる。
普段なら常に魔力を作り出す右目の賢者の石が、存在感を放っているのだが今はそれを感じられたり感じられなかったりと不安定。心なしか、右目の輝きも不安定に明滅している。
何故、と首を捻ったところでドアの開く蝶番の悲鳴が聞こえた。
「デッ……デデッ……!」
「ヤヤ? なん——」
「フランちゃぁぁぁん!!!」
「むぎゅ!?」
水と野菜を煮込んだ美味しそうなスープを載せたお盆を手に現れたヤヤを目にし、フランはまだまだ無表情に見える相貌のまま僅かに目を開く。
何でヤヤが? と声に出そうとした瞬間、お盆を放り出し勢いよくヤヤは飛び込んでぐりぐりとフランのほっぺたに頬ずりを始めた。
「や、ヤヤ。ちょ……」
「よかったデェス! 目ぇ覚めたデェス!!」
ほっぺたが擦り切れそうな位、鬱陶しくグリグリぐりぐりと。首に手を回して密着している所為で顔は見えないが涙声で良かった良かった叫びながら尻尾をブンブンブンブンと振り回している。
一体なぜこんなに取り乱しているだろうと思いつつ、腕も無いフランは抱きしめ返すことが出来ない。されるがままのフランは肌から伝わる温もりに僅かに目じりを柔らげた所で、はっとヤヤは顔を上げた。
「ごっごめんなさいデス、痛くないデスか?」
「う、うん。でもどうしてヤヤが?」
「フランちゃんを追ってスペルディア王国まで来ちゃったデス。これ」
言って、気恥ずかしそうにヤヤはフランが落としたメモ書きを見せる。そこには記憶にもある、フラン自身が書いたスペルディア王国へ行くという字がある。
こんな紙切れ一つを頼りに、12歳の女の子の身分で国を渡ったのかと呆れると共に、少しだけ口角が上がりつつ胸が小さく締め付けられる。
「え、えっと……フランちゃん、それでデスね……」
「?」
メモ書きから顔を上げれば、何処か気まずそうな面持ちでもじもじとヤヤは俯きがちに何かを言おうとしている。
それを黙って見守っていれば、意を決したようにぐっと小さな手を握りこんで話し始めた。
「ヤヤは何でフランちゃんがあの時、どっか行っちゃったのか分からないデス。怒らしちゃったかもって思ったデス。何でだろうってずっと考えてたデス……」
「……」
不安で尻尾はゆらゆら、耳はピコピコと跳ねながら勇気を振り絞るために父から貰った故郷のナイフを握りしめる。
無い勇気を振り絞って語るも、不安になって顔を上げることは出来ない。
きっと怖いのだ。
拒絶されたらどうしよう、他人の様に接されたらどうしようと。
それでも勇気を振り絞って、想いを語る。
「最初は、怒らせちゃったからもう忘れようって思ったデス、仕方ないって。でも、フランちゃんの最後の顔が忘れられなかったデス。ずっとずっと、フランちゃんの事ばっかり頭に出てくるデス」
建前や回りくどい言い方なんて一つもない、ただ真っすぐに自分の想いを語る。後先なんて一切考えず、自分の想いを一生懸命言葉にする。
正直、不安と緊張で強張っているヤヤは今自分が何を言っているかを良くわかっていない。ただただ一生懸命に、精いっぱい。
(なんか、その言い方って……)
「だからヤヤ……思わず追っかけて来ちゃったデス」
冷静に耳を傾けていたフランは、その告白じみたヤヤの言葉に首を捻る。
自分で言っていて気づかないのだろうか。嫌われるのが嫌で、ずっと顔が思い浮かんでいるなんてただの友情という言葉で片付けられないと。
少なくとも、ヤヤに抱き着かれてから他の音が聞こえなくなるくらい五月蠅く心臓が跳ねているフランには無理。
青白い肌をうっすらと桜色に染めたフランは、きゅっと唇を結んで不安そうに上目遣いを送るヤヤに答える為にサクランボのような唇を開く。
「本当に……バカだね、ヤヤは」
「うっ。でぇす……」
感情の読めないフランから、淡々とした声音で馬鹿と言われてヤヤは更に小さく肩を縮こまらせる。
それだけ、フランに嫌われたくないんだと思えば胸がきゅっと締め付けられる。
「でも」
まだ続きはあると、ヤヤがおずおずと顔を上げればそこで止まる。
驚きと、小さく芽生えた喜びに。
フランが、笑っている。
怒るでも呆れるでもなく、純粋に穏やかに、静かに。
「嬉しい。ヤヤとまた会えて、ボクは嬉しいよ」
それを笑顔というには余りに変化に乏しい。文字通り、微笑んだ。
それでも、フランには充分な変化だった。フランにとっての満面の笑みを浮かべて胸から湧き上がる気持ちを伝えた。
偽りでは無く、心からの本音を。
それでも、何処か眩しい物から目を逸らすようにゆらゆらと尻尾が揺れるヤヤから顔を背けてフランは続ける。
「でも、ヤヤ。ボクは」
「やったぁぁデェェス!!」
躊躇いがちに口を開くが、それはヤヤの歓喜の叫び声に遮られた。
驚いて振り向けば、それはもう全身で喜びを露わにしているヤヤの姿。尻尾ははち切れんばかりに振り回され、天井に手を伸ばすように飛び跳ねている。
その愛らしい顔は喜びでひまわりの様に破顔していて、見ているこっちが恥ずかしくなる位の歓喜乱舞さ。
「良かった! 嫌われて無かったデス!! やった! やった! デェェス!!」
「いや、だからヤヤ……」
「ふんふふ~ん、またフランちゃんと一緒にいられるデ~ス」
「……ヤヤ」
しかし、流石に言いたい事を聞いてもらえずに浮かれられるのはちょっとイラつく。
「ヤ!? ごほっごほっ!!」
「フランちゃん!?」
何時までも見ていられる可愛らしさだが、そこをぐっと堪えて大きな声を出そうとした所で喉に鋭い痛みが走って痛々しくせき込む。
慌ててヤヤが駆け寄れば、フランはせき込みながら苦しそうに水を求めたからヤヤは慌てふためきながら水の入ったコップを差し出すが、フランの四肢が無い事を思い出して口に運んだ。
「お水デス、のめるデスか?」
「んっ……」
ゆっくりとフランの負担にならないように、ヤヤは注意深くグラスを傾ける。それでも自分で飲む訳ではないから口端から水を垂らしつつ、こくこくと青と灰色の糸で編まれたミサンガに縛られた白い喉を鳴らす。
二人に言葉は無く、フランが水を飲む音だけが静かに響く。
「ぷは……ありがとう」
「もう大丈夫デスか?」
「ん」
グラスが空になったところで、唇に艶を張り付けてフランは目を細める。鼻と鼻がぶつかりそうな位、顔を近づけるヤヤの顔は今は心配そうにしている。
さっきまであんなに嬉しそうにはしゃいでいたのに、一喜一憂の激しい子だ。思わずフランはさっきまで覚えた苛立ちも忘れてふふっと静かに噴き出して体の力を抜いた。
「ヤヤ」
「どうしたデスか?」
とん。とフランの額がヤヤの額に優しくぶつかる。そうすれば互いの吐息の熱も感じられ、ヤヤの灰色の中で光る綺麗な青が良く見える。
何でこんな事をしようと思ったのかフランにも分からない。でもヤヤの体温を感じられて動かせる唯一の場所が頭だけだったからかもしれない。
抱きしめる為の手も無い。一緒に歩くための足も無い。今ここでヤヤが何をしてもフランには抵抗するすべはない。
目に焼き付ける様にフランは何も話さずじっと見つめる。
(綺麗な目……曇り空から覗く空みたい)
「フ、フランちゃん?」
額から伝わるヤヤの体温が熱くなる。
ヤヤもまたフランの体温も吐息も感じながら、満天の青空の様な左目と宝石の様な右目が目の前にある。
動こうにも完全に体重を預けているフランから離れれば、フランは倒れてしまう。それ以上に、フランの目を見ていると、熱を感じていると身体が動かせない。
尻尾をピンと立てて、両手はフランの慎ましやかな胸に触れるか触れないかの所でさ迷う。
「聞いて」
「デにゃっ!? んっ……」
フランの温い吐息がヤヤの肌を撫で、身じろいで肌が擦れるとピリッと甘い刺激が思わぬくすぐったさを齎してヤヤの身体が跳ねる。
身体の中から腰を浮かしたくなるような、感じたことのない刺激。フランの吐息が肌を撫でる度にヤヤは変な声が出そうになり、瞳を潤わせながら唇を噛んで気を抜いたら漏れそうになる変な声を堪える。
そんなヤヤに気づいているのか居ないのか、表情からは一切読み取れないフランは口を開く。
「ボクは……ヤヤと一緒に居られない」
「……え」
だがそんな熱も、フランの口から語られた拒絶の言葉にすっと引く。
顔を強張らせながら、フランの肩に手を置きながら身体を引いて見つめる。
「……いやデス」
「ヤヤ、ボクは人殺しなんだ」
「っ……!」
人殺し。という穏やかならざる言葉と、決して冗談で言っている訳ではないと表情から悟り、ヤヤは生唾を呑んだ。
森の狩人であり冒険家であるヤヤにとって、命を奪うということは営みの中にある。しかしその命を奪う行為は、生きる為であり無益な殺生を行ったことは一度も無い。特に、人殺しとは例え灰狼の教えを以っても禁忌である。
当然、ヤヤも忌避感も覚えそれだけをしようとは思わない。
その人殺しを、フランはしたと語る。
フランはヤヤの当然の反応に、悲し気に瞼を伏せた。
「ほら、ヤヤはそんな事をしたことない。ボクはヤヤみたいに綺麗じゃない。だ、だか……ら……」
「関係ないデス!!」
突き放すような言葉は、次第に尻すぼんでいく。つっかえつっかえになりながらも紡がれた言葉は、抱擁と共に遮られた。
勢いよく抱きしめられ、フランの身体が温もりに包まれる。痛い位、絶対に離さないとでも言うように強く、固く。
「それに、ヤヤ知ってるデス。フランちゃんの秘密」
「……何を?」
フランの言葉に、蝶番の音が代わりに返事をする。
「ごめん、オリジナル」
「っ!? なんで……貴方達が……」
ヤヤの後ろから、扉の方から聞こえたフランそっくりの声にフランは目を見開く。居る筈のない三人の顔を見て驚くも、すぐに唇を噛んで顔を背けた。
理解してしまったのだ、ヤヤの言葉の意味を。知られてしまったのだ、フランの罪を。
「この子たちが教えてくれたデス。全部、全部」
「ごめんオリジナル。ウチら、喋っちゃった」
「もう帝国には帰れないね~」
「えっと……その……装備は、回収、してます」
フランと同じ顔、同じ声、同じ背丈の三人。しかし違うのは、右目を覆うやけど跡が無い事と右目も青い事。そして性格も全くの別人。
三者三葉に現れた三人は所在なさげにしていたが、ふぅっとフランのため息に肩を竦ませる。
「……そっか。三人とも、生きててよかった」
安堵の声が静かに響く。
心から思う、良かったと。
その声に弾かれ、三人はくしゃっと顔を歪め一様に飛び出す。
「「「オリジナル~!!!」」」
「デェ!?」
「ぶっ!」
抱きしめるヤヤごと三人はフランを抱きしめた。
ぐちゃぐちゃになって潰されて、身じろぎだって出来ないフランは4人分の泣き声に包まれて笑って目を瞑った。
(馬鹿だな……ボクも、妹達も)
穏やかに差し込む光がフランを照らし、温かな光に包まれる。
心がぽかぽかとする、何も考えたくなくなる気持ちのいい熱。
◇◇◇◇
ヤヤ達の泣き声を、扉の外で壁に凭れ掛って聞いているエロメロイは自然と口元が緩んでいた。
まるで映画のラストシーンに出てくるキザな役者みたいに腕を組んで、穏やかにほほ笑んだまま背中を離すと扉から離れ……。
ドンッ!
「ぁでっ!?」
「なぁにカッコつけてるのぉ?」
「ォぉ~、鼻が~。俺のクールな鼻が~」
背中を躊躇なく蹴り飛ばされ、エロメロイは固い木の床と盛大にキスをする羽目に。
鼻頭を赤く染め、うっすらと涙を滲ませながら振り返れば、当然そこには魅力的な足を上げているナターシャの姿。
大きな胸の下で腕を組んでいる為顔は見えないが、きっとあきれ顔をしているだろう。
鼻をすすりながら、エロメロイは床の上で胡坐を掻いて姉を見上げる。
「別に良いっしょ。ここはニヒルに笑う所だし」
「ん~、でもなんかイラっと来るのよねぇ」
「ひでぇっしょ!!」
「何時まで座ってるのよぉ。てぇゆうか、何で座ってるのぉ?」
「無視……まぁ、何となく?」
さし伸ばされた手を取りながら、尻をはたきつつエロメロイは立ち上がる。そしてナターシャと向き合うと、ナターシャはヤヤ達の居る部屋を一瞥する。
「あの子たちぃ……再会できてぇ良かったって所ぉ?」
「っしょ。見つけたられたのは偶然だけど」
——オリジナルを助けて。
あの時、地下水路で出会った三人の少女たちの言葉は、命乞いでも抵抗でもなく、ただ救いを求める言葉だった。
エロメロイは知っている。【賢者の石】の性質を、その有用性も危険性も。フランと同じ顔立ちの三人の少女の顔とヤヤの言葉からそれを悟れるほど、彼は深く理解していた。
何故フランと同じ顔立ちなのか、何がフランの罪なのか。それも真実に近い予想はつく。
無事、フランを見つけられたのは偶然だった。そして、気絶するフランを見つけて、その赤い右目を見て確信に変わった。
「姉貴……やっぱり俺……」
おちゃらけた雰囲気は潜み、苦渋を忍ばせた声音でエロメロイが口を開くがそれを言い切る事は無かった。
言いたい事の予想はつき、浅く俯く弟を見てナターシャは耳に響いてくるヤヤ達の嬉し泣きの声に耳を傾けて眉間に皺を寄せる。
「アンタは大事な弟よぉ、たった一人の家族なのもぉ、お姉さんにとってぇそれは一生変わらないわぁ。お互い魔王様のぉ意思を継ぐために、今ここにいるのもぉ承知してるわぁ」
二人には使命がある。
それは忘れ形見であり、生きる標でもある。
確固たる目的があって、今ここにいる。それは戦争を止めるという目的以外の何かが。
「でもねぇ、だからこそアンタには傷ついて欲しくないのぉ。【賢者の石】は使われていたわぁ、300年前の大戦で使われた遺物の一つがねぇ。エロメぇ、無理なら辞めても良いのよぉ」
それは余りにも残酷で、甘美な誘惑だった。他の誰でもない、姉であるナターシャからの言葉だからこそ例え頷いたとて責める者はいない。
エロメロイにここまでする義務はない。魔界から戦争を仕掛ける事はあっても、人間が魔界に攻め入る事はあり得ない。死ぬのは悪魔の戦士と人間だけで、非戦闘員の悪魔は死なないだろう。
長い静寂を破って、エロメロイは顔を上げる。その特徴的な糸目ははっきりと開かれ、いつも通りの軽薄な薄ら笑いを浮かべた。
「おいおいおい~? 姉貴何勘違いしてるっしょ? 俺やっぱり百合って良いよね~って言おうとしただけっしょ~?」
今の今までの真剣な雰囲気を全てぶち壊す、軽い口調の冗談にナターシャは押し黙り、エロメロイは姉の真面目な話を笑い飛ばした。
はじめっからこの為に神妙な顔をしていたのだと本気で思うくらい、エロメロイは爆笑している。
押し黙っているナターシャが、背筋がぞっとするくらい笑っていない目で妖艶な笑みを浮かべている最中も。
「いやいや、まさか俺の事そんなに思っていてくれたなんて感激っしょ。弟エロメロイ、心から感激致しました、お姉さま?」
「……弟ぉ」
「っ……すー。さらば今生」
彼の笑いが止まったのは、襟首をつかまれて引き摺られた時。
この後待っているお仕置きを予想しつつ、エロメロイはナターシャには見えない大人びた笑みを浮かべる。
(俺の心配なんてしてる余裕ないっしょ。【賢者の石】が使われていて、【天球儀】まで奪われた。そしたら敵が次に狙うのは一つだけっっしょ。完全に300年前の大戦と同じ流れなんだからよ。最悪の予想が当たっちまったっしょ)
最悪の予想。
ここに来るにあたって、二人は考えないようにしていた事があった。
オーバーテクノロジーな魔道歴の遺物を使われている事はまだ想定内、だが問題はそれを使って何をしようとしているのか。
ただの戦争なら良い。ただの遺物なら良い。
だがこの流れは、二人に最悪の展開が現実の物になってしまったと直感させる。
何故なら【賢者の石】を作ったのも、【天球儀】が使われたのもたった一人の魔王による物。無限に魔力を作り出す【賢者の石】とあらゆる魔法を行使できる【天球儀】は、魔王ファウストが使ってこそ真価を発揮する。
300年前、人間はこの二つを使うために魔界との戦争を始めたと、悪魔二人は知っている。
エロメロイはただひたすら、敵がこの事実に気づいていないことだけを祈って、ナターシャのお仕置きから必死で逃げた。