退屈こそが平凡である
6:00、いつものようにタイマーが鳴る。外を見れば目の視界を奪うほどの明るさの日、そんな光を浴びながら今日が始まる。寝室えを後にして廊下を歩くその先には、いつものように母の朝食。茶碗に8割ほどつがれたライス、適当に作ったことが一目でわかるような形をしたスクランブルエッグ、そして高血圧の父の為に作られた薄味の味噌汁。普通だ。今日も普通の朝食だ。そんな朝食を5分で完食し、そのまま服を着替える。肩に伝わる制服の重み。僕にしてみればこの時間が何よりも苦痛である。それほどまでに寝巻きは軽く、最も楽な格好なのだ。いや、最も楽な格好は生まれた姿の裸体であるに決まっているが、そんな格好は入浴時間を除くとまずしない。当たり前だ。
6:30、出発の時間だ。少し重たい家のドアを押して今日も外の風を浴びる。今が10月ということもあり気持ちが良いそよ風が僕を癒す。その風に感謝しながら地下鉄へ5分ほど歩く。道中には普通、犬の散歩をするお爺さん、花の状態を外で確認する花屋のお姉さん、新鮮な野菜を並べる八百屋のおっちゃん、みたいな人達に「おはようございます」と挨拶できるものだと登校初日は思っていた。だがそれは僕の軽い妄想に過ぎなかったようだ。そもそも6:30ごろからこんな都会を歩く人なんてあんまりいない。ネットが発展した現在、夜更かしは早起きよりも習慣化されているのだから尚更そうだ。この光景は、思っていた平凡と違うものだったりもする。
親には毎日のように感謝している。もちろん自ら感謝の言葉を伝える、なんていう恥ずかしいことなどはほとんどしないが。